天地燃ゆ   作:越路遼介

173 / 176
天地燃ゆの題材となった『太閤立志伝3特別編』ですが、よっぽどのポカをやらかさない限り、柴田家敗北シナリオには発展しません。もう何十年も前にプレイしたゲームなので記憶もおぼろげですが、わざわざ戦に負けて敗北シナリオを見届けた記憶があります。


異伝-もう一つの結末-【後編】

 水沢隆広は越前の内政全てを柴田勝家から任されていた。新田開発、治水にも尽力した彼は、越前の天候、風速、風向の傾向は頭に入っていた。

 出陣の数刻前まで越前の天気は極めて穏やかだった。夕陽もきれいに落ち、とても雨など降らない状況に思えた。しかし隆広は確信していた。夜に入りしばらくすると天気は一変すると。

「この日を待っていた……」

 隆広率いる三百騎は城門の門前に出陣準備をして待っていた。天気が一変する時を。そして隆広の予想したとおりの天気が到来した。暗い空に稲妻が薄く光った。

 

 カッと隆広の目が開いた。

「みんな、これが我らの最後の合戦だ。これは我らの意地の決戦。これから約四半刻(三十分)ほど、この地は大雨と強風に包まれる。風向は南東で我らには追い風、羽柴には向かい風。そして大雨と強風で鉄砲は使い物にならない。弓矢も当てずっぽうで打つしかない。つまり、これから四半刻は我らの独壇場だ。しかしそれが過ぎれば穏やかな天候に戻る。四半刻直前に辰五郎に陣太鼓を叩かせるから、それを合図に一斉に引く。その後はこの城をまくらに討ち死にだ」

「「ハハッ!」」

「至らぬ主君であったが、今までよく尽くしてくれた。よう今まで不運な俺を見捨てずについてきてくれた。礼を申すぞ」

「「隆広様!」」

「「御大将!」」

「敵方から幾度も降伏を呼びかける使者は来た。本来ならば受け入れてみなの命を守るため、その家族の幸せのため羽柴に降るのが正解なのだろう。しかし俺は柴田勝家の息子。俺が降るのは父の名を辱める事になる。みんなを巻き添えにして申し訳なく思う」

「もう言いっこなしですぜ御大将。先に逝った連中もそんな御大将の気持ちを分かったうえで戦って死んだ。このうえは空の上にいる仲間たちに我ら水沢軍の最後の晴れ姿を見せましょう!」

 と、松山矩久。

「矩久の申すとおりです。武人にとって惚れた主人と共に死ねるのは誉れ。最期までご一緒いたします」

 小野田幸猛が添えた。隆広三百騎、すべて同じ気持ちだった。そして空の上の仲間たちが主人へ援軍を送る。豪雨が降り出したのだ。これぞ羽柴の鉄砲を封じる天の援軍。

「俺と共に死ね!」

「「オオオオオオオッッ!!」」

「門を開けい!」

 

 

 そして、同じく隆広と共に越前の内政を勤めた石田三成は帷幕で軍務処理をしていたところ、雷鳴を聞いた。筆をおいて帷幕を飛び出し、漆黒の空を見つめた。

「しまった…!」

 その言葉を三成が発すると同時に豪雨が降り出した。

「この日をお待ちでしたか!隆広様!」

 

「「敵襲―ッ!」」

「「敵襲―ッッ!」」

 丸岡城から前田慶次を先頭に羽柴陣に突撃を開始した水沢勢。豪雨が降り始めた直後には城を出ていた。そして隆広はすでに秀吉本陣の場所も掴んでいる。いくつか秀吉の馬印の陣は点在させて何箇所もあるように見せかけてはいるが、丸岡城は平城、回りに陣に適した山々もない。平地に敵は陣を張るしかない。隆広は城の高台から羽柴陣を見つめ秀吉当人がいるところは見つけていたのである。水沢勢はそこに一直線で突き進んだ。

