やはり俺の女性関係は色々とまちがっている。 作:四季妄
「由比ヶ浜」
「……うぇっ!?」
放課後、教室でそっと声を掛ければ、予想以上に大きな声で驚かれた。周囲の人がばっとこちらを向く。俺もばっと反射的に仰け反る。やだ、なにこのちょっと不味そうな雰囲気。なるべく面倒にならないようにステルスしていたというのに台無しだ。まさに忍び。ちくしょう、ニンジャ死すべし慈悲はない。
「や、えと、なんでもないなんでもない〜、あはは」
無理があんだろ……と思いながら静観を貫いていると、意外なことに直ぐ様ざわざわとした喧騒が戻ってくる。はぁっと知らず貯めていた息を吐いた。いやマジで助かったわ。もうちょっとで、その、ほら、アレ。なんかこう死にたくなるところだった。ともあれ原因の一端を担った彼女と対面して話す。
「おい……必死に隠れて来た俺の苦労をどうしてくれる」
「ご、ごめんごめん。その、ヒッキーが教室で話し掛けてきたの、初めてだし……」
「あ? ……あぁ、そうだったっけ」
返しながらちらりと教室の端へ目を向ける。三浦や葉山らを筆頭としたグループのそいつらは楽しそうに談笑しながら、けれど何人かは時折ちらちらとこちらを窺っている。直接来られていないだけ、まだセーフラインという事だろうか。さっぱり理解できないが、リア充にはリア充独特のルールがあるのだろう。面倒くせぇなこいつら……。
「で、なんかようでもあるの?」
「いや、その、だな」
だがこっちもこっちで譲れない。なにしろ今日は俺達にとって大切な日である。詳細に言うならば俺達というよりこいつにとってだが、そこら辺の細かい部分を気にする男はモテないので気にしないことにした。気にしなくてもモテないと理解するのに時間は掛からなかった。
「……部室まで一緒に行かないか?」
「な」
がたっと由比ヶ浜が椅子から立ち上がる。今度は周りも注目しない。さほど大きな音が出なかったのが幸いしたのだろう。ぷるぷると小刻みに体を震わせながら、まるで恐ろしいものでも見たかのように目を見開いて、彼女はぼそっと呟いた。
「ヒ」
「は?」
ヒ、なに? ヒアルロン酸?
「ヒッキーが変だ――!?」
「おい」
なに、俺が人を誘ったらそんなに変なの? 脳内で軽く現在の行動をシミュレートしてみる。うん、変だな、十分におかしかった。なるほど、確かにそう言いたくなるのも頷ける。でも態々そこまで大きな声で言う理由なくね。やめろよ、くそ、泣いちゃうだろ。
「……別に嫌なら先に行くんだが」
「ちょ、や、あの、ほら! 別に嫌じゃないから!」
待ってて! とだけ言ってがたがたと由比ヶ浜は鞄へ荷物を仕舞い始める。合間にたたっと走って三浦達のところへ行き、二三言会話してからまた帰り支度。
「お、お待たせ。それじゃ、い、行く?」
「……おう」
別にそこまで焦らなくても俺は逃げませんよ?
◇◆◇
「誕生日、覚えててくれたんだ……」
「いえ、ただアドレスから推測してそこの男に確認しただけよ」
「ぶっちゃけ俺もその時になって思い出したわ」
「感動的なシーンが台無しだ!?」
がーんと衝撃を受ける由比ヶ浜だが、仕方ない。生憎と長年キング・オブ・ボッチだった俺は自分と家族以外の誰かの情報を覚えることに慣れていないのだ。そもそもとして他人と親しく接したのは中学三年からであり、それもたったの一人。つまるところ経験値皆無。
「思い出したのは結構なファインプレーだろ」
「そうね、基本名前すらまともに覚えようとしないあなたにしては上出来よ」
「ばっかお前、名前だけじゃなく顔も覚えようとしてない」
「自慢できることではないわね……」
どうであろうと大多数の人間は己と関係の無いところで生きるものだ。その中で人は自分と接する人間を見付ける訳だが、例えるなら俺の場合その領域が少し狭いのであって、数えるだけなら両手の指で事足りる。
「なにはともあれ、誕生日おめでとう、由比ヶ浜さん」
「あ、ありがとう……ゆきのん」
