天地燃ゆ   作:越路遼介

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高遠城落城

 高遠城の軍勢は三千、織田信忠率いる織田勢は四万強である。いかに高遠城が名築城家と言われている山本勘助の手による築城とは云え結果は見えていた。

 織田軍は城周辺に陣を構えた。高遠城は囲まれた。すでに逃げ場もなければ補給路もない。そして岩村城と同じく勝頼の本城である新府城から援軍が来る事はありえない。篭城は古来援軍を頼りとしての戦法である。城主の仁科盛信は意地の戦いを見せるつもりであった。

 

 織田信忠は総攻めを敢行した。信長本隊にあった明智光秀の軍勢も信忠の戦陣に赴き、一斉に高遠城攻めが開始された。高遠城の城兵は善戦した。しかし十三倍以上の兵力が相手ではどうにもならない。瞬く間に大手門は落ち、攻め込まれた。

 

 水沢隊も高遠城西門を突破して、城内に侵入した。滝川隊が東門、明智の斉藤利三隊が北門から、信忠軍の川尻秀隆が南門から怒涛の如く攻めていった。高遠勢は城将の仁科盛信を先頭に、大将の小山田備中守(岩殿小山田氏とは別系統)、飯島民部少輔が城兵を指揮して、攻め入る織田勢と戦った。しかし衆寡敵せず、次第に外郭より打ち破られ、城兵は織田勢に討ち倒され、盛信は側近の屈強の士三十余人とともに敵を迎かえ撃った。

 本丸に突入したのは斉藤利三勢であるが、斉藤利三は仁科勢のすさまじい抵抗に恐怖さえ感じた。だがしょせんは多勢に無勢。次々と盛信の家臣たちは討ち取られた。

 

 しかし城攻めを受ける側は劣勢になると、今まで味方だった者が突如として敵になる。敵に寝返るのではない。助かる見込み無しと思った者が城内の女に襲い掛かるのである。“死ぬ前に女を抱きたい”と云う事である。その相手の対象はお姫様だろうと殿様の正室であろうと関係ない。

 仁科盛信の正室の百合。妹の松も男のそんな狂気から逃れられない。だが一人、落城間近となっても武人の節義を失わず、主君盛信の大切な二人の女を守る者がいた。水沢隆広の槍術の師にて、仁科盛信のもっとも信頼する武将、諏訪勝右衛門であった。

「どけーッ 死ぬ前に女とやるんだ!」

「邪魔するならぶった斬るぞ!」

「おろか者が!」

 

 ズザザザッッ!

 

「ぐぎゃあッ!」

「おぐぅッッ!」

 穂先の血糊を暴徒の着物でぬぐう諏訪勝右衛門。

「昨日までは節度ある兵であったのに…まさに戦は狂気、狂気が狂気を生む…」

「かたじけのうございます。勝右衛門殿のお助けなくば今ごろ私と松殿は」

 鉢がねを頭に巻き、薙刀で奮戦していた百合と松。さすがは武田の女であるが、もはや肩で息をしていた。

「はい、ですがお方様、そろそろご自害のお覚……!」

 百合にかしずく諏訪勝右衛門。その背後に

「勝右衛門殿!」

 百合も敵に気付いた。すかさず振り向いて槍を突く諏訪勝右衛門。しかし今度は相手が多すぎた。織田勢ではなかった。またも仁科家の雑兵たちである。一人は突き殺した。だが、

 

 ダーンッッ!

 

「グアッ!」

「よっしゃ、ええ格好しいの邪魔者は死んだぜ、犯せ犯せ!」

 暴徒は十人以上いた。彼らは鉄砲で味方の将を撃ったのである。まさに地獄絵図である。百合と松の薙刀は弾き飛ばされ、二人は織田勢ではなく味方の仁科の雑兵に犯されだした。

「恥知らず! いかに死が迫ろうとかような事をして恥ずかしいと!」

 

 バシッ

 

「あうっ!」

 百合の頬に容赦ない平手が飛ぶ。

「やかましいやい! この期に及んでお高く留まっているんじゃねえ!」

 百合の着物が破かれ剥ぎ取られた。

「ゆ、百合殿! は、放しなさい!」

 松の髪を引っ張り、そして暴徒は着物に手をかけた。多量の出血に諏訪勝右衛門は意識もうろうとなりながらも何とか主君盛信の大事な二人の女を助けようとするが、もう体が動かない。