「鉄砲隊!」

 突撃してくる水沢勢に向けて鉄砲隊が並んだが

「ダ、ダメだ!火薬と火縄が濡れてどうにもならん!」

「強風で火が着かん!」

 隆広は右手を上げた。すると両翼に騎馬隊は広がり、

「放て―ッ!」

 隆広は弓隊を狙わせた。隆広を中心にして翼を広げた軍勢が一斉に矢を放った。かつ連射した。追い風に乗り矢は羽柴に降り注いだ。

「ぐああ!」

「うぎゃあ!」

 騎馬で突進しながら、怒涛のつるべ打ちをし、しかも狙いは正確だった。主なる弓隊はほぼ壊滅した。

 水沢軍は矢を打ち尽くすと弓を捨て、馬の横腹に装着しておいた槍を取り構えた。飛び道具はなくしたが、戦端を押さえる事ができた。両翼は静かに閉じて、再び前田慶次と共に突撃する。先頭を走る前田慶次が

「前田慶次参上!」

 彼の突撃を彩るように稲光が夜空に走る。その轟音より響く慶次の咆哮。

「ウオオオオオオオッッ!」

「う、うわああ!」

「に、にげろー!」

 慶次の突撃に命を惜しむ羽柴勢は我先にと逃げ出した。

「死にたくねえ!」

「バ、バケモンだあ!」

 慶次先頭の水沢勢は羽柴陣に突入した。慶次の愛馬、松風の前足が雷神の鉄槌のごとく羽柴兵に叩きつけられた!

「に、逃げろ!化け物馬だぁ!」

「「助けてくれーッ!」」

 そして、その松風に乗る前田慶次の朱槍一振りは一気に十人の兵士をなぎ倒す。まさに人馬一体の魔獣であった。

「うおりゃあああッ!」

 朱槍一振りが武神の一撃、この時の前田慶次の姿は対していた羽柴勢の将兵の記憶に恐怖として刻まれ、この後に何年経っても夢に見て飛び起きたとさえ言われている。

「そうりゃあ!」

 奥村助右衛門も負けていない。自慢の黒槍を棒でも振り回すかのように突き進む。ときの声を聞き本営から黒田官兵衛、羽柴秀長が出た。そして見た。すさまじい勢いで迫る水沢勢を。

「駄目だ…。止められん…!」

 すぐに出た言葉がこれだった。黒田官兵衛は死兵の恐ろしさを肌で感じた。

「何たる事…。あの寡兵で四万の我らを圧倒するとは!」

 羽柴秀長は呆然としていた。

「何事じゃ!」

 羽柴秀吉が陣屋から走り出てきた。

「兄者、ここは危険じゃ!退いて下され!」

 秀吉は突撃してくる水沢勢を見た。後方に下がるように官兵衛と秀長に言われても立ち尽くし惚けて敵軍を見た。統率の取れた、まるで一つの生き物のような水沢勢の姿。

「…なんちゅう美しさじゃ……」

 

 前田慶次、奥村助右衛門に負けられないと三百騎も獅子奮迅の戦いぶりを見せた。

『少数精鋭となり、戦場の華となり馬で駆るか』

 ふと松山矩久は隆広とはじめて会った時の事を思い出した。やさぐれていた不良少年三百名がこの言葉で奮い立った。

「貧乏武家の末っ子が手にするには過ぎた舞台よ!御大将隆広様…!俺は貴方の家臣になった事を誇りに思うぜ!礼を言うのはこっちだ!」

 

「隆広殿!」

 山内一豊が立ちはだかり、突き進んだ。

「一豊殿!」

 猛将、山内一豊の槍をかろうじて避けた隆広。そして横薙ぎの一閃!

