天地燃ゆ   作:越路遼介

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天地燃ゆ-史実編-最終回です。


天下泰平

『もったいない越前』柴田快斎が豊臣政権当時に言われていたあだ名である。秀吉に警戒させないための苦肉の策。秀吉は見抜き、だまされていたふりをしていたが他の者はこれで快斎に警戒心を緩めている。快斎は徳川政権でもこの『もったいない越前』を通した。

 しかしそれでも小心者は快斎を妬むものだ。外様大名なのに家康、秀忠に信頼され、重臣の本多忠勝、本多正信・正純親子、井伊直政、柳生宗矩、土井利勝にも信頼された。当然妬みによる讒言はあった。それは止めようもない。かつて可児才蔵が水沢隆広に言った『お前の才覚で何かを成せば、賞賛と同時に嫉妬がついてくるのが当たり前』と云う言葉。快斎もそれはふまえていた。だから彼は『もったいない、もったいない』と小さい利はやたら欲しがり、大きい利にはまったくの無関心であることを通した。案外これが地であったのかもしれない。

 

 彼は歳を重ねて『もったいない越前』にさらに磨きがかかり、円熟味を増していた。つい最近までの史書では徳川幕府家老になってからの快斎は評価が低かった。いるかいないか分からない存在で、幕府に食客同然で養われていた過去の武将と手厳しい。

  だが近年に発見された本多正信、正純親子の手記から、それはとんでもない間違いであったと明らかになった。快斎はすべての功績を家康、秀忠、家光、そして徳川譜代重臣に譲っていたのである。しかも譲られた当人がそれと分からないような巧妙さであった。外様である自分が活躍すれば徳川の重臣たちは表では『さすが快斎殿』と言っても内心は不快であるに相違ない。快斎は徳川幕府の中で『存在感を感じさせない存在感』を持つように心がけていた。

 孫子いわく『よく戦う者の勝つや、智名もなく、勇功もなし』とある。戦上手は目立つような勝ち方はしないから、知恵者だとか勇者だとかほめられることはない。と云うことだ。快斎はこの名将を越えた領域に到達していたのだろう。さして目立たないが、困難な仕事を間違いなくやり遂げる人物であった。それなのに彼は目立たなかった。快斎の隠した功績を分かっていたのはおそらく徳川家康、本多正信くらいではないのだろうか。だから家康は快斎に息子を頼むと言い残したのだろう。

 快斎は高禄も辞退している。将兵を養っていないし、妻たちと睦まじく暮らしていければいいのだ。無欲では余計に警戒されるので生活に不自由ない程度しか受け取っていない。だから秀忠も時に幕府の大金を動かす仕事も快斎に任せることが出来たのだ。

 

 三日に一度、快斎は竹千代(家光)に戦講義をするよう秀忠に要望されていた。

「では講義を始めましょう。今日は織田信長様の姉川の戦いです。権現様(家康)も参加していた合戦ゆえ、聞き漏らしは許しませんぞ」

「はい伯父上」

 柴田快斎が姉川合戦の講義をすると云うので、竹千代の乳母であるお福も聞かせて欲しいとやってきた。彼女の祖父稲葉良通が参陣していた大合戦。聞きたいと思うのも無理はない。

「何じゃお福、戦の講義に女子は」

「申し訳ございませぬ。しかし姉川合戦のお話なら是非伺いたく」

「まあ良いではござらぬか竹千代様」

「伯父上まで」

「ありがとうございます快斎様」

「はい、では始めますぞ」

 快斎は姉川合戦の前兆から詳しく話す。弁舌巧みな彼の講義は幼少の竹千代にも分かりやすく、身を乗り出して聞く。

「権現様は後詰として控えていてくれ、と信長公より申されましたが『そんな役では三河から来た意味がない』と不服を申し出ました。改めて信長公は前線に徳川勢を参陣させるに決めましたが、その際、誰でも好きな将を連れて行けと言ったのです。その時に権現様が即座に指名したのは稲葉良通殿、ここにおられるお福殿の祖父殿です」

「へえ!」

「姉川の合戦は権現様の活躍あって、劣勢の織田は勝利できました。その権現様をお助けしたのが稲葉殿。竹千代様、このように人の縁は繋がっています。乳母殿を大切にされよ」

「はい!」

 やがて講義を終えるとお福が追いかけてきた。

「快斎様」

「なにか」

「本日の講義、祖父のことを竹千代様に聞かせて下されてありがとうございます」

「いえ、良通殿と我が養父は斉藤家で戦友でしたから」

「祖父良通は見事な武将だったのですね…」

「はい、武田攻めで陣場を同じくしましたが、それは大きな武人にございました」

「ありがとうございます」

「また祖父殿だけではございませんぞ」

「え…?」

「貴女のお父上、斉藤利三殿も同じく大きな方でした」

「快斎様…」

「今度、竹千代様にもお聞かせしましょう」

「その時はまた私もご一緒させて下さいませ」

 二人は不思議な感覚にとらわれた。お福には快斎と亡き父の斉藤利三が重なって見えたのだ。快斎はお福が娘のように感じられた。でも口には出せない。

「その日を楽しみにしております快斎様」

「はい、また後日」

 

