義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第三十七話

 若江城が攻略されたことで、事実上高屋城への道は開かれたも同然のものとなった。

 元々の戦力差は歴然ながら、どこか甘く考えていた畠山家も事ここに至って緊迫した事態に色を亡くした。

 かつて、三管領に名を連ね、幕政を左右するほどの立場になり権勢を極めた名家であったにも関わらず、今となっては城一つを守ることも叶わぬほどに零落しきっている。

「殿下の軍勢は小山城を囲んでいるとか。安見殿が援兵を要請しておりますが……」

 配下からの報告を受けて、遊佐長教は厳しい口調で答えた。

「ならぬ」

「では、如何様に……」

「援兵を出すとは伝えよ。それまで、持ち堪えるようにとな」

「……御意」

 不満そうにしつつも余計なことは言わず、配下は下がっていく。

 長教の命は即ち小山城を守る安見清時を見殺しにするということである。

 古墳を改造した小山城は二重の堀に守られた城塞ではあるが、かといって鉄壁かというとそうでもない。力が肉薄している場合は別だが、残念ながら今の畠山家の兵力では将軍家が掻き集めた軍勢には為す術がない。小山城はあの軍勢に取り潰され、一揉みに打ち砕かれることだろう。

「当方に援兵を出す余裕があろうはずもない……」

 やや疲れた表情を浮かべ、長教は扇で膝を叩く。どうにも果々しくない情勢に、苛立ちが募っているのである。

 城主にして主君である畠山政国は頼りにならない。そうなるように、仕組み祀り上げたのは長教であるのだから当然ではある。若輩にして自分で考えるということを知らない当主は、平時であれば体のよい傀儡ではあったがこの戦時ではお荷物である。

 政国にはほとんど情報を与えていない。

 というのも、あれでも当主なので発言に重たい力があるのだ。逼迫した現在、余計な一言でさらにややこしい問題を作られても困るというものだ。その分、自分が判断を下していかなければならないが長教がいくら頭を捻ったところで畠山家の滅亡は避けられそうにもなかった。それどころか、自分たちの生命すらも怪しい。将軍義輝は畿内秩序の完全掌握を目論んでいる。敵対勢力には厳しく当たるに違いない。あの将軍には伝統ある名家だから存続させるという抜け道が通じそうにもないのだ。隙を見せれば、徹底的に突いてくる。狐のように狡猾な男だと長教は爪を噛んだ。

「かくなる上は……」

 高屋城すらも放棄して、紀伊国に潜伏するよりほかにない。

 権力の座を縦にしてきた長教ではあるが、臥薪嘗胆ができないということはない。彼もまた勢力争いに敗れた父と共に各地を点々としてきた過去がある。失敗したとしてもただでは起きない。たとえ主家筋を利用したとしても成り上がるという強い権力欲は、一時の恥辱を力に変えるのだ。

「遊佐殿! 遊佐殿はおられるか!?」

「騒々しいですぞ、丹下殿」

 床板を踏み鳴らしてやってきたのは、丹下盛知である。

 家中に於いて、丹下家は遊佐家に次する立場にある名家であり、先代と長教は対立関係にあったこともある。その先代が畠山稙長の死に殉じたためにお家が断絶しかかり、その名を惜しんだ長教が平家の盛知に丹下の家名を継がせたのである。

「これが、黙っていられるものですか。氏綱様が、姿を消されたのですぞ」

「なんだと!? どういうことだ!?」

「恐らくは夜陰に乗じて城を抜けられたものかと。食えぬ男です。どこぞから昨今の情勢を知ったのでしょうな」

「おのれ……」

 氏綱は畠山家が将軍家に対して戦を仕掛ける大義名分である。これを手放すということは、それだけ畠山家の立場が揺らぐことになる。再起を図るにしても、手っ取り早いのは旧高国派を糾合することであり、そのための旗印として氏綱の存在は必要不可欠である。

