東高野街道を南に下った俺たち隊畠山討伐軍は、京を出た当初は五〇〇〇人ほどだったのが、時を重ねるに連れて数を増し、ついには一〇〇〇〇人を越えるまでに膨れ上がった。当初の倍になる数字ではあるが、予想の範囲内ではある。
飛ぶ鳥を落とす勢いで復権しつつある将軍家とお家騒動を頻発し、領国の半分を仁木家に奪われた没落寸前の畠山家では影響力が違いすぎる。
野崎城に在陣してから十日余りが過ぎた。ここまで兵を進めていながら、その先に進まないのは敵方の動きを探っているからである。義政配下の間諜たちが、夜通し敵地に忍び込んで情報を探ってくれていることに加え、光秀と昭元もまた治めている城が敵地を俯瞰する位置にある利点を活かして敵情監視を続けてくれている。
「向こうは兵が集まりきっていないようではあるな」
そして入ってきた情報を精査していくと、どうやらこちらが想定していた以上に畠山家は厳しい状況に置かれているようだ。
「俺としてはありがたいことだが」
「畠山家も権威ある家なのにね。どうしてこうも、まあ将軍家に敵対するってのはこういうことではあるんでしょうけど……」
孝高は特に驚くこともなく呆れに憐憫を込めてため息を吐いた。
「とはいえ、向こうには立派な城がある。一筋縄ではいかないだろう」
このまま南下していけば、数刻のうちに敵城へと至るだろう。
最終的な目的地は畠山政国と遊佐長教がいる高屋城ではあるが、攻めかかるためにはその途上にある城を攻略する必要がある。
取り急ぎ落とさねばならないのは、若江城であると見ている。
この城は河内国の城ではあるが、ここ数年の間は近江国の六角家が支配していた。それを、戦いに備えて遊佐長教が奪い取ったのである。
俺たちが陣を張った野崎城の南に位置し、畠山家の防衛線の一角を成している。若江城が領する若江郡は三方を川で囲まれた湿地帯であり天然の要害だ。よって畠山家にとって、若江城は北の軍事拠点であり、高屋城に匹敵する重要性を有しているはずである。
となれば、攻め落とすか降服させるしかないわけだが、そう容易く城は落ちないだろう。
「うーん、どうするか」
「時間をかければ、畠山にも援軍が来るかもしれないよ。そうなると、負けはしないだろうけどこっちの負担も増える」
「分かってる。かといって、徒に消耗すれば後々尾を引きかねん」
先鋒は摂津勢に任せると周知している。
将軍家の子飼の兵を失うわけではないが、大きな視点で見れば彼らもまた俺の配下である。使い潰すような真似はしたくない。
下手なことをして人命を消費してしまえば、その後の幕府経営に悪影響を及ぼす。また不安定な将軍の地位だ。買う恨みは少ないに越したことはない。
そう、恨みと言えば――――、
「あちらは晴元への反発心を利用して仲間を増やそうと画策していたようだな」
「分かりきってたことだよね。誰だって、そう考えるでしょ」
「まあ、その通りだ」
こしゃくな孝高の言葉のとおりと俺は頷く。彼女の言うとおり分かっていたことだったのだ。畠山家の現状を考えれば、動員できる兵力は万には絶対に届かない。如何に河内国が肥沃な土地で商業にも強い土地ではあっても、その南半分しか領有していないのでは地力が弱すぎる。木沢長政の事件によって、畠山家の財力も衰えた。木沢家が横領していた財貨を将軍家――――要するに俺が分捕ってしまったからである。
財なし土地なしというのは、俺が産まれた頃の将軍家のようではあるが、あちらはさらに権威も落ち目である。となれば、旧縁を頼って兵を集めるか、敵の敵は味方戦術で行くしかない。
俺が晴元を総大将にしなかったのも、この点を危惧していたからでもあったのだ。
もしも晴元を総大将にすれば、彼には従えないという勢力が畠山家に就いてしまう可能性もなくはなかった。俺の晴元への信頼はその程度であり、実際に細川氏綱が挙兵したときなど、あわやというところまで裏切りの可能性は忍び寄ってきていたのだ。
畿内の戦はほかの地域の戦とは毛色が違うように感じる。
他国との戦ではあるが、どことなく内戦の雰囲気を醸し出している。それは、恐らくは古来幕府という一つの旗の下に集った国人たちの争いだからではないだろうか。
「義輝様、こちらにいらっしゃいますか?」
障子戸の外から聞こえてきたのは、長慶の声だった。
