天地燃ゆ   作:越路遼介

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関ヶ原の戦い-肆-

 東軍において徳川勢の次に軍勢を有していた北条勢の離脱は痛恨である。内側から崩れだす。

「殿、東軍は劣勢にございます。引き返しましょう」

 最上義光の家老、氏家守棟が義光に進言した。

「最上は退かん」

「な、なぜでございますか!浜松に人質となっている若君(義康)を救出して、退くべきにございます!」

「それでどうする?」

「奥州勢は徳川の檄に応じて南下しましたゆえ、伊達や葛西、他の領地も取れますぞ。今のうちにどんどん領地を広げる事が肝要かと存ずる!」

 義光はフッと笑った。

「無駄よ」

「む、無駄?」

「たとえ領地を増やしても、結局は大納言にまとめて攻め取られる」

「…」

「良いか守棟、儂が父や弟を討ってまで最上の当主となったは天下人への大望があったからじゃ。その一念で今まで戦ってきた。しかし時すでに遅し。天下の趨勢は大納言となっている。あきらめたからには生き残るために知恵を絞らねばならん。本心では柴田につきたかったが、すでにその機は逸してしまい無理じゃった。ゆえに徳川についた。合戦は何が起こるか分からん。あるいは家康が天下人となるかもしれぬとも思った。しかし、もう駄目じゃ。東軍は負ける」

「ならば何故、退かれぬのか?もしや西軍に寝返り徳川本陣を衝くおつもりで?」

「大納言がそういう行為を是とする男ならそうした。しかし大納言は敵味方どちらでも裏切り者を嫌う男だ。四国攻めでは長宗我部の密告者を問答無用で斬ったらしい。見てみよ、東軍の旗色が悪いと云うのに西軍に寝返る大名はおらん。大納言が裏切り者を嫌う事を知っているからだ。損な男だな、勝つためには敵方が自軍へ寝返る事を大歓迎する気持ちがないからこうなる。まあ、裏切りを認めるような男では先は長くないであろうからそれで良いがな」

「それでは殿、最上の取るべき道やいかに」

「寝返らぬ。ここでは東軍としてまっとうする。これからは、どう生き残るかが大名にとっては思案のしどころじゃ。儂らのここからの戦いようが当家の行く末を決める。ここで後ろを見せて逃げてみろ。上方の者は最上を腰抜け、義光は木っ端大将と言われよう。そうなったら後の祭りじゃ。後に恭順しても大納言は最上など眼中におくまい。だからここで戦い、最上の力を見せねばならぬ」

「ご英断にございます殿」

「ふむ、我が領地を取られるわけにはいかん。治水事業が棚上げされたままよ。あれを終わらせ我が民たちが喜ぶ顔を見るまで、負けるわけにはいかんのだ」

 武勇に優れ、かつ謀将でもある最上義光だが、彼は明家さながらの民政家でもある。城下町の整備や庄内平野の治水灌漑に意を注いだ。北楯大学堰は義光の時代に建設され、現代に至っても庄内地方を潤しているのだ。甥である政宗の引き立て役のように陰湿に描かれる事も多い彼であるが、それは誤りである。彼は名将なのだ。

 

 徳川本隊、勇猛果敢な三河武士たち。武田や今川の遺臣も加え厚みも増している。さすがに旗色が悪くとも、物怖じする事は無い。西軍全軍を我らで粉砕してやるくらいの覚悟はある。その一翼の井伊直政の部隊。甲冑が朱色に統一された赤備えの部隊である。

 その井伊勢に徐々に迫る一隊。それは柴田家に召抱えられた武田遺臣たちの軍勢である。大将は仁科盛信の息子たちである信基と信貞の兄弟。長男の信基が正式に武田家を継ぎ、弟の信貞が仁科家の当主となっている。柴田家で再興された武田家を一般的には後武田家と呼ぶ。

 新たな武田家当主である武田信基に付き従う武田名臣たち。兄の補佐を務める仁科信貞。四国と九州の戦でも武田の名に恥じない戦いを明家に見せた。そして関ヶ原は天下分け目の大戦。再興した新たな武田の武名高めるのは今と士気も高い。

