ここ数日、泊地近辺では珍しく気温が激しく変化した。
そのせいで少し調子を崩してしまったらしい。医療室の道代先生に診てもらうと「風邪ね」と断定された。
「喉も真っ赤だし全体的に熱っぽいわ。薬出してあげるからしばらくは安静にしてなさい、天津風」
「はい、分かりました……」
「どうする、ここで休んでく?」
「いえ、部屋に戻って休もうかと思います」
少し休んでいれば楽になる、という感じではなさそうだった。薬をもらって早々に部屋へ戻った方が良いだろう。
「艦艇だった頃は風邪なんて引かなかったんだけどな……」
「でも故障したりして調子悪くすることはあったでしょ。それと同じようなものよ」
はい、と飲み薬を渡された。
中を見ると粉薬が中心となっている。
「……錠剤のはないんですか?」
「粉薬苦手? でも悪いけど、今は錠剤ないのよ」
「うぅ、分かりました……」
ただでさえ調子が悪いのに、気分が余計に沈み込む。粉薬は口の中にあの苦味が広がるのが凄く苦手だった。
マスクをつけて部屋に戻る途中、寮の手前で雪風とばったり出くわした。
「あれ、天津風。風邪ですか?」
「ええ、まあね……。雪風はどうしたの?」
雪風は第一艦隊所属で、普段はそちらの寮にいる。何か用事があってこちらに来たのだろうか。
「実は陽炎姉さんから助っ人をかき集めてくるよう頼まれたのです!」
「そういうことなら残念だけど、うちは今ほとんど人いないわよ。初風や時津風は私用で外出中だし、イタリアさんたちも演習に出てるはずだから」
「そうですか、なら仕方ないですね。次に行くことにします」
明るくそう言って転身する雪風。こういう切り替えの早さは見習いたいところだ。
「あ、こっちが片付いたら後でお見舞い行きますね!」
「別にいいわよ、多分寝てるかもしれないし……」
「それならそれで構いません。ではっ」
ぴゅーっと効果音をつけたくなるような足取りで雪風は駆け去っていった。元気そうで実に羨ましい。
雪風のように元気になるために、私は大人しく休むことにした。
それから一時間後。
なかなか寝付けずにいると、部屋の扉が控え目に叩かれた。
「……どうぞー」
「あ、起きてた」
扉を開けて入って来たのは島風だった。
「ちゃんと寝ないと治らないよ」
「分かってるわよ。ただ、寝ようとすると寝られないものなのよね……」
風邪による不快感が眠気を上回っている。だからベッドの中に入り込んでも、なかなか落ち着かないのだった。
「しょーがないなあ。じゃ私が子守歌を歌ってあげよっか」
「いいわよ別に。島風の歌って賑やかな感じするから、子守歌っぽくないし」
「む。人の厚意を素直に受け入れないとは。……ま、病人だし今日は大目に見てあげる」
「それはどーも」
「あ、そだ」
島風はごそごそとショルダーバッグから銀紙に包まれた何かを取り出した。
「これ、さっき間宮さんのところで作ってきたおにぎり。ホントはおかゆとかスープの方が良いと思ったんだけど、天津風いつ食べるか分からなかったし、私この後ちょっと用事があるから、いつでも食べられるものにしたんだ」
「……ありがと」
弱っていると、こういう気遣いが身に染みる。食事についてはちょうど作らなければと思っていたところだった。普段は普通に料理できるが、風邪のときはどうしても気が滅入ってしまう。
「ちなみに具は?」
「下手なもの入れない方が良いかなと思って、塩おにぎりです!」
「オッケー。それでいいわ」
「うん。あと、これお茶ね」
そう言って、島風はおにぎりの入った包みと魔法瓶をベッド脇の棚の上に置く。
「それじゃ、あんまり長居するのも悪いしそろそろ行くね。早く治さないと承知しないんだから」
「そうねー。善処するわ。私も長引かせたくはないし」
「ん。じゃお大事に!」
風のように去っていく島風。
今度何かお礼をしなければ。
そんなことを考えながら、おにぎりとお茶を堪能するのだった。
気づけば眠っていたらしい。
起きて横を見ると、雪風や陽炎姉さんたちの書置きがあった。どうやら寝ている間にお見舞いに来てくれていたらしい。
黒潮姉さんと親潮姉さんが収穫したという野菜のセットが、部屋の冷蔵庫に入っていた。
今夜はこれで鍋も悪くないかなー、と思っていたところで、再び部屋の扉が叩かれた。
「おっ、起きたみたいね」
そこにいたのは長良さんと、出かけていた初風・時津風だった。
「天津風、大丈夫? 泊地に戻って来たところで雪風から話聞いて来たんだけど」
初風がスタスタと目の前にやって来て、こちらのおでこに手を当てた。
「うーん、まだ少し熱っぽいわね」
「大分楽になった感じはするんだけど」
「風邪は治りかけが危ないって言うからねー。無理しちゃ駄目だよ」
と、初風と時津風によって強制的にベッドへと放り込まれる。
「ま、そんなわけで天津風に無理はさせられないってことで、夕飯は私たちが作ろうと思います」
「うどんもあるよー」
どこから手に入れてきたのか、時津風がうどんの入った袋を掲げて見せた。
「陽炎たちが野菜持ってきたんだよね。それ使って鍋にしていい?」
「あ、はい。すみません」
「いいのいいの。誰かを助け、誰かに助けられる者であれ――ってね」
長良さんは得意げにサムズアップしてみせた。
「それじゃ行くよ、二人とも。天津風は大人しく待っててね」
そう言って、三人は野菜を持って部屋から出て行った。寮の一階にある厨房に向かったのだろう。
「……ありがたいわね。本当に」
「そうそう。こういうとき助けてくれる相手は大事にしないといけませんよ」
と、半ば開きっぱなしになっていた扉のところから声がした。明石さんだ。
「預かっていた連装砲くんのメンテが終わったので、返却がてらお見舞いに」
そう言って、明石さんは抱えていた連装砲くんを離した。
連装砲くんは足早にベッド脇まで来て、どことなく心配そうな表情でこちらをじっと見つめてくる。
「ああ、うん。大丈夫よ、皆に良くしてもらってるから」
そうか、という風に頷き、連装砲くんはいつもの定位置――部屋のラックの専用スペースに戻っていった。
ただ、それとなくこちらに気遣うような視線を向けてきている気がする。
「私が体調不良も治せれば良かったんですけどね。艦艇と人じゃ勝手が違うので」
「……こういう風になると、自分が前とは違う存在になったんだなって強く感じますね」
「そうですね。私たち艦娘は人間とは違うかもしれないけど――前みたいな艦艇というわけでもない。ある意味、不便になったとも言えます」
「はい。でも艦艇のままだったら、こんな風に皆にお見舞いに来てもらうこともなかったなって。……そう考えると、不便なのも悪いことばかりではないのかなって思います」
それに対し、明石さんは言葉ではなく――深い笑みで応えたのだった。