天地燃ゆ   作:越路遼介

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隆広と武田家との邂逅のお話です。つまり過去話でござるよ。


武田家と竜之介

 高遠城攻めの論功行賞が信長本陣で行われた。戦目付けが各将の手柄を本人立会いのもとに信長へ報告していた。

「次」

「はっ」

 水沢隆広が信長の前にかしずいた。続けて戦目付けが隆広の手柄を読み上げる。

「水沢隆広殿、高遠城西門と三の丸を攻略。仁科家部将、諏訪勝右衛門を討ち取りましてございます」

「ほう、諏訪は槍名人と聞くが、よう討ち取った」

「はっ」

「加えて、武田の駿馬を得りし手柄も忘れおらぬ」

 隆広が攻めた西門、これは偶然であったが門を抜けてしばらくすると高遠城の将兵たちの馬を預ける厩舎があった。本来なら無視してそのまま城攻めであるが、隆広は城と連結していた建物である厩舎が落城と共に炎上すると悟り、すべての馬を厩舎から出して、部下に命じ、すべて城外に連れ出させている。

 馬を愛する隆広らしい行いであるが、その馬たちは城主仁科盛信の愛馬も含め、駿馬ばかりであった。これが金銀財宝の持ち出しだったら武士にあるまじき盗人行為と謗りを受けるが、生ある馬ならば事情が違う。総数百二十頭に及び、隆広自身が名馬と見たのは三十頭以上に及んだ。隆広はこの思わぬ戦利品すべて信忠を通して信長に献上した。信長も馬好きである。この献上品を見たとき“ネコは国一つ落としたに比肩する手柄を立てよった”と大喜びしたのである。

「権六(勝家)に手柄を記載した軍忠帳と褒美三千貫届けておく。励め!」

「は!」

 信長の直臣ならこの場で恩賞金を得られるが、陪臣の隆広はそれが許されない。いったん信長から柴田家に渡り、勝家から渡されるのである。

 隆広は岩村城攻め、鳥居峠の合戦の勲功も合わさり、すでに八千貫を得ていた。加えて信忠からも褒美を与えられていた。

 織田家は功臣への手柄においてめったに領地や城と云うものは与えない。信長は茶の湯をうまく活用し、名物茶器を与えたり茶会の開催を許可制にする事などで部下への恩賞を図った。今回も滝川一益などは名物茶器を与えられ歓喜していた。

 しかし誰にでも茶器と云うわけではない。隆広と同じく金銭を与えられる事もあるし、また今回のように思わぬ戦利品に名馬を得た場合は、その馬が与えられる。明智光秀の部下の斉藤利三などは、今回隆広が連れ出した名馬を与えられ飛び上がって喜んだ。

 隆広は柴田家の部将であるが城はおろか領地も持っていない。勝家からの高額の給金で召抱えられている。これは織田家各軍団長側近中の側近の遇され方で、常に大将と共にいなければならないと云う理由であった。

 ゆえにその隆広に召抱えられている者たちにも領地はない。隆広からの給金が禄である。奥村助右衛門や石田三成もそれをふまえて仕えている。褒美を与える信長と信忠もそれを承知しているから、隆広への恩賞はすべて金銭や宝物である。

 今回の高遠攻めにおける隆広が受けた恩賞は破格だった。本来なら飛び上がって喜びそうではあるが、隆広は師の勝右衛門を討った事で恩賞を得たのに気が重かった。

 

 本陣をあとにしたら、今度は水沢軍の論功行賞である。織田本隊は一つの合戦ごとに論功行賞をしていたが、武田攻めは進軍が連日続いたので水沢軍は今回が初めての論功行賞だった。隆広は金銭にあまり固執しない性格をしているので、気前も良かった。

「次」

「はっ」

 水沢軍の戦目付けが功を読み上げた。

「松山矩久殿、鳥居峠にて百々嘉門ノ介、今回の高遠で湯原権佐を討ち取りましてございます」

「百々嘉門と湯原権佐といえば剛勇で知られている。すごいな矩久」

「は、こちらも少し傷つきました」

「うん、五十貫を与える。傷を癒せ」

「ハハッ!」

 五十貫のお墨付きを両手で受け取る矩久。

(ひゃっほーッ! 五十貫なんて大金見た事ないよ! なんて気前のいい御大将だ。仕えがいがあるってものだ! 女房も喜ぶぞう!)

