天地燃ゆ   作:越路遼介

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九戸政実の乱

 豊臣秀吉の奥州仕置は完了し、ここで秀吉による天下統一が成されたと思われた。しかし一人の男が北奥の地で挙兵した。男の名前は九戸政実。

 伊達政宗の思惑を含めた葛西大崎一揆、これに乗じて挙兵した。しかしそれは相手が伊達でも蒲生でも、ましてや豊臣軍ではなかった。彼と同族である南部信直に対してである。秀吉の奥州仕置と云う同じ発端を持ち、かつ奥州の南北で同時期に起きた乱であるのに、双方の乱はさほどに繋がりはなかった。南は葛西大崎一揆と呼ばれる一揆衆の決起であり、北は南部家のお家騒動である。

 天文年間に南部宗家二十四代当主となった晴政には嫡男が誕生しなかったため一族の石川高信の長男である信直を長女の婿として迎え跡継ぎとした。しかし、その後晴政に嫡男の晴継が誕生したので信直は跡継ぎの座を譲り、他の城へ退いた。これだけなら信直潔し、の美談で終わるが晴継誕生以来、晴政と信直は不和であり、かつ信直謀反を企むと讒言もあり、ついに合戦沙汰までに至る。九戸政実はこの時には晴政方に組して信直と戦った。やがて晴政が病死してこの内乱は終息、これで次代晴継がそのまま南部家の当主として君臨していれば何の問題もなかったが、晴継も死んでしまった。病死とも暗殺とも言われている。だが晴継が死んだ事で再び信直を跡継ぎにと話が持ち上がる。後継者決定のため、南部一族、重臣らによって重要会議が開かれた。後継者候補としては晴政の養嗣子でもあった信直、一族の名門で最大の所領を持つ実力者である九戸政実の弟で晴政の娘婿である実親があげられた。

 しかし結局、信直が南部宗家二十六代当主となった。政実がそれを認め、信直を当主として敬えば良かったのであるが、そうはいかなかった。政実は反信直の姿勢を変えなかった。彼を旗頭とする反信直派の動きによって領内支配を強化する事ができなかった信直。しだいに信直と政実には修復不能の深い溝が出来た。それをまんまと大浦為信に付けこまれる。

 津軽地方は南部家が支配しており、信直の実父の石川高信が代官として治めていた。その死後は信直の実弟の石川政信が代官として津軽にあった。そして大浦為信はその補佐役に過ぎなかった。今こそ独立の好機と為信は九戸政実に協力を求めた。豪族や牢人を集めた為信は石川城を攻め落とし、津軽地方で瞬く間に勢力を拡大していった。この大浦為信の反乱に対し信直は政実に出撃命令を出したものの政実が動くはずもなく、信直も政実を疑い、大軍で津軽に向かう事が出来なかった。

 

 やがて大浦為信は南部家から津軽地方を切り取り、見事に独立した戦国大名となったのである。大浦為信はのちに津軽為信を名乗り、小田原に参じていた豊臣秀吉に石田三成を通して接近し、独立した大名としてのお墨付きを得る。津軽為信の動きを知った南部信直も大急ぎで小田原に参陣し、秀吉に津軽為信は主家の南部家にとり謀反人であり、かつ惣無事令に違反した大罪人と訴え、秀吉に独立大名として認めさせまいと画策したが手遅れであった。抜け目ない為信は秀吉に鷹などを献上して取り入っていた。信直の訴えは退けられ、津軽為信は中央の覇者に独立大名として認められた。面目丸つぶれの信直、関与した政実にも憎悪が向けられた。

 

 その後、小田原参陣の命に従わなかった奥州諸大名は秀吉による奥州仕置において領地を没収された。信直は秀吉に会い所領安堵の朱印状を与えられているが、九戸政実の中央情勢への対応は鈍すぎた。天下人秀吉に取り入るどころか取り潰された奥羽諸大名の残党をかき集め、防備を固めていた。信直が小田原から帰国後、葛西大崎一揆が発生した。政実はこの一揆に呼応するかのように九戸城に五千の兵をもって立て篭もり、反信直の兵を挙げた。追討のため南部信直は出陣。しかし九戸勢は強く、かつ信直の再三の要請にも関わらず豪族たちは旗色を伺い出陣しなかった。また南部同士の争いで信直の将兵に士気も奮っていなかった。追討どころか惨敗。

