ある裏路地から始まった物語   作:UN

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第二話

喰種の少女を保護した次の日の事。

 

――さて、どうするかなぁ。

 

台所に立ちホットコーヒーを啜りながら考える。外は昨日の深夜から降り始めた大雨が未だに降り続いており、屋根を叩く雨音が良く聞こえた。雨が降ったのは幸いだった。これだけの雨ならあの大量の血だまりは無理にしてもその殆どを洗い流してくれるだろう。そうなればここにCCGが来る心配もない。自然の力による証拠隠滅程力強い物はない。

 

――色々と買い直さないとなぁ。

 

ため息をつきながら部屋の隅にあるビニール袋を見る。どす黒く染まった中身は昨日の少女が身に纏った布だったり、俺のスニーカーだったり、カバンだったり、服だったりと、ようは血を吸い込んで色が変わり、とても使うことが出来ないものが詰まっていた。漂白剤をふんだんに使えば取れないことはないかと思ったが、匂いの方も相当染み込んでいそうなので諦めて処分することにした。時期をみて燃やして灰にしてしまおうと思う。

 

――まぁ、とりあえず起きるまで待つか。

 

チラリと後ろを振り返る。台所の真後ろにある扉の向こう、いつも俺が寝室がてらに使っていたその部屋の端の布団。小さく盛り上がったそこには昨日の少女が寝ていた。

 

――喰種の治癒力は凄いというが、ここまでだとはなぁ。

 

昨日の事を思い出す。あれだけの大けがをしていた彼女だが、俺が彼女を抱えて部屋に着くころにはその傷の殆どが治っていた。喰種の治癒力やら再生力は凄いというのを何処かで聞いたことがあるが、あそこまでだとは思っても見なかった。

 

――うーん。

 

一つ伸びをする。体のどこかからかパキパキという音がなった。床で寝たため体中がこわばっているようだ。

 

そして、コーヒーを一口啜る。

 

少しだけ眠気が収まった気がした。

 

気を失った少女の体をタオルである程度拭きそのまま布団に投げ込み、と血の付いたものをゴミ袋に叩き込んだ後、色々と表で作業をして台所の床で寝たため、寝たのは深夜だ。少しばかり寝不足気味だった。

 

――まぁ、とりあえず、彼女が起きるまでは何も出来ないか。

 

首筋をさする。包帯を巻いたそこは、押さえると少しだけ痛みを感じた。

 

――さてさて、この少女はどっちなのかな……。

 

もしも、この喰種の少女がアイツと同じであったら、俺はきっとこの少女に殺されるだろう。特に鍛えている訳でも、武術に精通しているわけでも何でもないただの一般人では喰種には太刀打ちできない。例えそれが子供であっても喰種と人間の差は大きい。武器も何も持っていない俺は、少女がその気になれば何の抵抗もなく殺されるだろう。

 

――もしも、殺されたとして、それでも俺はいいのか?

 

そう自分に問いかける。

 

――あぁ、問題ない。俺はヒトとして正しい行いをした。それで死ぬのなら本望だ。

 

出た答えは昨日と同じ。

 

そうだ、あそこでこの少女を見捨てて逃げ出すよりも、包丁で襲い掛かるよりも、少女を助けたほうが良い。例え、その上で俺が死んだとしても、あのまま少女を置き去りするよりも、彼女を刺すよりも、後悔がないし、俺“らしい”。

 

俺には、生きていく理由は確かにあるが、死なない理由はない。

 

だから、別にこの喰種の少女に襲われて死んだとしても特段問題はないわけだ。残された家族も恐らくいないことだし。

 

それに今までの前提は少女が“アイツ”と同じような喰種の場合だ。もしも、彼女が話を聞いてくる喰種であったのなら話し合いでどうにかできるかもしれない。

 

まぁ、そしてこれは万が一の話になるが、もしもあの子に俺が殺されることになったとしたら、一つだけお願いしたいことがある。

 

――もしもの時は、残さず食べてほしいものだ。

 

無駄死にだけは勘弁してほしいものである。

 

屋根を叩く雨音を聞きながらこんなことを考えている時だった。

 

