天地燃ゆ   作:越路遼介

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柴田明家

「目付けの中村武利から報告は聞いた。どういうつもりか!」

「…手前には、もはや刀を握る事さえできない羽柴勢を討つ事がどうしてもできませんでした」

 安土に帰ってきた水沢隆広一行。すでに勝家は入城をはたし、名実ともに安土城は柴田家の居城となっていた。

 もはや壊滅寸前だった柴田軍の援軍に間に合い戦局を逆転させた隆広は今回の賤ヶ岳の戦いにおいて勲功第一位。褒める言葉さえ見つからないほどの大手柄である。だが隆広が秀吉をあえて見逃した行為はその武勲すべて帳消しにしてしまうほどの事だった。

「今まで何度もクチをすっぱくして言ったはずだ! その甘さが命取りになると! 秀吉が息を吹き返して再び合戦に及べばまた何人も人が死ぬ! その甘さのおかげでまた柴田の有為な人材が死ぬ! そうなった時キサマどう許しを請うつもりか!」

「……」

 返す言葉もない隆広。

「今回の戦…。徳山則秀、拝郷家嘉、柴田勝政、原彦次郎、不破助之丞は討ち死に! 他にも多くの柴田の将士があの世に行った! キサマこの英霊たちにどのツラ下げて詫びるのか!」

 水沢隆広の後ろで奥村助右衛門と前田慶次も平伏している。

「助右衛門に慶次! キサマたちもついていながら何てザマだ!」

「「はっ…」」

「なぜ美濃を殴ってでも筑前を討たせなかった!」

「この慶次、主人美濃が誤っているとは思えませなんだ」

「なんじゃと?」

「我ら追撃隊は二千で、羽柴は五十人以下、しかも負傷重く、立つ事さえままならぬ者たちのみ。これを一方的に嬲り殺すはいくさ人の、いや人の道にあらず。たとえ大殿の申すとおり、再び羽柴と戦に相成っても、抵抗もできない者たちを殺すより何倍も武人の道にかなっていると存じます」

「利いた風なクチを叩くな! 助右衛門おぬしもそうか!」

「確かにそれがし、その場で主人をお諌めはしました。大殿の申すとおり主人を張り倒してでも筑前を討つべき時でございました。ですがそれがし…それを主人に申す事ができませんでした。主人が見逃す決断をされたとき嬉しく思いましたのも…まぎれも無く、それがしの本心にございます」

 歴史家は『この時に勝家が水沢隆広を追撃に下命したのは誤りではないか。彼の性格ならば矢尽き刀折れた羽柴を討たない可能性は多分にあった。側近の奥村と前田にも武人の節義を重んじる性質があるゆえ、それは十分に考えられたはずである。他に可児、山崎、毛受と云う将もいたのだから彼らに下命すれば秀吉は討ち取れたはずである』と述べる。

 しかし、あの時点では隆広に下命するのが自然である。山崎俊永、毛受勝照は負傷しており、前田利長と不破光重は経験も浅い。強いて言えば可児才蔵であろうが、その時の才蔵は勝家本隊の寄騎を務めており、合戦後は勝家に兵をまとめておくよう下命され、それが済んだ後は安土城に向かわなくてはならない。九鬼、蒲生、筒井、若狭水軍、堅田衆は友軍であるし、つまりこの戦の詰めを委ねるには隆広しかいなかったのである。

 だから勝家は隆広に下命した事は誤りとは思っていない。だが許すわけには行かない。ここで何事もなく許せば家中に示しがつかない。

「その方ら、おのが手柄に驕ったか! 完敗していた柴田に逆転勝利をもたらした我らだから、羽柴を殺すも見逃すも勝手次第と!」

 すさまじい形相で隆広を睨む勝家。

「と、殿、それは少し言い過ぎかと…」

 と、毛受勝照。

「勝照よ…。確かに一方的に虐殺するは柴田の尚武の気風に反するのは分かる。しかし今回の賤ヶ岳の合戦はどうか。数え切れぬほどの柴田将士が死んでおるのだぞ。この英霊たちに筑前を討てる事が出来ながら見逃したなどどうして報告できようか!」