「きさまら…! それでも武田の兵か…!」

 百合は全裸にされ、組み敷かれた。そして夫盛信に操を立てるため舌を噛もうとした瞬間だった。

 

 ザスッ

 

「…え」

 暴徒は自分の喉から刀の切っ先が飛び出ているのを見た。そして刺した者はその刀を抜くや、暴徒の奥襟を掴んで、百合から退かせて放り投げた。暴徒はそのまま絶命した。そして彼は百合に自分の陣羽織をかぶせたのである。

「かたじけのう…。そなたは…」

「りゅ、竜之介か…」

「はい」

「お方様を助けてくれ…かたじけない」

 百合を間一髪のところで助けたのは西門の寄せ手の大将水沢隆広だった。他の暴徒も隆広の部下たちに斬り殺された。死の恐怖に負けて女を手篭めにするなど彼らのもっとも嫌う事である。

 松も助けられた。着物を破かれ、肌もあらわになったが助けた者はそれから目を背けながら松に優しく自分の陣羽織を着せたのだった。その松姫を助けたのは

「大事無いか、お松殿」

「……!?」

「やっと…会えた」

「の、信忠様…?」

「いかにも」

 松の目から涙が溢れた。

「ああ…! 信忠様…!」

 松は信忠の胸に飛び込んで泣いた。子供の頃から想像していた婚約者の姿。凛々しく、そして優しい殿御に違いないと子供心に想像していた。そしてあわや暴徒に陵辱されるところで助け出してくれた凛々しく優しい若武者。それがかつての婚約者信忠だった。

 水沢隆広と織田信忠は松との対面を果たすために賭けに出た。それは本陣に影武者の信忠を置いて、総大将自らが敵の城に乗り込む事だった。第三者が松を救出して本陣にいる信忠の元に連れて行っても意味が無い。自ら出向いて救出しなくては信忠と戦う姿勢を示した松は信忠に心は開かないと隆広は見たからである。女心に小細工は無用。誠の心で危険を顧みずぶつかっていくしかない。智将隆広、策なしの策を信忠に持ちかけ、そして信忠はこの危険な賭けに乗った。

 

「ゴホッ そうか、あれが中将殿か…」

「はい」

 諏訪勝右衛門の止血をしようとする隆広。だが勝右衛門はそれを固辞するように隆広の手を弾いた。

「そんな情けは相手を余計にみじめにする…。そう教えたはずだ。ゴホッ」

 銃弾は勝右衛門の右胸を貫いていた。肺に穴が開いているのだろう。呼吸もままならない。

「先生…」

「槍をとれ竜之介、そしてワシと戦え…」

「そ、そんな重傷で何を…!」

「隆広様!」

 前田慶次が怒鳴る。目が『そんな情けは相手を余計にみじめにする。今さっき教えられた事がまるで分かっていないではないか』と示していた。

「さあ、槍を取れ…。ワシにはもう時間がない…」

「…分かりました」

 隆広は刀をおさめ、助右衛門から槍を借りた。勝右衛門は微笑を浮かべ、呼吸を整えながら何とか立ち上がった。二人は静かに構えた。まったく同じ構えである。真剣勝負、一瞬で決まる。前田慶次、奥村助右衛門も静かに見届けた。

「仁科家部将、諏訪勝右衛門頼清」

「柴田家部将、水沢隆広」

「「参る!」」

 

 シュバッ

 

 勝右衛門の剛槍が隆広の頬をわずか掠めた。そして

 

 ドスッ

 

「見事だ…!」

「勝右衛門先生…!」

 隆広の槍は勝右衛門の胸を貫いた。そして勝右衛門は静かに倒れた。

「勝右衛門先生…。不孝をお許しください…!」

「詫びる事などない…。同士討ちの鉄砲の弾ではなく、敵将との一騎打ちで散れる。ワシの望んでいた死に様よ」

 そう言うと勝右衛門は愛槍を隆広に渡した。

「無銘だが…今までワシと共に苦難を払いのけた我が愛槍…。受け取ってくれ…」

 助右衛門の槍を置いて、勝右衛門から槍を受ける隆広。

「本日よりこの槍を我が愛槍といたします」

「さらばだ…。一足先に失礼いたす…」

 諏訪勝右衛門は息を引き取った。肩を震わせて合掌する隆広。そして勝右衛門の死とほぼ同時に

 

“仁科盛信殿ご自害! 御首、ちょうだいつかまつった!”

