婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝   作:大岡 ひじき

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4・Flower Revolution

 わたしが管理しているバラの温室を、中に入って見てみたいと申し出てきたその少女は、13歳という年齢より幼く見えた。

 

『…姫のたってのお望みとあらば、是非叶えて差し上げたいところですが、どうか、それだけは御容赦願います。

 全てではありませんが、香りに毒のある種類のものがありまして…わたしには耐性がありますが、姫には危険です。』

『…毒?香りが?……そうですか。

 それは、とても残念です…。』

『S'il vous plaît ne pleure pas, Petite princesse.

 お望みでしたら姫には後日、毒のない種類を選んで大きな花束をお届けいたしますが…今日はこれで御勘弁を。』

『これは…?』

薔薇果実(ローズヒップ)のギモーヴです。

 手慰みにわたしが作ったもので、お口に合えば良いのですが。』

『ギモーヴ…あ、マシュマロだ。

 …なにこれすっごく美味しい!』

『果実だけでなく、香りづけに食用バラの花弁を使用してあります。

 色付けと隠し味としてハイビスカスも少し。

 …世の中には食べられる花もあるのですよ、姫。』

『…なんと、美しい上に食べられるなんて。

 まさにこの世の至宝ではありませんか…!

 なんだか世界が一気に広がった気がします!

 そして私は甘いものが大好きなので、花束をいただくよりもこちらの方がずっと嬉しいです!!

 ありがとうございます、薔薇の闘士様!!』

『…こちらこそ、素敵な呼称をありがとうございます、姫。

 わたしの名は黒薔薇のミッシェルです。

 どうぞ、お見知りおきを。』

 

 甘いお菓子を嬉しそうに口にして無邪気に微笑んだまだあどけないその少女が、幾多の要人をその手にかけてきた暗殺者と知らされたのは、彼女が訓練施設の滞在を終えて、しばらく経ってからの事だった。

 そう聞かされても不思議とは思わなかったが…痛ましい、とは思った。

 その指がどれほどの屍を積み上げてきたにしても、あの邪気のない笑顔は本物だったから。

 あの子はまさに、毒のあるバラのような娘だったのだ。

 どれほど危険であったとしても、咲きたての花の無垢な美しさに、ひとつの偽りもありはしない。

 

 ☆☆☆

 

「まさか、こちらでまた、姫様のお世話ができるとは思いませんでした。」

「…私も、こんな状況で再会するとは思っていませんでしたよ。

 あなたもお元気そうで、何よりです。」

 両手首に枷を付けられた状態で交わすには平和すぎる再会の挨拶を顔見知りと交わしながら、私は内心どうしたものかと思っていた。

 

「…藤堂の家では、私のことは、どのように?」

「いつも通り、短期留学と聞かされておりましたわ。

 今回はあまりにも期間が長いので、いつ頃お戻りになられるのかと思っていた矢先に、私はこちらへ配置換えになりましたの。」

 彼女は清子(きよこ)さんといって、藤堂の家にいた時の私付きの女中だった人だ。

 今気がついたが、もっと太ったらちょっと(みゆき)さんに似ているかもしれない。

 彼女の方が幸さんより10歳くらい若いと思うけど、どこか幸薄そうなあたりが、特に。

 実際、彼女は以前同棲していた相手が既婚者で、騙されていたという過去持ちだ。

 タチの悪い事に、男は彼女と妻との間で二重生活を送っており、事態が発覚した時、彼女には男との間に生後8ヶ月の娘がいたという。

 その時の彼女がまだ若かったこともあり、紆余曲折の末に子供は相手方に引き取られ、彼女は幾ばくかの慰謝料を貰って別れたそうだが、

『自分の男を見る目が信じられなくなりましたので、カスを掴むくらいならば、一人で生きる方がマシです』

 と笑い話のように以前言っていたのは多分ほとんど本気だったと思う。

 話が逸れたが、『短期留学』は私が『仕事』で家を空ける際に、使用人に対して為される定番の言い訳だった。

 今回こうして、男物の制服姿で顔を合わせてしまった以上、それが嘘であると彼女には知られてしまったわけだが、幸いな事に、明らかに異常なシチュエーションでの再会であるにもかかわらず、彼女はそれ以上何も聞いてはこない。

 

「枷は外さずに、とのご命令なので、それだけは御勘弁いただきますが、他のことでしたら遠慮なくお申し付けくださいね。

 その……例えば、お手洗い、とか。」

 そこだよ!

