天地燃ゆ   作:越路遼介

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私は戦国時代を題材にしたマンガでは宮下英樹さんの『センゴク』がダントツに好きです。と、いうわけで天地燃ゆではセンゴクに関係あるエピソードや人物も出てきます。久しぶりに天地燃ゆを読み返してみると、本当にこのころは自重せず小説を書いていたなとつくづく思います。今さら改訂も出来ないので、このまま掲載します。よろしく。


羽柴秀吉と仙石秀久

 水沢隆広、羽柴秀吉、仙石秀久、竹中半兵衛が酒を酌み交わして数刻経ったろうか。仙石秀久が昔話をはじめた。

「隆家様は妻の命の恩人でございます。稲葉山城陥落の時でしたが、それがしは今の隆広殿と同じ十五歳でした。当時斉藤家の足軽だったそれがしに目をかけて下されて…ぐすっ」

『権兵衛は泣き上戸なんですよ、最後まで聞いてやってください』と秀吉が小声で隆広に耳打ちした。

「もちろんです。仙石様、父の武勇伝を聞かせて下さい! 父は昔の事をほとんど語ってくれませんでした。父を知る人からいっぱい聞きたいのです!」

 もうその言葉がまたぞろ嬉しくてたまらない秀久は涙が止まらない。隣で半兵衛は苦笑していた。

「ぐすっ それでですな、隆広殿の主君の鬼柴田が先鋒として本丸近くにまで雪崩れ込んできて、殿様の龍興は兵を捨てて女子どもを連れて城から脱出しようとしました。ぐすっ」

「ふんふん」

「それがしは完全に本隊とはぐれてしまい、ヤケクソで柴田勢に一騎で突撃かましていましたが、その時に隆家様は龍興を最後まで見捨てずに城から脱出させる事に成功したのです。女連れの逃避行でした。隆家様は龍興一行を京まで連れて行き、そこでお暇を願い野に下りました…ぐすっ」

「そうだったのですか…」

 秀久の杯に酒を注ぐ隆広。それをグイと飲んで秀久は続けた。

「その逃避行中、それがしの惚れておった女子が足をくじいて一行から離れてしまいまして、夜盗に見つかり、あわや陵辱を受ける寸前に隆家様は戻ってきて助けて下された。ううう…なんという武人の鑑…」

「うんうん!」

「その時の女子、『お蝶』といいまして今のそれがしの女房なのですが、馬上からの隆家様の一喝で夜盗ども数十人が一斉に逃げたとか! その雄々しさから、お蝶のヤツときたらそれがしより隆家様に夢中になってしもうて…いやいや参った。ぐすっ」

「父の一喝で夜盗数十人が!」

「隆家様は女房を馬に乗せて走っているときにこう申したそうです。『権兵衛は生きている。望みを捨てず、あやつがひとかどの武将となりお前を迎えに来るまで待ってやれ。京の龍興様の元にいることはあいつの耳に入るようにしておくゆえな』と。ううう…それがしと蝶が好きおうている事もあの方はご存知でした! 返しきれない恩を我ら夫婦は隆家様に持っておるのです!」

「仙石様…」

 鼻をチンとかんで、涙も拭いて秀久は隆広に言った。

 

「今度ぜひ長浜の我が家をお尋ね下され。隆家様の死を悼み、お蝶は我が家に神棚まで作りましたからな!」

「ホントですか! それは寄らせていただかないと!」

 秀久は隆広の言葉を満足そうに聞き、そしてそのまま寝入ってしまった。秀吉は笑っていた。

「しょうのないヤツだ。だがよほど嬉しかったのだろうな。隆家殿の息子に今の話が出来た事が」

「そうですね。こんなに饒舌な権兵衛は初めて見ました」

 自分の上着を秀久にかぶせてやる半兵衛。

「今度はそれがしの話を聞いてくださるか? 隆広殿」

「はい!」

 羽柴秀吉の杯に酒を注ぐ隆広。

 

