天地燃ゆ   作:越路遼介

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柱石逝く

 関ヶ原の戦いの論功行賞があった。明家に新領地は盟約どおりなかったが、家康は立花宗茂を足止めした奥村助右衛門の手柄も合わせて五万貫と云う破格の金銀を明家に送ったと云う。そして丹後若狭は徳川あるかぎり柴田のものと公言した。

 戦後処理や論功行賞に伴い、豊臣家の領地を好きなように大名に与えたので豊臣家の実質の領地は摂津・河内・和泉の約六十五万石程度まで削がれた。明家は論功行賞から数日後、家康に呼ばれた。大坂城西の丸。

「おう大納言」

「大納言…?」

「官位よ、正三位上大納言、関ヶ原ではようやってくれた。これからもそなたには働いてもらわねばならぬゆえ、官位を上げた。迷惑であったか?」

「い、いえ、かつて秀長様、前田利家殿の官位であったものがそれがしに、名誉なことでございます。ありがたくちょうだいいたします」

「喜んでくれて何よりだ。ところで大納言」

「はい」

「話がある。豊臣家についてだ」

(やはり…)

「扱い方は三つある」

「それがしには二つしか思いつきませぬが…」

「では最初のその一がないであろう。秀頼様を斬ることだ」

「……」

「…斬ってしまえば一度に片付く。しかし斬ったら儂がやがて斬られる。儂が斬られずとも儂の子か孫が斬られよう。それでは泰平の世は築けぬ」

「すると第二は?」

「六十万石級の大名にして、そのまま放っておく。実力あれば栄え、器量なくば潰れていく」

「残るもう一つは?」

「豊臣家を公家にする。名誉だけ与え、実はない」

「二、三は、はばかりながら、それがしも思いついていたことでございます」

「で、どちらが良いと思う」

「六十万石の大名とは申せ、福島、加藤、池田、浅野、細川、黒田と加増されています。それらを足すと四百万石にはなりましょう。豊臣の勢力は絶大のまま。だからと云って内府殿はそろそろ六十にございます。八歳の童と力でやりあうのはいささか…」

「となると公家か」

「はい」

「儂も公家となってもらうのが一番良いと思う。地方に六十万石で残したとはいえ太閤殿下の影響は大きい。後に成長した秀頼様に次々と徳川に恨みを抱く者がつき叛旗を翻すこともありうる。いつまで経っても戦の世に終止符は打てない」

「仰せのとおりです」

「平清盛は源頼朝を生かしておいたおかげで頼朝に滅ぼされることになった。歴史は繰り返すと言うが、当家の重臣たちはこの先例を持ち出して豊臣家を討つべしと息巻いておる。だが大納言、儂は豊臣家を潰したくない。百三十年以上続いた戦国乱世を鎮め天下統一した太閤殿下の偉業は何ものにも替え難い。こんな名誉ある家を潰せるものではない。そして何より、大坂城は難攻不落じゃ。これを落とすにはまたぞろ諸大名を動員して戦わなくてはならない。勝てはするであろうが恩賞に与える土地はもうない。不満を持つ者がたくさん出てくるであろう。また乱世に逆戻りじゃ」

「……」

「一番良い展開はそなたも見るとおり、豊臣家が関白家として公家となり名誉はあるが何の力も持たない存在とさせることだ。さすれば加藤や福島も秀頼様を担ぎようもない。しかし、あの大坂城と太閤殿下の蓄えた莫大な金銀。秀頼様は幼く、その取り巻きは女たち、儂が牢人ならば利用する。そして徳川に乱を起こす」

