天地燃ゆ   作:越路遼介

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決断

「う、うう…」

「殿、殿!」

「…ハッ」

「お気づきですか…!良かった…」

「天鬼坊…」

 ここは備中国の高梁川ほど近くの山中。山のふもとでは敵兵の叫びが聞こえてくる。

「ここは…」

「高梁川南東の上島山にございます」

「そうか…吉川元春に殺される寸前、助けてくれたのだな…」

「御意」

「礼を申すぞ天鬼坊…」

「家臣なら当然の務めにございます。ですが…」

「…なんだ?」

「申し訳ござらぬ、奥方はお救いできませんでした。殿と若君、そして美酒姫様だけで精一杯でした…」

「そうか…」

 男は、そばでスウスウと眠っている姫を見た。天鬼坊も、その部下たちも負傷していない者はいなかった。

「夢、破れたりか…」

「殿…!」

「至らぬ主君ですまぬ。そなたたちほどの忍びなら大大名にも重用されたろうに…」

「かようなお言葉聞きたくございませぬ。我ら羅刹衆、山中鹿介様に惚れてここまでご一緒してきたのでございます」

「かたじけない…。我には過ぎた部下たちよ…!」

 主人の言葉に感涙してすすり泣く声が聞こえた。

「とにかく、ここにいてはいつ敵に見つかるか分かりませぬ。備中を出ましょう」

「備中を出てどこに行くと云うのだ」

「京に参りましょう。京ならば中央の時勢をすぐ知る事が出来まする」

「まだ…俺の夢に付き合ってくれるのか!」

「「無論にござる!」」

「尼子家の再興!まだ勝久様の姫がここにおる!あきらめぬぞ!」

「「ハハッ!!」」

 山中鹿介の一行が京にたどり着いた頃、それは柴田勝家が加賀に攻め込み、羽柴秀吉は備中に攻め込み、そして水沢隆広は織田信忠の寄騎として武田攻めに加わっていたあたりだった。もう織田を頼るつもりは無い。徳川は織田に尾を振り、北条家の当主氏政は優柔不断と評判だった。武田も風前の灯。鹿介の部下たちが庇護を頼むに値するのは上杉と勧めた。しかし鹿介の意見は少し違った。彼はこれから台頭してくるかもしれない大名にしようと思っていた。

「これから台頭する大名にございますか?」

「そうだ天鬼坊、毛利の軍師である安国寺恵瓊が面白い事を言っている。遠からず信長は転がり落ちるとな、俺もそう思う。それに乗じて台頭する大名が必ずいる」

「その大名を頼ろうと?」

「いや、台頭が出来たと云う事はすでにその大名には優れた家臣がたくさんおろう。今ごろ尼子の再興の庇護を頼んでも断られるだけ。しばらくは情勢を見て、これはと思った人物を御輿とする。俺は彼に仕え、そして信頼され、尼子の再興を要望する。大勢力だった信長に庇護を頼んだら捨て殺しにされた失敗を生かさなければな。小さい大名で良い。今度は俺自身が庇護してくれる大名を支えて、尼子と共に大きくするつもりでなければ駄目だ」

「そこまで言うには…だいたいその目星はつけておられるのでは?」

「ん?いや正直ない」

「まことに?」

「もしかしたら…と思う器量の若者がいるにはいるがな」

 山中鹿介はそれ以上答えなかった。そして安国寺恵瓊の予言は当たり、鹿介が京に入りしばらくして本能寺の変が起こった。織田信長は配下の明智光秀に討たれ、その明智光秀は羽柴秀吉に討たれた。

 その後の織田家の政権争いに柴田勝家と羽柴秀吉が激突した。その賤ヶ岳の合戦を鹿介はつぶさに観察した。そして決断した。鹿介の配下は『秀吉か?』その配下の『黒田官兵衛か?』と尋ねた。だが鹿介が選んだ主君は意外な人物だった。

「我らは柴田明家殿にお仕えする」

 鹿介の部下たちはあぜんとした。その柴田明家は賤ヶ岳の合戦で負けた柴田勝家の息子である。今度こそ勝ち馬にと思う鹿介家臣団は、のっけから敗者に加担しようとする主人の決断に驚いた。しかし共に賤ヶ岳の合戦を見ていた天鬼坊は