「どうした?」
「畠山方の国人より、書状が届きましたのでご報告をと思いまして」
「分かった。入ってくれ」
「はい」
長慶はスッと音もなく障子戸を開けて部屋の中に入ってきた。
戦国史に名を刻む偉大なる名将の一人にして悲運の武将。
正史においては戦国時代の中でも最も華やかな時代にはすでに没しており、知名度で言えば織田信長や上杉謙信などの有名所には劣るだろう。しかし、幕府権力を倒すというやり方は取らないまでも、畿内一円に三好家の大勢力を築き上げ、信長以前の時代に於ける天下人に最も近い立場にまで昇りつめた戦国時代中期を代表する武人であると俺は認識している。
その長慶もこの世界では姫武将だ。
しかし、その能力はなんら正史に劣ることはない。
恐ろしいことに、この世界の女性は物理法則を無視しているのではないというくらい身体能力が図抜けている者も少なくない。それが、正史での有名所に顕著に見られる性質であると思われるので、俺としても彼女のような有名所は味方にしておきたいところではあった。そして、幸いなことに現時点で長慶との間に大きな間隙は見つからない。
平伏しようとする長慶を制して、要件を尋ねると長慶は一通の書状を差し出してきた。
「予てから敵方の将には書状を出して返り忠を促してまいりましたが、これはその返答の書状になります」
「ほう、なるほど」
戦の定石は戦う前に敵を切り崩すところにある。上手く嵌れば自身よりも強大な敵を打ち倒すことも可能となるであろう。
裏切り工作が決め手となった戦は関ヶ原の戦いが上げられる。
兵力と陣形で不利な徳川家康が僅か数刻のうちに石田三成を討ち取れたのも、総ては事前工作の賜物であり、有史以来あそこまで気持ちよく裏切り工作が嵌った戦はないだろう。
敵を寝返らせて味方につけるというのは、戦わずして敵を減らし、味方を増やすという高効率な戦術である。それを実現するには戦略レベルで相手を上回らなければならないため非常に手間隙がかかるが、成功した際の効果は最高だ。
俺は受け取った書状の封を開けて、中を検める。封を切らずにそのまま持ってきたのは、いらぬ疑いかけられまいという長慶の配慮だろう。
差出人は水走忠元とある。
「ん? みず、はしり?」
「みずはや、と読むそうです」
「そうか。いや、難しいな」
即ち、
枚岡神社の創建は神武天皇の治世当時と伝わるほどに古く歴史があり、そこの神官を代々務めている水走氏もまた古代から存在する由緒ある家系である。枚岡神社は主神を
「まあ、極普通の内応約束だな」
「水走殿たちは、こちらに就くということですか?」
「そのようだ。まあ、彼らも厳しい状況なんだろうな」
生き残りをかけた戦いはすでに始まっている。没落する勢力に味方をすればどうなるか。今の時代は、敗者には優しくはない。
「水走家はもともとは一大勢力を築き上げたこともありましたが、幕府に敵対して征伐されましたから」
「そうなのか?」
「はい。といってもずいぶんと昔のことです。それこそ、初代様の頃まで遡りますが」
「尊氏様の頃か。南北朝の初期も初期だな」
「水走家は南朝に就いていたのです。結局は高師直様に討伐されて降服しましたが、武家としての力を一晩にして大幅に減衰することになりました。これまでは畠山家の庇護を受けていたようですが、もはやそれもここまでと判断したのでしょう」
「世渡り上手、ではないか」
言いかけて止める。
世渡り上手であれば、北朝に就いただろうから。それでも当代の忠元は幕府側に就く決心をしたらしい。それはそれでありがたい話ではある。
「ところで、長慶」
「は」
「この話はここだけにしてくれ。水走家の裏切り、誰にも知られぬようにな」
「承知しました。……何か、お考えが?」
俺はそれを聞いて孝高に視線を向ける。彼女も何かしら思いついたらしく笑みを浮かべている。にやりとした底意地の悪そうな笑みだ。
「とりあえずは保留だな。これが使えるかどうかは追々考えるとしても、寝返りを知られていないという状況を簡単に失うのは惜しいだろう」
もしも、人に知れ渡らせたほうがいいというのならばすぐにでも公表すればいいのだが、隠されていることで利用できることもある。
「ともあれ、よく報せてくれた。長慶、これからも頼むぞ」