 そこへ奥羽南で発生していた葛西大崎一揆が鎮定されたと云う知らせが入った。すでに豊臣秀次と柴田明家は陣払いして引き返していると云うが、信直は秀吉に使者を送り九戸討伐を要請。宇都宮まで引き返していた秀次と明家の元に秀吉から使者が来た。石田三成である。

「君命である。豊臣秀次、柴田明家、浅野長政、蒲生氏郷に奥羽再仕置を命ずる!」

「「ははっ!」」

「加えてそれがし石田三成も参陣致す、よしなに。なお伊達政宗、小野寺義道、戸沢政盛、秋田実季、津軽為信も参陣の予定。総数六万となろう。兵糧はすべてこの治部が関白殿下のご威光の元に整えましたゆえ、各諸将は兵糧の心配はせず九戸城を落とす事だけ考えられよ」

「「ははっ!!」」

 その夜、明家と三成は二人だけで久しぶりに話した。明家の杯に酒を注ぎながら三成は言った。

「この情勢下で惣無事令に背くとは愚かな男にございます」

「そう言うな治部、この情勢下、とやらを知らないだけかもしれんだろ。九戸の居城は北陸奥、そう情報が入ってこないのも無理はない」

「津軽のように中央の情勢に敏感ではなく、自国の事だけしか見ていないに過ぎません」

 杯を膳に置いて三成は明家に言った。

「越前殿、貴殿は秀次様の参謀として、この奥州再仕置に挑まれるのですぞ。妙な情けは…」

「かけないさ。それこそ失礼だろ」

 フッと笑う三成。

「安心しました」

「しかし、この奥州再仕置が俺の最後の戦となれば良いのだがな」

「なりますとも。この戦が済めば関白殿下の元、天下泰平が参るのです。越前殿、いや隆広様がご父母の仇に仕えてまで目指した戦のない世が来るのです」

 力説する三成に微笑む明家、本当にこれが最後の戦になれと願わずにはおられなかった。

 

 翌日早朝、豊臣秀次を総大将とする奥羽再鎮定軍は宇都宮を出陣、従う将は柴田明家、石田三成、浅野長政。途中に蒲生氏郷、伊達政宗が合流、小野寺義道、戸沢政盛、秋田実季、津軽為信も呼応して九戸城を目指した。総数六万強の大軍勢が九戸城に迫った。

「申し上げます!」

 九戸城の城主の間、使い番が来た。

「豊臣軍、およそ六万でこの城に向かっております!」

「六万だと…!」

 さしもの九戸政実も絶句した。しばらくして九戸家の領地に怒涛の進攻を開始したと知らせが入った。九戸城の支城は次々と落とされ、やがて政実の居城である九戸城に豊臣軍は到着した。

「戦は数ではない!総大将秀次は青二才!目にもの見せてくれる!」

 九戸城に到着した豊臣軍の参謀である柴田明家は九戸城を見て息を飲んだ。

「これはすごい…。地形をうまく利用した強固な山城だ」

 九戸城は三方を川で取り囲まれており、城壁も高く、かつ断崖に阻まれ、攻撃に困難を極める城である。明家は一目で力攻めは得策でないと考えた。

「ではどうされるか参謀殿」

 浅野長政が訊ねた。

「力攻めは避けるべきでしょう。防備と兵糧揃えば十倍の敵勢にも耐えられると云うのが篭城の守備。しかし…」

「雪ですな」

「その通り、間もなく冬が来る。我々には想像もつかない豪雪、身を切るような凍てつく寒さ。何としても冬将軍が来る前に落とさなければなりますまい」

「ならばどうされる?」

 力攻めは不利、兵糧攻めでは時間がかかり雪で自滅する。明家はしばらく思案し長政に言った。

「浅野殿、九戸家の菩提寺を調べて下さい」

「…?それはかまわぬが」

「たとえ政実殿に天を衝くほどの闘志があったとて、この大軍に腰を退かせている者もおりましょう。兵と女子供の助命を条件に菩提寺の和尚に降伏の使者となってもらいます」

「なるほど」

「これで駄目なら次の手を考えましょう」

「承知した。秀次様に具申してまいろう」

 

「よう取り囲んだ、まさに蟻の這い出る隙間もなしか」

 眼下を見て政実が言った。

「いえ兄者、定石通り一方を開けております」

 と、弟の九戸実親。城攻めの寄せ手は敵方を窮鼠たらしめないため、包囲しても逃げ道を残しておく事が定法だった。この時に豊臣軍は東側に退路を残していた。

「ほう…。そういう定法はみちのくと上方も同じか」

「恐れながら兄者、みちのくの戦では定法による退路を用いて城より落ちる者には手出しせぬのが暗黙の了解となっておりますが、相手は上方の猿軍団。そんな戦の節義など守るとは思えませぬ。その退路を用いて戦意無き者を逃がすのはよされた方が良いと存じます」