 故にこそ、彼を手元に置き懇ろに養っていたというのに、まさか抜け出すとは。

「行き先は、紀伊だな」

「あの惰弱者が頼れる場所は、そこしかありませんでしょうね」

「うぬぅ……うむ、やはり、我等も紀伊に向かうほかない」

「氏綱様をまた担がれるのですか?」

「それ以外に手があるまい。現状、我等が勢力を盛りかえる手段は管領に対抗する組織を作ることだ。そのためには旗頭が必要なのだ」

 確かに氏綱を御輿にするのは、勢力回復の最短手段ではある。

 ここで畠山家が滅んだとしても、細川晴元に異議のある勢力が駆逐されるわけではない。畠山家としての再起は、将軍家の敵となった以上難しいかもしれないが、それでも遊佐家が細川家の一派を擁立する形でならばまだ立て直し様はあった。

「しからば準備を進めねばなりませんな」

「そなたも来てくれるか?」

「遊佐殿に拾い上げていただいた我が身なれば、何処なりともお供いたします」

「おお、そうか。そう言ってもらえると、心強い限りだ」

「殿は如何されますか?」

「共に落ちる他あるまい。あれでも主君、見捨てたとあっては後の信頼に響こう」

「では、私は供回りを集めてまいります。遊佐殿は、殿の説得を」

「うむ」

 落ち延びる時間は幸いなことにまだある。将軍家の軍勢が囲んでいる小山城までは一里もある。急いで行軍してきたとしても、四半刻はかかるであろう。それだけあれば、身を隠すには十分である。

 政国の説得も、さして難しいことではないだろう。彼は長教の傀儡であり、長教がいなければ自分で決断を下すこともできない愚昧な当主と成り果てた。そうなるように、手を回して来たのである。使い勝手のよい政治の道具。ならば、いつ、どこで切り捨てるのかということも考えるべきであろう。そして、長教は政国を手元に置くことに決めた。今の段階で切り捨てるのは時期尚早である。畠山家の当主として、まだまだ矢面に立ってもらわねばならないからである。長教はこれまで通りに、影から畠山家を支え、家政を取り仕切る。自分が表に出ては、動かせるところも動かせない。幕府の敵となりはしたが、畠山家の権威も馬鹿にできないのである。そして、いざというときには楯になってもらうのだ。そのための、当主なのだから。

 あまり大人数で移動するとなると、それだけ目立つことになる。高屋城から一歩外に出れば、そこはすでに敵地と思わなければならないのだから。 

 

 

 

 

 

 

 高屋城の一歩手前で城攻めをしている将軍家ではあったが、決して高屋城を放置していたわけではない。

 高屋城近隣の二上山城は将軍家の手に落ちて久しい。信貴山城と共に、高屋城を監視するに相応しい立地にあり、山麓に布陣する細川昭元の手勢が遠巻きに高屋城を監視していたのである。決してこちらから積極的に動くことはない。高屋城を攻撃するのであれば、昭元の手勢だけでは少なすぎるし、光秀と協力したとしてもまだ足りない。故に、昭元と光秀の手勢は高屋城を監視し、紀伊国への退路を絶つ形で兵を散らばらせていたのである。

 無論、河内国と紀伊国の間には大きな山脈が横たわっており、総ての道を警戒するのは不可能に近い。山中に踏み込まれれば、まず発見はできないだろう。

 それでも、道を封鎖することはできる。

 主要な街道である高野街道に野武士のように兵を散らせた光秀の策は功を奏したといえる。

 担当者は三宅秀満。光秀とは親戚関係にあり、彼女を姉と慕う姫武将である。

「これは、当たりっぽいね」

 木々の間に潜むこと一月あまり。

 秀満の手勢三十は関所を設けず、あえて通行自由にすることで獲物が引っかかるのを待ち構えていた。

 その秀満の罠に飛び込んできたのは、やせぎすの男と供回り十人ばかりである。河内国方面から紀伊国に向かう者には一層の注意が必要であり、密かにその様子を盗み見れば位の高い武士であるように見える。