「はっ…」

「美濃が行いは柴田の犠牲軽微なら許される事じゃ! 犠牲甚大であった合戦の後で許される事ではない! 死んでいった者たちに申し訳が立たぬ! さらに敵の総大将は羽柴筑前、柴田におるものならワシと筑前の仲は知っていようが!」

「殿…」

「共に天を抱けぬほどの間柄じゃ! それをおめおめと見逃すなど断じて許せぬ。覚悟は出来ていような美濃!」

「は…願わくば、それがしに…」

「甘ったれるな! 腹を切って済む問題か!」

 勝家は立ち上がり隆広へ詰め寄り足蹴にした。隆広は吹っ飛んだ。そして勝家は刀を鞘ごと抜き

「腑抜けが! お前が死して責任を取れるのは筑前を討ち取った後じゃ!」

 刀を木刀代わりにして殴り続ける。止めようとした奥村助右衛門を前田慶次が制し、首を振る。勝家の打擲を受ける隆広。

「と、殿…申し訳ございません…」

 息子を怒りに任せて殴打する勝家。たまらず毛受勝照と中村文荷斎が止めに入った。

「殿、もうそのあたりで!」

「美濃ももう分かったと思いまするゆえ…ここは我ら家臣団に免じ…」

「ふん…」

 刀を腰に戻した勝家。隆広を睨み据える勝家。怒りに震え呼吸も荒い。隆広は顔を上げられない。顔面と頭部からの出血も著しい。

「美濃、家老職を剥奪する。部将からやりなおせ。助右衛門に慶次! その方らも足軽大将に降格じゃ! 次にかほどの失態を犯さば首が飛ぶと心得よ!」

「は、ははっ!」

「しょ、承知しました…」

「良いか、確かに柴田の気風は尚武! じゃがそれをはき違えるのは愚者じゃ! 肝に銘じておけ!」

「は、はっ!」

 気を失い倒れた隆広。

「ふん…。このくらいの打擲で情けない男よ」

 そして再び鬼の怒号が奥村助右衛門、前田慶次に飛ぶ。

「助右衛門、水沢家は減俸じゃ! 賤ヶ岳の功も帳消しに処す。安土築城の褒賞も、筑前の舎弟から城を守りきった功も無しじゃ! 以後に目覚しき手柄を立てて挽回せよとその腑抜けに伝えい!」

「は、はは!」

 怒気を示す足取りで城主の間を後にする勝家。そしてしばらく行くと…。

「殿…」

「お市…」

 妻のお市が待っていた。

「……」

「許せ…。ああせなんだら隆広は責任を取り…自害しておったろう…」

「はい…」

「見ていたのなら…そなたも辛かったであろう。よう止めなんだ」

「殿もつろうござりましたでしょう。泣いて隆広を打ちました…」

 勝家の目から涙が落ちていた。鬼と呼ばれる勝家の目に涙が浮かぶ。安宅の関にて泣いて義経を打ち据えた弁慶のように。

「腑抜けと思うと同時にの…。何か嬉しかった。唐土の関羽のごとき義の心…。ワシは嬉しかった」

「父親に似て不器用なのですわ。あの子も…」

「ふふ…。ワシがごとき武骨、似なくとも良いものを…」

 勝家に涙を拭う手拭をそっと差し出すお市だった。隆広は屋敷に連れられ、さえとすずの手厚い看護を受けた。

 

「すまん…」

「何を謝るのです?」

「…減俸になってしまった…。こたびの戦の褒賞も…安土築城と、秀長殿から城を守った戦の功も帳消しになってしまった」

「イヤですよ殿、こうして無事に帰ってきた事が私たちにとって一番のご褒美です。ねえすず」

「はい」

「思えば殿は今までが順調に過ぎました。この辺でそのくらいの大失態をやらかした方が後々の肥やしとなります。前向きに考えなくちゃ」

「ありがとう、さえ」

「さあ、そんな事は気にせずお休み下さい」

「ああ」

 さえは隆広が眠ると別室に行き、訪ねてきていた吉村直賢に会った。

「聞き申した。あえて羽柴筑前を見逃し、その責で大殿様に打擲されたと」

「はい、大殿の打擲、医師の話によると派手な負傷に見えて熱は発するものの急所には一撃も入れていないとの事。さすがは大殿、数日の療養で快癒する程度に打ち据えたと見えます」