「承知しておる」

 政実は士気を乱さないため落ち着いているように見せてはいるが、内心は大変なものであった。彼の持つ五千とて奥羽では大軍勢、六万などと云う途方もない大軍に唖然とした。

「討って出ますか」

「そうよな、ここに至るまでずいぶんと我が領地を蹂躙したに違いない。我がみちのくを荒らした者には相応の礼をせねばなるまいの」

「御意」

(戦は数ではない!みちのく武士の手並みを見せてくれる!)

 

「申し上げます!九戸勢、討って出てまいりました!」

 秀次の本陣に伝わった。

「越前!九戸が討って出たぞ!」

「落ち着きなされませ秀次様、つい先刻、包囲陣に九戸の突出に備えておくようご命令されたばかりでございませぬか」

「そ、そうであったな」

 狼狽する秀次を頼りなさそうに見る豊臣諸将。しかし明家と三成は秀次を違う方面で高く評価していた。秀次は戦の才覚こそ乏しいが行政には秀でていた。それを買っていたのである。武で天下泰平を成したあとは政で治めなくてはならない。秀次なら出来ると明家と三成は考えていた。ならばむしろ戦の才覚は不要である。その才覚があれば泰平にも関わらず、つまらない考えが浮かんでくる。創造の秀吉のあとは守成の秀次が戦のない世を作ってくれる。そう思っていた。

「越前、降伏を勧めるのは良いが、叔父上がそれを後で聞いて許すだろうか」

「皆殺しをすれば必ず深い怨みを買います。また新たな戦を生むだけにございます。もう豊臣の戦は領地の奪い合いの次元ではなく戦乱を終息させるための戦。むしろ恩を売っておく方が得策でございます」

「そうだな…。誰だって好き好んで人を殺すわけではないのだから」

 秀次もまた明家を信頼していた。小牧長久手の合戦では命を助けてくれて、何より他の豊臣諸将が自分を軽視する傾向あるなか、明家は自分を行政の才覚ありと認めていると分かっていたからである。叔父秀吉の後を継いだら明家を右腕に天下泰平の世を作る、そう思っていた。織田信忠と云い秀次と云い、偉大な先代を持つこの二人は自分が当主となったら明家を右腕にしたいと考えた。信忠と秀次は『他の者と違い、彼は自分を立ててくれる。何より頼りになる』と思っていたのだろう。

「ではどのような形が一番良いのだろう」

「九戸と南部の和解は無理でしょうが、九戸と豊臣の和解はそんなに難しくはありません。秀次様が政実殿を豊臣政権下に加える事を関白殿下に取り成せば、戦う事なく味方につけられます」

「うん、そうしよう!」

「申し上げます!」

 使い番が秀次に報告。

「何だ」

「九戸勢の攻撃に津軽勢は敗走、九戸勢は深追いせず城へ後退しました」

「分かった、下がれ」

「はっ!」

「九戸勢は強いな越前」

「はい」

「急がなければならんな、浅野殿、九戸の菩提寺の和尚への説得はいかがなっている?」

「同意を得られたとの事、しばらくすれば陣に訪れましょう」

「よし、何としてでも説得を成功してもらわないとな。成功のあかつきには手厚い恩賞を与えると念を押せ」

「はっ!」

 しかし九戸菩提寺の長興寺の薩天和尚は恩賞を拒否、そんなものが欲しくて引き受けたのではないと長政の使者を一喝した。とにかく彼は使者として九戸城に入り、降伏を政実に訴えた。政実は拒否。みちのく武士の意地を見せんがための戦、降伏できぬと突っぱねた。秀次に総攻めを訴える諸将、彼らも雪の到来に怯え焦っていた。明家と三成は反対したが、秀次は諸将の意見を退けられず、ついに城の総攻めが決行された。

 この総攻めで豊臣軍はみちのく武士の恐ろしさを骨身で感じる事になる。九戸勢は強かった。ましてや堅城に篭っている。じわじわとやられていく豊臣軍。相次ぐ敗報に秀次は総攻めを中止、再び包囲戦術に切り替えた。