◆  ◆  ◆

 

 甲斐姫が江戸に帰ってきた。成田家当主、成田才介の生母として人質の身。成田家の江戸屋敷ではなく柴田屋敷に預かりとなった。無論快斎がそういう根回しをしていたのだが。やっと帰ってこられた良人の元。快斎は喜んで迎えた。

「おかえり、甲斐」

「ただいまでございます、殿」

 しばらく無言で見つめあう快斎と甲斐。あのおり烏山城で別れて以来会っていないのか、と言えば実はそうではない。成田家が江戸に下向した際や、快斎が下野周辺に視察や内政で訪れた時に会っていたのだ。つまり空白の時間はありそうでない。逢瀬のたび快斎から子種をせしめたのか、甲斐は何だかんだと快斎の子を四人生んでいる。

 だけど江戸の快斎の屋敷に帰ってくるのは暇を出されて以来。良人のいる我が家に帰ってこられたのが嬉しい。

「もう殿のお側を離れません」

「おいおい、才介が妬くぞ」

「嬉しいくせに」

「うん、嬉しい」

 笑いあう快斎と甲斐。

「で、才介はどうか。大名としてやっていけそうか?」

 甲斐の父の氏長は先年に亡くなっていた。

「叔父御がよく仕込んでいますので何とか三万石は治められると思います」

「そうか、それは何よりだ」

「もう少しすれば江戸にも参るでしょう。父上に会いたいと言っておりましたゆえ」

「それは俺も同じだよ。堅苦しくせず、ただの父親として会いたいな」

「その日が待ち遠しいです」

 

 人質と言っても外出は自由だ。甲斐姫は発展している江戸の町を侍女と共に散策していた。川沿いに到着、ちょうど桜の時期だったので甲斐姫は桜を愛でながら歩いていた。すると

「甲斐殿ではないか!」

 土手の下で桟敷をひいて花見をしていた一団、その一団にいる女から甲斐姫は呼ばれた。

「え?」

 その女は甲斐姫に駆け寄ってきた。

「久しぶりだ」

「まあ誾千代殿!」

 その一団は立花家だった。甲斐姫と立花誾千代(正史ではすでに故人。本作では存命とする)はあの舞鶴城の攻防戦で一騎打ちをしている。とても殺しあった二人とは思えないほどお互いを笑顔で見つめあった。

「お互い年増になりよったなあ甲斐殿」

「女盛りと申してほしいです」

「あっははは、どうだ甲斐殿も我が家の花見に参加せぬか」

「ご馳走になりますわ」

 桟敷には立花宗茂もいた。外様大名である彼だが秀忠をよく補佐し柴田快斎や真田信繁と共に重用されている。

「これはお懐かしい、舞鶴での巴御前さながらのご活躍、よく覚えていますぞ」

「恐縮です」

 立花家は関ヶ原の戦いで西軍に組したため、領国の柳川は没収されて宗茂は牢人となってしまった。だが名将である宗茂を誰もほっておかなかった。苦難の道のりはあったものの、立花宗茂は柳川の領主として返り咲いたのだ。桜を楽しみ、美女の誉れ高い甲斐が宴席に来て嬉しいのか少し饒舌になり大名復活への道のりを話す宗茂。

「いや、それにしても誾千代が黙って流浪の日々についてきてくれたのが意外だった」

「どんなに頼りなくても、一度良人とした者をそう簡単には見捨てぬ」

 牢人中、宗茂は家臣たちに養われていたと云う。家臣たちが働いて宗茂の面倒を見ていた。その美しい君臣ぶりが家康と秀忠の耳に入り、今日の復帰となったのであるが誾千代もまた不遇の良人を時に叱咤して支えたのだ。

「惚れた男のためならば、ですか誾千代殿」

 カアッと顔が赤くなった誾千代。

「な、何を言っているのだ甲斐殿わ!こんな頼りない男は立花にあらず、大嫌いだ!」

「それ、大好きと言っているようなものですよ」

「ち、ちが…!」

 もう顔が真っ赤の誾千代。

「うん、俺も惚れた女のためにがんばってきた。どんなに尻を叩かれようともな」

「宗茂殿…」

「これからも頼むぞ誾千代」

「ふ、ふん!ようやく立花の当主らしい顔になったではないか」

「そうか、ありがとうよ、あっはははは!」

 

◆  ◆  ◆

 

 このころ一つの事件が起きた。丹後舞鶴城、柴田勝秀が父快斎から届いた書を持ち奥へと走った。血相を変えていた。駒姫は部屋で叔母の保春院と共に勝秀との間に生まれた娘をあやしていた。その幸せな時間が破られる。

