この時代、日本は全国的に不安定な政治状況におかれている。
将軍家及び有力家臣のお家騒動にはじまる応仁の乱からもうじき百年の月日が流れる。というのに、政権はまったく安定せず、こともあろうに、地方の大名は独立して各々が思うままに勢力を拡大している始末だ。日本各地で戦端が開かれ、多くの人が死んでいく毎日。神や仏に祈ったところで改善するはずもなく、力によって再度国を統一しなければ、いつになってもこの戦乱の世は治まらない。
山城国の中央にある京は、古来から朝廷が置かれ、また足利幕府もここを拠点としていることから、名実ともに日本の中心地になっているのは間違いない。
武家の棟梁が暮らし、天皇の座す京という場所で起こる戦は、当然ながら、地方の戦とは、その意味が根本からして異なってくる。
京を支配することは即ち、この国の中枢を取ることにつながるからだ。
そんな京は、このときも政争の真っ只中にあり、将軍家父子ともに山城の国から退散しなければならないほどになってしまっていた。
原因は、時の管領細川晴元と、俺の父親である十二代将軍足利義晴の意見の食い違いから生じ、晴元はその軍事力を背景にした高圧的な態度を取り、父は発奮して、俺を連れて京を後にしてしまったというわけだ。
困ったことに、幕府は現在、細川政権と言ってもよい状態なので、お飾りの将軍がいなくても問題なく機能してしまう。
晴元としては、目の上の瘤がなくなった隙に、より自らの地盤を強固にしようとするだろう。
「どれくらい経ったかな。ここに来て」
「・・・もうじき、二年になります」
「そうか」
部屋から適当に桜を眺めながら、隣の少女に尋ねた。
彼女は、やや、沈痛な面持ちで答えてくれた。
「苦労をかけるな。藤孝」
「そのようなことはありません。わたしは、義藤様のお供ができて光栄なのですから」
俺が父の命を受けて早めの元服をして、義藤と名を改めたとき、萬吉は藤孝、弥四郎は藤英と改名した。
藤の一字は、俺からの感謝の意味を込めて与えることにした。いわゆる偏諱というやつである。
そのときの、藤英の喜びようといったらない。感激のあまりに泣き出してしまったくらいで、そのときは大げさだと笑ったものだった。
彼女は打算を抜きにして仕えてくれるので、絶対に手放してはならない家臣であることは間違いない。
京を離れて二年。
俺たち一向は、近江国の最西端に位置する朽木を宿としていた。
あの織田信長が、朝倉攻めから撤退するときに通った場所。朽木越えの舞台となったところなので、俺の知識にも確かに存在している。
ここは、若狭で獲れた魚介類、特に鯖を輸送する上で重要な街道が通っていて、その名も鯖街道。
若狭で摂れる新鮮な鯖を塩漬けにして、京まで運び入れるということで、商業の盛んな土地となっているのだ。
まあ、俺は、新鮮だからといって、生の鯖を口にすることはないけれど。アニサキスが怖いから。
ちなみに、平成の世ではこの鯖街道を利用して、鯖街道マウンテンマラソンが行われている、が、そのコースが未舗装だったり高低差が激しかったりするので、ウルトラ山岳マラソン鯖街道マラニックなどと呼ばれているんだとか。
「前途多難だな」
なんにせよ、今の状況では、俺が将軍になったとしても管領の意見が政治に大きく関わってきてしまう。
その細川政権も、俺の知る史実どおりならば家臣の三好長慶によって潰えることになる。その先に待っているのは、松永久秀と三好三人衆による俺暗殺で間違いない。
幸か不幸かまだまったく分からないが、この世界の歴史の流れは、俺の知るものとは少し違うようなので、うまく立ち回ればなんとかやっていけるはずだ。
「大丈夫です、義藤様。何があろうとも、この藤孝が、お守りして見せます」
「うん。藤孝のような家臣をもてたことは心強い限りだ。これからもよろしく頼む」
「はい」
未来を変えるためにも、俺には有能な家臣が一人でも多く必要だ。
藤孝は、姉と同様にただの遊び相手ではなく、俺にとってかけがえのない家臣になっていたのだ。
将軍位を継ぐまでに、いったい何ができるのか。
わからないことが多すぎて、手が出せないというのは辛いことこの上ない。
とりあえず、十に満たない身の上で将来の心配をしなければいけないということに、俺はため息をついた。
そんな朽木での隠遁生活の日々の中、俺の元に使者がやってきた。
六角家当主六角定頼から、歌会の誘いだった。
娯楽に餓えていたことはまったく否定できない。
京は良くも悪くも文化の中心地。上流階級の遊びは京から始める。
