S泊地の日常風景   作:夕月 日暮

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嵐は萩風の前だとちょっと格好つけようとしているくらいが良いと思うんです。


嵐のフィッシング挑戦録(嵐・グラーフ・鹿島・舞風)

 朝起きると萩の姿がなかった。

 今日は休日だったはずだ。どこかに出かけたのだろうか。

 

「おはよー、嵐」

 

 部屋を出たところで舞とばったり出くわした。

 

「萩風? それなら不知火姉たちと釣りに出かけたよ。今日は沖の方に船出して釣るって言ってた」

 

 そういえば、萩は泊地の釣り同好会のメンバーだった。不知火姉さんや曙、村雨たちが主要メンバーに入っていたはずだ。最近では国後も加わったと聞く。

 

「この前もMastodonにアップしてたよ。楽しそうで良いねー。あたしも今度連れてってもらおっかなあ」

 

 スマホを取り出して、萩のアカウントを見てみる。アップロードされている写真のうち何割かは釣り同好会のものだった。どれも楽しそうに映っている。

 釣り。正直今まで興味なかったが――そんなに楽しいものなんだろうか。

 

 

 

「釣りを教えて欲しい?」

 

 グラーフは、こちらの話を聞き終えると目を丸くして言った。

 食堂でグラーフと鹿島が食事しているのを見つけて、釣りの指南を頼んだのだ。

 二人は釣り同好会のメンバーではないが、空き時間を使って釣り糸を垂らしているのを見たことがある。

 

「それなら私たちではなく萩風に聞けばいいではないか。あいつは釣り同好会のメンバーだし、私たちより上手いと思うぞ」

 

 グラーフの指摘はもっともだ。

 もっともではあるんだが――。

 

「駄目ですよグラーフさん。嵐さんが私たちに頼んできた、その意図を汲み取ってあげないと」

「意図?」

「嵐さんは萩風さんに、実は釣りができた自分、というのを見せたいんですよ!」

 

 グッと拳を振り上げて解説する鹿島。

 やめてほしい。お前は見栄っ張りだと公衆の面前で暴露されている気分だ。事実なだけに余計恥ずかしい。

 

「そうか、すまなかった嵐……」

 

 どこか悟ったような表情のグラーフが肩にポンと手を置いた。

 

「なに、もういい? おい、待て待て。食事の後でいいなら付き合うぞ。そう拗ねるな」

「そうですよ嵐さん、そういう見栄っ張りなところも嵐さんのチャームポイントだと思いますよ」

 

 グラーフは若干天然が入っている気がするが、鹿島は絶対面白がっている。親しい相手にはたまに小悪魔っぷりを発揮するのだ、こいつは。

 どうにも頼むのは尺だが――釣り同好会のメンバー以外で教えを請えそうなのはこの二人しかいなかった。

 

 

 

 グラーフたちに連れられてやって来たのは、島の中の方にある大きな池だった。

 

「あまり知られていないが、ここは島の人たちも使う釣りのスポットでな。私や鹿島もたまに使わせてもらっている」

「あんまり新鮮味はないですけど、気を落ち着けながら釣りをしたいときはおススメの場所なんです」

 

 実際、何人か島の人たちがのんびりと釣り糸を垂らしているのが見えた。中には見知った顔もいる。

 

「ん、珍しい組み合わせだな」

 

 こちらに気づいて声をかけてきたのは、ある集落の長を務めているリチャードというおっさんだった。頬に大きな傷跡があるせいでぱっと見海賊か何かに見えるが、実際は奥さんの尻に敷かれている普通のおっさんである。

 よく漁で船を出しているイメージがあるので、こういう場所にいるのは少し意外な感じもした。

 

「いや、海での漁は仕事なんだよな。こっちは趣味。仕事ばっかだと疲れるわけよ。たまにはこうやって糸垂らしながらぼーっとしていたいっていうか」

 

