ある裏路地から始まった物語   作:UN

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第一話

食物連鎖の頂点とされる人を……。

“食糧”として狩る者たちが存在する……。

人間の死肉を漁る化け物として彼らはこう呼ばれる――――――

 

――――――「喰種(グール)」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ヒトは中身が重要だ。

 

とはありふれた考えで、ありよく聞く考えだが、この言葉の意味を本当に理解している奴らというのはごくわずかだろう。結局のところ口では何とでも人間は中身だ、とか外観でその人の価値は決まらないとか綺麗ごとを言うが、その実内心では、イケメンや美少女の方が好きな奴が多いだろうし、テストの点数という目に見える外観で人の優劣を決める人間が多いだろう。

 

特段それを否定するつもりはないが、そいつらが言う「ヒトは中身が重要だ」という言葉は本当の意味でそう使われているのかについては疑問を投げかけたい。俺には良い外面をアピールするパフォーマンス的な物としか思えない。

 

こんな偉そうなことを始めから言ってはみたものの、所詮俺は生まれてまだ十七年程度の若者であり、ヒトは中身が重要だ、という言葉の意味を自分自身でちゃんと使っているのかは自分でも疑問に思う所だ。

 

まぁ、しかしすこーしばかり運が人並みになかった俺はそれなりに色々なことを体験してきたわけであって、平生の世に暮らす一般家庭の皆様よりかは「ヒトは中身が重要だ」という言葉を真の意味で理解していると思う訳だ。

 

――自分が犯したわけでもない罪で周りから後ろ指をさされるというのは、中々に辛いものがある。

 

そう、まぁ俺のこれまでの半生を語るとまさにこれだった。深い事情についてはここで語るには原稿用紙と時間というものが圧倒的に足りないし、それに俺の心の準備も出来ていないので割愛させて貰う。まぁ、語るべき場面が来たら語ると思うし、もしその場面が来ないなら来ないで、それでいい。いや、俺としては漱石やら、太宰やらの小説並みに暗い俺のこれまでの人生について語る時が来ない方が嬉しいんだけどな。

 

――ヒトは中身が重要だ。

 

さて、話は元に戻るが、実はこの言葉は今は亡き俺の親父の受け売りである。事あるごとに親父はこの言葉を俺と妹に聞かせた。「いいかい、ヒトは中身が重要だ。周りではなくその中の物をじっと見つめて判断しなさい。そして、お前たちは常にヒトとして正しいことを心掛けなさい」親父のこの言葉を俺と妹は何度聞いただろうか。耳にタコが出来るくらいに聞かされたこの言葉は死んだ親父のことを思い出すたびに今でも思い出す。

 

――ヒトして正しいことを、か。

 

ヒトは中身が重要だ、とセットで親父がよく使っていた言葉だ。ちなみに、ヒトとして正しいことをなんて言っているが親父曰く、正義はどうやっても自分よがりになるから、ヒトとして正しいことをというのはイコール自分が正しいと思ったことを、ということになるらしい。今でこそこの言葉の意味も分かってきたが、こんな言葉を小学生の下の毛も生えないガキの内から聞かせて置いて本当に意味が理解できると思っていたのだろうか……。まぁそのことを聞こうにも生憎親父もお袋ももうこの世にいやしないので聞くことは出来ないのだが。

 

結局、俺が長々と何を言いたかったのかというと、

 

――ヒトは中身が重要だ。ヒトとして正しいことを。

 

この二つの言葉俺の思想の中枢を担っていて、今回のあの薄汚い裏路地から始まった物語の幕を開けることになったという事だ。

 

そう、俺と彼女の物語は、物語の始まりに相応しい春という季節に、物語の始まりにはふさわしくない薄汚れた裏路地から始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――東京の夜は明るい。

 

日本の首都であり世界有数の経済都市である東京。日本の人口の約一割以上が暮らすこの都市では常に雑踏が溢れ、野望や野心が渦巻いている。深夜まで明明としたネオン街やビル群が列をなして立ち並び夜だと言うのにまるで星の瞬きも月明かりも届かないのが東京と言う街だ。

 

まぁ、しかしそれは東京でも一部の話であり、いくら一千万人が暮らす街だと言っても、裏路地やら空き地やら人気のない光の届かない場所というのは存在する。

 

――あぁ、少しばかり遅くなったな。

 

左手に着けている安物の腕時計で時間を確認すれば後二十分ほどで十一時を迎える時間だった。少しばかりバイトが長引いてしまったため、いつもより十五分ほど遅い時間だった。辺りは闇に包まれ、申し訳ない程度に設置してある電灯が寂しげに光る。辺りに人影はない。それはそうか、人ではないヒトが色々と話題になっているご時世だ。よっぽどのことがない限り、日が落ちた後に暗い裏路地を通ろうとする人間は少ないだろう。

