S泊地の日常風景   作:夕月 日暮

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なんだかんだで百回目です。お付き合いいただいている皆様、本当にありがとうございます。
節目の回ということで、今回はちょっと今までやらなかったことをやってみました。


夢を見る泊地(岸波・鬼怒)

 その日は、なんだかとても眠かった。

 

 

 

 何をしていたのか今一つ思い出せない。

 ぼんやりとする頭を抱えながら、岸波はゆっくりと身体を起こした。

 

「……ここは、執務室……?」

 

 着任間もない艦娘は、研修も兼ねて提督の秘書艦として執務室でしばらく働くことになっていた。

 岸波もここ最近は執務室通いが続いている。

 

「いえ、少し違うわね」

 

 今岸波がいる部屋は、執務室と似ているようで少し違う。

 間取り、窓から見える風景、そういった要素が少しだけずれていた。

 

「なんだろう、ここは」

 

 周囲には誰もいない。

 遠くから波の音が聞こえてくるくらい、他の音がしなかった。

 

 扉を開けると、外に繋がっていた。

 

 周囲を見渡す。

 執務室と思っていたのは、小さな小屋だった。

 岸波の知る執務室は司令部棟の中にある。こんな粗末な小屋ではない。

 

 他にも、違和感はたくさんあった。

 ポツポツと建物は建っているが、それは岸波が着任したS泊地のものではない。

 S泊地の建物はもっとしっかりとした造りになっているし、数も多い。

 今岸波の眼前に広がっているのは、集落を少し発展させたくらいの拠点だった。

 

「……しかし、どうしたものかしら」

「ふっふっふ、お困りのようだね!」

 

 と、そこで緊張感のない声が聞こえてきた。

 声がしたのは屋根の上。

 岸波が視線を転じると、そこには仁王立ちする軽巡洋艦・鬼怒の姿があった。

 

「……鬼怒さん?」

「そう、鬼怒さんです! こんなところで会うとは奇遇だね!」

 

 とうっ、と屋根から飛び降りて、鬼怒は華麗に着地を決めた。

 

「あの。ここって……泊地では、ないですよね?」

「泊地であって泊地ではない。そういう摩訶不思議な場所なのじゃよ、岸波ちゃん」

 

 なぜか仙人口調で答えると、鬼怒は小屋を改めて仰ぎ見た。

 

「この執務室も見るの久しぶりだなあ」

「執務室なんですか、これ」

「そだよ。もっとも、四年以上前のものだけどね」

「……どういうことです?」

 

 混乱する岸波の頭をポンポンと叩きながら、鬼怒は順を追って説明した。

 

「ここは泊地の夢の中。本当のところは分からないけど、私はそう呼んでる」

「泊地の夢――ですか」

「そう。この中はうちの泊地がこれまで辿ってきた想い出が詰まってる。泊地が昔のことを夢で見てて、私たちはその夢に入り込んじゃったってわけだね」

 

 スラスラと説明する鬼怒に、岸波は当然の疑問を口にした。

 

「こういうことって、結構あるんですか?」

「そんなにしょっちゅうはないよ。たまにあるくらい。ついでに言うと、夢から覚めるとここでのことは忘れちゃうんだよね。また入り込んだときに思い出すの」

「なんだか、それこそ夢みたいな話ですね」

「だから夢なんじゃないかって思ってるんだよね。まあ、確かめようがないんだけどさ」

 

 そう言って鬼怒は岸波の前を歩き出した。

 

「それじゃ、行こうか」

「行くって、どこにですか?」

「放っておいても夢はそのうち覚めるし、せっかくだからいろいろ案内しようと思ってさ。……どうする?」

 

 岸波は、少し考えてから頷いた。

 覚めればもう見ることができない光景。

 それが今目の前にあるなら――見て回るのも悪くないと、そう思ったのだ。

 

 

 

 最初に鬼怒が連れてきたのは、木造の学び舎だった。

 現実の泊地にある学校と比べると、建物自体が随分と小さい。

 教室一つと、事務室らしきものがあるだけだ。

 

 不思議なことに、一歩中に足を踏み入れると、突如大勢の艦娘が岸波の前に現れた。

 ただ、誰も岸波や鬼怒のことを気にする素振りを見せない。

 姉である夕雲や巻雲がすぐ近くを通ったが、岸波のことを無視して通り過ぎて行ってしまう。

 

「鬼怒さん、これは……?」

「ここでいつかあった光景ってことだろうね。私たちが今見てるのは昔のものだから、私たちに気づくことはないんじゃないかな」

 