「こら矩久、あとが支えている。喜ぶなら向こうで喜べ」

 と、助右衛門に注意され矩久は肩を歓喜に揺らしながら立ち去った。隆広に仕える兵や、今回隆広に付属された兵たちも隆広が石高を禄としていない事は知っている。すべて金銭の恩賞であるが、ある意味これほど分かりやすい褒美もない。

 お墨付きなので現時点では恩賞金はもらえない。北ノ庄に帰国した後に開かれる最後の論功行賞で拝領できる。この恩賞金惜しさに合戦の場で逃げるような事あらば、帳消しもありうる厳しいものだった。しかしそれは隆広も同じ。後でもらえる恩賞欲しさに命惜しみ合戦で及び腰になれば、即座に信長から褒美取り消しである。失敗しても、それまでに約束した褒美を与えるほど織田家は甘くない。与えるに惜しまないが、取り上げるのも容赦ない。これが織田家の厳しさだった。ゆえに織田の武将の中には完全に遠征が終わり帰国してからやっと論功行賞を行う者も少なくない。途中で部下に約束してしまっては、もし信長から恩賞をもらえない失敗をした時に部下に与えられなくなるからである。

 だが隆広は途中でやってしまっている。部下は自分の働きをすぐに評価して欲しいと分かっているからである。そして部下たちも隆広が信長から受ける恩賞を帳消しにさせてはならないとがんばる。隆広が得る恩賞のほとんどを部下に与える事は知っている。だから隆広を勝たせる事はそのまま自分の収入に繋がるのだから部下たちのやる気が他隊と違う。自分たちの恩賞を増やそうと躍起になって働く。水沢軍強しの要因の一つだろう。

 鳥居峠の戦いや高遠攻め、命賭けて戦った結果が褒美に出て喜ぶ面々。今回の合戦の恩賞で女房に何を買ってやるかとか、馬と武器を買うとか、他所で作った女へ渡すとか色々と使い道を楽しく論じていた。

 

 論功行賞は終わり、一息つく隆広。石田三成が側小姓に指示した。

「殿に茶をお持ちせよ」

「はっ!」

 しばらくして小姓が持ってきた茶を飲み、

「ふう」

 安堵の溜息を出す隆広。今の高遠は寒い。息は真っ白だった。

「気前の良い論功行賞でございましたな。しかしあれでは隆広様が戦後に得る金はわずかしかございませんが…よろしいので?」

 と、奥村助右衛門。

「いいんだ。ただでさえ高禄な手当てを毎月殿にいただいているからそれで十分。今回の戦の恩賞で得られるオレの実入りは、さえとすずにキレイな着物を買ってやれるくらいあればいい」

「すず殿に?」

「うん」

 三成、助右衛門、慶次は顔を見合わせ微笑んだ。そして三成が

「きっと喜ぶでしょう」

 と言うと、慶次は意地悪く笑い

「奥方がどんな顔するかが見ものですがな、あっははは」

「確かに。奥方の方が少し高値の着物の方が丸く収まりますぞ」

 珍しく助右衛門も慶次の冗談に乗った。

「そ、そうかな」

 隆広の家臣三人は、自分をかばって重傷を負い歩行困難になったすずを隆広がどう遇するのかを悟ったが、それに伴い、正室のさえがどんな反応を示すか少し意地の悪い楽しみも出てきた。

 

「ところで隆広様」

「なんだ佐吉」

「隆広様は武田家とどのような縁が?」

「え?」

「いえ、前から思っておりました。隆広様の開墾や治水術には甲州流がよく使われているし、城普請に至っても美濃流と甲州流を合わせて使っておられます。信玄公の用兵にも詳しいし、何故かと考えておりました」

「うん…。いい機会だから三人には話しておくか」

「お! 面白そうな話にございますな。おい酒と肴!」

 と、側小姓に命じる慶次。

「こら慶次、主人の話を聞くに酒を飲みながらとは」

「まあいいじゃないか助右衛門!」

「うん、飲みながら話すよ。すまんが酒と肴を頼む」

「はっ!」

 