「さすがの慧眼にござる」

 と主人を褒め称えた。柴田明家率いる柴田の殿軍部隊は敗北した柴田軍の中で、ただ一隊羽柴軍に勝った部隊だった。大軍で寄せてきた羽柴に対して殿軍に立ち、寡兵ですさまじい抵抗を見せた。加藤清正、福島正則ら賤ヶ岳七本槍も敗走し、山内勢、黒田勢も突破した。また特筆すべくは、兵の疲労程度を見て、かつ勝家の退却時間を稼いだと見込んだ明家は勝っていたにも関わらず退却した。退却は進軍より難しい。だが明家の用兵術で殿軍部隊は一つの生き物のように統率されアッと云う間に羽柴軍から退却した。混乱した羽柴勢が追撃する部隊を整えた時にはすでに追いつけない場所まで明家軍は退却していたのである。黒田官兵衛をして

「あれがまだ二十二の若者の采配とは信じられぬ」

 と言わしめた。まさに明家は羽柴秀吉に勝ったのである。柴田明家の突撃は羽柴秀吉軍を震え上がらせたのであるから。

 

「まさに尼子経久公を彷彿させる戦ぶり、我らの命を預けるに相応しい方と天鬼坊も思いまする」

「また、俺と明家殿は松永弾正を討伐する合戦で陣を同じにして、俺を友と思ってくれている。何とも粋な偶然だ。今から柴田が羽柴に逆転するのは不可能だ。だからこそお味方して、何とか柴田と羽柴の戦で死なせず生き延びさせる。秀吉の性格なら、あそこまでの武将の才能を惜しむ。何とか家臣にと思うだろう。だが困った事に明家殿の性格がそれを受け入れるとは思えん。俺はそれを何とか説得して、羽柴の配下大名となっていただこう。明家殿はまだ御歳二十二のお若さだ。しかもあの才!俺も武将としての才能には自負するものがあるが、とうてい敵わぬ。これからいかように化けるか分からん。我らの大望、柴田明家と云う駿馬に賭ける!」

「「ハハッ!」」

 

 柴田勝家と羽柴秀吉が戦った賤ヶ岳の合戦、ここで柴田明家の父であり主君である柴田勝家は敗れ、その後に炎上する北ノ庄城で妻の市と共に自決して果てた。佐久間盛政は羽柴軍に捕らえられた。浅野長政に

「鬼玄蕃とも言われたお前が、なぜ敗れて自害しなかったのか。柴田の敗因を作った身で見苦しい」

 と嘲笑された。盛政は答えた。

「源頼朝は大庭景親に敗れた時、木の洞に隠れて逃げ延び、後に大事を成したではないか。再起をあきらめなかっただけだ。再び伯父の勝家と共に羽柴に挑み勝つために」

 と言い返した。これには羽柴将兵も一言もなく、浅野長政は失言であったと詫びたと云う。秀吉は盛政の武勇絶倫を高く評価しており、重用するので家臣になれと強く誘ったが

「主君勝家を敗北に追いやりながら、どうして羽柴に仕えられようか。羽柴殿に武人の情けがおありなら、速やかに我が首を刎ねられよ」

 盛政の気持ちは固く、あきらめた秀吉は盛政を斬刑にした。佐久間盛政、享年三十。辞世『世の中を廻りも果てぬ小車は火宅の門を出づるなりけり』

 辞世を書き終えた時の佐久間盛政の言葉が伝わっている。

「しょせん、夢である」

 

 府中三人衆の一人、不破光治はすでに没して子の直光は佐久間盛政と共に奮戦したが敗れた。生き残ったが、その際に明家の義弟である不破光重が散った。柴田家の勇将ことごとく討ち死にし、前田利家と金森長近は戦線離脱。

 佐々成政は上杉軍への備えのため越中を動けなかった。この先にどんな岐路を取るのかは不明である。柴田勝豊は合戦中に病で死んだ。最期の瞬間まで秀吉に寝返った事を後悔していたと云う。せめて自軍が柴田の若殿に蹴散らされたと云う事を知らないだけ幸せであったのかもしれない。

 明家のよき理解者でもあった可児才蔵は信長の命令で織田信孝の寄騎となっていた。この賤ヶ岳の合戦以後は羽柴秀次に仕える事となる。

 

 話は戻る。北ノ庄城が落ちたと知る鹿介一行、その後に明家が逃げ落ちたのが北ノ庄の北に位置する丸岡城。柴田明家の居城である。北ノ庄城を落とした羽柴秀吉は明家の篭る丸岡城に迫った。鹿介一行は、日本海から迂回し、南からくる羽柴軍とは別に北から落城の運命が待つ丸岡城へ向かった。

