藤孝が治める河内十七箇所及び榎並荘は、近くに淀川の支流が流れている。この川が、時に増水して甚大な被害を与えてくるのであるが、水運という観点から見ると使い勝手がいい。下っていけば大和川に合流し、海に至る。
流通経路さえ確保してしまえば、この地には十分に商業的価値があると言えた。
そんな淀川を横目に、俺は馬首を下流へ向ける。
藤孝との別れは寂しいが、互いに忙しい身である。藤孝には、無茶を押し付けてしまったことが心苦しいが、彼女自身が新たな活動に領内の安定を見出していることから滞りなく進むだろう。
「若様。何ゆえにわざわざ堺に足を運ばれるのですか?」
途中、馬と人の双方に疲労の蓄積が見られたので休息を取ることとしたとき、義政が尋ねてきた。
今回の外遊において、彼女の手勢が最も多い。それは、義政が情報収集に特化した配下を持っているからであり、山賊の類との遭遇を避けるためにも、そういった者に働いてもらう必要があったからだ。
俺は、道沿いに立つ松に背を預けて座った。
「堺の商人と話をする必要があってさ。もともと、こちらから頼んでいたものもある。ついでだから確認したかったんだよ」
そういうと、義政は怪訝そうな顔をする。
その顔色から、またわたしの知らないところで何かしていたんですか、という不満が見て取れた。
「まあ、そう不満がるなよ。別に義政の知らんことではないぞ」
「?」
「ちょっと前に、大内家から献上させたものを覚えているか?」
俺がそう聞くと、義政は視線を彷徨わせて思案した。
大内家は現状、中国地方の大大名である。長門と周防に拠点を置き、石見、安芸、筑前、豊前に手を伸ばしてる。その最大の特徴は、日明貿易の継承者である、ということだ。
遡ること二十年ちょっと前、当時の大内家の当主大内義興は、その強大な軍事力を以て追放されていた足利義稙を奉じて上洛。将軍復帰を実現させた。その功績から、大内家は遣明船の派遣を永世的に保証されたのである。その後、それが気に入らない細川高国が対抗して明に船団を派遣した挙句、現地で大内家と衝突する事件を起こした。これが、後に言う寧波の乱だ。
それ以降、十年ほど途絶えた日明貿易を再開させたのが、現在の当主大内義隆なのだ。
「献上品、と言われましても、相当の数でしたので……」
「まあ、連中は稼いでいるからな」
羨ましい限りだ。
貿易で得られる利益は、簡単に幕府の財政を潤せる額。それを一地方大名に握らせているのは正直に言って先達の不徳の致すところと言えよう。しかし、同時に、大内家は親幕府である。公家や坊主からの評価も高い。それは、有り余る資金を文化事業に注ぎ込んでいるからだが、そんな大内家は俺たちにとって多額の資金を送ってくれる大名であり、西の防波堤でもあるのだった。
「金銀もあれば、陶器もあった。それに経典の類もな。その中に一つだけ、鉄の塊があっただろう?」
「鉄の?」
義政は、再び自分の記憶を掘り返し、そして理解の色を瞳に浮かべた。
「もしかして、あの鉄砲……?」
「おう」
俺は、肯定した。
大内家から齎された品々の中には、二挺の鉄砲が入っていた。これは、俺が大内家に書状を送って手に入れたものだ。
今が、西暦何年かというのはよくわからないが、俺の知識では鉄砲伝来は1542年から1543年のあたりだったように記憶している。もうすでに種子島に鉄砲が渡っている可能性もあったが、それ以前に俺は大内家を通して鉄砲が手に入らないかと考えていたのである。
「でも、あれは武器としては使い勝手が悪いと、管領様も仰っていらしたではありませんか」
「おまえ、鎧を確実に貫通する武器だぞ。命中精度は低いが役に立たないってことはねえ。これからは火器の時代だよ」
爆弾とか大量に作って敵陣に放り込めばそれだけで戦の趨勢が決まるようなものではないだろうか。もちろん、硝石の取れない日本で、しかも財政難の幕府が一つの戦に大量の爆弾を投入できるはずがないので、夢のまた夢だ。
「問題は、硝石だよなー」
