天地燃ゆ   作:越路遼介

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石田三成の花嫁

 掘割の作業もそろそろ終盤に達していた。高瀬舟は敦賀の町からすでに北ノ庄城下に運びこまれ、出番を今や遅しと待っていた。人々は完成したらどんな便利になるかと胸をときめかせ、時には無償で工事の手伝いもしていた。

「掘割もそろそろ完成でございますね、水沢様」

「そうですね」

 隆広と源吾郎が堀沿岸を散策しながら歩いていた。

「あとは九頭竜川の治水だな。しかし掘割よりはるかに膨大な資金を必要とする。年貢からこの資金の全額を出したら軍備や他の内政にシワ寄せが行くから無理だし、増税は論外。源吾郎殿、話と云うのはですね」

「伺いましょう」

「柴田家に国営資金を稼ぐ集団を作ろうと思う。しかも民の仕事に支障をきたさずに」

「難しいですね…。人材はどのような者たちを考えておりますか?」

「現在、越前にいる商人衆から作る気はありません。無論、藤林一族からも。つまり振り出しの状態から始めます。算術に明るい者、交渉術に長けた者を集めて一つの集団を作り、九頭竜川治水の資金を稼がせます」

「となると、武士町人農民の垣根なしで集めようと?」

「そうです。条件は算術、交渉術に優れ、かつ胆力のある者となります。三つ兼備した者は一人だけでいい。それを長にすれば大丈夫です。全員がそれだと船頭が多すぎてダメです」

 その人材を見つけてくれと云う指示という事はすぐに分かった。

「分かりました。心当たりを探してみます。して、水沢様の展望では、その資金を稼ぐ方法は?」

「うん、越前領内でこれから新たなに出来そうな産業は会所の設営、酒造り、製鉄、果樹栽培、塩田、牧畜、製紙にございます。そして元々の漁業や林業の充実を図り、荒地もどんどん美田に変える。だがこれには金がいる。だから交易です」

「交易」

「そう父の隆家が楽市楽座を道三公に起草したのは、他国からどんどん金を入れる事を目的としたためです。元は商人の道三公はすぐに理解し養父にそれを許可しました。その結果美濃は日本一豊かな国ともなりました。これを学ばなくてはなりません。

 そして時代は移り変わっています。織田家は兵農分離が進み、半農半士の国より金がいります。父の楽市以上に国の利益になる方法を考えなくてはなりません。酒田、直江津、堺、京、小田原、赤間関、博多、平戸、これらの都市の商人衆から敦賀を認めてもらい交易を行います」

「壮大なお話にございます」

「だがやらなければならない。越前にとって九頭竜川は恵みの川であると同時に、恐ろしい牙を潜める暴れ川。この治水資金はどう見積もっても六万貫は行きます。とうてい民から集められない。柴田家は越前の領主、我らの手で行い、その恩恵を民に与えるくらいでなければダメなのです」

「一文も民から取らないつもりなのですか?」

「治水工事資金だけです。その後に沿岸に作る美田の開発資金は出してもらいます。だからその前に柴田家が民に与えなければダメなのです」

 理想論だと思いつつも、隆広が言うと出来そうな気がする源吾郎だった。

「また、その稼いだ金で民たちへの診療所や学問所を作る事も考えています。薬は高価で貧しい民は病気になったら死ぬしかない。こんなバカな話はありません。また自分の名前すら書けない者がどんなに多い事か。こんな情けない話はありません。何とかしなくちゃ」

「水沢様…」

 ここまで民の事を考える行政官がいるだろうかと源吾郎は胸が熱くなった。忍者と商人の二つの顔を持つ彼であるが、その双方の顔で心から忠誠を誓える若き主人に巡りあえた幸せを無信心な彼でも神仏に感謝したほどである。

 戦国武将の中で水沢隆広が抜きん出て後世の人々に人気があるのは、この民を大切にした内政官と云う一面があるからだろう。ただ合戦が強いだけでは後世の支持はない。

「柴田家が持つ商人集団の仕事は交易です。海路陸路と販路を管理し、安値で買ったものを高価で売ると云う交易の大前提を確立してもらいます。それでかつ国営の仕事で民の雇用を増やせれば最高の展開なのですが…まあ当面はそこまで無理でしょうね」