「すまん越前、そなたの総攻めへの反対を受けていたらこんな事には」

「過ぎた事です」

「すまん」

「越前殿、この寒さで凍えるものが続出し士気も低い。雪の到来も時間の問題じゃ。何か良き策はないか」

 と、浅野長政。

「やはり、もう一度、長興寺の薩天和尚に使者になってもらいましょう」

「それは失敗に終わったではないか」

「政実殿は武門の意地を見せ、我らにさんざん痛手を負わせました。先の時と事情が違いまする」

「と言うと?」

 秀次が聞いた。

「少なくとも降伏ではなく和議ならば受けると云う気持ちにさせる事はできましょう。もう城内には兵糧も残り少ないでしょうから」

 城内の兵糧の少なさ、それは確かな情報だった。死んだ敵兵の何人かの腹を切り、胃を取り出したところ、ほとんどの胃の中がカラだった。ならば完全に兵糧攻めに、と諸将は頭に浮かべたが、そろそろ雪の到来も近く、そんな時間はない。そのままそれは発せず黙していた。

「和議では関白殿下が納得すまい」

「いえ秀次様、そう事を急いではなりません。最初は和議で良いでございませぬか。政実殿とて関白殿下に逆らう愚直さを知れば、おのずと降伏と云う気持ちにもなりえましょう。政実殿が挙兵したのは中央の情勢に疎かった事。情勢を知れば今は一勢力の戦術の世ではなく天下の戦略の世である事を分かってくれましょう」

「なるほど…」

 秀次はうなずいた。

「ではもう一度、使者を送ろう」

 長興寺の薩天和尚が九戸城に入り、政実を説いた。確かに豊臣の総攻めを何度か蹴散らしたが、やはり多勢に無勢。いつかは兵糧も尽いて、城内は飢餓地獄になる。

「降伏はせぬが、和議なら受ける」

 と、政実は答えた。やがて柴田明家と政実の弟の実親が城外で会談し、和議の約定を交わした。

「実親、豊臣は和議を受けたか」

「いかにも」

 しかし政実の顔は晴れない。敵勢が雪の到来に怯えているのは分かっている。和議と油断させて騙まし討ちをするのではないかと云う事を。

「兄者、懸念は無用です」

「なに?」

「お通しせよ」

 九戸城の城主の間、一人の武将が通された。

「貴公は?」

「柴田越前守明家にござる」

「そなたが!?」

 明家は政実の前に控え、丁重に頭を垂れた。

「豊臣参謀の柴田明家が自ら来ただと?偽者ではないのか」

 と、九戸諸将は疑った。しかし政実は一目で柴田明家当人と見抜いた。

「…なるほど豊臣が和議の締結を反故にしたら我が身を討てと」

 この柴田明家の九戸城人質を柴田諸将は猛反対したが、明家は政実を信頼させて和議締結の席に着かせるには重臣級が行かなければ無理だと思い決断した。かつて松永久秀も認め、そして武田攻めでは小山田家に岩殿無血開城させた明家の使者としての胆力、それを政実も見た。

「そういう事にございます」

「はっははは、なるほど虫も殺さぬ雅な風体と聞いていたが、胆力は噂どおりであるな」

「恐縮にございます」

「聞いて良いかな」

「何か」

「貴殿の父母は秀吉に討たれたと聞く。だが今そなたはその秀吉に天下を取らせるため敵城に単身乗り込むなどと云う危険を冒している。それは何故か」

「この城攻めを日ノ本最後の戦にしたいからです」

「日ノ本、最後の戦とな?」

「それがしは…戦が大嫌いにござる」

 九戸将兵は驚いた。戦が生業の武士が戦が嫌いと述べるとは信じられなかった。

「貴殿は初陣以来不敗と聞いている。あの上杉謙信を寡兵で退け、賤ヶ岳の合戦でもただ一隊、秀吉に勝ったと聞く。そんな男が戦が嫌いと?」

「それがしは養父に農耕を学んだとき、民と一緒に田植えに励みました。春夏秋、大騒ぎして冬にようやく稲刈りと言う時に、育てた稲穂が丸焼きにされました。敵方の焦土戦術にさらされたのです。あの時の悔しさは一生忘れない。民の汗と脂の結晶である稲穂がたった一度の戦で台無しにされるのを見てきたそれがしがどうして戦が好きになれましょうか。それがしが心ならずも戦うのは戦のない世を作るためです。父母の仇に仕えたのもその思いから。そしてこうして敵城に単身乗り込んできたのも、戦って落としてみちのくの人々の怨みを買い、新たな戦の火種としないためでござる」