日本でも、硝石を手に入れる方法がないわけではない。あまりにも効率が悪い上に大量生産に向かないだけだ。硝石丘が、可能性として上げられるが、硝石を取れるようになるまでに四、五年はかかったはずだ。準備をしておく必要性から、これも藤孝に頼んで実現に向けて動いているが、しばらくは貿易頼みになりそうだ。
「では、若様は鉄砲を主要な武器として採用されるおつもりなのですね」
「まあ、そうなるだろうな」
何れにせよ、鉄砲の開発が多少早まったところで、時代そのものに与える影響はそう多くない。俺がせずとも、尾張のうつけが実現するだろう。そうなる前に、俺たちである程度の鉄砲戦術を組み立てておかなければならない。
「早いに越したことはない」
「それで、堺に向かわれるのですね」
「ああ」
堺は優秀な鍛冶職人が多い。それに、初期の分業制が確立しているから、細かい部品の多い鉄砲の大量生産には最適なのだ。西洋のように一人の職人が、一挺の鉄砲を作ることに比べればずっと製作速度は速くなる。
「御頭」
そこに駆け寄ってきた一人の兵。義政の部下で、斥候を担当していた者だ。義政に耳打ちすると、その者は再び自身の配置に戻っていった。
「若様、前路の偵察を終えました。特に問題はないようです」
「そうか。それなら、そろそろ出発するか」
義政の報告を受けて俺は立ち上がった。
もしゃもしゃを草を食んでいた俺の馬に近づいて手綱を引っ張ると、コイツはやや不満げに俺を睨んできた。
なんだよー、メシ食ってんだよー、という心の声が駄々漏れだ。
「おまえ、さっきから草食いすぎなんだよ。腹壊すぞ」
確かに秋だから、肥え太ってもおかしくないけどな、一応十分な食事はさせてるんだぞ。
食欲旺盛な愛馬に呆れつつ、俺はその背に跨った。
そして、光秀が加わって多少増えた人員を見回し、彼らの準備が整っていることを確認して、前進の指示を出したのだった。
□
さて、そうこうしているうちに到着したのは巨大な都市。堺。十万人もの人口を誇るこの時代でも最大級の都市にして、もっとも栄えた貿易地。商業のメッカとも言うべき土地である。周囲には堀が張り巡らされており、武士の指図は受けない半自治都市を形成している。
今も昔もこれからも、栄え続ける堺の街並みは、俺を圧倒して余りある。
京もこれくらいの活気があればいいのだが、文化都市である京はどうしても商業都市に後れを取る。おまけに、戦乱に傷つき、再建しようと踏ん張っているところだ。戦乱に乗じて商業版図を広げた堺とは地力で劣るのも無理ないことだった。
俺は、仲間を引き連れて街中を歩く。とはいえ、少数だ。光秀と義政、そして藤英とその手勢。すべて足して十人と少しだ。その他の者は、別行動としている。俺たちが乗ってきた馬を世話する者、それらを監督するもの、そして、情報収集に当たるもの。人が多く集まる場所だからこそ、様々な情報が転がり込んでくる。ここまで安全を確保してくれた義政配下の者たちは、大半がこの情報収集に割かれていた。
「堺の発展は尋常じゃないな」
「そうですね。今や日ノ本の銭はすべてここに集中しているのではないかと思えるほどです」
光秀も、その圧倒的な熱気に呑み込まれ、呆然としている始末。
将軍家の者なのに、おのぼりさんみたいではないか。
「よし、藤英。案内を頼む」
「はい」
この仕事を最初に任せたのは藤英だ。この地の商人の中で、特に幕府と縁のある者を選び、交渉し、実現にこぎつける。なかなか、骨の折れる作業だったことだろう。
藤英に先導され、俺たちは人込みを掻き分ける。あえて目立たない格好をしているので、誰も俺を将軍家の者だとは思うまい。
鉄砲は一応秘匿技術。その開発は複数の鍛冶職人に任せているが、その者にも口止めはしている。
そして、やってきたのは一軒の家。非常に大きな立派な屋敷だ。
屋号は「魚屋」。倉庫業で一財を為した田中家の屋敷だった。
「御免。こちらの主人は居られますか?」
