闇鍋 in 幻想郷   作:触手の朔良

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10AB話 二度目の人里

 外界と幻想郷を隔てる結界を維持する為、博麗神社は幻想郷でも端に位置している。

 神社の裏手には鬱蒼と生い茂る森が続いているのに、一体何処が端だと言うのか? アナタには丸っきり分からないが兎角、神社は幻想郷でも僻地と呼んでも過言ではない場所に位置していた。

 つまりは何処へ行くにせよ、人里へ降りる方が交通の面でも有利である。

 尤も、空も飛べぬアナタの移動手段は徒歩だ。里へ赴くのもそれなりの時間を食うのだった。

 アナタは霊夢から許可を貰い一人里へと足を伸ばす。

 ようやくして里へ辿り着くも、太陽は随分と高い位置に移動していた。

 ――さて、どうしようか。

 アナタは掌の中の金子の感触を確かめる。決して多い量では無いものの、出掛ける際に霊夢から頂戴したものだ。

 これでは若いツバメ、どころか若い娘にたかるツバメである。

 アナタは自らの境遇を惨めに思うと同時、それ以上に年端もゆかぬ少女に甘んじざるを得ない、己の不甲斐なさに憤懣遣る方無い思いを抱いていた。

 これではいかんと決意を新たに、改めて里へと目を向ける。

 往来には未だ活気が見えたものの、それはピークを過ぎ後は緩やかに下る、残火の(くすぶ)りである。道行く人の声に耳を傾ける。「いやぁ、今日も大変だった」彼らの言葉の多くは仕事終わりの開放感に満ちており、とするとこの喧騒は帰路の最中、という訳だ。

 現代人であるアナタには、日も落ちぬ内に仕事を上がり終える感覚には戸惑いを隠せない。

 エネルギー革命もされておらず産業の足音も未だ遠い幻想郷では、明かりに乏しい。日が昇ると同時に起床し、沈む前には仕事を終える。まして夜は妖怪の時間ともなれば、理屈の上では解る。解るのだが、幻想郷に来て日の浅いアナタの目には、どうしても奇妙な習慣に見えてしまった。

 町並みこそ時代劇で見たような、瓦屋根の長屋が連綿と続いている。かと思えば時折、時代錯誤のゴシック調の建築物が、長屋に挟み込まれる様に建っている。異郷と、呼ぶに相応しい様相を醸し出していた。

 ググゥと、腹の虫が騒ぎ出したのでアナタはぶらりと飯処を探し求め人里を散策し始めた。

 しかし幻想郷の知識に乏しいアナタは目ぼしい店など解る筈もなく。何より、霊夢から頂戴した金銭である。大切に使わねば罰が当たるというものだ。

 何軒かの店を見て回り、味の善し悪しどころか値段の相場すら解らず、途方に暮れているアナタの鼻先を或る匂い――嗅ぎ慣れた――がくすぐった。

 匂いの元を誘蛾の如く辿ると、軒下に大きな木桶が並べられた店へと辿り着く。水の張られた桶の中を覗くと、幾つもの白い豆腐が浮かんでいるではないか。匂いの元は、どうやら店の中から漂っているようだ。

 ――すいません。

 遠慮がちに声を掛けると白髪交じりの短髪に、ねじり鉢巻を巻いた中年の男性が姿を見せた。

 少し気難しそうな親父を前にアナタは気圧されてしまう。

「あぁん? 何の用だ?」

 アナタが抱いた第一印象は大凡当たっていた模様。

 親父の不機嫌そうな口調に、早くも失敗したかという思いが生まれるアナタ。

 だからと言って逃げる訳にはいかない。そのような悪印象を与えてみろ。この閉鎖的な幻想郷で、たちまち自分の悪評が広まるに違いない。

 ちょっと被害妄想が強いのではないか?

 そう思われるのも仕方ないが、見知らぬ土地で自分一人という状況が、アナタをネガティブにさせていた。

「おい、どうした?」

 無言のまま佇む男を前に、親父の眉根に深い皺が刻まれる。

 それは心配故だったのだが、アナタの目には更に不機嫌にしてしまった様に映る。

 ――そも自分は何の為にこの店を尋ねたのか?

 初心を取り戻すべく、アナタは自問する。

 そうして目的を思い出した彼は口を開くのだった。

 ――すいません、これを頂けますか?