 政実は明家の目をしばらく見つめ言った。

「うまく言えんが…貴殿が不敗である理由が分かった気がするな」

 城主の席を降りて明家の手を握る政実。

「よう分かりました。それがし城外に出て豊臣秀次殿と和議締結をいたそう」

「ありがとうございまする政実殿!」

 九戸政実と豊臣秀次が城外で合い、和議の締結が成されたのはこれから数刻後である。明家は九戸城内で幽閉されていた。しかし世に云う画牢であり、見張りもつけられず戸は開けっぱなし。逃げたければ逃げろと云うやりようである。政実は豊臣の和議が偽りであった場合は逃げろと云う意図であったのかもしれない。しかし明家は万一和議が偽りとなっても逃げる気はなかった。画牢の中で整然と座していた。しばらくして食事が出された。

「どうぞ」

「…貴女は食べたのですか?」

「え?は、はい、いただきました」

「嘘を申されますな。人質のそれがしに出されるより城内の方でお分け下さい」

「わ、私が父上に叱られます」

「それがしがそのお父上にお詫びしますゆえ、その膳は下げられよ」

「は、はい…」

 九戸家の娘はニコリと笑う明家の顔を見て、顔を真っ赤にしながら膳を持って画牢から出て行った。城の者に気遣うだけでは無い。明家は万一の毒殺も警戒したのだ。

「詫びるには及びませんぞ越前殿」

「おお、実親殿」

 九戸実親が明家に歩んだ。

「いけませんな、嫁入り前の我が娘の心を持っていくとは」

「は?」

「ははは、今しがた和議の締結が成されました。兄の政実も無事に戻り、豊臣は陣払いの準備を始め申した。貴殿を画牢よりお解きいたす」

「そうですか、良かった…」

「城外にお送りいたそう」

 豊臣と九戸の和議が成った。九戸政実は留守居に弟の実親を残して上坂した。そして政実は大坂へと行き、天下の情勢を知る。今にして思うと何て無謀な挙兵をしたかと背筋が寒くなった。

 政実は秀吉と謁見、ここで政実は降伏を述べて以後は豊臣政権の一大名として生き残る。北陸奥で一大勢力であった南部家はこうして津軽、南部、九戸と三家に別れてしまった。この経緯からか、この三家は犬猿の仲となったと云う。

 

 明家が京の聚楽第の柴田屋敷に帰ってきた。良人に抱きついて無事に帰ってきた事を喜ぶさえとすず。

「殿、お疲れなさいませ!」

「ああ!喜べ、もう戦はないぞ!この国に平和が来たんだ!」

「嬉しい殿…!」

「ずいぶんと留守にして寂しがらせたな。たっぷり女房孝行させてくれ。愛しているぞ、さえ、すず!」

「「愛しております殿…!」」

 屋敷に入る前から門前で睦み合う三人。供の小姓たちは恥ずかしくてたまらない。

 合戦から帰ってきた日は正室さえが良人を癒すと決まっていた。すずは翌日の睦み合いを楽しみにしつつ今日は退いた。甲冑を脱いで刀の大小をさえに渡す明家。

「聞きました。九戸城に単身乗り込んだとか」

「耳が早いな」

「殿…。殿は確かに今まで使者としても稀な働きをされた方です。しかし今後そういうのはおやめ下さい。私たちの身が持ちません。一歩間違えばあの世行きなのですよ。万一あらば私やすずがどれだけ悲しむか、それをお分かりならどうか…」

「…うん、今回のを最後にするよ。まあ天下統一はされたし戦はなくなったから望んだとしてもそんな機会はあるまい。安心してくれ。もう単身敵城に乗り込むなんて事はしないから」

「約束、げんまんです」

「うん、二度としない」

 明家はとさえと小指を繋げて約束した。そして抱き寄せて口づけをした。

 

 数日後、九戸政実が京の柴田屋敷を訪れて明家に会った。九戸城の戦いを敵の参謀の目から見てどう思うか色々と聞きたかった。柴田越前守明家は若いが智将して名を馳せている。九戸城内で会い政実自身も中々の人物と見ていた。その明家から意見や考えを聞いて今後に役立てたいと思ったのだ。

