天地燃ゆ   作:越路遼介

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先代隆家の重臣の子弟登場です。今後もチラホラ出てきますよ。


侍大将隆広

 伊丹城攻めを終えて北ノ庄に帰ってきた翌日、水沢隆広を訪ねてきた二人がいた。玄関に出た若妻さえに二人は丁重に頭を垂れ、身分と氏名を示す木簡を渡した。その時の隆広は文机に向かい伊丹城攻めの報告書を書いていた。さえは障子戸の外に座り、

「お前さま」

「ん?」

「お客様です」

「誰だい」

「この木簡を渡してくれれば分かると」

 障子を開けて、さえから木簡を受け取る隆広。

「…これは」

「どうされました?」

「丁重にお通ししてくれ。お茶も菓子も頼むよ」

「分かりました」

 客は二人だった。

「早速の引見、恐悦に存じます」

 隆広はその客を見て驚いた。知っている顔だった。

「そなたら…!」

 隆広は木簡に記された名前を知っていたが、訪ねて来た二名の名と一致していない。

「そういうことだったのか…」

「はい、試すようなマネをした事をお詫び申し上げます」

「いえいえ、さあ、こちらに」

 隆広は上座を指した。

「いえ、そちらには座れません」

「しかし、皆さんそれがしより年長で…」

「確かにそうですが、我らからすれば水沢様は主筋でございますので」

 二人の男は隆広に上座に座るよう促した。

「そうですか…。では」

 隆広の前に二人の若者が座った。

「手前、高崎太郎のせがれ、高崎次郎」

「同じく星野大介のせがれ、星野鉄介」

「改めて、それがしは水沢隆広と申します。ご貴殿たちは父の水沢隆家に仕えし高崎、星野の子弟でございますね?」

「その通りです」

「幼き日、お二人のお父上には可愛がってもらいました。お父上たちは?」

「達者です。我らの父たちすべて武士を捨てて帰農しましたが、武士の誇りは忘れず、百姓としてではなく武士の養育をされました」

 と、高崎次郎。

「失礼ながら、もはやお察しのとおり柴田家にお仕えしてからの水沢様を我らは父たちの命令によりずっと観察していました。大聖寺城と伊丹の戦も兵に紛れ込んだり、水沢様の内政主命の人足として働いておりました」

 同じく、星野鉄介。彼ら二人はずっと隆広の軍務と政務の働き手として参加していた。名前は違う名であったが、隆広はいつも人足として参加してくれている彼らを知っていたのである。だからすでに隆広の部下たちにも顔が知れていた。

「そして、我らの報告を聞いて父たちは『我らはお前たちを、いずれどこかの大名への仕官の道が開けばと農民なのにずっと武士の養育を施した。稲葉山落城の数年前、殿が引き取りし赤子の竜之介様。立派に成長され武将として世に出るとはまさに天佑。お前たちは若殿に仕えるのだ。もはや我らは老骨で若殿のお役に立てない。お前たちの報告を聞き、若殿は隆家様に匹敵する将器を持つと見た。もはや旧水沢家臣団は兵に至るまで老い、その子らもほとんど農民として生きている。隆家様に仕えし我ら旧家臣たちが若殿へお贈りできるのは、もうそなたたちしかおらぬ。血は隆家様に繋がっていなくても、才気と器量を受け継いでいる。それで十分じゃ。若殿にお仕えせよ』と、述べました」

 と、続けて隆広に述べる星野鉄介。彼らの父、高崎太郎、星野大介は今日では隆家両腕と言われているほどの将で、隆家はこの二将と藤林忍軍を縦横に使いこなし、名将と呼ばれるまでの活躍をしたのである。

 そして水沢の名が隆家から隆広に世代交代したと同じく隆家両腕も世代交代した。幼い頃から貧しくとも父の背中を見て、かつ厳しく育てられたのだろう。隆広は二人の面構えが人足として使っていた時とまるで違う事に気づいていた。召抱えたい、養父隆家が鍛え上げた家臣たちの子、同じく鍛え上げられているのだろう。雄々しい面構えだった。どれだけ頼りになるか。だが

「すまない…。今のオレにはそなたたちを召抱えられるほど裕福じゃない」

 申し訳なさそうに断る隆広。奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉の禄は隆広の禄から支給されている。北ノ庄城に常駐している兵たちの禄は当主である柴田勝家が全般に出すが、組頭ほどの将を召抱える場合、その直接の主人から禄を出すのである。

