天地燃ゆ   作:越路遼介

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伊丹城の戦い

 水沢隆広率いる柴田軍は伊丹城に到着した。

 だが柴田勝家の隆広の大抜擢は治世の時代には考えられない事である。いやこの乱世でもそうありうる事でもない。まだ十六歳になったばかりの少年が一万以上の大軍の総大将にされたのであるから。妻のさえも知らされた時は容易には信じられなかった。

 これはある意味、織田家だから出来た抜擢と言える。『一人の抜擢が九十九人のヤル気を失せさせる』とある。人間の感情の中でもっともチカラ溢れるのは嫉妬に基づく感情的な衝動である。

 治世ならその点を踏まえて君主も人事をしなければならないだろうが時は戦国乱世、まして織田家でヤル気のなさを上司に察せられたら即座に解雇である。解雇ならまだしも斬刑もありうる。

 どんな合戦にも『戦目付』と云う役職の者がいる。合戦を第三者的に監視し、それを主君に報告する者たちである。それが『大将の歳若さを理由に軍役を怠けた』『大将の命に背いて軍律違反をした』など主君に報告されたらどうなるか。佐久間盛政も佐々成政も渋々ながらも隆広の采配で持てるチカラを発揮して戦場を駆けるしかないのである。

 

 隆広は伊丹城から西に本陣を構えて兵士を休ませ、自分は奥村助右衛門、前田慶次、石田佐吉を連れて伊丹城の見分に入った。

「ふうむ…伊丹段丘の地形をうまく活用して建てられた城だと聞いてはいたが、なるほどな、要所要所に三つも砦を築いているし、城の北側と西側には七間(約十三メートル)の掘か…。本城、寺社町、城下町と町全体を掘と土塁で囲み、北・西・南に砦を配した惣構の城…。うん中々堅固な城だ。チカラ攻めではこちらの損害が増すばかりだ」

 周りの地形も隆広は簡単に図面にしていた。

「伊丹氏を破り、この城に入った村重殿がだいぶ改修したらしいが中々の普請ぶりだ。こりゃあまともに戦ったら一年近い攻城戦になりかねない」

「しかし隆広様、一年も越前を留守にはできますまい。何とか早期に落とさなければ」

「そうだな助右衛門、一向宗門徒の動きも気になるし、なるべく早い方がいい。そのためにももう少し城外の地形を調べて突破口を探るとしよう」

「ハッ」

「ですが足軽大将と云う身分で、かつ御歳十六歳で万の兵の大将となるとは驚きいり申した。任命された時はどんな思いでござった?」

 と、慶次。

「うん…正直言うと驚いた。オレがやっていいのかなと云う思いで一杯だった。いや、今もそう思っている。殿がどういうつもりでオレを総大将に任命したかは分からないけれども、任命されたからにはやるしかないと開き直ったよ」

「ですが、二度目の戦で、しかも総大将としての城攻めなのに中々落ち着いておられまするな」

「慌てたって城は落ちないからな、お、川だ。佐吉、これが猪名川か」

「そのようです」

「そういえば今は雨季だ。水量も満々…。たしか伊丹城は猪名川と武庫川の中州にある上、段丘の狭間にあるな…」

「確かに地形的にはそうです」

「よし助右衛門、この川の水を兵にする」

「は?」

「軍議を始めるから本陣に諸将を集めよ」

「ハッ!」

 

 柴田軍本陣。隆広が作戦を告げた。

「水攻め!?」

「その通りです佐久間様、この地形図をご覧あれ」

 それは先ほどに隆広が描き止めた伊丹城周辺の地形図であった。

「このように、伊丹城は猪名川と武庫川の挟まれた広大な中州に作られた城にございます。かつ二つの川の上流は山間、今は雨季でございますから、数度の雨を待ち上流で川の水を急きとめれば、すぐに溢れんばかりの水量になります。そこで堰を切って落とす。川の水は鉄砲水となって伊丹城を襲いましょう。そして下流にも堰を作れば鉄砲水は逃げ場をなくして伊丹城を水浸しにします。あとはその城を囲んで士気が落ちるのを待ち…」

