天地燃ゆ   作:越路遼介

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森蘭丸

「夫の留守中、またしばらくの間、奥方様と姫様たちに仕えさせていただきます」

 北ノ庄城、奥にいる柴田勝家の妻、お市の方にさえは平伏した。

「安土への使者、および越前領全体の視察ですから、隆広殿がお帰りになるまで十日ほどになってしまいますね。ごめんなさい、さえ。新婚だと云うのに」

「いいえ! この君命を受けたのはあの人が私に求婚する前でしたから仕方ありません」

「うふふ、それじゃあ求婚後に命じられたら、夫の勝家を恨めしく思ったのかしら?」

「そ、そんなことはありません。奥方様も意地悪な事をおっしゃいます…」

 

 ドスドス

 

 市のいる部屋の外廊下から勢いよく歩いてくる足音が響いた。

「あら、殿かしら?」

 障子がガラッと断りもなく開いた。来たのは勝家ではなく娘の茶々だった。

「…茶々、母のいる部屋に入る前は断りくらい…」

 母の説教など聞こえなかったのように、茶々はさえの前に来て、さえをジロリと睨んだ。

「ひ、姫様、何か?」

「…さえ、あなたと隆広殿が夫婦になったんだって?」

「え、ええそうですが…」

 あとから初がやってきた。

「あ、すいません母上! 止めたんですけど!」

 

 市に昨日の記憶が脳裏に浮かんだ。夕方ごろから茶々がずっと泣いていたのである。困り果てた初と江与は市に救いを求めた。初にどうして茶々が泣いているのかと聞くと…

「姉上、隆広殿にふられたらしくて」

「はあ?」

「今日、城下町で隆広殿が以前母上の侍女をしていたさえと、そりゃもう仲良く歩いていて…それを見て姉上、自分は隆広殿にふられたと勝手に思い込んで…」

「仕方ないじゃない、二人は夫婦になったのだから…」

「ええ!? 隆広殿はさえを妻にしたの!?」

「そうよ。それにしても茶々は隆広殿に自分の気持ちも言っていないだろうに…『ふられた』とはずいぶんと飛躍した発想ねえ…」

「私も姉上があんなに一途なんて知らなかった」

 

 翌日にさえが城に出仕してきたと聞き、茶々は愛しい自分の良人候補を奪った女に何か言ってやろうと思いやってきたのであるが…。

「姫様?」

 茶々はさえをジーと睨んでいた。茶々の着物の裾を初が引っ張る。

「無理だって姉上、勝ち目ないよ。見てよ、さえの乳。大きくて立派じゃない」

 さえは初の言葉に顔を赤くして胸を隠した。

(な、何よ、初姫様は人を牛みたいに!)

「腰もくびれて、お尻も丸い。姉上は真っ平らでずん胴。殿方がどっちを好むか一目で分か…」

「うるっさいわねぇ、お初! 私だってあと二年もしてさえと歳が同じころになったら、もっと胸が大きくなっているに決まっているでしょ! 腰もくびれて、お尻も丸くなるわよ!」

 さえには何の話をしているかさっぱり分からず、市は苦笑しているだけだった。

「ふんだ、二年後に茶々様を妻にしておけば良かったと隆広殿に後悔させてやるもん!」

「はあ?」

 茶々は初の腕を掴んで市の部屋から出て行った。

 

「あ―おかしい」

「奥方様、笑い事ではありませぬ。私には何が何やら…」

「ごめんなさいね、実は茶々、城下で隆広殿を見初めていたのよ」

「あの人を?」

「でも、さえと結ばれてくれて良かった。たとえ茶々がどんなに隆広殿を好きになろうと、そして隆広殿が柴田の姫と結ばれるに遜色ない大将となろうとも…私と勝家は絶対に認めるわけにはいかなかったから…」

「え?」

「あ、いえ…今の言葉は忘れてちょうだい…」

「は、はい…」

(どういう意味だろう…)

 

 隆広主従は安土に到着した。途中の宿場で二泊しただけであるので、かなり早い到着である。隆広以外の三名は全員安土は初めてであった。安土城下の馬屋に馬をあずけ、隆広主従は城下町を歩いた。主従四人は遠くにそびえる安土城を見て言葉をなくした。

「御大将、すごい城ですね…」

 やっと矩三郎が声を発した。

「ああ、あれが大殿の居城か…。オレが以前に父と畿内を旅したときは普請中だったけれど…よくまあ、あんなにすごい建物を作れるものだなあ…」

「確かに。して御大将。これより城へ?」

「そのつもりだ」

「オレたち足軽が入る事は許されるのでしょうか?」

 紀二郎が不安そうに言った。

「同じ織田家中だから問題ないだろう。とにかく宿をとろう。殿の使者として大殿に会うのだから旅支度の今のナリではまずいだろう。すぐに着替えて城へ行くぞ!」

「「はッ」」

 

