天地燃ゆ   作:越路遼介

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史実編異伝-大坂の陣-【後編】

柴田快斎は生きていた。徳川の凶刃から身を守るため、あえて死んだふりをした。大坂の快斎邸に訪れた本多正純は報告した。重病であり、もはや頭もボケていると。しかし正純が完全に快斎邸から離れるや

 

「ふっ、すっかり信じ込んだようだな、さすがは司馬仲達の知恵だ」

三国志の英雄、司馬仲達も仮病を使い政敵の油断を誘うことに成功している。快斎はそれを再現したと云うわけだ。

「さらに徹底させるぞ。丹後(勝秀)一月後に儂の死を江戸に知らせよ」

「分かりました。して父上…」

「ん?」

「徳川が大坂を攻め滅ぼそうとしたならば…」

「大坂につく。将はひょっとこ斎(前田慶次)のみを連れていく。だがお前は徳川につけ。親子で敵味方に分かれて家の存続を図るのは珍しいことではないゆえな。徳川が勝った時には儂とひょっとこ斎を見捨てよ」

「父上…」

「すまんと思う…。だが太閤殿下に降伏したおり、犠牲を強いた茶々を見捨てることは儂には出来ない…。大納言様(前田利家)にも秀頼様を託されたゆえな。儂は大坂につく。こういう時のために儂個人で蓄財はしてある。関ヶ原で九州の如水殿が兵を集めて挙兵したように、儂も丹波や近江で兵を募り、大坂に参じる」

「……」

「熟慮の上に出した結論だ。茶々は儂に太閤殿下の天下を乗っ取らせようと思い、怨み骨髄に至るであろう太閤殿下の側室になった。父母の仇である太閤殿下に純潔をくれてやる無念、いかばかりのものであったか…。儂はその覚悟に応えてやることが出来なかった。茶々を見捨てることは出来ない」

「兄上様…」

「初、京極家は徳川に付くであろう。そなたも丹後と共に徳川寄りを通すがよい」

「お心遣いは嬉しく思いますが、亡き高次様と私に子はおりませんので、良人亡き今、私は柴田家の女、兄上の方に付きたいと存じます。そして大坂に連れて行って下さいませ。妹の私が姉上を支えたいと思います」

「初…」

「お願いです」

「分かった。ありがたく思う」

 

「殿…」

「さえ」

「はい」

「すず、しづ、甲斐」

「「はい」」

「儂の武運尽きし時は、儂と共に死んでくれ」

「何を今さら。水沢隆広の妻になった十五の時より、その覚悟はいつでも出来ております」

自分の死後、平穏に生きよ。そんなことを快斎は言わない。息子勝秀を当主とする当代柴田家は徳川に付くと言うが、快斎自身は豊臣に付く。武運尽きた時、徳川が快斎の室たちを許すはずがない。柴田の存続を条件に差し出すよう命じられて処刑されるだろうが、そうなる前に自害するつもりである。武士の妻となったからには、そんなことは覚悟のうえのこと。

 

隠居の身なのだから安泰のみ考えを、なんてことをさえは言わない。と云うより、どんな苦渋を経ているとしても、良人が茶々を見捨てる決断をしたならば物申すつもりだった。それは家康を恐れての決断ではなく、柴田家を思っての決断であるからである。無論、家を思うのは大事なことだ。

だが、茶々に秀吉の側室になると云う犠牲を強いたうえに滅ぼすなどあっていいのか。お家大事を思うのは誤りではないが、尚武と騎士道を尊ぶ柴田家、理不尽に対しては毅然と否と牙を剥くのが柴田の心であり誇り。だから秀吉に謀反した時でさえ、家臣すべてがついてきた。

 

秀吉の側室になった覚悟の根源。今こそ、それに応える時ではないか。良人に武運なければ、それは仕方のないこと。私も運命を共にする。もう子供たちは自立している。母親としての責任は果たしたのだから。

すずとしづもすでに腹は括っている。徳川が豊臣を討つ時、良人は間違いなく豊臣につく。そんなことは分かっていたことだった。

「すずのことなど心配なさらず、存分なお働きを」

「しづも殿と運命を共にいたします」

 