「駒!」

「と、殿どうされたのです。そんなに慌てて」

「落ち着いて聞け…」

「は、はい…」

「兄君、義康殿が謀反の咎で討たれた!」

「え、えええ!!」

 一緒にいた保春院も絶句した。

「しかし、数日後には潔白であったと判明し、義父殿は失意のうちに亡くなった…!」

「う、嘘です!」

 勝秀は父から届いた文を駒に見せた。ことの詳細が記されていた。家臣の讒言により親子の仲は不和となり、やがて対立。ついには義康粛清となった。その後日に義光は義康の遺品を改めたところ、日記に義康が父と不和となってからも父義光の武運長久を祈願していたと判明した。完全に誤解であったのだ。

 関白秀次謀反の嫌疑の時、秀吉に疑われた父を救うべく秀吉に必死に赦免を願った。また長谷堂城の合戦でも父親を助けた。そんな最愛の息子をただの誤解で殺してしまった。義光は失意のうちに病にかかり、そのまま息を引き取ったのだ。快斎からの書に駒姫の涙が落ちた。大好きな父と兄が最悪の形で死んだ。

「う、ううう…」

 保春院も泣き崩れた。兄の失意を思うと泣かずにおられなかった。しかし悲劇はそれだけで終わらなかった。義光の孫の義俊が酒色に溺れ、到底藩主の器とはいえず家臣たちの離反を招いた。徳川秀忠は改易処分を考えるが、伊達政宗と柴田快斎が取り成して何とか義俊と最上家臣が話し合って融和を図るように計らった。その席が江戸で設けられる。

 それを聞いた保春院は自分が出向いて説いてみると勝秀に懇願。駒姫も必死だった。勝秀は二人に江戸へ行くことを許した。江戸の柴田快斎邸が要談の場所である。要談に先立ち、快斎に目通りした駒姫と保春院。だが二人の前に来た快斎の顔は沈んでいた。

「お義父上様、状況は…」

 駒姫の言葉に首を振る快斎。

「義俊殿は来たが、最上家臣たちは要談の約を反故にした」

「そんな…!」

「政宗殿が懸命に説いたが、家臣たちは完全に藩主義俊殿を見限ってしまっている。『あの主君では先が見えている』と話し合いの席にすら来なかった。もう我らとて庇いようがない」

「あああ…!」

 泣き崩れた保春院。最上の滅亡を察した。柴田快斎邸に母の保春院が来ていると聞いたので政宗もやってきた。ようやくの再会であった。しかし保春院は政宗を見るや怒鳴った。

「政宗!どうして最上を救えなかったのじゃ!その方とて大殿様(快斎)と同じく幕府の要職にあるのであろう!」

「……」

「叔母上、お止めください」

 泣きながら保春院を止める駒姫。

「お役に立てず、申し訳ござらん…」

 政宗は保春院に平伏して詫びた。

「最上領、受け取りの役、さてはその方であろう。はん、労せず領地拡大して万々歳じゃな!」

「……」

「叔母上!」

「分からぬであろう…。生まれた家の滅亡と云うものがどれだけ無念か!」

 和解が成らぬまま、保春院は駒姫と共に舞鶴へと戻っていった。だが後に知る。政宗がどれだけ必死になって母の家を救おうとしていたのか。秀忠に何度も頭を下げて頼み、やっと融和のための場が設けられることを許されたのに、当の最上家が協力しなかった。政宗とて無念であった。

 その後、政宗と快斎と勝秀の尽力によって勝秀と駒姫の間に生まれた子に最上の再興が許される知らせが届いた。政宗は保春院に孝行をしたいと勝秀に文を届け、勝秀はそれを入れて保春院に暇を取らせ仙台へと送り届けた。息子と、その妻の愛姫の孝養を受け、保春院は静かで幸せな晩年を迎えたと云う。

 

◆  ◆  ◆

 

 快斎と親交が厚い武田の松姫、落飾して信松尼と名乗っているが彼女に最期の時が訪れていた。死を悟った信松尼は柴田快斎に使いを出した。快斎は信松尼のいる武州の信松院へ大急ぎで駆けた。快斎は江戸に来ていらい信松尼とよく会っていたが、ここ二年は会っていなかった。

「松姫様」

「…おお、来て下さいましたか竜之介殿」

「おやつれに…」

 伏せる信松尼の横に座った快斎。快斎の言葉に静かな笑みを浮かべる信松尼。

「もうここまでのようです。最後に一目会いたくてご足労願いました」

 伏せる信松尼の傍らに座る快斎。言葉はなかった。二人の間には心地よい静寂がある。沈黙を共に出来てその男女は完成されたと言われるが快斎と信松尼がまさにそれだった。やっと快斎が発した。

