天地燃ゆ   作:越路遼介

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この大聖寺城の戦いは太閤立志伝3特別篇でも隆広の初陣です。


加賀大聖寺城の戦い

 北ノ庄城より海岸に向かって北上する柴田軍。隆広は初陣である。相手は本願寺の一向宗門徒の僧将である七里頼周。勝家の率いるのは一万二千、対して一向宗は二万。数はこちらの方が八千少ない。

 先陣は佐久間盛政、二陣は前田利家、三陣は不破光治、四陣は金森長近、五陣は柴田勝豊の軍団で、その後詰に勝家本隊がいる。中村文荷斎、拝郷家嘉、徳山則秀などの勝家子飼いの武将たちは北ノ庄城留守居である。大将勝家の左右を守るのは可児才蔵と水沢隆広。初陣で総大将の寄騎と云う位置にいる自分を不思議に思いつつも、隆広は合戦前の空気に緊張していた。

 

「ところで御大将」

「なんだ紀二郎」

 先刻に隆広と三対一で闘い敗れ、兵士となった高橋紀二郎が隆広に尋ねた。

「なして、宗教などが加賀の国を乗っ取れて、今回の戦いのように二万もの兵を動員できるのでしょうか。本来、宗教というのは人を救済するってモンじゃないのですか?」

「バカか! いまそんなノンキな質問してどうするんだよ!」

「これから起こる合戦の事を色々思案している御大将の邪魔すんなよ!」

 紀二郎の戦友たちが叱りつけた。

「まあ、いいじゃないか。戦う相手を再確認するのも悪くない。父からの受け売りだが簡単に説明すると、『宗教』というのは心の拠り所だな。支配と言い換えてもいい。まあ、あらゆる所で戦が起こり、多くの人々が不幸にさらされているこんな時代だ。皮肉な話だけれど、我ら武士にも責任はある。弱い心を持つ人たちが神や仏に救いを求めても不思議はないな」

 紀二郎は隆広の馬のクツワをとっている。馬上から分かりやすい説明をしてくれる隆広の話に聞き入った。

「まあ、そうですね」

 勝家と才蔵も共に隊の先頭にいるので、その話は聞こえている。彼らも耳を傾けていた。

「『一向宗』とは、親鸞が唱えた仏教の『浄土真宗』の事を指している。『南無阿弥陀仏』と唱え仏に身を任せれば、全ての人、例え悪人でも、極楽浄土へと成仏することが出来る、という教えだ」

「ずいぶんと都合がいい教えですね」

「ああ、だから踊らせやすいのさ」

「踊らせる?」

「ああ、熱狂的な信者から、ついに『一向宗による独立国を作ろう』という過激な思想が出てきた。それで国を『仏の治める国』とする事で、さらに多くに人々に仏の教えを広めて救済し、そして国に納める多額の『お布施』をする事で、さらなる仏の加護を得ようという事だ。しかしそれは言い方変えれば、いま国を治めている国主を武力によって追い出し国を乗っ取ろうという事だ。門徒の権力者は信者を踊らせ武器を取らせて挙兵し、やがて加賀は乗っ取られてしまった」

「なるほど」

「そして近年になるけれど、当初、一向宗の総本山の本願寺は大殿、つまり織田信長様に恭順していたんだ。五千貫の徴収にもすぐに応じて渡している。しかし、大殿の要求はそれだけで終わらなかった。石山本願寺の城、そのものを明け渡せと勧告した。大殿はどうしても禍根となり、脅威ともなりうる本願寺を押さえておきたかったのだと思うけど、本願寺の総帥である顕如はそれを拒否。ついに『仏敵、信長を討て』と全国の信者に命令したんだ。その指示に従わなければ、門徒を破門するとまで言った。

 さっき言ったとおり、宗教は心の拠り所。信者はそれを失うわけにはいかない。だから門徒は大殿に仕える殿の越前に攻めてくる。兵となる門徒は権力者にとっていくらでもいる。二万なんて数も動員できる。大殿や殿を倒す事が極楽の道に繋がると本気で信じているからだ。だから始末におえない。とはいえ、黙ってやられるワケにもいかないだろう? 我々はそれを倒して越前と北ノ庄の安寧を守らねばならない。そういうことさ」

