婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝   作:大岡 ひじき

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実は密かに、事態が同時進行している模様。


8・明日の分の涙を今日流してしまえばいい

 仕込んでいた蝶たちも完全に力尽きた為、脇腹の疼くような傷の痛みに耐えながら、男爵ディーノは歩き続けていた。

 方角と飛行してきた距離からすれば、仲間たちの場所にだいぶ近づいている筈だ。

 必ず彼女を守ると豪語しておきながら、実際には庇われたこの体たらく。

 それでも、彼女が助けてくれたこの命、無駄に散らすわけにはいかない。

 

 彼は気付いていなかった。

 映像中継の為のヘリに混じって、闘技場(コロシアム)から飛ばされた追跡用のヘリが、この冥凰島上空を飛んでいる事。

 その一基が、傷を負った身体を引きずって歩を進める彼の姿を、上空から捉えていた事。

 そして連絡を受けた恐るべき追跡者が、今まさに動き始めた事に。

 

 ☆☆☆

 

「哀れなるパンジャブよ……!!

 おまえの無念は、こやつの五体切り刻んで晴らしてくれよう。」

 ようやく闘場に二本の足で立ったラジャ・マハールは、何処からか取り出した短い棍…いや、どちらかといえば密教の法具にある独鈷杵のような形状の武器を一対、両の手に構えた。

 そのままの位置から助走もつけずに高く跳躍する。

 言うだけなら簡単だが、相当な身体能力がなければこれは容易くできることではない。

 マハールはそこから落下のスピードを利用して、その武器で襲いかかり、だがその刃先は月光の棍に阻まれる。

 

「それがインドに古来より伝わる、キプチャクという武器か。」

 独鈷杵ではなかったか。

 まあ法具にしては装飾の少ないシンプルな形状だとは思ったけど。

 けど、今は法具とされている独鈷杵を含めた金剛杵の類も、元々はインドの神々が戦う時に使用した武器とされているものだ。

 きっと源流は同じものだろう。

 それにしても、雷電は言うに及ばないが月光も割と物知りだ。

 というか三面拳は、脳筋揃いの男塾の中では多分ダントツで頭脳派なんだと思う。

 あ、桃は例外ね。あれは文武両道通り越した完璧超人だから。

 

「だが貴様の腕はまだ未熟。

 確かに凄まじい攻撃だが、防御が甘く隙だらけだ!!」

 月光の言葉通り、マハールは地に降りてから間髪を入れず、凄まじい勢いで連続攻撃を繰り出してきていた。

 だが月光はその悉くを、棍で受け流していたのだ。

 機械のように精密な月光の動きには一分の隙もなく、攻撃の瞬間ガラ空きになった腹部へ、気合いとともに突き込まれた一撃で、勝負がついたと思われた。が。

 

(はん)っ!!」

 瞬間、ありえないことが起こっていた。

 マハールの身体が、人体の骨格構造を完全に無視して、突き入れた月光の棍を避けるように曲がったのだ。

 見ていた誰もが己の目を疑ったのは当然のことだろう。

 というか……この光景に既視感を覚えるのは私の気のせいだろうか。

 

「フフッ…防御が甘いだと……!!

 ならば、俺はここから一歩も動かぬとしよう。

 さあ、もう一度試してみるがよい。」

 そのマハールの言葉が終わらぬうちに、月光は同じ箇所に棍を繰り出す。

 だがその攻撃は擦りもせずに、マハールの脇腹部分がぐにゃりと曲がって、棍の先端が空を切る。

 更に上腕、大腿へと、先ほどのマハール以上に間髪入れず突き入れる棍を、その部分だけが別の生き物であるかのように動いて、避けていく。

 最後に顔面を貫くべく放った突きすらも、まるでふざけた粘土細工のように頭部そのものがぐにゃりと曲がって、傷一つつかずに立ったままのマハールを、月光は呆然と見つめることになった。

 

「これでわかったか。

 三千年の歴史を持つ我がラーマ・ヨガの真髄は、筋肉だけではなく骨までもを、己の意のままにすることにあるのだ!!

 完璧な防御と攻撃!