「越前殿は城の総攻めに反対されたと聞きますが」

「ええ、力攻めは無理と思いました。しかし総大将の秀次様には諸将の押し切りを退けられず、それがしも止める事かなわず、敵味方にいらぬ犠牲を出しました」

「総攻めを止めてより、何か策はござったのか?」

「実は一つだけ策がありました」

「ほう」

「和議締結前、豊臣陣は九戸城内にはもう兵糧が尽きかけている事は承知していました。それでそれがしが考えた城攻めの策は」

「ふんふん」

「中央に内乱発生と九戸城内に偽情報を流し、そして退却します。無論これは偽りの退却、あえて荷駄をさらしおびき寄せようとしました。政実殿なら追撃に出て敵勢を蹴散らすに至るまで欲張らずとも、兵糧は奪おうとするのではないかと考えました。しかし荷駄隊は偽隊、鉄砲をもって迎撃する。そして手薄になった城に攻め込み、あとは追撃してきた九戸勢を伏勢で殲滅する。こういう策を考えました」

 背筋が寒くなった政実、もしそれを実行されていたらどうなっていたか分からない。確かに兵糧が尽きかけていたあの時、敵方に退却あらば追撃に出て、敵を蹴散らすまで欲張らずとも荷駄を狙う事は考えたかもしれない。

「な、なぜそれを実行しなかったのでござるか?越前殿は鎮定軍の参謀であったのだろう。その策を進言すれば全軍がその作戦を執っていたはず」

「人間は敵にもなれば味方にもなります。できれば無用な犠牲は出さず降伏させたい。そう思っただけです」

「…」

「それに伝え聞いていた政実殿は何かこう…それがしの父によう似ていましてな」

「お父上…。柴田勝家殿にそれがしが?」

「はい、今こうして対していても、何か亡き父を見ているようです」

「よされよ、それがしなど勝家殿に比べれば小僧も同じ」

「ははは、父の勝家もそれを聞いて喜んでいましょう」

「しかし、あの当時はもう城外も凍てつく寒さ。退却は考えませなんだか」

「そうですね、あの和議申し入れがギリギリの頃合でした。しかし退却は結果を待っても遅くはございませんでした。それがし降伏は無理でも和議は受けると思っていましたから」

「もし我らが和議さえ受けなかったら?」

「それは考えていませんでした。政実殿は数度豊臣の総攻めを退けています。九戸の武門も、かつみちのく武士の面目も立てたとそろそろ思っているのではないかと見ましたし、現実城内には兵糧もない、降伏は無理でも和議なら受けると思ったのです。その後に中央に来れば考えは変わる、今は和議で十分と考えたのです」

「戦わずして勝つ、と云う事でござるか」

「まあ少しの小競り合いはありましたが、そういう事です。その方が楽ですし」

「なるほど、恐れ入りましてございます」

「何より、その後の統治は今までその地を治めていていた者が行う事が一番良いですから。たとえ九戸の地を取っても一揆が乱発していた事でしょう。また鎮定に出向かなければならず、いつになっても戦のない世は参りません。だから和議を入れて下された時は本当に嬉しかった」

「越前殿…」

「みちのくは良いところです。良いところですが一つ不利な事がございます。それは都からあまりに遠いと云う事です。だからそれがしは政実殿が中央の事をよく把握していなかったから挙兵に至ったと思ったのです。失礼ながら挙兵したと伺った時、それがしには九戸政実と云う武将が源頼朝に滅ぼされた藤原泰衡に重なりましてございます」

「一歩間違えればその通りとなっていたでしょう」

「でもこうして、共に戦のない世を迎える事が出来ました。これも政実殿が一時の恥を受け入れ、和議に同意してくれたからにございます」

「今度、ぜひ越前殿を国許に招待したいと存ずる。みちのくの海と山の幸、それを馳走したい」

「それは嬉しい」

「また、みちのくの女子も良いですぞ。越前殿なら笑顔一つで身持ちの固いみちのく娘もイチコロかもしれませんな。現に我が姪をすでに落とされたとか。あっははは!」

 こうして柴田明家と九戸政実は親子ほど歳の差があったが胸襟開く朋友となった。この日より数日後に政実は知った。実は政実が和議を受けて城外から出てきたら殺し、かつ城内の者たちを皆殺しにする話も軍議に出ていたのだ。(史実では実行されている)

 それを一喝して止めたのが明家である。

『この戦が関白殿下の天下統一最後の合戦となるのに、敵勢すべて皆殺しにすれば怨嗟を買いみちのくの者は未来永劫我らを許さず、必ず新たな戦を生むぞ!どうしても九戸勢を皆殺しにしたくば俺を殺してからやれ!』