「ふざけるな!」

 佐久間盛政は軍机を叩いた。

「別にふざけてはおりませぬが…」

「やかましい! なんだその作戦は! 戦わずして水攻めにしてあとは包囲だと! そんな卑怯千万な攻め方があるか! だいいち城に篭った荒木勢の数は我々より少ないのだぞ!」

「凡庸な将が相手でも城攻めは難しいものです。兵糧物資が整っていれば十倍の兵力にも耐えられるもの。十倍どころか我らは敵の二倍強に過ぎませぬ。しかも毛利勢がいつ背後を襲ってくるかも分からない状態。チカラ攻めもせず、かつ短期で勝利するには水攻めしかございませぬ」

「大殿と合流してから落とす気はないのじゃな? あくまで柴田で落とすと」

 と、不破光治。

「『失敗を恐れて何もしないのは悪』、大殿はそう言われました。ただ包囲して待っていたら、大殿はそれがしは無論、皆様も許しますまい…」

「ふむ…」

「隆広、多量の土嚢がいる。この地の領民すべてかき集めて雇わなければならぬだろう。そんな金は我らの陣にはない」

 と、前田利家。隆広は扇子を地形図に差す。

「平野部で行う水攻めならば前田様の申すとおりに相成りましょう。しかし、この伊丹城の場合は伊丹段丘が天然の堤になりもうす。現在我らの連れている兵だけで城に鉄砲水を浴びせる堤防を作ることは十分に可能でございます。我らは一万以上の大軍。一日に一人が十個作るだけで十万の土嚢にござる」

「ふむ…」

「チカラ攻めでは、こちらの被害も甚大なうえ、かつその後に毛利の援軍と荒木勢の前後からの挟撃を受けたら全滅は必至。たとえこちらが荒木殿の兵より三倍四倍の数があろうと、チカラ攻めは避けるべきです。水攻め、承服していただきたい」

「そんな姑息な戦は柴田の合戦ではない。お前はやはり畑水練(畑の中で水泳の練習をするという意味で、理論や方法は立派だが、実地での練習をしていないので実際の役には立たないこと)のヤカラよ! この戦、我らで勝手にやるわ! キサマはのんびりと土木工事でもしとれ!」

 憤然として佐久間盛政が立ち上がったその時。

 

「……!」

 盛政の眼前に刀の切っ先があった。隆広は勝家から借りた太刀を抜いて盛政に突きつけた。

「殿の太刀がオレの手にある。そして今回の戦の総大将はこの水沢隆広である! オレの命令に従わない者は誰であろうと軍規違反者として斬る!」

「面白い! 上泉信綱直伝かは知らぬが、キサマの細腕でオレを斬れるか試してみろ!」

「よさんか盛政! 勝家様の太刀であるぞ! それに刃を向けるは勝家様に逆らうと同じだ! この作戦が上手く行くかお前の目で確かめればよかろう! 下がらぬか!」

「…チッ」

 前田利家の言葉に従い、佐久間盛政は退いた。隆広も刀を収めた。

「虎の威を借りるキツネが…ッ! まあいい、そこまで言うのならば水攻めを受け入れよう。しかし間の抜けた結末になってみろ、その時は斬る!」

「…作戦の説明を続ける。猪名川と武庫川の上流と下流に堤防を作る。荒木殿は毛利と本願寺と通じてもいる。援軍の可能性も思慮し、この作戦は急ぎますので今から作業にかかっていただく。各将は兵に土嚢を作らせ、堤防の建築に当たっていただきたい。作る位置については各隊にそれぞれ図面を配布しますので、それに基づいて作っていただきまする。以上、解散!」

 

