義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第三十一話

 仁木義政は地下牢にいた。

 薄暗い闇の中を歩き、義政はある牢の前に立って中を覗き込んだ。

 牢と言っても畳み一条程度しかない狭い牢だ。

 牢の中には南河内国から潜入していた畠山家の間者がいる。義政と同じくらいの年齢の少女だが、なかなか優れた忍であるらしい。しかし、それも掴まってしまえばもう終わりである。自害することも許されず、虜囚の憂き目にあっている。

 地下牢には彼女以外には収監されておらず、静寂が肌に突き立つような気もするくらい静かである。

「ねえ、聞こえてますよね」

 義政はしゃがみこんで、牢の中の少女に語りかけた。

 少女は答えない。

 口には猿轡がされており、首から下は麻袋に包まれてその上から荒縄で縛られている。さらには目隠しまでされていて、端的に言えば聴覚を除くすべての感覚器官が遮断されている状況であった。

 少女は弱弱しく呻くだけである。

「いい加減、吐いてくれませんか。このままだと、本当に壊れてしまいますよ」

 義政は、少女を決して痛めつけることはない。

 拷問は好まない。その代わり、一切危害を加えることなく、義政は情報を抜き出す。考える力そのものを失わせて、要求を刷り込んでいくのである。

「何も感じないのは辛いでしょう。ちゃんと喋ってくれれば、解放しますよ。……ね」

 赤子をあやすような声音で、義政は少女に話しかける。

 さらに、スッと牢の中に手を差し入れて、首筋を撫でる。感覚の大半を遮断されていた少女は、触れられたことで鋭敏になった身体を震わせた。

「やっぱり、もうかなり敏感になってますよ。……でも、ここまで。食事まで、ずっと一人で、この静かな環境の中でよく考えてください。まあ、考えすぎると死にますからほどほどに」

 そう言い残して、義政は立ち上がった。

 これまで、何人もの虜囚を落とし、口を割らせた感覚からすると捕らえた少女は陥落寸前だと思う。

 感覚遮断は痛みを伴わないが、かなり残酷な拷問である。

 常人ならば、一日も持てばいいほうであろう。

 精神は崩壊し、幻聴や幻覚を見るようになる。解放した後も、しばらくは判断能力が著しく低下する。収監した少女はまだ半日しか経っていないから、これから自分の身に起こる事態を理解できていないのである。しかし、そろそろ静寂に耐えられなくなって独り言を呟き始めるだろう。

 幕府存続のために、南河内国の情報は喉から手が出るほど欲しい。

 できることならば、今すぐに、乱暴なことをしてでも聞き出すのがいいのだろうが、焦って誤った情報を掴まされても困る。

 義政は牢を出て、護衛と合流する。埃っぽい牢内から出た直後で、義政は羽織を一回はためかせて埃を落とし、屋敷に向かって歩き出した。

「義政様」

「どうかした、半蔵さん」

「はい。あのですね、実は……あくまでも噂なのですが」

 鎧兜に身を包み、顔すらも面で隠した異形の忍者はその実細身の女性である。父親が先代の将軍の下にいたという縁から、義政の側近に引き立てられたのである。

 この忍者が一人いれば、雑兵の五人や十人は大して苦労することなく始末することができる。

 その半蔵が、義政にある情報を耳打ちした。

「え、……し、祝、言。殿下が……?」

「あ、いえ。そのような噂が出ているというだけで、確定した話ではないのですが」

「そ、そうね。うん。噂ね噂」

「しかし、殿下ももう祝言を挙げられてもおかしくはないお歳ですし、何れはどうなるか」

「…………」

 義政は渋い顔で爪を噛む。

 半蔵は背筋に冷たい何かが滑り落ちたような気がした。

 義政にとって幕命は必須で将軍家の次世代の確保は国家の大事である。義政がどうこう言える問題ではないにしても、内心の不愉快は抑えきれない。

「半蔵さん。殿下のお相手と目されるのはどなたですか? 日野家の姫ですか? それとも、近衛家?」

 日野家は日野富子を輩出したことで有名な貴族の家柄であり、応仁の乱以前は代々足利将軍家と縁戚関係を持つことで勢力を誇っていた。現在は何度か断絶を経験したことで衰退しているが、義輝の乳母である春日局が日野家の人間であったこともあって、義輝が庇護下に置いている。また、近衛家は義輝の母の家であり、摂関家の流れを汲む名門である。どちらの姫も、義輝の相手とするには十分な理由が考えられた。

「あ、いえ。貴族の方ではなく細川家の姫だそうで」

「な、まさか昭元殿……? そんな、前例がない……」

 将軍の嫁は、貴族から迎えるのが通例である。

 まして昭元は細川家の跡取り娘だ。もしも細川昭元を迎え入れれば、細川家を継ぐ者がいなくなる。それでは、跡取りはどうするつもりなのか。あるいは細川家を断絶させるつもりか。