「はい。微力を尽くします」
静かに頭を下げる長慶に俺は微笑する。
長慶の退室の後、孝高を視線を交わす。
「これは事実だと思うか?」
「まず間違いないと思う。長慶が言ってたとおり、水走家は大分苦しい状況だからね。一応、砦を構えるくらいの力はあるところだけど」
「一豪族でしかないか。動員できる兵力も数十人が限度ってとこだな」
「水走も、早々に武家を諦めて本職に打ち込めばいいのにね。まあ、この時代じゃ、神官やってても武力が求められるのかもしれないけどさ」
寺の場合は、土地を守るために僧侶が武装する僧兵が存在している。平安時代の末期から、時の政権を苦しめてきた宗教勢力の力は、この時代でも依然として強い。幸いなことに枚岡神社は、それ単独では大きな力を発揮できない。こちらの力を頼みとするのは、彼らの地力がそれだけ貧弱だからだろう。
「水走家の領地は、若江城に近いのか?」
「そうだね。若江城の東、生駒山の麓にあるよ。領地を接していると言ってもいいし、若江城に従属していると言ってもいいと思う」
「なるほどね。さて、どうするか。今更、水走家程度の勢力が味方になってもなあ、というのはあるが……」
俺は手の中で届いた書状を玩びつつ、考える。
これを上手く使って戦争を早期に終わらせることができるかどうか。どうすれば、相手に効果的な打撃を与えられるのかという点は、常に頭を悩ませる。
■
河内国は、遙か未来では大阪府と名を改める国である。五百年の歴史が正しく進めば、河内国であった場所は開発が進み、固く引き締まった土壌を形成するのかもしれないが、戦国の世では大きくことなる。
名は体を表すとも言うが、河内国という名の通り、この国の中には無数の川が縦横無尽に走っている。それらの川の多くは河内国の北部にある深野池と新開池という二つの湖と繋がっており、また、流れて大阪の海へと注いでいく。
水運に秀でた国とも言える。
また、水害に弱い国とも言える。
河内国の民は、古くから水の恵みを得て育ち、水の災害に会って涙してきたのである。
そして、こうした川の存在は河内国に根を張る国人たちにとっては天然の要害を形作るものであり、それそのものが巨大な水堀として機能する。また、過大な湿気は多くの湿地帯を形成し、野戦での戦いを困難なものとしてしまう。
一国そのものが巨大な城のようではないか。
攻め寄せる将軍家の軍勢が、如何に大軍であったとしても、地の利に秀でる若江城はそうそう落ちることはない。
そして、若江城を預かるのは城主である遊佐長教の側近である姫武将
彼の一族は古くから遊佐家に仕える譜代の一族である。長教が畠山家の実権を握ってから、その立場の確立に血と汗を流してきた女である。
「河内は畠山の領国……そして、今となっては遊佐一門のものだ。いくら将軍家と雖も手出しはさせんぞ」
胸の内に燻るそれは、使命感にも似た焦燥だ。
先祖伝来の使命である。遊佐家を盛り立て、その勢力を拡大していくことは、盛秀が幼いころから仕込まれてきた義務でもある。将軍という上位の立場にある存在を相手にしても、その志は揺るがない。
長い黒髪は後ろで束ねて流している。女性らしいのはそこくらいのもので、険しい顔立ちと肩に担いだ薙刀は、屈強な男すらも近付けない異様な殺気を醸し出し、歴戦の女傑を思わせる風体となっていた。
空が白みがかってきた。もう少しで夜が明ける。果たして将軍家は、いつ頃攻め寄せてくるだろか。
「ご注進!」
床を踏み鳴らして部屋に入ってきた側近の一人に、盛秀は鋭く尋ねる。
この時勢だ。ここまで息せき切って報告にやって来られると、いよいよ戦かと思って気分が刺々しくなる。
「何事だ?」
「一刻ほど前、水走様の砦を将軍方三好勢が攻めかかったとのことです!」
「何!? こちらよりも先に水走を攻めたか!」
なるほど確かに、水走家の居城は砦を構えてはいるが生駒山の麓ということもあり足場はしっかりとしている。若江城のように水の守りがあるわけでもなく、砦の規模も小さいので攻めやすかろう。
「水走様は一族共に城を抜けられており、城代に救援を求めておいでです」
「ここに来たか?」
「城外にてお待ちいただいておりますが」
