ある裏路地から始まった物語 作:UN
――あぁ、視線が痛い。
周りから注がれる視線をひしひしと感じながら目の前に並ぶ商品を見る。色とりどりにならぶそれは、男子にはあまり関わりのないものである布、つまり女性用下着だ。
若い男が一人でこんな店に入るなんて、はやり珍しいのか入った瞬間から好奇の視線の的になっていた俺は入店僅か三分で心が折れそうになった。
別に気が狂ったわけでも性欲を持て余したわけでも何でもない。今日俺がこの店を訪れたのはエトの下着を買う為だった。エトを保護した時、彼女はほとんど何も持っていなかった。服代わりにしていた布は血を吸い込んでとても着れた物じゃないし、それ以外では下着すら持っていなかった。とりあえず、彼女には俺のジャージを着て貰っているが、あの格好ではとても外出できたものではない。しかし、服や下着を買いに行こうにもそこまで行く服がないと来ている。なのでとりあえずは俺が一人で買いに来たという訳だ。
――で、どれを買えばいいんだ? これ。
一人で買いに来たのはいいのだが、女性の下着のことなんてさっぱりと俺は分からない。ショーツがどうとか、色がどうとか、その辺りはさっぱりだ。彼女どころか学校に行っていない俺には女友達すらいない。それに加えて、一番相談できそうな妹も今ではいないときた。意を決して店には入ってみたもののハードモードだった。
――こりゃ、エトにどんなものがいいのか聞いておけばよかった。
セクハラになるといけないため聞かずにきたのだが、それは失敗だったと反省する。下着ショップを俺は舐めていた。まさかここまで右も左も分からないとは思ってなかった。
――まぁ、とりあえず無難な色のやつを二枚ずつくらい買っておくか。
とりあえず、買っておいて、もしも気に入らなかったのなら後日自分で買いに行ってもらおう。服に関していえばマネキン買いをするつもりだ。こちらも、気に入らなければ自分の好みの服を買いに行ってもらうつもりだ。服やらファッションやらに興味のない俺に服のセンスがあるとはサッパリ思えんため、とりあえず無難所に抑えておいて後日に好きにやって貰おう。
――とりあえず、ショーツはいいとして、問題はブラジャーか。ブラジャーってあのくらいの歳の子でもいるのかな?
恐らくエトの年は見た目からして十から十二歳くらい。そんな少女にブラジャーがいるのかどうかなんて俺にはさっぱり分からない。どうするべきかと悩んでいた時だった。ふと、声を掛けられた。
「あの、何かお困りですか?」
急に掛けられた声に少しだけ驚きつつも、そちらを向けば、若い女性の店員がいた。店内に男一人でいた俺を不審に思ったのかそれとも困っている客を助けようとしているのかそれは分からないが、声を掛けてくれたことは助かった。しかし、客観的に見て見れば今の俺は女性用の下着専門店で右往左往している男だということを思い出し、恐らく前者だろうと気付いた。
まぁ、でも店員さんがどういう理由で声を掛けてくれたかは置いておいて、結局この声掛けが俺にとって蜘蛛の糸だと言うことには変わりない。
「あの実は下着が欲しくて……」
「誰かにプレゼントですか?」
「まぁ、そんな感じですかね」
「彼女さんとかでしょうか?」
「あぁー……」
ここで少し言葉に詰まった。エトと俺の関係は果たしてなんといったものだろうか……。端的に素直にいうと、昨日拾ってきた女の子となるのだが、それではただの犯罪者だ。間違いなく警察にしょっ引かれる自身がある。なので、誤魔化す必要があるのだが、この場合どうしたものか。彼女というにはエトは幼すぎる。
「――妹です」
結局口から出た答えはそれだった。
「い、妹さんですか……」
そう言った店員さんの笑顔は少しばかり引きつっていた。
――あっ、これは失敗した。
店員の人からして見れば今の俺は、妹に下着をプレゼントしようとしている兄貴になる。そりゃそんな何とも言えない難しい顔になるはずだ。