「へえ~御大将は物知りですねえ」

「父の受け売りだよ」

 

「いや、そうだとしてもよくもまあ、そんなに詳しく話せるものだ。養父の隆家殿は何度も話して聞かせたのだろう?」

 聞いていた可児才蔵が感心したように笑っていた。

「ええまあ、ははは」

 本当は一度しか教えられていないのだが、記憶力の自慢になってしまうので言わなかった。

「だが隆広、一箇所だけ違うぞ」

 と、勝家。

「え?」

「『倒して』ではなく『滅ぼして』だ。肝に銘じよ」

「はい!」

 

 柴田軍は大聖寺城に入った。これで城代の毛受勢を入れれば一万五千、五千少ないとはいえ、こちらには城もある。

 だがあまりいい事ばかりではない。城の南西数里に峰山と呼ばれる山がある。天嶮の要害で、水も豊富である。ここを占拠されると戦いが困難になってくる。実際に勝家はその峰山に陣取り、前線拠点として、この大聖寺城を落としたのであるから、その利点は知っていた。

 城代の毛受勝照もこの山を敵方に渡すのを危惧して常に警戒していたが、その峰山を数に勝る一向宗門徒に占拠されてしまい、そして本願寺の坊官の七里頼周がそこに陣場を作り、大聖寺城攻略に備えた。

 勝家が城に入り、城代の勝照から最初に報告されたのは、敵が峰山を占拠し、布陣を終えたと云うことであった。

「ふむ、取られてしまった要害を悔いても仕方ない。急ぎ軍議だ」

「「ハハッ」」

 隆広にとり、初めての軍議である。胸が高鳴る。評定とは異なる、まさに生死を論じる軍議。頬を両手でパンパンと叩いて、隆広は大聖寺城の軍議の間へと向かった。

 軍議が始まった。隆広はしばらく諸先輩の意見を聞いてから、自分の考えを言おうと思っていたが自分は新参で、元服を終えたばかりの若輩。自分の意見など入れてもらえるわけがない。まずは軍議の雰囲気だけでも学ぼうと思っていた。

 

『山岳戦なら柴田のお家芸、城から出て戦うべきだ』と佐久間盛政。

『城に篭り、攻城戦で疲れさせてから一気に叩く』と不破光治。

『鉄砲隊は向こうが多い。突出すれば長篠の武田勝頼の愚を繰り返すのみ』の慎重論の前田利家。

 やはり敵の鉄砲隊は脅威であった。柴田家は織田の軍団長でもっとも鉄砲を持っていないのである。勝家をはじめ部下たちも武断派が多い。商売ごとには不向きであり、越前を織田信長から賜り、共に与えられた鉄砲七百しかないのである。

「ふむ…」

 諸将の意見に耳を傾ける勝家。チラと末席に座る隆広を見ると何やら右筆のように、色々と記録を巻物に書いていた。参考にすべき意見を書き留めていたのである。

 

「おい隆広」

「はい!」

「誰がお前に右筆を命じたか。お前は足軽組頭として軍議に参加している大将なのだぞ」

「す、すいません」

 勝家の叱責に隆広は赤面して紙と筆を置いた。

「まあいい、それでお前に何か意見はないのか?」

「は?」

「お前に意見を求めている。まさか初参加の軍議だから今回のところは発言せずに雰囲気にだけ慣れようなんて考えていたのではあるまいな」

「い、いえ! とんでもない!」

(図星か…)

 前田利家は苦笑した。

「隆広、勝家様もそう申している。初参加とて遠慮はいらぬ。何か意見があるのなら言ってみろ。まさか本当に何もないワケではないだろうな」

「い、いえ」

(しかし、新参の足軽組頭のオレが言っていいのかな…)

「何をしている、遠慮はいらん。言ってみろ」

 

 佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政も隆広を見た。城普請の手腕は認めるが、合戦ではまだ初陣も済ませていない小僧。聞くべきのある意見が出てくるはずがない。つまらぬ意見を言ったら笑ってやろうと考えていた。