 紀二郎の不安は的中した。身分を証明する木簡を提出すると、

「恐れながら、城中に入れるのは組頭以上の士分に限られております。水沢殿は良いが、他の三名は外郭に宿泊施設がございますので、そこで待たれるがよろしかろう」

 門番にそっけなく言われてしまった。

「ちょっと待ってください。この者たちは同じ織田家中ですぞ。それがしの部下でございます。城中まで共をさせたいのでございますが」

「御大将、かまいません」

「幸之助…」

「せっかく安土に来たのですから、少し羽を伸ばすとします」

「みんな…すまぬ」

「ふん、お高くとまりよって。足軽は士分じゃないのかよ!」

 腹の立つまま門番を罵る矩三郎。

「なんとでも言って下さい。それが我らの務めでございます」

 鉄面皮な顔で事務的な返答をされて矩三郎の頭に血が上った。

「なんだとこいつ! 足軽がいなきゃ戦にならねえんだぞ!」

「よさんか矩三郎! 御大将が困っておるではないか!」

 幸之助が矩三郎の肩を掴んだ。

「御大将、さきほどの宿屋にてお待ちしております」

「分かった。ああそうだ」

「え?」

「いつまでかかるか分からない。これで酒でも飲んでくれ」

 隆広は一人一人に十文ずつ渡した。三人は首を振って辞退した。

「いけません。御大将だってそんなに高給取りではないでしょう」

 幸之助の言葉に、隆広の顔がフニャと顔を崩して笑った。

「いやなに、さえが上手くやりくりしてくれているからな」

 その言葉を聞くと、三人は凍りついた。一昨日、昨日と宿でさんざんノロケ話を聞かされていたからである。『そんなに高給取りではないでしょう』と云う幸之助の言葉が水を誘ってしまったのである。矩三郎と紀二郎は幸之助を睨んだ。目が明確に『水誘ってどうすんだ、このバカ!』と言っていた。

「いや~美人で気がつき、しかもやりくり上手。オレは日の本一番の花嫁を…」

「「この金子ありがたくちょうだいします! では!」」

「あ、なんだよ。まだ話は終わっていないぞ!」

 三人は隆広から逃げるように走り去った。

「これからいいトコなのに。まあいいか」

 

 再び城の入り口に歩く隆広。門番が言った。

「みな若いが…いい家来衆をお持ちですね」

「ありがとう。さきほどは貴殿の務めの重みも忘れて感情的な事を言ってしまいました。許して下さい」

「よいのです。それが仕事みたいなものですから。では水沢様、入城を」

「ええ」

 

 安土城は城に入ると、さらに圧巻された。天主まで吹き抜けの空間もあり、また襖に描かれた名画の数たるや言葉も失うほどだった。

「あれは狩野永徳、こちらは長谷川等伯かあ…」

「水沢様、この部屋でお待ち下さい。大殿はただいま他の客人と面談中でございます」

 小姓の案内した部屋に通された隆広。

「分かった」

 

 だが、信長から一向に声はかからなかった。もうかなりの時間を待たされている。

(待たせてオレの器を見ようとでもいうのか…? いや、そんなはずはないな。オレは柴田の新参武将。大殿にとっては取るに足らぬ存在のハズだ)

 隆広は部屋の中央で正座し、ジッと待った。その時だった。

 

 チャキ…

 

「……ッ!?」

 

 シュッ!

 

 キイイインッ!

 

 刀と刀が激突した。忍び寄り、背後から刀を抜く音を隆広は聞き逃さなかったのだ。すぐに振り返り、刀を抜いたのである。

「いきなり何をする! 待たせたあげくに斬り捨て…?」

「あはは、正座して足が痺れて立てぬなんて事はなかったな、竜之介」

「オレの幼名を…?」

 斬りかかった武士は刀を笑ってひき、サヤに納めた。

「オレだよ、分からんか?」

「もしや…乱法師か?」

「やっと分かったか。久しぶりだな。あの石投げ合戦以来か」

「そうだな、そうなる。しかし何だよ、今のいきなり後ろからの攻撃は! お前は相変わらず顔だけは女子のごとくきれいだが、性根は昔のままイヤなヤツだな」

「お前が言うなよ。『顔だけ』はお互い様だろう」

 まあ座れ、乱法師と呼ばれた若者は隆広を促した。

「改めて名乗らせてもらおう。オレの今の名前は森蘭丸長定と云う。お前が柴田様に仕えていると知ったのはつい最近だ。水沢姓を継いだのだな」

「ああ」

「隆家様が亡くなられたのは聞いた。惜しい方を亡くしたな…」

「ありがとう。お前の父の可成様も惜しいお方だった…」

 隆広はふと、脇差を鞘ごと腰から外し、それをしみじみと眺めた。

「なんだ、まだ持っていたのか?」

「当たり前だ。お前の父上がオレにくれたものだろう」

「嬉しい事を言ってくれるな、礼を言う。ああ、母上はまだまだ元気だ。お前が柴田様に仕えたと聞き喜んでもいたよ。母上は今、金山城下の可成寺に尼として暮らし、父の菩提を弔っている。今度ついででいいから顔をみせてやってくれないか。よろこぶ」

