義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第二十七話

 現在の畿内は傍目から見れば比較的安定していると言えた。

 木沢長政が起こした乱は、良くも悪くも畿内の情勢を一変させた。明らかに力を減衰させたのは畠山家である。これは北河内国を完全に失ったこともあって、落日間近とまで言われるほどである。その一方で力を付けたのは将軍家だ。それまではお飾りで、どうしても管領の細川晴元が前に出ていた。木沢長政が力を付けたのも、晴元と通じていたからであり、かつて法華宗が大乱を起こして京を焼き払ったのももともとは晴元が声をかけたからである。ここ十数年、畿内の乱には少なからず晴元が関与していた。だが、木沢長政討伐に際して、晴元は新たな領地を手に入れることもなく、北河内国の支配権はほぼ将軍家の手に落ちた。以前、将軍家との交渉で手放した河内十七箇所を足がかりに、将軍家は北河内国に磐石の態勢を整えつつあった。

 その一方で南河内国には将軍家の力はそれほど及んでいない。

 守護である畠山稙長と守護代の遊佐長教は、かつては反目しあった仲だが、木沢長政の乱の折和解して長教が稙長を守護として迎え入れている。

 この二人が今、高屋城にて会談を行っていた。

「如何されますか?」

 この場には稙長と長教を除いて他にはいない。薄暗い部屋は、ほんのりとろうそくの火で照らされている。

 揺らめく灯りが、長教の顔に妖しい陰影を生み出す。

「如何様にするのがよいかのう……」

 稙長は書状に視線を走らせながら、頭を抱えるようにして唸った。

「しかし、よもやこの時期に氏綱様が現れようとは」

 氏綱とは、細川高国のいとこであった細川尹賢の子であり、高国の養子でもある。この細川高国というのは、かつての管領であり、現管領の細川晴元と細川京兆家当主及び管領職を争っている。最終的に高国が敗死したことで、周辺諸国を巻き込んだ一大大戦は幕を閉じたのだが、その残党はしばしば晴元政権の足場を揺るがせている。

 また尹賢は晴元側に寝返りはしたが、やはり信じられることはなく謀殺される憂き目にあった。

 細川氏綱にとって、晴元は実父と養父の仇である。それと同時に、晴元にとっても氏綱は政権を揺るがす最大級の障害なのだ。

「大乱になりましょうな」

 長教は顔を顰めて呟いた。

 ここ数年、晴元は旧高国派の残党退治に精魂を込めてきた。その執念深さは、蛇のようにしつこく、鬼のように苛烈だった。

「木沢長政の討伐も、その始まりは高国殿に合力したことがある塩川家を根絶やしにするためだったのう」

「然り。結局、塩川殿は助命されましたが、それは木沢長政という大敵に立ち向かうための方便に過ぎませぬ。またいつ塩川殿が攻め亡ぼされるかわかりませぬな」 

 などと、長教は言う。

 事実、その通りだと稙長は思う。晴元は、敵対者に容赦がない。その権勢を維持し、膨張させるためには血を流すことを厭わない。

「しかしながら、これは好機とも取れますな」

 長教の言葉に、稙長は首を傾げる。

「何故にそのように思う?」

「管領殿の権勢は今、落ち目でございます。先の戦で管領殿がどれほどの功を立てましたか。また、横暴な性格が災いして諸将を不安に駆り立てておりますれば、その評は芳しくありませぬ」

「なるほど。それで」

「氏綱様は、前管領様の後を継ぐ血統にございまする。場合によっては、新たな管領に就任されることもあるやも知れませぬな」

「ぬ、まさかお主、氏綱様に就け、と?」

「旗色を明らかにするときではございませぬ。北河内は将軍家が握っておりますれば、今のままで我等が河内を統一するのは難しゅうございまする。なれど、氏綱様が蚕食されれば話は別。今、恩を売っておけば、何れ氏綱様が管領になられた際に懇ろにしてくださいますでしょう。ただし、将軍家の力も侮れませぬ。表立って敵対するのは、今の段階では控えるべきでしょうな」