 着の身着のままで逃げてきたのか、持ち物は少ない。しかし、その衣服は決して地位の低いものでは手の届かない高級品である。秀満でも、着たことはない。

「高屋城が落ちたって話は聞いてませんけど」

「城が落ちる前に、逃げ出したってことでしょう。あれが、高屋城の者ならという場合ですが」

 隣で一緒に息を潜める島左近が答えた。

「ありゃ城から落ち延びた武将で間違いないですよ。視線が定まってない。恐怖を感じてるってことです」

「つまり、自分が討たれる立場にあると自覚しているわけですか」

「何にしても不審です。身柄確保ですね。何者かは捕まえてみれば分かるでしょう」

「強引過ぎます。これでは夜盗か野伏ですよ」

「では通しますか?」

「いいえ、捕まえます。仰るとおり、調べるだけ調べないといけませんからね」

「じゃ、一緒に行きますか」

「ええ、心強いです」

 言った傍から秀満は槍を片手に茂みの中から飛び出し、街道に向かって一直線に斜面を駆け下りる。それに後れを取るまいと、左近が猛然と走り出した。

 それが合図となり、茂みや岩の陰に潜んでいた明智勢が三十人が次々と街道に飛び出していく。

「な、なんじゃおぬしらは」

 よく鍛えられているのであろう。供回りの者たちは素早く秀満の手勢に対応し主人を取り囲んで手出しさせないように守っている。肉と鉄の壁に囲まれた主人と思しき人物は、顔を青くして身を縮まらせている。

「わたしは明智家中三宅秀満、訳あってこの街道を行く者を調べさせてもらっている。見れば名のある武人のご様子、早々に名乗られよ」

「明智? 明智は確か……」

「殿下の直臣の一人です」

「な、何と……」

 明智の手勢と知って、円陣の中心の男はさらに恐怖に顔を引き攣らせた。

 これほど分かりやすい反応をしているとなると、間違いなく高屋城から落ち延びてきた者であろう。

「単刀直入にお尋ねしますが、あなたは畠山縁故の者か細川氏綱殿の関係者ですか?」

「し、知らぬ。そのような名は知らぬぞ」

「そうですか。では、後でゆっくりと聞くとします」

 秀満の中ではすでに彼が敵だと確定してしまっている。この場での問答は後で身元を確認する手間を省くためのものだ。答えないというのであれば、捕らえて尋問すればいい話である。

「殿、お逃げください! ここは我等が!」

 叫ぶ一人が秀満に槍を突き出す。円陣が崩れて怒涛のように槍が前方、秀満に襲い掛かる。

「ハハ、いいね。そのほうが分かりやすい!」

 秀満は武勇に秀でた武将というわけではない。もちろん、一通り剣術や槍術、弓術、馬術を修めてはいるが、それは一騎当千を名乗れるほどのものではなく、数人に囲まれれば奮戦の末に討ち取られる程度のものでしかない。もしも、この場にいたのが秀満とその部下だけならば数に物を言わせた一点突破で道を切り開くこともできたかもしれない。