 ふと岸波が教室の窓際を見ると、居眠りをしている鬼怒の姿があった。

 今とは制服が違うし、少しだけ顔立ちも異なって見える。

 

「あれって」

「あ、あはは。見なかったことにしてくれない?」

「……駄目ですよ、居眠りは」

『――駄目だぞ、居眠りは』

 

 岸波が今の鬼怒に注意するのと同じタイミングで、過去の鬼怒を誰かが注意していた。

 車椅子の、白髪の男性だ。厳しそうでいて、どことなく優しそうな印象を与える顔立ちをしている。

 

 過去の鬼怒は慌てて飛び起きると、緊張した面持ちで男性に向かってあれこれと言い訳を始めていた。

 男性はそれを一通り聞き終えると、大きくため息をついて、

 

『居眠りするくらい疲れているなら、ちゃんと自室で休め。こんなところで寝ていては風邪を引く』

 

 と、鬼怒の頭をポンポンと叩き、他の子のところに行った。

 

「今の人は……」

「ああ、うちの最初の提督だよ。泊地に学び舎作った人でもあるんだ」

 

 S泊地は何度か提督が変わっている。

 着任して間もない岸波は、昔の提督についてほとんど知らなかった。

 

「学び舎……。私はまだ通ってませんが、艦娘として必要なことは研修や訓練で学べますよね。なぜ、学び舎を作ろうと思ったんでしょう」

 

 岸波の疑問に、鬼怒は在りし日の提督の姿を見ながら「うーん」と思いを巡らせた。

 

「多分、艦娘として以外の生き方を知って欲しかったんじゃないかな」

「艦娘として以外の――ですか」

「別に提督は艦娘否定派だとか反戦派じゃなかったけど、皆にはいろんな可能性を知っておいて欲しい、ってよく言ってたから。もしかすると、深海棲艦との戦いが終わった後の、私たちの身の振り方を気にしてくれてたのかもね」

 

 最初の提督は、何人かの艦娘に捕まって質問攻めにあっていた。

 困ったような表情をしながらも、一つ一つに真摯に応えている。

 

 なんとなく、父親、という言葉が岸波の脳裏に浮かんだ。

 

 

 

 次に二人がやって来たのは、泊地の一角に居を構えている理髪店だった。

 理髪店の存在は岸波も知っていたが、こうして来るのは初めてである。

 

「二〇一四年に一回泊地が大打撃受けて再建する必要が出来たんだけど、その途中で要望がたくさん出て来てね。それでこの理髪店が作られたんだよ」

 

 ここに来る途中、岸波は少しずつ風景が移り変わっていくのを感じた。

 この夢の中で時間が流れている、ということなのかもしれない。

 

 理髪店の中は、艦娘たちでいっぱいだった。

 戦うことが生業ではあるが、それはそれとして身だしなみもしっかりしたいと思うのが人情というものである。

 

『せっかくだし新しい髪型に挑戦してみようと思うんだ』

『あたしは面倒だし今のままでいいや』

『やはり短くした方が戦いでは邪魔になりませんかね』

『束ねれば良いのではないでしょうか。あまり戦い一辺倒で考えても――』

 

 順番待ちをしている艦娘たちの表情は、皆明るい。

 

「この時期は提督交代や泊地復興で忙しかったから、娯楽が少なかったんだよねえ。皆お洒落もろくにできないような状態が続いてたんだ。だから理髪店作ってくれた提督には感謝だよ」

「さっきの提督とは違う方なんですね。二代目はどんな方だったんですか?」

「ん、そこにいるよ」

 

 鬼怒が指し示したのは、艦娘たちの集団の一角。

 よく見ると、その中心には岸波の知らない少女の姿があった。

 なぜか、背後に回り込んだ瑞鳳によって髪型を弄られている。

 

『……瑞鳳。飽きないの、それ?』

『えー、飽きないわよぅ。提督は髪長いし、いろんな形にアレンジできるもの』

『アレンジされないようバッサリ切ってもらおうかしら』

『えぇー!?』

 

 少女の言葉にショックを受けた瑞鳳が、あれやこれやと言説を並べ立てて長髪の良さを説き始める。

 少女はそれを面倒くさそうに、だが満更でもなさそうに聞いていた。

 

「随分、若い方だったんですね」

「でも優秀だったよ。戦術眼は確かだったし、指揮官としても頼りになった。個人的には、もうちょっと周囲に甘えてくれても良かったのになーと思うけど」

 

