近頃、駆逐艦望月には悩みがあった。
「ジトジトし過ぎだろ……」
手にしていた携帯ゲーム機から視線を逸らし、自室を見回す。
至るところに、洗濯物がかけられている。部屋に干せるものは全部干してやろうという鋼鉄の意志を感じさせる光景だ。
重い腰を上げて部屋の扉を開けてみる。しかし、湿度はちっとも緩和されなかった。部屋の外――艦隊寮の廊下にも様々な洗濯物がかけられていた。
「まるで寮全体がプールになったようだ」
このS泊地がある地域は高温多湿で雨が多く、外で洗濯物を干しにくいという悩みを抱えている。そのため部屋干し自体は珍しくないのだが、今回の部屋干しのボリューム感たるや、普段が丙なら甲というべき凄まじさである。
「仕方ないよ、もっちー。ここ最近雨がずっと続いてるんだし」
「分かる。分かるよミカ。だけどこれは流石にどげんかせんといかん」
「なんで宮崎弁」
「実際は鹿児島弁らしいよ。ソースはネット」
「はいはい。でもどうするの、天候なんてどうにもできないよ?」
窓の外を見ると、今日も相変わらずの雨模様だった。程良い雨具合なら眠気が増すくらいで良いのだが、最近のはちょっと酷い。
天候を操作することができれば万々歳だが、それは神の御業である。
「乾燥機ないんだっけ」
「多少はあるけど、寮全体の洗濯物をカバーするだけの数はないなあ」
「そっか。今から注文したとしても、来るのは結構先になりそうだしな……」
現在この寮にあるものでやれることは一通り三日月がやっているのだろう。
三日月がやらなさそうなことで、何かできることはないか。望月は頭を捻った。
「……寮の中で焚火して乾かせない?」
「真顔で何言ってるのもっちー。火事になったらどうするの」
「ならないよ大丈夫だよ根拠はないけど」
「却下ね」
「うー」
両腕でバツ印を作る三日月の前に、無力な望月が倒れ伏した。単にやる気が尽きただけとも言える。
「万策尽きた……。あたしはもう駄目だ。ミカ、睦月たちによろしく伝えておいてくれ……」
「また大袈裟な……。あれ?」
三日月が窓際に近づいて、外の様子をじっと見ていた。
「どったのミカ。深海棲艦でも攻めてきた?」
「それは洒落にならないよもっちー。じゃなくて、煙が」
「煙ぃ?」
のっそりと起き上がった望月も窓際からその様子を眺めた。
確かに、雨にもかかわらず煙が昇っている。
「万一火事になったらまずいし、様子見に行った方が良いかな」
「えー、いいよ。雲龍たちがまた茶器でも焼いてるんじゃないの」
「違うかもしれないでしょ。ほら、行くよ!」
「いーやーだー」
力のない声を上げながら、望月は三日月に引っ張られていくのだった。
合羽を着こんだ二人が煙の発生源のところに向かうと、そこには工廠長を務める伊東と軽空母の龍鳳がいた。
煙はいくつか並べられているドラム缶から出ていた。どうやら何かを蒸し焼きしているらしい。
「あの、何をされてるんですか?」
声をかけると、伊東が「おう」と少し驚いたような声を上げた。
「三日月と望月か。雨音のせいか全然気づかなかった」
伊東はがっしりとした体躯の壮年の男性だ。普段は工廠にこもっていることが多いが、たまに外に出て何かを作ったりすることもある。
「竹炭を作ってるんですよ」
龍鳳が三日月の疑問に答えた。
「潜水艦寮の湿気が酷くて、どうにかしようと思いまして。明石さんたちに相談していたところ、伊東さんが『竹炭なら湿気対策になる』と」
「竹なら割と有り余ってるだろうから、ドラム缶使って蒸し焼きすれば竹炭にできるしな」
「なるほど。潜水艦寮は、いろいろと大変そうですもんね……」