 

 

「~~♪」

 里の往来を往く、一人の女声がいた。

 美しい金髪、整った顔立ち。そして何より目を惹くのは、髪と同じ色をした立派な九本の尻尾だろう。

 八雲藍は傍から見ても分かる程に上機嫌であった。

 ともすれば鼻歌でも歌いそうな程、というか実際小声で口ずさんでいる。

 では一体何が、幻想郷でもクール美女とされる彼女をご機嫌にさせているのだろうか?

 藍の足取りは軽く、迷いなくある場所を目指していた。

「おい親父どの!」

 目的の店に辿り着くと、藍は彼女らしからぬ大声を上げた。

 これまた彼女のご機嫌さを伺える行動である。

 ぬっと現れた親父の姿は、見たことがあるものだった。

 思えば店の装いを見れば、成る程、アナタが訪れた店先ではないか。

「あんたか。何の用――っと言わなくても決まってらぁな」

 親父の言葉はぶっきらで、きっと誰が相手でも変わらないのだろう。それこそ、九尾の狐が相手でも、である。

 藍の姿を確認すると、親父は決まり文句を途中で飲み込み、気まずげに顔を逸らした。

「ふむ。何か問題かな?」

「あぁ? ……まぁ問題っちゃ問題だな。特にあんたにゃ」

 ――こんな事なら取り置いたんだが。

 藍の耳は伊達ではない。親父の小言はきちっと彼女の耳に届いた。

 そして藍の頭も飾りではない。どころか彼女の頭脳は幻想郷でも屈指と言える。

 頭の中、彼の言葉を並べ、藍は全てを察した。

「ま、まさか……!?」

「あぁ、売り切れちまったよ。……ま、四半刻でも待ってくれりゃ出来たての熱々を――って、おい? だ、大丈夫かよ?」

 言葉の後半は既に聞こえていなかった。

 売り切れ――ただその一言が藍の脳内を駆け巡り、とてつもない衝撃を与えていた。

 耳は垂れ、ご自慢の尻尾もどこか悲しげである。

 八雲藍という妖怪がここまでショックを受けているのは、付き合いのある親父も始めての事だった。

 それ程に、藍にとってここの稲荷寿司は特別なものだったのだ。

 稲荷――そう、稲荷寿司である。

 狐にとってどれくらいの好物であるか言わずもがな。

 この店の豆腐は大変美味であり、その豆腐から作られる油揚げがこれまた絶品で。

 しかしながら店主の無愛想もあり、藍にとっても好都合な知る人ぞ知る、という店であった。

 日夜激務に勤しむ藍にとって、ここの稲荷は自分へのご褒美だった。

 今日もまた、日々溜まったストレスを晴らすべく出向いたのに、売り切れだなんて、そんな酷い!

 よよよと泣き崩れてしまいそうになるも、大妖怪の矜持を以て藍は己を奮い立たせた。

「わ、私お稲荷さんはどこだ――!?」

 決して藍のものではないのだが。正気を失っている彼女にとってそれは些細に過ぎなかった。

 殺気、とまではいかないものの非常に重苦しい雰囲気を纏いつつ藍は親父に詰め寄った。

 これには頑固親父もたまったものではない。大妖怪の発する圧に押され、親父はおずおずと指差した。

 その指が示す先を、藍は親の仇を睨む形相で見詰める。

 そこには見慣れた、つい先程店を後にしたアナタの姿が――。

 

 

