婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝 作:大岡 ひじき
「ぐくっ!!」
自身の胸に突き刺さった槍を、紫蘭は何を思ったか力任せに引き抜いた。
通常こういった場合、刺さったものを抜いてしまうと、遮るもののなくなった血管から容赦なく出血して危険なのだが、紫蘭のその傷もまた例外ではなく、槍の穂先を抜き去った箇所から血が吹き出して、彼はその勢いに負けるように仰向けに倒れた。馬鹿かお前!
急所は外れているから、抜かずにそのまますぐに手当てすれば命に別状はなかったのに、この状態では即死しないまでも失血死の危険が充分にある。
こうなっては、戦闘の続行は不可能だろう。
だが、己の勝利を確信し、それ以上は見たくないとでもいうように、紫蘭に背を向けて自陣へ戻り始めた伊達の背に、紫蘭がよろめきつつも立ち上がって言葉をかけた。
その手にはまだ、手にしたナイフが構えられたままだ。
「お…おまえをこのまま帰しはせん!!」
「無駄だ。勝負は既についている。」
伊達の言葉には言外に、命まで落とすことはないといった意味が含まれている。
彼は底意地悪いくせに、変なところで情のある男なのだ。
だが、失血死寸前で気力だけで立っている紫蘭は、そこに気付かないか敢えて見なかったかは判らないが、伊達の言葉に唇を、嫌な笑みの形に歪めた。
「お、己の肩の傷をよく見てみるがいい!!
この一撃を食らった時、俺のナイフもおまえの体をかすめていたのだ!」
言われて伊達が自分の肩を見る位置に首を巡らすと、分厚い三角筋で盛り上がったそこに、確かに一筋の切り傷が走っており、そこから出血している。
だが、普通に生活していればそこそこ大きな切り傷であるそれも、闘いに身を置く者からすれば、かすり傷の範囲内だろう。
これが一体なんだと言うのか…?
と、不意に伊達の身体が僅かに傾いだ。
「それはただのかすり傷ではない!!
このナイフには中国秘伝の、蛇漢草という猛毒が塗られている!!」
毒か!
私のように独自の手段を持っていればまた別だが、暗殺者にとって痕跡の残らない毒の知識は不可欠だ。
私は詳しくないのでよく知らないが、これもそのひとつなのだろう。
「致命傷にはならなかったが、この毒は少量でも体内に入れば、一時的に視神経を冒す性質がある!!
…フッ、どうだ?まだ見えるか、俺の顔が!?」
「き、貴様……!!」
「この俺が、そう容易く倒せると思ったか〜〜っ!!」
続けて攻撃してきた紫蘭の動きが、その気迫に反して明らかに先ほどより緩慢であるにもかかわらず、伊達は完全に躱しきることができなかった。
反射神経のみで逸らした胸板が切り裂かれ、小さくない傷が刻まれる。
どうやら視神経の麻痺とともに、若干の身体の痺れもあるらしい。
「フッ、そろそろ毒がまわってきたな。
どうやら完全に見えなくなったか!
これで立場は五分と五分!!