「聞いたところによれば、二人お産みになられれば、後から産まれたほうを細川家の跡取りとするとか」

「そ、その手があったか……!」

 嫁入りしても、元の家に子どもを養子にいれれば家を保つことはできる。

 これまで、そういった例が少なかったために、まったく考慮していなかった。

 まさしく天啓にも等しい発想である。雷に打たれたかのような衝撃であった。

「義政様……?」

「いえ、今は殿下のために情報収集に努めよう。噂は噂に過ぎないですし」

 喜怒哀楽入り混じったかのような複雑な表情で呟き、義政は早足で牢の前から立ち去った。後を追う半蔵は、周囲に気を配りつつ、主の様子を注意深く観察していた。

 

 

 

 □

 

 

 

 

 義政から急報がもたらされた。

 畠山家が晴元が当主として送り込んだ畠山四郎に変えて畠山政国を新たに当主として擁立したとのことである。この報に接した晴元は即座に詰問の使いを畠山家に遣わせたが、畠山家はまともに取り合わなかったという。 

「で、どうするの殿下は?」

「どうするかねぇ、なんて言ってる場合でもないな」

 孝高に問われて俺は頭を掻く。

 諸将を集めての評定では、畠山家の御家問題が専らの議題に上がっていた。珍しく晴元も参加し、腹立たしさを明らかにしている。

「畠山家の幕府への敵対行動はもはや言い訳のしようがないところまで来ている。よって俺は、軍を起こし討伐するべきだと考えている」

 諸将を見据えて俺は宣言した。

 幸い、金はある。

 木沢長政討伐以降、幕府の財政難は改善方向に進んでいる。土地を手に入れたことに加えて、幕府の力の上昇を察した各地の豪族たちが進んで献金を始めたからである。

 安定しているとはいえないが、それでも南河内国の畠山家を倒すだけの兵力は揃えられるだろう。

「なるほど、殿下のお言葉はもっともです。しかし、畠山家は三管領の一。名家中の名家でもあります。これを攻めた後、どのような対応をされるのでしょうか?」

 茨木長隆の質問に、俺は言葉を吟味した上ではっきりと伝えることにした。

「畠山は取り潰す」

 俺の言葉を、長隆は目を見開いて受け止めた。

 驚愕を露にしたのは、長隆だけではない。

 三淵藤英や細川藤孝の父である三淵晴員や藤孝の養父となった細川元常なども居合わせていたが、一様の反応を示していた。

 それも当たり前と言えば当たり前であろう。

 長隆が言ったとおり、畠山家は名門である。それもただの名門ではない。足利氏の一門であり、足利一族の中では斯波氏に次ぐ序列を与えられた家格である。管領になるだけの家格があるのはもちろんとして、現管領を務める細川氏よりも格上なのである。

 それを取り潰すとなれば、少なからぬ反発があるのは分かっていることであった。

「畠山家が名門だということは重々承知している。だが、ここ数十年。あの家が幕府に何かしら恩恵を与えたかといえば否だろう。それどころか、ここ最近は幕府に対して非常に敵対的な態度を崩さない。これ以上の混乱を避けるためにも、畠山家は倒さなければならない」

 強く、諸将に訴える。

 じろり、と集った者たちを見回す。

「意見は?」

 少し待ったが、誰も何も発言しない。

 畠山家を庇いたい者も、中にはいるだろうがしかし今回ばかりは分が悪い。父上に対しての工作が判明しており、管領からも睨まれているとなれば、ここで畠山家を庇い立てすることは、自らの首を取られることに繋がるのである。

「意見することなど、あるはずもありませぬ」

 やっと静寂を崩したのは晴元であった。

 相好を崩して、平伏する。

「殿下のご英断、真にもっともと心得まする。されば、御敵畠山の討伐は不肖この晴元にお命じくださいますよう……」

「なるほど、率先して大悪を討とうという心意気はさすが管領殿」

 晴元の言葉を俺は笑って聞いた。

「だが、あなたにばかり骨を折らせるわけにも行かないだろう。つい最近、氏綱を退けたばかりではないか。この戦は幕府の将来を占うものでもある。陣頭には俺自ら立つのが道理だと思う」

「で、殿下ご自身が。いや、しかし」

「もちろん、管領殿のお力は何にも代え難いものだ。存分に頼らせてもらう場面は多々あるだろう」

「は、……承知いたしました。微力を尽くしましょう」

「頼みにしているぞ、管領殿」

 晴元の本音としては自分を総大将とする管領軍で以て畠山家を滅ぼし、南河内国への影響力を極限まで高めたいというところであろう。畠山家は晴元にとって目の上の瘤である。管領の立場を脅かしかねないということだけでなく、氏綱を匿い、兵力を貸与しているとなれば即座に討ち滅ぼすべき敵と認識するのは当然だ。