そして甲斐は

「殿、甲斐を大坂にお連れに」

「馬鹿を言え、そなたの実家の成田家は徳川に仕えているのだぞ。息子才介を敵に回すのか」

快斎と甲斐の嫡男才介は成田家の世継ぎである。すでに母の元から離れて下野烏山において祖父氏長に養育が委ねられている。

「成田家も徳川の軍勢に参じるのは明らかであり、今年十三の才介は初陣となろう。敵勢に父と息子がいるのだぞ」

「丹後で留守をしていても、実家を敵に回しているのは同じこと。ならば実際に目の前で息子の初陣を見たいのです」

「恐ろしい母上だな」

「おかげさまで」

「よし、忍城、そして舞鶴攻防戦のように、再び姫武将に戻るがいい。儂は実際に見るのは初めてだからな。楽しみだ」

「ふふっ、惚れ直させてさしあげます」

 

「父上」

「ん?」

「父上がその気ならば柴田家は大坂方に参りましょう」

「なに?」

「これを本多殿が…」

本多正純が持参した書を広げた快斎。

「『大坂城を攻めるゆえ、柴田家も参陣せよ』…か」

「はい、父上にとって秀頼様は甥であり弟子、淀の方は実妹!あまりにも柴田家を馬鹿にしているとは思いませぬか!」

「……」

「いやしくも丹後若狭二ヶ国の国主に対して、見舞いのついでに寄こした書面一つで肉親を討てと言う!しかも大坂を落としても徳川に増える領地は豊臣領の六十万石だけ。大坂と言う要地を外様に与えるはずもなし。大名の財を絞り取る政策をしている幕府が金で報いようはずもなし。恩賞がないことは明らか!我らは天下泰平のために徳川に従ったにすぎませぬ!奴隷になった覚えはございませぬ!」

「確かにな」

書を握りつぶした快斎。

「父上、徳川の権勢から大坂方が出兵を要請しても応える大名は皆無と言えます。集まるのは牢人たちくらいのもの。だが柴田が参戦すれば分かりませぬ」

「丹後…」

「正直、もうウンザリです。京都に近い丹後と若狭を領しているゆえに我ら柴田は警戒され、天下普請でせっかく蓄えた財も奪い取られる。一度江戸に呼応されれば、なかなか領国に帰してもらえず、そればかりか何かと云えば江戸の町づくりを任命され浪費を強いられる!父上母上や重臣たちが倹約に励み、直賢が寝食削り交易に務めたのは丹後若狭の領民のため!徳川の顔色を伺うためではなかったはず!確かに天下人はそうやって大名の力を削がなければならないのでしょうが、それとて限度がございます!」

 

徳川の天下普請でもっとも酷使されたのは伊達家と柴田家である。家康は無理難題を押し付けて政宗の仙台藩、柴田家の丹後若狭藩の弱体化を狙っていたのだ。伊達家は現在額でいえば三十六億円の出費を余儀なくされたが、当主の政宗は耐え忍んでいた。

しかし、若い勝秀には耐えがたい忍従であった。父母と重臣たちが蓄えた財を放出せざるを得ないのが悔しくてたまらない。柴田家は伊達家以上に出費を余儀なくされている。領内で行う内政も天下普請のためなのかと思うとやりきれなかった。

「これが譜代大名でない、外様大名の宿命にございます。どんなに働いても信頼はされず冷遇されるのみ。あげく清正殿や浅野親子のように暗殺だってされかねない!」

加藤清正を始め、浅野長政・幸長親子、前田利長、堀尾吉晴、池田輝政と言った主なる豊臣家臣が近年続々と亡くなっている。徳川による暗殺か、そう考えても不思議ではない。だから快斎は仮病を示し、そして死んだことにもするのだ。

「関ヶ原では断腸の思いで師の治部少様と戦い!身銭を削って貢献してもこの仕打ち!もう我慢なりませぬ!」

 