藤英が、取次ぎの者に話しかけている間に、残された俺たちは手持ち無沙汰に周囲を眺めていた。
「義藤様。こちらの方との面識はおありなのですか?」
「ああ、あるぞ。なんどか、会ったことがある。そのとき、光秀はちょうど京を離れていたから知らんだろうが、何かと寄進をしてくれる家だ。曽祖父が同朋衆の一員だったとかでな、縁があるんだ」
「そうなのですか」
「ああ。この堺における有力者の一人だ。まあ、本人は商人というよりも文化人として生きていきたいらしいけどな」
話をしている間に、用意が整ったようで、こちらにやってきた藤英に声をかけられた。
奥に通された俺たちを待っていたのは、この家の当主だ。線の細い身体つきの女性で、艶やかな黒髪が腰まで伸びている。
「お久しゅうございます、若殿様。今日もええ天気ですなぁ」
おっとり口調で彼女は言った。どことなく、幽玄な雰囲気を醸し出しているのはいつものことか。
「ああ、久しぶりだ、田中の」
「相変わらずやな。若殿様は。公方様のトコの御曹司とは思えん口調や」
「ほっとけ。公では意識してるっての」
「ふむ。然様で。そちらの方々はお初やな。うちは、この「魚屋」を切り盛りしとります。田中与四郎いうもんどす」
光秀と義政に深々と頭を下げた与四郎に、光秀と義政もまた自己紹介をした。
そんな二人を与四郎は興味深そうに眺める。
「あの、何か?」
堪りかねた光秀が、与四郎に尋ねると、
「いえいえ、何でもあらへん。ただ、うちとしては若殿様の奥方がどんな方なんか興味があるんや」
「んなッ!?」
「奥ッ!?」
窒息したような詰まった声を二人は出した。我関せずとしていた藤英も、思わずあんぐりと口を開けていた。
「あら? 間違いました?」
「お、大間違いです。わたしは、別に義藤様の奥というわけではありません!」
「右に同じく、その見立ては間違いです」
「なんやそうなんか」
残念と言いたげに、あからさまに肩を落とした与四郎は、眉根を寄せて俺を見た。
「はあ、噂は当てにならんな」
「まて、なんだその噂ってのは」
「そら、将軍家の若殿様は、若い女人を侍らせとる色好み――――」
「どこのどいつだそんなことを言いふらしてんのは!?」
まったくもって事実無根だ。
信じられないくらいの大嘘じゃねえか。
俺はそんな噂が流れていることに驚愕しつつ、自分の回りには女武将しかいないという事実を再確認させられたのだった。
「ぐ……まあ、事実無根の噂話は置いておこう。今は、とりあえず君も大好きな商売の話だ」
「ふふ、仕方あらへんな。もうちょっと、お尋ねしたいこともあったんやけど」
そして、与四郎は手を叩く。襖が開き、女中たちが入ってきた。その手には、大きな鉄の塊が収まっている。
「それか……」
「はい。これが、うちらで再現した鉄砲どす」
俺は手渡された鉄砲を抱えるようにして眺めた。
「もともとうちらにない技術が使われとったんで、再現は難しかったんやけど、どうどすか?」
「ふむ……」
ずしんと重く、そしてひんやりと冷たい鉄砲。
これからの時代を切り開いていく火器だ。
「やはり重いな」
「火薬を炸裂させる都合上、どうしてもそうなるんや。これ以上軽いもん作れって言われても無理やで」
「強度が足りなくなるか」
「そうや。手元で爆発して腕が吹っ飛ぶ、なんてことにもなりかねんのや。そんなんは、武器として役に立ちまへんやろ」
当然、売り物にもならない。売れないものは作らない。それが堺商人だ。
「これは、実際に使えるのか?」
問題は、そこだ。
使えなければ、意味がない。ただの鉄の塊では戦にも狩猟にも役に立たないのだから。
与四郎は大きく頷いた。
「その疑問、もっともや。そこで、若殿様。ここは一つ、試し撃ちをしてみまへんか?」
「試し撃ち? できるのか?」
「不良品は作らんのが堺魂や。実際撃って実感してもらったほうがええやろ?」
「なるほど、その通り」
与四郎が言うところはいちいちもっとも。そこで、俺たちは屋敷を出て街外れの海辺に向かったのだった。