「も、申し上げます!」

「どうした矩久」

「ハァハァッ!」

「どうした落ち着け、羽柴軍がもう姿を現したか?」

「お、御大将、援軍です!日本海を経て、北側から兵糧も持って来て下されました!」

 城主の間にいた奥村助右衛門、前田慶次は驚いた。いま柴田に味方する勢力など日本中どこにもない。海からと云う事で一瞬若狭水軍かと思ったが、それはありえない。賤ヶ岳の合戦で若狭水軍は羽柴軍に滅ぼされてしまい、松浪庄三も討ち死にしていた。しかし援軍は来た。

「兵はわずかなれど!今、城中の者は感激して出迎えております!」

「い、いずれの方だ?」

「山中鹿介様にございます!」

 その報を聞いて明家は城を出て、城門に駆けた。

「山中様!」

 明家が出てくると、鹿介一行は明家に頭を垂れた。

「お久しぶりにございます明家殿」

「い、生きておられたか!」

「はい、生き恥をさらしております」

「何を言われる…!」

 明家はもう涙で鹿介の顔がよく分からない。頭を垂れる鹿介の手を握った。

「ようご無事で…!」

「明家殿も」

「殿、それがしを忘れてもらっては困りますぞ」

「直賢!そなたもよう来てくれた!ではこの兵糧も物資も」

「はい、手前で用意させていただきました。しかし物資を用意しても、運搬の手立てがございませんでした。どうしたものかと敦賀で思案していたところに山中殿が来てかような次第に」

「そうであったか…」

 山中鹿介の忍びの天鬼坊は、鹿介に仕える前は越前朝倉家の武将である萩原宗俊に仕えていた。萩原宗俊は直賢の妻である絹の父。ゆえに天鬼坊と直賢は面識があり、鹿介と直賢の援軍出向は円滑に進んだのだった。敗北が分かりきった城に援軍に来た山中鹿介。それが明家たちに及ぼした感激は計り知れないものだった。

 

 だが、羽柴の猛攻はそんな感傷にひたるゆとりもない、数日後には羽柴勢は到着した。丸岡城には兵糧と水だけは十分にあったが、しょせんは多勢に無勢である。しかし明家は寡兵を指揮してよく戦った。

 丸岡で善政をしいていた明家を慕い、領民たちも城に入り徹底抗戦。女たちも御台のさえ中心に懸命に戦った。この時の秀吉には得意の兵糧攻めをする時間的な余裕はなかった。総攻めを敢行したが明家軍は五度もそれを退けた。

 戦国時代、もっとも女が活躍した篭城戦と呼ばれる丸岡城攻防戦、茶々、初、江与は戦闘中に必死に給仕に励んだ。家臣の女房たちは城壁に登る者には煮え湯を浴びせ、矢を射て、そして鉄砲も撃った。慶次の妻の加奈は得意の冨田流小太刀免許皆伝の腕前を発揮し、夫の慶次顔負けの活躍で、明家の側室すずは再び忍び装束をまとい、不自由な体を奮い立たせ、馬に足を縛り付けて明家と出陣。親友の舞の弔い合戦と言わんばかり、かつて上杉謙信三万の腰も退かせた必殺の苦無を放ち続けた。『柴田の女は女にあらず』とこの後言われる事にもなる由縁だ。

 無論、男たちも負けていない。明家の采配に従い暴れまくった。明家軍は前田慶次を陣頭に秀吉本陣に迫る突撃をしている。しかし、この戦いで明家の家令である吉村監物は討ち死に。その妻であるさえの伯母八重も流れ弾に当たり命を落とした。

 

 柴田明家は降伏を潔しとしない。家臣やその家族も誰も降伏をクチにしない。現代風に云えば明家の傑出したカリスマ性がそうさせているのだろう。柴田明家軍は滅びの美学へと一直線に進んでいる。降伏を勧めるために援軍に来た山中鹿介であるが、士気はまだ高く、今は言ってもムダと読み取り、あくまで援軍の将として戦い続けた。

 力攻めと降伏勧告同時進行で城攻めをしていた秀吉であるが明家の想像以上の抵抗に手を焼き力攻めは断念。やむなく兵糧攻めに切り替えた。

 明家軍の数度の突撃はあったが、備えを固めていた羽柴勢を突き崩すには至らず、そして徐々に兵糧の底が見え出した。さしもの明家軍も士気が下がりだす。

 