 と城の上から勝どきがあがった。この時の仁科盛信の最期は明智勢を感嘆させたものだった。

 仁科盛信は城主の間でとうとう一人となり囲まれた。思う存分明智勢を斬った彼は、囲む明智勢に『待て』と制した。そして明智勢に囲まれる中で、静かに辞世の句を書いた。書き終えると『お待たせした』と述べ、腹を切った。介錯は斉藤利三自ら行ったと云う。仁科盛信には息子が二人、娘が一人いたが盛信は前もって子を桂泉院と云う寺院へと落ちさせていた。息子二人は水沢隆広に仕え、娘の督姫(家康の娘と同名だが別人)は隆広の養女となるが、それは後の話…。

 

 師を自ら討った隆広。目にうっすら浮かんでいた涙を拭き信忠にかしずいた。

「信忠様、城に火を放つ手はずになっています。松姫様を連れてそろそろ退避を」

「そうだな、さあお松殿。一緒に岐阜に参ろう」

「……できません」

「な…」

「お願いがございます。私を勝頼兄様のいる新府の城にお連れ下さい」

「なぜ…」

「私はやはり武田の娘。このまま信忠様と共に岐阜に行き、妻となったなら…私は父の信玄と兄の盛信にあの世で会わせる顔がございません。このうえは新府にいる兄勝頼のもとで武田の運命を共にする所存にございます」

「やっと会えたと云うのに…もう別れなければならぬと…!」

「松は…今日の思い出だけで生きていけます。信忠様の胸の温もり、一生忘れませぬ」

「お松殿…! もうオレはそなたを離しとうない…! オレは織田を捨てる。お松殿も武田を捨てられよ…! 貧しくとも二人で共に暮らそう!」

 松は自分を抱きしめる信忠から振り払うように離れた。目から涙がポロポロと流れ落ちる。

“私だってそうしたい。でもできない。私は武田信玄の娘なのだから…!”

「お許し下さい…!」

「お松殿…!」

「信忠様…!」

 無念に拳を握る信忠。そして静かに言った。

「……分かり申した。隆広、お松殿を新府に無事送り届けよ」

「承知しました」

 信忠は松に背を向けた。

「さよならは言わぬ。また会おうぞ。お松殿」

「はい…!」

 信忠は松への想いを振り切るかのように松のそばから離れ、隆広の兵に守られ高遠城の脱出口へと走っていく。去り行く信忠の背を見て涙にくれる松。運命は残酷だった。この一度だけの出会いが同時に信忠と松の今生の別れとなるのである。

 

「松姫様…。後悔なさりませぬか」

 と、隆広。

「…分かりませぬ。しかし私にはこうするしか…!」

「変わりませぬな…。一途で、不器用で要領が悪い…」

「竜之介殿…」

「ですが竜之介はそんな松姫様が好きです。さ、まずは城を退避しましょう。新府にはそれがしが責任もってお送りいたします」

「お願いいたします…」

 隆広は百合も連れて行こうとして彼女を見たが、百合は隆広の意図を察し首を振った。

「いいえ、私は行きません。城主の妻が…夫死してなぜ逃げられます」

 そして盛信から自刃用にと渡されていた小刀を抜いた。

「水沢隆広殿と申されましたね」

「はい」

「あなたのような若武者が武田におれば…武田はこうも脆く敗れなかったであろうに…」

「……」

「私が肌を見せるは盛信様のみ。肌をさらして死ぬは恥辱。この陣羽織、あの世までお借りいたします」

「承知いたしました」

 百合は整然と首に小刀を突き刺し、夫の元へと旅立った。仁科盛信正室百合の方、享年二十歳。名の通り、百合の如く美しく、そして散った。

 

 やがて高遠城に火が放たれた。隆広の将兵たちは松を連れて脱出を開始した。そして出口に差し掛かったあたりだった。

「……!」

 隆広と共に駆けていたくノ一藤林すずの鼻がヒクヒクと動いた。

「火縄の匂い…!」

 すぐに周りを見渡したすず。そして見つけた。隆広に銃口を向けている一つの鉄砲を。

「隆広様あぶない!」

「なに…!?」

 

 ダーンッ

 

