神機片手にライが向かった場所は例の診療所だった。
室内には先程と違い殺風景だった。
「人がいるといないじゃこんなに違うんだな。」
そう呟くと屋内を進むライ。
「先生。いらっしゃいませんか?」
ライがここに来たのはまだここの主人である医者に会っていなかったからだ。
往診に出ているにしてもじきに戻ってくると思っていたが未だに戻ってくる様子もなく人っ子一人この地域にはいない。
「別の場所を住居にしてるのか、それとも…」
呟きながら何気なく床に目を向けると一ヶ所だけ床板が割れていた。
「無人の家は傷みやすいからあってもおかしくないけど…」
何気なく気になったので割れた床板を持ち上げる。
床下には地下へと続く階段があった。
「……ありきたりだな。」
苦笑いを浮かべながら外した床板を適当な場所に置き、姿を現した地下階段へと足を踏み入れた。
階段を降りきるとそこは一本の通路となっていた。
ライはそのまま進む。
「地下通路か。アナグラもエイジスと繋がっていたからなんとなく彼処だけじゃないとは思っていたけど…」
ライはヨハネスを慎重な男と思っていた。
最後のシオの確保は強引だったが年数単位で時間をかけてノヴァを育んできた。またアーク計画が公にならないように情報を極秘機密にするなど慎重に事を動かしていた。
リンドウのデータとサクヤとアリサのエイジス潜入という強行策がなければアーク計画のことを知ることはできなかったに違いない。
そんな慎重な男がアナグラ以外にエイジスに繋がる通路を秘密裏に作っていてもおかしくはない。
地下通路を進むと灯りの点いた一室に辿り着いた。
息を潜めて慎重に近づくライ。
そして物影に隠れながら部屋を覗き込む。
目で確認する前に鼻で感じたのは消毒液のような薬品臭だった。
どうやらこの部屋で診療所で使う薬品を調合しているようだ。
改めて室内を覗きこむ。
そこには1つのシルエットがあった。
小太り体型に頭に帽子を被っているようなシルエット。
そのシルエットの正体にライは心当たりがあった。
「誰だ!!」
ライの気配に気づいたのかシルエットが叫ぶ。
男の声だった。そしてライも聞いたことのある声でもあった。
ライは静かに姿を現す。
「お前は…!!?」
「……やっぱり貴方でしたか。」
シルエットに向けて話しかけるライ。
「記録ではロシア支部に向かう途中、アラガミに襲われて行方不明になったと聞いていましたが流石にアリサという貴方にとって“患者”を見捨てるのは些か不審に思ってました。」
「案の定、アリサ達がエイジス潜入の際、貴方の生存を確認できましたが。」
「アーク計画失敗後、また行方不明になっていましたが居住区で医者をしてたんですね。」
そしてシルエットに鋭い眼光で睨み言い放った。
「オオグルマダイゴ先生。」
シルエットの正体はオオグルマだった。
「こうして顔を合わせるのは久しく感じますね。」
「まさか外部居住区で医者をしていたとは思いませんでしたよ。」
「な…何故お前が…!!?」
淡々と話すライと狼狽するオオグルマ。
「ここにいるですか?診療所内を調べたら偶然地下階段を見つけまして降りてみたらここに辿り着いたんです。」
「それでここは薬の調合室といったところでしょうか?ここで居住区から来る患者の薬でも作っているといったところかな。」
「フッ…半分正解といっておこう。」
「半分?」
怪訝そうな表情に変わるライ。それを見てオオグルマは笑みを浮かべる。
「私はここで研究をしている。診療所はこの場所への御礼として診ているにすぎん。」
「まぁ私の作った薬の“実験体”になってもらっているのだがね。」
「実験だと?」
「そうだ。実験だ。私が調合した薬が私の予想通りの効能を発揮するか実験だよ。」
「……その薬が“リフレイン”ですか。」
