やはり俺の女性関係は色々とまちがっている。 作:四季妄
「……お前、は」
馬鹿なのか、馬鹿なのだろうか、彼女は。こう考えた時にいつも出る結論は同じだ。馬鹿なのは、俺だ。放っておいてくれれば、それで良いのだ。嫌って憎んで完全に関わりを絶ってくれれば、心置き無く過ごすことが出来たのだ。
「なんで……」
「分かんないの?」
回りくどい言い方はしない。普段は下手に誤魔化したり流されたりするくせに、時々こんな風に圧倒されるほどの強さを見せる。もしくは、俺がそう見えるほどに弱くなっているからか。
「――ヒッキーのこと、好きだからに決まってるじゃん」
比企谷八幡は人の心が分からなくはない。けれども人の気持ちは理解できないと言われ続けた。誰かを好きだと思う気持ちを知らないという事はない。むしろ、その心地良さも辛さも知っている。俺だってそんな感情を、
「分かんねぇよ……」
「っ……」
「なんでだよ、おかしいだろ、だってあの時、俺は」
「おかしくないっ!」
由比ヶ浜が涙混じりの声で叫ぶ。反射的に俯かせていた顔を上げれば、女子としてそれはどうなんだと言わんばかりにぐしゃぐしゃになった由比ヶ浜の顔が、直ぐ目の前まで迫っていた。距離が、近い。
「おかしくないよ、だって、楽しかったよ。嬉しかったよ。嫌じゃなかったよ」
ぎゅっと、由比ヶ浜の手が俺の制服を緩く掴む。その力は少し身を捩れば簡単に振り解けてしまうほど弱い。だからこの行動自体には、何の抑制力もないのだ。俺が本気で抵抗すれば容易く逃げ出せる。そんな簡単なことにすら気付いていないのか、それとも。
「嬉しいんだよ……っ」
「由比ヶ浜……」
決して俺が逃げ出さないと、逃げ出せないと、逃げ出す気がないと知っているからか。
「今もそう。あたし、こんな状況で、こんな風になってて、でも」
ぐいっと、少しでも動けば鼻先が付くほどの至近距離まで引き寄せられて、由比ヶ浜の瞳が目に映る。潤んで霞むそこにぼんやりと漂うのは、ぐらぐらに揺れている自分の姿だ。なくなっていく。否、元から少しも残さずなくなっていた。比企谷八幡を構成する大事な何か。
「ヒッキーと話せて嬉しいって、またこうして顔を合わせられて幸せだって思ってるんだよ……!」
「……ぁ」
遂にはぼろぼろと涙を流しながら、由比ヶ浜はただ只管に
「たしかに、最初は違ったかもしれない。ちょっとした罪悪感とかで、接したのかもしれない、けど」
あぁ、そのままだったら、どれ程幸せだったか。
「今は違うよ。絶対に、違う。だって嫌々付き合ってたらこんなに嬉しくないよ。楽しくないよ。――悲しく、ないよ」
ぐいっと袖口で乱暴に涙を拭い、すんすんと鼻を鳴らしながら、されど決してこちらから目を離さずに。じっと見詰められて、思い浮かぶのは疑問ばかりである。どうして、どうして、どうしてと、半ば思考停止した心が悲鳴を上げていた。時間にして言えばたった数ヶ月の付き合い、それこそ一年にも満たない終わった仲だ。どうして今更、蒸し返すのか。どうしてそこまで、俺に好意を抱いてくれているのか。どうして――俺は、あんなことをしたのだろう。
「っ……俺は、お前に……由比ヶ浜に、迷惑とか、そんなもん、掛けたくなくて……」
「迷惑なんかじゃなかった。全然、そんなの」
「違うんだよ……お前、周りの奴等がどんな反応してたのか覚えてるか?」
似合わない、つり合わない、趣味が悪い、何か弱味でも握られているんじゃないか、むしろ弱味を握って奴隷扱い。人の悪意というものは簡単に膨らむ。俺という存在がそれを加速させる要因だというのも知っている。だから学んで、距離を取って、諦め掛けた先で希望を見つけて、今度こそはと挑んで――繰り返し、繰り返し。
「俺はどう言われようと慣れてる。でも、俺のせいで由比ヶ浜がなんか言われるのは……違うだろ」
「は……、な……に、それ」
「だから俺は、そうならないように」
「どうしてっ」