「分かった。三好の軍勢に不意を討たれたとあれば、水走の手勢では凌ぎきれんだろう。城内に入れ、負傷者の治療に当たらせよ。戦力は多いに越したことはないからな」
「御意」
水走家は名家である。藤原氏の時代は終わったが、それでもその末裔である近衛家は未だに強い力を持っている。現将軍の母もまた近衛家の出身。母方の氏社の大本に当たる元春日――――枚岡神社の神官を無碍に扱わないだろうということもあって、水走家の身柄はこちらが押さえておくべきだとも考えていた。
それに今の段階では、最も早期に敵勢と交戦した勢力でもある。情報を集める必要性からも、直接自分が会うべきだろう。
水走忠元は、怪我しているかもしれない。ならば、こちらからまずは足を向けるほうがいいだろうか。
そう思って、盛秀は受け入れた忠元に会いに行くことにした。
「片時も武器を手放さないのですね」
忠元はすらりとした体形の姫武将だった。
野卑な感じはしない自然体で、育ちのよさを思わせる。古代から続く名家の当主だからだろうか。それとも、由緒ある神域の管理者として生を受けたからであろうか。武士にしては血の匂いがしないのだ。
怪我をしているようにも見えず、彼女は面会に来た盛秀の傍まで歩み寄ってきたのだ。
「三好勢と戦われたとお聞きしましたが、ご無事で何よりです」
「わたしは何とか。ここにいる者たちも、幸いなことに軽症で済んでおりまして……しかし、先祖伝来の地をこうも容易く奪われてしまうとは……本来であれば、命を賭して戦わねばならぬというのにお恥ずかしい限りです」
しおらしく、忠元は項垂れた。
「奪われたのであれば、取り戻せばよいのです。我らが畠山家とて、北河内を仁木に奪われ、煮え湯を飲まされておりますので、お気持ちは分かります」
「そう言っていただけると、救われるような気がします」
「しかし、貴殿とて無防備でいたわけではないでしょう。いったい、何があったのですか?」
水走家の屋敷は、砦も同然の守りがあったはずである。城というほどではなくとも、その成立からして土地を守るために武士化した一族である。こちらに援軍を求める間もなく、それどころか争う様子を窺わせることなくあっさりと陥落してしまったのはどうしたことか。
「不意を突かれました。我等が手勢はもとより少ないのです。夜闇に乗じて強襲を受け、瞬く間に門を突破されてしまいました。口惜しいことです。我が手勢の中に、敵に繋がる者がいようとは」
「何と、裏切りか。そやつが敵を招きいれたと?」
「その者が何故わたしを裏切ったのか、今でも分かりません。ですが、彼は寝ずの番で門を守っていると見せかけて……守ることもせず、門を開いてしまったのです。門が破れれば、わたしの館など無防備も同然……再起を図るべく、こうして逃げ延びてまいりました」
訥々と語る彼女はどうにもやつれて見える。命の危険から間一髪で逃げ延びたのだ。その安堵から力が抜けている状態なのだろう。武士としては情けなく思えるが、姫としてはこれが正常でもある。これを機に、神官の職務に邁進してくれればいいが。
「相手は松明も持たずにはわたしの館を強襲しました。あまりのことに、逃げるのが精一杯の有様で……」
「さすがは音に聞こえた三好長慶。恐ろしい武略を使うと見えますね」
昨夜は星しかない夜だった。よく晴れてはいたが、だからといって夜闇に紛れて行軍し強襲を成功させるのは容易ではない。事前工作が実った形とはいえ、攻めかかるのも難しいだろうに。やはり、三好長慶は危険な武将だ。
「三好長慶はわたしの館を拠点にするつもりでしょうか?」
「さて、それは物見を出さねば何とも言えませんな。わたしたちが気づかなかったとなると、火を放たれたということもないはずですので、そこに陣を張ったのかもしれません」
襲撃を受けたという水走家の館と若江城はそう離れているわけではない。星明りしかないよく晴れた夜ならば、火の手が上がればすぐにそれを分かるはずである。それがないということは、焼き払われてはいないということであり、後々に使用する意志があるということでもあるだろう。もしも、使うつもりがないのならば敵に奪われたときを想定して焼き払っておくのが定石だからだ。