「ならば丹後、お前も父と共に徳川と戦うと云うのか」

「はいっ」

 

さえを見た快斎、さえも同じ思いだ。どんな意図があるにせよ良人と息子が戦うなんて冗談ではない。こうなれば柴田総力挙げて徳川に挑むのみ。

「よう言いました丹後、柴田親子の恐ろしさを徳川に示すのですよ」

「はい母上」

「ならば何も言うことはない。もう少し儂の芝居に付き合い徳川にペコペコしておけ。あの狸爺、きっとロクでもないことしでかす」

「分かりました」

「儂は開戦直前まで身を隠す」

 

誰もが快斎の死を疑わなかった。それほど快斎の死んだふりは徹底していた。まず幕府の検死官、現役の大名ならば幕府の検死を受けなければならないのだが快斎はすでに隠居しているので、その義務はない。だからすでに荼毘に付したことを幕府に報告した。墓も立てて葬式も行っている。

 

正室のさえ、側室のすず、しづ、甲斐は女の命と云うべき髪を落として尼になり、それぞれ法名も名乗ったと云うから、良人と運命を共にすると云う覚悟たるやすさまじい。ここまで徹底した死んだふりである。幕府、そして丹後若狭の領民も快斎の死を疑うことはなかった。

 

そして快斎当人が、どこに身を隠したかと云うと、そこは日本海の孤島、かつて柴田家の水軍である若狭水軍が本拠地としていた島である。賤ヶ岳の合戦で棟梁の松波庄三は討ち死にし、そして豊臣秀吉の海賊禁止令から若狭水軍は滅んでいた。今は普通の島民として暮らしている。

快斎とひょっとこ斎はそこに潜伏していた。藤林の伝書鳩が快斎に逐一状況を知らせてくる。庄三の娘の那美、世が世なら斎藤家の姫であったが今は漁業を生業とする市場の顔役である。病で良人を亡くしており、独り身であったが気がつけば快斎の現地妻となっていた。那美も四十を過ぎているが何とも艶っぽく、快斎を悦ばせた。

 

「いや良かった、しかし外はまだ夕暮れ時で明るいってのに」

窓を見て苦笑する快斎。

「この島で漁を生業にしている者は今時分に子作りをして、それから寝るのです。そうでないと寝過して早朝の漁に間に合わないじゃないですか」

艶っぽく髪をたくしあげる那美。

「でも、世が世なら私とお殿さんは主従だったのよね~。でも絶対に主従の垣根を越えて私の男にしていたな。美男だし、アッチも強いし♪もう腰と足がガクガクよ」

「ははは」

 

「女将さん」

港の使い走りが伝書鳩の書を届けに来た。半裸の那美が襖の間から腕だけ出して受け取る。布団のうえでキセルを吸っている快斎、情事の余韻に浸っているようだ。

「お殿さん、藤林から」

「ああ」

事あれば、快斎は行ってしまう。少し残念だが一時忘れていた女の悦楽も味わった。止めることはすまいと思う。書を熟読している快斎の邪魔をしないよう那美は黙っている。

 

(大御所も必死だな)

君臣豊楽・国家安康の件が書かれてあった。

「那美、ひょっとこ斎に渡りをつけておいてくれ。明日の早朝、舞鶴に向かう」

「分かりました。船をご用意します。でもその前に」

「ん?」

「もう一度しましょ」

 

ひょっとこ斎も現地妻の家に入り浸りであったが、知らせを聞くや

「そうか、時が来たか」

彼の現地妻は大陸の娘であった。明の海賊の一員であったが船が座礁し、漂流して若狭水軍が本拠地としていた島に流れ着いた。明は清に滅ぼされており、すでに帰る家はない。ここで暮らすことにしていたが、日本語が話せないので嫁の貰い手もない。美貌であるのにもったいないと、ひょっとこ斎が身振り手振りで口説いて現地妻とした。名を春麗と云う。二人の会話は漢文による筆談である。