「では内府殿は遠からず大坂城を取り上げて、金銀もまた同じくしなければならないと」

「そうじゃ。そうしてくれなければ我が徳川は嫌でも豊臣を滅ぼすしかない」

「なるほど…」

「大納言、それを叶えてくれる、いや出来るのはそなただけじゃ。そなたは淀殿の実兄、何とか説き伏せて欲しい」

「分かりました。では『関白家として公家として残る』の線で当たってみましょう」

 こうして徳川家康から内々の命令を受けた明家。腰すえて大坂方の説得に入るつもりである。

「頼む。では豊臣については以上であるが違う話もある」

「はい」

「大納言、儂は江戸に幕府を開こうと思う」

「それは上々」

「ついてはそなたに幕閣に加わって欲しい。色々と智慧を借りたいでな。唐入りの後始末も幕府の名で行うつもりだ。引き続きそなたにその任に当たってもらいたい。幕府家老の席を用意する」

「外様のそれがしが?」

「確かに外様だが江与の実兄でもあるし秀忠も慕っている。儂の重臣たちとも懇意だしな。問題ない…と言いたいところだが、それでは徳川譜代の者が面白くなかろう」

「そのとおりです」

「よって大納言、大坂の説得が済んだら柴田の家督は嫡子の丹後殿(勝秀)に譲り、そなたは個人の資格で幕府家老となってもらいたい。柴田家当主としてではなく、一人の武士としてだ」

「個人の資格で?」

「そうだ。幕府内で権威こそあるが、用いる軍勢はない」

「……」

「大納言、そなたは関ヶ原の開戦前に儂が渡した領土安泰の御墨付きを燃やしたそうだな」

「はい」

「見事な処置だ。こう言っては何だが、あのような御墨付き、儂が存命中なら有効だが、その後にはただの紙切れとなり、そなたの子孫がもし御墨付きを盾に尊大に振舞えば取りつぶされかねない。そなたはそれを思い焼いた。あの場で御墨付きを望んだのは儂に天下への野心なしを示し、そして柴田家を領土替えしないよう、と云う意味であったのだな」

「ご賢察、恐れ入ります」

「だが、そのしたたかさが儂は恐ろしい。丹後若狭は肥沃の土地じゃ。しかも京に近い。そんな場所に精強の大軍を持つ柴田大納言は恐怖だ。柴田より十倍の兵力があったとしても秀忠や秀康ではそなたの敵にもならぬ。そこで儂はそなたより兵権を奪い、かつその才覚を幕府に役立てて欲しいと考えた。そなたの養父の格言よ。『ことは何ごとも一石二鳥にせよ』と云うことだ」

「内府殿…」

「そなたの才智で大軍を持たせられぬ。分かってくれぬか」

「…恐れながら即答は出来かねます。息子はまだ若輩にござれば…」

「まあそうであろうな。しかしそなたは欲しい男だ。多少の譲歩はするゆえ是非前向きに考えて欲しい」

「承知しました」

「そうそう、丹後殿にはすでに若君がおったな」

「竜之介(後の三代勝隆)ですか」

「嫁は決まっているのか」

「これはお気の早い。孫はまだ赤子にございます」

「いや歳を取ると少し気短にもなってな。儂の娘、同じく赤子の於市と婚姻させたいのであるが」

「それは願ってもなきこと。ましてや於市と云う名前なら当家にも縁深き名であり喜ばしいこと」

「そういえばそなたのご母堂と字は違え同じ名だ。それに竜之介殿の生母は仙石権兵衛が娘、徳川にとっては二重の良縁、受けてくれて嬉しいぞ」

「ははっ!」

 

◆  ◆  ◆

 

 明家は家康に許しをもらい、さえとすずも連れて国許に帰った。関ヶ原の戦いで戦勝した明家は領民の拍手喝さいで出迎えられた。

「みな、よくぞ城を守ってくれた!丹後と若狭の民は俺の誇りだ!嬉しく思うぞ!」

「「お殿様―ッ!」」

「「柴田家ばんざーい!!」

「褒美に盛大な祭りを開くぞ!美酒も飲み放題!料理も腹いっぱい食べてもらうぞ!踊り、歌おう!我が大切な民たちよ!」

 舞鶴の城下町は歓喜の声に包まれた。次の日の夜、城下町に炎が焚かれ、前田慶次がお祭り櫓のうえでいなせな越中姿で大太鼓を叩き、祭囃子が城下を包む。近隣からも祭りに訪れ、歌と踊り、美酒と料理を楽しんだ。小浜でも明家の凱旋を祝い祭りが催されていた。明家は途中まで参加していたが退席し、舞鶴城内で伏せている奥村助右衛門を見舞っていた。