 この俺に死角などない!!」

 そう説明するマハールの筋肉が、その下に別な生き物でも隠しているかのように、モコモコと蠢く。

 …思い出した。

 確かP(ファラオ)S(スフィンクス)戦で、飛燕と戦った2人目の闘士が、身体を酢に漬けて修業をしたとかで、これに似た防御で飛燕を苦しめていた筈だ。

 どうやら、理屈は全く違うようだけど。

 

 ラーマ・ヨガ…

 一般にインドに伝わるヨガの神秘性は広く知られるところであるが、その中でも別名『黒ヨガ』と呼ばれ、その奇跡に近い数々の秘奥義で恐れられるのが、このラーマ・ヨガである。

 その特異性は骨の骨細胞組成さえも変え、自由自在に変形させることを可能にすることにある。

 そして黒ヨガと別称されるように、驚異の殺人格闘技として発達した。

 ひとりで千人の兵にも匹敵する戦闘力の凄まじさ故に、時の藩王(マハラジャ)達に弾圧され、継承者は絶えたと伝えられている。

民明書房刊『インド人も吃驚(びっくり)!ヨガの奇跡』より

 

 あまりのことに硬直してしまっていたのだろう、例のマハールの持つキプチャクとかいう武器が、容易く月光の上腕の皮膚を裂き、月光の身体が傾いだ。

 先ほどの失血によるダメージがやはりまだ残っているのだろう。

 これ以上のダメージは命にかかわる。

 本人もそう判断したものか、月光は一旦間合いを外して距離を取ると、棍を足元に突き立てた。

 それから、先ほどのように長さを伸ばし、宙へと逃れてから、見事なバランス感覚で、その細い棒の先端に乗る。

 

「たまらず宙へ逃げたか。

 なるほど、そこなら俺の攻撃は届きはしない。」

 マハールのキプチャクは近距離用の武器だ。

 投擲するなら話は別だが、それだって真上にいる相手に向かって投げるのは、重力がかかる分確実性に欠ける。

 しかし、唯一の武器を足場に使ってしまっている月光にしても、攻撃できない点では同じだろう。

 それにたとえこの状況で武器による攻撃が届かなくても、地上にいるマハールには、もっと確実な方法が取れる。

 その事に気付かぬ筈もなく、マハールはゆったりとした足取りで、地に突き立てられた棍に近づくと、脅すようにそれを揺らした。

 

「この棍を、俺が倒したらどうするつもりだ?」

「かかったな、マハール。

 己の足元をよく見てみるがいい。」

 思いもかけずかけられた月光の言葉に、マハールは反射的に下を向く。

 

「なっ!?こ、これは!!あ、足がとれぬ──っ!

 貴様、地面にトリモチを仕掛けておくとは!!」

 どうやら棍を突き立てたと同時に、そのような細工をしておいたらしい。

 マハールは地面に足を縫い付けられた形になり、慌てて足を剥がそうとするが、その強力な粘着力が、彼をその場から動けなくしている。

 けど…。

 

「宙にいる俺を地上に降ろそうとすれば、棍に近づくのは当然のこと。

 己の力に慢心し、油断したな。

 悪く思うな、これが勝負というもの!!」

 月光は棍の上で例の(ぼたん)を操作し、一瞬にして長さを戻すと、落下速度をつけて、マハールの身体に棍を突き立てた。

 

「うあおおっ!!」

 棍はマハールの後頭下部から背中に向かって突き刺さっており、そこから大量の血飛沫が上がる。

 その褐色の身体が痙攣しながら地に倒れるのを確認して、月光は掌と拳を合わせる礼をとった。

 

「眠れい、心安く……!!」

 自身を苦しめた強敵に最高の敬意を表してから、月光はその亡骸に背を向けた。

 

 ・・・

 

「…あのひと、裸足でしたよね…?

 素足で踏んだトリモチに、指摘されるまで気付かないとか、あるんでしょうか?」

「演出ではありませんか?

 マハール様の試合には、ああいった小道具が使われることも多いのです。

 今もそうですけど、派手に出血したように見せるための血袋とか。

 私はあまり好きではないのですが、観客の皆様は、それで興奮されるようですし。」

「………えっ!?」

 

 ☆☆☆

 

 …パキリ。

 今度こそ間違いなく、手の中で震えた感触に、わたしは戦慄した。

 彼の無事な姿が見えているのに。

 今、戦いに勝って、こちらへ向かってきているというのに。

 それなのに…この胸騒ぎは、どういうことだ?

 

「…どうした飛燕、浮かねえ顔して!!」

「えらく心配してたが、ああして月光は大勝利!!