『もう行くの、慶次』

『ああ、戦が始まるからな』

『また会える?』

すでに愛妻加奈は先立ち子供たちは巣立ち、ひょっとこ斎は気楽な独り身だ。今は孫のような歳の異国の娘と睦みあっている。

『舞鶴から、この島までは二日だ。戦が済めば戻ってくる』

海に囲まれたこの島で骨を埋めるのも良いか、そう思った。しかし、その前に天下の軍と戦だ。関ヶ原で島左近と戦い、朱槍をしまう時が来たと思ったが、どうやらそうはいかないようだ。

『慶次、ご武運を』

『ああ』

 

翌朝、快斎とひょっとこ斎は漁船に乗って舞鶴へと帰っていった。島にいる時は漁も手伝い、何とも日焼けした男前となっている二人だった。城下町の領民たちは快斎の顔を見るや

「お、お殿様がバケて出た!」

と、驚いたと言うが快斎は笑って

「足ならあるぞ」

そう言って城へと入っていった。島男の服装から武士姿になり、髭もそって髷も整えた。日焼けした顔が男ぶりをあげている。

 

「大殿様、おなりにございます」

勝秀に父の帰城が知らされた。すでに重臣一同揃っている。小浜から奥村三兄弟も来ていた。だいぶ柴田家も世代交代している。関ヶ原から十五年経っているので合戦を知らぬ者もいる。しかし、それは徳川とて同じこと。

何より快斎にとって、いや柴田家に幸運なのは快斎が子福者と云うことであろう。しかも北漢最強の一族と呼ばれた楊家将さながら息子たちも優れていた。

 

長男 柴田丹後守勝秀(生母さえ)

次男 藤林伯耆守隆茂(生母すず)

三男 尼子石見守清久(生母岩村城主娘の美々姫、尼子養子縁組後に明家が認知したもの)

四男 日近新太郎勝友(生母二代目戦場妻おふう、先年に死去)

五男 水沢大作隆明(生母しづ)

六男 朝倉又八郎教景(生母さえ)

八男 佐々内蔵助政重(生母愛人ふみ)

 

養子 羽柴孫七郎秀明(羽柴秀次長男)

養子 羽柴孫八郎秀隆(羽柴秀次次男)

養子 石田佐三郎成広(石田三成三男)

 

実子にはまだ甲斐姫の生んだ七男の成田才介がいるが、もう丹後若狭を離れて下野烏山の大名となっている。しかし七人もの実子と三人の養子が父の采配のもと天下の軍と戦うことになる。いずれも父の快斎や重臣たちから厳しい教えを幼少から受けており、ひとかどの武将に成長している。

しづの息子が水沢家を継いでいるのが何とも快斎らしい。養父の長庵こと水沢隆家はしづを助けて命を落としたのだ。その息子が水沢家を継いでくれるならあの世の隆家も喜んでいよう。

 

養子もただ縁組のために迎えられたのではなく、本当の息子のように快斎は愛している。特に羽柴秀次の息子たちは死の直前に救われたうえ、武将として厳しく温かく育ててくれた養父快斎を心より尊敬している。実父秀次もあの世で複雑な気持ちかもしれない。

 

八男の佐々内蔵助政重は数いる快斎の愛人の子で唯一柴田家に迎えられた少年である。快斎は愛人の子を基本的に柴田家には迎えなかった。認知して十分な養育費は出していたが、愛人たちが快斎の室たちに遠慮したか、もしくは武士にさせるのを拒否したとも言われている。快斎の愛人の子らには後に茶人や絵師など文化面で名を残した者が多くいるが、一人だけ舞鶴温泉を任せたふみが生んだ男児だけ快斎がふみに頼んで柴田家に迎えた。

理由は伝わっていないが、快斎が『これはものになる』と言ったのは確かなようだ。以後政重は柴田家で養育されて、佐々家を継いだのだ。柴田明家の子に佐々家を継がせる。これは亡き佐々成政との約束であった。

 

ちなみに他にも快斎の実子と養子は多くいるが、まだ幼かった。しかし、この局面で七人もの実子と三人の養子を連れていけるのだから父親冥利に尽きると言えよう。

 