 そして隆広は語り出した。

「オレがそろそろ十二歳になろうとした時だった。養父が旅に出る事を告げた。行き先は甲信、東海、関東、そして畿内。まず目指したのは甲斐だった。美濃から信濃に入り、甲斐を目指した」

「今回の進軍経路とほとんど同じですな」

 と慶次。

「うん、通った道もほとんど同じだ。で、やがて甲斐に入った。養父が連れて行きたかったのは恵林寺。快川和尚を訊ねて教えを受けるためだった」

「快川と云えば、信玄公も傾倒した名僧…!」

「そうだ助右衛門。快川和尚は元々美濃土岐氏の方で、稲葉山近くの崇福寺の住職だった。養父とはかなり親密な付き合いをしておられた方で、和歌においては養父の師とも云える方だ。斉藤家が滅んでもそのまま崇福寺の僧であったが、大殿(信長)を嫌い寺から出て行ってしまった。それで信玄公に誘いを受け、彼の禅の師となった。そしてその快川和尚を訊ねるべく、甲斐の夜道を歩いていた時だった」

 

「ん…?」

「どうしました父上」

「こい竜之介」

「は、はい!」

 長庵は道の先に異変を感じたようだ。夜道を一緒に歩いていた父の長庵が突如走り出した。竜之介はあわてて追いかけた。

「何をしているか」

 夜盗風体の男が少女を肩に担いでいた。長庵は少女の悲鳴を聞き逃さなかったのである。

「父上、こいつ人さらいだ」

「そのようじゃな」

 担がれている娘は猿ぐつわをされている。眼で必死に助けを求めていた。

「チッ!」

 夜盗の男は身丈六尺近い偉丈夫である長庵に勝てないと察して、少女を担いだまま逃げ出した。だが竜之介がすばやく追いつき、持っていた手製の竹やりで足をかけた。

「うあっ」

 男が転んだ拍子に放ってしまった少女を竜之介が抱きとめた。

「このガキャア!」

 夜盗は竜之介に殴りかかろうとしたが、長庵の持っていた六角棒に腹部を突かれ、悶絶して気を失った。

 

「ぷはっ」

 竜之介は少女の口につけられていた猿ぐつわを取った。

「大丈夫?」

「は、はい…。助けていただきありがとうございます」

「ん…?」

 長庵は少女の持っていた守り刀の鞘にある紋様を見た。

「武田菱…。かような物を持っていると云う事はそなた武田の姫か?」

「……」

 少女は警戒して自分の身分を言わない。

「何にせよ、ほってはおけぬ。ワシは旅の僧侶長庵、心配いらぬ」

「オレは竜之介! 女子が一人で夜道は危ないよ」

(かわいい子だなあ…)

 長庵と竜之介は少女を連れて行こうとしたが

「岐阜に行きたいのです」

 と、同行を断ってきた。

「ぎ、岐阜に? これから一人で?」

「私…どうしても岐阜に行かなければならないのです…」

 長庵と竜之介は顔を見合わせた。

「道筋は誤っておらぬが、そなたここから岐阜までいかほどあるか知っておるのか?」

「……」

「女子の一人旅では無理だよ。家に帰ったほうがいいよ」

 竜之介が諭すが少女は聞かない。

「でも私どうしても岐阜のお城に行きたいのです!」

「どういう理由で岐阜に赴きたいかは知らぬが、せがれの言うとおり女童の足では無理じゃ。今のような男は街道筋にいくらでもいる。このまま行かせるわけにもいかぬ。我らは恵林寺に向かっている旅の者だ。とにかくそこへお連れしよう。腹も減っていよう」

 少女の腹が先ほどから二度グウと鳴っていた。少女は顔を赤めて、やがて観念し小さくうなずいた。

 かくして長庵と竜之介は少女を連れて恵林寺へと向かった。恵林寺の僧たちにも躑躅ヶ崎館を飛び出した松姫の捜索命令が出ていた。そして恵林寺に近づくと

「ま、松姫様!」

 恵林寺の僧が寄ってきた。

「良かったご無事で…!」

「ホ、ホントに武田のお姫様ァ!?」

 竜之介は慌てて松姫に平伏した。

「や、やめて下さい…」

 困った顔で竜之介を立たせようとする松姫。

「すいません、助けてもらったのに名前も言わず…」

「良いのですよ、この時勢そう簡単には氏素性は名乗れない事は承知しています」

 長庵がニコリと笑って言った。

「ありがとうございます長庵殿」

「長庵殿…?」

 恵林寺の僧がその名を聞いて長庵を見た。

「おおッ! 貴方が正徳寺の長庵殿でございますか! 快川様よりお越しの事は聞いております!」

 