「やっと…信忠様にお会いできますね」

 信松尼は首を振った。

「…あの世とやらに行ったことはないので分かりませんが、もしあの世で信忠様を見つけたとしても私はお会いしません」

「…なぜ?」

「…それを私に訊ねますか竜之介殿」

「徳寿院殿にご遠慮ですか…」

 静かにうなずく信松尼。

「徳寿院殿の最期の言葉は聞いております。私の骨を信忠様と徳寿院殿のお墓には入れぬよう、お願いいたします。私はこの庵で土となり、未来永劫に信忠様に操を立てるつもりです」

「…変わりませんな。一途で不器用で…要領が悪い」

 高遠城落城の時、水沢隆広が松姫に言った言葉。再びそれを発した快斎。懐かしい言葉に微笑む信松尼。

「…最高の賛辞です。女の道は一本道にございます。一度決めたことに背いて引き返すは恥にございます。私の選んだ道は信忠様に操を立てる道なのですから」

「そんな松姫様が竜之介は好きです」

「ありがとう竜之介殿」

「…手を握っても良いですか」

「え?」

「手ぐらいなら操に影響もございますまい」

「いいですよ」

 ポッと頬を染める信松尼。蒲団の横から手を出した。それを両手で握る快斎。

「織田の若殿は幸せものだ。松姫様にここまで想われて。それがしも女子にそこまで思われたいものです」

「竜之介殿なら、きっと望む数だけ…」

 信松尼は微笑み、言った。かつて躑躅ヶ崎館で十二歳だったころの快斎と信松尼が交わした言葉だった。そしてそれからしばらくして信松尼は

「信忠様…」

 と、静かに言い逝った。快斎が看取り、丁重に弔った。そして信松尼の希望通り信忠の墓に分骨もしなかったのである。

 

  明家にとって大事な者たちがすでに何人も逝った。家臣の山中鹿介、松山矩久、小野田幸猛、高橋紀茂、高崎吉兼、星野重鉄、六郎、白もすでに亡くなり、友である直江兼続、仙石秀久、山内一豊も逝った。方々に作った愛人たちも快斎を置いて世を去った。高台院も先年に没し、今度は松姫。時代の移り変わりを肌で知る快斎だった。

 

◆  ◆  ◆

 

 元和九年に徳川家光が三代将軍となった。快斎は二元政治を行う秀忠と家光双方の補佐役を十年務める。

 そして徳川秀忠は死去、父の家康同様に快斎に息子を頼むと言い残した。家光生母の江与は崇源院と名乗る。家光はこのまま江戸にいて欲しいと要望するが崇源院は息子の申し出を断り、秀忠の位牌を手に兄より一足先、実家柴田家の丹後若狭へと帰っていった。

 快斎は二元政治が解消されてもそのまま家光にも仕えて補佐をする。その間、快斎は秀忠の妾腹の子、保科正之に政治運用を徹底して仕込んだ。会津藩主の保科正之は実に優秀で、行政内政に関しては快斎に比肩する人物となっていった。正之も快斎を師父様と尊敬し生涯の師としている。

 

 快斎はようやく徳川家より暇乞いが許された。快斎は柴田家当主と云うより個人の資格で徳川幕僚になっていたため、残念ながら子の勝秀には幕府の要職は世襲されなかった。快斎の就いていた要職名は幕府家老であったが発言権はなまじの譜代より絶大であり、責務は後の大老ほどに比肩したと言われている。となると柴田快斎は豊臣家と徳川家でも大老を務めたことになる。

 しかし徳川二百六十年の治世の中で、幕府創造時とは言え外様大名が大老級の重職を担っていたのは柴田快斎だけである。後に『秀吉と家康が恐れ、そして頼りとした男』と言われる快斎だが、彼は何より実戦経験が豊富である。徳川家光の時代に上杉謙信と勝負した男が生きていたのである。快斎の屋敷には徳川の若者が話を聞きたがり来客が絶えなかったと云う。

 快斎は隠居を願い出て領国に帰ることにした。幕府重職の役職に未練を残さず辞めた。今後は領国で悠々自適に過ごすつもりだ。

 

 この年、一夢庵ひょっとこ斎が世を去った。一夢庵ひょっとこ斎こと前田慶次は江戸に来てからは傾くことはなかった。たまに快斎の仕事を手伝うことはしたが、快斎の家臣と云うより友のような形で一緒にいた。快斎とその妻たちと風流を楽しむ日々であり、またこの江戸にいる時に彼が書いた『一夢庵日記』が水沢隆広・柴田明家・柴田快斎を知る一級の資料となる。同じく書いていた『一夢庵風流記』は彼がただの武人ではなく古典にも通じた一流の知識人、文化人であることを物語っている。

 すでに愛妻の加奈は先立ち、外に何人か若い愛人は作っていたが独り者であった。しかし使用人はいた。あまりにも醜女で嫁のもらい手もなく、働こうにもどこも雇ってくれない大女。多々の大名屋敷で門前払いにされて、泣きべそをかきながらトボトボ歩いているのを追いかけて『遊び人の儂で良ければ雇うぞ』と屋敷の使用人にしたのだ。戦と風流以外は無頓着なひょっとこ斎にはぴったりの使用人だった。ひょっとこ斎は快斎からの給金すべてを女に渡し、何もかもやりくりしてもらっていた。彼は一目で『働き者でしっかりもの』と云う女の内面を見抜いていたのだ。孫ほど歳の離れた娘に面倒をみてもらっている。しかし女はそんな主人が好きだった。