 将兵たちはさっそく作業に入った。万の兵が動員したのである。堤防は数日のうちに完成した。

 そして隆広は突如として陣払いを開始した。向かう方向は播磨尼崎城。荒木勢にとっては毛利と本願寺との道を絶たれる可能性があり、何より支城に敵が迫るなら、それを助けるのが本城の務めと責任である。当然村重は軍勢を出した。

 しかし追撃は想定内だった。柴田勢は陣形を整えて荒木勢を待っていた。柴田勢は一万二千の大軍で、荒木勢は七千。さすがは織田軍団最強と言われる柴田軍、偃月の陣をしいていた隆広の采配も相まって荒木勢を打ち破った。追撃の将、荒木元清は命からがら城に戻ってきた。当主村重がそれを迎えた。

「元清! 大丈夫か?」

「殿、申し訳ございませぬ…」

「気にいたすな。それで柴田勢は?」

「は…。どうやら尼崎を目指したのは我らをいぶりだす策だった由、再び元あった西の本陣の地に向かいましてございます」

「そうか…。ならばこちらの思うツボ。これを見い」

「これは…!」

「そうじゃ、毛利輝元殿からの書状! すでに郡山城を出立したとある!」

「おお、ならば今しばらく踏ん張れば!」

「そうじゃ! 柴田勢を蹴散らした後、信長も討ってくれるわ!」

「申し上げます!」

 村重と元清の下へ使い番がきた。それは元清が敵将の素性を調べろと申し渡した部下の使いである。

「ふむ、柴田の総大将が誰か分かったか」

「は! 柴田軍総大将は水沢隆広と申す者、歳は十六!」

「十六?」

 荒木陣にどよめきが湧いた。

「十六の小僧があの偃月の陣を使いこなしたというのか?」

「水沢…。そうかなるほどな」

「殿? ご存知なので?」

「おそらく美濃斉藤家の名将、水沢隆家のせがれだろう。かの御仁は偃月の陣を得意としていた。父親に劣らぬ大将と見た。多勢とはいえ元清を倒したのだからのォ…」

「ううむ…。あの采配が十六の小僧のものとは…」

「だが、だからこそ御しえる」

「は?」

「どんな経緯があったか知らぬが、前田や佐久間を飛び越して総大将となり合戦に勝った。今ごろ有頂天だろう。才能と器量は両輪にはならぬ。まあ見ておれ」

 

 荒木元清が見込んだとおり、柴田勢が尼崎に進行したのは荒木勢のいぶりだしである。退路を絶たれる恐れと支城を助けなければならないと云う本城の鉄則をついた戦法だろう。

 しかし、もう一つ意味があった。それは伊丹城の南と東を流れる二つの川から注意をそらすためでもある。二つの河川は伊丹城から目が届かないが隆広は念を入れたのである。荒木勢の目を伊丹城の西に位置する柴田陣に向けさせて、尼崎への侵攻の意図もあると荒木勢に見せ付ける必要があった。

 そのために隆広は一度荒木勢を叩いておく必要があると考えたのである。一度いぶりだしに成功して、また元の位置に着陣すれば荒木勢は『二度も同じ手を食うか』と思いつつも警戒する。ずっと柴田陣とにらみ合いをしてもらうためだった。

 

 そして、この日の夜も雨となった。二日連続である。ここは隆広の陣屋。隆広は勝家に提出する合戦の報告書を書いていた。傍らには慶次がいる。助右衛門と佐吉は他の陣屋で眠っていたが、慶次は隆広の傍らで雨音を心地よく聞きながら酒を飲んでいた。

「よく降りますな。我らにとってはまさに恵みの雨ですが」

「うん」

「それにしても偃月の陣、見事でござったな。あのクチやかましい佐久間様と佐々様も合戦後に嫌味一つ言わなかったのですから」

 前田慶次も久しぶり合戦で大いに手柄を立てて機嫌もいい。偃月の陣とは、陣形前方の部隊が敵に一撃食らわせた後で、直ちに後退する。そして敵を陣の中央に誘い込み、その結果、前方の部隊を追ってきた敵を包囲分断し、倒す事を妙法としている。