 武人の勝家らしい心得た打擲と云える。とはいえ、血だらけで慶次に背負われて帰ってきた隆広を見た時、さえとすずは失神しそうになったらしいが。

「して…直賢殿、ご用向きは?」

「はい、殿は減俸との事ですが、それは仕方ないでしょう。しかし安土城の築城や、その攻防戦、そして賤ヶ岳の褒賞がなくなったのでは殿や奥村殿、前田殿はともかく命がけで戦った水沢家の兵が気の毒。我ら商人司がそれを補いまするので、それを殿にご報告願いたいのです」

「しかし直賢殿が交易でお稼ぎになった資金は柴田の公金、大殿様がそれをお許しに…」

「確かに商人司の銭金は柴田の公金、しかし蛇の道は蛇、手前は水沢家臣ですので、こういう時のために用意はしてあります。内々に大殿様へ報告は致しますので大丈夫です」

「ありがとう直賢殿…! 水沢家の奥としてお礼申し上げます」

「殿はいつ床を出られまするか?」

「はい、まだ自力での用便も出来ない状態ですが、急所に怪我を負われてないので数日療養すれば歩くらいは出来るかと」

「実はそれがし大殿様に呼ばれまして、出陣の資金の提出を下命されましてございます。おそらくは十日のうちには播磨へと出陣かと存じます」

「もう出陣にございますか?」

「はい、筑前が息を吹き返さぬうちに、との事です」

 勝家は軍議で言った。数日中に播磨に進攻すると。羽柴の犠牲甚大であるが柴田もそれは同じ。だからと言って柴田が完全に勢力を回復した時には秀吉も少なからず息を吹き返している。そればかりか毛利、宇喜多、長宗我部などが肥沃な播磨の地を狙い進攻する事もありうる。何としてでも秀吉の首は柴田で取らなくてはならない。そして播磨の地も手に入れる事も不可欠な事である。

 安土に居城を構えて中央に進出した柴田。当時の信頼できる資料から、この当時の柴田家の領地は近江、越前、加賀、丹波、山城、摂津と言われている。織田信孝の領地をそのまま併呑した形となっていたのだった。堺の町と京の都を事実上押さえていた。

 しかし兵農分離を急務としても、この版図を維持できるものではない。真っ先にやった事は賤ヶ岳で離散した柴田の兵、戻って来たい者は歓迎すると公布した。これには難色を示す家臣も多かった。しかし老臣の中村文荷斎が

『富貴の身ならば追随する者多く、貧しいならば交友も乏しいのは当然の道理。市場で考えてみよ、朝は我先にと市場に来るが夕暮れ時ならば人もまばらになる。人々は市場に好き嫌いがあるのではない。市場に求める品がなくなるからじゃ。劣勢で兵が当家を見限り逃げたのも理由は同じ。柴田市場に求めるものが無くなったからじゃ。離散した兵を恨むのは誤りである』

 さすがは老臣の一言は的を射ていた。柴田家は帰参してきた者には今までどおりの職務と禄を与えると畿内一円に公布した。すると元いた兵の数より多くなってしまった。どさくさに紛れて大大名となった柴田家に仕えようと思った者が続出したのだ。賤ヶ岳で大きく兵力を失った柴田家だが、それはほぼ解消された。

 その兵を使う将たちであるが、賤ヶ岳の戦いで戦場離脱した前田利家は息子の利長に救われた。敗戦必至、討ち死に必至とも云える戦場に返して柴田に忠を尽くした前田利長。羽柴の名のある将も数人討ち取る大活躍もした。もっとも前田利家の甥である前田慶次がそれとなく手助けしていた故だが。