しかし、もう後には引けない。ここまで来たら押すのみだ。そして、もうこの店には来なければいい。
「えぇ、まぁそんなところです」
結局買い物は店員さんの助言があったこともありスムーズに終わった。ちなみにこれは余談になるが、会計時にレジの金額を見て笑いが出そうになった。なんで、あんなヒラヒラのちっこい布を四五買っただけで、俺の一か月の食費以上の金額になるんだよ……。思わず二度見てしまった俺は何も悪くはないだろう。
「ただいま」
買い物を終え、家に帰る。
「…………」
部屋に入ると部屋の隅でエトがちょこんと座っていた。その目にはまだ警戒の色が見える。昨日の話し合いでエトとの距離を大分縮めることに成功したのだが、それでもまだ壁は高いようだ。
「ただいま、エト。とりあえず、服と下着を買ってきたから後で着て見てくれ。適当に俺のセンスで買ってきたから気に入らなかったら自分で好きな物を買ってきてくれていいから」
何やかんや下着や普段着以外にもパジャマやら布団やら色々と買ってきたため、意外と大荷物になってしまった。両手いっぱいに色々と抱えながらリビングに入るとそこには部屋の隅にちょこんと座っているエトがいた。警戒はどうやらまだまだしているようだが、殺意を飛ばしてくることは少なくなった。
「うん、ありがとう」
「どういたしまして……それよりも本読んでいるのか?」
座っているエトの手には本が一冊握られてあった。
「……うん、暇だったから」
「そうか、そうか。それで何を読んでいるんだ?」
「――ん」
短くそう言われて差し出された本。すこしばかり古ぼけた表紙は俺の本棚にあった一冊だった。
「不思議の国のアリスか……」
不思議の国のアリス。この本の題名を知らない人はいないといっていいほど世界中で愛されてきた本だ。ルイス・キャロルの傑作であり、内容は……それは最早語る必要もないだろう。
「……ぅん」
「字、読めたのな」
この少女が人間の学校に通っていたのか、それとも喰種の学校というものがあるのか、詳しいことは俺は知らないが、てっきり学校というものには行っていないとばかり思っていたため少しばかり驚いた。
「……ぅん、昔少しだけ教えて貰ったから簡単な……やつなら読める」
「そうか」
「でも、この本の中で読めない言葉もあった」
「ん? どの文字だ?」
「ぅん……例えばこれとか」
エトはその細い指で初めの方の一行を差した。
「それは『好奇心の赴くまま』って読むんだよ」
「こーきしんのおもむくまま……」
「こーきしんじゃなく、好奇心」
「こうきしん……」
「そうそう!」
「どういう意味?」
エトは首を傾げて俺を見た。
「好奇心は知らないものに対して知りたいとか、もっと見てみたいとか興味をいだく気持ち」
「じゃあ、おもむくまま……は?」
「赴くままっていうのは、気持ちを抑えきれずに気持ちのままに行動するということだよ」
――うんうん。
彼女はそう頷くと視線を本に戻した。
「じゃあ、こうきしんのおもむくままにって知らないものをもっと知りたいと思う気持ちを抑えきれずに行動しちゃうってこと……?」
――思ったよりもエトは聡明なのかもしれない。
彼女は俺が言ったことをどうやら完璧に理解したようだった。年端のいかない子供だというのに頭の回転はそうとうの物なようだ。
「そうそう、その通り……」
彼女の頭をポンポンと撫でる。
「むぅ……触らないで」
パンと手を弾かれる。
「悪い悪い。つい妹が出来たみたいでな」
うかつだったと頭を下げれば、エトはふんと鼻を鳴らした後、
「じゃあ、これは何て読むの?」
本を持ちながら聞いてくるのだった。
「あぁ、それは『じゅうたん』って読むんだよ」
「――じゃあ、これは?」
「それは――――」
こうして俺とエトのある日の昼下がりは過ぎていった。