「そうですね。出来る事から一つずつやっていくべきでしょう。私も及ばずながら尽力いたします。…おや? あの人だかりはなんでしょうか」

 隆広たちが歩く堀沿岸で六、七人の人だかりがあった。

「どれどれ、行ってみよう」

 

「だあ、だあ」

 それは城下の女が抱いている赤子を見ている人だかりであった。毛布にくるまれ、母親の胸に抱かれている赤子は愛らしい笑顔を見せていた。

「かわいいわねえ…」

 と、町民娘。

「こんな可愛い赤子を見ていると、ついつい故郷が恋しくなるなあ」

 と、旅人。

「ぐふふふふ、悪事を重ねている商人のワシでも赤子の顔を見ると心が洗われるわい」

 以前隆広に『天女のように美しい奥様にぜひ』と、石に塗料を塗っただけの『翡翠の首飾り』のニセ物を高値で売ろうとした悪徳商人の岩熊がいた。結構うまくできていたので、危うく隆広も騙されかけたが、たまたま一緒にいた佐吉がニセ物と見破り、隆広にこってりアブラを絞られた男である。

 が、どうやらこの男は三歩歩くと都合の悪い事は忘れるようで、隆広がその集団に歩いてきても平然としていた。そんな岩熊の態度に苦笑しつつも、隆広はその集団の人気者の赤子を見た。

「ほほう、これはめんこい」

「まあ、隆広さん、ありがとう」

 母親は子供を褒めてくれた隆広に礼を言った。

「いやあ、みなさんが見惚れてしまうの分かります。本当に癒されます」

「隆広さんのところはまだ?」

「ん? ああ、こればかりは天の授かり物ですから」

「隆広さんとさえさんの子なら、きっと可愛いのでしょうねぇ」

「ぐふふふ、という事はあの美しいさえ殿と。水沢屋、おぬしもワルよのう」

 と、岩熊。

「誰が水沢屋だ! しかし急に子供が欲しくなったな」

「ならば、善は急げよ! 隆広さん!」

「よ―し! 今日は子作りだ! 源吾郎殿、では!」

「でっかい声でまあ…」

「あれが若いって事ですなァ源吾郎さん、ぐふふふふ」

「悪い事言わぬから『ぐふふふふ』はやめろ…」

 

「さえ―ッ!」

「お前さま、お帰りなさい! ちょうど良かった、家臣の…」

「さえ、子供を作ろう!」

「はあ?」

 さえの言葉を聞いていない。先日に刺客を撃退した夜、隆広が女忍びと親しく話していた事をさえは怒り、しばらく自分に触れさせずお預けにしていたが昨日ようやく許して身を委ねた。

 しばらくお預けをくっていた隆広は昨夜の閨だけでは足りなかったらしい。帰るなり子作りを要望した。さっき源吾郎に見事な算段を説明していた時の顔は空の彼方に飛んでしまっていた。

「今日ものすごくかわいい赤子を見たんだ! オレも欲しい!」

「そ、そんないきなり…しかもお昼で…」

 突然の迫力にさえは隆広から後ずさりしていく。

「いいじゃないか! さあ! いざ尋常に子作りだあ~ッ」

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 隆広はさえを抱きしめた。後ずさりするさえを追いかけてきたので、もう場所は玄関から居間になっている。

「さあ、蒲団を…」

 居間に入ると、奥村助右衛門の妻津禰と前田慶次の妻加奈があっけにとられていた。一緒に助右衛門と慶次もいたが、場の空気を読んでその場から消えていた。残されたのは石田佐吉だけである。逃げ遅れた。

「ああ! 二人ともズルい!」

 