 利長の忠義と武勲を持って、勝家はその父の利家を免罪にした。引き換えに利長に加増は無かったが父の免罪は何よりの褒美でもあった。その代わりに勝家は利長に記録に残らない非公式な褒美として、駿馬と名槍を与えたと云われている。何より勝家にはあのまま秀吉に敗れたとしても利家を恨む気はなかったのだ。秀吉と利家の友誼は承知している。

 しかし金森長近に対しては厳しかった。お家断絶である。一切の申し開きも許されなかった。勝家に前田利家の戦線離脱の理由は理解できる。だが金森長近は前もって羽柴秀吉と話が出来ていた。それを勝家が許すはずがない。

 所領も召し上げ、金森一族は追放された。長近は本能寺の変で嫡男の長則を失っており、そしてこの追放。悲運と不運が重なった。亡き信長なら族滅としていたほどの罪で、まだ一命を拾えただけ温情ある処罰と云えるが間もなく金森長近は病で死んだ。身を寄せた小さな寺で一人わびしく死んでいったと云う。

 あの水沢隆広の電撃的な援軍。柴田家全ての者が良い結果となったわけではないと云うのも皮肉と云えるだろう。伊丹城攻め、小松城攻めで金森長近と陣場を共にした水沢隆広は長近の最期を哀れみ、後日談となるが長近の末の娘を養女としたと云う。

 

 佐久間盛政は金沢城で閉門蟄居の罰を受けた。沙汰あるまで本城への登城ならずと云う厳罰だった。賤ヶ岳の合戦は今日の歴史学者でも色々と議論されているが、最近では水沢隆広の電撃的奇襲だけではなく、佐久間盛政の羽柴陣への中入りと大岩山への滞陣についても議論されている。

 柴田勝家のとった陣立ては確かに山岳戦を心得た鉄壁な布陣であった。盛政はその一翼から出て中入りによって羽柴陣に一つのクサビを打った形となる。もしこの時、柴田勝家が羽柴軍の神速を考慮に入れていたとしても、佐久間盛政の後詰に入っていたらどうなっただろう、と云うものだ。

 相手には本隊が不在のままだった。秀吉の到着前に羽柴陣の砦の占拠が可能だったのではないか、と云う意見がある。しかしやはり持久戦に持ち込み、山岳戦に誘い込んで秀吉を討つと云う主君勝家の作戦の構想を理解できなかった盛政に落ち度はあるだろう、と云うのがおおよその結論だった。

“大岩山占拠と同時に本隊の後詰があれば…”

 勝家に『ようツラが出せたもの』と言われた時、佐久間盛政の頭にこんな言葉がよぎったのではないだろうか。しかし今はもう遅い。柴田軍は結果佐久間盛政の働きの外で勝利した。佐久間盛政は北ノ庄城に自分を迎えに来ていた留守居の者と金沢城に帰っていった。

 

 その佐久間盛政と立場が天と地なのが可児才蔵、山崎俊永、毛受勝照だった。賤ヶ岳の武勲と最後まで勝家に付き従おうとする姿勢が評価され加増された。山崎俊永は部将、可児才蔵は家老に昇進し、毛受勝照には城も与えられたのだった。

 しかし訃報もある。合戦中に受けた傷が元で府中三人衆の一人、不破光治が死んだ。光治の息子たちも討ち死にしていたので不破家は断絶の憂き目となったが、光治の働きに報いるため勝家は一族にて同じく討ち死にした不破一族で家老の不破助之丞の嫡男、そして水沢隆広の義弟不破角之丞光重に光治の娘を娶らせて不破家を継がせ当主としたのだった。

 

 そして一人、柴田家に新たな者が仕えた。奥村助右衛門に仕官を要望した男だった。助右衛門は彼を主人隆広に紹介した。

「藤堂高虎にございます」

「ほう貴殿がそうか」

 高虎を見る隆広。

「今まで羽柴秀長様に仕えておりました。あの戦いでそれがし負傷するも、美濃殿の『抵抗できない者は敵にあらず』と手当てを命じて下さいました。恐れながらその武人の情けに高虎感服いたしましてございます」