 今は足だけ自由にされているが、手が使えないので、その場合ベルトを外してズボンや下着を下ろすところまで介助されなきゃいけないとかなんという恥辱。

 向こうもそこらへんの事情を鑑みて、見張り兼世話係を女性にしたのだろうけど、やはり飲み物(ストロー付き)に手をつけていないのはあまりにもあからさま過ぎただろうか。

 つか私の正体が割れた後、この指示を出した人物は、明らかに私の能力を正確に把握しているだろう。

 両腕を自由にしてしまったら、見張りの人間が危険だと判断しての『枷は外さずに』だろうから。

 だとすれば豪毅ではない。

 彼は私が御前から仕事を受けている事は知っていたと思うが、それをどのようにして実行していたかまでは、私が極力知らせないようにしていたから。

 いや、だって10代前半の少女が、殺す相手とはいえ大人の男に誘惑の限りを尽くしていたとか、教育に悪いにもほどがあるでしょう。

 再会したあの日、私の技を受けかけたにせよ、あれだけでその全貌を知ってはいまい。

 けど御前だとしたら、私をさっさと始末せずここに置いておく意味がわからないし。

 

 …ただ言わせてもらえば、私は女性を手にかけた事はこれまでにない。

 あてがわれるターゲットが男性しかいなかったというのもあるが、もし女性のターゲットを指示されていたら、御前に泣きついて断っていたと思う。

 その場合、私の評価はそれまで通りのものではなくなっていただろうが、できないというものを無理にやらせるよりは、御前はできる人間を代わりに選ぶだけな気がするので、結局は私にその経歴が付くことはなかった筈だ。

 ましてや、ここにいるのは11歳で藤堂家に来た翌日から私の身の回りの世話をしてくれた人。

 たとえ両腕を封じられていなくとも、彼女に危害を加えるなど、私に出来るはずもない。

 私にだってその程度の情はあるのだ。

 

「…今、中央塔の方はどうなっているんでしょう?」

 お手洗いの介助を頼む代わりに、気になっていることを口にする。

 

「モニターの用意ができますけれど、ご覧になります?

 豪毅様のチームと共に、決勝戦に勝ち進んで来たのは、姫様の御学友のチームとうかがっております。

 姫様としては、どちらを応援すべきか、迷うところですわよね?」

 ちょっと待て!学友って!?

 彼女には私の状況、一体どういう形で伝えられているんだ!?

 確かに今同じ制服を着ていて、当たらずも遠からずだけど、むしろ女の私が同じ制服を着てるってところに疑問は感じていないのか!?

 …と、思わずつっこみそうになったものの、

 

「……お願いします。」

 気になるのは間違いないので、素直にそう答えた。

 そうだ。今一番必要な情報はそこじゃない。

 そして私の要求が予想されていたかのように手早くモニターが置かれ、映像が浮かぶや否や、清子さんは甲高い声をあげた。

 

「きゃあぁぁ!!黒薔薇のミッシェル様だわ!

 私、この方のファンなんですのよ!!」

 …そこに映し出されたのは、13歳の私に会うたびにお菓子をくれたおにいさんの、端正な美貌の大映しだった。

 

『姫との逢瀬は、このむさ苦しい訓練施設での、癒しの時間でしたから、こちらが御礼を申し上げたいくらいです。

 …いつか、またお会いできる日を楽しみにお待ちしております。

 その時、お美しく成長された姫に、今度こそ花束を贈らせていただきましょう。』

 修業を終えて帰る日、世話になった人に一通りの挨拶をして、最後に彼のもとを訪れて、こんな言葉を聞いたのが、言葉を交わした最後だった筈。

 もう5年なのか、まだ5年なのか。

 かの人の艶やかさは全く変わってはいない。

 

 てゆーかファンって、そんなスター選手みたいな…と思ったら、私がいるこの闘技場(コロシアム)は、今年の夏頃から観客を入れた闘技会を定期的に開いているのだそうで、その中でも彼の出場する試合はキャンセル待ちが出るほどの人気であるそうだ。

 …古代ローマのそれを模した闘技場(コロシアム)が、その通りの使われ方をしているなんて初めて知った。

 恐らくは彼女のような従業員は、そこでの試合が本当に命をやり取りするものだという事実は知らないのだろうけど。

 

 ていうか…次に、その対戦相手が映し出されたのは当然として…富樫!?