 

そう、俺はそのよっぽどのことがある人間だった。

 

俺だってこんな薄暗い人通りが少ない裏路地なんて通りたくないが、家の方がそこにあるものはしょうがない。大通りから迷路のような裏路地を十分ほどあるいたボロアパートが我が城だった。

 

破格の安さと引き換えに立地は最悪駅からも遠ければ、人通りの少ない裏路地の奥のほうにある築うん十年の我が城は、二階に上がるまでの階段はペンキがハゲ、錆びて今にも穴が開きそうな状態であり、壁にも所々にひび割れがある。それに部屋のカーペットの裏にはひび割れた床もあり、隣の部屋との壁の厚さはおそらく数cmだろう。俺の他に入居者が一人しかいない人気がない理由も少しわかる。場所も少し人通りから離れた場所にあるし、近年色々と喰種が話題になっている世の中じゃあこんな物件に住みたがらない人が多いのも頷ける。

 

それに極め付けは数か月前にそれまで隣に住んでいた人が行方不明になった物件だ。寧ろ住んでいる人の気質が疑われるような物件だ。

 

そんなどーでもいいことを考えながら足を進めていた時だった。

 

――それは先ずは匂いとしてやってきた。

 

場所我が家まであと、曲がり角を二回曲がれば着くといった所。

 

――何だ、この匂い?

 

何処からか漂ってきた独特の匂いに思わず進めていた足が緩やかになった。別に異臭がするのが珍しい訳ではなかった。普段からこの通りは色々な匂いが混じり合った最悪の通りだった。酔っぱらいが残していった吐瀉物なんて普段からよくあるような通りだ。

 

でも、今日の匂いはやけに鼻についた。遠い昔何処かで嗅ぎ馴れたこの香り……。

 

少しだけ警戒しつつも、家に帰るためにはどのみちこの道を通らないといけないため、足を進める。

 

――そして、俺は出会った。

 

それは次の曲がり角を曲がり、暫くしたところだった。電灯が切れかかり、薄暗い短い直線、その中ほどで俺は視界端、ちょうど右下辺りに布のような物が目に入った。生暖かい春風に揺れる布の中には何かがあるようだった。

 

――異臭が濃くなった。

 

一歩近づく、さらに異臭が濃くなる。電灯がちかちかと点滅する。薄暗い中で、それが何か分からない。

 

さらに一歩近づく。

 

――べちゃり。

 

視界に入る物体ばかりに気を取られていた俺は、その音で自分が水たまりのような何かを踏んだことに気付いた。視線を下に向ける。

 

その時になって俺はその異臭の正体が分かった。どこかで嗅ぎ馴れた匂いは、そうあの時だ。

 

――血まみれの部屋、ぐちゃぐちゃと響く音。腹の中を掻きまわされる感覚。――の笑い声。

 

あぁ、そうだ。この匂いは

 

――血だ。

 

足元には血だまりがあった。スニーカーが血を吸い込んでいくのが分かった。

 

足が止まった。そこまできて俺は漸く、さきほどから視界に入っていた物が何か分かった。

 

それは人だった。布のような物に身を包み、うつ伏せに倒れている人だった。癖のある長い髪が腰辺りまで伸びていた。身長から見るに子供だろう。その周りには血が流れており、俺のいる血だまりからその子まで血の線が出来ていた。恐らく、地面を這って移動したのだろう。

 

その時だった。倒れていた人影がピクリと動いた。

 

――生きている! 

 

その動きに我を取り戻した俺がその子に向かって一歩足を進めた時だった。

 

最後の力を振り絞る様に倒れていた人影が顔を上げた。まだあどけない顔つきの少女だった。

 

少女と目が合った。足が止まった。

 

――え?

 

チカチカと点滅する電灯の下、生暖かい春風が血のにおいを運ぶ。

 

――今にも死にそうな少女の右目は、紅眼(あかめ)だった。

 

紅く染め上がった眼は、薄暗い中でも不気味に光る。古今東西、人ではないというのが相場だ。人ではないなら、ヒトでしかない、それがこの世の理である。即ちこのことから導き出される結論は――

 

――この少女が喰種だということである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――喰種。

 

それは人に紛れ、人を食らう者。

 

――喰種。

 

それは時として、人を殺しその肉を食らう者。

 

――喰種。

 

それは、人間の敵であり、決して太刀打ちできない化け物。

 

――喰種。

 

そして、それは、俺の親父とお袋を殺し、俺の腹に風穴を開けた存在。

 

赤く光るその右目と視線が交差する。この世の全てを恨まんばかりに憎悪が込められたその目が俺を射抜く。

 

――あぁ、喰種だ。こういう時はどうすればいいんだ? 