「…お前の母上は苦手だ」

 水沢隆広と森蘭丸は幼馴染である。隆広の養父の水沢隆家は美濃金山城の城主だった森可成の領地内に庵を持っており、一時期隆広をそこで養育している。隆家は出家して『長庵』と名乗っていた僧侶であった。

 彼は可成や信長の再三に及ぶ『我が部下と』というのを固辞し続けた。信長の気性を考えれば自分の申し出を断る隆家を斬ってもおかしくはないが、信長や可成にとっては尊敬に値する敵手であった隆家を斬るに偲びず、そのまま在野の名士として置いた。

 幼き日の水沢隆広、つまり竜之介が後の森蘭丸である乱法師と出会ったのはその地で父と滞在していた時であった。

 

 乱法師は年が十歳くらいのころ、父と兄の家来衆の子弟を集めて大将を気取っていた時期があった。顔も美男で女子にもモテた彼は金山城下の町民や農民の男子にとり、非常に不愉快な存在であった。

 そしていよいよ、木曽川の河川敷で石投げ合戦で戦う事となったが、いざとなると町民農民の男子側は領主の息子である乱法師とケンカすると後が怖いと、親たちが決戦の場に行かせなかった。乱法師側は二十六人いるのに対して、たった四人での合戦となってしまった。

 だが、勝ったのは四人の方だった。川原の土手に座り、石投げ合戦をただ見物していたと思っていた寺の小僧風体の坊主頭少年が、実はその四人の大将であり、策略と工夫を凝らした道具を持って、乱法師が率いる二十六人を竜之介率いる四名が倒してしまったのだ。乱法師はこの時ほど悔しい思いはしたことなかった。

 

 その日、悔しくて悔しくてグッスングッスン泣いているのに、更に追い討ちをかけて父と母からこってりアブラを絞られた。

 父の可成が『敵はどんな作戦をとってきたか』と尋ねた。乱法師はそのまま竜之介が執った作戦を聞かせた。可成とその妻は、だんだんその少年の方に興味を持ち出した。いや驚かされた。可成でさえ思いもつかない作戦と工夫の道具で多勢を倒したからである。しかも年齢は乱法師と同じ十歳。

 可成はその翌日に領主と云う身分を隠し竜之介と会ってみた。少し話してすぐに分かった。『これは大変な才能を持つ小僧だ』と。少年が隆家の養子と知り、ぜひ当家で養育し、長じて家臣として召抱えたいと懇願したが拒否されてしまった。可成の妻の葉月(後の妙向尼)は懐柔策をも弄して竜之介を森家の家臣にと思ったが、結局竜之介に山のようにメシを食べられたあげくに逃げられてしまった。

 

 可成は乱法師に『どうして負けたか』をよく考えよと問われ、数日後にその答えを出した。その答えを述べたときの乱法師はお山の大将を気取る悪童ではなく、凛々しい若武者さながらの顔をしていたと云う。

 父の可成は息子の成長を喜び、傲慢な息子の鼻っ柱をへし折ってくれた竜之介に感謝して、関の名工が作った一品の脇差を竜之介、後の水沢隆広に与えたのである。隆広は今でもそれを腰に帯びている。

 子供のケンカとはいえ、当時はお互いの誇りを賭けた戦であった。その大将同士が久しぶりに再会を果たした。あの合戦も今ではいい思い出でもある。

「今にして思えば、あの惨めな大敗があって今のオレがあると思う。あの後にすぐお前は隆家様に連れられて金山城下から出たから、勝ち逃げしやがってと思ったものだ。しかし再会したら礼を言いたいと思っていた。感謝しているよ、竜之介」

「なんだよ、ずいぶんと健気にもなったじゃないか」

 少しくすぐったさを感じた隆広だった。

「だが、仕事は仕事、私情は抜きだ。オレは大殿、織田信長様の小姓。面会を求める者がたとえ友であろうと織田家筆頭家老の使者であろうと、オレが大殿に会わせるべきではないと感じたら会わせない」

「まあ、そうだな。それがお前の仕事だ。で、お前から見てオレは大殿に会うべき資格を持っているのか?」

「さっきの一閃がその試験だった」

 蘭丸はニコリと笑った。

「あ、さっきのか」

「ああ、あれでお前が何の反応も出来なかったり、たじろいだりしたら、オレはお前に失望もしたし、無論大殿とも合わせなかった」

「おいおい、中には武の心得のない者だっているだろう? 武の心得がなくたって経理や内政に長けていれば織田家にとり有為な人材だ。そんな乱暴な試験で門前払いなどしたら織田に優秀な人材が集まらないじゃないか!」

「あっははは、もちろん、そういう人の場合は手段を変えるよ」

「本当だろうな?」

「本当だよ。なんだオレの方が試験されているな。とにかく竜之介、いや…」

「ん?」

「水沢隆広殿、大殿のいる広間にお連れいたします。手前のあとについてきて下さい」

 蘭丸はエリを正し、隆広にかしずいた。

「あ、ああ、森殿、お頼みいたします」

「ではこちらに」

 隆広は蘭丸に連れられ、待たされていた部屋を出た。いよいよ織田信長と対面である。


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