 しかし、現実はそう甘くはない。

 明智勢最強の武勇を誇る島左近がここにいる。

 槍の怒涛は彼女の槍捌きに受け止められ、また或いは受け流された。出鼻を挫かれた敵は、歩を止めてしまう。

「よし、大将以外は斬っていいんだな!」

「はい。ですが、極力生け捕りで。無理なら斬ってください」

「めんどくさいな、まあやるさ。おら、来いよ」

 左近は、向かってくる敵兵の喉に槍を突き刺し、蹴りで跳ね飛ばす。倒れた敵は仲間が押さえつけ、痛めつける。

「殿! お逃げを、お逃げください!」

「一人たりとも逃がすな!」

 秀満が怒鳴った。

 ここまで追い込んでおきながら取り逃がしたとあっては、明智の名に傷が付く。それだけは何としてでも避けねばならない。

「ぬるいよ、ぬるい。あんたら、そんなんで戦働きが勤まるか!」

 左近はもはや武器すら使わない。拳一つで向かってくる敵を殴り倒している。数の暴力以上に、左近の存在が勝敗を分けた。

 敵大将を守っていた十の供回りのうち、半数が討ち死にし、もう半数は身動きが取れないように荒縄をかけられた。

「ひぃ、命ばかりはッ」

「まったく、あなたのために戦った者たちの前でそのようなことを言うんですか」

 秀満はため息をついた。

 五体満足なのは、この男だけだ。簡素ながらも高級感のある衣服は今となっては見る影もなく泥に汚れてしまっている。

 もったいない、いい着物なのに。

「絶対に逃がさないように。島さん、姉さんに報告お願いできますか?」

「了解です。秀満殿も、コイツ厳重に見張ってくださいね」

「もちろんです。せっかくの手柄首です。みすみす逃がしたりはしませんよ」

 秀満は悠然と笑った。

 頬に血が付いていなければ、直の事美しく見えただろうが、今の彼女は相手からすれば死神に等しい。

 「殿」と呼ばれた敵の大将は必死になって喚いているが取り合うものは誰もなく、秀満が森の中に立てた掘ったて小屋に押し込まれることとなったのだった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 今回の畠山討伐に於いて、最も苛烈な抵抗を見せたのは高屋城から北に一里離れた小山城だった。城兵は寡兵ながらも士気が高く、開城要求にも応じず徹底抗戦を主張し続けていた。

 だが、それもほんの数日の間だけだった。

 結局は多勢に無勢。決まりきった勝敗であり、彼らの抵抗は落城を数日の間だけ先延ばしにする程度の効果しかなかったわけだが、今回に関して言えば、それが功を奏したことになるのか。

 高屋城は無血開城。

 こともあろうに遊佐長教と畠山政国は城を捨てて遁走していた。行方を捜させているものの、今の時点ではどこに行ったのか皆目見当もついていない。

 高屋城の内部を探索させ、特に危険なものがないと分かるや俺は城内に入り内部を自ら検めた。

 争った形跡もなく、敵城の本丸とは思えないほどに綺麗なまま残されている。この城を捨て、畠山政国はどこに逃げたというのだろうか。

 軍議の間として利用されていたという広間に入り、そこを当面の指揮所に定めた。

 高屋城は古墳の上に建つ城だ。正直に言えば、落ち着かない。この時代の人間の中のどれだけが、ここが未来で天皇陵に治定されるような重要な土地だと理解しているだろうか。落ち着いてきたら、保全を考えなければならないだろうし、うまいこと利用すれば天皇家の覚えもよくなるかもしれない、などという利己的なことを頭の片隅に考えながら、光秀からの使者を出迎える。

「三宅殿か。光秀から話は聞いているが、彼女の親族なのだそうだね」

「は、我が主人とはいとこの間柄でございます」

 目前で平伏する姫武将は、どことなく光秀に似た風貌であった。光秀と同じように色素の薄い髪をしており、後ろで縛っている。

「そうか。光秀は元気にしているか? 面倒な土地を任せてしまっていて、負担になってはいないだろうかと心配はしているところなのだが」

「心身ともに健康そのものです。殿下に任せていただいた土地をより豊かにするべく、日々力を注いでおります」

「それはよかった。欲を言えば、彼女にはまた傍に戻って欲しいところだったんだが……まだ、しばらくは領地の安定に心血を注いでもらわないとダメかな」

「殿下がお望みとあらば、光秀はすぐにでも殿下のお傍に馳せ参じます。領国経営も重要ですが、何よりも殿下の下で働けることがあの方の喜びですので」

「そこまで言われると、今すぐにでも呼び戻したくなるな……」

 俺は頭を掻いてつい悩んでしまう。

 光秀は文武に秀でた才媛である。今の時点で、俺の固有兵力を指揮統率できるのが孝高しかいないというのが将軍義輝としての機動力を損なわせているように思うので、光秀のように裏方から軍事までこなせる有能な将兵は、是非とも俺の直接指揮下にいてもらいたい。その一方で、大和国を押さえる要としても光秀の領地は重要な意味を持つ。