「ああうッ!」

 すずが隆広をかばい、背中に銃弾を受けてしまった。

「すず―ッ!」

「う、ううう…」

 

「くッ!」

 鉄砲を撃った者、それは何と女だった。すぐに刀を抜いて隆広に向かってきた。だが奥村助右衛門に斬られてしまった。

「あぐッ…!」

 隆広はその女を知っていた。

「お花様…!?」

 それは諏訪勝右衛門の妻の花だった。隆広は勝右衛門の元で槍を習っていた時、彼女の世話にもなっている。厳しい修練で負傷した時も彼女に手当てを受けたものだった。悲しい目で隆広を見る花。

「よくも夫を! 武田家を!」

 鉄砲で狙い撃ちするほどである。夫を討たれた花の怒りは並大抵のものではなかった。隆広は返す言葉もない。望まれた立ち合いとはいえ、諏訪勝右衛門は戦える状態ではなかった。それを突き殺したのはまぎれもなく隆広である。

「師と云えば父も同じ…! あなたは父を殺した…! 必ず報いを受けましょうぞ!」

「……」

 花は刀を拾い、そして口に刀の切っ先を突っ込んだ。

「…! や、やめろおおおおおッッ!!」

  隆広の制止は間に合わず、花はそのまま勢いに任せて倒れて刀は体を貫いた。即死である。

「お、お花様…」

 悲痛に目を閉じる隆広だった。しかし今は戦時、かつ炎上する敵城から退却中。立ち止まるわけにはいかない。隆広は花から刀を抜いて、着物を整えて寝かせ合掌した。偽善の極みだが今の彼にはこれしか術がなかった。

 

「すず!」

 白が悲痛に叫ぶ。師も、その妻も死に追いやった自責にさいなまれていた隆広はハッとしてすずを見た。すずの背中から出血がおびただしい。

「すず、すず!」

「背骨に当たったようで、弾は体内に至っておりません。だけど…その背骨が砕け…」

 応急手当をしながら白が言った。

「なんて事だ…!」

「大丈夫です。生きています。ですが私はもう歩けません…。置いて逃げ…」

「バカな事を言うな!」

 隆広はすずを背負った。

「引くぞ! まだどこに刺客が隠れているか分からん、注意せよ!」

「「ハッ!」」

 

 数に勝る織田勢の前に仁科盛信らは防戦むなしく、ついに敗れて高遠城は落城炎上した。

 本陣から炎上する高遠城を見つめる信忠と隆広。すでに松は隆広の部下たちに護衛されながら新府城に向かっていた。

「最後まで造作をかけるな隆広」

「かような事は…」

「ところで…討ち取りし諏訪某は、そなたの師か」

「はい」

 ためいきをつき、静かに床机に座る信忠。隆広はそのまま地に片膝付いてかしずく。

「そうか、そなたにとってはつらい城攻めであったのだな。それなのにオレがお松殿と会うためにチカラを尽くしてくれた。信忠忘れんぞ」

 さらにまた大きいため息を吐く信忠。

「しかし、そなたがそうまでしてくれたのに…結局お松殿と離れ離れにならなければならなくなった」

「信忠様あれで…」

「言うな、ああするしかなかった…」

「は…」

「隆広、そなたは好いた娘と結ばれたそうだな…」

「はい」

「大事にするのだぞ…。水沢家よりも、そして己の命よりも」

「はい…!」

 

 隆広は自分の陣に戻った。そしてすぐにすずの元へ行った。

「白、すずの容態はどうか?」

「我ら藤林忍軍の薬師が懸命に治療しております。何とか一命は取り留めそうですが…」

「ですが…なんだ?」

「もう走れませぬ。すずは…立つのがやっとの人間になると…」

「……」

「だいたい隆広様がモタモタしているから! 武将のくせして火縄のにおいも気付かないなんて!」

 親友すずの手負いに泣く舞は隆広に怒鳴った。平時なら火縄の匂いを睡眠中でも気付く隆広だが、あの時の城内は硝煙のにおいだらけである。その中で気付いたすずをさすがと云うほかない。

「よせ舞!」

「だって白…!」

「そうか…。もうすずは走れないのか…」

「隆広様の責任ではございません。我らは隆広様の護衛も任務。盾になる事は我ら覚悟のうえにございます」

「いいや…」

「え…」

「オレの責任…。オレの責任だよ」

「隆広様…」

「すずが許してくれるなら…オレはこれからのすずの一生すべてに責任を取る」

 