「だあああッ!? なんで津禰殿と加奈殿がおるのだ!」

「だから待ってくれと言ったのに…恥ずかしい…」

 津禰と加奈は一斉に吹き出した。

「あっははははは! 相変わらずの愛妻家ぶりですね! あ―おかしい!」

 涙を流して加奈は大笑いしていた。津禰は笑いをかみ殺すのが精一杯のようだった。

「んもう…家臣の方々が引越しを終えてご挨拶に見えていたのです。それなのにお前さまったら本当に恥ずかしいです。助平なお前さまは、さえ嫌いです」

「そ、そんな、ついなんだよ、つい!」

「理由になっていません。『つい』で済んだら役人いりません」

 プイと隆広から顔を背けるさえ。

「機嫌直してくれよう~。悪かったよう~」

 

「はいはい、もういいですか。ちょうど隆広様も帰ってきたことですし」

 付き合っていられるかと言わんばかりの口調で、助右衛門が居間に再びやってきた。慶次も笑い泣きしたのか、眼が潤んでいた。

「お留守の時にお訪ねして申し訳ござらん。奥方様に引越しを終えたご挨拶に…あっははははは」

「ああもう! 笑いの虫を抑えてから言ってくれ!」

 家臣の話を聞くのである。隆広はあぐらをかいて座り、胸を張った。

「遅いって…」

 加奈の突っ込みは無視した。

 

「そうか、みんな引越しを終えたのか」

 柴田勝家は先日に隆広が刺客に襲われたのを鑑み、隆広をより広い屋敷へ移るように指示し、かつ奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉に隆広の屋敷ほど近くに引っ越すように命令したのである。

 三人はその下命に従い、本日に引越しを終えたので隆広の妻であるさえにその報告を兼ねて挨拶に来ていたのだった。そこに隆広がいきなり『子作りしよう』と帰ってきたと云うわけである。

「はい、そのご挨拶を妻共々奥方様にいたしていた次第ですが、ご相談したき事もございました」

「相談?」

「はい、勝家様は隆広様をこのお屋敷にお移しになり兵十人づつに交代の常駐を義務付けました。忍び三名も夜間は常駐すると伺っています」

「そうだが」

「兵士十人と隆広様ご夫婦、加えて忍び三名、これの食事や雑事や何やらでずいぶん屋敷はあわただしくなります。また内政主命に伴い、時に城下の商人たちや人足たちを大広間などでもてなす機会もあると思います。新たに女中を雇う必要もありましょうが、失礼ながら隆広様はそんなに裕福でもないのでそう多くは雇えない。ならば手前どもの妻の津禰と加奈が奥方様について水沢家の台所を切り盛りしてもらおうと、慶次、佐吉とも話した次第ですが…いかがでしょうか」

「うん! オレは異存ない。家族が増えて楽しそうだ。さえはどうか?」

「うん…」

「どうした?」

「だってあんまり人が多いと…」

「…バカだなァ。寝室では二人きりだよ」

 さえの手を握る隆広。

「うん…(ポッ)」

 完全に二人の世界に入る隆広とさえ。もう勝手にしてくれと言わんばかり、助右衛門は右手で目を覆った。慶次は澄まして煙管に火を着けているが、佐吉は居心地悪そうに頭を掻いた。でも少し微笑んだ。

(もうこのイチャイチャぶりをうらやましく思うこともないぞ)

 

 その時、佐吉の脳裏に一人の少女が浮かんできた。それは掘割工事の陣頭指揮を執っている時、一人の幼馴染と再会していたのである。

 佐吉の父は石田正継といい、浅井長政に仕えていた。今は長浜城と名を変えた今浜の地で暮らしていた時、隣の家には父の同僚の山崎俊永が住んでいた。山崎俊永は姉川の合戦で戦死した浅井軍の勇将山崎俊秀の弟である。兄に似ず、槍働きはまったく出来ない男であるが土木工事に長けており、それを浅井家家老の磯野員昌(かずまさ)に買われ仕えていたのである。

 石田正継は当主の浅井長政直臣であるが、下っ端もいいところの武将で、俊永は家老磯野家の下っ端武将だった。石田家も山崎家も貧しいながらも仲睦まじく隣人の誼を通じていた。