「うん、とりあえずは現状維持のままではあるが、近く光秀には中央に来てもらうだろうから準備だけはしていてもらう」

「御意、光秀にもそのように伝えます」

「ああ、よろしく。ああ、話が逸れた。重要な連絡があって尋ねてきてくれたんだな」

「は、申し上げてよろしいでしょうか」

 俺が頷くと、

「先日、高野街道を張っておりましたところに、高屋城から落ちてきたと思しき一団を発見、戦闘の末に五名を捕縛いたしました」

 秀満の報告に俺だけでなく、この場にいた諸将もおお、と感嘆と期待の声を上げた。

「身元を示せる物を所持しておりませんでしたので、あくまでも口頭ではありますが、細川氏綱と名乗っております」

「何? 氏綱だって?」

「は、しかしご説明申し上げましたとおり、本人の口からの発言であり証拠がございません。着の身着のままで高屋城から逃れてきたとすれば当然かも分かりませんが……」

「その者、まだ生かしてあるな?」

「はい。信貴山城の牢に入れ、昼夜を問わず監視しております」

「よし、よい報告だ。氏綱さえ抑えてしまえば畠山の再起も叶わないだろう。誰か、氏綱の顔を知っている者はいるか?」

 秀満の報告が想像以上に色よいものだったので、声が上ずってしまった。

 長く畿内を荒らした両細川の内訌に終止符が打たれることになる。この戦いはここまで長く続けばどちらに正当性があるなどとはいえない。一方が潰えるか諦めるしかない。そして、氏綱の敗北は晴元率いる京兆家の勝利を意味する。

 文句なしの完全勝利をするには、氏綱の決定的な敗北の証拠を押さえる必要があった。

「義輝様、藤賢殿をお呼びするのは如何でしょうか?」

 俺の問いに、藤孝が答えた。

「藤賢。ああ、なるほど」

 一瞬、誰のことを言っているのかわからなかったが、藤の字が入っていることからも分かるとおり俺から一字与えられている武将の一人である。以前会ったのは、将軍になった時だっただろうか。二十以上も年上であるが、彼は今まさに問題になっている細川氏綱の実の弟なのだ。

 驚くべきことではあるが、氏綱と異なり藤賢は徹頭徹尾幕府側に立っている。今回の戦いも従軍こそしていないが後方で立ち回り物資の確保などで活躍していたと記憶している。すぐに頭に出てこなかったのは、あのおじさんの影が薄いのが悪い。

「だが、彼も氏綱に直接会うのは久しぶりだろうし、顔を覚えているかな」

「藤賢殿が相手の顔を覚えておらずとも、あちらが藤賢殿を弟であると認識すれば確定ではありませんか?」

「む、なるほど」

 藤孝は中々悪辣なことを考える。いや、言われてみれば確かにその通りである。

「そうしよう。急ぎ藤賢まで早馬を出せ。確認が取れ次第首を刎ねる」

 非常に残酷な宣言をする。細川氏綱に個人的な恨みは何もないのだ。それにも関わらず、その命を奪うように命令を出さねばならない。戦をしろと命じるのも似たようなものか。しかし、自分で殺せと直接命じるのは、戦いに兵を送り出すのとはまた別の、苦汁を噛み締めるような辛さがあった。

 人の命を奪うということに慣れている自分がいる。この辛さも一日と経たずに忘れてしまう程度のものなのだろう。以前と同じようにだ。

「三宅殿、よくやってくれた。それと、光秀によろしく伝えてくれ」

 秀満にそう声をかけて下がらせる。

 氏綱の問題が解決したが、後は逃亡している畠山政国と遊佐長教一行の行方を明らかにするという重要な案件が残っている。向かう先は間違いなく紀伊国であろうが、その進路をどうとるか。高野街道は光秀と昭元が押さえているので、そうなると河内国を経由するのだろうか。あるいは遠回りで海から入るか。高屋城が落ちたことで、南河内の旧畠山家残党勢力の勢いは著しく弱まっている。手勢を各地に派遣して、敵対勢力の駆逐をさせているが、まだ重要な二人の行方が分からない。