快斎が城主の間に入ってきて、勝秀の傍らに座った。当主はあくまで勝秀なのだから当然だろう。

軍議が始まった。快斎の代であれば彼の一声で話は決まっていた。快斎と勝秀の将としての性質はまったく違う。父の快斎は上杉謙信のように自分で方針と作戦を考えて家臣に伝えると云うもの。彼は家臣をグイグイ引っ張っていく将である。

 

しかし、息子の勝秀は違う。武田信玄のように家臣とよくよく協議して物事を決める。これは勝秀自身が才覚と器量は父に及ばないのだから、家臣によく補佐してもらわねばと考えていたゆえだ。勝秀は家臣に支えられて大事を成せる将である。快斎もそのやり方でよいと思っている。快斎ほどの者が『儂は勝秀の足元に梯子を架けても及ばない』と言うのも、こういう家臣の用い方を評価していたからだろう。

 

その勝秀が軍議を始めた。とはいえ、もはや徳川と豊臣どちらにつくかの議論はすでに終わっている。先代が『死んだふり』などと云う姑息な手段を使わざるを得なかった柴田家。ことごとく死んでいった豊臣寄りの大名、百歩譲って徳川が暗殺に踏み込んでいないとしても、あまりにも続いている。疑念を抱くのが当然である。家康がたとえ指示していなくても家臣たちがやったことを半ば黙認していたのであれば同罪。先代に『死んだふり』などと云う恥を強いらせるに至ったことに柴田将兵は怒りに燃えていた。暗殺で大事を成した者などいないことを教えてやると云う気概だ。勝秀が口火を切る。

 

「皆も知ってのとおり、豊臣家は徳川との決戦に備えて諸大名に参戦を要請した。しかし現時点でその参戦要請に応じた大名はない。また当家は返事そのものをまだ出していない」

「「ははっ」」

「徳川からは参戦を命じられている。しかし、もはや徳川に尽くしても報われぬことは皆も重々分かっていよう。今回の参戦にしても本多正純が父快斎の見舞いに来たついでに書面一枚を私に手渡しただけ。許し難い傲慢である。かつ立て続けに行われている大名の取り潰し。百の功績があろうと、一の失敗で帳消しにされて取り潰しの名目とされる。我ら柴田家は丹後と若狭と云う要地を治めている以上、徳川は取り潰しの名目を虎視眈々と狙っていよう。そんな盟主にはもう仕えることは出来ない」

「「ははっ」」

「大坂に付くのが不利とは分かっている。しかし当家が太閤殿下に降伏するさい人身御供も同然と相成った叔母を見捨てることは出来ない。我々柴田家の気風は尚武と騎士道、強い者に尻尾を振って何が尚武か、柴田家のため、あえて太閤の側室となり、今も徳川の圧迫にジッと耐えている叔母を見捨てて何が騎士道か」

「「御意」」

「徳川に尽くしても未来はない。しかし豊臣であれば我らは譜代と相成ろう。若く聡明な秀頼様こそ御輿に値する。徳川家康、関ヶ原から十五年、この国に戦を発せさせなかったことは評価してくれよう。しかし、そろそろ舞台から降りていただく。一堂、腹をくくれ。この豊臣と徳川の戦こそ柴田の桶狭間である!!」

「「オオオオオオオッッ!!」」

 

快斎は口を出すまでもなかった。よき柴田の当主となったと満足している。

「父上」

「ん?」

「大坂に大名は呼応せずとも、徳川に怨みを持つであろう牢人たちは檄に応え、どんどん入城しているとのこと。しかし、そのままでは烏合の衆。全軍をまとめる指揮官がおりませぬ。秀頼様は伯父にて師である父上に全軍の総大将を委ねましょう」

「そんなことは分からん」

「いや、そうしなければ徳川に勝てないことは誰にでも分かるはず。叔母上もそう思うに相違ございません。その時はお受けあるよう。我らは豊臣方総大将となった父上の采配に従いまする」

