「そんなわけでローマ観光だよ!」
拳を握り締めて声高に宣言したのは吹雪だった。
その側には「わー」と手を叩く綾波と、疲労が表情に滲み出ている叢雲、そしてどうリアクションを取るべきか戸惑っている天霧・狭霧の姿があった。
「……なあ、叢雲姉。吹雪姉はいつもあんな感じなのか?」
「普段は真面目なんだけどたまにテンション高くなるとああなるのよ。今日は私疲れてるからツッコミはあんたに任せるわ」
「ええー……」
唐突に叢雲から無茶振りを受けて、天霧は困惑の声を上げた。
ここは彼女たちの拠点であるS泊地――ではなく、そこから遠く離れたイタリアの古都ローマだった。
八月、日本は欧州からの救援要請を受けて未曽有の大艦隊を編成した。S泊地の面々もその一員として欧州まで来て、先日まで深海棲艦の大軍勢と死闘を繰り広げていたのである。
現在、日本から来た艦娘たちは大遠征の慰労のため休暇を与えられていた。そこで吹雪が皆を誘ってローマまで引っ張って来た、というわけである。
「疲れてるって意味じゃなー。あたしらも数日前まで暁や朧たちに連れ回されてドイツ観光してたんだぜ……」
「あら。それは楽しそうでいいわね。……私はずっと戦後処理で忙殺されてたんだけど、今度変わってみる?」
叢雲は笑顔だった。
ただ、その笑顔は見てはいけない類のものだ。これ以上余計なことを言えばただでは済まない。
「すみませんでした。本日はあたしがツッコミを担当させていただきます」
「よろしい」
「……いや、ツッコミって担当決めてやるものなの?」
狭霧が二人のやり取りに疑問の声を上げる。それを受けて叢雲は「プッ」と吹き出した。
「そうそう、ツッコミはそうやるものよ。天霧、あんたまだまだね」
「えっ、今あたしテストされてたの!?」
「45点」
「うおー、なんだその中途半端な点数!?」
頭を抱えて悲鳴を上げる天霧と、それを見てますますおかしそうに笑う叢雲。そんな二人を見て吹雪が頬を膨らませた。
「ほらそこ! なんでローマに来たのにツッコミ談議なんかしてるの!」
「まあまあ吹雪。うちでは必須スキルだから……ボケ役の人以外は」
「えっ、私そんな話聞いたことないよ?」
「……あっ」
「な、なにその反応。綾波ちゃん! ねえ!」
気まずそうに視線を逸らす綾波の肩を掴んで迫る吹雪。
それを見ながら狭霧がポツリと呟いた。
「吹雪姉さんは、ボケってことでしょうか」
「天然のね」
「ああ、ありゃ天然だろうな……」
叢雲の回答に天霧が頷く。
それが聞こえていたのか、吹雪はくわっと目を見開いて抗議の声を上げた。
「天然じゃないよ!」
説得力皆無だった。
一行がまずやって来たのは、通称「スペイン広場」と呼ばれる場所だった。
すぐ側にはスペイン階段と呼ばれる映画で有名になった階段もある。
周囲一帯は人々の往来が激しく、とても賑わっていた。観光客ということで目を引くのか、一行に声をかけてくる者もいる。
だが、もっとも一行の目を引いたのは広場の中央にある噴水だった。
「……船が沈みかけてますね」
狭霧が率直な感想を述べた。
スペイン広場の中央にある噴水には小舟のオブジェクトがあるのだが、半ば沈んでいるように見えるのだった。
「川で氾濫が起きたときに漂着した船がモデルになってるんだって。少し前に暴動があって傷つけられちゃったみたいだけど、今は修復も終わったみたいだね」
ガイドを片手に吹雪が解説する。
「一応漂着したなら私たち的にはセーフかな……?」
「大破でギリギリ拠点まで戻ったって感じですね」
「いや、綾波姉、狭霧。自分たちに照らし合わせて見なくていいだろ。素直に見て楽しもうぜ」
「うーん、それは分かるんだけど……」
「どうしても意識してしまうというか……」
噴水に釘付けになっている四人に対して、吹雪と叢雲は視線を早々に切り替えていた。
周囲には出店含め様々な店が並んでいる。特にファッション系のショップは艦娘にとっても魅力的に映るものが多かった。
幸い、今回の欧州遠征に対する報酬ということで艦娘たちには夏のボーナスとも言える多額のお金が支給されていた。現金で持つと危ないからということで、各艦娘にはそのボーナス分だけ利用可能なカードが渡されている。
戦場にいるときは規定の制服、普段は泊地の活動に合わせた動きやすい服を着ている彼女たちだが、たまに町へ行くとき用にお洒落な恰好をしたいという願望は持ち合わせていた。