「ぐはぁッ!」

 一騎打ちにこだわってはいられない隆広。すれ違いざまに一撃を一豊の腹部に叩きつけた。さしもの一豊も吹っ飛んだ。

「見事なり……ゲホッ」

 鎧に助けられたが、一豊は血反吐の吐くほどの一撃を叩き込まれたのである。山内一豊はこの一撃をくらった事を一生の誇りにしたと云う。

 

 

 水沢勢は遮二無二突き進むが、いかんせん相手は四万、三百の兵では百三十倍である。そして強風はだんだん穏やかになり、雨量もだんだん減ってきた。

「よし、これならば鉄砲も使え進軍を食い止められる!」

 と黒田官兵衛が思った時だった。後方の丸岡城から陣太鼓か鳴った。

「退くぞ!」

「「ハハッ!」」

 水沢勢はクルリと進路を返し、城に戻った。決死の水沢勢のすさまじさに圧倒された羽柴勢は道を開ける。もはや無人の野を行く如くである。

「雨風が止むのも計算済みか!いかん!逃がすなーッ!」

 だが官兵衛の命令は徒労に終わった。一糸乱れぬ騎馬隊はすぐに戦線を離脱してしまった。

「なんたる用兵…!あれが二十歳の若者の采配か!?」

 

 加藤清正、福島正則、大谷吉継らの将兵は急ぎ羽柴本隊へ援軍に向かったが、その前に水沢勢は城に引き返してしまった。

 そして驚愕する事に、この突撃で水沢側の死者はなく、それどころかカスリ傷すら負った者がいなかったのである。まさに今日も賞賛が惜しまれない水沢隆広最後の突撃であった。百三十倍の兵力に果敢に立ち向かい、しかも実質勝利したのである。黒田官兵衛をして『水沢隆広、日の本一の兵なり』と言われる由縁である。

 反面、羽柴軍は五百人以上の死者を出し、逃亡者は三千人に及んだ。秀吉は激怒した。水沢勢ではなく、味方のあまりの体たらくに。

「何たるだらしなさじゃ!我が軍には隆広、慶次、助右衛門以上の武将はおらんのか!」

 返す言葉もない羽柴将兵。

「ううむ、ますます欲しくなったわい…。権六の息子とてかまわん。何とか…」

「恐れながら」

「なんじゃ官兵衛」

「もはや隆広殿を召抱えるのはおあきらめ下さい」

「なんじゃと!」

「殿、いつかそれがしに話して下された思い出話。岐阜の酒場で会った小さな坊主、それは隆広殿でございますね?」

「う…」

「まだ殿が織田の下っ端武将だった頃に…家来にしてくれと頼んできた坊主、長じて敵となってしまってもあれだけの名将になられた彼を配下にしたいのは分かります。しかし彼は柴田勝家の嫡男!敵の総大将の嫡男は殺すのが乱世の掟!もはや隆広殿は城をまくらに死ぬつもりです。ならば堂々と我らは攻め入り、戦いのうちに隆広殿を死なせてやるが武士の情けと思いまする」

「官兵衛!その方は隆広に命を助けてもらった事もあろうに、ようもかような!」

 官兵衛の眼には涙が浮かんでいた。

「それがし、せがれの松寿丸にいつも聞かせております。儂や殿に学ぶのではなく水沢隆広に学べと!それがしとて助けたい!殿の元で一緒に働きたい!ですが…!」

「親父様、それがしも官兵衛様と同意見です。親父様は隆広様にとり、主君であり父親の柴田勝家殿の仇です。どうして臣下になりましょう!」

「佐吉…。その方までが…」

「負ける事を知らない羽柴軍を寡兵で三度も撃破した水沢隆広、もって瞑すべし!」

 三成の顔も涙で濡れていた。そして三成の言った『もって瞑すべし』が秀吉を決断させた。

「…あい分かった、総攻めの準備をいたせ」

 

 

 翌朝、いよいよ羽柴勢の丸岡城総攻めが始まった。たとえ五百人討ち、三千を逃亡させたとはいえ羽柴軍は大軍。いまだ三万強の羽柴軍に水沢軍は三百、敵うはずがない。火が放たれて丸岡城は炎上する。

 やがて一人討たれ、また一人討たれる。全員が朝に水杯をかわし、辞世を書いた短冊を胸にしまっていた。隆広の最後の鼓舞はこの言葉だった。

「たとえ三度生まれ変わっても、我らは戦友ぞ!」

 この城攻め、羽柴軍は三百相手に二千強の犠牲者を出した。いかに隆広の軍勢の抵抗が凄まじかったか推察できる。いよいよ本丸に軍勢が迫った。城内に羽柴兵は進入した。最上階に隆広はさえとすずと共にいた。