 もっとも、彼らの行き先は十中八九紀伊国であろうし、それに氏綱を失った彼らに再起の芽はほとんどないだろう。――――いつか紀伊国もまた戦場となる。その際に、再び敵対するという可能性はあるだろう。

 紀伊国は中央の政治から距離を置くお国柄である。将軍家が力を増し、今後全国に影響を及ぼせるようになれば、必然的に敵対することになるだろう。その際に攻め込む理由として、畠山主従は利用できるかもしれない。招来を見越すのであれば、紀伊国にいるという情報だけでも掴んでおきたいところではあった。

 

 

 

 ■

 

 

 

 畠山家の残党を一掃し、河内国を制圧した暁には、この地の支配を完全なものとするための「仕置き」をする必要がある。要するに人事である。それが頭を悩ませるのだが、さて誰にこの南河内国を任せようか。戦功の第一は光秀であるから、順当に光秀だろうか。そうすると、彼女を手元に戻すのがさらに遅れてしまいそうだが、氏綱を捕縛した功績はこの上ない功績と言えるだろう。将軍権力を補強するためにも、自分に近しい者に力を得てもらう必要がある。

 悶々としながら廊下を歩く。

 高屋城は三の丸まである大規模な城郭である。相応の数の兵を取り揃えれば、数年に亘って持ち堪えることも不可能ではなかっただろう。ただ、今回は将軍が相手であり援軍の期待がまったくなかったために城を早々に放棄したのであろう。南河内国の支配の一大拠点として、今後大いに発展を期待できる。

 考え事をしながら歩いていると、反応が遅くなってしまう。前方に長慶と一存、そしてその配下数名がいるのが見える。相手はすでにこちらを認識しているようで、道を開けている。

「長慶に一存、戻ってたのか」

 二人は畠山家残党を追討している最中である。戻ってきているということは、一時兵を退いたか、あるいはすでに自分たちのノルマをこなしたということだろう。

「はい、殿下。この度の勝利、真におめでとうございます」

「ありがとう、長慶。一存もだが、君たちの協力あっての勝利だ。こっちこそ、感謝しなければならない」

 摂津衆の中でも彼女の部隊の働きは目覚しかった。噂に違わぬ名将振りで、戦場で華々しく戦っていた。

「ああ、そうだ、後で打診しようと思っていたことがあった」

「は? わたしにでしょうか?」

「ああ。此度の戦の論功行賞でな、長慶には摂津の守護代を引き受けてもらおうかと思ってるんだ」

「…………え、は?」

 長慶はらしくなく呆然とした表情を浮かべた。

「まだ、内々の話だ。おおっぴらにするなよ」

「は、はい。いや、しかしわたしなどが、それに管領様が何と仰るか」

「だから、内々と言ったんだよ」

「あ、はい……」

 長慶は複雑そうな顔をしている。

 それもそのはず。彼女は未だに晴元の部下という立場にいる。それに俺が直接役職や領土を与えるのは定石に反するのである。ある意味では引き抜き工作と取られてもおかしくはなく、諸大名も将軍が自分の家臣に直接役職を与えるのを忌諱している。家臣と将軍が自分を跳び越えて結び付くのは、自らの権威を脅かすことでもあるからだ。

 まして、摂津守護代は細川家の重臣である香西家が務めてきた。近年のその影響力を大いに減らしているとはいえ、三好家を新たにつけるというのは明確な晴元への挑戦であった。