 そう言って明家は九戸城に乗り込んだのである。つまり明家にとってまさに賭けであった。秀次が約定を反故にしないと云う保証はどこにもなかったのである。その後の軍議では最後の戦であるからこそ敵勢皆殺しが天下統一を成し遂げた証となる、と云う話も出た。それを止めたのが伊達政宗であった。

『みちのくの武士として越前殿の覚悟を無にする事は父祖に申し訳が立たない。第一関白殿下の城攻めはやたら敵を殺さず降参させようと云うものではなかったのか。天下統一が成る最後の戦であるのならば、尚のこと関白殿下の方法を貫き通すべきである』

 この政宗の意見に諸将は一言もなく、豊臣と九戸の和議が成ったのである。

 そして秀吉も明家と政宗の言葉を伝え聞き『越前と政宗はよう分かっている』と言った。明家は政実に偽りの和議工作を一喝して退けた事を一言も言わなかった。政実が後に礼を述べた時も『そんな事を言いましたかな、覚えておりませぬ』と言い、恩に着せようとしなかった。

 すっかり明家に惚れこんだ政実は秀吉に『ぜひ越前殿のご息女を当家の亀千代の嫁としたい』と申し出た。亀千代は政実が四十八歳になってようやく授かった嫡男で当年七歳。(史実では九戸城落城前に脱出して捕らえられ斬首)

 明家には娘が二人いた。さえが生んだ鏡、すずが生んだ舞である。明家は当年五歳の長女の鏡を九戸家に嫁がせる事を政実に約束した。秀吉は許し、話はトントン拍子で進み、これより七年後に鏡姫は亀千代に嫁いでいく事になる。政実は姪の美智姫を側室にどうかと明家に言ったがさすがにそれは拒否したらしい。恋破れた美智姫はあきらめて九戸の若者に嫁いだが後年に明家の茶飲み友達となっている。

 

 さて、豊臣秀吉は天下統一した。隠居していた黒田官兵衛、今は黒田如水と云う名であるが、天下統一を成し遂げた祝辞を秀吉に述べに国許から聚楽第にやってきた。秀吉は愛息鶴松を抱きながら

『ん、大義』

 と、素っ気無かったと云う。如水は特に不満も言わず聚楽第を後にして、翌日には国許に帰るつもりであるが、彼は明家を訊ねた。秀吉と違い丁重にもてなす明家。二人で茶席を共にした。

「明日にはもう豊前に?」

「左様、もう京や大坂にはそれがしの居場所はござらぬゆえ」

「かような事は…」

「思えば中国大返しの時でござった。備中高松城を包囲していた時に突如訪れた悲報、信長公が光秀に討たれたと知り嘆き悲しむ殿に『御運が開けましたな。天下をお取りあそばされ』と言ったのがそれがしの前途を閉ざす事と相成った…」

 秀吉はその言葉を聞いたとき、異様な目で官兵衛を見た。官兵衛に本心を見通された事に恐れを抱いた。官兵衛は『しまった』と思ったが後の祭りである。それからしばらく経った大坂城での出来事、秀吉は家臣との雑談で

『儂が死んだら誰が天下人となろう』

 と問いかけた。最初はみな『秀次様』と言ったが、秀吉は器量の事を聞いている。その点から誰が天下人になるかと再度聞いた。家臣たちは『徳川殿』『前田殿』『毛利殿』と言った。しかし秀吉は

『天下人になれる者は二人いる。柴田明家と黒田官兵衛だ。両名とも器量大きく思慮が深い事は天下に比類ない。もし二人が天下を望めば容易い事であろうよ』

 官兵衛はそれを聞き、

『我が任は終わった』

 と言い、嫡子長政に家督を譲り隠居し如水と号した。一方明家も秀吉の言葉を伝え聞き呆然とした。明家は如水と違い隠居に逃れる事は出来ない。竜之介はまだ幼い。自分で秀吉の警戒を解くしかないのだ。以後それに励み続け、何とか今まで排斥されずに済んでいる。

「『狡兎捕らえて走狗煮られる』と云う。敵がいる間は優れた家臣は大事にされるが天下統一後には粛清が待っている。だから儂は隠居した」

「……」

「貴殿の子息の竜之介殿はまだ幼い。もう少し越前殿が踏ん張るしかござらんな」

「はい」

「天下を統一して豊臣には敵がいなくなった。しかも越前殿は大坂と京にも近い丹後若狭の国主、煮られぬためにはそれがし以上の配慮が必要でございましょう」

「言われるとおりです。それがしがただの雇われ武将なら、とうに豊臣家から出て行っているでしょう。しかし何千何万の家臣と領民を預かる身として唐土の范蠡(ハンレイ)に倣う事もできません」