 勝家自身が寄騎として助右衛門、慶次、佐吉を隆広につけたなら、その禄も勝家から出る。しかし彼らは隆広の寄騎ではなく隆広自身が召抱えた直属の家臣である。禄の範囲で優秀な家臣を召抱えるのは当然のことである。しかし隆広はこの三人を召抱えるだけで精一杯の収入しか得ていない。これ以上の家臣は雇いたくても雇えないのである。

「心配要りません。足軽ならば当主の勝家様から禄が出ます」

「父を支えし高崎と星野の子弟を足軽から登用なんて!」

「お気持ちは嬉しいですが、それでは矩三郎や紀二郎たちが得心いたしますまい。いかに父たちの縁があろうと、我らは最初から下っ端から始めるつもりでした。心配無用、自力で将の椅子を勝ち取る所存。そのころには隆広様も我らの禄を出せるほどの大将になられているはず。いや、ならせてみせます」

「次郎殿…」

 二人は改めて隆広に平伏した。

「我ら、父の命令だから隆広様に仕えたいワケではございません。伊丹城にて信長公に毅然と意見を言い、捕虜たちの命を救った貴方に感服したのです。是非、召抱えていただきたい!」

 お茶を持ってきたさえは、入るには入れない雰囲気だったので障子の向こうで盆を持ったまま座っていた。『信長に意見する』のは当時の織田家では自殺行為に等しい事。それを夫がやったのかとさえはこの時初めて知ったのである。

(では、あの体中にあった傷跡は大殿様に打たれて…)

 夫の勇気に惚れ直すさえ。

「…下っ端から始めると申された以上、父の家臣の子弟とはいえ遠慮はいたしません。それでも良いのですか?」

「「無論!」」

 隆広は立ち上がり、二人と手を握り合った。

「再びこの世に、水沢の名を知らしめようぞ! オレと共に生きてくれ!」

「「承知仕った!」」

 こうして、養父隆家がもっとも頼りにした二将が、世代を越えて隆家の養子の隆広に仕える事になった。隆広十六歳、高崎次郎二十二歳、星野鉄介二十歳の時であった。

 隆広は後に、彼らの父たちも相談役として召抱えた。隆広が部下には言えない弱音やグチも彼らは聞き、よき話し相手となったと云う。まさに養父の隆家が残した忠義の人材と人物たち、それは宝物と言えた。先代の重用した家臣を遠ざける狭量な新当主多い中、隆広は変わらず召抱えて重用したのだった。

 

 翌日、改めて伊丹攻めの論功行賞が行われた。随員していた勝家の戦目付けたちの報告により、各々の軍功が柴田勝家から言い渡された。

 手柄は部下に与えるものと父に教わった隆広は自分の功を軍忠帳に記載させずにいたが、どの戦目付けも隆広の采配を褒めちぎっていた。まず隊別の軍功だが一番手柄は前田利家隊、二番は佐久間盛政隊と金森長近隊と二人。三番は佐々成政隊、四番は可児才蔵隊、五番は不破光治隊となった。

 また個人的な手柄では水攻めの前哨戦ともいえた野戦、武庫川の合戦で荒木家の猛将の柴形勘左衛門、熊倉六平次を討ち取った前田慶次が一番であり、隆広からの禄とは別に勝家から加増された。部下の手柄に禄高で報えない隆広への粋な計らいと言えるだろう。

 総合的な勝利を収めた要因は水沢隆広の考案した水攻めにある。柴田勝家はこの日に隆広を足軽大将から、侍大将に士分を上げた。上限三千を率いることができる部隊長である。無論、今回の伊丹攻めのように場合によっては万の軍団長になることも許される立場で、隆広は陪臣といえ織田家最年少の部隊長とも言えた。それに伴い、隆広の部下たちも勲功が加算され佐吉は足軽から足軽組頭に昇進した。勝家が任命状を渡す。

「石田佐吉よ、本日より足軽組頭に任命する。いっそう励め!」

「ハハッ!」

「水沢隆広よ、本日より侍大将に任命する。いっそう励め!」

「ハッ!」

 仕官わずか一年足らずで侍大将、これは羽柴秀吉の出世の早さより上である。

 ここまで来ると佐久間盛政、柴田勝豊、佐々成政は相変わらずだが、嫉妬の念よりも隆広を認める気風の方が柴田家中に強まってきた。実際に隆広は勲功を立てて、今の士分に成りあがった。その場を勝家から優先的に与えられた感もないが、隆広はすべてそれに勝家が望む以上の成果を上げているのである。もはや柴田家の若き柱石ともなった。加えて柴田勝家がゆくゆく養子にする事も考えているとも言ったことから、取り入ったほうが得策とも考えたのだろう。また信長に毅然として意見を言ったのも効いていたのかもしれない。