「肥後守」

 と、信基。彼が呼んだのは保科肥後守正光。彼自身も柴田家と後武田家で名を馳せた名臣である。保科正光の父の正直は織田家の武田攻めで早々に城を明け渡して逃走し、その後に徳川家に仕えた。父の弱腰に失望し、彼は父の正直と袂を別ち織田勢と戦った。しかし重傷を負い、その療養中に主君勝頼は自決し武田家は滅亡した。正光は妻とも離れ離れになった。織田の手に落ちた城。妻は血に飢えた織田の雑兵に陵辱されたに違いない。正光の妻は美貌で有名だった。無念極まる正光。

 しかしその城の戦後処理を担当した水沢隆広は城兵の武装解除を命じ、その武器弾薬の没収をしただけで、城内の女子供に無体な仕打ちをしなかった。他の城はこうはいかなかった。信長の命令で撫で斬りが行われた城もあった。しかし隆広は実行しなかった。怨みはまた新たな合戦を生むと知る隆広は密かに逃がしたのである。露見すれば、あの織田信長の事。死は免れないこと必至であったのに。

 正光はその計らいに感動し『天がかような男をいつまでも一陪臣にしておくはずがない。かならずや一国の大将になる』と後の隆広の大身を信じ野に下った。狙いは見事に的中。晴れて柴田家に召抱えられ、再興された武田家の幹部に任命された。

 ちなみに言うと正光は明家より一歳年下なだけである。かつて明家が竜之介と云う名前であったころ、槍術の師である諏訪勝右衛門に武田の躑躅ヶ崎館へ連れて行ってもらった時、武田の少年たちと槍の修練をしている。もしかしたら明家と正光はその時に会っていたかもしれない。

 正光が当時織田の一陪臣でしかなかった明家の大身を信じて徳川の仕官の話さえ断ったのは口伝ではなく彼自身が明家と会った事があるとしか思えないからである。もし明家と正光が個人的に幼馴染で明家も正光の人物を知っていたならば、仕官を要望した正光がすぐに召抱えられたのも筋が通り、後に明家の孫の養育を委ねられるのも合点が行く。正光は後年に柴田明家の孫である幸松丸の養育を委ねられるが、それが治世の名君と名高い保科正之である。知名度では一歩譲るが、人物はけして正之に劣るものでない。

 

 話は戻る。側近の保科正光に訊ねる信基。

「徳川は武田遺臣たちを多く召抱えたと聞く」

「いかにも、武田滅亡後に遺臣たちは三つに分かれ申した。その時点で大名であり厚遇を約束してくれた徳川殿に仕えた者。武州恩方(東京都八王子市)にて帰農した者。そして水沢隆広殿の後の大身を信じ野に下った者」

「二番と三番が今の我ら…」

「御意」

「聞けば徳川殿は特に武芸に秀でた遺臣たちを井伊家に預けたと聞く。大将の直政は論外として、彼の部下で武田の遺臣であった者を味方につけられないであろうか」

「…殿、この期に及んでそれは無理にございます。敵味方に分かれても堂々と戦うが武田武士、遠慮は無用。小山田家もその覚悟でございますぞ!」

「小山田家も…!」

 小山田投石部隊は志願して後武田家と軍勢を共にしていた。その投石部隊、沢瀉の旗を見つめる信基。

「そう、かつての同胞と戦う。何たる皮肉か。しかしそれが戦国にございます。かく申す、それがしも父と戦います」

 正光の父の正直は徳川家康の寄騎としてこの戦いに参じていた。織田の猛攻を受けて武田勝頼と仁科盛信兄弟を見限り逃げ出した父の保科正直、俺は父と違う。この一念で今まで戦ってきた。その父の正直も後武田家の姿を見る。

「無念でござる。若殿は殿を軽蔑したまま…こうして親子で敵味方となってしまいました…」

 正直の老臣が言った。

「良いではないか、武田を見捨てて徳川についたのは事実。どのような経緯があったとしても倅は儂を許すまい…」

「殿…」

「いや、これで良いのかもしれぬ。たとえ徳川と柴田、どちらが滅んでも保科の家は残る。再起を図り甲斐から逃げた我ら、結果上手く行ったではないか。このうえは堂々と合い間見えるのみ」

 そして武田信基。

「敵味方に別れても堂々と戦うが武田か…!」

「兄上!参りましょう!」

「ふむ…」

 突撃する敵勢を井伊勢と定めた信基。武田信玄の孫、仁科盛信の嫡男だけあり、凛々しい若武者である。武田再興の祝いに主君明家は信基に自身が上杉謙信と戦った時に身につけていた武田信玄のいでたちの兜『諏訪法性兜』を与えたのである。ただの複製品ではない。正真正銘、上杉謙信との戦いを知っている兜である。