 瑞鳳以外の艦娘たちからもいろいろと弄られているようで、少女は一人一人に対し律儀にツッコミを入れていた。

 見た目の割に落ち着いた――物静かな印象の子だったが、暗さはあまり感じられない。

 

「愛されていたんですね」

「最初の提督の影響かな。どうも皆お節介焼きになってた感じもするねえ」

 

 鬼怒はそう言って、少し照れ臭そうに笑った。

 

 

 

「あ、やっぱりいた」

 

 図書館に入るなり、鬼怒は片隅を指し示した。

 

 歴代提督案内ツアーみたいになってきたし、三代目と四代目も紹介してみよう。

 そう言って鬼怒が真っ先に岸波を連れてきたのが、この図書館だった。

 

「あれが……三代目の提督ですか?」

 

 鬼怒が指した先には、雑誌を顔に乗せてだらしなく寝息を立てている男がいる。

 

『提督っ!』

 

 男の顔から雑誌を引き剥がし、叱責の声を上げる艦娘がいた。

 防空駆逐艦の一人、照月だ。

 

『……ん、おお。照月がいるように見える』

『いるんです。まったく、こんなところでまたサボって!』

 

 雑誌の下に隠されていた提督の顔は、包帯で覆われていた。まるでミイラのようである。

 ただ、その風貌に反して、提督の口から出てくる言葉は何ともしようのないものだった。

 

『良いじゃないか別に。泊地はちゃんと回ってるだろう?』

『司令部の皆が回してるんです』

『うむ。結構結構重畳重畳――あだだだっ!?』

 

 堪忍袋の緒が切れた照月に耳を引っ張り上げられて、提督はたまらず悲鳴を上げた。

 初代・二代目に比べると、何とも情けない感じのする提督である。

 

「失礼ですが、あれでよく提督が務まりましたね……」

「そう思うでしょ。でも、あれで不思議と仕事は出来てたんだよね。下手すると歴代の提督で一番仕事早かったんじゃないかな」

「……本当ですか?」

「ホントホント。泊地のネットワーク環境整備するよう決めたのもこの人だし、図書館に大量の書籍仕入れて拡充させたのもこの人だよ。情報を制する者が戦場を制する――なんて言ってたっけ」

 

 鬼怒はそう言うが、岸波の目の前にあるのは、正座して照月の説教を聞いている包帯男という光景だった。

 どうも、ぱっと見て凄さが分かるタイプの人ではないらしい。

 

「まあ、ものぐさなのも確かだからねえ。俺は面倒が嫌いなんだ、ともよく言ってた」

「性格には少々難があったということですね……」

 

 ただ、照月と提督の間にある空気感は、そんなに険悪なものではなかった。

 どことなく、だらしない兄の背中を叩く妹のような構図にも見える。

 

 などと岸波が思い始めた矢先、照月の隙を突いて提督が一目散に逃げ出した。

 

『あっ、提督!』

『ハハハハッ、悪いな照月! 俺はまだまだサボり足りないのだ! あと五分だけサボらせてもらう!』

『もーっ!』

 

 意外と俊敏な動きで逃走する提督を追って、照月も駆け出していく。

 そんな二人に『図書館では静かにしろー』と摩耶が形式的な注意をした。

 

「……なんというか、見ていて飽きない感じはしますね」

「でしょ?」

 

 

 

 最後にやって来たのは、泊地の片隅にある神社だった。

 ここには艦娘の元になった艦艇の御魂が祀られている。

 艦娘の力の源とも言える、重要な施設だった。

 

 普段ここは神主の老人が管理しているのだが、今神社にいるのは一人の老婆だけだった。

 

「ありゃ。尼子のお爺さんは留守のときだったみたいだね」

「あの、鬼怒さん。私はここに来るのは初めてなんですが……普段おられるのは、あそこにいる方ではないんですか?」

「うん。普段いるのは悪戯好きの腕白爺さん。面白い人だから今度遊びに行ってみると良いよ。お菓子くれるし」

 

 どことなく餌付けされているような台詞を漏らしつつ、鬼怒は縁側に腰を下ろしてお茶を飲んでいる老婆に近寄った。

 

「この人が四代目。つまり先代だね。とにかく鬼コーチとして有名で、私らもビシバシ鍛えられたというか……。凄い人なんだけど、怖くておっかなくてねえ」

『随分な言い草だねえ。また鍛え直してやろうかい』

 

 と、不意に四代目が鬼怒を睨みつけた。

 