「ともあれ、あなた方の傷が浅いのは幸いです。遠からず、彼奴らはここにも攻め寄せてくるでしょう。川と湿地に囲まれたこの地は大軍を展開するには不都合な地ですので、決してわたしたちが不利になるということもありません。打ち倒し、そして所領に凱旋されるのがいいでしょう」
「はい。度重なるご厚情、誠にかたじけなく存じます」
安堵したのか相好を崩した忠盛は、深々と頭を下げた。
さらりと絹糸のような髪が肩口から零れる。その美しさを羨ましいと頭の片隅で思いつつ、盛秀は勝利を確約して持ち場に戻ったのだった。
■
長慶が見事に水走家の居館を占領してから二日が経ち、将軍家の本陣は長慶が落とした水走家の館に移された。
少しばかり高台にあることもあり、若江城を遠くに見ることができる。平野部に建つ平城のため、見張るのは簡単だ。
よく想像される天守のある城ではない。複数の建物を塀で囲んだ広大な軍事施設こそ若江城の正体だ。土を盛り上げた高台を作り、櫓としている。石垣はなく、山城ではないので山道を登る必要もないが、本丸は二重の堀に囲まれていて厄介だ。攻めかかるにしても入口は正面一つだけときた。
ここから若江城まではおよそ一里の道のりだが、玉串川を越え、続く湿地帯に気をつけながら行軍しなければならない。
当初こそ川を利用して抵抗していた敵勢も、今は篭城の構えだ。
「相手は地の利を活かせてないね」
孝高が言った。
「まあ、兵力が少なければ仕方ない」
俺は肩を竦める。
兵力が少ない。それはつまり川岸を守ることができないということである。川を越えるだけならば、簡単にできそうだ。
「問題は城の周囲にある湿地帯だ。機動力が下がる大軍で、ここに踏み込むのは厳しいだろう」
「うん。まあ、そこは腕の見せどころってことで」
川を渡る舟は事前に用意されている。河内国は畠山家だけが支配しているわけではない。北河内国に入った仁木義政はもともと南部の畠山家の動向を監視するために任命したようなものだ。彼女の使う優秀な伊賀者たちによって、この辺りの地理は大方調べ尽くされている。
「先鋒は……」
「池田信正殿」
孝高が答えた。
「その後ろに長慶と藤孝か」
河内国の将軍家直轄領を治める細川藤孝は、俺の幼馴染でもある。難しい土地をよく守り発展させてくれていると素直に感謝するが、後詰とはいえ危険な場所にいる。
「若江城。まともに攻めれば弾き返されるのがオチだけど……」
しばらくして、戦は始まった。
先鋒を務める摂津衆の攻撃は、まず城下に火を放つところから始まる。乾いた風に火が乗って、瞬く間に城下町が炎上する。逃げ惑う人々、というのは初めからいない。城の中に入ったか、あるいは逃げ散って別の街に行ったかしたのだろう。燃える家々を見て、胸が苦しくなる。しかし、戦となれば城下町の建物はそのまま敵の隠れ家となる。奇襲を警戒するのならば、火を放ったり取り壊したりするのが定石なのだ。
攻め手は長慶や藤孝の部隊を合わせても三〇〇〇人を多少上回る程度である。若江城ほどの城を落とすには心もとない数ではある。古来、城攻めは愚策とされる。落とすには、それ相応の数の兵力を揃えなければならない。
「けど、まあそれは城が城として機能していればの話だけど」
若江城にもそれなりの数の兵が篭っているだろう。一〇〇〇人には届かないだろうが、城を守るだけならば可能な数だ。時間をかけて干上がらせるという手もあるが、より確実を期して戦いたい。そのための準備を進めてきたのである。
愚直に進む池田勢五〇〇は、若江城の正門に攻めかかる。城に攻め寄せるというのに迷いが見られないのは、生来の恐れを知らない勇猛さからか。否、それだけではない。なぜならば、信正が攻めかかると同時に機を見計らった内応者が門を開いたからだ。
「やった! 水走よくやった!」
俺は思わず歓声を上げた。
若江城の内応者。それは、長慶によって土地を追われたと偽装した水走忠元であった。偽装のために、彼女の部下には敢て傷を負ってもらうなどした。すべてがうまくいくとは思っていなかったが、若江城の平城で門が一つという構造も手伝って、見事に嵌ってくれた。
一度敵を引き入れてしまえば、如何なる城も一溜まりもない。敵を寄せ付けないことを前提しているのだから当然である。若江城内の敵兵は数で劣る。守りを失った彼らがどう足掻いたところで、勝機などあるはずがなかった。