 ――参った。

 アナタは頭を抱えたくなった。

 霊夢から受け取った大切な金子をこんな事に使ってしまうなんて。

 いや、こんな事と滅法卑下するものでもないか。彼は食事を欲していたのだから。

 それに稲荷寿司を選択したまではいい。そこまではいい。

 ……問題は量だ。

 親父から早く逃げたいが為に、適当な受け答えをした自業自得だと言われればそれまでなのだが。

 ――どうして全部なんて言ってしまったのだろう。

 金子が足りたのは不幸中の幸いだろう。

 その金子を得ようと息巻いて出てきた筈が、早速こんな事態を招いているなんて。

 己の意思薄弱さと前途の多難さに、アナタは大きく溜め息を吐いた。

 しかし、嘆いてばかりもいられない。

 アナタは葉蘭に包まれた占めて拾伍個にも及ぶ稲荷寿司の重さを噛み締め、気分を改めるのだった。

 そうしてアナタはどこか一息付ける場所を探す。折角の稲荷寿司を賞味する為に。

 ザッザッザッ。

 アナタの足音が響く。

 ――もう一つ背後に足音が響く。

 それは別に、おかしい事ではない。往来は多くの人で賑わい、そこかしこに人で溢れているのだから。

 しかし彼は気になりふと振り向く。

 とんでもない形相をしたとんでもない美人と目があった。

 慌てて向き直るアナタ。少しでも早く、その場を離れるべく足早に歩を進めた。

 ザッザッザッ。

 ちらりと後ろの様子を確認する。

 先の恐ろしい美女が、先程と変わらぬ距離にいた。

 再び視線が交わり、流石のアナタも冷や汗が垂れる。

 男の足は先よりも早く、大きく動いた。最早目的は変わり、後ろの美女から逃れるのを第一に考えていた。

 背後の美女は付かず離れず、どころかどういう訳かその距離を徐々に詰めてきていた。

 さして詳しくもない路地に入り、巻いてやろうと何度曲がっても、女はピタリと背後についていた。

 気付けば周囲は大通りを大きく外れ、彼が見たことの家並みが続いている。

 これ以上無軌道に動けば元の道にも戻れなくなってしまう。

 そう判断した彼は逃げるのを止め、その足を後ろへと向けた。

 美女との距離は、大凡五間。一歩二歩と、歩を進めれば既に相対する距離となっていた。

 そうして改めて向き合った女の、何という美貌か。絶世とは彼女を指して言うのだろう。そう、アナタが思ってしまうような、妖艶な美しさを湛えていた。

 つい見惚れてしまったアナタは、頭を振って意を決する。

 ――あの、何か用でしょうか?

 女の視線はこちらを向いてこちらを見ていなかった。

 ぴくりと、藍の耳が動き、ようやく男の存在に気付いたと言わんばかりに視線を向けてくる。

 その瞳は冷たい。まるで虫でも見るかの様な視線で○○を舐め回す。

(冴えない男だな……)

 藍の抱いた印象は、それ以上でも以下でも無かった。

 そんな事よりも――藍の興味は直ぐ別のものに移ってしまう。

 男が抱く、ぷっくりと盛り上がった葉蘭に、視線が吸い込まれてしまうのだった。

 アナタも彼女の視線の先に気付き、試しに葉蘭を動かす。右へ動かせば女の視線、どころか頭も徐々に右へ傾いてゆく。左に動かせば、どんどんと女の身体が左へ傾いてゆく。

 ようやくアナタは女の目的を理解した。

 見れば彼女には、狐の如き尻尾が生えているではないか。

 自分が抱いている物を鑑みれば、自ずと正体も解ろうというもの。

 アナタはおずおずと口にする。

 ――よろしかったら、一緒に食べませんか?

 女の尻尾がぴんと立った。

 

 

「おぉい霊夢。遊びに来たぜっと」

 箒に跨った魔理沙が高度を下げつつ、声を上げる。そんなんで果たして霊夢の耳に届くとは思えないが、一応の挨拶は済ませたと魔理沙の中では完結するのだった。

 境内には巫女の姿は無く、魔理沙は賽銭箱の横を通り抜ける。そして声を掛けつつ靴を脱ぎ、縁側に上がろうとするその姿は随分と手慣れた様子だった。本殿の障子を開けた所で、目当ての少女を見つける事が出来た。