「じゃ、伝えるだけ伝えたからな。正式には後日通達する」

「は、承知いたしました」

 長慶は慌てて頭を下げた。

 鳩が豆鉄砲を食らったような顔を引き締めて、大役に奮い立っている。彼女の器であれば、守護代程度は役不足かもしれないが、それ以上ともなるとさすがに飛躍しすぎる。

 長慶と別れて自室に向かう。

 これから客が来る予定になっているのである。

 大きな戦が終わり、討伐戦になっているのでこちらに戦の火が回ってくることもない。最前線でも、敵が血を流すのが大半であるという。

 自分の部屋として扱うここは、元は歴代畠山家の当主が利用していた部屋だという。邸宅は城外にあるので、ここは戦などの際の緊急時に使用するものであろう。

「殿下、管領様がお見えです」

「通してくれ」

 外から声をかけられて、俺は素早く返事をして居住まいを正す。しばらくしてから、管領晴元が昭元を引き連れてやって来た。

 亜麻色の髪の小柄な姫武将は、桃色を基調とした着物を身に纏っていて、武将というよりも公家の姫を思わせた。正真正銘の名家に生まれた姫としての姿勢を存分に示しているといえる。

「此度のご戦勝、真におめでとうございます。畠山が河内から一掃されるなど、応仁以降なかったこと。まさに、殿下の武勇のすばらしさあってのことでございましょう」

「歯の浮くような台詞はよせ。まあ、その賛辞はありがたく頂戴するが」

 晴元はにこやかに俺を持ち上げる言葉を並べ立てた。聞いているこちらが恥ずかしい。昭元以外に人がいないのがありがたかった。

「昭元、久しぶりだな」

「はい、義輝様のご活躍、つとに伺っておりました。此度は何のお役にも立てず、申し訳ございません」

「そんなことはない。昭元の手勢も紀伊への道を塞ぎ、大和との境を守ってくれた。おかげで長教たちの逃走経路がある程度絞れているんだ。そう卑下しないでくれ」

「あ、ありがとうございます」

 昭元は、繰り返し頭を下げる。

 彼女自身、できるだけ手柄を挙げたかったのだろうが、戦に直接参加することは叶わなかった。それは、彼女の領地が、高屋城よりも南にあり、兵をこちらに出すことができなかったからである。この辺りの理由は光秀と同じであり、だからこそ光秀と連携して高野街道などの紀伊国への道を塞ぐ形で兵を出してもらっていたのである。

「南河内の仕置きが残っているとはいえ、当面の大敵は去ったわけだ。これで、俺も多少は落ち着ける」

「そうですな。畠山が落ちた以上、畿内で殿下に逆らう者はそうは現れませぬ。これを機に、さらに支配を固められるべきかと存じます」

「ああ、俺も同意見だ」

 頷いてから、昭元を見る。

 彼女の存在も鍵になる。

「で、管領殿。日取りは決まったのか?」

「何分、戦続きでしたもので。もうしばらくお待ちください。伊勢殿や土御門殿と相談しておりますので」

「伊勢と土御門か」

「礼儀作法は伊勢、日取りは土御門。どちらもその道の権威でございます」

「ああ、承知している」

 伊勢家は幕府政所の長を代々務める家系であり、土御門家は言わずもがな安倍晴明の末である。

 今の政所執事は伊勢貞孝であり、近く排除する予定の人物ではある。無論、これは俺の心の中にしかない話ではあるが伊勢家は代々幕臣を務めているだけあって礼儀作法に通じており、婚礼に関する書物も残している。

「昭元も何かと準備がいるだろうしな」

「我が小女ならば、いつでも構いませぬがな」

「いやいや、それはダメだろう。なあ?」

 昭元に話を振ると、彼女はポカンとしたままだ。話についていけないという風である。

「昭元、聞いてるか?」

「あ、はい。申し訳ありません……そのお話の内容がいまいち見えず……」

「……晴元殿、まさか伝えていないのか?」

「いつでも問題ないと思っておりましたので」

 ハハハ、と晴元は笑っている。

 確かに彼には彼で多くの仕事があり、此度の戦でも兵を集め、指揮するなど負担はあった。婚儀の準備を平行して進める余裕はなかったのは分かるり、昭元もまた戦に集中する必要があったのは事実である。しかし、婚約についてまったく話をせずにここに連れてくるというのは……晴元は、鶴の一声で昭元が従うので伝えるのはいつでもいいという考えなのかもしれないが、昭元にだって心の準備があるだろう。