 弟の信貞には謙信に浴びせた太刀である吉岡一文字を与えた明家。その席には松姫も立ち会っていたが、我が子同様に育てた甥の二人の晴れ姿に感涙していた。ちなみに盛信の娘の督姫は島左近の息子信勝に嫁いでいる。左近が勇将薩摩守殿(盛信)のご息女をぜひ当家にと懇願したのだ。

 信基と信貞も明家正室さえの見立てた娘を妻とし、柴田重臣の武田家として兄弟は歩き出していた。四国と九州の戦場でも武勲を立て、そして関ヶ原。天下分け目の戦いに風林火山の旗が立つ。

「軍旗を立てい!」

「「オオオッッ!!」」

 風林火山の旗が関ヶ原に立った!信基の見込みどおり井伊の軍勢には武田遺臣が多くいた。だが風林火山の旗と見てもひるまない。織田勢のしつような追撃から救い、重用してくれている徳川家康。そして井伊直政。敵味方に分かれても堂々と戦うのみ。井伊直政の采配が振られた。徳川本隊の井伊勢と後武田家が激突。信基、すぐさま下命。

「小山田投石部隊!」

「「オオオッ!!」」

「放てェェ!!」

 投石部隊隊長の川口主水が軍配を井伊勢に向けた。鉄砲の射程外であるが投石なら届く。縦に長い布具に硬い石を包み振り回し、加速がついたところを放る。簡単そうで実に難しい。小山田投石部隊の凄さを知る他勢力の大名いずれも模倣できなかった。

「まずは上からじゃ!石雨の攻め!」

「「オオッ!」」

 井伊勢から後武田家の備えを見る小幡景憲、彼も武田遺臣である。父の昌盛から投石部隊の恐ろしさを聞かされていた景憲は

「殿!石が降ってまいります!全軍に盾を上に構えよと!」

「よう気づいた。三方ヶ原、童であったゆえ参戦しておらんが投石部隊の恐ろしさは聞いている。全軍、弓隊の盾を上に構えい!」

 次々と武田勢から拳大の石が飛んできた。すさまじき威力の投石、木の盾は叩き割れ、盾で防御していると見た主水は水平投げに転換、鎧が砕け、顔面に当たれば即死となる。

「ぎゃあッッ!!」

「ぐああッ!」

「石つぶてと侮るな!小山田の投石は人殺しの投石ぞ!」

 冷や汗が出る小幡景憲。

(これほどの威力とは…!)

 井伊直政の兜を投石が掠めた。ヒビが入る。

「おのれ!討って出るぞ!」

「「オオオオッ!!」」

 井伊勢の突出を見た武田信基。

「機先は制した!武田騎馬軍団、かかれえ!」

 信基の弟、仁科信貞を先頭に武田騎馬軍団が突撃。井伊直政も負けていない。

「笑わせるな若僧が!武田が相手なら三方ヶ原の雪辱戦と参ろうか!赤備突撃を馳走せよ!」

「「オオオオッ!!」」

 

 いよいよ徳川本隊が直接戦わざるを得ない戦局となった。奥州の雄、南部信直の軍勢も引き返しだした。しかしそれを止める武将がいた。南部家家老の九戸左近将監政実である。

「殿!他が退くから当家もでは中央に南部は腑抜け腰抜けと喧伝するようなもの!」

「しかし見よ、もう残るのは徳川勢と伊達、最上、そして我らだけじゃ。今ならまだ徳川勢を盾に後退できるではないか!」

「中央はいにしえより我らみちのくを東夷と呼び蔑んでまいりました。だが今、この戦場はどうか!我らみちのく武士の力を見せ付けられる絶好の好機にございますぞ!未来永劫、この国の天下人に『征夷大将軍』などと云うみちのくの者を夷狄と決め付けたふざけた称号を名乗らせぬため、ここは退いてはなりませぬ。東軍のためでも徳川のためではない。みちのく武士の意地を見せる合戦にございます!犬猿の仲と云われる伊達と最上が共に残っているのも、みちのく武士の意地を見せんがためと!」