「そうなったならば柴田が全軍に範を示さねばならん。最前線に出てもらうぞ」

「「望むところ!!」」

奥村三兄弟が声を揃えた。特に父の助右衛門さながらのいくさ人である長兄兵馬には待ちに待った出陣だ。天下の軍と対決、いくさ人冥利に尽きる。

 

「では補足を言おう。いま徳川と戦うにいたり、それならば何故関ヶ原にて徳川に味方したのかと思う者も中にはいるであろう。その点について話しておく」

「「はっ」」

「あの時点、秀頼様は御歳七つであった。もし西軍が勝っていれば間違いなく、最初に打倒徳川の狼煙を上げた冶部少(石田三成)が実権を握ることは明らかであった。儂は別にそれでも一向に構わなかったが、残念ながら他の諸大名が従うとは思えない。織田と豊臣で成してきた天下統一は消滅してしまい、日ノ本惣無事など意味も無くなる。間違いなく群雄割拠となったであろう。儂が父母の仇である太閤殿下に仕えたのは『戦のない世の構築』のため。それを思うと関ヶ原では徳川に付くしかなかった。中立はまず通用しない局面であったゆえな」

「それゆえ父上は断腸の思いで冶部少様と袂を分けた」

石田三成は勝秀の師である。勝秀はいまだ尊敬しており、冶部少様と呼んでいる。

 

「結果は徳川家康率いる東軍が勝利、その後も内府は秀頼様に忠節を示していた。その後、内府を中心にして秀頼様を盛り立てていれば良かったのだが、内府殿は徳川による武家社会を築くため秀頼様を遠からず害するつもりであったようだ。江戸幕府開闢後、儂は何度か徳川と豊臣の共存について内府に上奏したことがあるが返事が来たことはない。上奏の内容はこうだ。『秀頼様が徳川に臣下の礼をとり、茶々を江戸に人質として送り、大坂城を明け渡す。そのうえで豊臣家を関白家とし、豊臣と徳川をこの国の公武の両輪とする。これは豊臣家に名誉だけ与えて武力を取り上げることになるが厚遇には違いないため徳川に不満を抱く大名が秀頼様を担ぐ名分が立たない。豊臣家は京の聚楽第の地に居を構えて公家として存続する』そう上奏した」

「なるほど、それを入れていたらもっとも平和的に戦国の世を締めくくれましたな」

と、奥村兵馬。

「徳川は江戸に幕府を開いた。それは別にいい。統一政権が無ければ、この国は大陸や欧州列強に攻め込まれて滅ぶ。だから豊臣家は織田が豊臣に仕えたと同じくすればよいだけのこと。しかし共存と云う選択肢を徳川は最初から持っていなかった。儂には茶々も秀頼様の側近たちも、そして加藤清正殿を初めとする豊臣寄りの諸大名を説得する自信はあった。何故なら、すでに高台院様(秀吉正室)を味方につけていたからだ」

高台院こと秀吉正室ねねは、明家が正室さえ大病のおり、秀吉の命令を無視してでも病身の妻の元を離れようとしなかった行為に感動し、それ以来明家びいきであった。そしてその後の本性寺の件でさらに明家を気に入り、何かといえば高台院は明家を、今の快斎を頼りとしていた。

その高台院は加藤清正や福島正則に強い影響力を持つ。古の唐土の縦横家、張儀さながらの懸河の弁を持つ快斎に高台院が味方についたならば大坂城明け渡しも出来ない話ではない。家康から返事がなく、焦れた快斎は独断でことを行い、豊臣の説得に当たろうと思ったが驚いたことに家康から待ったがかかる。平和的な解決を是としない家康は、快斎が豊臣を説得することを認めなかった。

 

しかし、家康はこのあたりから本気で快斎を警戒しだす。なるほど隠居の身で、用いる兵は一人としてない。日々やっているのは秀頼の指導と女体いじり。第三者から見れば、昼は若者の教育、夜は女を堪能している。この時代どこにでもいた武家の隠居親父にすぎないが、依然、水沢隆広・柴田明家・柴田快斎の名前は絶大であった。

 