 万が一の形見のペンダントも返すことが出来るじゃねえか!」

 わたしの動揺に気付いた富樫と虎丸がそう声をかけてくるが…自分でも気付きたくなかったその手の中の感触に、彼らの目前にその指を開く。

 …先ほど月光から預かったそれが、掌の上で砕けている事に、それを目にした仲間たちが驚愕する。

 当然だ。ただ手に握っていただけで、普通はこのような事にはならない。

 不吉な予感に全員が息を呑んだ瞬間、あり得ないその声が闘場に響く。

 

 “この一瞬を待っていた。

 今まで一寸の隙さえも見せなかった完璧な貴様に、やっと隙が出来たな。”

「な!!」

「返すぜ、貴様の棍だ!!」

 見れば死んだ筈のマハールが闘場に、土下座のような形で跪いている。そして。

 

「ラーマ・ヨガ奥義・張発(ちょうはつ)筋彪射(きんぴょうしゃ)!」

 その褐色の背中に撃ち込まれていた棍は、そこから凄まじい勢いで飛び出して…持ち主である月光の胸板を、真っ直ぐに突き貫いた。

 

「ぬはっ!!」

「げっ、月光───っ!!」

 確実に勝ったと思ったところからの逆転劇に、全員が色を失った。

 

「フフッ。

 かかったのは貴様の方だったというわけよ。

 トリモチを踏んだのもすべては計算のうち。

 言ったはずだ。ラーマ・ヨガの秘法を極めたこの肉体は、全てを意のままに出来るとな。

 貴様の棍を背に受けた時、俺は咄嗟に棍の形状に合わせて筋肉を変化させ、棍が突き刺さったと思わせたわけだ!!」

「ぬ、ぬかったわ…その血も、血袋か……!!」

 自身の武器が貫いた傷はもはや致命傷。

 先ほどの紅漿霧(こうしょうむ)による失血もあり、月光にはこれ以上立ち続ける力はなかった。

 無念の表情でその場に膝をつき、わたしたちの方に顔を向ける。

 否……わたしに、だ。

 

「げ、月光死すとも男塾は死せず………!

 あとは、た、頼んだ………!!」

 言って仰向けに倒れていく月光を、わたしは直視できなかった。

 

 …当然といえば当然ではあろうが、この時、わたしは冷静さを欠いていた。

 前日彼女と話をして、雷電が生きていることを知らされていた筈なのに、その事実がすっかり頭から抜け落ちていた。

 そもそも彼女の存在すら、頭の片隅に無かった。

 だが、それが却って良かったと思う。

 下手に思い出して希望を抱き、後になって、彼女がここにいない事を知って再度、月光の死を悲しむ事にならずに済んだのだから。

 だが、この時のわたしに、そこまで考えが至るわけもなく。

「次の闘いの邪魔になる」と、月光の亡骸を引きずり、崖下に投げ落としたマハールに対する、怒りと哀しみの感情が、闘志として体の奥から湧き上がってくるのを、抑えることが出来なかった。

 

 桃はわたしのその状態に真っ先に気付いたのだろう。

 やはり怒りに任せて虎丸が飛び出して行こうとするのを制し、次に闘う者は決まっていると、わたしの前に道を開いてくれた。

 彼自身、月光が倒れた時には歯嚙みをして、その身を怒りに震わせていたにもかかわらず、だ。

 

「ありがとう、桃……!!」

 だから。

 わたしは、その想いに応えるべく、躊躇うことなく足を前に踏み出した。

 男塾三面拳最後のひとりとして、その名に恥じぬ闘いを。

 ひとつ砕けた絆の証を、服の内側にしまい込んで、仲間たちの視線を背に受けて。

 

 わたしは、闘場へと続く縄ばしごに、足をかけた。

 

 ・・・

 

「貴様か、次の獲物は。

 とんだ優男が出てきたものだ。」

 登場の真ん中に無造作に立ち、腕を組んで待ち構えていたマハールは、呆れたような響きでそう言ってため息をつく。

 悪いが、この手の嘲笑は聴き慣れている。

 そして、見かけで判断して侮った者には、それ相応の結末を迎えて貰うと決めている。

 むしろこの外見すらも、わたしにとっては武器のひとつですらある。

 

「来るがいい、マハール。

 月光の仇は、わたしが取らせてもらう!!」

 ふつふつと湧き上がる闘志が呼吸を乱れさせるのを必死に抑えながら、わたしは間合いに入り構えをとった。




原作と違い飛燕さんはこの時、体調は申し分ないわけですが、何故か原作よりも精神的な動揺が表に出ています。

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