のそりと、部屋の隅の布団が盛り上がった。

 

――さてさて、どうなることやら。

 

未だに湯気が上がっているマグカップを置くと、ゆっくり少女に近づいていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――さて、お互いに自己紹介をしようか」

 

あれから少しばかり色々あって、少しだけ風通しがよくなった部屋で目の前に座る少女に言う。辺りには先ほどまで壁だったものの破片やら机の破片やらが飛び散っており、踏む場所を間違えると怪我をしそう状況だった。

 

ボロアパートで、外観がすでにお化け屋敷だと言うのに、この部屋の状態だと完璧にお化け屋敷そのものだ。不幸中の幸いというべき点は被害があったのは隣の部屋との壁と机だけであり、床や天井は無事だと言う点だ。これなら外にばれることはない。ポスターや壁紙を上から貼れば誰にもばれないはずだ。心配すべきは引っ越す時だが、このボロアパートが廃墟になるのが先か、俺が引っ越すのが先かと、なれば恐らく前者のほうが早そうなので大した心配はなさそうだ。

 

「…………」

 

特に服も何も持っていなかったため、少女には俺のジャージを着て貰っている。昨日の布はとても纏えたものじゃない。少女は小柄だったため、身長が日本の男子の平均身長よりも8cmほど高い俺の服を着ると服の袖も、ズボンの裾も余ってしょうがない。服を着ると言うよりも服に着られている少女は黙って俺を見た。少女の手には一冊のノートが大事そうにしっかりと握られていた。少女が唯一持っていた持ち物だった。

 

その目にはさきほど比べると憎しみや憎悪という感情の色は少しだけなりを潜めていたが警戒の色は濃く出ていた。

 

「さて、俺の名前は……。おっと、さっき言ったな。別に名前で呼ばなくてもキミが好きなように呼んでくれればそれでいいから、好きに呼んでくれれば助かる。名字以外であるなら好きに呼んでくれればいい。趣味やら特技やらそんな大それたものはないけど、言うなれば料理はソコソコできるよ。後はブラックコーヒーが好物だ。それと色々あって現在一人暮らし、家族はいない。得意科目は生憎、学校にはいってないけど、多分国語。こう見えて本を読んだりするのが好きなんだ」

 

少しだけ大げさに明るい声で話す。笑顔で相手の目を見てゆっくりと。

 

「出来れば君の名前を教えてほしい。もちろん、自分の名前が嫌いだと言うのなら無理には強制しない」

 

――この世には自分の名前に恨みすらある人間がいる。

 

自分の名前を書くたびに、自分の名前が呼ばれる度に……。

 

「……エト」

 

少女は視線を俺から逸らすと、呟くようにそう言った。

 

大雨が屋根を叩き、雨音が響く部屋の中でその小さな呟きは消されることはなく俺の耳に届いた。

 

「エト……そうかじゃあこれから俺は君の事をエトと呼ぶけどいいかな?」

 

俺のその問いかけにエトは、小さく頷いた。

 

「うん、分かった。これからよろしくな、エト」

 

丸まる様に座っているエトに右手を差し出す。

 

「…………?」

 

差し出された右手を見て首傾げるエトに、

 

「握手だよ、握手」

 

そう笑いかける。

 

エトはしばらく俺の顔と差し出した右手を交互に眺めると、

 

「……ぅん」

 

恐る恐るといった様子でゆっくりと自分の右手を差し出してきた。

 

「これからよろしくな、エト」

 

小さなその手は温かく、それは人間の少女の手と何ら遜色ないように感じられた。

 

「…………ぅん」

 

そう、これが俺と喰種の少女、エトとの本当の意味での始まりだったのかもしれない。

 

「それじゃあ、まずはルールを決めよう。まず一番大事なことだ。エト、君は自由だ。だから、ここが嫌になったら好きに出て行けばいいし、逆に気に入ったのなら好きなだけここにいればいい。これだけは忘れないでくれ、君は自分の意思の上で行動してほしい。じゃあ、次――」

 

屋根を叩く雨音は留まる気配はない。結局雨は、その日一日降り続いた。


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