クリスマス間近の頃、S泊地の面々はイギリス近くの海上で日々を過ごしていた。
先日まで行われていた大規模な輸送作戦を終えて、各国首脳陣はロンドンで今後の方針についての会議を進めている。
ソロモン諸島を代表するS泊地の提督もその会議に参加しているので、艦娘たちは待機を命じられているのであった。
「せっかくのロンドンなのに、都市に入れないのはつまらないわ」
船室で面白くなさそうに机へ突っ伏しているのは、S泊地に属する艦娘・ジェーナスだった。
イギリスの駆逐艦の艦娘ではあるが、普段はソロモン諸島にいるのでロンドンには随分と久々である。
しかし、今年は世界的な病が流行っている。艦娘も病気にはかかるので、大事を取って都市への出入りはある程度制限されることになっていた。
「それは仕方ないって納得できるけど、なんでちゃっかりジャーヴィスは提督についていってるのよ」
ジェーナスの不満の原因はそこにあった。姉妹艦であるジャーヴィスは、いつの間にか会議に参加する提督のお供に加わっていたのである。呑気な顔して「お土産買ってくるねー!」などと言っていたが、そういう問題ではないのだ。
そんなとき、扉をノックする音が聞こえた。
ジャーヴィスならいちいちノックなどせず一気に開け放っているだろう。彼女が戻って来たというわけではなさそうだった。
「はーい、どちらさまー?」
扉を開けると、そこにいたのはドイツの艦娘、レーベとマックスだった。どちらもS泊地に属している同僚である。
同じ駆逐艦の艦娘同士、普段からそれなりに交流はある。レーベとはよくスポーツをする仲でもあった。
二人はどことなく困った様子で、手にしていた紙を見せながら「これ、見なかった?」と尋ねてきた。
紙に描かれているのは、ウイスキーの瓶である。
「ううん、見てないわ。これがどうかしたの?」
「なんでも、今回の戦勝祝いってことでザラが買って来たみたいなんだ。皆で飲もうって言ってたけど」
「まあ、ポーラへのご褒美なんでしょうね。かなり高級で、滅多に買えないものらしいわ」
「へえ。どれくらいするの?」
「……聞かない方が良いんじゃないかしら」
どことなく憂鬱そうな顔色で、マックスが視線を逸らす。
普段からポーカーフェイスなマックスにしては、割と感情が表に出ている。それだけ困っているのだろう。
「それが、なくなったってこと?」
「うん。昨日はザラが買い出し担当だったんだけど、出かける前にはあったはずなのに、戻ってきたらなくなってたんだって」
「ポーラが勝手に飲んじゃったんじゃないの?」
酒を前にすると駄目になる艦娘は何人かいるが、ポーラはその筆頭格だった。
美味しそうな高級ウイスキーを前にしたら、自制心が大破してしまうということも十分あり得る。
「僕らもそう思ったんだけど……実は、ポーラには完璧なアリバイがあったのよ」
「完璧な?」
「そのとき、ポーラはザラと一緒に買い出しに行ってたの。だからザラの留守中になにかするのは不可能」
そうなると、途端に心当たりがなくなる。
「だからこうして地道に聞き込みをしてるんだ。ザラたちだけだと大変だろうからって」
「なるほどね。そういうことなら私も協力するわ。ちょうど退屈していたところだし」
そう言うと、ジェーナスは素早くコートを着込んで帽子をかぶり、どこからともなく虫眼鏡を取り出した。
「失せもの探しは探偵の仕事。この名探偵、ジェーナス・ホームズに任せなさい!」
名探偵と助手二人は、船内を練り歩いた。
隙間や物陰らしきものがあれば、すかさず虫眼鏡で覗き込む。
誰かの姿を認めれば、逃さず捕まえ尋問する。
そんな調子でほぼ船内を一周したのだが――正直なところ、成果はサッパリだった。
「うう……全然見つからないじゃないの」
「こうなると船外に持ち出された可能性もありそうね。今、ローマは出かけているみたいだけど……」
「今日は待機予定って聞いてたけどね。でも、まあ」
ジェーナスとレーベは微妙な表情を浮かべた。
ローマはイタリアの艦娘で、性格はかなり真面目な方だ。他人のウイスキーを勝手に持ち出すとは考えにくい。
「どう、見つかった?」
とりあえずザラたちに報告をしようと、ジェーナスたちは調理室にやって来た。
元々はここの棚にウイスキーを置いていたようで、ザラたちはこの周囲を探していたのである。
「全然駄目です……」
ジェーナスたちの問いかけに応えたのは、ショックですっかり元気を失っているポーラだった。
ザラもその隣で困り果てている。
「サッパリ見つからないの。誰かが間違えて入れたんじゃないかって冷蔵庫とかも見てみたんだけど」
「どこにもありません。ポーラのウイスキー……」
「皆の、だからね」
しっかりと釘をさすザラだったが、その声がポーラに届いているかは怪しいところだった。
「……ん?」
そのとき、ジェーナスは棚近くの床に少し染みが出来ていることに気が付いた。
近づいて匂いを嗅いでみると、ほのかにウイスキーのような香りが漂っている。
「ねえ、誰かここでウイスキーこぼした?」