 おまえ、なんで下帯いっちょなんだよ!!

 

 ☆☆☆

 

「て、てめえ…ふざけたマネしやがって!!

 こうなりゃてめえも道づれじゃ──っ!!」

 毒で呼吸もままならず、手足の自由も効かない状態で、俺はドスを構えて奴に突きかかる。

 せめて身体が動くうちに、奴の身体にこいつを突き立ててやるぜ。

 

「フッ、そんな状態では、いくらあがこうと無駄なこと。」

 だがそんな俺の渾身の一撃も、軽く出されたミッシェルの長い脚にあっさり蹴躓き、不発に終わる。

 ただでさえ褌一丁の情けない姿なのに、その上更に無様に、俺は地面に転がされた。

 動いたことで更に毒が回ったものか、身体はますます痺れ、呼吸が苦しくなる。

 このまま何にもできずに死ぬとか、絶対に御免だ。

 

「だがわたしにとっても、こうあっさり勝負がついてしまっては、あまりにも味気ない。

 貴方に、一度だけチャンスを差し上げましょう。」

 と、なんとか気力だけでもう一度立ち上がった俺に、ミッシェルは涼しい顔のままそう言うと、マントの内側から何かを取り出した。

 

「これが貴方を救う、唯一の鍵です。」

「な、なんだと……!?」

 それは、直径15、6cmほどもある、なにやら装飾が施された鉄の球…なんだが、アレ?

 あのマントの裏側に、これ隠してたのか?

 どうやって持ってたんだ?

 ……い、いや、今はそんな事考えてる場合じゃねえ。

 

「この鉄球の中に、貴方が吸った毒香に対する、解毒剤が入っています。

 つまり貴方は、これを飲めば助かるというわけです。

 さあ、これを差し上げましょう。

 …もっとも厚さ5cmもあるその鉄球、そう簡単に砕くことは出来ませんがね。」

 そう言ってバカにしたように笑うその顔に、到底不可能だろうという嘲りが見える。

 だが、男塾魂をなめんじゃねえ。

 生きる方法があるなら、まずはそれを試す。

 

「ぬおお──っ!!

 く、くそったれが──っ!!」

 地面にこれ見よがしに落とされたそれを拾い上げ、闘場の固い地面に叩きつける。

 

「な、なんちゅう硬さじゃ、この鉄球は!!」

 …冷静に考えれば、岩に叩きつけたくらいで鉄の球が割れるわけもない。

 普段、桃やJみたいな規格外と一緒にいて、俺も相当、普通の基準がおかしな事になってるとは思う。

 

「さあ、どうしました。

 死への秒読みは既に始まっているのですよ。」

 とにもかくにも、割らなきゃ命はねえ。

 唯一の生に向けて足掻く俺に、ミッシェルはニヤリと厭な笑みを浮かべる。

 

「なんて奴だ。あのミッシェルとかいう野郎。

 奴はチャンスを与えたんじゃねえ……!!

 富樫の、命を賭けた必死の行為を楽しんでいやがるんだ。」

 自陣で伊達が苦い声で呟くのが聞こえた。

 ああそうだろうぜ、薄々判ってた。

 

「聞いたことがある……!!

 ラ・メルヴェルという拷問法を……!」

 それに続き、息を呑むような桃の声が聞こえた。

 

 ラ・メルヴェル…

 17世紀フランスブルボン王朝では、貴族政治の退廃は極限に足していた。

 彼らは退屈を紛らわすべく囚人相手に、恐るべき拷問法を考案した。

 それがラ・メルヴェルであり、毒を飲まされた囚人が解毒剤を求め、割ることの不可能な鉄球相手に、もがき苦しむのを見て楽しんだという。

 ラ・メルヴェルとはこの鉄球を意味し、現代でもフランス各地の博物館に現存する。

 

民明書房刊『西欧文明ーその爛熟と退廃ー』より

 

 …こういう説明は、雷電がいれば奴の役目なんだろうな。

 やばい、走馬灯が見えてきた。

 しみじみ思い返してる場合じゃねえんだ。

 

「と、富樫、根性じゃ──っ!!