 晴元が折れたことで、諸将も反論することはないだろう。

 俺は、評定の間を見渡してこれといった意見が出ないことを確認すると評定の解散を告げた。

 こうして、対畠山路線を明確に打ち出した俺は、孝高に命じて戦の準備を急がせた。

 彼女のことだから、事前にかなりの手回しをしているはずである。一月とかからず、畠山領内に攻め寄せることができるだろう。

 俺の仕事は諸将に手紙を送り、協力を要請することから始まる。戦を決するのは兵力であり、将軍家だけで揃えられる兵力は、畠山家にまだ劣る。連中は紀伊国から僧兵を担ぎ出すこともできるようだから、南河内国内だけが版図ではない。

「まずは光秀と昭元に大和の懐柔を進めさせて、それから義政と藤孝に国境線の監視に当たらせる。で、京の近辺から兵を募兵すると」

 山城国から河内国北部、そして大和国の北部もすでに将軍家の版図に入っている。

 晴元の影響力をこれ以上広げさせないようにしつつ、自分の影響力を広げるには畠山家の領土を丸々戴いて直轄地にするのが手っ取り早い。

 俺は自室で悶々としながら考えを深める。 

 晴元が今回は味方といて動いてくれるので、総合的な兵力は畠山家を凌駕するだろう。後は、どれだけ将軍家で戦功を独占できるかという問題である。

 叶うことならば、自分の身近な人間や直臣格が武功を立ててくれると助かるのだが。

 とりあえず、寝ることとしよう。あまり根をつめても仕方がない。

 蝋燭の火を消して、布団に入る。

 睡魔はすぐにやってきた。沈み込んでいくような感覚と共に、静かに俺は眠りに就いたのだった。

 

 

 

 □

 

 

 

 南河内国の畠山家の勢力を考えれば、幕府軍に相対するだけの力を即座に用意できるとは思えない。 

 こちらが万事に渡って十二分に用意を固めて出陣すれば、滞りなく片付く問題である。

 が、しかし、世の中そう上手く事は運ばないらしい。

 畠山家を討伐すると決定してから数日経ったある日の正午過ぎのことである。ドタドタと騒がしい足音が聞こえたかと思うと、小さな茶髪が慌てた様子でやってきたのである。

「聞いた殿下! 管領様が、池田家の当主に切腹を申し渡したって!」

「んあッ?」

 飛び込んできた孝高の言葉に俺は妙な声で返事をするしかなかった。

「もう一度言ってくれないか。池田がなんだって?」

「聞こえてたでしょ。池田家の当主を、晴元が切腹させようとしてるって」

「池田の当主っていうと、信正か? 筑後守の?」

「うん」

「今更過ぎるだろ、なんでこの時期にやるんだよ!」

 俺は頭を抱えた。

 池田家は、摂津国の名族である。摂津国は細川家が守護として受け継いだ国だが、現在は小国分立状態となっていて、その中で池田家は古くから池田城に拠って勢力を保ってきた家柄である。

「確かに、池田は氏綱に同心したが、……晴元は許しただろう。結構前に」

 池田信正は、晴元から氏綱に鞍替えして先の乱では協調路線を歩もうとしていた。もしも、氏綱が堺を取っていれば、そのまま摂津国内招き入れ、兵を集めて京を窺っていただろう。

 その後、三好長慶の説得によって晴元に非を詫びて、帰参したはずである。

「管領殿の気が変わったんだよ」

「気が変わったで味方の豪族を潰して堪るか」

「それもそうだけど、きっと殿下の判断が関わってると思う」

「何?」

「管領殿は自分の権力が減衰していることを悟っているはずなの。そこで、殿下が管領殿の進言を却下したものだから、きっと」

「自分の力を示すための生け贄に池田家を選んだってのか」

 孝高は小さく頷いた。

「いったい何を考えているんだよ。支離滅裂というかなんというか」

「多分、これから氏綱と雌雄を決するから、そのために後顧の憂いを取り払おうとしてるんじゃないかな。まあ、このままだと摂津が丸まる敵に味方するかもしれないけど」

「言われんでも分かる。まずは池田城に使いをやって、切腹を思い止まらせる。すぐに動けるのがいいな。惟政、いるか?」

 声をかけると、すぐに黒髪の少女が現れる。

「ここに」

「至急摂津の池田家に使いに行ってほしい。書状を渡すから、準備が出来次第向かってもらうことになるが、構わないか?」

「はい」

「そうか。それじゃ、頼むぞ」

 その後、書状を手早く用意して惟政に持たせ、その日のうちに池田家に使いを送った俺は、晴元と話をするべく動くことにした。

 面と向かって晴元を咎めるのは初めてだが、今はあちらも将軍とことを荒立てたくはないはずだ。何とかなるだろう。


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