「我等は影ながらお支えするということかのう」

「如何にも。それがよろしゅうございましょう」

 氏綱が暴れれば、必然的に晴元も出てくるだろう。もしも、そこで氏綱が勝利すれば、こちらのものだ。氏綱は勢いのまま山城国に向かい将軍を虜とするだろう。そうすれば、将軍家に味方する諸将も靡かざるを得なくなる。河内国を統一するのは、その後でも可能である。

 旗色を明確にせず、中立の立場を堅持。その裏で、氏綱を支援することで、勢力を挽回する。

「で、あればそのように返書するかの。長教。任せてもよいか?」

「御意」

 長教は平伏して、書状を認める準備を始めた。

 

 

 

 □

 

 

 

 和泉国施福寺。

 そこは、和泉国の南端にあり、和泉国と紀伊国の国境となっている和泉山脈を構成する槇尾山にある寺である。そのため槇尾寺とも呼ばれる。古くは行基や空海が修行した由緒ある寺院であり、西国三十三箇所の第四番札所でもある。その険しい山道から、西国三十三箇所の最難関とも言われるほどである。和泉山脈は尾根伝いに進めば、そのまま金剛山地に繋がり、北上すれば大和川を挟んで生駒山地に続く。この山々の連なりは、和泉国南端に発し、三日月のような弧を描いて河内国に入り、そのまま大和国との国境を構成する。先の乱で主戦場となった二上山城や信貴山城は、この山々の尾根に築かれた城である。

 山の頂上からは、河内国や和泉国のほぼ全域を睥睨することができる。

 潜伏先としてはこの上ない寺である。

 この寺の境内で、細川氏綱は畠山家からの返書を受け取った。

 畠山家は、南河内国を治める大名であり、潜伏地を接している氏綱としては真っ先に味方に引き入れたい勢力であった。そのため、旗色をはっきりさせない態度を憎憎しく思いながらも、その背景にある晴元への感情や北河内国への野心は十分に理解しているおり、また、影ながら支援はするということを暗に伝えてくるものでもあったため、氏綱はこれで準備は整ったとばかりに諸将に号令をかけることとした。

 畠山家の支援によって、書状は秘密裏に旧高国派の残党たちに送り届けられた。

「余は、細川高国の養子であり、義父上の実子稙国亡き今、余がその跡を継ぐべきである」

 氏綱は、このように大々的にその考えを明らかにし、対晴元姿勢を明確化した。

 畠山家の影の努力もあり、兵力は瞬く間に膨れ上がった。

 氏綱軍の中心は和泉国の玉井某と紀伊国の根来寺門徒衆である。根来寺の門徒衆は、木沢長政討伐の際に畠山家に加勢したという縁を頼った。

「晴元を討ち亡ぼす軍勢は整いつつある。まずは何処を攻めるのがよいか」

 実戦経験のない氏綱は、馳せ参じた諸将に尋ねた。

 その結果、

「堺を攻める他ありますまい」

 というのが大勢の意見であった。

 南河内国は、氏綱を影ながら支援してくれている。北河内国は晴元の領地ではなく将軍家のものであり、手を出した場合戦の正当性を失ってしまう。

 今回の戦いは、『不当に管領職に就いた晴元を討ち果たし、氏綱が管領になることで乱れた道理を正す』ことが目的である。そのためには、最終的に将軍に管領に任じてもらう必要がある。そのため、序盤から将軍まで敵に回すわけにはいかないのである。

 故に、軍は和泉国を北上させるのが無難なのだ。

 また、堺を攻める利もある。

 堺は日ノ本最大級の貿易都市であり、そこには莫大な富が集積されている。土地を持たない氏綱は、諸将に号令を発し、御輿となることはできても、自分で軍を維持することはできない。当然、資金も頼りなく、畠山家からいくらか融通してもらったり、諸将が自ら工面するなどして軍を維持している。