「げえっ、なんでこっちに気づいたの!?」

『ふん、あたしを舐めるんじゃないよ。夢を見てる側か見られてる側かなんて些細なことさ』

「無茶苦茶なこと言ってる! 無茶苦茶なこと言ってるよこの人!」

 

 ひいぃ、と震え始める鬼怒。もっとも、本気で恐れているわけではないようだった。

 もしかすると、二人の間ではこれがお決まりのやり取りなのかもしれない。

 

『そっちのアンタは、新しく着任した艦娘かい?』

「は、はい。夕雲型駆逐艦十五番艦、岸波と申します!」

『十五――ってことは朝霜の一個上か。夕雲型も大分増えてきたねえ』

 

 四代目は表情を和らげて『そうかい』と何度か頷いてみせた。

 

『岸波。鬼怒と一緒にいろいろ回ってきたんだろう? どうだった、この泊地は』

「は、はあ。いろいろな面が見られて良かったと思いますが……まだ、感想を言葉としてまとめるのは難しいです」

『成程。アンタはなかなか真面目そうな子だね』

 

 四代目はお茶を置いて歩き始めた。

 自然、岸波と鬼怒はその後に続く形になる。

 

『この泊地は、決して良いことばかりがあったわけじゃない。そもそも何度も提督が交代してるって時点で奇妙な拠点だ。いろいろあった。いろいろね』

 

 四代目の言葉にどう反応すべきかと鬼怒を見ると、先程までの様子はどこへやら、神妙な面持ちになっていた。

 

『それでも、この泊地はよく昔のことを思い返すんだ。決まって楽しかったときの夢を見る。岸波、アンタこの夢で何か嫌なものを見たかい?』

 

 言われてみると、どの光景も嫌な感じはしなかった。

 

「……皆、生き生きとしていました」

『そうかい。なら、この泊地は皆と過ごす日々を今も"良きもの"として見ているんだろうねえ』

 

 辛いことも沢山あるが、良いことも沢山ある。

 この日々もそう捨てたものではない――そういう想いが、この夢の源泉なのかもしれない。

 

「ですが、なぜ私たちがその夢の中に入り込んだんでしょう」

『さてねえ。泊地が存外寂しがり屋なのか、新しく来た子にここは良いところだとアピールしたかったのか。流石のあたしにも、それはとんと分からないね』

 

 やがて、四代目は足を止めた。

 話に夢中で気づかなかったが、いつの間にか周囲は真っ白になっていた。

 

 何も見えない。

 何もない。

 

 もう、夢は終わろうとしている。

 

『さて、今回はここまでみたいだ。次があるかどうかは分からないが、今度来たときは何か美味いものでも馳走してやるよ』

「提督、私には?」

『心配しなくてもちゃんと用意するさ。あたしは依怙贔屓はしないからね』

 

 そう言って四代目は鬼怒の背中をバシッと叩く。

 笑い合う二人を見ているうちに――周囲はますます白く染まっていった。

 

 

 

「おーい、岸波ちゃん」

 

 身体を揺すられて、岸波の意識は少しずつ覚醒していく。

 ぼんやりとする頭を抱えながら、岸波はゆっくりと身体を起こした。

 

「お、やっと起きたね」

「……鬼怒さん?」

「そうそう鬼怒さんだよ。はい、シエスタの時間はそろそろ終わりだからね」

 

 時計を見ると、ちょうど昼休みが終わるかどうかという時間帯だった。

 

 ……ああ、そういえば少し休もうと仮眠を取ろうとしてたんだっけ。

 

 思っていた以上に深く寝入ってしまっていたからか、岸波の頭はなかなか動き出さなかった。

 

「えっと……鬼怒さんは、何か御用でしたか?」

「手伝いを頼まれてた作業の件、終わったから報告に来たんだよ」

「そうでしたか、失礼しました」

「いいよいいよ。ちょうどいい暖かさだし、眠くなるのも無理はないよねえ」

 

 報告書を渡しながら、鬼怒は目を擦った。

 

「……いや、実はちょっと鬼怒も寝ちゃってね。あんまり人のこと言えないんだけど」

「そうだったんですね。ふふ、そういえば夢に鬼怒さんが出てきたような気がします」

「え、マジ?」

「ええ。内容はあまり思い出せないですが――楽しい夢だったような、そんな気がします」

 

 来る者もいれば、去る者もいる。

 しかし、泊地の日々は続いていく。

 良いことばかりではないかもしれないが――その日々は、決して捨てたものではないはずだ。


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