「少し騒がしいが…先の篭城戦では民も活躍したと聞く。労ってやらねばならぬゆえな。許せよ」

「なんの…心地よき音にござる」

「殿、すみませぬ。甲斐が油断していたゆえ奥村殿は被弾を…」

 泣いて明家に詫びる甲斐姫。

「それは違う。それがしが勝手にしたことで…いたた!」

「ほら安静にせよ」

「殿、どうか姫を責めないで下さいませ…」

「分かっておる。甲斐、泣くことはないぞ」

「殿…」

「助右衛門、養生して元気になってくれ。そなたは当家の柱石ぞ」

「ありがたき仰せなれど、もう兵馬へ家督を譲り隠居の身。舞鶴を守れ…かつて生き地獄に落としてしまった姫をお助けできた。もうそれがしの役目は終わり申した」

「何を言うか!役目を終えたなら今度は生きるを楽しめ!温泉に行き体を休め、孫たちと幸せに暮らすのだ。俺より先に死んではならぬ」

「ご無理を申されるな。それがしは殿より十八も年長なのですぞ」

「だから何だ。長生きせよ」

「…殿、遺言と思って聞いて下さいませ」

「縁起でもないことを言うな」

「いいからお聞きあれ」

 助右衛門はゆっくりと起き上がり座位となった。

「殿、幕府家老のお話を受けなされ」

「え…」

「徳川家家老ではなく、幕府家老と内府殿は申されたのですな」

「そうだが…」

「それは徳川家のことではなく、日の本の舵取りを行う幕府に柴田大納言が必要と云うこと。お受けなされよ。柴田家は若殿に委ねられませ」

「…しかし勝秀はまだ若い」

「心配したら切りがありません。丹後若狭は若殿に任せて、殿は泰平の世を作る内府殿の助力をなさいませ。それに専念し、若殿のやりようには一切口出しをしないことにござる」

「だがなぁ…」

「殿は何でもできる飛び抜けた君主です。しかしそれがある意味柴田家の最大の弱点なのです。あと十年も殿が国政をやってごらんなさい。家臣領民も偉大な君主大納言様と崇めましょう。次代の若殿は武田勝頼殿と様相は違えど、必ず押し潰されます」

「勝頼様と同じ運命…」

「人は必ず死にます。そして信長公や太閤殿下が亡くなってもこうして世の中が動いているように『余人をもって代えがたい』人間は存在しません。殿とて同じです。そして信長公や太閤殿下のような偉大すぎる君主が死んで織田家や豊臣家はどうなりましたか。豊臣家はまだ存在しているものの、その立場はあやういもの。このように大きすぎる君主は次代に必ず崩壊を招きます。しかし柴田家はまだ間に合う。今がギリギリの頃合です。殿の退け時は今なのです」

「退け時…」

「君主には二通りあります。家臣をぐいぐい引っ張っていく君主と家臣に支えられて大事を成せる君主。殿は前者、若殿は後者です。若殿は才覚こそ殿に及びません。しかし優れた家臣が多く、諫言にも謙虚に聞く姿勢がございます。政治も殿や亡き佐吉の薫陶が生き、民を思いやる君主にございます。若殿に軍学を教えたそれがしでござるが師の身びいきではございませぬ。殿にはもったいないほどの二代目ですぞ!」