「――叢雲ちゃん、どうしようか」
「泊地に戻っても使い道あまりなさそうだし、私は行くわよ吹雪」
「そうだよね。お金は天下のまわりもの。使うときに使わないと駄目だよね」
意見の一致を確認するかのように握手を交わす二人。
「なあ、綾波姉。あれは止めなくていいのか?」
「楽しめるときは楽しんだ方がいいと思うし、別にいいんじゃないかな。泊地に戻ったらショッピングなんてする機会ないし、私たちも行っておこっか」
そう言って、綾波はポンと天霧と狭霧の背中を押すのだった。
装いを改めた女子五人が次に向かったのはトレビの泉だった。
宮殿の壁とそこに立ち並ぶ像の前に広がる大きな噴水である。先ほどのスペイン広場の噴水と比べて格段に大きい。
「ここはコインを投げ込むと願いが叶うことで有名な泉だよ!」
「吹雪姉さん、ガイドを目指してるんですか……?」
「ノー!」
狭霧の指摘に勢いよく腕でバッテンを作る吹雪。観光にショッピングで大分テンションが上がっているらしい。どことなく金剛のような口調になっていた。
「後ろ向きに投げると叶う、だって。投げる枚数によって叶う願いの種類も変わるみたいだよ」
「一枚だとローマに戻ってこれる、二枚だと大切な人とずっと一緒にいられる、三枚だと恋人や伴侶と別れられる……って三枚目なんだこりゃ」
「昔キリスト教が離婚禁止してた頃の名残りらしいね」
「それだけ離婚したいって人が多かったのか。なんつーか結婚ってもっとこうロマンあるもんだと思ってたぜ……」
知りたくなかった現実を知ってしまったような顔を浮かべる天霧だった。
「私たちは二枚投げてみよっか。ずっと皆で一緒にいられるようにって」
綾波の提案に異を唱える者はいなかった。
もっとも、すぐに投げられるわけではない。この泉は観光名所としても有名で、泉のまわりは人で溢れかえっている。市の警察官らしき人が観光客を誘導したり整列させたりするのに苦戦している様子が見えた。
「人が多いとそれはそれで大変だね……」
「泊地を観光地化できないかって大淀が考えてたみたいだけど、この様子を伝えたら考えを改めるかもしれないわね」
S泊地で留守を任されている大淀のことを思い浮かべながら、叢雲が肩を竦めてみせた。
やがて一行の順番になった。
先頭に立っていた天霧から順番に、二枚のコインを泉に向かって後ろ向きに投げる。
「ど、どうだ?」
「ちゃんと入ってたよ」
「そうか……。着任早々これで外してたら縁起悪すぎだもんな」
ほっと胸を撫で下ろす天霧に続いて、緊張した面持ちの狭霧がコインを投げる。
緊張していたせいか、二枚のうち一枚が泉から外れそうになったが――なぜかそのコインの軌道がいきなり逸れた。泉から外れそうになったコインが、無事泉の中へと落ちていく。
「ど、どうだった?」
「お、おお。なんかよく分からないが……入ってたみたいだぞ」
「よ、良かったあ」
安堵する狭霧の肩を、天霧が笑いながら叩く。
一方、吹雪と叢雲は綾波に視線を向けていた。
「今軌道修正したのって……」
「綾波、あんた今何か狭霧の投げたコインにぶつけたでしょ」
「え、そんなことないよ?」
穏やかな笑みで「あはは」と笑う綾波。
その笑みには「これ以上追及するな」という意思が見え隠れしているようだった。
「――ま、いっか。私たちも投げましょ」
「そうそう」
他の観光客も待っているので、三人は一斉にコインを投げた。
ずっと一緒にいられますように――そんな願いが込められた六枚のコインが、綺麗な弧を描きながら泉の中に落ちていく。
「……」
それを確認して、叢雲が少し遠い眼差しを――何かを思い出しているかのような表情を浮かべた。
「叢雲ちゃん!」
「わっ!?」
そんな叢雲に、吹雪が背後から飛び掛かる。
「ほら、次はフォロ・ロマーノだよ! あとコロッセオも行かないと!」
次に行く方向を指差しながら吹雪が高らかに宣言した。
そんな姉の様子に苦笑交じりの溜息をついて、叢雲は「はいはい」と応じた。
「じゃれついてないで早く行こうぜ、見るところいっぱいあるんだろ?」
「姉さんたち、行きましょう」
「そうそう。まだまだ回らないと」
せっかくの機会なのだから、全力で楽しもう。
そう切り替えて、叢雲は吹雪を背負ったまま三人の後を追って駆け出した。
ローマの休日は、まだまだ終わりそうにない。