 安土城攻防戦のあとに生き残った彼は敵の柴田から手当てを受けた。そして聞いた『羽柴敗戦』、新たな主君を見つけなければと思っていた彼が、次の主人として選んだのが水沢家臣の奥村助右衛門永福であった。柴田勝家や水沢隆広ではなく、奥村助右衛門に仕えた点が彼の処世術を物語っている。一番の者ではなく二番目の者に仕える。補佐役の補佐役となるのが彼の真骨頂だった。

「しかし大きい、当家の慶次と同じくらいで…かつチカラもありそうだ。オレは見ての通り優男、助右衛門の家臣とはいえ戦場でそなたの武勇に頼る事も多かろう。頼むぞ」

「承知いたしました」

「助右衛門、大事にしてやるといい。この男、武勇だけの男ではない。そなたの良き補佐役となろう」

 隆広は高虎を見抜いた。後に築城術では隆広さえ凌駕する男である。

「はっ」

 水沢屋敷を出た助右衛門と高虎主従。高虎は少し困った顔をしていた。

「どうした?」

「美濃守殿…いやご主君は、それがしを武勇だけでないと云うお言葉ですが困りました。それがし槍働きのみの無学者でござれば…知恵者に望むようなものを求められても…」

「はっははは、ならばこれから身につけられると見たのだろう。『呉下の阿蒙』の例えもある。猪武者では限界がある。部下の統率や政治が出来なければ軍勢も与えられないし、領地も与えられない。そうはならない男だと殿は一目で見抜いたのだろう。かくいうオレもな」

「殿も?」

「そうだ、オレの屋敷には和漢蔵書もあるし安土の文庫(図書館)にも様々な書はある。一念発起して学べ。頼りにしているぞ」

「は、はっ!」

『呉下の阿蒙』とは中国の三国志の時代に呉の孫権に仕えた将軍呂蒙の事を指している。

 呉の将軍となったものの、呂蒙は無学なところがあった。君主の孫権がそれではダメだと学問をするように命じ、一念発起して兵法を学んだ。しばらくすると呉の宰相魯粛さえ舌を巻く賢者となっていた。魯粛は“もはや呉下の阿蒙にあらず”と感嘆し、呂蒙は“男子三日会わざれば括目して見るべきだ”と述べた。奥村助右衛門は藤堂高虎にそれを述べたのである。

 

 まだ戦力が回復していない状態なのに播磨に進行すると明言した勝家に反対する意見も出た。

『急に領地が広がったうえ、先の合戦で死んだ人材の穴は三分の一も埋められていない状態。ここは己が領内にクサビを打ち基盤を固めてから西進するが良かろうと。それにまだ賤ヶ岳の論功行賞も手付かずですぞ』

 と、老臣の中村文荷斎。この意見に山崎俊永、毛受勝照も賛同した。しかし

『論功行賞などすべて終わってからでいい。時を置けば当家も戦力回復するであろうが、それは筑前も同じ事。美濃が尻拭いと今更言うのはグチ。少なくとも兵は再び集まり戦える。反して筑前は外敵と戦える状態ではないはず。今は多少の自軍の不備には目もくれず、神速をもって西進すべきぞ』

 と佐々成政が主張すると、前田利家、利長親子、不破光重、可児才蔵が賛同。

「よう言うた成政!」

 勝家は刀を抜き、姫路の方向に切っ先を指した。

「羽柴筑前が首を取りに参る!」

「「ハハッ!」」

「全軍出陣の準備をいたせ!」

「「ハハッ」」

 人材の不足は顕著であるが、それは羽柴も同じ事。勝家は成政の主張通り、賤ヶ岳の論功行賞は羽柴討伐後に行うと友好大名に使者を出し、自軍の多少の不備は無視して羽柴攻めを決断した。素早い迅速な行動は、どんな搦め手の謀略より功を奏す時がある。勝家は兵力が整うと迷わなかった。播磨進攻を全軍に下命したのである。

「ふむ、そして出陣の前にそなたらに申し渡す事がある」

 