 ここで堺を手に入れることは、細川政権を弱体化させると共に、自軍を大幅に強化することにも繋がるのである。

 こうして、細川氏綱は軍を発し南口から北上する形で堺に進軍したのであった。

 

 

 

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 和泉国の騒乱に対処するのは、和泉国の守護の仕事である。この時、和泉国守護は細川晴貞が務めていた。細川藤孝のいとこであり、義兄である。

 その晴貞の家臣に日根野景盛という男がいる。

 和泉国日根郡の日根野荘に発し、藤原姓を称するが、新羅からの渡来人である日根造を祖とするとも言う。

 彼が治める日根郡は和泉国の南端にある。当然ながら、氏綱が北上するとなれば、真っ先に激突するのは景盛である。

 日根郡は、氏綱の拠点がそうであるように、和泉国と紀伊国の堺にあり、険しい山々に囲まれた天然の要害である。が、しかし、敵の勢いは凄まじい。ただの一領主でしかない景盛だけでは、これを凌ぐことはできない。それを理解した景盛は味方の支援を受けるべく、戦列を下げ、堺近くに陣を張った。

 そこは堺の南口に辺り、そこまで陣を下げるのに要した時間は彼を支援する体制を和泉国守護の軍勢に整えさせた。

 当初は不意を突かれ、劣勢の色彩を帯びていた景盛ではあるが、しっかりとした準備を整えたことで旧高国残党勢力に対して一歩も引くことなく戦いを進めることができた。

 また、景盛が南口で氏綱軍の先鋒と矛を交えてから数日後、迂回した玉井衆と根来衆が堺を直接攻撃した。

 これを迎撃したのは和泉国守護代松浦興信であった。肥前守を称し、各地の守護代と同じく守護から半ば独立した国人と化していたのだが、守護との衝突を避け、勢力を維持するために晴元の武将となっていた。

 押し寄せる氏綱軍は、錬度もばらばらで統率が取れておらず、勢いだけで向かってくる面があった。そのため、景盛も興信もさほど苦労することなく、これを撃退することに成功したのだった。

 

 

 

 

 

 □

 

 

 

 現在、管領を務める細川晴元は、何かしらの騒動があると芥川山城に入城して指揮を執ることが多かった。それは、この城が非常に頑強な城塞だったからである。北、西、南を芥川に囲まれ、急斜面を有するこの山城を陥れるのは、そう容易いことではない。

 晴元は、天下人となったことで、一時は酒色に溺れる生活を送っていたが、ここのところ彼の政権を揺るがす事件が頻発したことで、気を張り詰める日々が続いていた。

 細川氏綱の挙兵の報が入ってから、十日が経っている。和泉国の兵たちの活躍は目覚しく、堺を懸命に守ってくれている。

「長慶よ。兵を率いて、堺を守れ」

 近くに呼び出した長慶に、晴元はそう命じた。

 三好長慶は、晴元の家臣の中でも最大勢力を持つ武将だ。長慶自身も教養があり軍略に長けている。連戦連勝を続け、木沢長政を討つ際にも管領軍の中核を為していた。今回、氏綱軍を打ち払うのに、彼女を差し向けるのは至極当然の判断と言えるだろう。

「氏綱殿を討ち果たせ、と?」

「まずは堺を堅守するのだ。あの街の財を、高国の養子めにくれてやるわけにはいなぬ」

 唸るように、晴元は言った。

「承知いたしました」

 多くを語らず、長慶は平伏して命を預かった。

 

 

 長慶にとって晴元は遺恨のある相手だ。父が命を落とす原因となった人物の一人である。戦国の常とはいえ、そういった相手に仕えなければならないのは、釈然としないところはあるが、仇討ちが詮無いことだということも理解していた。

 それは、同じく父の仇の一人である木沢長政を討ち取ったときに感じたどうしようもない無常感も関わっているのだろう。どことなく、恨み疲れた倦怠感のようなものを感じていた。