 前田利家が使者としてやってきた。明家の両翼である奥村助右衛門と前田慶次は元来前田家の出身である。秀吉の使者としてやってきた旧主をどう思っただろうか。

「筑前守の口上を申す。『全員助かるか、全員死ぬか、どちらを選べ』以上にござる」

「……」

 無言の明家。その言葉に対して慶次が答えた。

「叔父御、我らを皆殺しにする時は羽柴全軍が道連れにされると思われよ」

 慶次を一瞥し、利家は明家に言った。

「勝家様を裏切りし儂が憎いか」

「息子のそれがしが利家殿を怨めば、父の名に傷が付きます。それだけにございます」

「府中に訪れた勝家様は『秀吉に尽くせ』と申して下された。その言葉を聞いた時、儂は恥ずかしくてたまらんかった。どう後悔しても始まらんが賤ヶ岳の撤退、儂は悔いておる。だが今は時勢から秀吉に付くしか前田の生き残る道はない。明家、そなたも一時の恥を入れよ。今は生き残る事だけを考えよ」

「若い我が主につまらん処世術を吹き込まないでいただきたい。害になるだけにございます」

「何とでも申せ助右衛門!明家、死ぬのならばどうして北ノ庄で死ななかった。お前は生き抜くと決めていたからであろう!」

「……」

「お前は勝家様とお市様の息子、父母の無念を晴らす為に生き抜くと決めたからお前は北ノ庄で死ななかったのだ。今ここで死ねばどうなる。あの世の父母にどのツラ下げてまみえると言うのか!お前はよう戦った。羽柴陣にはさすがは鬼権六のせがれと感嘆している者も多い。いま降伏しても何の恥もないぞ!」

「帰って下さい利家殿」

「明家!」

「確かに仰せの通りです。しかし…だからと言ってハイそうですかと割り切れるものではないのです。分かって下さい」

「…分かった。今日は引き揚げる。秀吉から文を預かっている。置いていくぞ」

「はい」

「明家、儂はあきらめない。せめて勝家様とあの世で会った時に顔向けできるよう、儂はお前を助けたいのだ!たとえ儂個人の良心の呵責ゆえと言われようがな…」

 

 前田利家は去っていった。明家は秀吉の文を読んだ。そして驚いた。秀吉は文で幼き日の柴田明家と岐阜の酒場で会った話を切り出したのだ。明家はあの時の男と秀吉が同一人物とこの時初めて思い出したのである。

『くそったれ!一国一城の主になってやる!』

 と、岐阜城下の酒場で叫んでいた変な男。子供心にそんな壮大な男の野心に憧れを抱いた。

『すごいやおじちゃん!その時は俺を家来にしてよ!』

 思わずそう言わずにいられなかった。変な男は自分を気に入ってくれたのか飯を腹いっぱい食わせてくれた。

「あのお方と羽柴様が同一人物だと…!」

 そして分かった。なぜ秀吉が柴田勝家の家臣の自分にあれだけ親切にしてくれたか。秀吉が幼き日の柴田明家と交わした約束を忘れていなかったからである。明家の気持ちは揺らぐ。助右衛門、慶次、そして山中鹿介もその文を読んだ。まさか主君明家と敵将秀吉にそんな邂逅があったとはと驚いた。

 秀吉は以前から、明家の行政官や武将としての才能を愛しており、かつ幼き日の明家に家来にしてやると約束していた。柴田勝家の嫡男と云う事はすでに知っている。だから明家に降伏を呼びかけ厚遇を約束するのは異例中の異例である。敵の総大将の嫡男は殺すのが当時の武家の定法だからである。秀吉は『岐阜の城下の酒場にて、お前を家来にしてやると約束した。それを果たさせて欲しい』敵軍総大将の嫡男を家臣として迎えると云う異例を秀吉が施したのも、この時の約束ゆえだろう。明家に降伏を決断させるのは今と、鹿介は話を切り出した。

「よほど、明家殿の才が欲しいのでしょう。まして昔にかような良き出会い方をしているとなればなおの事」

「山中殿…。昔は昔、今は今、羽柴秀吉は我が父母の仇にございます!」

「ですが…ここで死んでもご父母の仇はとれませんぞ」

 明家の横にいた奥村助右衛門、前田慶次は城をまくらに討ち死にもいいと思っていた。しかし、あえて自分の主張は通してはいけないと思った。明家の肩には家臣たちは無論、非戦闘員の女と子供と年寄りの命がズシリと乗っている。