「あれは信長様から、美濃四人衆の調略を命じられた時でした。半兵衛を我が陣営に入れることに成功したすぐ後に、それを命じられました。四人衆と云うのは、隆家殿を筆頭に安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全の事でございますが、知っての通り、守就、一鉄、ト全の調略にそれがしは成功しました。だが隆家殿は無理でした…」

「羽柴様…」

「ご存知と思いますが、隆家殿は斉藤家から二万五千石の領地を与えられていました。居城は持たずに信玄の躑躅ヶ崎のように少し城砦の様式を整えた館を持っているだけでした」

 それは隆広も知っている。幼少の時はそこで過ごしていたからだ。しかし幼きころのことなので館のことは記憶の彼方である。

 

 斉藤道三が美濃守護大名の土岐政頼の弟、土岐頼芸に仕え、やがて土岐政頼を追い落とし、主君頼芸を美濃大名にすえた武勲で鷺山城を与えられた時に水沢隆家は、その石高の半分である二万五千石を道三から与えられた。まさに右腕としていかに隆家が道三に信頼されていたか推察できる。ちなみに水沢隆家子飼いの忍びである藤林忍軍の山里もこの領内にある。

 稲葉山、大垣、曽根、岩村などの美濃領内の城をより堅城に作り変えた彼が、織田領にも面していた自分の領地にどうして城を作らなかったのかは現在でも歴史家たちの議論の題材になっている。

 しかしいかに重用しているとはいえ、道三、義龍、龍興の斉藤三代は疑い深い性格をしている。だから領内に堅固な城を作らなかったと云うのが定説ともなっている。

 何より織田は隆家の軍才を恐れ、斉藤本拠地を攻めることはあっても水沢隆家の領地を攻める事はただの一度もしなかったのである。つまり隆家の人物そのものが堅城であるのを雄弁に語っていたのだろう。

 

 その後に道三は土岐頼芸も追い落として美濃大名になり、その際に道三は隆家に加増を申し出たが、隆家は『手前は今の二万五千石で十分にございます。その分の禄を他の将兵に与え労って下さいませ』と断った。

 やがて長良川の合戦(道三と、その息子斉藤義龍が戦った)が勃発した。隆家は早いうちから親子の間に入り、何とか骨肉相争う事態を避けようと奔走した。道三は息子の義龍の才を軽視していたが、隆家は義龍の将才を見抜いていた。義龍もまた父の道三に疑われないように凡夫を装っていたのである。それを隆家は知っていた。道三に『殿は虎を猫と勘違いされている』と必死に諭したが、結局合戦は止められなかった。

 隆家は味方につけと云う義龍の誘いを断り、明らかに劣勢だった道三につき義龍軍を散々に苦しめた。だが衆寡敵せず。勝っているのが隆家の軍勢だけでは仕方がなかった。斉藤道三は息子の義龍に討たれた。父の首を前に義龍は『父と思ったことは一度も無い!』と言い捨て、憎々しげに首を蹴り飛ばした。美濃の蝮と恐れられ、裏切りと謀略に明け暮れた斉藤道三、因果は巡ると云う事か。

 その道三の右腕である水沢隆家は、その因果から逃げようとしなかった。隆家は合戦が終わると、逃げずに義龍の陣に出頭してきたのである。義龍は隆家を斬首しようとしたが、義龍側の武将たち全員がそれを止めた。いかに隆家が同僚たちにも慕われていたか分かる話である。

 だが合戦後に領地を一万五千石に減らされた。龍興の代になると再び二万五千石に戻されたものの、それでも安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全よりは過少の禄高だった。秀吉はその点をついて織田側に隆家を寝返らせようとした。

 

