その日、鳳翔は演習場で一人訓練に勤しむ加賀を目にした。
加賀は艦載機制御に集中している。
ただ、鳳翔の目には、艦載機の動きがどことなく粗っぽく見えた。
「加賀さん?」
「……鳳翔さんですか」
訓練が一段落ついたところで、鳳翔は加賀に声をかけた。
加賀にしては珍しく汗だくだった。普段はもう少し軽いところで切り上げている。
「珍しいですね。だいぶ訓練に力が入っているようでしたが」
「こんなものではまだまだ足りません。……もっと鍛えて練度を上げなければ、また置いていかれます」
ははあ、と鳳翔は心の中で頷いた。
現在、泊地の艦娘は結構な数が欧州に遠征中だった。
加賀としては、残留を命じられたのが不本意なのだろう。
……そういえば昨年の欧州大遠征のときも、加賀さんは留守居を命じられてましたっけ。
欧州での出来事を蒼龍・飛龍に聞かされて、どことなく羨ましそうにしていたのを思い出す。
あのときは加賀の相方とも言うべき赤城も留守を務めていたが、今回はその赤城も欧州に出向いていた。
だから、余計に置いていかれた感が強いのかもしれない。
「でも加賀さん、遠征組と残留組の振り分けは練度で決められているわけではありませんし、あまり無理をして身体を壊しては本末転倒だと思いますよ」
「それは、まあ、確かに」
加賀は頬を掻いて鳳翔から視線を逸らした。
どうも、訓練に勤しんでいたのは気分転換――というかストレス発散――によるところが大きいようである。
練度で言えば加賀は泊地内でもトップ10に入る技量の持ち主である。
無理な訓練は逆効果以外の何物でもない。
とは言え、近隣諸国からの依頼は水雷戦隊がこなすので、加賀や鳳翔は泊地待機中であり――端的に言うとやや暇だった。
だから、訓練でもして気を紛らわせないと落ち着かないのだろう。
「あ、そうだ」
あることを思いついて、鳳翔はポンと手を叩いた。
「加賀さん。少し手伝ってもらいたいことがあるんですが、よろしいですか?」
「鳳翔さんの頼みでしたら」
空母の母たる鳳翔からの提案とあって、加賀は一も二もなく頷いた。
「映画祭……ですか?」
鳳翔から何をするのか聞かされて、加賀は少し意外そうな顔をした。
あまり鳳翔と映画の組み合わせがピンと来なかったせいである。
「あら、意外でしたか? 私もときどき映画は観るんですよ」
「知りませんでした……。ちなみに、どういったものを?」
「往年の名作と言われるものが好みですね。あと、最近そういった名作をリメイクした映画もよく観ます。時代によって解釈や表現が変わったりしていて、その違いを探してみるのが結構好きなんですよ」
思っていたよりがっつり観るタイプらしい。
鳳翔とは親しい加賀だったが、こういう一面については初めて知った。
「で、アクィラさん曰く『この時期イタリアでは大掛かりな映画祭りがある』とのことで、うちでもちょっとそれらしいことをしようという話になったんです。ただ、今回の欧州遠征で企画を進めていたイタリアの皆さんが出払ってしまったので」
「なし崩し的に中止になってしまった、ということですね」
「ええ。ただ残念そうにしている子も多かったので、できる範囲でそれっぽいことをしようかな……と」
そう言って鳳翔がやって来たのは、鳳翔が開いている小料理屋の厨房だった。
「映画のチョイスは夕張さんがやってくれるそうなので、私たちは『映画を観ながら食べるもの』を用意しましょう」
「ふむ……そうなると、やはりアレですか」
「はい。ずばり、ポップコーンです!」
グッと拳を掲げてその名を叫ぶ鳳翔。
しかし、二人の動きはそこで止まってしまった。
「……ちなみに鳳翔さん。ポップコーンというものを、作ったことはありますか?」
「ありません。……白状すると、食べたこともないんです」
「……私もです」
これについて、二人を責めるのは酷であろう。
なにしろ泊地があるショートランドは、泊地と村落以外ほとんど施設らしい施設がない。
映画館というものは、二人に限らず、泊地の艦娘にとって遠い存在だった。