何せ一度も負け戦をしていない男であり、慶長の役では全軍の指揮を執っている。二度目の朝鮮出兵である慶長の役には日本中の諸大名が渡海しているのだから、それは大軍勢である。柴田快斎は日本史史上、もっとも多くの将兵を率いた将と云え、そしてそれを見事に統率し、縦横に用いているのだ。戦国時代、野戦をやらせれば最強の武将だったといえる。

 

その戦場の強さに加えて、諸葛孔明顔負けの智謀知略を誇る。たとえ在野の好々爺となっても徳川にとって、これほど恐ろしい男はいないのだ。いずれなりふり構わぬ行為に出ることは明白であった。ゆえに快斎は死んだふりを徳川と豊臣の戦が決定するまで通したのだ。だが、もう戦うに決した今、そんなことをする必要はない。

 

「徳川殿はこう申すだろう。『快斎、わしとお前が望んだ戦のない世の構築のためには秀頼は殺さねばならん。鬼と呼ばれようが仕方のないことだ』と。しかし、どんなご立派な大義名分を立てようが、徳川が大坂を蹂躙しようとしているのは確か。戦を起こすのが徳川である以上、我ら柴田は黙っておらぬ」

「「大殿!!」」

「我が愛する息子たちよ、誇りである家臣たちよ」

「「ははっ」」

「徳川を討つ!我に続け!!」

「「オオオオオオオオオオッッ!!」」

ついに柴田快斎が徳川家康に牙を剥けた!

 

柴田快斎、大坂方に参戦。

 

これは諸大名にとって激震であった。生きていたことも驚きであるが、今まで野戦で負けたことのない合戦の天才が敵方についたのだ。家康はすでに大坂に向かっていたが、浜松の陣場で柴田快斎が生きており、大坂方に参戦したと聞くや

「か、快斎が生きておったと!しかも大坂方に参戦じゃと!」

あまりの驚きにめまいを起こして倒れてしまったほどだ。家康はそれほど柴田快斎を恐れていたのだ。快斎個人でも恐ろしいのに、その人望と実力に伴い、大名の中に大坂方につく者が続出することになるだろう。

「も、申し訳ございませぬ!上野介(正純)、まんまと快斎の猿芝居に騙され申した!」

「今さらそれはどうでも良いわ!しかし快斎め、なぜ死んだ真似などを!」

「おそらく、ここ数年で急死した豊臣重臣たちの死を徳川による作為と思ったのでございましょう。それで暗殺されるのを防ぐために、あえて死んだふりをして水面下に潜んだものと」

「くっ…!やっぱり快斎を真っ先に殺しておくべきであったか!」

豊臣寄りの将を暗殺していたのは、どうやら事実だったらしい。しかしそれも家康からすれば『泰平の世を作るためには仕方のないこと』と云うことなのだろう。

 

「…申し訳ございません。快斎の用心深さが尋常ではないうえ、側近の前田ひょっとこ斎は老いたりと言え手だれ、護衛する藤林の強さも並々ならず。ついに今に至るまで…」

と、柳生宗矩。

 

「今からでも遅くはない、殺せ!快斎が大坂に付いたとなれば毛利も島津も伊達も前田も豊臣に付きかねぬぞ!」

「はっ!」

宗矩は部屋を出ていった。

「それにしても大変なことに相成り申した…。柴田快斎は名うての戦上手のうえ柴田の兵は精強…。反して我ら徳川には関ヶ原さえ体験しておらず、こたびの戦が初陣の者も多うございます。百戦錬磨の快斎の前では敵にもなりますまい…」

「そんなことは分かっておるわ正純!徳川に快斎と互角に戦える者など、もうおらん!」

 