 松を新府城へと連れて行く一行を前田慶次が先導していた。吐く息が白い。

「ふう、さすが山国の甲斐…。峠越えたら一面雪だな。松姫殿、寒くはござらんか」

「平気です、慣れていますから」

「ははは、そろそろ新府にございまする。お支度を」

「はい」

 そしてもうしばらく進み、女の足でも城まで一寸のところに輿を降ろした。慶次は松風をおり、輿の中の松にかしずいて述べた。

「松姫殿、新府城に到着しました。手前たちは織田方ゆえ、ここまでが限度にござる」

「ありがとうございます」

 と、松姫が輿を降りた時だった。

「前田様!」

 共にいた隆広の忍びたちが身構えた。武田兵が慶次の一行を囲んでいたのである。殺気立ち槍を向ける。

「ひぃ、ふぅ、みぃ…。鉄砲はないようだし何とかなるか」

 特に慶次は慌てず、朱槍を身構えた。藤林の忍びたちも構える。松は慌てた。

「武田将兵よ、我は信玄六女の松! この者たちに危害を加えてはなりませぬ。彼らは…」

「待て!」

 武田兵を率いていた武将が前田慶次に歩み出た。黒い兜に金色の六文銭の紋様が映えていた。

「よく見よ、織田方とは申せ、彼らは松姫様を新府までお送りして下された一行。交戦中でも節義は守れ」

 武田兵は槍を収めた。

「部下たちが失礼した。手前は真田昌幸」

 慶次は心の中でうなった。大変な男が出てきた。真田昌幸、名将と呼ばれる真田幸隆の息子で、父をも凌駕する智将となり『信玄の眼』と云う異名で畏怖されていた。

「その朱槍、その巨躯。お手前は前田慶次殿か」

「いかにも」

「松姫様を高遠からお連れして下された事、主君勝頼に代わり礼を申す」

 小男とも言って良い昌幸。しかしその武将としての貫目は慶次さえ圧倒させる。軽く頭を下げている姿さえ威厳に溢れていた。

「いえ、君命でござれば」

「ここより松姫様は真田が守ります。お引取り下され」

「承知いたした。引き上げるぞ!」

「「ハハッ」」

「昌幸殿…」

「松姫様、ようご無事で」

 松姫にかしずく昌幸。

「高遠は…」

「存じております。さ、お館様がお待ちにござる。矢沢頼康」

「はっ」

「松姫様をお館様のもとへお連れせよ」

「承知いたしました」

 そして立ち去っていく慶次一行を見る真田昌幸。

「あれが手取川の豪傑の前田慶次か…。ワシが止めねばここの警備兵は全滅していたな…」

 

 前田慶次もまた

(あれが真田昌幸殿か。オレ自身智謀に無縁な人間だからあの御仁の恐ろしさが余計に分かる…。勝頼殿にはまだ大した軍師がおられる。織田は油断大敵だ)

 と、昌幸に畏怖した。真田昌幸は鳥居峠の合戦の際に“交戦状態に入らず後退すべき、木曾殿に織田の加勢あらば勝ち目なし”と止めたが勝頼は止まらなかった。結果は予想どおり大敗。

 だが昌幸は隆広の挟撃策を看破しており、寸でのところで退路を見出し勝頼を戦場から離脱させる事に成功していた。この後に真田昌幸は挟撃の別働隊の指揮を執っていたのが二十歳の若者だったと聞き呆然としたと言われている。何故ならその別働隊の大将はあえて退路を残しておいたと分かったからである。ただの情けではない。武田兵を窮鼠たらしめ手痛い反撃を食らわないためである。二十歳そこそこの若僧の戦ぶりではない。昌幸はそう感じた。

「かような者が武田におれば…」

 昌幸は百合と同じ事をボソリとつぶやき、新府城内の自分の部屋へ歩いていった。




本作で亡くなってしまう、花さんの墓所は高遠の五郎山、その山中にありまして見つけるの結構難しかったです。地元のタクシーの運転手さんが親切な方で一緒に探したのを覚えています。
花さんの最期は『im@s天地燃ゆ』でも書きましたが、視聴者さんコメントに『原作屈指の鬱展開』とあり、上手いことを言うなぁと思いました。

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