 

頭の中が冷静なのか、それとも熱くなっているのか自分でも分からなくなってくる。

 

――CCGに通報か? いや待て相手は喰種だ。暢気に通報なんてしている間に殺されるかもしれない。ここはまずは逃げて距離を取って……。

 

「ウ……ウゥ!」

 

少女は低い声を出し、まるで威嚇するかのように俺を睨む。しかし、顔色も悪くどうやら起き上がることも出来ないようだ。

 

――あぁ、この喰種は弱っている。

 

起き上がることも出来ない喰種に少しだけ頭が冷静になっていく。

 

――喰種。あぁ、コイツは喰種だ。

 

血まみれの部屋。ケタケタと笑う甲高い笑い声。恐怖に染まる泣き顔。そして、熱くなる腹部とかき回される感覚。

 

――あぁ、喰種か。あの時の痛みを……

 

背負っていたカバンを下す。ぐちゃりと血だまりに落ちた音がしたが気にならなかった。その中から新聞紙に包められた包丁を取り出す。

 

――ここまで弱っている喰種になら大丈夫。

 

親父の無念を、お袋の仇を、そして妹の……。

 

包装をとき右手にしっかりと握る。そして一歩少女へと進めた時だった。

 

――いいかい、ヒトは中身が重要だ。周りではなくその中の物をじっと見つめて判断しなさい。そして、お前たちは常にヒトとして正しいことを心掛けなさい。

 

ふと、親父の言葉が甦った。

 

――ヒトは中身が重要だ。その中の物をじっと見つめて判断しろ。ヒトとして正しいことを。

 

親父はこの言葉をいう時に、「ヒト」という言葉を強調した。「人間」ではなく「ヒト」という言葉を使った。親父の思想はきっと、俺や妹に「人間」だけでなく、「ヒト」に対してもこの思いを持ってほしかったいうことだろう。

 

紅眼を持つこの少女は間違いなく喰種だ。でも、喰種というのはあくまで外見の話だ。この少女の本質ではない。

 

確かにこの少女は人間ではない。それがどうした。喰種だろうと人間だろうとヒトはヒトだ。

 

その前提のもと改めて目の前の少女のことを見てみる。

 

最早立ち上がることも出来ずに、ただ俺の事を威嚇しようと必死に睨んで来る少女。その瞳に激しい憎悪が見て取れた。

 

――あぁ、キミも同じなんだな。

 

この目を俺は知っている。そして、その強い視線の裏側に脆く儚い物があることも知っている。

 

その時だった。少女の口が小さく動いたのが目に入った。音にはならなかったが、何が言いたいのかは分かった。

 

――あぁ、俺は何をやってるんだ……。

 

冷水を頭からぶっかけられた感覚だった。今にも死にかけの少女に向かい包丁を持って近づく男。これがヒトとして正しいことだろうか?

 

――答えは断じて否。

 

外見だけで判断される辛さを知っているのは何よりも俺なのだ。そんな俺が喰種だからという外観で判断してどうする。

 

確かに親父もお袋も喰種に殺された。でも、それはアイツが殺したわけであってこの少女ではない。罪があるとすれば、アイツであり、俺が恨むべきもあの喰種だ。この子には何の罪もない。

 

途端に自分の行おうとしていた行為が恥ずかしくなった。

 

包丁をカバンに雑に放り入れ、そのままカバンごとそこらに放り投げる。そして腕まくりをしてゆっくりとその少女に近づく。

 

――ウゥ! ウガッ!

 

最後の力を振り絞る様に吠えるその少女に一歩ずつ近づく。

 

ぺたぺたと少し湿った靴音がする。

 

「大丈夫、安心して、大丈夫だから――辛かったよな」

 

そして、ゆっくりと少女の傍に膝をつくとそのまま抱擁するように抱きかかえた。

 

その子は軽かった。

 

――ヒトとして正しいことかどうかは分からない。でも俺は、これが正しいと思う。

 

俺にはこの少女の喰種がどんなヒトなのか分からない。もしかすればアイツと同じようにとんでもない奴なのかもしれない。でも、たとえそうだろうと目の前で死にかけている子供を見殺しにすることは間違っている。これだけは言える。だから助ける。

 

それに彼女のあの目に、あの声にならなかった言葉。

 

それを考えるとこの喰種の少女はそこまで悪くない奴ではないように思う。まぁ勘だけどな。

 

――え? もしも勘が外れてその子に食われたどうするって?

 

まぁ、その時はその時だ。運がなかったと諦めるね。勉強代を命で払ったと割り切ることにするよ。

 

抱きかかえた少女のボサボサの髪を撫でる。血にぬれて固まった髪は硬かった。

 

――ガブり。

 

そんな俺の首筋に彼女は噛みついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、それが俺と彼女の出会いだった。

 


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