 南部の武士たちはこの言葉に奮い立った。当主の信直も。

「よう申した将監!」

「はっ」

「そなたの忠言なくば我ら南部一門、またぞろ中央の笑い者となるところであった。覚悟は良いか、儂の誇るみちのくの漢たちよ!」

「「オオオオッ!」」

「いにしえの奥州が勇者、アテルイのごとく戦おうぞ!」

 南部勢は突撃を開始、先頭を切るのは主君信直の退陣を諌めた家老の九戸政実である。

「夷狄とぬかすなら、その夷狄の手並み、とくと見せ付けてくれる!」

 まだ群雄割拠だった奥州。その北部の雄である南部勢が突撃した。優勢だった西軍は、その統率の取れた軍勢の突撃に驚く。南部勢は島津勢に突撃を開始。日本北端と南端の武将が激突。そして政実の用兵たるや、さしもの島津義弘も感嘆し

「敵ながら見事、誰だあれは?」

 答える家臣の伊集院忠棟。

「旗は南部、先頭を駆けるは南部の猛将の九戸政実と思われます」

「まるで高橋紹雲がごときの男よ。奥州の武士侮れぬ。参るぞ!」

「「オオオッ!!」」

 島津勢と南部勢は一進一退。そして南部勢の突撃を見て最上勢も突撃を開始。因縁ある上杉勢に向かった。

「殿!最上勢が我らに向かってまいります!」

 上泉泰綱が直江兼続に報告。

「北の戦を関ヶ原でか。望むところだ!」

 最上義光は先頭を切って駆ける。

「上杉が家宰、直江山城の首を取る好機じゃ!かかれえ!」

「「オオオッッ!!」」

 

 大谷吉継の軍勢は安藤直次の軍勢と戦っていた。安藤勢が劣勢のため、平岩親吉が安藤に加勢。そうなると吉継の方が軍勢少ないが、吉継は慌てず采配を取る。自身が貧乏暮らしをしても、多くの家臣を召し抱え、大切に遇してきた吉継。兵は精強である。しかし大将である吉継は、もう馬にも乗れないほど体が弱っていた。輿に乗り采配を取っている。

 九州から大坂に帰った時、源蔵館の筆頭医師である仁斎が大坂城内の吉継の私室で待っており、源蔵館で本格的な治療を受ける事を強く薦めた。朋友石田三成の手配だった。

 断る吉継、しかし彼の妻恵の主治医である仁斎は、断るのならば大納言様と奥方に貴殿の病を明かすと述べた。他の医者なら吉継に斬られかねない言葉。しかし仁斎は妻の主治医。吉継は仁斎を斬れない。頭を下げて頼むしかなかった。

『この合戦が最後でございます。それがし自身は輿に乗り采配をするのみでござるゆえ体は使いませぬ。どうか関ヶ原の合戦に外されるような事を主君に言わないで欲しい。この合戦が終わったら、幼いが息子に家督を譲り隠居し、源蔵館で治療を受けさせてもらいまする。何とぞ今一度だけ、目をつぶって下され。お頼みいたす』

『目をつぶれ、でございますか。刑部殿の目はどうなのですか?』

 ギクリとする吉継。彼の病は目も侵食し始めていた。

『戦のさなかに、目が見えなくなる事もありえるのですぞ。どう采配を取るのでござるか!』

『耳と体で戦を読み、采配を取りまする』

『刑部殿!』

『どうか、関ヶ原をそれがしから奪わないで下され仁斎殿!』

 戦人の業、天下分け目の大戦から外されることは死よりも辛きもの。結局仁斎は折れた。関ヶ原の戦が終えたら、必ず治療しに来るのですぞ、と吉継に述べて去っていった。そして今、仁斎の最悪の予言が当たる時が来た。吉継はもう目が見えなかった。だが彼の言葉どおり、耳と体で合戦を読み采配を取ったのだ。大谷勢で吉継が合戦中に失明したと気づいた者は誰もいなかった。

「五助、左翼の平岩勢の横腹が手薄ぞ、かかれ!」

「はっ!」

「甚兵衛、安藤勢は平岩の加勢で士気を戻した。退くと見せかけ、追ってきた安藤勢の横に槍衾を浴びせい!」

「ははっ!」

(ハアハア…)