 その俊永には伊呂波と云う娘がいた。佐吉は幼いころから伊呂波に思慕を抱いていた。後年は貞淑女性ともなる伊呂波だが、幼き日は男勝りで隣に住む頭でっかちの軟弱男児の佐吉少年をよく苛めていた。

 そんな佐吉受難の日々、浅井家から山崎俊永の上司武将の磯野員昌が織田につき、俊永も織田についた。姉川の合戦で磯野手強しと見た織田信長が、調略をもって当主長政と筆頭家老の員昌との不和を仕掛けたのである。長政はまんまとこれに乗せられ、人質として預かっていた員昌の老母を殺してしまったのである。

 主君長政に失望した員昌は丹羽長秀の説得に応じて佐和山城ごと降伏した。山崎俊永もこれに従った。そもそも陪臣の俊永にとり主人は磯野員昌であり浅井長政ではない。当然の行動であるが佐吉の父正継はそれを潔しとせず隣人の交わりを断った。

 その後に戦火に巻き込まれた今浜の城は落ちて正継は討ち死に。佐吉は織田と交戦状態になる前に寺へ小僧として出されてしまった。それで後に秀吉に見出されて仕え、その秀吉から薦められて、現在は水沢隆広に仕えている。

 隆広の行う内政主命のすべてに右腕として働き、この掘割工事を共に行っている時、織田信長の家臣となり高島一郡を与えられている磯野員昌に仕える山崎俊永は娘をつれて北ノ庄にやってきた。掘割の作業を見たかったのだ。彼は自分の才を最も生かせるのは土木工事と自負している。だから北ノ庄の掘割をどうしても見たくてやってきたのである。

 

「見ろ伊呂波よ、この工事の責任者は治水をよく知っている。水は恐ろしきものだが、その流れを制すれば、大きな力を得る事が出来る。水は田畑を潤し、大きな実りをもたらす。また、水は川へと流れ、物や人を運ぶ。戦の際には大軍勢を防ぐ堀ともなってくれる。まこと水は偉大よ。その水を御するための技が掘割。ワシはその名人になりたいと思うておる。ワシにとっての大きな夢だ。

 そしてこの北ノ庄の掘割は見事の一字。指導者の水沢殿は伊呂波と歳が同じと云うではないか。まことすでに細君をもたれていることが残念でならぬ。まだ独り者ならば、ぜひに我が娘伊呂波を嫁にと願っていたところだ」

「そんな…父上ったら…(ポッ)」

 水沢隆広が美男と云うことは聞いていたので、伊呂波はポッと頬を染めた。

「ん…?」

「どうさないました?」

「伊呂波…あの若者…見た事ないか?」

「え?」

 それは掘割の作業工程の図面を両手に持ち、円滑に各職長に指示を与えている佐吉だった。

「では西三番の地の作業は終えたのですね?」

「へい!」

 図面に完成の印を記す佐吉。

「分かりました、これから見分に伺います。鳶吉殿の班はその間に休憩と食事を済ませておいて下さい」

「わかりやした!」

 

「あれは…佐吉? いえ、佐吉さん?」

「そうだ、間違いない! 正継の倅だ!」

「どうして佐吉さんが北ノ庄に…しかも掘割の指揮を執っています」

「いや…ワシが聞きたいくらいだ」

「父上、お会いしてみましょう」

「いや…佐吉の父とワシは絶交してしまった。佐吉とてワシを快くは思っておるまい。合わせる顔はない」

「何を言うのです。佐吉さんが掘割の仕事をここでしていると云う事は柴田様の家臣になられたのでございましょう? 今では同じ織田の家臣ではないですか」

「理屈はそうだが…」

(自分が昔に佐吉を苛めていた事を忘れているのではないか…?)