ストレートに言われたのが恥ずかしかったのか、由比ヶ浜がぽっと頬を赤く染めながらぼそぼそと返す。面倒くさく拗らせているように見えて、実際雪乃は正しく真っ直ぐな生き方をしている。捻くれて歪んだ生き方の俺とは真反対だ。だというのに意外と反りが合うのだから、世の中分からない。
「ほら、次はあなたでしょう」
「……あぁ、おう」
「ぅ……」
すっと由比ヶ浜と向かい合いながら、恥ずかしさを誤魔化すようにがりがりと頭をかく。言葉一つ発するのにこの心境だ。どこかの誰かさんが言った強いの意味が理解できない。俺が強いというのなら、世界中の人間が強いことになるだろう。
「まぁ、なんだ」
「う、うん」
「……おめでとさん。また一つ歳とったな」
「うん、ありが――いや予想以上に酷いよ!」
やべぇ、不味った。つい何時もの癖で捻くれてしまった。くそっ、こんな時に発揮されてしまうぼっちスキルが憎い。三菱のCMくらい憎い。ニクイねぇ、三菱。
「冗談だからな。……おめでとう、由比ヶ浜」
「……うん、ありがと、ヒッキー」
小さくそう言って、由比ヶ浜は微かに笑みを浮かべた。ふざけてばかりでは伝わるものも伝わらない。はぐらかすだけでは何も手に入らない。結局はどうであれ、何かをしなければ何も始まらなかった。だから今日、ここから始める何かがあっても良いだろう。
「という訳で、渡してしまいましょうか、これ」
「うわぁっ、これ、ゆきのんから?」
「えぇ、似合うと思うのだけれど」
「そうかな? えへへ、ありがと」
ぎゅっと雪乃に抱き着いて由比ヶ浜は溢れ出る嬉しさを伝えにいく。対する極寒の女王は暑苦しい鬱陶しいとでも言いたげな表情で受け流していた。されど無理に抜け出そうとしないあたり本気で嫌がってもいなさそうだ。なんだかんだで仲が良いんだよなぁ……。
「んじゃ、俺か。ほら」
「これって……」
「俺からのプレゼント、犬の首輪な」
「うわぁ……チョイスがヒッキーだぁ……」
なにそのヒッキーにどんな意味があんの、俺超気になるんだけど。とまぁ、一々気にしていてもいけない。だって由比ヶ浜だし。大方ノリと勢いと雰囲気と感じですぱっと言ったのだろう。そのくせ確信を突いていそうな部分がなんとなく怖い。
「それと、その……な」
「ん?」
もうそろそろ、というか。雪乃の方は名前で呼んでいるのに、同じ部活であるこいつの事を未だに名字呼びなのは違和感があるようで無かったようで結局無かったけどなんとなくスッキリしないというか。
「まぁ、なんつーの……」
「ヒッキー?」
踏み出すならばここだろうと、今日のこいつの誕生日を思い出してから考えていた。誰かの好意を受け止めるということを教えられて、誰かと一緒に過ごす事をまた夢見させてくれた。そんな彼女との距離が一定のままというのは、些か寂しいだろう。順番なんて関係無いが、始まりは誰でもない由比ヶ浜だ。だから。
「これからも、よろしく頼む……
「へ――」
彼女のを名前で呼ぶのは、間違っているだろうか。
「ヒ、ちょ、えぇ!? 嘘、え、え? ヒ、ヒヒヒッキーが名前で呼んだっ!?」
「動揺しすぎだろ。……マジか、そんな嫌だったのか」
「違うよっ!? むしろあの、イイと言うか、嬉しいというか……っていや、うん、そうだけどっ!?」
とりあえず落ち着こうな。わたわたと慌てふためく由比ヶ浜結衣を一旦押さえる。頭の中が暴走しすぎで熱とか出てるんじゃないかこいつ。
「あ、あたしも変えた方がいいかな……?」
「……別に、どっちでも良いぞ、俺は」
「じ、じゃあ………………ハ、ハッチーとか?」
ねぇそれどこのみなしご。
「却下で」
「えぇっ、なら……うーん。やっぱり、ヒッキー?」
「……まぁ、お前はそれが一番らしいかもな」
そう言って話を片付けようかと思ったところで、急に由比ヶ浜結衣がもじもじと人差し指を合わせながらチラチラとこちらの顔を窺い始めた。何をしているのかと不思議に思っていれば、ぼそっと。
「それとも……は、八幡、とか」
「……名前呼びってハードル高いよな」
「そ、そっちだってそうしたじゃん!」
こうして、由比ヶ浜の誕生日に、たったの三人の奉仕部は楽しい時間を作り出し、過ごしていた。