 その僧に連れられて、恵林寺に到着すると…

「勝頼兄様…!」

 境内に松の兄の武田勝頼がいた。彼自身も家臣を連れて恵林寺を拠点にして松を捜索していたのである。その勝頼は頭から湯気を出して松に歩み寄った。松はサッと長庵の後ろに隠れてしまった。

「松ッ!」

「は、はい!」

「勝手な真似をしおって! こっちに来い!」

「いやです! 勝頼兄様は松を絶対叩くから!」

「叩かれるようなマネをしたお前が悪い! さあ隠れてないでこっちに来い!」

「いや!」

「松!」

 その間にいる長庵が

「まあまあ」

 と、勝頼をなだめた。

「なんだその方は」

「愚僧は長庵と申す。旅路で偶然に松殿とお会いし、恵林寺への案内を頼んだのにございます」

「ちょ、長庵…? 確かにそう申したな…?」

「はい」

 勝頼は長庵の面構えと貫禄を敏感に感じ取った。

(これが…水沢隆家か…!?)

 勝頼の頭からはもう松の事など飛んでいってしまった。

「勝頼兄様…」

「…もうよい、さあ躑躅ヶ崎に帰るぞ」

 勝頼は松の腕を持ち、寺の用意した輿に入れた。そして長庵に振り向いた。

「いや、お見苦しいところをお見せした。手前は武田四郎勝頼と申す。正徳寺の名僧、長庵殿の名は、甲斐にも聞き及んでございます」

「それはお耳汚しを」

 長庵は勝頼に深々と頭を垂れた。

「しばらく恵林寺には滞在にござるかな」

「はい」

「色々とお話を伺いたい。よろしいですかな」

「愚僧の話などでよければ」

「ありがたい、それではここはこれにて」

 勝頼も長庵に深々と頭を垂れた。

「父上、あれが武田勝頼様?」

「そのようだ。どう見た」

「強そうです。陣頭に立ち、敵を瞬く間に蹴散らしていくような…」

 

「強いのと、敵を蹴散らす、と云うのは同じ事ではございませぬぞ」

 長庵親子に歩み寄ってきた僧。

「これは快川殿…」

「久しぶりにございます隆家…いや長庵殿」

 その長庵の横にいた竜之介はポカンとして快川を見ていた。

「はっはっは、どこが違うのかと云う顔ですな」

「ははは…。まだセガレには快川殿の申された事は分かりますまい」

「よう来られた。ロクなもてなしはできませぬが、歓迎いたしまする」

「しばらくお世話になります」

 竜之介も父に習い

「お世話になります」

 と元気に快川に挨拶をした。しかしまだ快川の言葉の意味が分からない。

「あの…」

「ご自分でお考えあれ。さ、こちらにどうぞ。離れの庫裏にお二人の部屋を用意いたしましたので」

 快川はそれ以上答えずに長庵と共にスタスタと歩き出してしまった。竜之介はプクと頬を膨らませて二人についていった。

 

 そしてその日からさっそく竜之介の修行が始まった。快川は論語や孟子、戦国策、菜根譚、管子、韓非子、老子、貞観政要などの中国古典を教材にして竜之介に教え出した。無論、今まで中国古典は養父長庵から教えられているが、さらに快川より教えを受ける事で昇華させ、熟知に至らせる事が目的だった。今までは古典の内容を記憶していただけ。それをどう活かすかを快川から教わるのだ。

 快川の教え方はとても分かりやすく、竜之介は引き込まれる。だが厳しい側面もある。帳面に記載する事は一切許されない。すべて暗記せよと云う快川の指導だった。予習と復習も徹底的に課せられ、居眠り一つしたらその場で修行は終わりである。現在では考えられない厳しさであるが、それに十分耐えうる知力と精神力を備え付けた養父長庵の指導もさすがと云うところだろう。そしてこの時に快川から受けた知識が後の智将水沢隆広の礎になったのは間違いない。

 