もはや関ヶ原を共に駆けた徳川四天王もこの世にない。豪勇の士ならば徳川にもいる。しかし快斎に匹敵する戦場の指揮官はいない。それどころか敵にすらなるかどうか。快斎は上杉謙信や真田昌幸にも負けなかった男であり、賤ヶ岳では快斎だけが秀吉に勝っている。しかも、相手より兵力が少なかったのにも関わらずである。秀吉の配下になってからは、豊臣秀長や豊臣秀次の軍師も務め、朝鮮の役では事実上の総司令官ともなっている。島津、毛利、伊達さえも、その采配に従って戦っている。渋々ではなく、その大名らが総司令官になってほしいと頼んでいるのだ。快斎の用兵は同時代を生きた武将たちすべてが認め、そして畏怖した。秀吉は快斎の才覚と器量を恐れ、家康とてかなわないと思っている。快斎は戦国後期、最大の名将なのである。

 

そんな男が敵に回れば、徳川に付くことに二の足を踏む者がどれだけ出てくるか。この時代に生きている武将で快斎と互角に戦える武将は真田信之、藤堂高虎、伊達政宗、上杉景勝の四人くらいだろう。しかしこの四人は外様、天下普請で徳川に不満もあるだろう。何より四人とも快斎と親しい。徳川が劣勢になったら敵に周りかねない。いや、開戦に及ぶ前に豊臣方に付くことも考えられる。

 

「快斎の馬鹿者が…。そなたの大望は『戦のない世の構築』であろう!秀頼あるうちは悲しいかな、その世は到来せぬのだ!この後に及んでくだらぬ情に流され、乱世を締めくくるこの戦に横やりを入れるとは!」

 

家康が豊臣重臣の暗殺を指示はしていたか否かは柴田からでは分からない。だが、あまりにも主なる将の訃報相次いたのでは快斎とて用心せざるを得ない。結果それが功を奏した。

 

何より、伊達家と柴田家を徹底して酷使している家康を苦々しくも思っていたのも確かである。最初は天下人はやらざるを得ないと受け入れていた天下普請の数々だが、それとて限度がある。勝秀の言う通り、これが外様の宿命なのかと腹立たしく感じていた。

「天下普請で酷使されるのが気に入らなかったか、外様と冷遇されるのに腹を立てたか、しかしな快斎、お前のような男に力を持たせておくわけにはいかなかったのじゃ!」

 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 

大坂城内に入った快斎を出迎える秀頼

「伯父御、よく来て下さいました」

「はっ」

「死んだと伺った時、母上は毎日泣いていたのですよ、いかに身を守る方便とは申せ、今後は慎んでいただきとうございます」

秀頼の言葉に頬を染める茶々だった。

「秀頼、余計なことを言わないの!」

「ははは、これは手厳しい。まったく秀頼様の言われる通りにございます。今後はかような下策は用いませぬとお約束いたします」

「では柴田快斎」

「はっ」

「そなたを豊臣軍の総大将を命ずる」

「いや、それは隠居の身でお受けできかね…」

「恐れながら、唐土の司馬仲達のように一度二度断って味方の嫉妬を買わぬようと云う駆け引きは無用、豊臣にそんな時間はないのですから。味方の嫉妬を氷解するのは総大将になってから取り組むよう願いたい」

「ほう…参りましたな。見抜かれましたか。いかにも司馬仲達と同じよう最初から引き受けるつもりでしたが、秀頼様の見込む理由で一度二度断ろうとしていました。しかし、バレちゃ仕方ない」

「では快斎、頼まれてくれるか」

「はっ、柴田快斎、慎んでお受けいたします」

「うむっ!」

秀頼は太閤秀吉愛用の采配を快斎に渡した。両手で受ける快斎。

「柴田快斎、豊臣軍総大将として徳川家康を討てっ!!」

「ははっ!!」




はい、ここで終わりなんです。このお話は随分前に書いていましたが、この後の展開に自分で合格点を出せるものが書けず、ずっと私のPCのHDに眠っていましたが、久しぶりに読み返してみて、ふと『ん?ここで終わらせてもある程度の形になっているじゃないか』と思い、見ての通りのアップいたしました。この物語における大坂の陣はどうなるのか、それは皆さんのご想像にお任せしますね。

本作は2012年に書いたものなのですが、ここハーメルンで再掲載を要望して下された方がいたので本当に嬉しかったです。読んで下された皆様に感謝です!

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