S泊地の日常風景   作:夕月 日暮

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虫が自分の周囲に近寄らなくなる魔法が欲しいです(虫嫌い)。


虫の心を理解するためには(ジョンストン・舞風・大和)

 不快な羽音を耳にして、思わずジョンストンは顔をしかめた。

 視線を巡らせると、前方左手に小さな虫がいた。こちらからつかず離れず、隙を窺うかのように同じ場所を飛び回っている。

 

「――ていっ」

 

 その虫を叩き潰そうと、両手を素早く伸ばし、パァンと打つ。

 しかし、掌には何もない。ジョンストンの未熟っぷりを嘲笑うかのように、虫はジョンストンの周囲をグルグルと飛んでいる。

 

「この……!」

 

 てい、てい、と虫を叩こうとするものの、その手には何も捉えられない。

 なにかカラクリでもあるのではないか。そう思わせるような回避テクである。

 

「なにしてんのー? ダンス?」

 

 四苦八苦するジョンストンに、一人の艦娘が声をかけてきた。

 日本の駆逐艦――舞風だ。

 

「だ、ダンスじゃないわよ! さっきから、私の周りを虫が、うろちょろして!」

 

 話しながらも、ジョンストンは懸命に虫を叩こうと奮戦している。

 しかし悲しいかな、あと僅かというところでその手は虫を逃してしまっていた。

 

「あー。最近虫増えてきたもんねえ」

 

 まいったまいった、と言いながら舞風は自然な動作でジョンストンの近くの宙で手を打ち合わせた。

 

「え?」

「はい。叩いておいたよ」

 

 広げられた舞風の手には、確かに潰れた虫の残骸がある。

 そのまま手を洗いに行こうとする舞風だったが、ジョンストンがその腕を掴んで止めた。

 

「今の、どうやったの?」

「ん? 虫叩いただけだよ」

「なにかコツでも?」

「コツっていうほどのものでもないけど、なんとなくここに来そうだなって場所を叩いただけで」

 

 それじゃーね、と舞風は駆け足で行ってしまう。早く手を洗いたかったのだろう。

 愕然とその後ろ姿を見送りながら、ジョンストンは自らの綺麗な手を眺めるのだった。

 

 

 

「虫の動きの捉え方を教えて欲しい――ですか?」

 

 数日後。

 突如ジョンストンの訪問を受けた大和は、彼女からの依頼に困惑した表情を浮かべた。

 

「ええ。最近虫にやたらと噛まれるようになったから、どうにかしたくて」

「それは大変ですね……。でも、なんで私なんでしょう」

 

 話の流れからすると舞風に頼むのが自然ではないか。

 そう問いかけると、ジョンストンは「もちろん頼んだわ」と告げた。

 

「けど、舞風は『あたしは磯風に教わったから、磯風に聞いた方が良いよ』って」

「それで、磯風さんは?」

「『自分が教えても良いが、武の真髄を掴むのであればやはり大和か武蔵が適任だろう』って」

 

 なんだか磯風のところで話がかなり飛躍しているような気がしたが、わざわざ自分を訪ねてきたジョンストンを帰すのも忍びないと思い、大和はそのツッコミをあえて呑み込んだ。

 

「けど虫ですか。うーん、なかなか説明が難しいですね」

「ちなみに大和は虫の動き読めるの?」

「ええ、できなくはないですよ」

 

 試してみましょうか、と二人は部屋から出て泊地裏手に広がる森に足を踏み入れた。

 この辺りは自然だらけで、そこら中に虫がいる。

 ジョンストンは虫が苦手なのか、周囲をかなり警戒していた。

 

「あ、いましたね」

「どこ?」

「ここですよ」

 

 そう言いながら、大和は手にしていた割箸でひょいと飛んでいた虫を挟み込んだ。

 その早業に、ジョンストンは目を輝かせる。

 

「それ聞いたことあるわ! 確か武蔵も似たようなことできるのよね!」

「その『武蔵』は多分私の妹じゃなくて宮本さんのことだと思いますけど……いえ、多分うちの武蔵もできるとは思いますけどね」

 

 大和が箸を用いたのは、単純に手を汚したくないからだった。

 箸を開くと、挟まれていた虫は再びどこかへと飛んでいく。

 

「でも、よく虫の場所が分かったわね?」

「いるかもしれないと思って視覚・聴覚を研ぎ澄ませてたからですよ。普段だったらもっと接近されなきゃ分からないと思います」

「……研ぎ澄ませてても分からない場合はどうすれば良いのかしら」

「多分、ジョンストンさんは『虫の音』に慣れていないんじゃないでしょうか。耳で聞こえていても、識別できなければ脳が意識しないものですし」

 

 大和の指摘に、ジョンストンは成程と頷いた。

 そもそもジョンストンは虫が、その羽音が大嫌いなのである。

 見たくない・聞きたくないと無意識に忌避しているから、識別しにくくなっているのかもしれない。

 

「虫の動きを捉えるためには、まず苦手意識を克服して、きちんと識別できるようにならないとダメってことね」

「幸いここには虫がたくさんいますし、慣れるにはうってつけの場所だと思います。私も付き合いますので頑張ってみましょう」

 

 日本が世界に誇る大和型にこう言われては、ジョンストンも覚悟を決めるしかない。

 肌が粟立つのを感じながら、ジョンストンは大和と共に、森の奥へと足を進めるのだった。

 

 

 

 それから更に数日後。

 泊地内を散策していた舞風は、疲れ切った様子でベンチに身を預けているジョンストンの姿を見つけた。

 

「あ、ジョン! どうだった、虫退治できるようになった?」

「……虫?」

 

 どことなく虚ろな眼差しのジョンストン。

 そんな彼女の頭上に、蚊が一匹飛んできた。

 

 あ、と舞風が気づいたときには、ジョンストンが箸でその蚊を挟んでいた。

 目にもとまらぬ早業である。動いたという気配すらなかった。

 

「すごいねー! この前とは全然違う……って、ジョン?」

 

 舞風の称賛の言葉が届いていないのか、ジョンストンはじっと箸に囚われた虫を見ている。

 やがて、ほのかに笑みを浮かべると「森へお帰り」と解き放った。

 

「え? 逃がしちゃうの?」

「うん。だって、可哀想じゃない」

「え、え?」

 

 先日からの変わり様に舞風が困惑していると、その肩をそっと誰かが叩いた。

 大和である。

 

「大和さん。ジョンは……どうしちゃったんですか?」

「虫を捕まえるため、虫の軌道を正確に読み取れるよう、苦手意識を克服しようとしたんです」

「……いや、克服はできてるみたいだけど」

 

 苦手どころか、慈愛の精神を発揮しているように見える。

 

「ジョンストンさん、どうもかなり真面目な性格らしくて。苦手なものを克服しようと自分に言い聞かせ続けたみたいで、気づいたらあんな感じに……」

「中途半端ができない性質なのか……」

 

 ジョンストンは疲れ切っているのか、再びベンチに背中を預けてぼんやりとしている。

 

「まあ、多分一時的なものだと思うので」

「それ希望的観測入ってません?」

「……アイオワさんたちに怒られたらどうしましょうか」

 

 不安そうな表情を浮かべる大和と共に、舞風はじっとジョンストンの様子を窺うことしかできないのだった――。

 

 

 ジョンストンのこの状態は数日で治り、大和はアイオワたちアメリカ艦娘から怒られずに済んだ。

 ただ、それと同時に虫の動きを読むスキルも半減し、ジョンストンは再び虫に苛々する日を過ごすことになったという。


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