そんな京で将軍家の人間として生まれ育った俺は、貴族の遊びを多少なりとも身につけていたし、それを楽しむだけの知識もあった。伊達に精神年齢が高くない。幼いときから、必要そうな知識は率先して取り入れていた。
その甲斐あってか、足利義藤の名は、文化方面にも知られるようになり、今では文武両道の若君となっていたりする。
恥ずかしい限りだ。
二日後、俺たち将軍家一向は、琵琶湖を横断し、定頼の治める観音寺城に向かった。
船を下りた俺は町の賑わいに軽く圧倒された。
賑わいという点では復興中の京よりも上、堺と同じような空気を感じる。どんなものかといえば商人の雰囲気だ。
通りを慌しく人が行きかい、威勢のいい声が飛び交っている。
城下町の名は石寺。
この場所からでも、そびえる繖(きぬがさ)山の山上に築かれている観音寺城を見ることができる。
観音寺城の特徴はなんといっても総石垣という点だろう。南腹の斜面には複数の郭が設けられ、一の丸、二の丸ではなく、伊藤丸や澤田丸のように人の姓名が付けられている。
これは『城割』という制度によるものだ。
後の一国一城令の元となる制度で、家臣団を観音寺城に集めるというものだ。
六角定頼。
楽市といい城割といい、何かと歴史を先取りする男だ。
輿の中から、俺は抜かりなく周囲に視線を走らせる。
ここは、日本で最初に楽市を行った町。見るべきものは多い。
楽市によって大きく発展した石寺。その町並みを、人々を見ながら今後政策に活かせる物はないか探しているのだ。
残念ながら楽市を京で行うのは難しそうだが、それでも学びうるものはあるはずだ。
なぜ京ではムリなのかと言うと、公家の存在があるからだ。
たとえば三条西家という家がある。
ここは青苧座とのつながりが深く、一時には年百五十貫に及ぶ苧課役を得ていた。今でこそ越後の長尾家の台頭によって力を弱めているもののいまだに繋がりは深いままだ。
戦乱の世で公家も生活厳しいから、座を規制してしまえば要らぬ敵を作りかねない。
俺たちと同じで、公家は権力こそ持たないものの、権威は未だに保持しているのだから。
商人たちの様子を見ていれば、この石寺がいかに商売しやすい土地なのかすぐに分かる。
この町は美濃から京都へ至る東山道、長光寺集落から伊勢へ抜ける八風街道があり、それらを管制できる交通の要衝に位置する。
それは商人も集まるわ。
「義藤様。何か思うところがあったのでしょうか?」
「いや、さすがは六角殿だと思っただけ」
そう、本当に流石としかいえない。
俺の見た限り、この楽市は単なる規制緩和による商人優遇政策というわけではない。
座がなくなったことにより、六角家の市場に対する権利は絶対化するようになる。それと同時に多くの商人たちを味方につけることができる。
力をつけた商人たちと六角家は直接つながりを持ち、時には彼等を通じて経済政策を浸透させることもできるだろう。
一見すれば商人自治状態でありながらその実大名による経済統制政策なのだ。
無論、これはまだ政策の初期段階。
粗探しでもすれば欠点の一つや二つ見つかるはずである。しかしそれらを差し置いてもこの政策は利が多いものなのだ。
これほどの頭脳を持ち、しかも政局に口出しできる地位にありながら彼は中央にほとんど口を出さない。それでも必要とあれば兵を出す。父にしても晴元にしても都合のよい忠義だ。
出しゃばらないが助けはする。それはかの御仁が中央の争いから離れ、絶妙な距離を維持しているということであろう。
うまいこと将軍家、及び管領の権威を利用しているのだから保身に走る官僚よりもよほど狡猾だ。
このあと観音寺城に入った俺は、父や藤孝とともに、歌会に参加した。
ここで、藤孝の圧倒的な歌のセンスが光り、彼女は諸将に大絶賛されることになった。
「よ、ようこそお越しくださいました。義藤様、藤孝殿」
「久しぶり、義賢」
「義賢殿、お久しゅうございます」
定頼主催の歌会が終わった翌日。
俺と藤孝は、とある部屋を訪れていた。
仄かに光が差し込む室内には、物がほとんど置かれていらず、数少ない調度品も主の気性を慮ってか空気に溶けこむ様にして身を潜めている。
おどおどと俺たちを迎えた小柄な少女こそ、近江守護にして管領代の六角定頼の娘、義賢である。
久しぶり、と言っているので分かると思うが、彼女と俺たちは初対面ではない。
六角家は中央とのつながりが深く、俺が元服したときの烏帽子親が六角定頼である。