 その最上階への階段を死守していたのが奥村助右衛門と前田慶次である。後年『隆広関張』と呼ばれる二人。まさに関羽と張飛のごとく主人の最期の地を守った。

 

「さえ」

「はい」

「すず」

「はい」

「愛している」

「「愛しております」」

 二人の妻を同時に隆広は抱きしめた。

「あの世でも夫婦となろう」

「はい…そして生まれ変わってもまた…私とすずを見つけてください。また私たちはあなたの妻として生まれます」

「ああ…!」

 隆広は刀を抜いた。白装束の妻二人は合掌した。隆広は愛妻二人に白刃を振り下ろした。隆広はさえとすずを斬った。新陰流の使い手隆広。痛みすら感じず二人の妻は笑みを浮かべて逝った。

 

「はーはははは!ここは通さんぞぉ!」

「我らの屍を越えて行くがいい!」

 まさにこの時の慶次と助右衛門は鬼神であった。すでに何度も槍で突かれているのに倒れない。彼ら二人に羽柴兵は百人以上討ち取られていた。

 城内に突入した兵を率いていたのは黒田官兵衛の配下の母里太兵衛と後藤又兵衛であるが、さしもの豪傑の両名も震え上がった。だが二人がいかに強くても衆寡敵せず。やがて奥村助右衛門は母里隊の槍衾に全身を貫かれた。その直後に前田慶次も後藤隊の槍衾の前に全身を貫かれた。

 

 だが主君を思う二人の体は魂を越えたのか、城の最上階に繋がる階段の前に二人は倒れることは無く槍を構えたまま絶命したのである。しかも両名の顔は笑っていたと言う。

 後藤又兵衛と母里太兵衛は気高き敵将の姿に号泣して平伏した。黒田隊は二人に敬意を払い、無理に押しのけて最上階に立ち入ろうとせず引き返した。

 

 そして隆広は炎上する丸岡城の最上階の外に出た。死に装束である。まさに彼の父柴田勝家の最期と同じである。

「寄せ手の羽柴勢よ!我は水沢隆広である!武運つたなく敗れて死ぬが満足している!よき人生であった!」

 秀吉が床几から立ち上がった。

「隆広…」

「さあ寄せ手の者たちよ!しかとそれがしの最期を見届けあれ!」

 隆広は刀を腹に刺し一文字に切った。今度は縦に切り、十文字に腹を切り、そして最後に心臓に突き刺し倒れた。羽柴勢は隆広の自決のすさまじさに呆然としていた。やがて丸岡城は炎に包まれ崩れた。水沢隆広享年二十一歳の若さだった。

 羽柴の将兵たちは皆、敵ながら見上げた武士よと感動し、粛として頭をたれ合掌したという。

 

 

 石田三成は炎上し崩れていく丸岡城にずっと平伏して泣いていた。かつて仕え、友としても部下としても厚い絆だった隆広と三成。三成は隆広の自決の瞬間に何を思ったろう。そして秀吉は一言だけ

「全軍引き上げじゃ」

 と、つぶやいた。以後彼は天下人の道を進み、関白となり織田信長の実質の後継者となり天下人豊臣秀吉となったのである。

 

 

 水沢隆広没して、日本かしこに彼の生存説が出た。それが今日の歴史家を悩ませる事にもなる。

 博多の町に一人の天才的商人がいて、諸外国の商人と交易を結び一代で巨万の富を得た豪商。

 しかし越前が凶作で飢饉に陥ったと聞くや、私財をなげうち飢える民に食料を与え、しかもその男は越前の気候風土を知り尽くしていて、凶作の畑に翌年には豊作をもたらせるように農法を指導したと云う。

 彼には二人の美しい妻がいて、一人は自力で歩行できない女であった。男の顔は精悍かつ美男で、年齢も隆広とほぼ一致する事から、彼と隆広は同一人物と越前では噂された。

 