 快斎がひょっとこ斎の屋敷に訪れた。ひょっとこ斎は縁側に座っていた。庭には桜が咲いていた。長寿桜とひょっとこ斎が名づけた桜である。快斎はひょっとこ斎の横に座った。

「見事だな」

 すると長寿桜から快斎とひょっとこ斎に突風が吹いた。するとひょっとこ斎、

「こやつ、儂が中々死なぬ奴と悪態をついてござる」

「ははは」

 ひょっとこ斎と快斎に茶を持ってきた使用人の女。名を松江と言った。ひょっとこ斎と快斎の後ろ姿を見て

「何ともまあ絵になること…」

「松江、こちらに」

「はい」

「殿、それがしの死んだあと松江を召し抱えていただけまいか」

「分かった」

「昨今の男には阿呆が多い。こんないい女が見抜けぬとはな」

「まったくだ。松江が三十年早く生まれていれば俺と慶次で奪いあったかもしれぬ」

「旦那様、快斎様、何をご冗談」

 顔を赤める松江。

「死後とは縁起でもない。松江は旦那様のもとを離れませんよ」

「もう良いのだ、よう尽くしてくれた。我が主、柴田快斎様に儂と同じく仕えよ。良いな…」

 そして

「殿、一つ舞いませぬか」

「付き合おう」

 快斎とひょっとこ斎は長寿桜の下に歩み、扇を広げた。そして舞い散る桜吹雪の中で舞った。

『『…三千年に一度、花咲き実の成る西王母が園の桃、桃花の節会に会ふがまれなりとは申せども、あう、思へばやすかりけるぞや…』』

 二人、一つも乱れなく歌い舞う。松江は見とれるように快斎とひょっとこ斎の舞を見た。芸術にさえ思える二人の『夜討曾我』の幸若舞いであった。松江はこの舞いを見たことを一生の誇りにしたと云う。そして舞いが終わると、ひょっとこ斎は静かに倒れた。快斎が抱きかかえたときはすでに死んでいた。大往生である。

「旦那様―ッ!!」

 松江はひょっとこ斎に抱きつき号泣した。初めて女として見てくれたひょっとこ斎。男女の契りはないが彼女はひょっとこ斎を心より愛していた。

「今までありがとう慶次、まさにこの世で一番の漢ぞ!」

 最後に笑って死ねる人生、まさに前田慶次の最期がそれであった。

「あの世でも元気でな…慶次」

 

 真田信繁も最期の時を迎えていた。妻の安岐(大谷吉継の娘)と嫡男大助が見守る中、召されるのを待っていた。信繁は快斎を呼んだ。

「源次郎…」

「ふ…。その名で呼んでくれるのは、もうお前だけだな竜之介…」

「もう駄目か。もう踏ん張れないか…?」

「ああ、この辺で勘弁してくれ」

「みんな、俺より先に逝く…」

「お前は相変わらず元気だな…」

 血色の良い友の顔を見て苦笑する信繁。

「まあな、ここ十年風邪もひかない」

「お前は最後まで生き残った戦国武将…。泰平の世をもうちょっと見届けてから、あの世に来い。そして先に逝った俺たちにこのあとの歴史を教えてくれ」

「分かった」

「じゃあな、竜之介」

 真田信繁は静かに息を引き取った。

 

 快斎はその後、自分の屋敷を幕府に返上し、徳川幕府の基盤を作ったと云う栄誉を土産に丹後若狭に帰った。ひょっとこ斎の遺骨を抱いて松江もついてきた。

 途中、すでに白髪も目立ち出した妻四人と徳川家康墓所の東照宮を参拝。鬼怒川では妻四人と仲良く温泉につかり、領国である丹後若狭に帰った。松江はこの地で尼僧となり、ひょっとこ斎に女の操を立てて生きていこうとしていたが、しばらくして快斎の勧めで正室を病で失っていた山中新六に嫁いだ。松江を一目見て新六が後添いにほしいと要望したと云う。さすがは交易の世界で生きている新六は目が鋭い。ひょっとこ斎と同じように松江の内面を見抜いたのだ。

 ここからは後日談となるが、新六の子を二人生んだあと松江は舞鶴城に出仕し快斎の曾孫である竜之介(四代藩主、柴田勝綱)の乳母となった。ひょっとこ斎に拾われたことで松江は運が開いた。老後はひょっとこ院と松江は名乗り、良人新六と主君ひょっとこ斎の菩提を弔い平穏に暮らしたという。

 

◆  ◆  ◆

 

