婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝   作:大岡 ひじき

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プロローグ
1・汚れつちまった悲しみに


 確かに最初の晩は泣いたと思う。

 家族から引き離されて、わからない場所に連れてこられて。

 暗くて、怖くて、寒くて、お腹が空いて、喉が渇いて。

 でもすぐに、泣いてもどうにもならない事を悟った。

 そして忘れた。目の前にある現実以外を、全て。

 弱ければ死ぬ。戦わなければ死ぬ。

 

 

 殺さなければ……死ぬ。

 

 

 そして…

 

 

 

 気がついたら1人になっていた。

 

 ☆☆☆

 

「…驚いたな。本当に生き残るとは。

 御前が、見込んだだけの事はある。」

「あの子の素性を考えれば当然の結果だろう。

 あの血が欲しくて、御前は大金を積んだのだ。

 もっとも最初の1人を手にかけるまでは、怯えきって満足に動く事も出来なかったようだが。」

「そこからの思いきりが早かった。

 最後の1人など、本当に躊躇なく片付けてしまって、見ていて鳥肌が立ったよ。」

「しかも、勝ち残った後、回収に来た職員にも襲いかかったからな。

 2年前の件で職員も警戒していたから、怪我人が出る前にうまく取り押さえられたが、そうでなければあの時と同様、全滅させられ逃げられていてもおかしくなかった。」

「まあ暴れたのは反射的にだろう。

 あの時の少年のように、逃げようという明確な意志があったわけではないし、あれほど頭も働いていなかったに違いない。

 現に、取り押さえられた後は大人しくしていた。」

「この後然るべき修行場に連れて行って、最強の拳士に育て上げるのだろう?

 御前の手駒がまた1人増えるわけだ。」

「いや、あの子は日本に戻して、御前が手ずから育てられるそうだ。

 血筋が血筋だけに、武術を鍛えるより、暗殺の方の才能を、伸ばされたいとおっしゃってな。

 なので印も本当は付けたくはないが、付けるなら服の下の見えない部分にと固く命じられたゆえ、あの子だけは、孤戮闘(こりくとう)修了の証の刺青を、腕ではなく左肩甲骨の下に施す事になっている。」

「暗殺者の血筋か…。

 

 年端もゆかぬしかも少女の身で、まったく恐ろしい事よ。」

 

 ☆☆☆

 

「姉さん。」

 邸の離れの小さな庭で、咲き始めの梅の花を眺めていた私に、まだ変声期を迎えていないのであろう、高めの少年の声がかかった。

 ゆっくりと振り返ると、癖の強い頭髪と長い睫毛が印象的な少年が、微笑みながら歩いてくるのが見えた。

『姉さん』と呼ばれたが、この子は私の弟でもなんでもない。

 2年ほど前に私がこの邸に来てから、一応同じ敷地内で寝起きしている、「御前」の息子たちの1人だ。

 私も表向きは「御前」の娘として扱われているものの、実情としては『飼い犬』に近い立場だと思う。

 年齢は私の方がこの子よりふたつ上だったので、この子だけは私を『姉さん』呼びなわけだけど、この邸での地位は、この子を含めた「御前」のお子たちの方が間違いなく上で、本来なら傅かねばならないのだろう。

 もっともこの子以外の兄弟たちは、上の3人は私が来た時には既にここには住んでいなかったし、初めて顔合わせをした日の晩に四男が私の寝ている離れに忍び込んで来たのを、私が解除しなければ10日は続く激痛を右腕に与えてやって以来、数える程しか顔を見たこともない。

 この行動を、身の周りの世話をしてくれる女中さんには叱られたけど、「御前」は、

 

「まだ与えるとも言っていないものに、不用意に手を出そうとする方が悪い」

 と笑っていたっけ。

 そしてこの子には懐かれた。

 後で聞いたところによれば、私が撃退した四男には、酷く苛められていたのだそう。

 

 その、呼びかけた声が僅かに震えていたのを、私は聞き逃さなかった。

 

「…何かあったんですか?」

「やはり、姉さんにはわかってしまうのかな。」

 11歳という年齢に似合わぬ、少し大人びた表情で、彼は寂しげに微笑むと、ひとつ深呼吸をして言葉を続けた。

 

「遂に俺も、兄者たちと同じ寺に、修行に行く事になった。

 …少なくとも3、4年は帰ってこられない。」

 …言われてみればここ半年ほどは例の四男の姿を、遠目にもまったく見ていない。

 私の部屋は離れだし、邸はとても広いし、食事も別々に取っていて、会わずにいようと思えばいくらでもできるから、いない事にまったく気づいていなかった。

 ああ、これはうっかり言ったら「御前」に叱られそうだな。

『暗殺者』が気配に気づけないなんて、と。

 もっとも暗殺者の素養として、一般人の日常生活に、違和感なく溶け込めなければならないと、私をここで生活させているのも「御前」の意志なのだけど。

 

「…そうですか。

 寂しくなりますけど、ならばきっと、御立派になって帰ってこられるのでしょうね。」

 微笑みながら私が言うと、長い睫毛を瞬かせ、少し泣きそうな表情で、彼は私を見つめた。

 …ついこの間までは、並んだ目線が同じ位置にあった筈が、いつの間にか少しだけ見下ろされている。

 

(ひかる)…姉さん。」

「それを楽しみに、お帰りをお待ちしています。

 …そんな顔しないで。

 3、4年なんて意外とすぐですよ。豪くん。」

 言いながら、自分を慕う少年を見上げると、その癖の強い髪を私は、指先に絡ませながらそっと撫でた。

 いかにも愛おしげに、優しく笑って見せながら、そこに心は一欠片もこもってはいないけれど。

 

 ☆☆☆

 

「あの…申し訳ございませんが、お手をお貸しいただけないでしょうか?