 荒木村重の見たとおり隆広の養父水沢隆家が得意とした陣形で、織田信長も敗戦を余儀なくされている。

 隆広は堤防の完成が近づくと、荒木勢を一度叩いておく必要がある事を述べ、この陣形をもっての作戦を諸将に指示していた。さしもの佐久間盛政、佐々成政もいざ野戦となれば総大将の指示に従うしかない。彼らも隆広との不仲はいったん置いて十分な働きを示してくれたのである。

 かつ隆広の直属兵の若者たちはこの日は母衣衆となり各備えへの連絡将校として働いた。隆広個人の兵は少ないので彼らを用いるしかなかったのが現状のようだが、母衣衆は戦場の花である。『愚連隊と嫌われたオレたちが母衣衆なんて!』と、彼らは嬉々として働き隆広の期待に応えた。隆広は使う以上は疑わず信じて用いたのである。その頼もしい母衣衆の支えもあってか、当日の戦況はほぼ隆広の読みどおりになり、見事戦勝をおさめたのである。

「だが、内心オレの采配を苦々しく思っているはずだ…。難しいよな慶次、勝っても認めてもらえないなんて」

「とんでもない。佐久間様、佐々様も隆広様を認めていなければ采配そのものに従うはずがござらぬ。だがチカラを認めると人の好き嫌いは違うものにござれば、こればかりは仕方ありませぬ」

「そんなもんなのか」

「そんなもんにござる。ホラ一杯、一人で飲むのは寂しい」

「ああ、ご馳走になるよ」

 グイッと飲み干す隆広。

「いつか…こうして佐久間様や佐々様と笑って酒を酌み交わせる日が来るといいのだけど」

「隆広様があきらめない限り、いつかきっと」

「うん」

 

 一方、荒木勢の動きが活発になった。柴田本陣を挑発するかのような行動が目立ち出した。支城への物資輸送をわざわざ柴田本陣の前を通過し、その際に柴田軍を指して笑うような事もした。血の気の多い柴田の諸将は討って出る事を隆広に進言した。しかし隆広はそれを許さなかった。

「お前が笑われるのは一向にかまわんが、柴田軍が笑われるのはガマンならん! オレの手勢だけで行かせてもらう!」

 おまえの許可などいるか、と云う佐久間盛政の態度。

「なりませぬ」

「腰抜けが! 雑兵に笑われて黙っていろと言うのか!」

「隆広、笑われるのはガマンするとしても、輸送部隊を平然と見送るのは少し違うと思うぞ。我らに脆弱な横腹をさらしているのは我が軍を侮っての事だ。ワシも討ってでるべきじゃと思う」

 と、金森長近の意見に諸将が賛同しつつあると、隆広は輸送部隊の列の向こうにある広い森林を指した。

「…? なんだ?」

「あそこに荒木の精鋭が潜んでいます」

 黙って隆広と盛政のやりとりを見ていた諸将がその森林を見た。

「なぜ分かる隆広」

 と、可児才蔵。

「もう夕暮れ時と云うのに、鳥が一羽も帰っていきません」

 ポカンとして隆広を見つめる諸将。そして密偵に調べさせたらまさにその通りだったのである。わずか十六歳の男に寒気すら感じた柴田の諸将。この日以来、盛政も他の諸将も出陣をけしかけなかった。

 

 一方、伊丹城の荒木村重。城の上から柴田陣を見ていた。

「ふむう、こんな挑発には乗らぬか。どうやら本物のようじゃな。柴田殿が十六の小僧を抜擢した理由はこれか…」

 だがまだ村重は気付いていなかった。伊丹城と柴田陣の対峙する中で、隆広が恐るべき秘策を進行させていた事を。

 

 そして三日後、上流で急きとめられた水は溢れんばかりになっていた。また毛利勢が援軍に向かい、すでに備前と播磨の国境まで来ていたことを柴田軍は知っていた。もう時間はない。隆広はかかり火だけ残して夜に陣払いをし、本陣を高台に移動したのである。

 荒木勢が柴田陣を空陣と知ったのは翌朝である。村重の元に柴田軍は城の南西の大間山に布陣したと云う報告が入った。

「ふむう、毛利の援軍を聞き天険の大間山で戦う気か…」

 と村重は受け取った。だが

「これだけあれば十分だ。よし、堤防を切れ!」

 隆広の指示で上流の堰が切られた。水は積み上げられた土嚢を吹っ飛ばして鉄砲水となって一斉に流れた。

 

 ドドドドッッ!