貴様が先か、俺が先に死ぬかだ──っ!!」
最後の力を攻撃のみに振り絞り、死を目前とした紫蘭の気迫は、肉体のダメージを凌駕しているらしく、伊達の身体にひとつ傷を刻むたびに、その勢いが増していく。
瞬きする間に紫蘭の振るうナイフに、伊達の身体が切り裂かれていく。
新たに傷が増えても血が流れれば毒も流れていくため、その効果も長くはなかろうが、それまでに致命傷を受けてしまえばそこで終わりだ。
その致命傷をギリギリで何とか避け続け、間合いを取り直した伊達が構えると、紫蘭が大きく息をついた。
呼吸を整えるかわりに、先ほどよりは落ち着いた声音で、伊達に語りかける。
「冥途の土産に、面白いものを見せてやろう。
と言っても、その目で見ることは出来ぬだろうが。」
言って、左手首に巻いたサラシを外す。
その紫蘭を見て、私は思わず心の中で呟いた。
…出たよ、不幸自慢癖。
コイツの左手首…と言えば、見せたいものは判り切ってる。
伊達は仕方ないにしても、私のそれを知ってても意味は知らない桃には、最後まで知らせずに置きたかったんだが。
☆☆☆
「この腕の刺青こそは、孤戮闘修了の証!!」
伊達と戦っている紫蘭という男が、そう言って晒した左手首に、俺の目は釘付けになった。
思いもかけず湯けむりの中で、お互いに無防備な状態で光と顔を合わせてしまった、忘れようにも忘れられないあの日。
背を向けて話そうと言いながらも、内心ドキドキしつつこっそり振り返って見てしまった小さくて真っ白な背中の、その左肩甲骨下部に彫られていた文様。
それと、今晒された紫蘭の左手首に刻まれたものが、同じだったから。
「孤児だった俺は、藤堂兵衛様に買い取られ、中国拳法極限の養成法、孤戮闘の修業に出されたのだ。」
…紫蘭が語るその内容は凄惨だった。
それは、まさにこの世の地獄。
年端もゆかぬ子供を百人集めて、脱出不可能な谷底に置き、一週間程飲まず食わずの飢餓状態にする。
そしてそこに五十人分の食料を投げ込み、殺し合いをさせるのだという。
そこから再び時を置き、生き残った人数の半分の食料を投げ込み、同じ事を繰り返す。
そうして最後まで生き残ったひとりに、更に厳しい修業を課すのだと。
そうして出来上がるのは、喜びも悲しみも、一切の感情を捨て、ただ敵を倒す事だけを宿命とした戦士。
そしてあの刺青は、その証。
「親の顔も知らず友もなく、命令通りに闘う殺人マシーン!!
それが、この俺だ──っ!!」
そう叫ぶ紫蘭の表情には、深い悲しみが表れていたが、その事にきっと本人は気がついていないのだろう。
…………光は?
彼女は藤堂兵衛の養女であり、子飼いの暗殺者。
顔から一切の表情を消しているくせに、今にも泣きそうな目をしながら、俺の従兄を殺したのだと告白した。
他にも数えきれないほどの人間を手にかけてきたと。
それだけで、既にあの薄い肩で背負うには、重すぎる業であろうというのに、更にそこに至る前に、そんな経験をしてきたというのか?
年端もゆかぬ少女の頃に、あれよりもっと小さな身体で。
『私は、あの方に褒めて欲しかった。
ただそれだけの事の為に、何人もの命を奪ってきたんです。
今それをどれだけ後悔しようと、許されるわけがないでしょう?』
…俺は、あいつの背負ったものを、少し軽く見積もっていたのかもしれない。
あいつは、この先どれほどの他人の傷を癒そうと、自身では癒せない深い心の傷を抱えて生きてる。
今すぐに、あいつを抱きしめたいと思った。
心に負ったその傷ごと抱きしめて、頭を撫でて、おまえは悪くないと言ってやりたかった。
恐らくは、あれを彼女が持っている事を、知っているのは俺だけで……
「…あれ、光の背中にあったのと同じだな。」
は?センクウ先輩…今なんと!?
さすがに聞き捨てならないその発言に、卍丸先輩が食いつく。
「おい!ちょっと待て!!背中って!?
なんでテメエが、ンな事知ってんだ!?」
「驚邏大四凶殺の後、氣を消耗して汗びっしょりになってたあいつの制服を、洗濯したのが俺だと知ってるだろう?」
「それは知ってるけどよ!じゃ何か!?