「やはり、堺の件でしょうか?」

 松永久秀が、戻ってきた長慶に尋ねた。

「ああ。堺を守れ、と命を受けたよ」

「管領様御自ら出馬されればよろしいのに」

 愉快そうに、久秀は笑った。そこにはある種の嘲弄が見て取れた。晴元が自ら軍を率いない――――いや、率いることができないのだと知っているからである。

「管領様は、お忙しい。山城のことならばともかく、和泉にまで下向して戦をするのなら、もっと大きな乱でなければな」

「捨て置けば、大きくなりますよ」

「分かっている」

 長慶は、ため息をついた。

 細川氏綱は、細川高国の養子であり跡取り。管領になる正当性を主張するのは間違ってはいない。父と養父の仇討ちという大義名分も持ち合わせている。

 晴元の治世は安定していない。自分のような者が多々いるからである。氏綱は、晴元に虐げられた者たちの代弁者である。

「何はともあれ、戦だ。氏綱殿の軍勢を蹴散らさないことには始まらない」

 大乱は長慶の望むところではない。

 多くの人が傷つき、命を落とす戦は、可能な限り回避したいところだ。そして、氏綱を放置すれば、大きな混乱に繋がるのは目に見えて明らかだった。

 

 

 

 

 □ 

 

 

 

 堺の地名は鎌倉時代につけられた。河内国、和泉国、摂津国の三国の境目に当たるからこれを地名としたという。

 南北朝時代になって、堺は軍港として発展し始め、応仁の乱の後に勘合貿易の拠点に指定されると、多くの商船が寄航して著しい経済の中心地として著しく成長した。

 海運は一度の多数の商品を運ぶことができ、比較的容易に遠方との交易が可能になる。特に明との交易は莫大な富を街に齎した。大内氏に敗れるまで勘合貿易に関わっていた細川京兆家にとっては、まさに金蔵である。

 堺が陥落することは、経済が大いに停滞するのみならず、細川家の財政に多大な負担を強いることにも繋がる。また、氏綱軍は莫大な富を得て、多くの傭兵を雇うことができるようになる。そうなれば、晴元軍は劣勢に立たされてしまうかもしれず、最悪、離反者が出る。

「氏綱殿にとっては、堺を落とすかどうかで勝敗が決まるわけだ」

「厄介なところに手を出されましたね」

 長慶にも久秀にも危機感はない。もちろん、油断しているというわけではないが、氏綱軍の錬度を見る限り、それほど高いわけではない。兵数に劣る日根野景盛や松浦興信の軍勢と一進一退の戦いをしているところから見てもそれはよくわかる。

「よく来てくださいました、長慶殿」

 興信が駆けつけた長慶に挨拶にやってきた。

 対陣して十日を超え、さすがに心労が堪っているのだろう。目の下には隈ができている。

「お礼を言うのはこちらのほうです。よくぞ、持ち堪えてくださいました」

「堺は我等にとっても生命線ですからな。皆命懸けです」

 興信は鎧を鳴らして振り返る。彼の手勢が、柵を設けている。

「過日の戦いで、すぐそこまで迫られましてな。危ういところでした」

「そのわりには、皆の士気も高い様子。興信殿の人徳あってのことでしょう」

 野党崩れの武士を多数雇っている氏綱方に対して、守護代の軍勢はさすがに強壮だ。地力の違いがこういったところにも現れている。

「兵数、士気、地の利とすべてがこちらに傾いています。ここは一戦に及ぶべきかと思いますが?」

「ええ、そうですな。我等としても、もう篭っているだけというのは飽き飽きしておりまして」

 にやりと、興信が笑う。

 堺を守るため、防戦に徹していた興信はそろそろ我慢の限界であった。氏綱はいいとしても、敵対する野党崩れの武士崩れ共が大きな顔をしているのが気に入らない。散々に打ち破って、天狗のように伸びた鼻をへし折ってやらねばと意気込んでいるのである。