「…分かった。そなたの言うとおり、大坂への交渉が終わったら、俺は勝秀に家督を譲り江戸に行き幕府家老になる」

「殿…!」

「よくぞ言ってくれた。すまんな、そんな病躯でありながら心配をかけさせる主君で」

「なんの、それがしは殿に巡り合えて運が開けました。この身は土となっても魂は殿の側におります。佐吉と共に…」

 席を外していた助右衛門の妻の津禰が駆けてきた。

「殿!息子たちが参りましたよ!」

 津禰が兵馬、静馬、冬馬の三人の息子たちを小浜から呼び寄せた。

「「父上!!」」

 それを見るや助右衛門は枕元にあった湯飲みを兵馬に投げつけた。

「帰れ!!」

 怒りのあまり肩で息をする助右衛門。湯飲みの当たった額を押さえる兵馬。

「父上…」

「我が殿に預けられた小浜を留守にして、父親ごときの見舞いに出向くとは何ごとだ!帰れ!」

 息子たちの助右衛門を思う心を考えると明家は嬉しい。しかしそれは言えない。

「兵馬、静馬、冬馬、小浜を留守にして何しに来たのだ」

「しかし殿!」

「小浜も祭りの最中と聞く。しかし今、敵に攻め込まれたら何とするぞ。とっとと帰れ!」

「殿、それはあまりに!」

 末弟の冬馬の肩を押さえて止める兵馬。

「…分かりました。殿、父上、兵馬の思慮のなさをお許し下さい…」

「分かればいい。早く帰れ」

 立ち去りかけた兵馬、静馬、冬馬。しかし兵馬は堪えきれず振り向いて父の助右衛門に平伏した。

「父上!厳しくも温かくそれがしをお育て下さり、ありがとうございました!父上の愛!それがし一生忘れません!」

「……」

「「父上!」」

 静馬と冬馬も兄と同じく助右衛門に平伏して言った。津禰は涙し、甲斐も涙ぐんでいる。助右衛門は息子たちに顔を見せず黙っていた。兵馬は最後に一礼して去っていった。これが親子の今生の別れだった。明家にも顔を見せない助右衛門、肩が震えていた。

「父と子の別れとは…かくあるべきかな…」

 と、明家。助右衛門もまた大粒の涙をこぼしていた。明家は助右衛門の手を握った。

「殿…」

「この手だ、この手が…俺をここまでにしてくれた。感謝いたすぞ!」

「も、もったいなきお言葉にございます…!」

 奥村助右衛門は数日後に息を引き取った。奥村家の家督は兵馬が継いだ。明家は今後も奥村家に小浜の城を任せ、助右衛門の子供たちを重用した。助右衛門は息子に厳しい父親だったので息子たちも父に及ばずとも優れていた。奥村三兄弟の栄明、易英、栄頼は柴田明家、勝秀、勝隆の柴田三代に仕え、その後も柴田家の柱石として奥村家は明治維新まで存続する。

 

◆  ◆  ◆

 

 奥村助右衛門の葬儀を終えた日、前田慶次と山中鹿介は助右衛門の仏前で酒を酌み交わしていた。

「鹿介殿、すでに存じていると思うが殿は大坂への交渉が終わり次第、家督を若殿にお譲りして江戸に赴かれる」

「そうですな」

「俺は殿について江戸に行く。鹿介殿は若殿について、しばらく睨みを利かせてくれまいか」

「承知しました。手前も早や五十路を過ぎましたが若殿が柴田家の新当主として地に足を付けてから隠居いたしましょう」

「山中家はどうなるのでござるか?」

「殿としづ御前のご子息である信之介君を養子にいただきました」

「信之介君を?」

「しづ御前のご長男は水沢姓を与えられ、若殿に仕えますからな。ならばご次男をいただきたいと申し上げました」

「殿はともかく、よくしづ御前が承知しましたな」

「はからずも、それがしが丸岡に援軍に行ったのが効いていたようです」

 しづは鹿介に『あの時の山中殿の援軍、あれほど感激したことはありません。そんな方が私の息子を養子として望まれるなら喜んで』と己が次男を鹿介に託したと云う。しかし、この後に鹿介の後添えとなる女が男子を生むので、信之介は山中家世継ぎから身を退き、祖父鳶吉の血が濃かったのか武士にはならず宮大工となり、匠聖として名を残すことになる。