 長庵親子が恵林寺に逗留して五日後、武田勝頼が恵林寺を訪れた。そして長庵に面会を求めた。

「ご貴殿は水沢隆家殿にございますな?」

「その名は捨て申した」

「父信玄からの召し抱えにも応じなかったと伺っています」

「ご無礼の段、冥府の信玄公にお詫びしております。過分な待遇を約束されて下されましたが、水沢隆家の主家は斉藤家のみにございますのでお断りさせていただきました」

「隆家…。いや長庵殿、お教え願いたい」

「何でござろう」

 武田勝頼は頭を垂れて教えを願った。

「父の信玄が亡くなり、それがしが後を継ぎ申した。“三年我が死を隠せ”と父は述べましたが、それは徒労に終わり瞬く間に広まりました。父の遺言にはそれがしを竹丸(信勝)が成人するまでの間の後見と云う事にございましたので、重臣たちはそれがしを当主と認めようとしませぬ。いかがいたしたら宜しいとお思いでしょうか…」

「信玄公はどのような遺言をされたのですかな」

 勝頼は信玄の遺言を一言一句長庵に話した。長庵はそれを聞きしばらく考え

「ご遺言の通り、上杉謙信殿を頼られてはいかがか」

 と、答えた。

「やはりそうお思いか…」

「すでに妹君を喜平次(上杉景勝)殿に嫁がせたとの事にござるが、謙信殿にはさらに貢物をし、礼節をもってあたり、そしてとことん甘えられて良いと思いまする。かつて信濃勢が信玄公に領地を奪われ、謙信殿に泣きつき申した。それを受けて謙信殿は何の見返りも求めずに信玄公と戦う事になり申したが、このように謙信殿は礼節示せば必ず味方になって下さります。織田と徳川は“勝頼に謙信がついている”と思えば手も出せますまい。これで領地は保てるにございましょう」

「…なるほど、ではさらなる領土拡大はどうすればよいかと」

「それはやめなされ」

「は?」

「勝頼殿、せっかく駿河を得ているのでございますから海から得られる利にもっと着目しなされ。信濃、甲斐、駿河。この三国の経営をうまく行えば今いる家臣たちを食わせていく事は十分にできまする」

「し、しかし実際合戦で勝ち、領土を拡大して恩賞に当てなければ家臣たちはそれがしを当主と認めませぬ」

「領土をもって家臣の忠を求めるのはおのずと限界があり申す。ゆえに信玄公は碁石金なども褒賞に当てられた。金銭も立派な褒美。甲州にはまだ金山もございますし、駿河の金山もまだまだ金は出ます。そして駿河の港からの交易を商人の才ある家臣に任せれば他国から金も入ってまいりましょう。土地だけ与えていれば領主はいずれ破綻してしまう。金を恩賞に当てし信玄公に学ばれよ」

「長庵殿…」

「それに…勝頼殿は中々重臣に認めてもらえないのを焦っておいでのようでござるが、かようなものは先代の遺言がなくとも新たな当主はみんな背負うものなのにございまする。当主は孤独にござる」

「孤独…」

「ゆえに新当主は今まで自分に仕えてきて気心の知れた者を重用しがちで、先代の重臣を疎んじる。これは断じて行ってはなりませぬ。閥が生じ家中は内部崩壊いたしまする。家臣を分け隔てなく用い信頼し、最後は自分が責任を取る。その姿勢を見せていけばうるさ型の重臣たちもだんだん勝頼殿を認めていくようになりましょう」

 武田勝頼は食い入るように長庵の言葉を聞く。自分の指針が照らされていくような高揚感があった。

「織田と徳川…。虎視眈々と武田を狙うと思われます。どのような対応が望ましいと思われますか」

「さきの通り、謙信殿を後ろ盾として、そして動かぬ事と」

「動かない?」

「はい、風林火山の旗印にもありましょう。“動かざること山の如し”と。甲斐は四方が山に囲まれた要害の地。ここに篭られたら手出しできぬが必定。愚僧が織田信長なら遠江か美濃の城の一つ二つ犠牲にして、あえて勝頼殿にその城を取らせ、守りの人ではなく攻撃の人にさせるでしょう。その城の取り合いを繰り返し、武田が軍費で疲弊していくのを待ち、大軍で甲斐に攻めまする」