 お恥ずかしい話ですが、鼻緒が、切れてしまって…。」

 春まだ浅い、小雨が降る小路で、困ったように声をかけてきた和服姿の小柄な女を、男は30そこそこと見た。

 少女の面影を残しつつ匂うような色香をも併せ持ったその美貌に、モダンな配色の和服がよく似合っている。

 手には鼻緒の切れた草履を持ち、それ故に片足がつけない不自然な体勢をそれでも保とうとしており、もう片方の手に握られた蛇の目傘が、体の揺れと共に傾いた。

 振り続ける小雨が、その肩と髪を濡らしてゆく。

 

「それはお困りでしょう。

 どうぞ、私の肩に手を置きなさい。

 私が挿げて差し上げますよ。」

「いえ、そこまでお手を煩わせるわけには。

 できれば傘さえお持ちいただければ、自分で挿げますので…あら?」

 草履を受け取ろうと手を差し伸べてきた男の長身を見上げた女は、驚いたように目を見開く。

 

「まあ、貴方様は…。

 私ったら、なんて方に声をかけてしまったのかしら。」

「お気になさらず。

 さあ、肩に手を置いて草履をこちらに。

 それからその傘をしっかり持って、できればその中に私も入れてください。」

「は、はい…誠に恐れ入ります。」

 男は女のそばに屈み込むと、女の手から草履を受け取り、その手を自身の肩に導いた。

 女の重さの一部がその肩にかかるが、その年齢の男にしては体格のいい彼に、小柄な女の重みなど気にするほどの事でもない。

 男は全く気づいていなかった。

 肩に触れた女の、もう片方の手の指先が、その首筋に今まさに触れようとしていることなど。

 そして。

 

 バサッ。

 

 何か軽いものが地面に落ちる音がして、肩から女の手の感触が消える。

 何事かと振り向こうとする前に、彼の想定しない低い声が、後方からかかった。

 

「危ないところであったな、中ちゃん。」

 男が驚いて立ち上がり、後ろを振り返る。

 そこには、彼より更に長身の禿頭の男性が立っており、何故かその腕の中に、件の女の小さな身体が、包まれるようにしなだれかかるのが見えた。

 足元に、女が持っていた蛇の目傘が転がる。

 先程の軽い音はこれかと、彼は頭の片隅で思った。

 次の瞬間ハッとして、もう一度男に目をやる。

 

「……江田島?

 貴様がなぜここに…危なかった、とは?」

「やはり気づいておらなんだようだな。

 この女、おまえの命を狙っておったぞ。」

「な、なんだと!?」

 彼は、自らが江田島と呼んだ男の腕の中にいる女を、もう一度見やった。

 当身でも食らったものか、どうやら昏倒しているらしく、目を閉じたまま動かない。

 

「そ、それは本当か?まさか、こんな女性が…?」

「暗器の類は手にしておらぬようだが、直前の動きからして間違いなく指拳の使い手よ。

 などと、おまえに言うてもわからんだろうが。」

 言いながら江田島という男は、腕の中の女を肩に担ぎ上げた。

 更に女の蛇の目傘を拾い上げ、それで降り続く小雨を遮る。

 そうしてから、まだ信じられぬという表情を浮かべたままの彼に、どこか楽しげにニヤリと笑いかけた。

 

「忍び遊びは程々にする事だな。

 さて、せっかくだからわしは、この小糠雨の中、美女との道行きを楽しむ事にしよう。

 ではな、中ちゃん。気を付けて帰れよ。」

 呆気に取られたまま江田島をただ見送った彼、内閣総理大臣・中曽根某(中ちゃん)は、その日誰にも知られぬ間に、暗殺の危機を乗り越えていた。

 

 ・・・

 

「旦那様、先程の女性なのですが…。」

 気を失ったままの女を運び込んだ別宅で、ひとまず寝かせる床を用意させた女中、事実上は妾の1人である女性が、おずおずと江田島に話しかけてきた。

 雨に濡れた服を着替え終え、頭を手拭いで拭きながら、江田島はそちらを見やる。

 

「どうした?目を覚ましたか?」

「いいえ。ですが…説明より、まずはご覧を。」

 女中は江田島を促して、先程の女を寝かせている部屋へ通した。

 その寝顔を見た彼は、驚いたように目を見開く。

 

「これは…本当に先程の女か?」

「ええ。

 お化粧したままではお肌に悪いと思い、拭いて差し上げましたところ…。」

「驚いたな。女は化粧で化けるというが…。」

 そこに寝ていたのは、匂いたつ色香をまとった30そこそこの女ではなく、整った顔立ちだけはそのままの、まだあどけなさの残る10代半ばであろう少女だった。

 

「さて…この娘、どうしたものか…。」

 未だ眠る少女の顔を見下ろしながら、江田島は我知らず独りごちた。




アタシ、オリ主に壮絶な過去とか特別な設定とか付けるの、本当はあんま好きじゃないんですが、これに関してはその前に書いてた女主人公との差別化がうまくいかなかった事と、男塾の世界ならなんでもアリだ!という開き直りが合わさって、気付いたらこうなっていました。

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