「リフレインに模したものだよ。前支部長が君から回収したものをさらに私が回収したリフレインを使って私なりに調合した薬物。その実験体にね。」
「何故…そんなことを?」
「何故?分からないのか?」
そこでオオグルマの形相が変わる。
「お前がアーク計画を“潰した”からだよ!!」
「アーク計画は多大な犠牲を払うが確実に救われる計画だった。この絶望しかない世界から脱出できる唯一で壮大な計画だった!!」
「だがお前が全て覆しすべてを潰した!!そしてアリサも私から離れていった…」
「アリサ?」
ライの疑問に答えることなくオオグルマの独白が続く。
「私の新薬の被験者は本来アーク計画で助かる筈だった人々だ。アーク計画の希望に縋りお前のせいで絶望に堕ちた被害者達だ!!」
「だから私はリフレインの新薬を作り、夢のひとときだけは幸福にいられるようにしたのさ!!」
「なるほど。」
「僕に関する悪い噂も貴方が流したんですか?」
「噂は勝手に増大して広まったにすぎない。私は『アーク計画失敗には第1部隊が関わっているらしい』としか話してないからね。」
「そうですか。」
間接的とはいえ薬物中毒者の原因はライにあると罵るオオグルマ。
だがライはショックを受けた様子もなければ傷ついた様子もない。
「そうですか。貴方が言いたいことは分かりました。」
「貴方の言う通りなら僕は憎まれる存在なのでしょう。」
「それで?僕にどうしろと?」
「廃人になった人達に土下座して謝ればいいんですか?賠償金を払えばいいんですか?」
「そんな“無意味”をしろというならやりますよ。それで相手が納得するなら地に頭をつけますよ。」
「……無意味だと!!?」
「無意味だろ。終わったこと、過ぎたことに縋って今を生きようとしない。それが薬物中毒者だ。」
「そんな無駄に寿命を使うなら堂々と復讐しにこい。」
過去に起きたことは変えられない。如何なる生物や“神”でも。
時は平等に流れ、一度たりとも戻ることは叶わない。
故に過去を変えるという愚を犯すことは何人たりとも許されない。
「恨め!!憎め!!怒りをぶつけにこい!!無駄な堕落より有意義に命を使えるぞ!!!」
「噂で元凶も分かっているんだ。いつでも殺しにくればいい!!僕が…“私”がすべて受けてやる!!」
普段無表情で滅多に話さないライが今は狂気的な笑みを浮かべ高らかに話す姿はある意味では政治家の演説にもみえた。
だが言っていることがあまりに苛烈過ぎてオオグルマの背筋が凍りつく。
「貴様の下賤な戯言も聞き飽きた。貴様を拘束し公安に突き出す。大人しくしてもらおうか。」
「拘束するだと…!?私は医療に従事してたに過ぎん!!」
「だが貴様はアーク計画の関係者だ。公安がアーク計画の関係者を捜査してるのは知っているのは知っている筈だ。」
「クッ…」
神機を構え、一歩一歩オオグルマに近づくライ。近付くたび後退するオオグルマ。
「待て!!私を捕らえたら薬物中毒者はどうなる!?」
「知らん。しばらくはフェンリルの更生施設にでも入るんじゃないか?」
「薄情者め!!」
「ヤク漬けにした奴に言われたくない。」
オオグルマがどんなに罵倒しようともライは気にする様子もなく返す。そして歩も止まらない。
「ならばせめてお前を道連れだ!!」
追い詰められたオオグルマはポケットから“注射器”を取り出す。
「これには“ノヴァ”の偏食因子が入っている。」
「ノヴァ?」
「前支部長がいないうちにこっそりと回収したものでね。私はこれの研究をしている。」
『だから?」
「フッ…どうせ助からない命だ。ならばこの命をノヴァにくれてやる!!!」
そう叫ぶとオオグルマは自身の腕にノヴァの偏食因子の入った注射器を射し込んだ。
「は……ハハ…これで…すべてがお終いだ!!!!!」
……これがオオグルマの“人として”の最期の言葉となった。