話は戻る。

「なるほど、しかし後添えをもらえば良いではござらんか。まだ子種が尽きる歳でもない」

「手前は慶次殿のように精力絶倫ではござらぬゆえ、もはや若い後添えは毒にござるよ。若殿の行く末を見守るため長生きをせんと」

「いや鹿介殿、それはいかん。若い娘は何よりの妙薬でござるぞ。結果それが長生きをするのだ」

「はっははは、では若い愛人でも作りますかな」

 

 助右衛門の葬儀を終えた数日後、明家は海にぶらりと出かけていった。そして静かに舞鶴の海を眺めていた。たまに明家はこういう時間を持つことにしていた。特に何も考えてはいない。ただ海を眺めているだけだ。

「殿…」

「ん?」

 甲斐姫が来た。

「よろしいですか?」

「うむ…」

 明家の横に立ち舞鶴の海を見る甲斐姫。

「殿じゃ…なかったのですね」

「治部にそなたを殺すな、と伝えたのがか?」

「…はい」

「俺だよ。助右衛門のしたことは俺のしたことだ」

「……」

「『そなたこそが成田だ』か。助右衛門は万感の思いを込めて言ったことだろう」

「はい、嬉しくて涙が止まりませんでした」

「だが…いつまでも助右衛門の死を悲しんでもいられない」

「はい…」

「しかし、忍(おし)衆の者たちには会って礼を言いたかった。大変な活躍だったそうじゃないか。甲斐、そなたも」

「無我夢中でした…」

「江戸は武州、俺が江戸に行った時、一度彼らの村に行き礼を言いたい。その時は甲斐、そなたも来てくれるか?」

「もちろんです」

「まあ江戸から忍は遠いが、そなたの故郷を見るのも良いからな」

「殿、私…忍のみなから褒美を要求されました」

「なんだ、それを早く言え。あやうく俺は報恩の儀を知らぬ者となったぞ」

「殿では出せない褒美なのです」

「ほう」

「私が父の氏長と仲直りすること、それが褒美として欲しいと…」

「…なるほど、しかしそりゃ断れないな。関ヶ原の後始末もそろそろ終わる。烏山に会いに行くといい」

「でも、手ぶらじゃ嫌だから孫を抱いて会いに行くと言っちゃいました」

「なんと」

「うふ、殿、このまま舞鶴温泉に行きません?宿代なら私が持参しましたので」

「甲斐…」

「だって殿ったら関ヶ原より帰られてからまだ私の部屋にお渡りしてくれません」

「べ、別にそなたを嫌ってではない。何かとあってだな」

「分かっています。だから今日は付き合ってください。温泉に入ってから…うふっ」

 

◆  ◆  ◆

 

 さて、いよいよ明家、大坂方に恭順をさせるべく大坂に向かうことにした。舞鶴城で明家は息子の勝秀と話していた。

「勝秀、父はこれから大坂城に行き、豊臣家を説得する」

「豊臣家に父上に賛同する重臣は…」

「おらん、あえて根回しは避けた」

「なぜ」

「言葉に重みも覚悟もなくなる。はなっから四面敵のほうが良い」

「……」

「そなたは領内の統治に全力を注ぐのだ。良いな」

「はい、父上の説得が首尾よく行きますよう、家臣一同願っております」

「交渉が決裂すれば父は生きて帰れないかもしれない。すでにそなたの家督相続は内府殿にも伝えてあるし、母上や重臣たちも納得している。俺がもし豊臣家に殺されても意趣返しはせず、内府殿の指示に従え。良いな」