この泊地は艦種ではなく、いくつかの艦隊ごとに寮が分かれている。ただ、潜水艦は水上艦と生活サイクルがかなり違うということから、例外的に潜水艦寮という専用の寮が用意されていた。
龍鳳は水上艦だが潜水母艦大鯨という別名を持っており、潜水艦と縁が深い。そのため普段は潜水艦寮で生活をしている。潜水艦たちの母艦ということもあってか、優しい母親的ポジションになっていた。
「普段着だけじゃなくて、任務で使う水着とかもいっぱい干さないといけませんから……」
「建物自体海側に面してるからか、なんかじとっとしてる感じもするんだよな、あの辺」
扇子で龍鳳や三日月・望月たちを扇ぎながら、伊東がげんなりした表情を浮かべた。人間にとっても最近の湿度はきついらしい。
「湿気対策か……。洗濯物が乾きやすくなるかどうかはともかく、室内の不快さは軽減できそうだな」
「そうだね。うちの寮の分も作ろうか」
伊東曰く、使う竹の見極めや火加減の難しさはあるが、工程自体はさほど複雑なものではないらしい。ただ、炭になるまでそれなりに時間がかかるそうなので、その間ここで見張っている必要はある。
「……やっぱやめようか」
「諦めるの早いよもっちー!」
引き上げようとする望月の裾を、三日月が慌てて掴んだ。
「数時間雨の中で代わり映えしないドラム缶見続けろなんて、一種の拷問じゃないか」
「……もう」
はあ、と溜息をついて三日月は手を離す。
「分かったよ。それじゃもっちーは先に戻ってて。私やってくから」
「……お、おう?」
自由になった手をぷらぷらさせながら、望月は戸惑いの表情を浮かべた。
てっきり強引に付き合わされるものかと思っていたのに、拍子抜けした――そんな顔をしている。
「……それじゃ、あたしは帰るぞ」
「うん」
「ほんとに帰るぞ」
「うん、分かった」
三日月は特に怒っているわけでもなさそうで、淡々と望月の言葉に応じていた。
望月はそんな三日月をしばらくじっと見ていたが、やがて頭を掻きむしりながら「あー」と唸り声をあげた。
「分かった、分かったよ。付き合うよ」
「え、いいの?」
「ミカだけに任せるのも悪いしな……」
「そっか、ありがとう。もっちーならそう言ってくれると思ってたんだ」
にこやかに言われて、望月は面白くなさそうに口を尖らせた。
「……なんか、掌の上で転がされてる気がする」
「よくできた女房と駄目亭主の構図みたいだな」
「うるさい」
余計なことを口にした伊東に膝カックンを仕掛けながら、望月は顔を赤くするのだった。
それから小一時間。
「……望月ちゃん、そんなに作るの?」
望月たちが準備した竹入りのドラム缶の数を見て、龍鳳が驚きの声を上げた。
「なんでも、竹炭をまとめて生産して他の寮に売りさばくんだそうで……」
三日月が苦笑しながら龍鳳の疑問に応える。
一方、望月は既に頭の中で勘定を始めているのか、ぶつぶつと何か数字を口にしていた。
「あ、あはは……。商魂たくましいんだね」
「あたしはただ働きは嫌いなんだ」
大量のドラム缶を前に、望月はドヤ顔で拳を握り締めた。
以下、今回の後日談。
意気揚々と大量生産した竹炭を売りさばこうとした望月だったが、意外と成果は芳しくなかった。
なぜなら、売ろうとする相手の大半が「あ、それなら自分で作る」という反応だったからである。
「理解できない……。タイムイズマネーじゃないのか。なぜ皆面倒なことを進んでやろうとするんだ……」
大量に売れ残った竹炭を前に、望月はがっくりと肩を落とす。
「で、どうするのこれ……」
「……どうしようか」
結局、処分するのも勿体ないということで、泊地の司令部に贈呈することになったとか。
世の中、そう簡単には儲からないものらしい。