そもそも六角氏は鎌倉時代から南近江に守護として勢力を持っていたが、室町時代に入ってからも、領内に比叡山を抱えるなど、その支配はなかなか安定したものではなかった。
しかし、現当主の定頼が現れてからは、その卓越した内政手腕と軍事力によって一気に戦国大名にまで伸し上がり、六角家は全盛期を迎えつつあるのだった。
父を将軍に擁立した人物でもあり、室町幕府の後ろ盾の大名である。
そのため、俺としても六角と仲を違えたくはなく、このまま友好関係を続けていきたいと思っている。
そんな六角に不安要素があるかと言えば、残念ながらあるのだ。
それは------------------
「なあ、義賢。たまには外に出て遊んだりはしないのか?」
「いやですぅ・・・お外は怖いんですよぅ」
これである。
なんと六角の次代を担うべき義賢は超がつくほどの出不精なのであった。めんどくさがって出ないのではなく、本気で外出を怖がっているから厄介だ。
義賢はなにも蝶よ花よとめでられながら育った箱入というわけではない。
こう見えて重臣の吉田出雲守重政より日置流弓術の薫陶を受け、また独自にこの弓術を学ばせた歩兵の一団を組織している。
実践的な歩兵用弓術を専門に扱うかの部隊は非常に強壮であることだろう。
つまり、彼女自身も一流の武人であり、また武力一辺倒ではなく政もできる頭脳を持ち合わせているのである。
「部屋の四隅に目が届く・・・これほど落ち着くことはありません」
至極リラックスした様子でほんわかと顔をほころばせる義賢。
笑ったほうがかわいいな、と思いつつも盟友たる六角の跡取りの今後に不安が尽きないのは俺だけではないだろう。
藤孝もため息をついている。
当初は
『よ、義藤様のお誘いを無碍にするとはなんたる無礼かッ!』
と、義賢を一喝してしまい、泣かせたことがあった。さすがに泣き出すとは思っていなかった藤孝は逆にばつが悪そうにしながらなだめるという一幕もあった。
今では一緒になって茶について語り合う友人にまでなっているが。
「なあ、義賢、城下に下りてみたりは」
「いやですぅ」
「ここに来る前にチラリと見たんだが、美味しそうな団子を売っている店があったぞ」
「団子、ですか」
一瞬、義賢が思案した。
あれ?ちょっと好反応?やっぱり甘味がいいのだろうか。
「おう、だから一緒に行って見ないか」
「でも、お外は怖いんですよぅ」
「心配しなくても、観音寺城の城下の治安の良さは伝え聞いている。それにいざとなれば俺が守ってやれるし」
「あぅ、そんなことを言われても」
恐縮したように縮こまっているが、妙に頬を紅くしている。
普段からあまり話す機会がないからか、人と話して緊張しているのかもしれないな。が、そこに付け入る隙があるはずだ。
「俺は義賢と城下に行ってみたいんだ。今まで一度もそういうことがなかっただろ。せっかく会っても部屋の中で碁を打ったり茶を楽しんだり、それも悪くはないけど、たまには一緒に外に行かないか」
女性経験が皆無な俺ではこの程度の文句しか出てこない。もう少し気の利いたことを言えればいいのだが、これが精一杯だった。
「でも、むりですぅ」
だが断られたッ!
これは、地味にショックがでかい。
これだけ誘って振られるのは、男として、ちょっと思うところがあったりしてしまう。
堪らず、藤孝を見る、が、彼女はなぜかむすっと膨れっ面になっているだけで、助け舟を出してくれることはない。
仕方がない。外に行くのは諦めるしかないか。これだけ嫌がっているのに、無理に連れ出すのは、良心に障る。俺は方針を変えることにした。
「わかった。外に行くのはなしにしよう。少し残念だけど」
「ほえ?」
義賢が驚いたように、目を見開いた。
目尻に涙がたまっているようにも見えて、どれだけ外に出たくないんだよ、とつっこみたくなった。
「その代わり、道場に行こう」
「え、でも」
「義賢の弓術を見せて欲しいんだ。俺も藤孝も弓術を齧ってはいるが、まだそれほどでもなくてな。日置流弓術、ぜひこの目で見てみたい。な、藤孝」
「・・・はい、わたしも見てみたいです」
なぜに棒読み?
藤孝はよく分からん。
「これも訓練だと思って、頼まれてくれないか」
「訓練、ですか。それなら」
ついに、屈してくれた義賢は、自分の弓を片手に道場へ。
こんなに小さな身体で、大人が使うような大弓を引けることに、内心非常に驚いている。
この世界の住人は、みんな外見では判断できない特殊スキルを保有しているようだ。
俺と藤孝も、義賢の後について、道場に向かった。