「では僭越ながら…」

 隆広は一つコホンと咳をした。

「まずは大殿が大軍を率いて援軍に来ると敵陣に流し、敵方の士気を下げます。また、加賀は門徒の国と相成っておりますが、幹部の坊官と一般の門徒とはしっくりいっていないと聞き及んでいます。『離』を図るも手かと存じます」

 聞くべき意見かもしれないと、諸将は耳を傾けた。盛政たちも黙って聞いていた。

「しっくりいっていないとどうして言い切れる?」

「一向宗により陥落した加賀に七里頼周が本願寺から代官と来ましたが、赴任後に間もなく、彼は『権力をほしいままにして好き放題やっている』と一般門徒から本願寺総本山に訴えられております」

「うむ、その話は聞いておる」

「しかしこれは、武士の支配から解放を求めて一揆を起こした門徒達と、彼らを一向宗の門徒として統率する事を目的とした本願寺側との考え方の違いが原因と受け取れます。思想の相違なら溝も深いはず。ましてや今は作物の収穫期。中には今回の出陣に気の進まない門徒もおりましょう」

「なるほど、ではどうやって『離』を図る? いちいち門徒の部隊一つ一つに調略を仕掛ける時間はないぞ」

「あ、それにはこれを使います」

 隆広はさっきまで諸将の意見を書き留めていた巻物にスラスラと絵を描いた。

 

「これを作ります」

 巻物をやぶり、勝家に提出する隆広。勝家は渡された紙を見た。描かれていたのはジョウゴである。

「これはジョウゴか?」

「はい、しかし大きい方の穴の直径は半間(九十センチ)くらい必要です。小さい方は拳大くらい。小さい方に口を当てて叫ぶと声の音量は飛躍的に上がります。それで峰山の門徒たちに『お前たちは自由を求めて加賀の国を仏の国としたのであろう。七里頼周などと云う愚物の盾となって死ぬのは無意味。収穫期の田畑がそなたらを待っている。追撃せぬゆえ退くがいい』とこちらの陣から訴えます。鉄砲の射程外でも十分に届くはずです。

 かの武田信玄公が、三増峠の合戦にて北条氏に組みしていた千葉衆、忍(おし)衆、深谷衆に対して行った策です。三衆は駆りだされての参陣でしたから元々武田に敵愾心はなく、北条氏の威圧により渋々参陣いたしました。そこで信玄公は三衆に北条に組して武田と戦うことの無意味さを訴えました。三衆はこの訴えで戦意を失い、ほとんど戦うことなく退却したと聞き及んでいます。今回の戦にも退却は望めずとも士気の激減と離反を促すには十分に使えるかと」

 隆広の案に勝家は無論のこと、可児才蔵や前田利家も本当にこいつは十五歳なのかと驚愕した。まさに神算鬼謀だった彼の養父、水沢隆家を見るようだった。勝家が何も答えないので隆広は不安になった。

「下策…ですか?」

「い、いや、隆広の策を用いよう。加えて『大殿が大軍を率いて援軍に出た』と七里頼周の軍勢に流言させると云う策も用いる」

「あ、ありがとうございます!」

 

 その後に、隆広がこの策を実行した後についての軍議がなされ、やがて翌日の戦いのために眠りにつくために諸将は評定の間を後にした。一番下っ端の大将である隆広は先輩諸将が出て行くのを出口で頭を垂れて見送っていた。

 その隆広の前で佐久間盛政が立ち止り、冷たい眼で見下ろしている。隆広は顔を上げた。

「…?」

「…お前はサル秀吉に仕えれば良かったのではないか?」

「…は?」

「あの男は猿回しのサルよ。人真似ザルのお前と気が合うのではないか?」

「どういう意味ですか!」

「そういう意味だ、人真似ザル、はっははははは!」

 盛政は去っていった。

「く…ッ!」

 拳をにぎるが、隆広は一つ深呼吸をして気持ちを落ち着けた。

(落ち着け、落ち着け、オレさえ我慢すればいいことだろう…)

 