「武功を考えれば安藤守就、稲葉一鉄よりも高禄を受けても不思議ではない隆家殿。その点をとことん突けばいけると思いましたが、それはとんだ思い違いでした」

「はい」

「隆家殿は、禄の増加をずっと固辞していただけだったのです。一度憎き敵となったとしても義龍殿はやはり隆家殿を一番の頼りとし、常に相談役として側に置きました。重用の証として十万石もの加増を義龍殿は申したらしいが隆家殿は拒否しました。『権ある者は禄少なく』と云う事でしょう。世継ぎの龍興殿にも『隆家を父と思い尊敬せよ』と義龍殿は言い残し死んだと云うから、隆家殿は斉藤三代に仕えし家宰で、かつ稀代の名将でござった。今にして冷静に考えてみれば禄の多い少ないをついたくらいで寝返るはずもござらんな。あははははは」

「それで…調略にきた羽柴様に父はなんと?」

「はい、それがしは隆家殿の領地に赴き、お屋敷を訪ねました。隆家殿はわしが信長様の家来、木下藤吉郎と知りながらも訪れた時は邸宅で丁寧にもてなしてくれました。それでいよいよ本題に入りました。『恐れながら龍興殿は祖父の道三殿、父の義龍殿とは比べて凡庸なお方。安藤守就、稲葉一鉄、氏家ト全と言った宿老に見限られたという暗愚さです。失礼ながら貴殿ほどの武将の忠節を受けるに値しないとそれがしは思う。【君君足らず、臣臣足らず】と申すではありませんか』と」

 隆広は身を乗り出して、秀吉の話に聞き入った。

「隆家殿はこう申されました。『主家が傾いているこの時にこそ、忠節を尽くすのが武士の本懐と思っております。木下殿にはご足労かけて申し訳ございませぬが、お引取り願いたい。またそれがしのような者を調略しようと思って下された織田の殿に、この隆家は感謝していたとお伝え下され』と…そう申されました。さすがにそれがしも一言も返せませんでしたよ」

「羽柴様…」

「よい養父をもたれましたな。それに半兵衛の薫陶もあるのならば、きっと隆広殿は織田随一の名将となりましょう。あいにく我ら羽柴家と柴田家はあまり仲がよくありませんが、隆広殿とは友として、これからお付き合いしとうございます。きっと権兵衛も同じ思いでしょう」

「は、はい! こちらこそこれからよろしくお願いいたします!」

 

 秀吉と秀久は、すっかり酔っ払ってしまった。仕方なく半兵衛が秀久を、隆広が秀吉を背負って、安土の羽柴邸まで歩いていた。

「なあ竜之介」

「はい」

「おそらくは大殿も、秀吉様も、権兵衛も、まだお前を『水沢隆家の息子』として見ているだろう。お前と云う人物を見てはおらぬ。お前の後ろにいる隆家殿を見ている。お前も織田家に仕えてみて、養父殿がどれだけの武将であったか、よう分かっただろう」

「…はい」

「あと、隆家殿に仕えていた将兵。ほとんどの者が美濃で帰農していようが主君の名を継ぐ若者が柴田に仕えたと云う事はすでに知っているだろう。影ながら、今じっくりとお前の器量を見ているかもしれない。今ではその者たちも年老い、名跡を継いだお前に仕えることはできなくても、そやつらにも子がいる。養父に劣らぬ武将と見たら、部下にしてくれと望まれるだろう」

「はい、すでに父の忍びには会いました」

「藤林か…。斉藤最強の忍者軍団だった。まだお前を観察しているってトコか」

「ええ、ダメ息子なら即座に斬ると言われました」

「それは野に下っている隆家殿の旧家臣たちも同じ気持ちだ。水沢家臣団は数こそ少なかったが、一人一人が主君隆家殿に心酔していた。だから強かった。その者たちが主君の名跡を継いだ者が愚者と知れば『我らの主君の名を汚す者』として許さぬだろう。だがな竜之介…」