 

 伊丹城城門にいた兵士が地響きに気付いた。

「何の音だ…?」

「地震…、いや違う! 川が氾濫だ!」

 鉄砲水は容赦なく伊丹城を襲った。

「うわあああッ!」

「なんだこれは!」

 下流でも堰が作られているため、伊丹城は湖面に浮かぶ城のようになった。

「殿! 兵糧すべてが水に流されました! 篭城どころではございませぬぞ」

「ううむ、してやられたか! 大間山に布陣したのはこれゆえか! 各門で水が引き始めている箇所はないか!」

「東門ならすでに膝下ほどに!」

「よし、柴田軍は高台に布陣し、かつこの人口湖だ。そう追ってこられまい! 東門より尼崎に移動する!」

「「ハハッ!」」

 

 この鮮やかな水攻めには、さすがの佐久間盛政も声が出なかった。

「これほど上手くいくなんて…!」

「申し上げます!」

 盛政の陣に隆広からの伝令が届いた。

「なんだ」

「敵将の荒木村重、東門より城を脱出して尼崎城を目指しました。佐久間隊と金森隊に追撃命令が出ております!」

「…総大将にあい分かったと伝えよ」

「ハハッ!」

「チッ 忌々しいが今はその命令を受けるしかない」

 盛政は馬に乗った。

「出陣じゃあ! 我が隊に追撃命令が出た! 尼崎に向かう荒木隊を蹴散らすぞ!」

「「オオッッ!」」

 

 時を同じころ、織田信長も荒木討伐に動いており、荒木の支城である高槻城と茨木城を陥落させている。茨木城に至っては陥落と云うより城主の中川清秀が信長の出した摂津半国と末娘の輿入れの条件を入れて鞍替えしたのである。

 彼の部下が本願寺に兵糧の横流しをした事が少なからず村重謀反の要因にもなっているが、弁明をするために安土に向かおうとした村重を諌めて抗戦をもっとも訴えたのは彼である。奇異な事にこの事で彼が世間のひんしゅくを買う事はなかったそうである。そしてもはや、荒木村重の城は尼崎城と花隈城のみである。

 

 隆広は下流の堰を切り、水を引かせた。あとはゆうゆうと無人の城に入ったのである。城の中を兵士に清掃させ終えたころ、佐久間盛政より荒木村重は取り逃がしたが荒木一族数名と将兵の家族たち六百人、そして兵五百を捕らえたと報告が入った。

 荒木本隊や、重臣たちの軍勢は尼崎城まで逃げ切れたが、この兵五百はつい一ヶ月前に荒木家の兵農分離によって集められた新兵で主君の荒木村重から尼崎への移動の指示が伝達されなかった。云わば見捨てられたのである。

 急いで彼らも逃げたが、もはや手遅れだった。足手まといと先日の合戦にも連れて行ってもらえず、大半がまだ初陣さえ済ませていない若者たちだった。荒木家の合戦で戦うことさえなく敵に捕らわれてしまった。全員まだ十六、十七歳の隆広と同世代の若者たちだった。

 

「隆広様」

「なんだ助右衛門」

「まさかここまで鮮やかに成功するとは思いませんでした」

「あっははは、これは唐土の韓信の真似だけれど、たまたま運が良かっただけさ。それより助右衛門、大殿がこちらに向かっているそうだ。お迎えの準備をせねば…」

「隆広様!」

 城中に助右衛門と共にいた隆広の元に佐吉が駆け寄ってきた。

「どうした?」

「城を見回っていたところ、とんでもない御仁がいました!」

「なに、誰だ?」

「親父様(秀吉)の家臣、黒田官兵衛殿です!」

 