「人間五十年、羽柴筑前は四十五、明家殿は二十二、生きてさえいれば、いかようにもまだご父母の仇を取れる機会もございましょう」

「……」

「よう戦いました。誰に恥じる事がございましょう。ご自分を慕いついてきた弱き者を守るため、この一時の恥を受け入れられよ。胸をはって秀吉の降伏勧告を受け入れられよ」

「山中殿…」

「我ら一党はかつて秀吉に捨て殺しにされ申した。その秀吉に敗れる。悔しいのは…それがしとて同じでござる」

「クッ…」

 明家は無念の涙をポロポロと落とした。奥村助右衛門、前田慶次も無念に拳を握った。明家が降伏を決断した時、丸岡城は涙の雨に濡らされた。妻子のいる部屋へと行った明家。三歳の竜之介の寝顔を見つめる。そして妻のさえに静かに言った。

「さえ」

「はい」

「俺は羽柴秀吉に降伏する」

「……」

「すまん」

「何で…謝るのですか」

 さえの父、朝倉景鏡は羽柴秀吉の調略により朝倉家を裏切り、主君義景を討った。秀吉はその手柄で出世したが、景鏡はそのまま捨てられた。景鏡が一向宗に攻め込まれた時、誰も援軍には出ていない。さえの父は秀吉の立身出世に利用された挙句見殺しにされた。さえにとって秀吉は父の仇と同じ。夫婦揃って秀吉が親の仇である。夫の明家はその仇に膝を屈する事を妻に詫びている。さえにもそれは分かる。

「殿の方が私の何倍も悔しい思いをしている事くらい分かります…!」

「さえ…」

 二人は抱き合い、そして悔し涙を流して泣いた。城中に降伏が伝えられると一斉に泣き声が上がった。無念の涙だった。

「さえ、俺はこの悔しさを一生忘れない、忘れるもんか!」

「私も忘れませぬ…!」

 

 翌日、明家は前田利家を通じて秀吉に降伏を表明。使者は奥村助右衛門と吉村直賢が立ち、その後に明家自らが秀吉本陣に赴いて降伏を申し出た。秀吉はこの英断を喜び、明家の手を握り『戦場のならいとはいえ、父母をあやめたこと済まなく思う。そなたを重用する事により、わずかでも償いとしたい』と延べ、さらに『半兵衛が戻ってきてくれた』と明家をギュウと抱きしめた。秀吉にはそれだけ明家が欲しい人物だったのである。

 

 それを丸岡城の天守から見守る山中鹿介。

「山中殿」

「前田殿」

「貴殿が丸岡に来られたのは…殿に降伏を決断させるためでござろう」

「いかにも」

「そのために…負けると分かりきったこの城の攻防戦に加わったのでござるか」

「ちゃんと下心はあり申す。尼子の再興、明家殿にご協力を願いたいからにございます。それを実現させてくれるお方は明家殿以外にない。だから恥をしのんでも生き延びてほしかった」

「なるほど…」

「合戦には勝ち方と負け方がある。それを誤ると我が身を滅ぼす。身をもって知っていますからな。アッハハハハ」

「いや感謝しておりもうす。我ら二人は柴田家と大きく関わっている。勝家様を討った相手に『降伏を』と、殿に申せなかった」

「立場が逆ならそれがしも同じでござるよ。礼には及びませぬ」

「このまま、当家にいて下さるのですかな?」

「それは明家殿次第にございます。今の我らは援軍で、家臣ではござらぬゆえ」

 

 それからしばらくして秀吉は論功行賞を行った。そして柴田明家を若狭の国主にする事を発表した。降伏してきた将が国主、これは破格である。元々明家は丸岡五万石の大名であるが若狭一国では一気に三万五千石の加増である。

 当然、羽柴軍には不満が立ちこめた。しかし賤ヶ岳と丸岡城での柴田明家のすさまじさは誰もが認めていた。羽柴勢で明家に勝てた将は誰もいなかった。優れた武将を召抱えたのなら厚遇するのは当たり前の事である。譜代の臣を持たない秀吉にとって過去に良き出会い方をしており、かつ智勇備えた明家はどうしても欲しい男であった。

 何より明家は竹中半兵衛と性格が似ている。出世に仕えず仕事に仕える男である。野心はなく創造的な仕事に自分の意義を見出す王佐の人。たとえ自分が父母の仇であろうと、謀反を起こして報復をするような短慮者でもない。士として遇すれば裏切らない。明家の養父と実父はそういう性格をしている。人間通の秀吉は明家の性質を理解していた。

 だからこそ最初に厚遇を示す必要があるのである。無論、新参の身で、降伏してきた身で、と羽柴の同僚には嫉妬の念が明家に向けられるだろう。だがそれで潰れるのならそれまでの男と云う事である。兄の意図を察していた羽柴秀長が古参の不満を上手く鎮めた。丸岡は召し上げとなったが柴田明家は若狭国主となった。石高八万五千石の大名となったのだ。

 