 気合いだ、もっと気合いを入れろ──っ!」

「くりゃあ──っ!!」

 自陣から叫ぶ虎丸の声に引き戻されるように、砕けた岩の尖ったところを、渾身の力で叩きつける。

 だが、その瞬間に俺の手の中でその岩は砕け散り、ついでに打ちつけた拳が、意外なほど痛みを感じない事に逆に呆然となった。

 感覚すら麻痺するほど毒は回っており、恐らくもう一刻の猶予もない。

 

「フッ、どうやら諦めたようですね。

 残す時間もほとんどない事ですし。」

「な、なめるな……!!

 この男塾一号生・富樫源次。

 あ、諦めるなんて言葉は知らねえぜ。」

 この策が破れたら、後はない。

 やらなきゃどのみち死んじまうんだ。

 俺は球を持ち上げると、奴が下りてきた階段の下にそれを落とした。

 それからその急な階段を駆け上がり、今は閉じられている扉を通り越して、藤堂ジジイの像によじ登る。

 なんか、つくづく俺は、高いところに縁がある気がするな。

 ナントカと煙は高いところってか。

 ってやかましいわ。

 改めてそこから下を見ると、その相当な高さに目眩がしそうになる。

 いや、この目眩は毒のせいか。

 そう思えば、多少ビビってるのも、自分自身に対して誤魔化せる。

 兄貴の形見の学帽の鍔を後ろに回して、深呼吸。そして。

 

「いくぜい──っ!!」

 そこから足で空中へ蹴り出し、俺は頭から飛び降りた。

 目指すは、解毒剤の入ったあの鉄球。

 真っ直ぐに落下した俺の頭が、正確に脳天にぶち当たる。

 頭の中でぐわんぐわんと鐘が鳴ってるみたいな感覚のあと、俺の体は地面に叩きつけられた。

 

「ああっ!!だ、だめだ──っ!

 玉はビクともしていねえ──っ!!

 と、富樫の決死のダイビングも通用しなかった──っ!!」

 虎丸が叫ぶ声がまた聞こえるが…少し黙れ、アホ。

 今大声出されると割とキツい。

 だが…手応えは、あった。間違いない。

 

「フフッ…愚かなことを。

 そんな馬鹿な方法で鉄球を割ろうなどとは…!!」

 呆れたようなミッシェルの声とともに、傍の鉄球から、ピシッという音がする。

 次に、小さく生じた亀裂が広がり、粉々に砕けた球から、ガラスの瓶が転がった。

 それを引っ掴んで、口に持っていき、口でコルクを引っこ抜いてから、中の液体を口に流し入れた。

 

「馬鹿な方法だと……!?

 ヘッ、確かにいただいたぜ、解毒剤……!!」

 ここまでさせて解毒剤が偽物だったりしたら完全に終わりだったが、そんな事もなかったようで、手足の痺れが徐々に消えてくるのを感じる。

 肺の機能も戻ってきて、息苦しさも無くなったところで、俺は立ち上がりながら、奴に向かって笑ってみせた。

 

「これが本当の石頭、なんちゃってな……!!」

 言いながら帽子の中に仕込んでいた石を地面に振り落とす。

 

「うおおっ!!やったぜ富樫ーっ!!」

 …そしてうちの相棒は、喜ぶ時も嘆く時もよく叫ぶ。

 

 ☆☆☆

 

「馬鹿かお前は!」

「…姫様!?」

「……すいませんなんでもないです。」

 用意されたモニターを清子さんと一緒に見ていて、男塾に身を置くようになってからついた、心の声がだだ漏れる癖が思わず出てしまい、慌てて口を噤む。

 影慶やディーノと一緒にいた時なら堂々とつっこんでいたが、さすがに女の人の前では自重したい。

 けど、ついその言葉が口から出てしまった私の気持ちだけは、理解してもらえると思う。

 

 富樫…お前それ、一歩間違ったら普通に自滅だからな!!

 これは多分、最初にミッシェルが発言した、『簡単に砕くことは出来ない』といういわば誘導に、あっさり引っかかってしまったのだろう。

 確かに『砕く』事は普通には出来ない。

 分厚い鉄で出来ているのもさることながら、球体というのは受けた衝撃を散らす形状だ。

 けど、中にものを入れる構造になっている以上、『開ける』事は出来るはずなのだ。

 だとすれば恐らく、球の表面に施された装飾は鍵のようなものか、或いは継ぎ目を覆う為のものだろうと推測できる。

 ならば、その継ぎ目を見つけドスの刃を隙間に差し込んでこじ開けるとかすれば、簡単ではないだろうが、富樫の力なら不可能じゃない。

 少なくとも、あのとんでもない高さから飛び降りて頭突きで破壊するとかよりは、確実で安全な方法だったと思うぞ私は。

 おまえは発想が脳筋すぎる。

 