「霊夢~?」

「あら、いらっしゃい魔理沙。素敵な賽銭箱は後ろにあるわよ?」

 霊夢は普段の調子でお決まりの文句を吐いた。

 対して魔理沙も慣れたもの。まともに取り合う事はせず机の茶請けの煎餅を一枚頂戴する。

「うん、うまいっ!」

「ちょっと――はぁ……、まぁいいわ」

 言っても聞かないものね。

 霊夢の非難めいた呟きも魔理沙の耳に入っているだろう。されど魔理沙は二枚目の煎餅に手を伸ばし、ピシャリとはたき落とされた。

「いててっ。なんだよ、ケチだなぁ」

「タダで食い物にありつこうなんて、虫が良すぎるでしょ」

 言いつつ霊夢は「よっこいしょ」と、おばさん臭い声と共に腰を上げる。魔理沙の分の茶を取りに行ったのだ。

 入れ替わる様に魔理沙は適当な座布団に腰を下ろす。

 いつもの軽口。いつもの日常。

 それ故に魔理沙は気付いた。

「なぁ、○○は?」

「何よ。アイツに会いに来たの?」

 魔理沙は周囲を見回し、湯呑みを持ってきてくれた霊夢に疑問を投げる。

 部屋の中には、新たに幻想郷の住人となった人物の姿が見えなかったからだ。

 霊夢の反応は淡白で、魔理沙は何とも違和感を覚えた。

「○○なら里に行ったわよ」

「そりゃまた何で」

 霊夢は肩を竦めて答える。

 年下の女性に養われるのは我慢ならないから、仕事を探してくると。

「ま、お金を入れてくれるって言うならありがたいのは確かだけどね――って何よ魔理沙」

「ん、いや……」

 矢張り魔理沙は違和感が拭えなかった。

 それが表情に現れていたのだろう。魔理沙を見る霊夢の顔が怪訝なものに変わる。

「なぁ、霊夢」

「だから何よ。言いたいことがあるならハッキリ言えばいいじゃない」

 時に鬱陶しいと思えるくらいに思い切りのいい友人が、珍しく言い淀んでいるので、霊夢は呆れを隠せない。

 魔理沙も魔理沙で、そこまで口にしてまだ迷っていた。

 しかし聞かねば、疑念という棘を抜くことが叶わないのだ。散々口籠ってから魔理沙は聞いた。

「○○を、一人で行かせたのか?」

「? 何よ。当たり前でしょ?」

 魔理沙がずうっと感じてた違和感。

 霊夢が、アナタの側を離れるという事だ。

「私はアイツの保護者じゃないのよ」

 それはそうだ。霊夢の言葉は、非の打ち所がない程に当然である。

 だからこそ魔理沙は気になるのだ。

 昨日、霊夢が見せたアナタへの尋常ならざる態度。空飛ぶ巫女が見せた執着。

 それは、こんな簡単に手放せる様なものでは無かった筈だ。

 それとも、最初から自分の勘違いだったのだろうか……?

 いいや、魔理沙は浮かんだ考えを即座に否定する。

 霊夢の口から聞いた訳ではないが、魔理沙はほとんど確信していた。

「……ま、大丈夫よ。魔理沙が心配する様な事にはならないわ。――便利な目もあるしね」

 突如黙りこくってしまった友人。

 ○○の身を案じているのだろうと判断した霊夢が、その不安を取り除くべく声を掛ける。言葉尻はぼそぼそと小さく、魔理沙の耳には断片的にしか聞こえなかったが。

(何だ? 目があるとか、どういう意味だ……?)

 そうして霊夢はいつも通り。何の不安も心配も無い装いで茶を啜っている。

「……帰るぜ」

「あらそう? お茶くらい飲んでいけばいいのに――って、相変わらず忙しいヤツねぇ」

 霊夢が声を掛ける間も無く、魔理沙は来た時同様に箒に跨り飛んでいってしまった。

 案外と付き合いの長い友人である筈なのに、霊夢は魔理沙が何を考えているのかさっぱりであった。まるで顔を見られるのを隠す様に、去り際、帽子を深く被り直した魔理沙の顔が、ツバの影に隠れていたのが一層その気持を強めていた。

 ズズ――。

 湯呑みを傾け茶を啜る。

 苦味と渋みと、それだけではないお茶独特の甘みが口内に広がり、霊夢はほうっと息を吐いた。

 その心は、波一つ無い大海の如く凪いでいた。

 

 

「はむはむ! はふっはふっ――!」

 ――嗚呼、何という美味さなんだろう!