嫁入り前の娘の、下着まで全部剥いたのか!?」
「剥かなきゃ洗濯できんだろうが。
新しいサラシは用意してやったし、下穿きだけはさすがに残したぞ?」
「お〜ま〜え〜な〜〜っ!!」
「その下穿きだって、ヘソまですっぽり覆うくらいの色気のまったくな」
「それ以上言うな!!」
卍丸先輩が、センクウ先輩のマントの首元を引っ掴んで、脳が揺れるほど振り回している光景から、俺は目を逸らした。
……うん、俺は、何も聞いていない。
そして、光。
それがあろうがなかろうが、おまえが俺たちの仲間であることは変わらない。
必ず取り戻してやるから、俺たちを信じて待っていてくれ。
……絶対に、早まるな。
☆☆☆
紫蘭にとってこの不幸は、己を語る唯一のファクターである。
私にはこれが耐えられなかった。
境遇が似ていて、思うところが理解できるからこそ、コイツのそのスタンスに嫌悪感を抱いた。
そうでなければ、私たちは互いに依存関係になっていてもおかしくなかった筈だ。
伊達は…どう感じるのだろう。
私たちと同じでありながら、まったく違う彼は。
「貴様にこの苦しみはわかりはしない!!」
どうやら話している間に感情が昂ってきたようで、再び紫蘭の猛攻が再開された。
わかるわけがない、と思っても、心の底ではわかってほしい、そんな心理が丸わかりだ。
伊達が先ほどより少し冴えた動きで、それを躱しているところを見ると、少しずつ毒の影響からは脱しているようだが、それでも紫蘭の勢いに押され、反撃までは及ばない。
と、連続攻撃を悉く躱したところで、何に足を取られたものか、伊達の身体が傾いて、そのまま尻餅をつく形となった。
「死ねい!!
これが貴様と俺の最期だ──っ!」
まるで無理心中か何かのように、倒れかかる伊達の胸に向けて、紫蘭がナイフを振り下ろす。
その動きが、唐突に止まった。
……伊達は、何をしたわけでもなかった。
むしろ、何もせずにただ、紫蘭を見つめていた。
………そう、
「貴様……目が見えるようになったのか。
ならば何故、躱そうとも攻撃をしようともしない……!!
憐れみをかけているつもりか…!?」
多分だが、紫蘭が圧倒されたのは伊達の、どこか哀しみを孕んだ視線だった。
それを見返しているうちに、紫蘭の表情が屈辱に歪む。
「ふざけるな、憐れみなどいらん!!」
「憐れみではない。
俺には、貴様の気持ちがよくわかる!」
紫蘭が振るったナイフの一撃に、伊達が左腕のプロテクターを、合わせるようにしてその先に当てた。
瞬間、それが砕け、その下に隠された左手首が露わになる。
……私たちが持つそれと、同じ文様が。
それを目にした紫蘭の目が、驚愕に見開かれた。
「なっ!!ま、まさか、それは……!!」
「そうだ。これは孤戮闘修了の証!!
俺も時こそ違え、あの地獄をくぐり抜けてきた。
……おまえや、光と同じように。」
言っていることは事実だけであるのに、まるで心に寄り添うようなその言葉に、紫蘭だけでなく、私までが胸を突かれた。
紫蘭はすっかり戦意を喪失したようで、その手からナイフが滑り落ち、足元に落ちる。
…元々、身体は出血により限界を超えており、最後の気力だけで闘っていたのだ。
もはや紫蘭に、攻撃をする力は残っていなかった。
「…安らかに眠るがいい。
紫蘭という手強い敵がいた事を、俺は忘れない。」
伊達は崩折れる紫蘭に、この男にしてはひどく優しげに声をかける。
その伊達を見上げる、紫蘭の目から涙が溢れた。
「……伊達臣人。礼を言う。
おまえは俺に初めて、優しさというものを教えてくれた……!!
今度、生まれてくるときは……」
「ああ。桜咲く男塾の庭で待ってるぜ。」
その言葉を、紫蘭は聞き取れたかどうか。
言いながら踵を返し、自陣へ歩き始めた伊達に、それを確認する術はなかった。
・・・
「…少々、失礼させていただきます。」
「どこへ行く。次は貴様の出番だ。」
「ご心配なく。すぐに戻りますので。」
豪毅にそう言い置いて、私は係員たちに運び出される紫蘭の身柄を追った。
☆☆☆
係員に指示を出し、別室に運び込んだ紫蘭の心臓がまだ動いているのを確認して、その身体の傷を塞いで、造血の処置を行なった。
あとは暫く眠ってくれれば、元どおり動けるようになるだろう。
だが、その心はきっと、今まで通りではない。
…だから、どうしても聞いてみたかった。
今の、紫蘭の心の在りようを。
少しだけ氣を操作して、覚醒を促す。
閉じていた瞼が開いて、紫蘭のブルー・グレーの瞳が現れた。
「…気がつきましたか?」
「……光…?