 やっと悠々自適の生活に入った快斎。そして今日は舞鶴城下に密かに作った石田三成を祀る廟に来ていた。

「佐吉、慶次や助右衛門と元気でいるか…。みんな儂より先にくたばりおって」

「殿」

「おお、初芽」

「庫裏に昼食の支度が整いました。これに」

 初芽の良人の六郎もすでに亡く、初芽は剃髪し良人と石田三成を弔っていた。

「三成様に何を述べていたのですか?」

「ん?儂が江戸でしていたことを教えてやっていた。ふふ」

「どうなさいました?」

「いやな、徳川幕藩体制に伴う政治など、儂はずいぶん三成の構想していた政治を進言していたんだ。そしてそれが入れられ、この国に生きている」

「まあ、それでは」

「ああ、あいつが作ろうとしていた戦のない世は徳川によって作られている。だからあいつは生きている」

「その通りです!ご隠居様、とても素敵ですよ」

「ははは、秀頼様も今もまだご達者、あいつの敵となった儂だが、何とかこれで合格点はもらえるだろう…」

 

 柴田快斎が丹後若狭に帰って数年が流れた。しづが病の床についた。快斎の女房思いは有名である。つきっきりで看病にあたった。

「ほら、しづ、アーン」

「アーン」

 柴田粥をしづに食べさせる快斎、しづの一番の好物だから病人食にはちょうどいい。

「今日はよく食べたな、えらいぞ」

「はい…」

 口元についた粥を快斎が拭う。そして軽く口付けをして優しく寝かせた。

「しかし、父親の鳶吉と同じ病にかかるなんてな…」

「これもしづの運命なのでしょう…」

「馬鹿なことを言うな。儂より若いのに。儂が初めて北ノ庄に行った時、そなたこんな小さかったではないか」

 当時のしづの頭を撫でるような仕草をする快斎。苦笑するしづ。

「私五歳でした…」

「死ぬ順番は守れ。死ぬのは儂が先だ」

「殿…」

「ん?」

「殿に無理やり手篭めにされた時…しづは本当に悲しかった。子供のころから兄のようにお慕いしていた方があんなことをするなんてと…」

「うん…」

「でも何かの運命だったのだなと…しづは思います。父さんの言うとおり、殿はしづを本当に大事にしてくれました。妻として、母としての無上な幸せをくれました」

「しづ…」

「ありがとう…殿」

 しづは快斎の子を二男三女生んでいた。長男は水沢姓を与えられて兄の勝秀に仕え、次男は山中鹿介の養子となったが、鹿介に実子が出来たため養子縁組は解消し身を退き、本来彼自身がやりたかった仕事を選んだ。祖父鳶吉の匠の血が流れていたか、士分を捨てて宮大工の道を進み匠聖として今日に名を残す。娘たちも良き若者たちに嫁いでいった。

「何をこれっきりのようなことを。儂はまだ男として現役だ。しづを抱きたいぞ」

「…殿、もう私は長くありません。最後にもう一度しづを抱いて下さい…」

「え?」

「妻として、最後の伽を務めます…」

「しづ…」

「殿の愛をもう一度受けたいのです…」

 ポッと赤くなるしづ。愛しくてたまらない快斎。これがしづ、良人へ最後の伽の務めであった。しづはこれより四日後に息を引き取った。満面の笑顔だったと云う。

 

 甲斐姫、彼女が晩年の地を選んだのは息子のいる下野烏山ではなく良人のいる舞鶴であった。成田才介は成田長明を名乗り、同三万石を見事に治めている。彼も江戸で父の快斎から色々と教えられたものである。もう妻も娶り子もいる息子に母親は必要ないと思い、彼女は良人と共に舞鶴へ戻った。幕府への人質は長明の妻がなったため、母親の甲斐はようやく人質の任を解かれたからだった。

「こんな白髪と皺もある女を抱かれずとも…殿には若い愛人も恋人もおられましょう」

「若い娘にはない年の功と云うものがな。そなたは儂のつぼを知っている。そこを攻められると弱い」

「それはもう、子種をせしめようと懸命に覚えましたから」

「どうりで毎回極楽だった」

「私もです」

「しかし儂も老境、そろそろ女を控えないと毒だよな」

「くすっ、殿は二十年前から同じことを言っていますよ。いっこうに控える様子がございませんが」

「そうだっけ?だって好きなんだからしょうがないじゃないか」

 快斎には甲斐の言うように若い愛人もいたが、どちらかと言えば苦楽を共にしてきた妻たちと夜を過ごすことの方が多かった。歳を取っても良人に満足してもらいたいと思い、各々健康管理に務め肢体は瑞々しかった。何より彼女たちは快斎の体を思いやりながら抱かれていた。よって優しさや暖かさが溢れ、快楽と共にとても癒されたのだ。若い娘にはこの熟練した床上手は出来ない。

 甲斐は快斎が申し出た『丹後成田家』の旗揚げは丁重に辞退し、次男の長隆も自分の手から離れると烏山に行かせて兄の補佐をさせている。娘二人も柴田家の若者に嫁いだ。今は孫たちに手習いを教え、たまに良人に抱かれるのを楽しみとする日々だ。