 しかしながら侍大将任命の時に隆広は三つの視線を感じていた。佐久間盛政、佐々成政、柴田勝豊は苦々しそうに隆広の背中を睨んでいた。

(どうして…以前ならいざ知らず、今まで二度も同じ陣で戦場を駆けたのに…。味方うちでいがみ合っている場合ではないはずなのに…。なぜオレをそんなに憎々しく睨むのだろう…。いやグチるな、オレに何か悪いところがあるのだ。それが何なのか早く気づけ隆広)

「隆広」

「は、はい!」

「侍大将ともなれば部隊長だ。柴田の軍団長と言っていい。お前の正規兵三百と、伊丹城でお前が召抱えた負傷兵が五百であったな。合わせて八百では軍団として心もとない。先月に行った兵農分離で新兵が千人おるから、それをくれてやる。それでも合わせて千八百。まあ最初はそんなものでいいだろう。明後日に軍団結成を錬兵場で行うがいい。わしも参列しよう」

「殿が! あ、ありがとうございます!」

「あと、こいつもくれてやる。辰五郎!」

「ハッ!」

「た、辰五郎殿…?」

 隆広の城普請、新田開発、舟橋建設において、その右腕として働いた北ノ庄職人衆の辰五郎が評定の間にやってきた。隆広の後ろに座り、勝家に頭を垂れた。

「隆広、こやつを存じておるな?」

「も、もちろんです!」

「正式にこやつと、その部下の職人衆を召抱えた。いや正確に言うのならば辰五郎が願い出てきたと言うほうが正しいな。工兵としてお前の下で働きたいそうだ」

「工兵!」

「そうだ、隆広よ、工兵を用いる局面を言ってみよ」

「は、内政主命においては城普請、町づくりにおいての道路拡張、架橋、掘割、背割下水(建物の立地に沿った下水配備)などがあげられます。戦場においては陣場の構築。地形図の作成、物資の運搬、また城攻めにおいては、土龍攻め(地面に穴を掘って突き進み城門を越える事。武田氏が使った)なども可能かと」

「ふむ…」

「ですが、あくまで支援を主にした部隊。戦場の兵士として用いる事はいたしません」

「なるほど、どうじゃ辰五郎」

「はい、今上げた技術、すべて我ら持っております。隆広様の元でぜひ振るわせていただきとうございます」

「辰五郎殿!」

「辰五郎とお呼びください」

「あ、ありがとう! 頼りにします!」

 隆広は辰五郎の両手をギュッと握った。

「使いこなせよ隆広、辰五郎一党はわし本隊の工兵よりウデが立つ。粗略にすればバチが当たるぞ」

「はい!」

「ふむ、これで本日の評定を終える。隆広よ、お前にはもう少し話がある。軍勢結成の議の準備は部下に任せ、わしの私室にこい」

「は!」

 

 柴田勝豊、佐久間盛政、佐々成政は不機嫌な顔を浮かべながら城を出た。

「分からぬ…。どうして義父上はあそこまで隆広を寵愛する…。新兵千人を与えたばかりか、北ノ庄一の職人集団までくれてやるなんて…」

 と、柴田勝豊。

「きっとあの女子のような顔で勝家様に甘えたのではないか」

 オレと同じ事を言っている。佐久間盛政は佐々成政の言葉に苦笑した。

「それはない。伯父上の愛妻家ぶりは知っているだろう。衆道家とは考えられんな。また隆広にもそんな趣味もない。あいつの愛妻家ぶりも有名であるし、何より主君に抱かれた色小姓が持つ、あの媚びたような独特の忠節ぶりもあいつには見えない。悔しいが伊丹城攻めを見るにあいつの将才は本物と見るしかない。実力で重用を勝ち取ったのだ」