 体が熱い、甲冑が重い。異常な発汗である。輿の担ぎ手である若者が吉継の異変に気付いた。

「殿…?お体が…」

「何でもない、それより担ぎ手のお前たちは我らの士気を上げよ。儂に続き『エイトウ、エイトウ』と繰り返し叫ぶのじゃ」

「「ははっ!」」

 吉継は采配を安藤隊と平岩隊に向け

「エイトウ!エイトウ!!」

 と吼えた。担ぎ手の若者たちが続いた。

「「エイトウ!エイトウ!!」」

 大谷隊の士気が上がる。そしてついに

「安藤直次、討ち取ったりぃーッ!!」

 平岩隊はそれで後退していった。安藤直次を討ち取った若者喜三太は嬉々として吉継に報告。

「殿!安藤直次の首にございます!」

「…ふむ、ようやったぞ喜三太」

 そそっかしく、落ち着きがない若者であるが吉継は目をかけていた。そして大手柄を立てた彼を吉継は褒めた。

「お前のような若者がおれば、大谷家も柴田家も栄えよう…」

「殿…!?」

 吉継は輿から崩れ落ちた。

「殿!」

 家老の湯浅五助は知らせを聞き、慌てて吉継の元に駆けていった。

「殿!」

「おお、五助か、その声は」

「その声…?殿、まさかもう目が!」

「すまんな、前々からそなたは俺に治療を勧めていたのに、従わなかったからこの有様だ…」

「目が見えぬままで…あれほど見事なご采配を!」

「そなたらの働きが目覚しかったからよ…。儂の誇りだ…」

「「殿!」」

 泣き出す大谷隊、家老の五助は落涙し

「なぜ、なぜ、それがしより若い殿が…!天よ、殿ではなく我が身の命を奪いたまえ!」

 と叫ぶ。

「五助、仁斎殿に伝えてくれ、妻の病のこと、よろしくお頼み申すと。そして生きて帰れずすまなかったと…」

「殿…!」

「親父様、今…参ります…」

「「殿―ッ!!」」

「恵…」

 大谷吉継は息を引き取った。兵站巧者、卓越した外交手腕、何より戦場の名将の大谷吉継。あまりにも早すぎる死であった。

 

 徳川軍の一翼、いや一部隊と言って良いだろう。本多正信の軍。正信は作戦の失敗の責任から、もはや死ぬ気で戦っていた。かの川中島の戦いで戦死した山本勘助のごとく。しかしそれゆえ本多勢の勢いは凄まじいものであった。何より正信は死ぬ気で戦っていても無謀な突撃などしない。小勢を縦横に指揮し獅子奮迅の戦いを示す。一時は何倍もの兵力を有する蒲生氏郷の軍勢さえ圧倒した。だが、やはり多勢に無勢であった。

「父上…!」

 槍に貫かれ、本多正純は討ち死にした。

「正純、父もすぐ行く!」

 わずかな兵も次々と討たれ、正信はすでに馬から引き摺り下ろされ、槍一本で戦っていた。そして…。

「ぐっ…!」

 蒲生郷成の槍が正信を貫いた。同時に八方から一斉に槍が突かれた。

「と、殿…。一足先に…」

 本多正信は討ち死にした。

 

 本多忠勝、さすがは信長に『花実兼備の武士』と称された猛将。戦い続けているが、まだかすり傷一つ負っていない。そして再び可児才蔵と対峙した。

「お待たせした」

「もう用はお済かな?」

「いかにも」

「ならば仕合おう」

「承知!」

 東西の豪傑が激突。少しの隙も許されない。剛槍が火花を散らす。両者一歩も譲らず。まさに龍虎の激突だった。才蔵の槍が弧を描き、逆掛けの一閃が忠勝を襲う。かろうじて避けた忠勝だが、それで兜が吹っ飛んだ。忠勝の頬がスパッと切れる。不敗不傷の忠勝が初めて負傷した。

 織田、柴田と槍一本で叩き上げてきただけはあり才蔵は強い。しかし忠勝も負けてはいない。武田との一言坂の戦いでは、たった一人で殿軍を務めて家康を無事に退却させたほどの豪傑である。どちらが勝っても不思議ではない一騎打ち。前線で可児才蔵と本多忠勝が一騎打ちをしていると知った明家と勝家。激怒して床几から立つ勝家。