□
背後には松林、目前には大海原。その奥には靄のかかった淡路島。
小波の音が耳に心地よく、風は初冬の気配を湛えて肌を打つ。
こんな季節に海辺にまでやってくるのは、漁師くらいのもので、周囲に人影はない。
俺たちが、わざわざ人目を避けるような場所にやってきたことには理由がある。
そもそも、この鉄砲という武器は、火薬を炸裂させて弾丸を飛ばすという性質上とてつもない大音響を発するのである。
必要以上に大きな音は、それに相応しいだけの人目を引く。それは、好ましいことではない。
「できることなら、鉄砲の威力も隠しておきたいところだからな」
「うちとしては、さっさと普及してもらいたいんやけどな」
「心配しなくても、コイツはすぐに普及するさ。それだけの威力を持ってる」
俺は与四郎の従者が弾を込めた鉄砲を海に向ける。
すでに、発射の準備は終えている。
後は引き金を引くだけだ。
火縄の焦げ付く臭いが鼻を突く。
そして、引き金を引いた。
直後、銃口から真っ赤は炎が噴出し、激しい衝撃が上半身に伝わった。
「うぐ……!」
想像以上の反動に、身体が後方に押し出されそうになるのを堪え、俺はその場に踏みとどまった。
音も凄まじい。
耳元で火薬が炸裂するのだから、当然だ。
その音は、俺の鼓膜を貫き、脳を揺らしたかと思えるほどだった。
「な、なるほど。これが、火薬が炸裂する音なのですね」
耳を塞いだ光秀が、顔をゆがませて言った。
「これは、馬が使い物にならなくなるのも頷けます。鎌倉の武士たちが苦戦するのも当然ですね」
「元寇か? そうだな、たしかにあの当時元が火薬を使っていたんだったか」
元寇はこの戦国の世から数えて三百年ほど前の出来事で、詳細が解き明かされているわけではない。資料を積極的に調査しようなどという者がいるわけではなかったし、あったとしても神話的解釈になっている。それでも、「てつはう」が火薬を用いたもので、その破裂音で馬が使い物にならなくなったということは伝わっている。
「あまりに音が大きいので、隠密には使えませんね。ですが、使い方次第でしょうか。音を逆手に取ることができればあるいは」
義政も、音に注目したようだ。海に向かって撃ったのだから、銃の威力自体は不明のままだから仕方ない。俺としては、鎧か何かを試射の対象にしたかったのだが、場所がなかったから諦めた。
「だが、撃てる。何の問題もなくな。実に見事だ。与四郎、よくやってくれた」
「ありがたいお言葉どす」
与四郎は美しい顔に微笑を浮かべる。
これで鉄砲の国産第一号は完成だ。あとは量産と、俺のところに配備することだな。いずれにしても、金がかかる事業であることに変わりはないか。
とはいえ、大量生産に関しては俺が命じなくても自然な流れで行われることだろう。
鉄砲は時代の寵児だ。
これをいかに上手く戦術に組み込むかで野戦での勝率が変わってくる。
弓と異なり、引き金を引くだけで鎧を貫通するだけの威力を発揮するのだ。錬度を無視すれば素人でも扱える。少しこの武器の利点が見えれば、手を伸ばすのが大名だ。必然、鉄砲の需要は高まり、大量生産の必要性が出てくる。
それを、この与四郎も理解している。
「今回の投資はうまくいきそうか、与四郎」
彼女の父は一大にして財を築いた商才に長けた男だった。そして、彼女は父を上回る才を持っている。
そんな与四郎は、一瞬呆けたようにした後で、クスクスと笑い出す。
「ええ、成功間違いあらへん」
「そうか。与四郎のお墨付きであれば、間違いないな」
潮風が強くなってきた。
雲行きも怪しい。どうやら、雨が降りそうだ。
「義藤様。そろそろ、お戻りになりませんと」
光秀がそう言うと、離れたところで馬の面倒を見ていた藤英が駆けつけてきた。
「馬の用意ができております。お早く」
「そのようだな。戻ろうか、与四郎」
鉄砲を風呂敷で包み、木箱に片付けた。それを、従者に持たせ、馬に跨る。
そして、少数の供回りと共に、堺の市街地に向かって馬首をめぐらせた。