「あの、一体何が?」

「ああ、俺と君の婚儀の話だ。そこにおわす義父上は、すっかり昭元に伝えるのを忘れていたようだけどね」

「はあ、婚儀ですか。わたしと……義輝、様の………………え゛?」

 昭元は目が点になり、石化した。

 無論、比喩ではあるが表情も身体もすべてが停止してしまった。石化時間はざっと数十秒にもなった。

「え、え、えぇえええええええええ!?」

 そして、昭元は天地がひっくり返ったような驚愕に襲われる。

 気持ちは分からなくもない。突然、コイツと結婚しろと言われれば、誰だってこうなるだろう。今は戦国の世。政略結婚など当たり前の時代であるから、政治的な理由で昭元も俺も何れは相手を娶ることにはなっただろう。

「こら、昭元。はしたない声を出すものじゃない。夫となる方の前だぞ!」

「へあ!? は、はい!」

 晴元の一喝を受けて、昭元は背筋を正した。

「あ、あの……本当にわたしと義輝様が、夫婦になる、と?」

「日取りは未定だが、近くな。義父上が諸々手配してくださることになっている」

「そ、そうなのですか」

 すとん、と昭元は驚愕から覚めて脱力した。

「いきなりな話で申し訳ないとは思うが……」

「い、いえ。驚いただけで……はい」

 昭元は顔を紅くしながらうつむき加減で頷いた。

 そして、手を付いてさっと頭を下げた。

「あ、ぁあの、その、ふしだらではあるますが、よ、よろしく……」

「ふつつかだ、馬鹿者ッ」

 緊張していたのだろう。言い間違えた上に噛みまくっている。父親が慌てて叱責し、自分の言い間違いに気付いた昭元は紅くないところがないというほどに顔を真っ赤に染め上げた。

「あ、え、あわッ! ふ、ふつつか者ではありますが、何卒よろしくお願いしますッ!」

 そして、昭元は捲くし立てるように一息に言い切った。

 すでにして泣きそうな顔をしている。

「はは。うん、ふしだらでも構わんぞ、俺は」

「申し訳ありません! 今のは本当に、ただの言い間違いです! どうか、お忘れください!」

 恥ずかしさで一杯一杯の昭元は視線を合わせることもできずに俯いたままである。

「申し訳ありませぬ、殿下。小娘も初めてのこと故、戸惑ってしまったようで」

「これは義父上が事前に心の準備をさせていなかったことが悪いのだ。昭元を責めても仕方ない」

「それもそうですがな」

 晴元は愉快だと言いたげに笑う。男二人の間に勝手に取り決められた婚儀の話なので、昭元は文句が多々あるだろう。それについては、俺としても申し訳ないと思う。何より、俺の政治的な都合で進めたものでもある。

「義父上、少々席を外してもらえませんか?」

「む? と申されると?」

「これから夫婦になるのだ。色々と話しもしたいが義父上同席では、何かと都合が悪いのです」

「なるほど。さらば、邪魔者は消えるとしましょう。無論、朝まで戻らぬつもりですので」

「え、お、お父様? あの……!」

「務めを果たせ、昭元」

 サムズアップの文化があれば、きっとしていただろう。それほど明白に昭元に期待を押し付けて、未来の義父は去っていく。

 ポツンと取り残された昭元はギクシャクとした動きでこちらの様子を窺ってくる。

「いや、まあ、本当に話をするところから何だけどね……」

 俺は頭を掻いた。

 晴元は大いに勘違いをしたらしいが、いきなり手出しとはいかない。

「昭元、とりあえずは事情の説明からしたほうがいいよな」

 言われて、昭元はゆっくりと頷いた。

 彼女からしても突然の展開だ。話を聞く必要はあるだろうし、話していく中で自分が置かれた状況を正しく理解できるだろう。

 


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