S泊地の日常風景   作:夕月 日暮

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「今宵もサルーテ!」面白いですね。自分はコマちゃん推しです。可愛い。
ガンビーは頑張りなされ。タシュケントも別の意味で頑張りなされ……。


混ぜて混ぜて目が回る(北上・隼鷹・飛鷹・大井・日向)

「へえ、お札新しいのに変わるんだー」

 

 カウンター席で新聞を見ながら、北上が気の抜けた感想を口にした。

 ここは泊地の一角にあるバー。マスターと呼ばれる男性が取り仕切る、憩いの場の一つである。

 

「渋沢さんかー。うんうん聞いたことある気がする。へえ、そうなんだねえ」

「あんまり実感わかないな。うちだと日本の通貨使わないし」

 

 北上の隣でそんな味気ないコメントをしたのは隼鷹である。

 彼女の言う通り、ここS泊地では日本の通貨は使われない。

 泊地はソロモン諸島内にあるため、ソロモン諸島ドルが基本通貨になっている。

 もっとも、泊地近辺にストアと呼べるようなものはないため、こちらも滅多なことでは使われない。

 

 泊地内では交換券や電子通貨ですべて済まされてしまう。

 そのため、遠い日本でのお札刷新と言われてもピンと来ないのだった。

 

「隼鷹は味気ないなー。ただでさえ変化に乏しい環境なんだから、こういろんなことに目を向けてみようよー」

「その理屈は分かるけど、実感わかないのは仕方ないだろ? 北上はどうなんだよ」

「まあ、あたしも実感ゼロなんだけどね」

「ほれみろ」

「とは言え――」

 

 と、隼鷹の横で飲んでいた飛鷹が気怠そうにグラスを揺らしながら呟く。

 

「確かにここって変化ないのよねえ。世の中の動きに取り残されているというか。この前の改元のときも」

「こっちじゃ元号使う機会あまりないからねえ。さすがに『昭和も遠くなりにけり』くらいの感慨は持ったけど」

「あたしなんか大正だよ」

「よっ、大将!」

 

 酔っ払っているからか、流れるように隼鷹がダジャレを飛ばす。

 北上はそれを受けて半笑いのまま肩を竦めてみせた。

 

 そんな二人を呆れたように眺めながら、飛鷹が溜息をついた。

 

「なにか刺激が欲しくなるのよねえ。いや、深海棲艦との戦いみたいなリスキーな刺激はまっぴらだけど」

「――刺激と言えるかどうかは分かりませんが」

 

 と、そこでマスターが口を開いた。

 寡黙な人物だが、口下手ではない。

 

「皆さんはカクテルをよく飲まれますし、自作してみるというのはいかがでしょう」

「お、シェイクする? シェイクしちゃう?」

 

 北上がシェイカーを振る動きを真似しながら得意げな表情を浮かべる。

 マスターは微笑みながら「それもありですが」と軌道修正をした。

 

「まずはビルドという方法からやってみることをお勧めします。シンプルながら奥深いですよ」

「ビルド?」

 

 疑問符を浮かべる三人に、マスターは慣れた手つきでメジャーカップとグラスを取り出した。

 最初に氷を入れて、これですかね、と二種類の材料を取り出し、それぞれメジャーカップに入れてからグラスに注ぐ。

 それからジュースを注いで、最後にバースプーンを取り出し、ゆっくりと優しい手つきでグラスの中身を混ぜ始めた。

 

「ああ、マスターがときどきやってるやつだ」

 

 材料をグラスに注いで混ぜる。

 それがビルドと呼ばれるカクテル作成の手法だった。

 

「……って、混ぜるだけ?」

「混ぜるだけと言っても難しいものですよ。混ぜ過ぎても駄目ですし、炭酸を使う場合は気泡を壊さないように気を付ける必要もあります」

 

 どうぞ、とマスターは三人にカクテルを差し出す。

 シンプルな作り方ではあるが、それで味が落ちるというようなことはなかった。

 

「なるほど、確かにこれならあたしらでも簡単に作れそうだ」

「けど、なんで急にカクテル作りを?」

「飲み過ぎて迷惑かけて出禁とか?」

「いやいや、私も隼鷹もそこまで悪酔いはしてない――と思うけど。ここでは」

「ここでは?」

 

 北上の追及に飛鷹は目を逸らした。

 たまに隼鷹と二人で部屋飲みして凄まじいことになるのは、一応二人だけの秘密ということになっている。

 

「いえ、この泊地の支部にはまだバーがないものですから。支部ごとにバーテンダーを雇う余裕はないでしょうし、少しでも作れる人が増えていた方が良いと思いまして」

「あー、確かにね」

 

 S泊地はショートランド島にある本部の他に、ソロモン諸島中央部と東部にそれぞれ支部を増設している。

 当初に比べれば開発は進んできたが、生活に必要なものに限った話で、娯楽系の施設はまだまだ不足している状態だった。

 

「向こうにいるとここの味が恋しくなるもんねえ」

「そう言っていただけると作り手冥利に尽きます」

 

 北上の言葉に、マスターは穏やかな笑みを浮かべた。

 

「もし自作に興味があるのでしたら、私のレシピノートをお送りしますよ」

「そうだねえ。物は試しってことで、ちょっとやってみようかな」

「お、北上やる気じゃん。あたしもちょっとやってみようかな」

「隼鷹だけに任せたら際限なく作って飲み続けそうだし、監督するって意味で私も勉強しておこうかしら」

 

 それぞれやる気を見せる三人に、マスターはレシピのデータと材料調達ルートの情報を送ることを約束する。

 

 その日、三人はカクテルを作るマスターの一挙一動を、興味深そうに注視し続けるのだった。

 

 

 

 それから少し日が経った頃。

 三人が、東部担当として支部に移った翌日のこと。

 

「ん、大井。どうした?」

 

 朝の体操をしていた日向は、よろよろと寮から出てきた大井に声をかけた。

 どうにも調子が悪そうだったからだ。

 

「ああ、日向さん……。いえ、ちょっと眠れなくて」

「昨日は北上がこっちに来たばかりだから、話が盛り上がって夜更かしでもしたのか?」

「それもあるんですけど……」

「――ん?」

 

 大井は鼻を摘まんでいた。

 彼女の身体からは、どことなく芳醇な香りが漂ってくる。

 決して悪い匂いではないが、結構鼻にくる。

 

「……これは、カクテルか? なんだ、酒盛りでもしていたのか、珍しい」

「いえ、私はそんなには。ただ北上さんが、最近カクテルの自作に凝っているらしくて、昨日も結構な量を――」

 

 そこに、フラフラとした足取りで飛鷹が顔を見せる。

 

「……どうやら、そっちも似たような状態だったみたいね」

 

 大井の様子を見て察したのだろう。

 飛鷹は二日酔いなのか、頭を抑えながら呻いていた。

 彼女からも、カクテルの香りが漂ってくる。

 

「どうも納得のいく味にならなくて、何度もリトライしちゃうのよね……」

「北上さんも同じような感じだったわ。真面目にやってるから止めるに止められないのよね……」

「マスターには、まず酔わないコツを聞いておくべきだったかも……」

 

 ううう、と下を向きながらボソボソと喋り続ける二人。

 この調子だと、北上と隼鷹は部屋でダウンしていることだろう、と日向は嫌な汗をかいた。

 

「……伊勢もハマりそうだし、それとなく気を付けておかねばな」

 

 日向の懸念が現実のものとなるのは、それから数日後のことだったという。


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