 そして翌日、大聖寺城に驚愕する報がもたらされた。

「申し上げます! 峰山における門徒の兵が増えております! 物見の報告では四万強!」

 伝令の報告に勝家は愕然とした。

「四万だと! どこからそんなに湧いた!」

「伯父上、やつらは峰山を本陣とした山岳戦ではなく前線の集結地としたのでは!」

「ぬうう…」

 

 さらに次の伝令が来た。

「申し上げます! 七里頼周率いる門徒の軍勢四万! 峰山から出陣して、この大聖寺城に進軍を開始しました!」

「峰山を放棄して、この城に進軍してきたと!? ちぃ! 大軍でこの城を囲んで落とす腹じゃな!」

「義父上、この城は四万で囲まれたら完全に孤立しますぞ!」

「ええい勝豊! そんなこと言われなくても分かっておるわ! この城を包囲される前に出陣し撃破する! 法螺貝を吹け!」

 

 ブオオオ、ブオオオオ

 

 無論、隆広もすぐに兵士三百を率いて出陣した。そして手先が器用な部下と夜なべして作った手製の巨大ジョウゴに紐をつけて背中にぶら下げている。

「水沢隆広隊! 初陣だ!」

 

「「オオオッッ!」」

 

 四万対一万三千、小勢で多勢を倒すのは痛快であるが、やはり小勢は不利であるのは事実である。元々相手より兵が少ないつもりで出陣したが、それでも五千ほどの差である。二万七千の差はいかんともしがたい。だがかつてほぼ同じ条件で一向宗三十万を一万三千で撃破した勇将がいる。越前の名将、朝倉宗滴である。数の差を聞きに士気落ちた手勢に宗滴は『なんの、いかに大軍とはいえ、相手は烏合の衆の百姓。ひるむ事などないわ。要は敵の機先を制すれば良いのじゃ』と鼓舞した。

 その機先を制するための策が隆広の案である。背中にジョウゴをぶら下げている隆広に、同じく勝家の寄騎である可児才蔵が聞いた。

「やるのか? 昨日言っていた信玄公の策とやらを」

「はい、相手が多勢ならばこそ、少しでも敵の士気を下げたいと思います」

「そうか」

 前を進む勝家が隆広の背にあるジョウゴを見ても何も言わないと云うことは策の継続を認めていると云う事である。

 しかし才蔵は不安だった。戦で気が立っている門徒が言葉で退くとは思えなかった。先頭を行く佐久間盛政が自ら伝令でやってきた。

 

「伯父上!」

「うむ、七里頼周率いる門徒集団の様子はどうか」

「はっ 雁行の陣で備えております。もう半里も進軍すれば敵影が確認できるでしょう」

「そうか」

「伯父上、向こうは迎撃を主とする雁行の陣、こちらは数が少ないですから、中央突破を敢行するため蜂矢の陣がよろしかろうと思いますが」

「隆広はどうか?」

 佐久間盛政は不快を感じた。どうして自分の意見を隆広に振るのか。

「それがしも蜂矢の陣でよろしかろうと」

「よし分かった。蜂矢の陣を編成しながら進軍せよ!」

「ハッ」

 盛政はギロリと隆広を睨み、自分の持ち場に走っていった。

(敵将でもないオレをどうしてあんなに憎々しく…佐久間様といつか分かり合える日は来るのかな…。いや唐土の藺相如と廉頗の例もある。いがみあっていても、後に分かりあい、刎頚の友となった者もいるじゃないか。あきらめるな…)

 

「おい隆広」

「なんでしょう、可児様」

 才蔵は勝家に聞こえない程度の小声で隆広に尋ねた。

「本当は陣形に対して、何か考えがあったのではないか?」

「え、いえ、そんなものは」

「あったのだな?」

「…確かに思いついたものはございました。しかし佐久間様のあげた蜂矢とて雁行には有効な陣。それがしが思いついた陣は『偃月の陣』ですが『生兵法はケガの元』と申します。それゆえに黙っていました」

「…隆広、ウソをつくんじゃない。『偃月の陣』はお前の養父隆家殿の得意とした陣。たとえ図上のものであろうと、経験と実戦に裏付けられた隆家殿の用兵をお前は伝授されているはずだ。幾通りの敵の出方も想定された陣法も教えられていよう。お前は養父の教えを実戦で活用できる自信がなかったから逃げたのだ。佐久間様がお前を嫌っているのは知っている。だから波風を立てたくないと思い、さきほどはすんなり佐久間様の意見に頷いたのだろう。しかし、それはとんでもない不忠だ」