 しかし秀吉もそう甘くない。明家から人質三人を要求している。妹の茶々、初、江与である。しかも茶々は側室としてである。当然明家は拒否した。若狭はいらないから妹を取り上げないで欲しいと必死に懇願したが秀吉は聞かなかった。

 あまりにしつこく妹の変換を要求するので秀吉は初だけ返した。しかし茶々と江与を返そうとしなかった。明家はあきらめない。父母の仇の側室になっては、あまりにかわいそうで、何より死んだ父の勝家と母のお市に合わせる顔がない。明家は恥も外聞も捨てて秀吉に妹の返還を頼んだ。

 しまいには泣く泣く正室のさえを人質に出すから妹は取り上げないで欲しいと要望した。夫の気持ちを察し、さえもこれを受け入れるつもりだった。しかし秀吉は譲らなかった。茶々はお市と容貌が似ている。絶対に返したくなかった。

 このままでは兄は強硬手段に出る、ついには見かねた妹二人が『受け入れる』と兄に述べて事なきを得た。茶々と江与は高禄まで辞し、そして愛妻のさえを身代わりにしてまで自分たちを取り戻したいと思う兄の気持ちが嬉しかった。実兄と分かる前から明家を思慕していた姉妹たち。いっそ羽柴家に深く関わり、兄を支えよう、そう腹を括ったのである。

 

 とにもかくも若狭一国の国主となった柴田明家。これからは秀吉が主君である。明家は考えた。このまま柴田姓で良いものであろうかと。柴田は羽柴にとって仇敵である。それを名乗っているのは色々と支障があり、何より降伏した自分は父勝家の家名を名乗れないと思い、明家は水沢隆広に名を戻そうとした。しかし秀吉はそれを知るや

「ならん、そなたにとって水沢姓もまた大事であろうが、柴田勝家の嫡男と云う誇りを捨てる気か。儂がどうして羽柴と云う柴田殿の一字を貰い受けたか知らぬそなたでもあるまい。儂と権六殿は個人的に仲も悪かったのは確かだ。世間一般は儂と権六殿が初対面から犬猿の仲と思っているようだが違う。後に不仲になったものの、笑って酒を酌み交わした事もあるのだ。皮肉にも信長公亡き後に戦ったが別に権六殿を憎くて戦ったのではない。つまらん気を使うな。堂々と柴田を名乗れ」

 と言ったのだ。明家は秀吉の言葉が素直に嬉しかった。今後も彼は柴田明家と名乗っていく。

 

 破格の待遇、柴田明家は羽柴家の寄騎大名となった。八万五千石には及ばないが、同じく破格に禄が上がった加藤清正や福島正則を初めとする賤ヶ岳七本槍は明家を祝福し、羽柴の幕僚入りを歓迎した。賤ヶ岳と丸岡城における明家のすさまじさを見て彼らは明家を認めていた。年齢も近いため素直に同僚になったのが嬉しかった。だが山内一豊は屋敷で愚痴ッていた。

「これではもう明家殿と親しく付き合えぬ。降伏してきた彼が八万五千石の厚遇を得て、かつ虎之助(清正)が三千石、市松(正則)が五千石の加増だぞ。儂などたったの五百石!秀吉様は理不尽すぎる!」

「……」

 一豊のグチを聞く妻の千代。

「勘違いするなよ千代、儂は明家殿の軍勢に吉兵衛を討たれた事は恨んでいない。戦場のならいゆえ恨む事は吉兵衛にむしろ申し訳ない。だが八万五千石の厚遇は腹に据えかねる。同じく明家殿と友誼を結んでいた仙石権兵衛もグチッておったわ!『何で明家殿が八万五千石の厚遇で、儂や伊右衛門(一豊)のような秀吉様が藤吉郎と云う名前の頃から仕えてきた者が冷遇されるのだ』と!まったく同感じゃ!」

「明家殿は元々丸岡五万石の大名で、柴田勝家様のご嫡男。家督をお継ぎになっていれば越前国主でした。秀吉様の直臣ではなく従属大名と云う位置取りとも思慮されます。旦那様は秀吉様の直臣、直臣と従属大名では待遇が違うのは当たり前では?」