「国主たるもの何たる軽率な!又佐(前田利家)!」

「はっ!」

「才蔵を引かせよ、伊賀は彼奴でなければ治まりがつかん。個の勝利より全軍の勝利を尊べと叱りつけて参れ!」

「承知しました」

 座った勝家に

「兵部(才蔵)殿らしい」

 そう述べる明家、苦笑した勝家。

「まったくじゃな」

 前田勢が突出し、可児勢の前線へと駆けた。

「兵部!ご隠居様のお怒りじゃ!個の勝ちより全軍の勝利を重んじよ!」

 才蔵も他の武将なら無視しただろうが、利家が出てきては仕方ない。

「ちっ、いいところを。しかし君命では逆らえぬ」

「命拾いなさいましたな」

「ふふ、さあて、それはどちらかな」

 先刻、才蔵も家康の元に行きたいと言う忠勝を見逃した。これで貸し借りはなし。黙って忠勝も退いたのである。

 

「申し上げます!」

 宇喜多秀家本陣に使い番が来た。

「なんだ」

「宇喜多勢、鳥居元忠の軍勢と戦闘に及ぶも劣勢!増援を!」

「分かった、全登(てるずみ)!」

「はっ!」

「聞いての通りだ、行ってくれるか」

「殿、そういう場合は『行け』にございますぞ」

 四国攻めが初陣であった秀家、まだ合戦の経験が少ない。西軍の一翼を務めるには荷が重いのは仕方ない。明石全登はそんな若い主君を気遣う。

「そ、そうだった。コホン、全登」

「はっ!」

「鳥居勢に突撃せよ!」

「承知しました!明石隊参るぞ!」

「「オオオオッッ!」」

 鳥居元忠は家康の側近で合戦上手、中々突き崩せない。そこへ明石全登隊が宇喜多軍に加わり、突撃を開始した。しかしさすがは老練の鳥居元忠、新手が来ても一歩も退かない。

「退くでない!我らが崩れれば徳川本陣は西軍に晒されるぞ!」

「「オオオッ!!」

 精強の三河武士団、それを率いる元忠は典型的な三河武士、元忠は家康に特に忠誠心がある人物である。家康の今川人質時代から共にある。彼は家康から一切の感状を受け取らなかった。感状は他家に仕官する時に役立つものであるが、元忠は家康以外に主君はないと受け取らなかった。今回の出陣前、幼な妻がくれたお守りを握る元忠。

「すまんなぁ緑…。生きて帰れそうにないわ」

 彼の妻は娘ほど歳の離れた幼な妻、武田の名将である馬場美濃守信房の娘である。緑と云う名前だった。武田家の滅亡後、馬場信房の娘が生きて隠棲していると云う事を家康が聞き『あの馬場美濃殿の娘ならば才媛に違いない。ぜひ側室にしたい』と側近の元忠に捜索を命じた。

 しかし元忠は『娘は見つからなかった』と家康に報告した。捜索はそれで打ち切られたわけだが、よほど馬場美濃の娘が恋しかったか、家康は後日家臣に『惜しいのう、馬場美濃殿の娘…』と愚痴をこぼした。それを聞いた家臣は驚き『その娘ならば鳥居様の正室になっています』と述べた。家康はそれを聞き大笑いして『あの男は、若い頃から何事にも抜かりのない奴じゃわい』と許した。

 武骨な鳥居元忠が一目惚れし、自分の妻にしてしまったのだ。その愛してやまない幼な妻の笑顔を思い出し、そして宇喜多勢をキッと睨み、

「我に続け!押し返せぇ!」

 元忠自ら先頭に立ち、宇喜多勢に突撃。さしもの合戦上手の明石全登も圧倒された。明石全登も名将であるが、相手が鳥居元忠では経験が違う。

「鳥居め、やる!」

「明石様、左翼総崩れにございます!」

 使い番が知らせた。そして右翼も見てみれば鳥居勢に押し捲られていた。

「やむをえんか…!」

「明石様!」

「分かっている!退け、宇喜多全軍退くのだ!!」

 全登は後退を下命、宇喜多勢は鳥居勢に押し返された。しかし

「殿!」

 元忠は仁王のように立ち、西軍本陣を睨んでいた。いやもう目は見えなかったのではないか。槍に突かれ、矢は幾本も受けていた。戸板に乗せて東軍本陣に運ばれた元忠。家康に知らされた。

「殿!鳥居殿が!」

「なに!」

 急ぎ元忠のところへ駆ける家康。

「彦右衛門(元忠)…!」

「お、おお…殿…」

 横たわる元忠の手を握る家康。

「す、すまぬ…!」

「ふ…これにてお別れに存ずる…」

「彦右衛門!」

 元忠は家康の言葉を満足そうに聞き、そして逝った。

「三河武士の鑑よ…!」


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