「しかし盛政…あそこまでエコ贔屓がひどければ、家中に不和も」

「勝豊殿、それは今の我らと隆広の事か?」

「それは…」

「オレは…あいつの才は認めている。だが…」

「だが?」

「ツラを見ると腹が立ってくる。反りが合わぬとはこういう事かもしれぬ。いやむしろ…オレは隆広を恐れているのかもしれぬ」

「まさか、鬼玄蕃と呼ばれる盛政が?」

 柴田勝豊は一笑にふしたが、盛政の眼は笑っていなかった。

「正直申して、オレが出撃をけしかけた時、荒木勢の伏兵を見抜いていたヤツの眼力にはゾッとした。そして偃月の陣の用兵…。あの電撃的な水攻め…」

 その場にいなかった柴田勝豊には理解できないことであったが、佐々成政もその気持ちは同じだった。不覚にも『こんな息子がオレにおったら』と思うほどだった。だがそれを認めたら、今まで自分が築き上げてきた戦歴や武将としての誇りが崩れるような気がしてクチには出せなかった。最後に佐久間盛政はこう結んだ。

「『乱暴者ほど知恵者を恐れる』…か。よく言ったものよ」

 この『恐れ』が、後に隆広と盛政の深き溝となり、一つの悲劇に繋がったのかもしれない。

 

 隆広は評定の間から、そのまま勝家の私室に行った。

「殿、隆広まいりました」

「入れ」

「はっ!」

 障子を開けると、勝家と、その傍らに市がいた。

「よう来た、聞きたいことがある。いや、それ以前にその方ワシに一つ隠している事があるだろう」

「ございます」

「正直ですね」

 市は苦笑した。勝家も肩のチカラが抜けた。

「まったくだ。とぼけた場合には怒鳴ってやろうと用意していた言葉がムダになってしまったわ」

「気持ちの整理がついたら報告するつもりでしたので…改めて報告させてもらいます」

「ふむ」

「それがし、大殿の命に背いたあげく、あろうことか意見を申し立てました」

「ふむ…なんて言った?」

「はい、包み隠さず申し上げます」

 隆広は信長に言った言葉を一言一句正確に勝家に話した。

 

「そんなことを言ったのか…」

「はい」

「で、兄はなんと?」

 市が訊ねた。

「『興がそがれた。伊丹城はお前の落とした城。好きなようにするがいい』と」

「ふむ…」

「申し訳ございませぬ。大殿に逆らえば殿に累が及ぶと前田様、可児様にさんざん釘を刺されたにも関わらず…捕虜を殺す事がどうしてもできなくて…それで無我夢中に大殿へ意見を…。どのようなお叱りも覚悟しています」

「分かった。あとでワシから大殿に謝罪を入れておく」

「え?」

「お前は間違った事は言っていない。間違った事さえ言っていないのなら、ワシがどのようにも尻拭いしてやる。それが主君の務めだ。気にするな」

「殿…!」

「隆広よ」

「はい」

「だが、その後に大殿が荒木の支城を落としたとき、荒木殿の一族と将兵を虐殺したのは知っているな?」

「はい」

「それをどう思った?」

 隆広はその時に思ったことを正直に話した。

「満座の前で打ち据えられ、命さえ賭けて申し上げた意見がまったく受け入れて下さらなかった事を知り…正直悔しさで一杯でした」

「ふむ…」

「明智様が止めるのも振り切り、播磨の織田本陣に行こうとしたとき、療養中の黒田官兵衛殿に叱られました」

「官兵衛に叱られたと?」

「はい、官兵衛殿は私にこう叱りました」

 官兵衛の言葉も隆広は一言一句正確に勝家に伝えた。

「なるほど…」

「未熟ゆえ、すべて理解できたわけではございませぬ。ですが、官兵衛殿の言葉はそれがしの思いあがりを砕いてくれました。殿や明智様、羽柴様のような武将が忠誠を誓う武将が暴虐の君主であるわけがない。まだ大殿の深い考えを理解できない自分が未熟なのだと…そう気付いたのは今日の朝でした」

「隆広、官兵衛の言った『織田家危急存亡の時にけしからぬ』と言い、木陰で昼寝をしている年寄りを斬ろうとした部下はな…。ワシの事だ」

「…え!?」

「ゆえに驚いた。大殿がその時に言った理想の国の姿をな。『年寄りが木陰でのんびり昼寝できるような平和な国』と…いきり立つワシに笑って言いよった。それを聞いてワシはますます大殿への忠義を強めていったものだ」

「殿…」

「ふふふ、伊丹城を落としたことより、ワシには隆広が大殿に毅然と意見を言ったと云う方が嬉しい。そして黒田官兵衛の叱責を教訓として、織田の武将として一皮むけたところがな。此度の出兵、隆広には学ぶところ多かったようだな」

「は、はい!」

「ん、それでいい。大殿への謝罪は任せておくがいい。思いのほか時間を取らせたな、さあ、さえに侍大将に出世したと早く教えてやるがいい!」

「はっ!」


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