 目からウロコが落ちた思いの勝頼。

「かつ、岩村城は破却されるがよろしいかと」

「美濃にある武田家唯一の城を?」

「そのとおり、信長殿は叔母の無血開城に激怒したとの事。必ず攻めます。岩村は水も豊富な堅城ですが、いかんせん条件が悪うございます。美濃に一つしかない武田の城。それがしが寄せ手の大将なら、信濃との国境に武田の援軍を牽制する軍勢を配置して、岩村を取り囲み兵糧攻めにいたします。岩村は戦わずして落ちましょう。秋山殿には違う城を与えて破却し美濃と信濃の国境の防備を固くすれば良いと思います。岩村を残したままで、もし取られたら信濃攻略の橋頭堡になってしまいます。信濃は高遠まで堅城はござらぬゆえ、甲斐の喉元までの進軍をあっさり許す結果になりまする」

「なるほど…」

 勝頼は長庵に平伏した。

「かたじけのうござった! 今いただいた言葉すべてそれがしにとり金言にございまする!」

「いえ」

「なんぞお礼がしとうございます。何か所望はござらぬか」

「いや、かような事は」

「いえ、それではそれがしの気が済み申さぬゆえ」

「では…お言葉に甘えましてよろしいか」

「何なりと」

「弟君、仁科盛信殿に仕える諏訪勝右衛門殿」

「勝右衛門が何か」

「甲州流槍術の達人と伺っております。せがれの槍の師となっていただきたいのでございまするが」

「お安い御用にございます。盛信に命じ、勝右衛門を恵林寺に来させましょう」

 

「恵林寺に行けと?」

 ここは高遠城。武田勝頼の弟、仁科盛信の居城である。そして諏訪勝右衛門は城主の盛信に直命を受けていた。

「ああ、兄上のご命令だ」

「それがしは恵林寺で何をすれば…」

「いま、恵林寺に旅の僧侶がいて、その息子に槍を教えろと云うのだ」

「た、武田家中でもない者になぜ甲州流の槍術を教えねばならぬのですか!」

「オレもそう言った。しかし兄上はその僧侶にずいぶん教えを受けたらしい。返礼をせねばと云う事で、その僧侶が望んだのが“諏訪勝右衛門殿にせがれの槍の師となってもらいたい”との事だった。兄上はその場で引き受けた。というわけでオレも強くは拒否できなかったスマン!」

 盛信は勝右衛門に頭を垂れた。

「仕方ありませんな…。分かり申した、その主命お受けいたします。ただ一つだけ認めてもらいたいのですが」

「なんだ?」

「妻も一緒に恵林寺へ連れて行きます。新婚なもので」

 勝右衛門は先年に妻をなくし、つい三日前に後妻の花を妻にしたばかりである。名の通り花のごとき美しい女だった。

「かまわんぞ。いや~引き受けてくれて良かった!」

「断る余地などなかったではないですか」

 かくして諏訪勝右衛門は妻の花を連れて恵林寺へと向かった。今は春、恵林寺の桜が美しかった。

 

「きれい…」

「花には負けるがな」

「おだてても何もあげませんからね」

「ははは、さて、我が弟子殿はどんな…」

 と、恵林寺の門をくぐろうとしたとき、一人の少年が勝右衛門に向かって走ってきた。

「…? なんだ」

「諏訪! 勝右衛門様ですか!」

「ああ、いかにもそれがし諏訪勝右衛門であるが…」

 少年は勝右衛門に平伏した。

「それがし、竜之介と申します! 本日から諏訪勝右衛門様に槍の手ほどきを受けさせていただきます! よろしくお願いします!」

「お、おぬしが?」

 勝右衛門は槍を教えろと云うのだから、もっと年長の若者とばかり思っていた。だがまるで少女にみまごうような頼りない少年。それが弟子だった。だが平伏していた顔を上げた時に見た確かな面構え。これを勝右衛門は見逃さなかった。

“これはものになる…”

「竜之介殿か」

「はい!」

「いかにお館様(勝頼)肝煎りとはいえ容赦はいたしませぬ。覚悟されてそれがしの指導を受けられよ。よろしいな」

「はい!」

 少年らしい元気ある返事に勝右衛門夫婦は微笑んだ。この時、目の前にいる少年にやがて討たれる事になろうとは想像もしていなかったであろう。


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