 しかし快斎を癒し続けていた甲斐もついに倒れた。孫娘に裁縫を教えているとき、突然胸を押さえて意識を失った。快斎は領内の村々を視察中で城を留守にしていたが、知らせを聞いて大急ぎで戻った。甲斐は意識を取り戻しており、何とか間に合った。血相を変えて帰ってきて息も荒い良人を見て甲斐は

「と、殿、お歳なのですからそんなにご無理を…」

「儂のことなど案じている場合か!」

「殿…」

「帰ってきたぞ。もう大丈夫だ。養生するがいい」

「殿…」

「ん…?」

「今度生まれ来るときも…甲斐を妻に…」

 それが最期の言葉だった。

「甲斐…」

 快斎は涙を堪えることが出来なかった。

「愛しておるぞ…」

 しづと甲斐が逝き、茶々、初、江与の妹たちもすでに快斎を残し他界した。柴田家は三代勝隆の時代になっていた。そしてほどなく勝秀は倒れた。快斎とさえ、妻の姫蝶と駒姫は快癒を祈願し水垢離をしたが願いは届かなかった。彼は現在で云う胃がんに冒されていた。痛みに苛まれ、苦悶する息子を見かねた父の快斎は泣いた。

「そなたは儂よりも良き君主であり良人であった。なのに何故こんな最期を天は与えるのだ!武将として儂が人を殺したのが罪ならば、天罰は儂に与えてくれ!」

 良人と共に泣くことしか出来ないさえ。

「母上…父上…」

「もういい、もういいのよ、もう眠りなさい竜之介…」

 苦悶する勝秀の顔を抱いて、彼が赤子のときによくさえが歌っていた子守唄を聞かせた。痛みに苦しむ勝秀の顔に安堵の表情が出てきた。母の子守唄で痛みがひいたのか。

「親不孝を…お許しください…」

 そして勝秀は息を引き取った。快斎とさえは人目はばからず号泣した。快斎とさえにとって長男の勝秀は我が身以上の最愛の宝であった。しばらく二人は抜け殻のようになった。この日も縁側に二人して座り一日中呆けていた。そして

「いつまでもこれじゃいかんな…」

「殿…」

「親父とお袋がこんな有様じゃ勝秀は安心して逝けぬではないか…」

 さえは泣き出した。

「…それは分かっておりますが…この悲しみをどうやって…」

 涙にくれる愛妻を快斎は抱きしめた。

「さえ…。人間五十年、勝秀はその五十年を生きた。我らがたまたま余計に生きている。それだけだ」

「殿…」

「天寿をまっとうした息子の死を悲しんでいては駄目だろう。親より先に死んだ親不孝とあいつの御霊を叱れば『母上と父上が長生きなんだ!』と責められよう」

「…はい」

「勝秀は我らに七人の孫を残してくれた。それを愛そう。今まで以上にもっと愛そう。それが勝秀の望みと思う」

「はい…!」

 涙を拭いたさえ。息子の死と云う人生最大の悲しみを夫婦は乗り越えた。

 

 この後、快斎は孫の勝隆を後見し、老いたりとはいえ元気である。快斎は領内をよく歩いた。そして菓子を持ち、子供に与えていた。日本の童話など子供たちに話してあげる優しいご隠居様である。

 領内の女子供に絶大な人気を誇り、歳を取っても美男子、その皺が男ぶりをあげていて城下の町民や農民女房と楽しそうに話す快斎がよく見られたらしい。それでその女房たちは快斎をうっとりと見つめていたと云うから、そうとう美男な爺様であったのではないか。快斎が居酒屋に入るとその居酒屋はとたんに忙しくなったと云われていた。

 そんな有意義な老後を送っていた快斎であるが、とうとう寿命の時が来た。舞鶴城内で孫や曾孫たちに学問を教えていて、突如意識を失った。しばらくして目を覚ました。枕元にはさえとすずがいた。

「そ…に…のき…ああ…?(そうか…。儂は子供たちに学問を教えている時に…?)」

 快斎は自分の耳を疑った。発している言葉が言葉になっていない。呂律が回っていなかったのだ。しかし

「はい、具合はどうですか」

 さえが良人の額ににじんでいた汗を冷たくしぼった手ぬぐいで拭った。さえには良人の言葉が分かったのである。無論すずも。二人は顔色一つ変えず良人に微笑んだ。

「う…(うん)」

 快斎は自分の体の状況を冷静に見た。左半身が利かず、左眼が見えなくなっていた。残る右半身も力が入らない。

(ここまでのようだ、もう十分に生きた。悔いはない)