「父上…」

「いくつか遺訓を残しておく。心して聞け」

「はっ!」

「当家は関ヶ原での武功めざましく、徳川家に天下を取らせるに尽力できた。それによって丹後若狭と云う肥沃な土地を安堵され、徳川ある限り、この国は柴田家のものと御墨付きも得た。だが知っての通り、それはもう燃やしてしまった。御墨付きの効力は関ヶ原の論功行賞をもって消滅させた。なぜか分かるか」

「義叔父御、竹中半兵衛様のしたことと同じ。そのような御墨付きは災いにしかならぬと云うことと思います」

 明家は勝秀が承知していると知ったうえで聞いた。何故なら明家が『御墨付きを燃やす』と言った時、勝秀は『それがよろしいと思います』と即答したからである。明家は良き男となったと心の中で喜び、話を続けた。

「幕府は色々な法度を作るだろう。法度に従い、かつこれからあるであろう徳川の普請や築城にも積極的に加わるのだ。天下人と云う者は諸大名に必要以上に力を持たせないため、どうしても諸大名に財を消費してもらう必要がある。手伝い普請で柴田の財を消費させるのは嫌であろうが、柴田家だけに限った話ではないし従わなければ潰されるのだ。目先の金銀を惜しんで家の進退を誤るでないぞ」

「分かりました」

「で、当家の行いし交易。どこまで幕府が目をつぶってくれるか疑問だ。徳川幕府は信長公や太閤殿下と違い、稲作中心による農業立国を作るであろう。交易によって金銀を稼ぐことを是としないかもしれぬ。特に当家は外国とも交易をしている。いずれ禁じられるかもしれぬゆえ、その時は商人司の山中新六とよう話し合い、国内だけの交易に留めるよう」

「はい」

「当家には切支丹の将兵もいる。今まで禁制は緩かった。ロザリオを持っていても着物の外に出していなければ特に咎めもなかった。しかし、これからはそうもいかん。改宗させるか棄教させる必要があろう。ただし性急なマネはよせ。関ヶ原前の宇喜多家の二の舞となる。よくよく説いて改宗させよ。どうしても聞かずば追放しかないが今までの働きに合わせて餞別は与えよ。恨みを買うこともあるまい」

「父上…」

「前当主として言い渡しておくのは以上だ。父としては…」

 身を乗り出す勝秀。

「竜之介を厳しくも温かく育てよ。姫蝶と、そして今年に輿入れしてくる最上の駒姫、この二人の妻を大切にしろ。そして兄弟仲良くな。母上を大事にするのだぞ」

「はい…!」

「お前も体には気をつけろよ」

「父上も!」

 

 柴田明家は徳川家康に自身が大坂城に向かう日程を知らせた。明家からの文を読む家康。

「やっと行きますか。国許に帰り、いつになったら行くのかと思っていましたが」

「たわけ正純、大納言は豊臣重臣らに根回しもせず、だらだらとしたのんべんだらりの交渉ではなく、一度の説得で決めるつもりなのじゃ」

「たった一度で?」

 家康は江戸にいた。そして豊臣家の徳川恭順の交渉を明家に任せた以上、一切豊臣家と接触しなかった。しかし、これも家康なりの思案であり明家への隠れた援護だった。豊臣家は徳川が自分たちをどうするのかと不安でいっぱいであった。何の音信もないのは返って不気味である。それにより生じた家中の緊張や疑心暗鬼はもはや限界に近い。家康と明家、何の示し合わせもしなかったが交渉に対して絶妙な時機を家康は作りだした。明家がその時機を逃さないと分かっていたからだ。そして明家は家康の見込みどおり機を逃さず大坂へと向かうことにしたのだ。

「今まで思案を重ね、時機を待つと共に女房たちとも睦みあい精気を養うていたのじゃろう。この大納言の一度きりの交渉が頓挫すれば徳川と豊臣の戦は避けられぬ」

 