俺は……生きている、のか?何故……!?」
「治療が間に合いましたので。
あ、しばらくそのまま、動かないように。」
起き上がろうとした紫蘭の身体を制し、注意を促すと、紫蘭は私の目を睨みつけた。
「そういうことではない!
何故だ…何故、貴様が、俺を助けた…!?」
少し混乱しているのだろう。
しばらく『あなた』だった二人称が『貴様』に戻っている。
「その質問に答える前に。
あの男と、伊達と闘ってみて、あなたはどう思いましたか?」
睨みつけてくる紫蘭の目を見返しながら私が問うと、紫蘭はどういう意味かと問うように瞬きをした。
言葉にはしなかった問いに答えるようにして、私は言葉を続ける。
「彼は…恐らくは、
あなたより1年ほど前に孤戮闘を生き残った後、誰かのものとして生きる事を良しとせず、逃げ出して『伊達臣人』の人生を勝ち取った。
同じく1年後に孤戮闘を出てきた私には、嫉妬と憎しみを向けたあなたは、彼をどう見ましたか?」
そう。それをどうしても、聞いてから闘いに臨みたかった。
その理由は自分でも判らないが、それが必要だと思った。
「………違う。」
だが紫蘭は、少しの間考えこんだ後、そう呟く。
「え?」
「あいつは…
…あいつの輝きは、本物のダイヤモンドだ。
羨望と憧れ、更にほんの少しの嫉妬を籠めた言葉を、紫蘭が紡ぐ。
その紫蘭の目を見下ろして、私は頷いた。
「……そうですね。
伊達は、運命に立ち向かって、闘って未来を手に入れました。私
……けど、紫蘭。あなた知ってました?
ジルコンはジルコニアと違って、天然の鉱物なんですよ。
ダイヤモンドとは全く違う成分の。
単にダイヤモンドと似てるからって、偽物扱いされてますけど、ジルコンにもし意志があるとしたら、これ怒っていい案件だと思うんですよね。
自分は偽物のダイヤモンドじゃなく、本物のジルコンだって。
自分の輝きだって、本物だって。
…あなただって、同じですよ。
誰かの偽物を演じるのではなく、紫蘭として生きることができる筈。
……生きてみませんか?」
私はこの後、紫蘭は死んだと、豪毅と係員に報告するつもりだ。
男塾がこの闘いに勝利できれば、表彰式は御前を討つ場となるはずで、全員の目がそちらに集中するだろう。
その間に彼はここから出ていけばいい。
…本物の、彼の人生を始めるために。
「……それが、俺を助けた理由なのか。」
「あ、その話まだ続いてたんですか?」
「俺は、貴様のそういうところが嫌いだ。」
改めて言わなくても知ってるし。
ちょっとムッとして、言い返す。
「私も、あなたの事は嫌いです。
…けど、死んで欲しいわけでもありません。
助けた理由があるとすれば、その程度の事です。
……あと」
「ん?」
「私はもう飼い犬でも、暗殺者でもないのですよ。
そう言ってくれた人たちが、いるのです。
私にも、自由に羽ばたける翼があると、教えてくれた人たちが。
私の手は殺す手ではなく、癒す手なのだと、教えてくれた人たちが。」
そう言って、多分初めて心から、私は紫蘭に向けて微笑んでみせた。
なのに紫蘭は、私の言葉に眉根を寄せる。
「それが……奴等なのだな。
だが、貴様はこれから、奴等と敵対せねばならんのだぞ?」
「はい。私がこれから闘う男は、
あのひと相手に、自分がどれほど使えるか、本気で闘うあの人がどれほど強いのか、自分の肌で確かめてみたいのです。
……とても、楽しみです。」
私は、この闘いで命を落とすだろう。
けど、彼らと共に過ごした日々を、私は死んでも忘れない。
今度生まれてくる時は、また男塾の桜の下で。