「さあ、まいりましょう」

「あ、ああ…」

 

「佐吉さ―ん!」

「ん?」

 佐吉が声の方を向くと、どこかで見た男女が歩いてきた。

「…! い、伊呂波ちゃんじゃないか! 山崎様も!」

「あ、ああ…久しぶりだな、佐吉」

「はい! お二人ともお元気そうで」

「佐吉さんも」

 佐吉が寺に小僧として出される日に会って以来だから、およそ八、九年ぶりの再会である。男勝りの苛めっ子の女童伊呂波が美しい少女になっていたのを見て佐吉はドギマギしてしまった。

「佐吉、そなた柴田様にお仕えしていたのか」

「いえ、正しく言うのなら客将みたいなものです。それがしは羽柴筑前守秀吉様の家臣ですが、現在は秀吉様の勧めで柴田家侍大将の水沢隆広様に仕えています」

「水沢殿と言えば、この掘割の指揮官。そなたはその水沢殿に仕えておったのか」

「はい、戦働きは苦手ですが、こういう内政主命においては重用される誉れを受けています。今日隆広様は他の仕事で来られないのでそれがしが指揮官となって…」

「お―い! 早く現場を見分して下さいよ―ッ!」

 工夫が佐吉を呼んだ。

「分かった―ッ! すぐ行く―ッ!」

「お仕事中なのに呼び止めてしまい、申し訳ございません」

 伊呂波はペコリと頭を垂れた。

「なんだよ、ずいぶんとしおらしい女子になったな、本物の伊呂波ちゃんだろうね?」

「本物です! 子供のころのこと根にお持ちに?」

「いやいや、今では懐かしい思い出さ。あ、そうだ! よければ夕食をどうでしょうか。懐かしい今浜のお話でもしたいですし」

「よいのか?」

「はい、あまり大したものは用意できませんが、拙宅でいかがでしょう」

「父上、ご馳走になりましょう。いいでしょう?」

「あ、ああ…」

「はい。では夕刻にこの場で!」

 佐吉は現場へ駆けていった。

「驚いたな…十六歳そこそこの佐吉が二百数十名はいようと云う人足や職人、兵士を見事に使いこなしている」

「はい父上、私も驚きました。幼いころは頭でっかちの学問好きの男児で、頼りなさそうと思っていたのに…考えを改めないと」

 

 その夜、山崎俊永親子は佐吉の家に招かれた。佐吉は敦賀湾の海の幸と、九頭竜川の川魚を親子に馳走した。ちなみに佐吉の手料理である。

「佐吉、これお前がさばいたのか?」

 皿に盛られた見事な生け造りと、美味しそうに焼かれた川魚。俊永はゴクリとツバを飲みつつ訊ねた。

「はい、まだ足軽組頭になったばかりで使用人もおりません。全部一人でやらないと」

「美味しそう…。でもこんな高価なお料理、返って悪い事を…」

 申し訳なさそうに伊呂波が言うと、佐吉は笑って首を振った。

「いやあ、主君隆広ご用達の食材屋に行って購ってきたから、そんなに高くはないよ。オレ自身も店の親父とは顔なじみだし。遠慮はいらないよ」

 そういって佐吉は上座に座る俊永に酒を注いだ。

「…ありがとう。ワシはてっきり佐吉はワシを嫌っていると思っておった。そなたの父と袂を別ち、主君員昌と共に浅井を見限り織田についたワシを許すはずがないと…」

「それを云うなら、結果的にそれがしも織田についています。父の正継と兄の正澄も織田との戦で死んだのに息子のそれがしは織田に仕えています。昨日の敵は今日の友。それが戦国の世のならい。こうして父と袂を別つに至った山崎様とも今では同じ織田家臣。許す許さないもございますまい」

「そうか嬉しく思う。それはそうと美味いな、この岩魚」

「そうでしょう。九頭竜川は時に人間にキバを向いてくる恐ろしい川ですが、こんな美味しい魚を人間にもたらしてくれます。主君隆広いわく、『治水は川を押さえ込む技ではなくその恵みを賜る技』と言っていましたが、それがしも同感です」

「水沢様の名前は安土城下でも聞き及んでおりますが、その治水への観点は本当に私も同感です。どのようなお方ですの?」

 伊呂波が訊ねた。

「そうだなあ…歳はオレと同じだけれど、やはり養父隆家様と竹中様の薫陶を受けているだけあって、斉藤家の兵法や内政方法をすべて会得し、かつそれを昇華させていると言っていいすごい方だよ。まあ欠点といえば…」