 藍はようやく得た好物を、獣の本能そのままに頬張る。

 それもこれも、我慢に我慢を強いられた結果だった。

 そんな彼女を、誰が責められよう。

「む、何だ。じっと見て。……譲ってくれた事は感謝するが、これはもう私のものだからなっ」

 その藍の食べっぷりにアナタが見惚れていると、何を勘違いしたか、藍は分け与えた稲荷寿司を隠すように抱え込んだ。

 最初に出会った時に覚えた冷たさは、アナタはもう感じていなかった。

 警戒は相も変わらず向けられているが、守るものが稲荷寿司では、恐怖など感じようが無かった。

 それに何より、八雲藍という女性は美しすぎた。男であれば見惚れてしまう様な美貌の持ち主であった。

 そんな女性が幸せそうに好物を頬張り、好物を取られまいと拗ねた表情を向けてくるのだから。

 好ましく思おうとも、どうして嫌いになれようか。

 そんな風に眺めていると、藍はこちらから視線を外さず、相も変わらず警戒したまま更にもう一つ、寿司を頬張った。

 瞬間逆八を描いていた眉は下がり、咀嚼する度にその頬はだらしなく緩んでいく。

 それを見守るアナタの頬も緩む。

 藍は男のそんな態度が気に入らない様で、食べ終わると再び柳眉が釣り上がるのだった。

 そんなやり取りも何度目だろうか。

 藍も男の態度を改めさせるのを諦め食事に集中しようとする。隣の男の存在を努めて忘れ一つ二つと口にしてゆく。

 幸せな時間とは、過ぎ去るのは斯くも早いもので。

 譲って貰った七つの稲荷寿司はあっという間に無くなってしまった。

 ちらりと藍は横に目を向ける。見れば未だ手付かずの稲荷の山があるではないか。

 それを目にした藍の心の中で葛藤が生まれる。矜持と欲望の(せめ)ぎ合いである。

 しかして直ぐに決着を迎えた。

「な、なぁ? もし食べないのであれば、もう少し分けてくれないか――?」

 恥を忍びつつ男へと請う藍。断れる男など、世にどれほどの数がいよう。

 藍は自分の容姿がどのように――特に男に――映っているのか十二分に理解していた。人に媚びる嫌悪感はあれど、九尾としては男に媚びる点はさして疑問に思わなかった。

 どころか男を騙くらかし貢がせるというならば、妖怪の矜持に反するものでもないと藍は考えたのだ。

 想像してみて欲しい。美女、兎に角美女が潤んだ瞳で媚びるように見詰めてくるのだ。美貌ばかりに目が行きがちだが、その身体もまた、大層男好きのする肉付きのであるのだから、こりゃもう辛抱たまらんとなる訳ですよ、えぇ。

 男の視線が、藍の顔に吸い込まれてゆく。

(ふふん。全く、人間の男というのはちょろいものだな)

 己の美貌を棚に上げ、男のダメさを(あげつら)う藍。

 よしよし。このまま追加の稲荷寿司にありつけそうだぞと思っていたのだが、何かがおかしい。

 男の反応が、今一つ悪いのだ。

 何故だろうか。その原因を考えるよりも早く、藍は男のある行動に気付いた。

 苦笑を浮かべながら、彼は自分の唇を指すような動きをしている。

 はたと藍は気付いた。そして大急ぎで顔を背け、顔に手を這わせると幾つかの柔らかい粒が指先に引っ付いた。

 かぁっと、体温が上がるのを藍は感じた。

 その怒りをぶつけるべく藍は鬼面を作り振り返る。それは紛れもない八つ当たりであり、照れ隠しである。そんなこと、彼女だって分かっている。

 そうでもしなければ溜飲が下がらないのだ。何の、と聞かれたら困るが、兎も角下がらないと言ったら下がらないのだ。

 そうして勢い込んだ藍の目の前に、彼女の好物が差し出されていた。

 視界一杯を埋め尽くすお揚げに、思わず喉が鳴ってしまう。

 ――もう一ついかがですか?

 その向こう、彼の笑う気配がした。

 またもや藍の体温が上がってゆく。

 だが――。

「ふん……。誤魔化されてやるか」

 差し出された稲荷を引ったくる様に受け取る。

 そうして勢いそのまま口に運ぼうとして、じっと注がれる視線に気付いた。

「っ……! いい加減お前も食べないか。じっと見られていたら、その、食べづらい……」

 ――それもそうですね。

 言われてようやく、アナタは一つ目の稲荷寿司を食べる。

 それを確認した藍は、頬張る瞬間を見られないよう、そっぽを向いて稲荷寿司を口にする。

 口内に広がる甘じょっぱい味は、得も言われぬ幸福感を彼女に与えた。

 こんな男とのやり取りも、まぁ悪くないかな、と思わせる程には効果はあった。

 




もの凄い間隔が空いてしまいましたが。

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