 もう一人いる。奥州の無医村に一人の医者がいた。大変な美男で、かつ漢方や鍼灸に長け、医術の腕は一流、かつ思いやりもある男だった。

 そしてその男にも美しい妻が二人おり、一人は歩行が不自由な女であった。隆広が柴田家中で医術に長けていたと云う事実はないが、彼の頭の良さならば十年は修行すれば腕の良い医師にもなれるかもしれない。彼は越前で疫病が流行っていると聞き、現地に赴き疫病を治し、そしてその原因であった下水の汚染を領民の若い者に働きかけて、清潔に作り直したと云う。若者たちが『お名前を』と尋ねても、医師は笑って答えなかった。彼もまた隆広と年齢がほぼ一致していたため、この医師も隆広ではないのかと噂された。こういう説は多々流れた。

 

 しかしこれは、隆広の徳政を慕った民たちの一つの願望であったのだろう。稀代の名将であり、卓越した行政官でもあった水沢隆広。武運つたなく若い命を散らせた事は日本人特有の判官贔屓の気質も手伝い、どこかで元気に生きていてくれれば…と云う願望を生み、多々の生存説を生んだのだろう。

 

 戦国武将の中で、天下を統一した織田信長、豊臣秀吉、徳川家康よりも今日の日本人に愛されている水沢隆広。十五歳で柴田勝家に仕官し、武将としての人生はたった六年しかなかったにも関わらず、彼が内政官として越前、現在の福井県にもたらした功績は大きく、福井の偉人十傑の筆頭に挙げられているのは周知の事である。新田開発によって作られた水田は今でも満々の水をひたし、家臣の石田三成に下命した九頭竜川の治水はどんな大雨が来ても氾濫しないと云う。

 

 

 一五九七年、太閤秀吉没し、徳川家康が頭角を現した。それに敢然と立ち向かったのが、石田三成であり、天下分け目の関ヶ原と呼ばれる大合戦を起こして家康と雌雄を決したが敗北し捕らえられた。斬刑の時、彼は静かにこうつぶやいた。

「隆広様、佐吉が今まいりますぞ…」

 

 石田三成の処刑後にこんな話が伝わっている。徳川家康は六条河原にさらした三成の首を見張らせた。しかしさらした当日の夜、ある一団が三成の首を奪取するために警護していた兵たちを襲って三成の首を持ち去った。家康は警護していた兵に、その一団の者たちの事を訊ねた。すると兵は

「越前訛りのひどい百姓たちだった」

 と述べた。すると家康は

「その者たちは九頭竜川沿岸に住む民たちだ。彼らは九頭竜川の治水を成し遂げ、その沿岸に美田をもたらしてくれた治部(三成)への恩を忘れず、命がけで治部の首を奪いに来た。恩人がそんなみじめな姿をさらすのが耐えられなかったのだろう。儂が死んでもそんな民は一人としておらん。さすがは治部よ。その越前の民たちを罰してはならん。九つの頭を持った龍神様に食われてはかなわん」

 そう述べて一切罪に問わなかったのである。

 

“石田の三成さんの悪口を言ってはいけないよ。言ったら九つの頭を持った龍神様に食われてしまうよ”

 今も九頭竜川沿岸の市町村に残る歌である。首を持ち帰り、三成が地元の人々から丁重に弔われた地が現在の福井県指定公園の九頭竜川公園である。

 そこには、水沢隆広と石田三成が共にある像がある。石田三成が九頭竜川流域の絵図面を広げ、その横で水沢隆広が右手を九頭竜川に指す像。敵味方になった二人であったが、今も彼らは二人で九頭竜川と越前の町を見守っているのである。




ハーメルンの再掲載に当たり、多少の手直しをしていると、かつて自分のホームページでこの小説を連載していたころを思い出しました。この作品に出てくる場所にも実際に行きましたよ。九頭竜川や丸岡城にも行っています。
最近はアルファポリスで色々と異世界転生ものを書いていたりしますが、やはり戦国時代ものが自分の性に合っているのかなと、ちょっと思いました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。