S泊地の日常風景   作:夕月 日暮

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働き始めたばかりの頃は、いろいろ不安がありました。
そんなことを思い返しながら。


右も左も分からないけど(秋津洲・漣)

 四月を迎えて間もない頃の昼下がり。

 秋津洲は五十人ほどの集団を引き連れて、泊地内を案内して回っていた。

 

「で、ここが皆さんの当面の住居になるところね」

 

 新築の寮を秋津洲が指し示すと、集団の中の何人かは「はい」と元気よく応える。

 

 彼らは、S泊地にやって来たインターン生である。

 

 S泊地は軍事組織ではなく企業として活動を行っている。

 そこに所属するスタッフや艦娘たちは、全員正社員という扱いになっていた。

 

 これまで泊地の正社員は、艦娘の場合着任時に、その他のスタッフの場合適宜スカウトして採用する形式を採ってきた。

 だが、今回は違う。業務に関する経験の有無を問わず採用する方針を採った。

 ただ、業務内容がいろいろと特殊なので、まずはインターンからということになっている。

 

 ……だからか、皆なんとなく初々しい感じかも。

 

 採用されたスタッフは男女半々くらいの比率で、国籍もまばらだった。

 ただ一つ共通しているのは、全員にフレッシュさがあるということである。

 

「それじゃあ次は――」

 

 と秋津洲が新しい場所に行こうとしたとき、遠くから砲声が聞こえてきた。

 スタッフたちは一斉に身体をビクッと震わせて、恐ろし気に音のした方角を眺める。

 

「あの、秋津洲さん。あれは――」

「ああ、あれは砲撃訓練だよ」

「さ、昨今は演習や訓練もVR空間で行うものと聞いていましたけど」

「できるけど、VRとリアルじゃやっぱりちょっと違うからね。定期的にリアルでの訓練もするようにしてるんだ」

 

 敵襲だったら警報がすぐ鳴るから砲声だけなら気にしなくて良いと言っても、スタッフたちはどこか落ち着かない様子である。

 深海棲艦が出現してから早数年。世界各地で砲声が轟くようになったとは言え、ここまでそれが身近な職場はないだろう。

 

「あの、秋津洲さん。あれは……?」

 

 スタッフの一人がなにかに気づいたらしく、少し離れたところにある建物を指し示した。

 そこでは、何人かの艦娘たちが作業着姿で建物に張り付いている。

 

「あれは――多分この前の大雨で傷んだところを手入れしてるんじゃないかな。ここではそういうの全部自分たちでやらないと駄目だからね」

「そういうものですか」

「だって業者の人気軽に呼べないし」

 

 泊地近辺はそれなりに開発されているが、結局のところS泊地は辺境も辺境。

 シティのシの字もないような場所である。

 基本的に、ここでは自分たちのことは自分たちでやらないといけないのだ。

 

「それは業務内容に含まれるんですか?」

「ううん、含まれないよ」

 

 秋津洲がそう言うと、全員一様に安堵の表情を浮かべる。

 それを曇らせるのは忍びないなあ、と思いつつ、秋津洲は捕捉を入れた。

 

「ただ、さっきも言ったけど業者の人は呼べないから、問題が起きたときは自分たちでやるか、泊地のインフラ部に対応を依頼することになるんだ。でもインフラ部は忙しくていつもてんてこ舞いだから、依頼しても対応してくれるまではかなり時間かかるかも」

「……つまり、自分たちでも出来るようになっておかないと、いろいろと困ることになるってことでしょうか」

「うん」

 

 事もなげに頷く秋津洲に、候補生たちは皆揃って不安そうな顔を見せるのだった。

 

 

 

 とんでもないところに来てしまったかもしれない。

 そんな不安を胸に抱えたまま、葛山比奈は自分に割り当てられた部屋で横になっていた。

 

「憧れの艦娘と一緒に働けるのは嬉しいけど――」

 

 比奈がここにやって来た動機は、かつて艦娘に自分の家族を救ってもらったことがあるからだった。

 そのとき言葉を交わした艦娘に憧れて、艦娘を支援できるような仕事をしたいと希望した結果、ここを紹介されたのである。

 

 ただ、通常業務に加えて日常生活の雑務もこなさなければならないようで、想像の倍以上は大変そうだということを痛感した。

 仕事ができるだけでは駄目なのだ。ここでは生きていくための力を身に着ける必要がある。

 

 はたして自分にできるだろうか。

 正式に採用される前に、帰ってしまおうか――そんな思いが胸をよぎる。

 

 そのとき、窓の外でなにか物音が聞こえた。

 

「……な、なに?」

 

 今日一日驚きっ放しだったからか、比奈はすっかり疑心暗鬼になりながら、恐る恐る窓の外を覗き見た。

 

 そこにいたのは、小さな艦娘だった。

 駆逐艦だろうか。抱えていた野菜を落としてしまったらしく、慌ててそれを拾い集めると、危なっかしい足取りで歩いていく。

 彼女の体格からすると、抱えている野菜の数は多過ぎて、どうにも不安定だ。

 