怒っている? 泣いている? 動揺している? 笑っている? 分からない、分からない。何が何だか、全てがあやふやになっている。
「どうして、そうなるのっ!」
晴れた。何もかもが、明瞭に視界に映る。怒気を携えた由比ヶ浜がより詰め寄って睨んで来た。以前は酷く悲しんだ様子で鋭利に突き刺さってきた台詞が、衝撃を叩き付ける暴力的なものに変わっている。あまりのそれに一歩下がれば、由比ヶ浜は一歩こちらへ近付く。
「周りがどうとか関係無いじゃん! あたしはヒッキーと居たかった! そんでヒッキーも嫌じゃなかったら、それで良いでしょ!」
「そんな、簡単に……」
「それとも、……っ」
――おい、馬鹿。……お前、なんて顔をしてんだよ、由比ヶ浜。やめろ、やめてくれ、頼むから。
「……ヒッキーは、あたしのこと、嫌だった……?」
「――ッ!」
馬鹿が、馬鹿が、馬鹿が馬鹿が馬鹿が馬鹿が馬鹿が。
「……嫌じゃ、ねぇよ」
「だったら!」
頬を思いっきり挟まれて、無理矢理目を合わせられる。抵抗する暇も与えない。直後に由比ヶ浜は息を吸い、まるで校舎中に反響するくらいの大声で。
「勝手に決め付けて一人でどこか行かないでよ! あたしだってそんなの気付いてたよ! でも、それでも、あたしはヒッキーと居たかったよ!」
響いて、轟いて、鳴り渡り。
「……それくらい、ヒッキーのこと好きなんだよ」
その一言と、昼休み終了のチャイムが鳴ったのは同時だった。
◇◆◇
好意を直接伝えられたことは、何度かある。
『いやー、あたし、比企谷のこと結構好きだよ?』
好意を向けられるのが嫌ということではない。ただ純粋に慣れていないのだ。
『そうね、あなたのことは嫌いではないわ』
いつも悪意を受けているから、それ以外の純粋な感情を受け取ると酷く戸惑って、対処出来なくなる。
『まぁ、悪くはない、ですかね』
同時に、自分が好かれて良いような奴ではないと理解しているから、複雑な気分になる。
『意外と気に入ってるんだよ? 君のこと』
俺は誰かを信じたことがない。
『お兄ちゃんのこと好きだよ。あ、今の小町的にポイント――』
既に諦めてしまった。他人を信じて何かをしたところで、何が出来る訳でもないから。故に、比企谷八幡が信じられたのは自分だけだった。最初に決めるのは己であり、最後に決めるのも己である。
「……」
認めてしまえば、今までの自分を否定する事になる。今の自分をも否定する事になってしまう。俺が信じて辿って来た道が間違いだと、そう決定させるのだ。自然と握られた手は、爪が食い込む程に力んでいた。
「由比ヶ浜」
「……」
彼女は黙ってこちらを窺う。表情なんて、言うまでもないだろう。
「っ、ぁ……ぅっ」
言え、早く、時間はとっくに過ぎた、ゆっくりでいい。もう、俺の
「――悪、かった」
ごめんと、彼女は言っていた。自分も悪いのだと、俺にだけ押し付けるのは違うと。違っているのはその考えだ。俺が悪い。俺に押し付けて構わない。それでもきっと比企谷八幡は大丈夫だから。
「俺が、悪かった。だから、その、なん……だ」
駄目だ、拒否反応が凄まじい。一体今更どの面下げてとかそんなレベルではない。……でも。
「由比ヶ浜、俺と」
彼女は、最後まで想いを伝えてくれたから。
「俺と」
元々、原因を作ったのはこっちだった。別れを切り出したのは俺の方なのだ。ならば、それを元に戻す時もこっちからでなければいけないだろうに。
「……仲直り、してくれ」
「ヒッキー」
結局、また、こうなるのか。
「友達ってね、ごめんって言ったらなんて返すと思う?」
「それは……」
「いいよって、そう言うんだよ。だから」
希望に手を伸ばして、今度こそはと意気込んで。
「――いいよ。仲直り、しよっか。
「……あぁ」
比企谷八幡は何度でも繰り返す。
「その、あれだ、いいんじゃねえの」
「なにそれ、捻くれんなし」
その先に、何があるのかも分からないまま。
なんだこの告白シーンと書きながら思いましたが特に気にしないで下さい(タグを見ながら)