ポップコーンというものに触れる機会も持ちようがなかったのである。
「一応、トウモロコシは用意してあります」
「一応……というと、何か問題があるんですか?」
「ええ。これを炒めればポップコーンになると思って試してみたのですが」
と、鳳翔は厨房にあった鍋の蓋を外した。
もわっと微妙な臭いが周囲に広がる。
鼻を摘まみながら加賀が鍋を覗き込むと、焦げ付いたトウモロコシのコーンが一面に広がっているのが見えた。
「これは……」
「ポップコーンとはとても言えませんよね……」
やり方がまずいのかと思った鳳翔は、何度かリトライしてみたり、泊地のスタッフに話を聞いてみたりしたのだが、なぜこうなってしまうのかは未だに分からないままだった。
スタッフは本土から来ている者がほとんどで、ポップコーンに触れたこともある人が大半だったが、皆自作してみたことはないらしく、何が問題なのかは皆目見当がつかないのだという。
「そうだ。インターネットで調べれば良いのではありませんか」
この泊地は辺境にあるが、本土との連絡を円滑に行うため回線が引かれている。
インターネットの叡智に頼れば、何が問題なのか掴めるかもしれない。
しかし、加賀の提案に鳳翔は頭を振った。
「実は、今インターネットは使えないらしいんです。なんでも機械の一部が駄目になってしまったらしく。取り寄せないと復旧が難しいらしく、九月末頃までかかりそうだと」
「それは災難な……」
そのとき加賀は、一部の艦娘がスマホを片手に何やら嘆いていたのを思い出した。
何があったのかと不思議に思っていたが、あれはインターネット障害による嘆きだったのだろう。
「で、万策尽きてしまったので気分転換に散歩をしていたところ加賀さんを見かけたので、声をかけてみたというわけです」
「事情は分かりました。しかしこういう手合いはそこまで得意というわけでもないので、どこまで力になれるか……」
「なら、二人で考えてみましょう。一人では駄目でも、二人で知恵を出し合えば何か出てくるかもしれません」
鳳翔にそう言われると、加賀としては知恵を捻り出すしかなくなる。
……まったく。貴方はズルい人ね、鳳翔さん。
満更でもない心持ちでそんなことを思いながら、加賀は鳳翔と一緒にトウモロコシとにらめっこを始めるのだった。
「――さすがにこれ以上は、何も浮かびません」
「私もそろそろ限界が……」
丸一日試行錯誤したものの、ポップコーンは出来ていない。
知恵をこれでもかと出し尽くした二人は、既に真っ白になりかけていた。
「あれ、鳳翔さんお休みですかー?」
と、そこに神威が姿を見せた。
どうやら任務で外出していたらしく、あちこちが汚れている。
仕事終わりに一杯やろうと、鳳翔の店に顔を出したらしい。
「ああ、すみません神威さん。ちょっと立て込んでて……」
「どうかしたんですか、加賀さんも一緒になって」
興味深そうに尋ねてくる神威に、鳳翔は今の状況を簡単に説明した。
話を聞いた神威は、厨房にあったトウモロコシを見て若干気まずそうな顔になる。
「あの、鳳翔さん。言い難いんですけど、ポップコーンは爆裂種という種類のトウモロコシじゃないと上手くいきませんよ」
「――え?」
鳳翔と加賀は、二人揃って力の抜けた声を出した。
「つ、つまり……作り方の問題ではなく」
「素材の問題だったと――」
大量に出来上がった焦げだらけのコーンを見て――やがて、二人はぷっと思わず吹き出した。
最初は小さく、そして少しずつ二人の笑いは大きくなっていく。
神威はそんな二人に戸惑っていたが、二人があまりにおかしそうに笑うので、つられて笑ってしまった。
以下、今回の後日談。
「別にポップコーンじゃなくても良いですし、今回は別のやつにしましょう。爆裂種を今から用意するのでは時間がかかりますし」
神威からのアドバイスを受けて、鳳翔は映画のお供を急遽ホットドッグに変更。
無事に泊地映画祭は開催され、三人で作ったホットドッグは好評を得たという。
また、鳳翔・加賀という空母組の中心人物二人を救ったことにより、神威は空母組から一目置かれるようになったそうな。