 今日は妙に口数が多い。これは大抵奥さんか娘さんに叱られて家を追い出されたってパターンだ。間違いない。

 

「ほら、嵐。我々も始めるぞ」

 

 釣り竿は持ってなかったので、鹿島の予備用のものを借りることになった。

 グラーフのも鹿島のも市販の釣り竿だ。良し悪しは正直さっぱり分からないが、持ってみた感じ割と手にしっくりくる。

 ちなみに釣り同好会のメンバーは自作の釣り竿を使うという徹底ぶりらしい。萩も三つくらい持っていたが、曙なんかは十を超える数の釣り竿を作っているんだとか。

 鹿島に教わりながら、どうにか池に糸を垂らすことに成功する。

 

「それじゃ、後は待ちましょう」

 

 鹿島に言われるがまま待つ。

 しかし、それから随分と待ってみたものの、一向に餌に魚が食いつく気配がなかった。

 一方、他の三人のところにはちょいちょいと魚が行っているようだった。慣れた手つきでそれぞれがバケツの中に魚を入れていく。

 もしかして、ただ垂らしているだけでは駄目なのか。餌が生きているように見えるよう細かいアクションを取った方が良いのか。

 

「……嵐さん、そんな忙しなく動いていたら魚に逃げられてしまいますよ」

 

 こちらの様子を見ていた鹿島から指摘が入った。

 

「というか、随分前に餌取られてるようだったぞ。一度上げてみろ」

 

 グラーフに言われて釣り竿を引っ張ると、確かに餌がなくなっていた。

 

「ぼんやりとしながら集中できるようにならんとな。余計な気配を出すと魚は逃げるから自然体でいろ。で、魚の気配は絶対逃がさないようにする。基本はそれだけだ」

 

 さらっとリチャードのおっさんが横から口を挟んできた。というかそれは基本ではなく極意というのではないか。

 

「魚が食いつきそうだったら教えるから、もう一度チャレンジしてみよう」

 

 グラーフが再び餌をセットしてくれた。

 まずは一匹。それを目標に、再び釣り糸を垂らした。

 

 

 

 その一匹が釣れたのは、日が暮れそうな頃になってからだった。

 しかも、グラーフや鹿島の全面的なフォローを得ながらの成果だから、純粋に自分の力で釣れたわけではない。

 

「まあ、落ち込むな。最初からそんな完璧にいくはずもない」

「そうですよ。私なんか最初は香取姉から『鹿島はちょっと駄目ですね……』って言われたくらいですし」

 

 そんな評価を受けながら、よく今でも釣りをする気になったものだ。

 

「だって、何だかんだで釣れた瞬間は嬉しかったですし。嵐さんはどうです?」

 

 確かに悪くないと思った。

 ただ釣り糸垂らして魚を引っ張り上げるだけだ――なんて思っていたが、実際やってみると奥が深い。

 自分のバケツの中にいる魚は一匹だけだが、今度はもう少し増やしてみたい。

 

「んじゃ、リリースするぞ」

 

 と、いきなりリチャードのおっさんがバケツの中の魚を池に戻してしまった。

 

「ん? え、いや、そう怒るなよ。グラーフたちから聞いてないのか?」

「あ、すまん。言い忘れていた。……嵐、ここはあくまで趣味用の釣り場だから、釣った魚は帰るときにリリースする決まりなんだ」

 

 なんてこった。釣った魚を食べるというのを楽しみにしていたというのに。

 

「それなら心配ないですよ。萩風さんが今朝出かける前に、今日は釣った魚でご馳走するって言ってましたから」

 

 なら良いか――という問題じゃない。自分で釣って自分で食べる。それが楽しみだったのだ。

 

「なら、練習して自分で釣れるようになってから外に釣りに行くしかないな」

 

 グラーフがポンと肩に手を置く。

 どうやら、俺の釣りライフはまだまだ先が長いらしい――。


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