 そして隆広の負傷が回復した。隆広は同時に謹慎処分にもなっていたので先の西進決定の軍議には出席が許されていない。すでに出陣準備も整っていた柴田軍。明日に西進開始である。最後の羽柴攻めの軍議に隆広はやっと出席が出来た。前田利家が隆広を迎えた。

「合わす顔がないと思っていたが…再び同じ旗の下で戦う事になった」

「前田様…」

「ワシの首が繋がったのは利長がそなたを兄のように慕い、その『忠』に報いようとしたがため。その縁に感謝している」

「いえ」

「藤吉郎(秀吉)をあえて見逃したと聞く」

「はい」

「大きい声では言えぬが感謝しておる。いや内心、親父様もその義心を嬉しく思っていたと思う。戦国武将と云う者は心意気で生きておるからな。愚かと思う者もいようがワシはそうは思わん」

「お言葉、かたじけなく」

「うむ、お、そろそろ始まるぞ、席につけ」

「はっ!」

 隆広が軍議の席にいた面々を見ると佐久間盛政がいない。

(やはりこの軍議に呼応されなかったか…)

 部将に降格された隆広、家老の佐々成政の横に席が用意されていた。

「しばらくです、佐々様」

「ふむ…」

 そのまま席に座る隆広。着物と姿勢を正し、一つの咳払いをして主君勝家が評定の間に来るのを待つ。

「美濃」

 佐々成政が声をかけた。

「はい」

「もう…味方同士でいがみあっている時ではないかもしれぬな…」

「え?」

「今まで…悪かった」

「佐々様…」

「多くの柴田将兵が死んだ。生きている我らが不仲のままでは死んでいった者たちに申し訳が立たぬ。手を取り、協力して…この難局に立ち向かわなくてはならぬ」

「はっ!」

「うん、お、勝家様のお越しじゃ」

 評定の間の陣太鼓が鳴り、勝家の小姓が

「大殿の、おなーりー」

 と家臣一同に述べた。平伏する家臣たち。柴田勝家が君主の席に座った。

「みな、表をあげい」

「「ハハッ」」

「かねてから申し渡していた通り、播磨へと出陣する」

「「ハハッ!」」

「隆広」

「はい」

「そなたが死して責任を取れるのは羽柴筑前を討った時、そう申したのを忘れておらんな」

「はい」

「だがその命、ワシが預かり置く」

「え?」

「皆聞け、すでにワシの奥のお市が清洲会議にて発したため、すでに周知であろうが改めてここで発表する」

「「はっ」」

「水沢隆広はワシ、柴田勝家の実の息子である。つまり柴田の嫡男である」

「「はっ!」」

「ワシはここで、水沢隆広を柴田の世継ぎにいたす」

 いきなりの話で隆広は驚いたが、と同時に

「「はっ!」」

 満場一致で次代当主の水沢隆広が認められた。先日の軍議で西進を決定した後、勝家は諸将に話した。

「皆もすでに知っていようが隆広はワシが嫡子。柴田の後継者はあやつにしようと思うがいかに?」

「美濃の才は認めます。しかし伊丹の戦では捕虜も斬れず、小松の戦では敵兵殲滅をためらい、先の山陽道では敵の総大将を見逃す心の弱さ、あれで尚武の柴田の当主となりえましょうか」

 と、佐々成政。もはや『隆広嫌い』で述べている言葉ではなかった。

「その足りぬところは我らが補えば良かろう」

 前田利家が言った。

「足りぬところ?」

「心が甘く、そして才がないのなら救えぬが、美濃の才幹と器量は申し分ない。冷酷非情になれないのが美濃の欠点なら我らが泥をかぶれば良い事だ。完全無欠の君主に仕えても面白くなかろう」

「確かにの、美濃には我らを使いこなす器量があれば良い。あとは後ろでボンヤリしていても差し支えもない」

 可児才蔵が添えた。やはり最初から『若殿』ではなく下っ端武将から叩き上げてきた隆広自身の足跡がこの時に効果が出た。成政はフンと笑い

「まあワシ自身もそう思わんでもなかったが、誰かが慎重論を唱えんとな」

 と、彼も次代当主水沢隆広を認めた。家中全体に公表する前に幹部たちにすでに認めさせていた勝家だった。柴田勝家の実子の水沢隆広。彼とていつかはと内心は思っていただろう。そしてそれは羽柴秀吉を攻める合戦前に言い渡された。ゴクリとツバを飲む隆広。自分に柴田将士の視線が集まる。