 隆広は急ぎ、佐吉の示した場所に行った。慶次もそこに来た。

「これは土牢ですな。こんなところに閉じ込められておいでだったのか」

「慶次、この牢の鍵を壊せるか?」

「お任せを」

 慶次が鍵を破壊すると隆広が牢に入り、横たわる官兵衛の背中に耳をつけた。

「生きている! 佐吉、急ぎ医者だ!」

「はっ!」

「慶次、すまぬが肩を貸してもらえぬか? 官兵衛殿を城内まで運ぶ」

「それがし一人で大丈夫でござる」

 慶次は官兵衛を両手で抱き上げた。

「なんとも軽い…。そうとうひどい仕打ちを受けたようですな。ごらんあれ、左足が変な形でおり曲がっておりもうす」

「官兵衛殿…」

 慶次が官兵衛を抱きかかえて城内に連れてきた。医者もすぐに呼び寄せた。官兵衛は高熱にうなされていた。医者の診断を心配そうに見つめる隆広。

「う、ううう…」

「どうですか? 先生」

「かなり危険な状態ですが、養生すれば何とか…。しかしもう左足は使い物に…」

「そうですか…」

 話を聞いた前田利家も黒田官兵衛の元に来た。

「驚いた…。謀反した荒木殿を説得しにきたが受け入れられずにこの有様か…。だが回復した時に彼が味わうのはさらに辛い絶望だ…」

「前田様、それは?」

「言いにくいが…大殿は伊丹城から帰ってこない官兵衛もまた、自分を裏切ったと思い込み…長浜にいる彼の息子の松寿丸を殺せと秀吉に命令している…」

「な…ッ!」

「そして秀吉はそれを実行してしまった…」

「そんなバカな! こんな状態になっても官兵衛殿は節を通しているのに!」

「そうだな…知らせるのが辛い…」

「なんてことだ…!」

 曲がったまま固くなってしまった足を隆広はさする。

「松寿丸…幸円…」

 高熱にうなされながらも息子と愛妻の名前を呼ぶ官兵衛。

「とにかく…官兵衛の生還を秀吉に知らせなくてはな…。隆広、それはオレの方でやっておく。お前もそろそろ官兵衛の事は医者に任せて大殿の出迎えに備えておいた方がいい。それから念のため言っておくが…間違っても大殿が松寿丸を殺すよう勧告した事を責めてはならぬ。大殿はそういう諫言が一番お嫌いじゃ。勝家様に累が及ぶ。分かったな」

「は…」

「あと、本日に大殿は伊丹に宿泊されるが伽を勤める女は用意できたのか?」

「はい、一応堺の遊郭に使いを出して、太夫(高級娼婦)数名用意しました」

 これは森蘭丸が前もって隆広に書状を出して用意するよう依頼していた。気の利かぬヤツと隆広が信長に思われないよう、幼馴染の粋な援護射撃と言えるだろう。

「そうだ、城代や総大将ともなると大殿へのそういう配慮も大切だ」

「はい」

(まあ、実際は佐吉がやった段取りなんだけど)

 また、蘭丸の書状にはこうも書いてあった。

『伽を務める女子がいなければ、大殿はお前に伽を命じるぞ』

 隆広はそれを読んで血相変えて、石田佐吉に女子の用意を命じたのである。

 

 そして翌日、大殿信長が伊丹城に到着した。隆広主従と柴田家の諸将は信長を出迎えるべく城門に並んだ。出迎えの代表を務めるのもまた総大将の隆広である。




水攻めは思いついたのは良いものの、これを投稿するのは当時かなり冒険だったことを覚えています。絶対に『ありえね~!』と言われると思ったのですが、驚いたことに一件もそういう反応がなく受け入れてもらえました。良かった良かった。

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