「はい」

「だからといって父の名前につぶされてはならぬぞ。父を越えよう、父を越えようと気ばかり走っても仕方がない。お前はまだ十五才。焦らず腐らず、自分の頭と足で水沢隆広と云う名前を上げていけ。柴田殿はちゃんとそういうところを見ていて下さる主君だ。まずは柴田殿に与えられた仕事に全力を尽くし、評価を受ける成果を示すのだ。そうしていけば誰も自然にお前のことを『隆家の息子』などと呼ばなくなり、隆家殿の旧部下たちもお前を認め、喜んで犬馬の労を取るだろう」

「あ、ありがとうございます! 義兄上!」

 涙が出るほどに隆広は半兵衛の言葉が嬉しかった。

 

「さ、着いたぞ。ここが羽柴邸だ。泊まっていってもらいたいが、確か部下を宿に待たせているのだったな」

 秀吉が帰ってきたと聞き、出迎えに一人の男が出てきた。

「おうおう、兄者がこんなに酔われるとは珍しいですな。半兵衛殿、その若者は?」

「はい、それがしの義弟にて、柴田勝家殿の配下の水沢隆広殿にございます」

「ほう、半兵衛殿と義兄弟の方でござるか。しかも柴田殿の家臣とな?」

「水沢隆広にございます」

「それがし、秀吉の弟の羽柴秀長と申します」

「こ、これは知らぬとはいえご無礼を!」

 秀吉を背負いながらペコリと頭を垂れる隆広。

「あははは、これは兄者が世話をかけました」

 秀長は隆広から秀吉を受け取った。半兵衛の背で眠る仙石秀久を見て苦笑する秀長。

「ほう、権兵衛までがこんなに酔って。ずいぶんと楽しい席だったようですな。ご一緒できなかったのが残念です」

「はい、それがしも秀長殿と酒を酌み交わしたかったです」

「まあ同じ織田の家臣にございます、いずれその機会もございましょう」

「楽しみです!」

 しかし、この二人の再会は戦場だった。しかも敵同士としてである。この時の水沢隆広と羽柴秀長は後に敵味方になることなど想像もしていなかっただろう。

 

「それでは、それがしこれにて」

 隆広は半兵衛と秀長に一礼して立ち去った。しばらくその背中を見ている秀長。

「半兵衛殿」

「はっ」

「あの若いの…ものになる男ですな。当家に仕えてくれたらどれだけ頼りになった事か」

「ええ、私もそう思いまする」

 

「あれが、水沢隆広殿ですか」

「なんだ、知っているのか」

 秀吉と秀久が、半兵衛と柴田家の水沢なる若侍に背負われて帰ってきたと聞き、一人の若者が隆広を見送っている半兵衛と秀長の元に走ってきた。その時には隆広の小さな後ろ姿しか見えなかったが。

「はい、それがしと同じ十五なのに、もう足軽大将と聞いています。どんな男か見ておこうと思ったのです」

「そうか、佐吉とは同じ歳であったな。気も合うかもしれん」

 直接ではないものの、これが水沢隆広と石田佐吉との出会いでもあった。

 

「ずいぶんと遅くなってしまった。矩三郎たちも気にもんでいような…」

 と、急いで宿に帰ったのだが、そんな心配は無用で矩三郎たちは宿でも一杯やり、三人とも爆睡していた。起きているとまた主君の隆広からノロケ話を聞かされると思った彼らの苦肉の策でもあった。

「なんだよ、せっかくさえとの甘い話を聞かせてやろうと思っていたのに…」

 矩三郎たちが眠る部屋の隣室には蒲団が敷かれてあった。さっさと寝ろと云う意味か。隆広は湯に軽く入り、蒲団にもぐった。

「ああ…。さえに会いたいなぁ…」

 本日は蘭丸、信長、秀吉、秀久との出会い。そして義兄との再会も果たした充実した日だった。愛妻の顔を思い浮かべながらも疲れていた隆広は眠りに落ちた。

「さえ…」


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