 明朝、長慶、興信の連合軍が玉井衆を打ち払った。その勢いのままに追撃し、景盛と合流。氏綱軍の先鋒を撃退し、堺に迫っていた氏綱軍を撤退に追い込んだのであった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 細川氏綱の挙兵は驚きと共に俺の下に伝えられた。

 当初は、今更誰が兵を挙げたのだと疑問に思ったが、話を聞いて高国の跡取りと分かると俄然、危機感が芽生えた。

「まさか、この時期に兵を繰り出してくるとはなぁ」

 せっかく畿内が一応静かに治まっていたというのに、それを乱すとは、許し難い暴挙だ。

「義政と藤孝が兵を集めて警戒に当たっているけど、今後どうなるのかはまだ不透明だよ」

 孝高が義政から送られてきた情報を下に、いろいろと指図してくれていた。

「それで、今の氏綱の動向は?」

「三好長慶の参戦で、管領方が優位。氏綱軍の先鋒は、堺から撤退した後、菱木、横山でそれぞれ戦ったけど、長慶軍に散々に破り散らされてるみたい。本隊は喜連杭全まで軍を進めていたけど、この敗戦で八尾城まで退いたって」

「そうか。さすがは、三好長慶。でたらめに強いな」

 長慶が加わるだけで連戦連勝。氏綱も長慶相手では敗色濃厚か。

「気がかりなのは、これだけの動きが突然でてきたことだけど」

「誰かが匿っていたということか」

「畠山が怪しいのよね。そもそも、南河内に拠点があるっぽいし、旗色を明確にしていないのも、たぶんは情勢を見極めるためだけなんだと思う」

 畠山家にはもともとこちらも疑いの目を向けていた。敵対するのが早いか遅いかでしかない。

「今は様子見。北河内の軍を動かすのは得策じゃないよ。下手に動かすと畠山家の北進を誘発しかねないし、大和勢の動静も気になる。紀伊の僧兵が向こうに就いているし、緒戦の戦いだけで勝敗が決まったは言えない」

「氏綱か晴元、どちらかが潰れるまでか」

「今の畿内は、結局前管領派と現管領派で分かれたままなの。だから、管領様は塩川家を亡ぼそうとした。今、氏綱を担ぎ上げる勢力が出てきたとなると、管領家に対する鬱憤が爆発して、どこに氏綱の賛同者が出てもおかしくないって状況になってきてる」

 丹波や摂津、あるいは播磨まで巻き込みかねないということか。

 これでは、まるで両細川氏の乱の再発だな。

「でも、今回は本願寺が氏綱と距離を取っているし、一揆衆は動かないと思う。幸いなのは、その辺りかな」

「そうか。諸将も大人しく、趨勢を見守ってくれればいいんだけどな」

 氏綱は堺を攻撃するのと同時に、本願寺証如に借銭と兵糧の依頼をしている。これを、証如はきっぱりと断ったそうなので、本願寺は氏綱に味方することはなさそうだ。

 証如自身、長慶や晴元と好を通じているということもある。

 このまま動きがなければ、晴元の勝利は揺ぎない。

 そのうち、長慶の弟たちも四国から上陸してくるだろうし、そうなれば三好家の兵力は倍近くに膨れ上がる。

 もはや、氏綱に勝ちの目はない――――はずだった。

 

 丹波国守護代内藤国貞、氏綱方に就き波多野秀忠を強襲。

 上野源五郎元全、氏綱に呼応し挙兵。兵三千を率い、丹波国より軍を進め、山城国井出城を攻略。その父上野玄蕃頭元治も槇島に進出する。

 

 このほか、各地で反晴元の勢いが加速していく。

 一人が裏切ると、芋づる式に諸将が寝返っていく。畿内の情勢は俄に変化し、予断を許さないところにまで突き進んでいってしまった。

 

 


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