「隆広、養父よりもらった大切な名前『水沢隆広』であるが、今日よりそなたは柴田の若殿。柴田姓を名乗ってもらう」

「柴田姓を…それがしに!」

「名も決めた。又佐!」

「ははっ」

 前田利家は勝家が自らしたためた書を評定の間で掲げた。

 

『柴田明家』

 

「柴田…明家…」

「そうじゃ、柴田は代々『勝』の名を受け継ぐ。だがワシはお前に与えし名に『勝』は付けぬ。『明』は孔子の言うところの人間最高の境地。その文字と、ワシと隆家殿双方に共通する『家』の文字を与え『柴田明家』とする!」

「はい!」

「疲れ果て負傷著しい羽柴を見逃しその方、しかしすでに筑前も城に帰り、メシも食えばたっぷり眠っただろう。もう遠慮はいらぬ。討て」

「は!」

「みなも賤ヶ岳での借りを存分に返すがいい」

「「ハハッ」」

「殿」

「なんじゃ明家」

「佐久間様は?」

「…あやつは使わぬ。また全軍崩壊の端になられたのではかなわぬ」

「…恐れながら、柴田明家として用いたいと存じます」

「ならん!」

「殿…」

「ワシはあやつを許さん。結果勝ったとはいえ、あやつのおかげで柴田は滅亡の寸前に至った!」

「…あえて申し上げます。佐久間様とて家臣たちへの手前がありましょう! このまま閉門蟄居を続けていればたとえ自身に落ち度があったとは云え主家の柴田に不満を抱くは必定にございます!」

「ならば、そなたの代になったらいかようにも使ってやれ。ワシは玄蕃のツラも見たくないわ」

「羽柴との最後の戦いは天下分け目、こんな大事な合戦から外されれば佐久間様の怨嗟は決定的になります! 佐久間様が第二の…」

「明家!」

「…!」

「その先は言うな」

“第二の明智光秀となる”と隆広が発しようとしたのは明らかだった。

「話はここまでじゃ。明家よ、先の通りお前が柴田当主となったら、いかようにも玄蕃を使ってやるがいい。じゃがこの戦はまだワシが総大将。命令には従ってもらう」

「はっ」

「この戦い、柴田明家が先陣を務め、ワシは後詰にまわる。全軍! 播磨に出陣じゃ!」

「「オオオオッ!!」」

 

 一方、姫路城。秀吉の元に使い番が来た。

「申し上げます! 柴田軍、柴田明家なる将が先陣で播磨に進攻を開始しました!」

「柴田明家…? 誰だそれは?」

「殿、おそらくは美濃殿かと」

 と、黒田官兵衛。

「ふむ…。柴田姓に名を変え、世継ぎと相成ったか」

 この柴田勢の播磨進攻開始、それは水沢隆広が山陽道で羽柴秀吉を見逃した、わずか十五日後の事である。

「兵数は?」

「およそ二万五千かと」

「ほう、権六めよく集めたな。あの戦の勝利が効いたな」

「殿…」

「言うな官兵衛、もはや我らに二万五千の柴田軍に立ち向かえるチカラはない…。あと一年あればのう…」

「はっ…」

「支城もことごとく柴田に降ろう…。官兵衛、命惜しい者は城から出るように伝えよ」

「それでは…」

「うむ…。美濃に山陽道で見逃してもろうたおかげで、親孝行も女房孝行もできた。それで十分よ」

 

 柴田軍は安土を出陣し、山城と摂津を越え播磨に到着。羽柴の支城を硬軟両面の作戦で落としていく柴田明家。チカラ攻めでは新たに奥村助右衛門に仕えた藤堂高虎が古巣相手に奮戦。見事支城の置塩城を落とした。そしてとうとう姫路城に到着した。すでに藤林の忍びから姫路城の兵数は報告されている。四百名だと云う。明家は姫路城を完全に包囲した。