 というか今更だけど、解毒剤って事は毒を使われていたわけだよね。

 闘場の2人の足元に、紫のバラがたくさん落ちているところを見ると、あれが例の毒香のバラなのか。

 縄ばしごの向こうには影響がなさそうな事を考えれば、ある程度空気に触れれば分解される成分じゃないかと思うけど。

 とりあえず富樫が、無事かどうかはさておき生きてることに、密かに安堵の溜息をついていると、塔の方からスピーカーを通じて、男の声が闘場へ響き渡った。

 

『いつまで遊んでいるつもりだ、ミッシェル。

 いい加減に決着(ケリ)をつけんか。』

 …なにげに御前の像の方から聞こえてくるせいで、御前が言っているような感じになっているのだが、これは…!

 

「あら、この声は豪毅様ですわ。

 …あ、姫様は、帰国された豪毅様には、まだお会いしていませんでしたね?

 豪毅様、すっかり大人になられたのですよ。

 …あの時、菊乃さんのやり方に異を唱えて、姫様がお世話を買って出てくださらなければ、豪毅様は恐らくこの歳まで生きられなかったでしょう。

 今の大きくなった姿を、豪毅様自身も、早く姫様に見ていただきたいと、きっと思っておりますわ。」

 と、清子さんがなんかしみじみ言いだしたけど、大きくなった豪毅には私は既に会っている。

 まあ、その事を言うわけにはいかないが…確かに、久しぶりに会って大きく育った彼を見て、言葉にできない想いを抱いたのは確かだ。

 ちなみに菊乃さんとは当時豪毅付きだった女中さんで、藤堂家の女中頭だった人だ。

 三男の乳母として雇われて、一応上の4人一通り面倒を見てきた人であるらしいが、明らかに虚弱で他の子供より手をかけなければいけない豪毅のケアをあまりしてくれず、見かねた私が色々世話を焼くたびに『甘やかし過ぎ』と小言を言われていた。

 今思えば、どこの馬の骨ともわからない、養女として扱われていても養子縁組もされていない私は、完全に侮られていたのだと思う。

 最終的には言い合いになって、『どうせ手を出さないなら口も出すな』と一喝してからは、あまり顔を合わせることもなくなったのだが、まあつまり私とは、相性がとても悪かったわけだ。

 女中頭である彼女に最初逆らえなかった清子さんも、その件があってからは私に協力してくれるようになった。

 こうしてあの子が立派に成長して、御前の後継者に指名されるまでになったという事は、私の方が正しかった証明だと思う。

 本当に、よくここまで育ってくれた。

 

『おまえには、まだ働いてもらわねばならぬ。

 そんな下衆なフンドシ野郎相手に、無駄な時間を費やすことは許されん……殺れい!!』

 …けど口は悪くなったよな!そうだよね!

 男の子は大きくなると可愛くなくなるよね!!

 なんぼなんでもフンドシ野郎は止せ!!

 なんであんな格好(下帯いっちょ)になってるのか私も知らないけど、富樫は好きでやってるわけじゃない、と思う…多分だけど。

 割とデリカシーはあるタイプだし、あの子。

 

「かしこまりました、総帥。」

 けど、その言葉を聞いたミッシェルは、塔に向かって騎士の礼を取る。

 

「次の、赤いバラの棘や茎の先には、カスリ傷でも敵を倒す、即効性の猛毒が塗ってあります。

 もう香りで殺すなどとまわりくどい事をせず、これで一気に勝負をつけさせてもらいます!!」

 言って、マントの下に一旦腕を引っ込めたミッシェルに、富樫はドスを構えた。

 

「おおっ!!来いや、上等だぜ!」

 その手が震えているように見えるのは、やはり脳天へのダメージが尋常じゃないからだろう。

 ほんと無茶苦茶しおってからに。

 

「冥凰島奥義・殺薔薇棘薫(キリング・ローズ・フレグランス)!!」

 と、マントが翻ると共に、そこから無数の赤いバラが放たれた。

 

「キャ──ッ!これですわこれ!!