「そんなもんなのか?」

「従属大名は羽柴政権の枝葉、旦那様は直臣衆ですから根幹にございます。秀吉様は従属大名を高禄、直臣衆には羽柴家での地位と権限を与える気では?」

「とは申せ八万五千石はなかろうが!」

「丸岡五万石を召し上げられ、妹二人も人質に取られるのですから若狭一国と云うのも妥当かもしれませんよ」

 一豊はまだ納得できない。

「それにしても権兵衛殿の奥方の蝶殿は明家殿のご養父様に命を救われた経緯があるゆえ、良人のグチを聞くのはつらいでしょうねぇ…」

「なぬ?」

「旦那様、当家は姫を明家殿に救われましたよ」

「そ、それは感謝しとる!だが今回の事とは別問題であろうが!」

「そんなに申すのならば、いっそ徳川様にお仕えしては?」

「な、なぬ?」

「金ヶ崎の撤退戦よりの縁ではございませぬか」

「…それはできん!」

「ならば今まで通り歯を食いしばって秀吉様にお仕えするしかございません」

「だからこうしてグチッとる!」

「旦那様、秀吉様のえこひいきが不満ならば今の悔しさを忘れず、自分は家臣たちにこうするまいと学ばれるが良いと思います」

「ふむ…」

「そして明家殿、若狭八万五千石を一気に与えられ、むしろ一番戸惑っているのは彼ご自身でしょう。三万五千石も加増ですものね」

「まあ、そうであろうな」

「旦那様のように、降将が八万五千石と不満を持っている方は多いと思います。しかし旦那様はそれと同じくしてはなりません。むしろそういう嫉妬の念から新参の明家殿を庇う事が山内一豊、男の見せ所ではございませぬか?」

「そ、そうかな」

「男の値打ちは禄の多い少ないではございませぬ。以前に中村様と堀尾様が百五十石の時に旦那様が四百石になって、それを不満としたお二人に冷たい素振りをされた寂しさ、忘れておりますまい。旦那様は明家殿にそんな仕打ちをなさるのですか?あの人は与禰姫を命がけで助けて下された方なのですよ」

「……」

「こんな時こそ、救いの手を差し伸べるのが友ではないですか」

「千代の言う通りじゃ。つまらぬ事を申した、許せ」

「旦那様…」

「あやうく駄目男となりそうじゃった。そうじゃな、こんな時こそ親身となってやるのが友と云うものじゃ!うん!」

 一豊の顔に笑顔が戻った。ホッとする千代だった。

 

 数日後、秀吉の城の中での出来事。廊下を通る明家と細川忠興が会った。

「おお、柴田殿」

「これは細川殿、お久しぶりにございます」

「それがしは隣国丹後の国主ゆえ、今後よしなに」

「こちらこそ」

「それにしても一気に若狭国主とはすごいですな。妹二人を質に入れた甲斐がございましたなァ、あっはははは!」

「……」

 拳を握り明家は耐えた。だが一緒にいた小野田幸猛は激怒し

「その言葉聞き捨てならぬ!」

 刀に手をかけた幸猛。

「よせ幸猛!」

「いいや断じて許しませぬ!」

 そこへ

「細川殿!」

 一豊が来た。

「おお山内殿、何か?」

「何かではない!その言いようはあまりに無礼であろう!柴田殿に詫びられよ!」

「何だと?」

「丹後一国の国主が何と情けない!父の幽斎殿が聞けば嘆かれよう!」

「…ふん」

 忠興はそのまま立ち去った。こういう嫌味を明家に言うのは忠興だけではなかった。賤ヶ岳や丸岡城で直接明家と戦った者たちは言わなかったが、他の者は少なからず言って来た。忠興と明家は後に文人として友誼を持つようになるが、この頃はあまり仲が良くなかったようだ。

「…かたじけない、伊右衛門殿」

「ははは、いや何の」

「もう慣れました。まだ羽柴家では武功を立てておりませぬゆえ、無理もございません」

「元気を出されよ。賤ヶ岳でそれがしを吹っ飛ばした男がそんなに覇気がないと負けたそれがしの立つ瀬がござらんぞ」

「は、はあ…」

「それにしてもまあ…確かにああいう悪口雑言を黙らせるには武功しかござらぬな」

「はい」

「まあ羽柴もまだ敵は多うござる。早晩、戦はございましょう。それが好機ですな。しかし焦りは禁物ですぞ」

「お言葉、かたじけなく」

「ははは、それでは」

 一豊は去っていった。自分の短慮を明家に詫びる幸猛。

「殿、申し訳ございません」

「そなたが謝る事はない。柴田家に仕え始めた頃もこんな事はあった。今に忠興殿とも分かりあえる日もあろう」

 

 しばらくして明家は京に庵をかまえる山中鹿介を訊ね、家臣にと願った。

「尼子の再興、それがしにも協力させていただきたい。月山冨田城(尼子氏の居城)を奪還するのは無理でございますが、何の巡り合わせか若狭一国を拝領しました。山中殿の預かる尼子勝久殿の姫にしかるべき男子を婿取りさせ、生まれた子に尼子を継がせ、重用する事を約束いたします」