「欠点といえば?」

「奥方様への盲愛振りかな。家臣の前でも平気でイチャイチャするからたまったモンじゃない」

「まあ」

 クスクスと伊呂波は笑った。

「ところで佐吉」

 と、俊永。

「はい」

「お前に細君は?」

「おりませんよ」

「心を寄せている女子とか…おらんのか?」

「今のところは」

「では…」

 コホンと一つ咳払いをする俊永。

「娘の伊呂波をもらってくれ」

「は…?」

「父上…! 急に何を!」

 さえの父、朝倉景鏡も娘を溺愛していたが、山崎俊永もその尺度ではひけは取らない。その彼が娘を『もらってくれ』と言ったのだから、どれだけ佐吉に婿惚れしたか察するに容易である。だが、いきなり言われて伊呂波も戸惑った。もう顔が真っ赤である。

「今日のそなたの仕事振り。そして今見たそなたの人物。伊呂波の夫に相応しい。もらってくれぬか?」

「い、い…」

 戸惑ったのは佐吉も同じである。ワケの分からない言葉しか出てこなかった。

「ワシも治水家のはしくれ。仕事ぶりや治水に対する考えを聞けばどんな人物か分かるつもりだ。確かにそなたは今でこそ足軽組頭で士分は低く貧しいが、そんなものは関係ない。後に当代の内政家になるとワシは見た。ぜひ婿にしたい!」

「山崎様…」

「それに…伊呂波には早く添い遂げる夫を見つける必要があるのだ」

 伊呂波もそれは初耳だった。

「父上…それは?」

「主の員昌が伊呂波を側室にと…ワシに言ってきた」

「員昌様が!?」

「ワシは断った。だが再三に及ぶ要望。別に殿に不満があるわけではないが、奥方様はとても嫉妬深い方でな。今まで側室をいじめ抜いておられる。言うに心苦しいが、そんな虎口に娘を入らせるなんてワシには耐えられん。だから一つだけ願った。『もし伊呂波に心に決めた男がいたなら諦めて下さい』と。ようやくそれを納得させたが…どうやら伊呂波には心に決めた男もおらぬし…途方にくれた。いっそ妻子を連れて織田家を出奔しようとさえ考えた」

「父上…」

「かといって、どうでもいい男を代役に立ててその場を切り抜けるなんて卑怯な振る舞いはしたくない。伊呂波も傷つく。そして今日、正継の倅で…今や立派な行政官となっているそなたを見た。まさに神仏の計らい! 頼む、佐吉よ、伊呂波をもらってくれ」

「父上…! 私は物ではないのです! 急に言われて『ハイそうですか』なんて言えません!」

 伊呂波は佐吉の家から飛び出してしまった。

「い、伊呂波!」

「山崎様…」

「佐吉」

「…そういう事情があるから言うわけではない事を了承していただきたいのですが…」

「なんだ?」

「幼き日…隣の家に住む同じ年の女童の伊呂波ちゃんをそれがしは思慕しておりました。そして今日、再会して美しくなっていて…男子ならばこんな女を妻にしたい。そう思っておりました」

「そ、そうか! ならば!」

「これから伊呂波ちゃ、いやいや伊呂波殿を追いかけてそれがしから求婚してまいります」

「分かった! 急いでくれ!」

「はい!」

 

「ぐすっ…」

 伊呂波は武家屋敷の通りで涙ぐんで立ち尽くしていた。確かに今日に再会した佐吉を頼もしく思い、その人柄に改めて好意を抱いたのは確かであるが、急に夫婦になれと言われてハイと言えるほど伊呂波は従順な少女ではなかった。