「え? ううん、私たちが戻ってきてからはそんなことなかったけど」
「ふうん……」
これまで得た情報に、この染みを付け加えてみる。
ジェーナスの中に、一つの仮説が出来つつあった。
「……もしかしたらだけど、ウイスキーの行方、分かるかもしれないわ!」
「えっ!?」
その場にいた者たちの視線がジェーナスに集まる。
皆に見られて少し仮説に自信がなくなったジェーナスだったが、言った以上は披露してやろうと、思い切って口を開く。
「この染みはきっとウイスキーがこぼれた跡よ。匂いが残ってるから、そこまで前のことじゃない。ザラたちが戻ってくる少し前の頃だと思うわ」
「うう、全然気づきませんでした」
「多分、ウイスキーを探すことに集中してたせいじゃないかしら。あとポーラからお酒の匂いするから、こっちの匂いが分かり難かったのもあるかも」
なぜ既に酒の匂いを漂わせているのかは気にしないことにした。
水を飲むように酒を飲む。それがポーラという艦娘なのである。
「でもジェーナス。それだと例のウイスキーは」
「ええ。駄目になっちゃった可能性が高い」
レーベの問いにジェーナスが頷く。
それとほぼ同じタイミングで、マックスは調理室の脇にあったゴミ袋を皆に向かって掲げてみせた。
「もしかしたらと思って見てみたけど、瓶のカケラみたいなのが入ってたわ」
「おおぅ……私のお酒がぁぁ」
「皆の、だからね」
がっくりとうなだれるポーラと、残念そうな表情を浮かべるザラ。
しかし、そんな二人にジェーナスは「多分、なんとかなると思うわ」と告げた。
それはどういう意味か――と、一同がジェーナスに問いかけようとしたとき。
皆の視線に、調理室をこっそりと覗き込む一人の艦娘の姿が映り込んだ。
「ええと、その」
その艦娘――ローマは、とても気まずそうにウイスキーの瓶を掲げてみせた。
「これで、いいのかしら」
ラベルに記されている銘柄は、レーベたちが持ってきた紙に描かれたものと同じだった。
ローマが棚からものを出そうとしたとき、偶然船が大きく揺れて、ウイスキーが落ちてしまった。
それが、この事件の発端だったらしい。
慌ててローマは後始末をしたが、割れてしまったウイスキーはどうにもならない。
持ち主もサッパリ見当がつかなかったので、誰に何をどう言えばいいかも分からなかった。
ならば、同じものを買ってきて補填しておくしかない。
早く動かなければ、同じものが売り切れてしまうかもしれない。
そう考えて、そそくさと外出許可証をもぎ取って、ロンドンを駆け回って来たのだという。
「そこまでしなくても良かったのに」
「いえ。偶然とは言え私がウイスキーを駄目にしてしまったことに変わりはないわ。責任はちゃんと取るべきよ」
真面目か。
その場にいた全員が胸中で同じ感想を抱いた。
「ジェーナスが言ってた『多分大丈夫』って言うのは、これを見越してたの?」
「うん。状況からするとこの場にいたのはローマくらいしか考えられなかったし、ローマだとすれば出かける理由は弁償のためだろうなって見当がついたから」
「なるほど……ジェーナス、あなた意外と頭良いのね」
「マックス、今何気なく失礼なこと言わなかった?」
ザラやローマたちは、お金は払う、いや払わなくて良い等のやり取りを繰り広げていた。
そろそろ止めるべきか――というところで、騒がしい足音が聞こえてくる。
「皆ー、ただいまー!」
提督と一緒に会議に出ていたジャーヴィスだった。どうやら今しがた戻って来たらしい。
その両手には、沢山の荷物を抱えていた。
「おかえり、ジャーヴィス」
「あれ、どうしたのジェーナス。そんなホームズみたいな恰好して」
「ふふん、あとで聞かせてあげるわ。私の名推理をね……!」
得意げに語るジェーナスだったが、哀しいかなジャーヴィスはあまり興味を示してくれなかった。
それより、と荷物を掲げて一同に眩い笑顔を向ける。
「ダーリンからの差し入れ! あとで球磨と多摩もいろいろ持って帰ってくるわ!」
「えらく豪勢ね。どうかしたの、それ?」
「なに言ってるの、ジェーナス。クリスマスパーティよ! クリスマスパーティ!」
そういえば、と誰かが声を上げる。
明日はクリスマスだ。ここ最近は戦いや船上暮らしが長引いていたので、すっかり忘れていた。
「この御時勢だから皆で集まったりはできないけど、他の船とかソロモンの方とはオンラインで映像繋げるんだって。戦勝祝いも兼ねて盛大なパーティをするんだって、ダーリン言ってたわ!」
「おお~、良いですね良いですね。いっぱいお酒が飲めそうです!」
イエーイとハイタッチをするジャーヴィスとポーラ。
先程までの事件の余韻は、綺麗さっぱり消えてなくなった。
「それじゃ、球磨・多摩が戻ってきたら私たちも準備進めましょうか」
「イエー!」
いろいろあった一年間だったが、S泊地は健在である。
まだまだ深海棲艦との戦いは終わらないが、きっと来年もどうにかなるだろう。
そんな予感を抱きながら、彼女たちはクリスマスを迎えようとしていた。