 豊臣家に徳川恭順を説こうとしている明家の元に頼もしい援軍が来た。二の妹の初である。初の夫の京極高次は関ヶ原の戦いの後に大津城九万石を与えられたが、ほどなく病に倒れて死去した。高次との間には子供がなく、初姫は常高院と剃髪して実家の兄のところへ戻ってきた。

「よう戻ってきた」

「はい」

「相変わらず美人だ。そなたを思慕する者もいる。再婚はどうか?」

「いえ、私の夫は高次様だけです」

「そうか」

 明家は常高院を抱きしめた。昔に同腹の兄と妹だったと分かっても、こうして抱きしめてやることも出来なかった。丸岡では厳しい兄であり続け、そして秀吉に降ればすぐに京極家に嫁げと命令された。常高院は初めての兄の温もりが嬉しかった。

「兄上様…」

「苦労をかけたな。今後は舞鶴で安らかに暮らすがいい」

「…いいえ、それは少しあと」

「ん?」

「兄上、私は何とか豊臣と徳川との戦火を避けたいと思っているのです」

「初…」

「姉上と江与が戦うなんて私には耐えられません」

「それは俺とて同じだ」

「それならば兄上も初と心を同じくして下さい。お願いです」

「初、心を同じくするだけでは足らぬ。我ら兄妹は豊臣と徳川の戦を止めるため命を賭けなければならない」

「兄上…」

「茶々と江与を戦わせてはならない。一緒にこの難局に立ち向かおう初、兄に力を貸してくれるか」

「はい兄上!」

 大坂に出発の朝、明家は妻たちと話した。今回は妻たちを大坂に連れて行かない。明家は警護の馬廻りと忍び、そして妹の常高院だけを連れて大坂に向かう。

「常高院と共に豊臣家の説得に入る。徳川恭順を説き、それが成就するまで帰る気はない。豊臣家の中には俺を許せぬ者もいるだろう。生きて帰れるかは分からないが、それで死すなら、それもまた俺の天命だ。そなたらはけして意趣返しは考えず、勝秀のもと平穏に暮らしてくれ」

「「はい」」

「さえ」

「はい」

「できれば死にたくはないが、その覚悟がなければ説得はうまくいくまい。これは俺の最後の戦だ。留守を頼む」

「ご武運を」

「すず」

「はい…」

「そなたも来年は不惑、歩行の修練は歳を追うごとにきつくなるかもしれないが欠かすんじゃないぞ」

「は、はい…ぐすっ」

「しづ」

「はい」

「母のみよが病に倒れたと聞いている」

「は、はい…」

「孝行をつくせ。孝行したい時には親はいない。俺やさえがそうだ。分かったな」

「なんで…まるで死に行くみたいに、そんな優しい言葉ばかり…」

 泣き出してしまったしづ。

「さえにも言ったが、これは覚悟だ」

「覚悟…」

「しづ、俺は松永攻めから数え、敵城へ使者に何度か行っている。すべて降伏や恭順と敵方には敗北を決定付ける使者としてな。高遠や岩殿、小田原、九戸には一人で行き、丸腰で入った。正直恐かった。だから死の覚悟をして入った。それで今まで何とか生きている。今回もそうなるとは限らないが、同じくその覚悟で行く。それだけだ」

「殿…」

「お前に求婚するときもこんな気持ちだったぞ。あっははは」

「と、殿…。もう、いじわる」

「甲斐」

「はい」

「元気な子を生んでくれ」

「はい…」

 甲斐姫は先日に懐妊が確認された。

「親子仲良くするのだぞ。父上がご存命なうちにな」

「分かりました…」

「さえ」

「何も言わないで。分かっております」

 ニコリと笑うさえ。言葉はいらない。分かっている。さえの笑顔がそう言っていた。明家も微笑んで返す。

「そうか、では行ってくる」

「「「ご武運をお祈り申し上げます」」」


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