「父上のバカ…」

「そんな事を言うもんじゃない」

「佐吉さん…!」

「さっき…山崎様にも同じ事を言ったけれども、伊呂波殿にも言いたい」

「はい…」

「員昌殿からの、そういう話があったから言うわけではない事を了承して聞いてくれ…」

「はい」

「子供のころ…隣に住む女童の伊呂波殿に…よく頭でっかちと苛められたな。何せ腕相撲しても一度も勝てなかったのだから、さぞや軟弱男と思っていたと思う。今でも槍働きは苦手で…伊呂波殿が常に言っていた『お嫁に行くなら強い人に』には完全に該当しない。

 でもオレも武士。自分の頭と体でこの乱世を生きていくしかない。だからオレは行政官の道を選んだ。戦場を馬で駆け抜ける強さは皆無のオレだけど、主君と共に民を思い良い国を作ろうとする気持ちは誰にも負けない。それを佐吉の『強い人』の分として受け入れてくれないだろうか。

 苛められても、こづかれて泣かされても、腕相撲で負けて笑われても、オレは幸せだった。嬉しかった。何故なら思慕している少女が自分の目の前にいたからだ。山崎様に要望されたからじゃない! 今日再会して美しく成長したそなたを見て妻にしたいと思った心は本当だ。ウソじゃない。苦労ばかりかけるだろうが…この佐吉の妻となってくれないか。伊呂波…」

「佐吉さん…!」

 こうして伊呂波は佐吉、後の石田三成の妻となった。賢夫人伊呂波姫の誕生である。

 

「ふふ…。うふふ…」

 で、これは佐吉にとって昨日の話だった。まだ祝言をあげていないので初夜はまだであるが、訪れるであろう新妻との閨に若い佐吉は胸をときめかせ、隆広の前でデレデレした笑顔を浮かべていた。

 後年、他人にほとんど笑顔を見せないほどに自他に厳しい行政官になる彼であるが、この当時の彼はまだ十六歳、美しい新妻との閨を思い浮かべて破顔するのも無理はない。その惚けた顔に隆広が気付いた。

「どうした佐吉、鼻の下伸ばした間の抜けた顔して」

「え?」

(アンタに言われたくない!)

 

 コホンと佐吉は咳払いをした。

「えっと、実は隆広様、それがし個人で報告がございます」

「なんだ?」

「嫁をもらいました」

「ホントか!」

 助右衛門も慶次も驚いた。その二人の妻も。

「そうかぁ、済ました顔してやる事はやっていたのだな! どこの娘だ?」

 慶次が訊ねた。

「はい、山崎俊永殿の娘、伊呂波です」

「伊呂波殿ォ? 有名な美少女ではないか!」

 と、助右衛門。

「そうなのか?」

 隆広が聞いた。

「はい、嫁にと要望するもの多々おりましたが、父親の俊永殿がまあ娘を盲愛していて、それがしの目にかなう男子でなければやらぬの一点張り。まさに深窓の姫君ですな」

「すごいじゃないですか佐吉殿、そんな難攻不落の美少女を射止めるなんて!」

 さえも祝福した。

「いやあ、奥方様に比べればさほどでも」

 佐吉はデレデレしながら、さえの祝福を受けた。

「よし、では早速佐吉と伊呂波殿の祝言を挙げよう!」

 

 そしてその夜に隆広の屋敷で石田佐吉と伊呂波の祝言は盛大に行われた。隆広は初めての媒酌人であったが無事にやり遂げた。

 三日後には秀吉から引き出物も届き、花嫁の伊呂波には反物五疋、裁縫道具、包丁一式を届け、佐吉には『縹糸下散紅威(ハナダイトゲサンベニオドシ)』と云う名具足。欲しがっていた政治書『貞観政要』、そして二人に黄金三百貫。いたずら好きの秀吉らしく精力剤も贈った。

 また妻を娶ったなら一人前と『三成』の名前をもらった。石田佐吉三成の誕生である。




城下町で見かけた赤子の可愛らしさに惚けて、すぐに嫁に子作りしようと駆け込むシーン、これもまた原本の太閤立志伝3からの引用ですけれど、このシーンは隆広ではなく同ゲームの主人公である秀吉がねねに対して行っています。好きなシーンなんですよね。

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