 ミッシェル様の試合は、攻撃のたびに闘場一面にバラの花が散りばめられて、彼の美しい容貌とも相まって、まるで幻想世界のような美しさなのですわ──っ!!」

 …なるほど。恐らく観客を入れる闘技場(コロシアム)では毒香バラはさすがに使わないだろうが、彼が闘いで放つ色とりどりのバラの乱舞は、確かにこれは人気になるだろう。

 

「猛毒、とは言ってますが舞台上の演出ということで、実際には痺れ薬だそうですわよ。」

 既に私より身を乗り出してモニターを眺めて、そう説明してくれる清子さんだが…うん、多分それ、一般人である使用人に対しての無難な説明なんだと思う。

 実際には古代ローマの剣闘士の闘いさながら、命のやり取りは行われている筈だ。

 仮にも藤堂財閥が行うイベント、そんなヌルいものであるはずがない。

 

「そりゃあ──っ!!

 こんなものがナンボのもんじゃあ──っ!!」

 …対する下帯いっちょのむさ苦しい学帽男は、自身に向かってくるその無数の深紅のバラを、ドスで次々と斬りはらう。

 たとえはたき落とされても、舞い散る深紅の花びらがこれはこれで美しく、富樫の単なる防御の為の行動が、まるで幻想世界の演出のひとつにされてしまっている。

 けど……あれ?

 今なんか一瞬、富樫の腕の動きがおかしかった気がする。

 そんな違和感を覚えた瞬間、唐突にバラを放つミッシェルの動きが止まった。

 

「あーん?どうした、もう弾切れか?

 それとも、俺にいくら毒バラを投げても無駄だと悟ったか!!」

「愚かな…躱すことに注意が集中し、痛さにも気がつかないとは。

 よく見てごらんなさい、御自分の背中を。」

「な、なんだと……!?」

 そう言われて、富樫は肩越しに自分の背中に目をやる。

 まあ普通、自分で自分の背中は見えないけど、幸いなことにというか、それは背中というより肩、左肩甲骨の腕側の上部に、真っ直ぐに突き刺さっていた。

 …カスリ傷でも死に至る即効性の猛毒が塗られた赤いバラが。

 

「うおお──っ!!」

 今ようやく気がついたと同時に苦痛までも感じ始めたのか、富樫は断末魔をあげて、ミッシェルの足元に倒れこんだ。

 

「と、富樫が殺られた〜〜っ!!」

 その光景に、泣きそうな声で虎丸が叫ぶ。

 

「…所詮わたしと貴方では、格があまりにも違いすぎたのです。」

 自分の足元に倒れた富樫を一瞥してそう呟いてから、ミッシェルは男塾の陣を、大きな動きで振り返った。

 …その動きすら、まるで舞台のワンシーンのようだ。

 

「さあ、どなたですかな?

 次にわたしのお相手をしてくれるのは!?」

「…そいつは、ちょっと気が早えんじゃねえかい?」

 だがその一幕は、足元からの声に遮られた。

 更に、次に起こった事に、その場の誰もが息を呑む。

 

「うおおっ!!」

「ヘッヘッヘ…まんまと引っかかりやがって。

 よく見るんだな、俺の背中に刺さったバラを…!!

 こいつは最初におめえが投げた紫のバラを、血に染めて赤くしたもの。

 つまり、こいつは俺が自分で刺したんだ……!!

 それをおめえは今、自分が投げ刺したものと勘違いし、油断したってわけよ。」

「き、貴様……!!」

 ミッシェルの綺麗な顔が屈辱に歪む。

 …なるほど。さっき富樫の動きに違和感を覚えたのは、そんな事をしていたからか。

 恐らく、次に来るのが赤いバラだとミッシェル本人が言ったあたりで、足元のバラを拾って用意していたのだろう。だが…。

 

「さあどうする、ミッシェルちゃんよ…このまま、その顔には似合わねえごっつい息子さんを握りつぶされてえか?

 それとも泣きを入れて、負けを認めるか…ふたつにひとつじゃ〜〜っ!!」

「うぐおお───っ!!」

 ミッシェルの背後から股間に手を入れ、()()をしっかり握りしめている富樫の姿に、私は思わずモニターから目をそらした。

 いや、私には()()はないから、実際の苦痛は知るべくもないが、一応人体の構造を知る者として、その痛々しさは見るに耐えないものがある。

 

「ま、まあぁ、なんて羨ま……いえ、下劣な…!」

 …清子さん、アンタ今変なこと言わなかったか?


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