「何を言うのですか、ちょっと体が動かないくらいで」

 記録を見るに快斎の病は現在で言う『脳梗塞』と考えられる。言語不明瞭になってしまった快斎。しかしさえとすずは顔色を変えず普通に言葉を返して良人の快斎と意思の疎通が出来ていた。さえとすず以外は快斎が何を言っているのか全然分からなかったと云うのに二人の妻の良人への愛情の深さが伺える。他ならぬ快斎自身が言葉になっていない言葉を発していると分かったであろうに妻たちはきちんと理解した。どんなに嬉しかっただろう。

(いや…。今ここで意識が戻ったのも、神仏が最後儂にくれた時間なのであろう…)

「殿、そんなことを言わないで下さい。子供や孫たちに倒れたことを知らせました。もうすぐ来ますから…」

(…無用だすず。来る必要はないと再度伝えよ。息子たちと孫たちには領内統治と徳川家への奉公に勤め、娘たちには良人と嫁ぎ先に変わらず尽くせ、それが遺言だ…)

「殿…」

(さえ、儂の愛人たちもすでに逝き、愛人たちとの間に生まれた子も独り立ちした。もう儂の役目は終えた。儂にはそなたとすずが看取ってくれれば、それでいい…)

 蒲団の周りには家臣や医者が数名いた。

(そなたらは席をはずせ。妻たちと三人だけにせよ)

 さえが変わって言った。

「殿が私とすずの三人だけにせよと申しています。各々お外し下さい」

「「ははっ」」

 家臣と医者たちは席を外した。

(…さえ、すず、手を)

「「はい」」

 さえとすずは動かない快斎の手を握った。

(…そなたらのほほに触れたい)

 快斎の手を自分のほほにつけるさえとすず。

(すず)

「はい」

(今まで生きてこられたのは…そなたが武田攻めで儂を助けてくれたからだ。もう一度礼を言う…ありがとう…)

「殿…」

 すずは一度快斎の手を離し、くノ一の時だったように髪を結った。その結ったものは

(リボン…。まだ持っていたのか…)

 再び快斎の手を握り、涙を浮かべてうなずくすず。すずの髪を結ったのはかつて快斎に安土城下で買ってもらったリボン。色は年月により褪せたが、すずには大切な宝物であった。

「もちろんです…。すずの宝物ですから」

(似合うぞ、やはりすずはかわいいな…)

「殿…」

(さえ…)

「はい…」

(…苦労をかけた)

「…苦労など…思ったことございません」

(さえ…。義父殿、景鏡殿の墓を立てた時、儂には聞こえたんだ『娘を頼む』と…)

「え…」

(胸張って…会えるかな。そなたの父上に)

「もちろんです…!」

(そうか…。さえ…大好きだ…)

「殿…!」

(さえ…すず…)

「「はい…!!」」

 柴田快斎の最後の言葉、それは神仏の計らいであったのか。明確に発せられた。

「愛しておる…」

「「愛しております…!」」

 柴田快斎は息を引き取った。享年七十七歳。関ヶ原の戦いから三十七年が経過していた。大往生である。

「「殿―ッ!!」」

 二人の妻は快斎の遺骸にすがり号泣した。

「殿のいない世なんて…すずは…すずは…!」

「殿…さえもじき参ります…」

 

 二ヶ月後、すずは病に倒れた。良人快斎が死に気力も失せていたのか、悪化する一方であった。死を悟ったすずは髪を再びリボンで結い、くノ一の装束を着た。横にもならず蒲団のうえで座した。忍びの座り方である。その意図を息子の藤林隆茂が訊ねるとすずはニコリと笑い言った。

「父上は戦で多くの人を殺しました。武将の業ゆえ、それは仕方ございません。そして若き日の母も多くの敵兵を殺しました。父上は地獄に落ちているかもしれませぬ。母も地獄へと行くかもしれませぬ。その時は再びくノ一となって戦うつもりです。寝ていたらすぐに戦えないでしょう。だからこの忍び座りで死にます。このリボンをくれた、この世で一番愛する人を守るのです…」

 すずはそのまま座位のまま、眠るように死んでいった。享年七十六歳。

『助かったぞすず!』

『はい!』

『そなたが来てくれれば、もう大丈夫だ。愛しているぞ』

『私も…!』

 

 すずを看取った半年後、さえも病に倒れた。一切の治療と薬を拒否した。まるで自然に訪れる死を待っていたかのようだった。今までの生きた思い出が脳裏に蘇る。

 初めて良人と会った日。求婚を申し出た良人の顔。初めて結ばれた日。父景鏡の墓を立ててくれた時の優しい笑顔。勝秀を生んだ時の良人の喜ぶ顔。側室を迎えると言われ、怒る自分に困った顔を見せた良人の顔。秀吉に敗れ、抱き合いながら悔し涙を流した良人と自分。次々と浮かぶ愛する良人との黄金の日々。さえは一筋の涙を流し、笑みを浮かべ子供と孫たちに看取られ、息を引き取った。享年七十八歳。

『さえ、会いたかったぞ!』

『私も…』

『さあ、いざ尋常に子作りだ!』

『んもう…』

 

天地燃ゆ-史実編- 完




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