「あ、あのう」

 

 思わず声をかけてしまったことを後悔するが、時すでに遅し。

 呼びかけられて、小柄な艦娘は比奈のいる方を振り向いていた。

 

 

 

「へえ、お姉さんインターン生なんだ」

 

 小柄な艦娘――漣は物珍しそうに比奈をじろじろと見る。

 

「あの、なにか変でしょうか……?」

「いやいや。変じゃないと思うよ。むしろ今までのスタッフの方が変なんだろうなーと思う次第」

「そうなんですか?」

「元々どこかしらで実績上げてうちにスカウトされて来たような人たちだからね。曲者だらけなのでござる」

「は、はあ」

「だから、矛盾してるようだけど――普通なのが変というか」

 

 あはは、と漣は面白そうに笑う。

 

「それにしてもすまぬでござるなあ、荷物持ってもらって」

「いえいえ。これくらいならお安い御用です」

 

 漣が抱えていた野菜の半分近くを抱えながら、比奈はふと疑問に思う。

 

「この野菜も、皆さんが育てられたんですか?」

「んー、皆というか農業部が育てたやつ。私は今日非番だから、お手伝い」

「本当に、なんでも自分たちでやるんですねえ」

「……もしかして不安?」

 

 感心する比奈の横顔をじっと見つめながら、漣は疑問を口にした。

 比奈自身は気づいていなかったが、今もその表情には不安の色が表れている。

 

「まあ、ええ、はい。……皆さんは、深海棲艦と戦ったり、専門のスキルを持っていて、それに加えて自活能力まである。そんな人たちと一緒になって、お仕事できるのかなって思っちゃいますね」

「大丈夫大丈夫。経験不問で募集してたんでしょ? なら比奈ちんたちに最初からそこまで難しいことは求めてないって」

「比奈ちん……?」

 

 突然の渾名に戸惑う比奈をスルーして、漣はそのまま続けた。

 

「やらなきゃいけない課題に対して、自分なりに考えて行動する。成功したらなんで成功したかを、失敗したらなんで失敗したかを考える。失敗続きで心が折れたら、ゆっくり休んで折れたのをまた繋ぎ直す。それを繰り返して経験値積めるくらいの継続力があれば、あとはまあ追々でなんとかなるでござるよ」

「そういうものでしょうか」

「多分ね」

 

 バランスを取るためか、漣は「よっ」と声を上げて野菜を抱え直す。

 そうして漣はくるりと比奈に向き直り、にっこりと笑みを浮かべた。

 

「はい、到着。ここが目的地」

「あ、もう着いたんですね」

 

 すっかり漣の話に聞き入っていた比奈は、その建物を見上げた。

 そこは、昼間秋津洲に案内された間宮という名の食堂である。

 

「あれ、葛山さんも一緒?」

 

 と、食堂からひょっこりと秋津洲が顔を覗かせた。

 

「野菜運ぶのを手伝ってもらったのでござる」

「漣ちゃん、最近は侍口調がトレンドかも?」

「そろそろ飽きてきた気もする」

「えぇ……」

 

 秋津洲は比奈から野菜を受け取ると、改めて御礼を言った。

 

「助かったかも。最近はやることが増えて人の手がいつも不足しがちだから」

「いえいえ、これくらいでしたらいつでも」

「本当にありがとうかも! あ、そうだ。ちょっと待ってて」

 

 秋津洲は駆け足で食堂の奥まで行くと、なにかを持って戻ってきた。

 

「はい、これが今回の報酬!」

 

 秋津洲に渡された紙包みの中を見てみると、そこにはあられが入っていた。

 

「これ、貰っちゃって良いんですか?」

「どうぞどうぞ。何かしてもらったら御礼するのは当然のことかも!」

「気にせず貰って良いと思うよ。ここでは日常茶飯事だし。報恩の精神ってやつだね」

 

 そう言いつつ、漣も秋津洲から同じあられを受け取っていた。

 

「お揃いですな」

 

 漣が紙包みをひらひらと見せてくる。

 ただ荷物を運ぶのを手伝っただけだが、今回、比奈は憧れの艦娘と同等の働きをしたとも言える。

 

 そのことに思い至って、比奈はじんわりと温かいものを感じた。

 まだ分からないことだらけだが、少しずつこういうことを積み重ねていけば良いというなら、どうにかなるかもしれない。

 

 他の人たちに追いつくのは時間がかかるだろう。

 それでも、自分がここでやっていくことはできるような気がしてきた。

 

「……なんだか、少しだけやれそうな気がしてきました。これ、大事にします!」

「いや、そこはさっさと食べて欲しいかも!?」

「比奈ちん、なかなか弄りがいがありそうなキャラしてるな……」

 

 家宝のように恭しくあられを掲げる比奈に、秋津洲は一抹の不安を、漣はある種の期待をするのだった――。


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