「ふ、不忠?」

「陣形は戦の勝敗を大きく左右する。敵方の雁行の陣に対して、お前が有効な陣形を知っていて言わぬのは不忠であり、怠け者だ。年齢は無論、士分の上下、新参古参も織田家では関係ない。能力こそすべてだ。そして聞き入れられる入れられないは別として、策や案があるなら家臣として言わねばならぬ。今回の信玄公の策を再現と云う案も、お前は殿に問われなければ申さなかっただろう。遠慮はいらぬ。お前は柴田隊に一兵士でいるわけではない。足軽組頭、一翼の大将として籍を置く者だ。殿を生かすも殺すも我らの双肩にかかっておるのだと忘れてはならぬ。お前個人の他者との不和など何ほどのものがある」

「可児様…」

「他者との軋轢を恐れるな、嫌がるな。お前の才で何かを成せば賞賛と共に嫉妬がついてくるのは当たり前だ。それから逃げるでない。お前は殿の養子になるやもしれぬのだぞ。明日の柴田を背負う男なのだ。よいか、今度逃げたら言葉ではなくゲンコツでいくからな。心しておけ」

「はい!」

 途中から勝家にも才蔵と隆広の会話が聞こえてきた。勝家は静かに笑った。敵の陣形に対して最も有効な攻撃陣を築けなかったとしても、後に家中を背負って立つ若武者が一つの教訓を学んでくれたことは何よりの収穫であった。

 

 勝家軍の進軍しながらの布陣が終わった。佐久間盛政の具申どおり蜂矢の陣であるが、この時に執った蜂矢とて雁行に対して不利な陣形ではない。勝家もそれを分かっていた。隆広に再度陣形の事は聞かなかった。

「うかつに動けませんな、伯父上」

 「ああ、あちらには鉄砲二千丁ある。突撃すれば利家が昨日申したように長篠の勝頼の愚を繰り返すことになろう。雁行の陣は迎撃陣形、突出してあの陣形の利点は捨てまいな。長対陣になるやもしれぬが敵陣から眼を離すでないぞ、盛政」

「ハッ」

 

 一方、こちらは七里頼周の陣。

「僧正様、勝家は動きませんな」

「ふむ、こちらの鉄砲を危惧してのことだろう」

 戦場は大聖寺城南西数里の北陸平野、野戦にはもってこいの場所である。見通しは良いものの、互いの陣場は対峙していても遠いため、辛うじて陣場の旗が揺れているのが分かる程度である。無論鉄砲も届かない。

「仏敵、信長に仕えし勝家め。ここでヤツを倒して一気に越前に攻め入ってくれる!」

 四万の軍勢と正面から対してしまった勝家。七里頼周は鉄砲の数と、二万七千も敵方より兵が多いことで勝利を確信している。

しかし七里勢には士気がさほどになかった。やはり門徒の大半は渋々の参陣である。また、この時期は農民の彼らにとり収穫の時期。しかし本願寺の代官、七里頼周が出陣せよと命令には逆らえない。逆らったら門徒を破門されてしまう。

 士気が上がっていないことは頼周にも分かっていた。だから彼は陣中で門徒たちに説教をはじめるが、効果はなかった。加賀の本城の大聖寺城にて、彼が領内の若い娘を無理やり徴収し、日ごと酒色に溺れているのは門徒全員が知っていることである。説得力もあったものではない。

 士気が上がらずイラつく頼周。越前をとれば、本願寺の中でも立場は確固としたものとなる。なんとしても勝たなくてはならない。本願寺の僧兵は五千。あとは門徒である。勝つためには何としてでも門徒の士気を上げなくてはならない。しかし、士気は上がらない。

 

 そして、この士気の低さを狙い、声と云う剛槍で七里勢を突き刺す隆広の訴えが始まった。後の世に『万の兵を退かせた声』と言われる事となる。

 

「一向宗門徒たちに告ぐ!」


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