 明家は約定の書面を差し出した。それを手に取る鹿介。

「明家殿…。今だから申せますが、それがし丸岡に赴いたるは…」

 明家は手のひらを向けて、それを制した。

「どんなお考えがあったにせよ、負けると分かっている戦いに援軍に来てくれた感激。それがし一生忘れませぬ」

 自分を尼子再興のために利用する、そんな事は明家にも分かっていた。しかし、だからと云って敗北が分かりきった城に誰が援軍に来ようか。

「その夢を委ねられるは武門の誉れ、だが今はまだ乱世。それがしに協力願いたい」

「身命を賭けて、この鹿介お仕えいたしましょう!」

 この時明家二十三歳、鹿介三十八歳だった。自分が選んだ主君に間違いは無かった。鹿介は感涙して若き主君の手を握るのだった。

 

 若狭の地を羽柴秀吉から与えられた柴田明家。若狭の民たちは明家の入府を歓喜したという。理由はこうである。

 若狭の地は織田信長から丹羽長秀に与えられたが、その統治の時、大変な凶作に陥った事があった。越前と若狭はほぼ同じ気候風土、だが越前では凶作どころか豊作だった。若狭丹羽氏と越前柴田氏の農業指導者の違いと言えるだろう。

 しかし当主の長秀は安土城における務めが多く、近江の佐和山城にいる事の方が多かった。嫡男の鍋丸(後の丹羽長重)はまだ齢十を数えたばかりだったので家臣たちが何とか窮地を脱しようと画策するが、事は思うように運ばなかった。ついに長秀の家臣たちは小さな村五つほどを見捨てたのである。

 それを聞きつけた水沢隆広は主君勝家に救済を申し出て、北ノ庄の兵糧の一部を割いて若狭に向かった。長秀から留守を預かる長束正家は越前若狭の国境まで出向いて

『それでは丹羽家の面目丸つぶれ、帰られよ』

 そう隆広に抗議したが、

『お家の面目と民の命どちらが大事か!』

 と逆に怒鳴られて、渋々ながらも柴田家の救済を受ける事となった。その後に隆広は凶作になった田畑を検分して、地元の民に“武士に頼らず、自分たちで美田を切り開け”と、正しい治水方法と開墾の仕方を教えたのである。その後、その村々が飢饉になる事はなかった。隆広の計らいに感動した若狭の民たちは『我らの国が水沢様の国にならばと願う』とその人徳を慕った。その水沢隆広が領主柴田明家となって入府するのである。若狭に入国するとき、領民はこぞって出迎えに出たと伝えられている。

 若狭の国は丹羽氏が統治していたが、山崎の戦いや賤ヶ岳の戦いの功績によって丹羽長秀は越前一国が与えられていた。そして空いた若狭に明家が入府したと云うわけである。明家は一度来たかった若狭の三方五湖に訪れていた。さえとすずも一緒である。三方五湖と若狭湾がいっぺんに展望できる山に登ったのだ。明家の背にはすずが背負われている。

「きれい…」

 あまりの絶景にさえは惚けた。登ってくるのはしんどかったが、疲れが吹き飛んでしまった。

「ああ、想像以上の美観だ」

「ここが殿の国なのですね」

 と、すず。

「そうだ。どうであれ、ここは俺の国となった。今まで時に妹二人に辛苦を押し付け、父母の仇に仕える自分が腹立たしく塞ぎこむ事はあったけれども、そんな自分を払拭するため、ここに来た」

 さえとすずは顔を見合わせ微笑んだ。若狭湾から吹く風を思い切り吸い込む明家。

「よし!」

 背中からすずを降ろしてさえの横に立たせた。

「二人とも俺は柴田の尚武の気概は絶対に忘れない。羽柴の武将になっても負けるものか。必ず生き抜いてお前たちを幸せにするぞ」

「「殿!」」

「うん、若狭に新しい城を作ろう!」

「「お城を?」」

「そうだ、若狭のほぼ中心にある小浜の地に平城を作る!今ある若狭の城は要地にあるわけでもなく、城下町もない小規模な山城や砦だけ。あってもムダ金がかさむだけだ。八万五千石なら一城で十分。よき城を作り、新たな若狭の町を作ろう!」

「殿…!」

「さあこうしてはおられん、帰るぞ!」

「「はい!」」




山中鹿介幸盛登場です。好きなんですよね、この方。

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