「どう落とす?」

 と、勝家。

「この堅城、たとえ四百名でも激しい抵抗を受ければ被害甚大。筑前殿一人が腹を斬れば家臣を助けると使者を出そうと思いまするが」

「ふむ…」

「城内には黒田官兵衛殿もおります。どんな手を打ってくるか…」

「分かった、思うとおりやってみよ」

「はっ」

 石田三成はもう覚悟していた。柴田家から羽柴家に帰参した事は後悔していない。しかし自分の帰参に付き合い、この城で共に死ぬ事になろう妻の伊呂波を思うと胸が張り裂けんばかりであった。

 柴田軍が大挙して姫路を占拠したら、いかに柴田軍が婦女子への陵辱を堅く禁じているといっても美貌の伊呂波が敵兵に陵辱されるのは明らかである。城が落ちる時になったら、妻を斬って自分も腹を切ろう、三成はそう考えていた。

「三成様、殿がお呼びにございます」

「分かった、すぐに参る」

 秀吉に呼ばれて、三成は城主の間に走った。

「親父様、佐吉にございます」

「近う」

「はっ」

 秀吉と三成、二人だけであった。

「そちに頼みがある」

「何なりと」

「明智左馬介と同じ事をしてほしい」

「敵陣に当家の宝を渡しに行く…と云うアレですか?」

「そうじゃ。ワシも日向ほどではないが、それなりの茶器や名刀、書画は持っておる。ここに置いてあっては灰になるからな。美濃に届けてほしい」

「承知しました」

「それとな」

「はい」

「美濃個人からワシに書が届いた。『城内にいる石田三成の室である伊呂波は柴田家家臣山崎俊永の娘。嫡子佐吉と共に引き取りたい』とな」

「殿が…!」

「ああ、今では『柴田明家』と云う名前らしい。権六が正式に世継ぎに指名したのであろうな」

「『柴田明家』様、ですか」

「で、どうする?」

「は?」

「ワシはこの返書をまだ書いていない。だがこの好意に甘えワシは城内の女子供すべて美濃に託すつもりじゃ」

「すべての女子供を?」

「まあ、ワシの妻と母は別じゃがな」

「……」

「佐吉、お前も賛同してくれるな」

「…はい、それがしの妻子も殿に託そうと思います。殿ならきっと伊呂波を大事にしてくれますし息子の養育も任せられます」

「ふむ、今ここに又佐が使者として向かっていると聞く。又佐、いや前田利家殿に話はつけておくから、そなたは当家の宝と女子供を連れていつでも美濃の陣に赴けるよう準備しておけ」

「はい!」

 

 かくして前田利家が使者となり姫路城に入った。

「しばらくだな又佐」

「ああ、藤吉郎も元気そうで何よりじゃ」

「降伏を勧めに来たか?」

「そうだ」

「ふふふ、権六がワシを生かしておくはずがなかろう」

「…残念ながらそうだ。お前が備中高松城、鳥取城を攻めた時と同じよ。大将のお前が腹を切れば家臣の命は助ける」

「それは美濃の申し出か?」

「そうだ。だがこの意見は親父さ…いや大殿も了承している」

「分かった。それでいい、ワシが腹を切る」

「藤吉郎…」

「ん?」

「残念だ。お前とは共に…戦のない世の中を作って行きたかった」

「ワシもじゃ又佐、じゃがワシはここまでよ。それまでの男だったと云う事に過ぎぬ。賤ヶ岳で一時は天下様の夢も見られた。美濃の情けで最後に親孝行、女房孝行もできた。悔いはないわ」

 秀吉は覚悟の笑みを利家に向けた。

「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり…か。ワシの命も露と落ちる。この世の事は夢のまた夢よな」

 秀吉はフッと笑った。すでに覚悟は出来ていた。




原作ゲームでは、最後秀吉が姫路で意地を見せますが、このお話ではとても柴田相手に戦えるはずもなく、ご覧の通りとなっています。

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