 范蠡とは中国の春秋時代に越王勾践の側近中の側近で、勾践を春秋五覇に至らせる働きをする。しかし大願成就の後、だんだん傲慢かつ猜疑心の強くなってきた主君勾践を見て、范蠡は越国を出て行ってしまった。范蠡は知人に出した文の中で

“『飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる』とあります。主君勾践と苦難を共にできても、歓楽は共に出来そうにない”

 と書き残した。その後に范蠡は商人として成功しているが、移住した国である斉も范蠡の事を伝え聞き宰相として召抱えようとするが彼は名が上がりすぎるのは不幸の元と財を貧しき人に分け与え、斉から去った。その次に移住した陶の国でもまた范蠡は商人として成功する。その後は息子に店を譲って悠々自適の生活を送り、穏やかな晩年を迎えたと云う。中国では理想的な出処進退と言われている。明家はこの范蠡に倣いたいと思う。この国から戦がなくなったのなら自分の大望は成った。如水と同じように我が任は終えたと身を退きたい。しかし立場上許されない。家臣たちの暮らしが成り立つのも自分が豊臣家で働くからこそ。我が身の安泰を図り逃げるのは自分勝手である。

「蜂須賀小六殿が亡くなり、秀長様も亡くなられた。もう君臣上下に睨みを利かせられる者はいなくなりました。言うに心苦しいですが天下統一を成したと云うのに豊臣政権は実に危なっかしい…」

 と、明家。

「関白殿下のやり方を見ていると二代は続きますまい」

「如水殿…」

「殿下は農民から成り上がり、昔の同僚、あるいは上役や縁故者を従えているため“打ち上がり威高くしては、人親しまず”と云うわけで、気軽身軽に諸大名の屋敷や町家などにもチョコチョコ出かけていく。何事につけても親しみ、なつくようにして暑さ寒さに応じて各々に言葉をかけ、ご馳走などをし、金銀宝のものなどもポンポンやってしまう。人は関白殿下の元へ集まりましょう。人たらしなどと云われる由縁でござる。

 しかし天下を取り仕切る時になっても給料はどんどん加増する。儂や小六殿、秀長様もずいぶんと諌め申した。『殿下ご自身が行儀正しくなり、威厳を高め、信直をもって治め直されよ』と何度も諌めたが殿下はお聞き入れくれなかった。

 加増うんぬんにより、大ていの者は命令に背かないが欲が先に立ってしまって本当の真実をもって仕えているかどうかは疑わしい。だが関白殿下ご一代ならば、その身についている果報と云い、武勇の誉れと云い申し分ないから、どんな風にやっても治まるでございましょう。ところが二代目になると関白殿下のようにやっていると乱が起こる。二代目は武功もなく威厳もないから人はこれを軽く見る。そこで威張った事をしてみせると関白さえあんな気軽な風だったのに、なんだあんな威張りやがってと不満を言う者も出ます。オマケに禄も金銀宝も先代のように分かち与える事も出来ないゆえ、何につけても親しむ事はなく、背心が起こるのは自然の成り行き。二代は続くまいと思います」

「如水殿…。貴殿は関白殿下を」

「お見限り申した」

「……」

「さて、そろそろお暇しなければ、そうそうこれをお渡ししようと思っていました」

 如水は重箱を入れている包みを明家に差し出した。

「…?何でござろう」

「朝鮮人参にござる。それがし自身が畑で作りましてございます」

「これは嬉しい、ありがとうございまする!」

 重箱の中には何本もの朝鮮人参が入っていた。

「思えば伊丹城でお救いして下された御恩をお返ししておらなんだので。かと申して家督を息子に譲った今はこんな物しか贈れませぬでな」

「とんでもない、実に素晴しい朝鮮人参でございます。大事に使います」

「お受け取り下さり、かたじけのう。それではそれがしこの辺で」

 夕暮れの中で如水は去って行った。屋敷の門前で如水の背を見る明家。

「蜂須賀殿、秀長様が他界され、そして如水殿は殿下を見限った…。豊臣家はこれからどうなるのであろう。どうして戦のない世が来たのにこんなに不安なのだ…」


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