日が昇り始める。
この泊地の者たちが本格的な活動を開始する時間帯だ。
薄暗い中、小さい影がひょこひょこと歩いていく。あれは妖精たちだろう。
「あ、志摩だ」
連中はこちらに気づくとわしゃわしゃと頭や顎を撫でてくる。鬱陶しいと意思表示してみるが、一向に通じない。
仕方ないのでされるがままになる。私は寛容なのだ。悪意なき戯れであれば付き合ってやることにしている。
一通り撫で回して満足したのか、妖精たちはそれぞれの職場に散っていった。
次に顔を出したのは間宮と伊良湖の二人だ。料理の仕込み等もあるのだろう。この二人はいつも朝が早い。
こちらに気づくと、伊良湖は「ちょっと待ってね」と言って奥に引っ込んだ。
待つことしばし。やがて伊良湖が良い匂いのするものを持ってきた。私の朝食である。
うむ、今日も美味い。大儀である。
「いっぱい食べますね。良かったあ」
こちらが満足そうな表情を浮かべると伊良湖も嬉しそうに笑った。他者の喜びを己のことのように喜べるとは、天晴れなことだ。
頭を下げてその場を後にする。腹が満たされて若干眠くなってきたが、ここで寝ては堕落してしまう。食後は泊地一周の散歩をしなければならない。それが私の流儀だからだ。
優雅な足取りで朝の散歩を楽しんでいると、前方のベンチに座っている人影が見えた。
あれは――確か、山風とかいう娘だ。
一人で退屈そうにしている。そういう者を見たら放っておくなと教わった。
ベンチに飛び乗り、山風に向かって挨拶をする。山風はびくっとしたが、こちらに気づくと大きく息を吐いた。
「あ、志摩だ……」
私を見つけた山風はじっとこちらを見つめてきた。
こちらも負けじと見つめ返す。私は博識なので知っている。これは睨めっこというやつだ。
「はあ」
やがて山風はため息をついて目を逸らした。どうやら睨めっこをしていたというわけではないらしい。
どうかしたのか、と聞きたいが山風とこちらでは言語が異なる。仕方ないので山風の背中に飛び乗り、頭までよじ登ってみた。
「お、重いよ志摩」
失礼な奴だ。私の肉体は駄肉を含まぬ。そんな重いはずはない。……重くないはずだ。重くないよね?
「なんで鳴き声が段々自信なさげになってくの……」
いや、私とて常に自信満々気合満々というわけではないのだ。
ときには自信なくすこともある。だって生き物だもの。
頭に乗られるのは嫌なのか、山風は私の身体を掴んで膝の上に移した。
「……最近、泊地静かだね」
沈黙に耐えかねたのか、山風がぽつりと言った。
確かに最近この泊地は静かである。多くのメンバーが出かけてしまっているからだ。何でも北の方に出かけているらしい。北は寒いらしいがどういうところなのだろう。私としても興味深いところではある。
山風は寂しがり屋だ。そろそろこの静かさが辛くなってきたのかもしれない。
仕方ない。ここは私が一肌脱いでやろう。
山風の膝から飛び降りて、彼女の前でとっておきのかくし芸――私が最高に格好いいと思っているポーズをしてみせた。
抱腹絶倒間違いなし。子どもから大人まで大絶賛間違いなしの芸である。
「……なに、その変なポーズ」
な、なんだとぅ!?
まったく受けていない。なんだこの娘、笑いのセンスがおかしいのではないか。
私がこんなポーズをするなどおかしいではないか。笑うところだぞここは。
「そんな訴えるように鳴かれても……」
リアクションは相変わらず薄いままである。なんだか悲しくなってきたのでポーズを解いた。
もういい。私が山風にしてやれることは何もなさそうだ。ならさっさと消えるとしよう。
「あ、待って……」
立ち去ろうとしたところで、またしても山風に身体を掴まれた。また膝の上に乗せられる。
「あったかいから……もうちょっとこうしてたい」
なんだ、特に何もしなくても良かったのか。
まったく他者の考えることはよく分からん。
ただまあ私はジェントルマンであるからして、頼まれれば付き合ってやるのが義務である。
決して散歩でちょっと疲れていたとか、そろそろ休みたくなっていたとか、そういう理由ではないのである。
朝の散歩は気持ちがいい。そう言うと隣で歩く白露姉さんは「そうだね」と同意してくれた。
姉妹が勢揃いしている白露型だけど、この早朝の散歩に付き合ってくれるのは白露姉さんや海風くらいだった。他の皆はどちらかというと夜型なので、この時間帯はまだ眠っていることが多い。
この時間帯の泊地はいつもと少し違う顔を見せてくれる。
剣の素振りをする天龍さんと鹿島さん。
ランニングをしている長良さん。
花壇の花に水をあげている朝雲ちゃんと山雲ちゃん。
そして、ベンチで眠っている山風。
「って、なんでここで寝てるの山風……」
「多分早くに起きちゃって、海風起こすのも悪いし、部屋でじっとしてるのも暇だしって感じで出てきたんじゃない?」
白露姉さんの分析はおそらく当たっている。
山風は一見すると引っ込み思案で大人しそうに見えるけど、実際は割と気分屋でアクティブなところもある。
「あ、志摩さん」
山風の膝の上で、しゅっとした体躯の猫が横になっていた。
志摩さんは若干助けを求めるような感じの声で鳴いていた。下手に動くと山風を起こしてしまうので、動くに動けなくなった――という状況のようだ。
「あはは、毛布がわりにされちゃったね」
笑っている場合か、と言いたげな眼差しで志摩さんが白露姉さんを見ていた。
「ごめんね志摩さん、もうちょっとだけ我慢して……」
頭を下げてお願いすると、志摩さんは「仕方ない」という感じの溜息をついてじっと動かなくなった。
なんだかときどき志摩さんが人語を理解しているのではないか、と思ってしまう。それくらい志摩さんは聞き分けが良かった。
そのとき、白露姉さんの携帯が鳴った。
「夕立からだ」
「どうかしたって?」
「東京お土産何がいいかってさ。もうすぐ帰ってくるみたいだよ」
「そうなんだ。――また賑やかになりそうだね」
ふん、と志摩さんが鼻を鳴らした。
賑やかになるのを嫌がっているような、そうでないような――どちらとも取れそうな表情を浮かべているように見えた。