義輝伝~幕府再興物語~ 《完結》   作:山中 一

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第十三話

 三好長慶の下に、幕府からの使者がやって来たのは、木々の色が僅かに変わり始めた頃のことだった。

 三好政長の丹波侵攻から、一月あまり。

 丹波屈指の名城である八木城に篭城している内藤国貞を相手に、政長は有効な攻城策を取れずにいるらしい。

 長慶は、人格者であり、他者の苦しみを理解し、哀れむ心の持ち主であるが、政長の苦戦には内心喜悦を禁じえなかった。とはいえ、それはあくまでも一時しのぎの感情だ。心の別の部分では、このままではまずいことになるという危機感が着々と体積を膨らませ続けていた。

 というのも、三好政長といえば、長慶の宿敵とも言える人物だからだ。

 将軍家の予想外の介入によって河内十七箇所という火種は棚上げされた。だが、根本的な、三好家惣領の座を巡る争いが収まったわけではない。

 正式に三好一門を束ねる立場となれば、軍事力、財力を初め、政治的にも大きな影響力を得ることになるのは間違いない。その三好家惣領の後継者候補こそが、長慶と政長なのである。

 明確に条件が決まっているわけではない。

 力が物を言う時代だ。気に入らなければ、武力によって打倒すればいい。そして、厄介なことに、現段階では両者の軍事力はほぼ互角。互いに同じ人物を主君と仰いでいるために、直接の対決は起こせない。だからこそ、長慶は動けない。本心では、すぐにでも兵を挙げて国貞に援軍を送りたい。このまま、時に任せるままにしていては、遠からず八木城は陥落する。そうすれば、政長の権勢はますます上昇することになる。そうなっては、長慶も対処できなくなってしまう。

(どうしたものか)

 そう思っていた矢先のことだった。

「わたしに、管領様を説得しろ、か」

 内々のこと、と前置きして、使者は長慶に書状を届けた。

 差出人は、飯尾為清。

 晴元の重臣にして、幕府においては管領代とも言える地位にいる人物だった。

 長慶も、何度か顔を合わせたことがある。挨拶程度で、たいした会話もしたことがない上に、これといって、印象に残ることも無かったが。

「まったく、難しいことを言うな」

 長慶の顔には笑みが張り付いている。

 喜悦の発露。

 今、まさに長慶は大義を得た。

 幕命として、晴元を説得する。長慶の言うとおり、非常に難しい仕事だ。おまけに、晴元との仲が大いにこじれる可能性がある。

 危険な綱渡りになるかもしれない。

「望むところ」

 この機会を逃しては、長慶に未来は無い。

 逸る気持ちを抑えて、長慶は自室を後にした。

 

 

 

 長慶が、晴元の居城に向かうのはその数日後のことである。

 このころ、晴元は居城の芥川山城で酒食と女にふける日々を送っていた。

 晴元の持つ権力は、非常に強い。多くの者の反発が諸所に燻りながらも未だに権勢を保ち続けているのが証拠になろう。

 ともあれ、長らく続いた細川家の内乱に終止符を打ち、文字通り天下を治めるにふさわしい地位を手に入れた晴元に正面から立ち向かう者が現れるはずもなく、その周囲は唯々諾々と主君に従うだけの者だけで占められていた。

(ここは魔窟だな。人を堕落させる魔窟に他ならない)

 長慶は、芥川山城の現状に嘆息する。

 晴元の自業自得とはいえ、傍から見ていれば、その姿は実に嘆かわしい。

 久しぶりに顔を合わせた両者は、時の使い方が如何に重要かという事を如実に示していた。

 方や、日々鍛錬と勉学に勤しみ、見目麗しい女性に変貌した三好長慶。

 方や、酒食と女に現を抜かし、余分な肉をたっぷりとつけた細川晴元。

 長慶は、主人の変わりように、内心非常に驚いていた。噂には聞いていたが、以前の貴公子振りがまったく窺い知れない姿になろうとは、思わなかった。

 それでも、外見が変わっただけで、長慶の主人であることまでが変わるわけではない。平伏し、礼に則って口上を述べた。

 

 

  

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

「御首尾はいかがでしたか?」

 宛がわれた部屋に戻った長慶を待っていたのは、松永久秀であった。

 幼い体つきながら、十分に妖艶な色香を漂わせる不可思議な娘だ。だが、こんな外見に反して驚くほど頭が切れる。

 この日、久秀は、長慶に付き従って上洛し、如何にして晴元から政長に撤退命令を出させるかを教授していた。

「なんとかなった、と言っていいのかな。久秀の言うとおりの展開になった」

「つまりは、成功したということですね」

「ああ」

 長慶は、丁寧な所作で久秀の立てた茶を飲んだ。

「相変わらず、見事なものだな」

「ありがとうございます」

 久秀は、くすり、と笑った。

 茶の湯にしても、政治にしても、久秀の資質はすばらしい。晴元との交渉を上手く進めることができたのも、久秀の補佐があったからだ。

 久秀が予見したとおり、晴元は政長の言う大義名分をそのまま鵜呑みにしていた。つまり、内藤家に罪があり、これを政長が直々に罰するという構図が、そのまま受け入れられている状況にあったのだ。

 長慶は、そこから切り崩していった。

「なぜ、そこまで分かった?」

「晴元様の今の状況で、満足に政治ができるとは思えません。当然、晴元様に入ってくるはずの情報も、別の方が取り扱うことになりましょう。もちろん、最後は晴元様に確認は取るでしょうが……」

「管領様の頭には残らない、か」

「ええ」

 それで、晴元は諸国の情勢に関して詳しくなかったのだ。

 気が抜けているといえばそれまでだが、これは統治者として非常に問題だ。見かけ上は、畿内の騒乱は収まっている。だが、火種は今も燻っているし、何より天下から戦がなくなったわけではない。

「晴元様にとって、内藤家はそもそも、それほど重要な家でもありませんでした。彼の目はあくまでも将軍との関係と自らの権益に向けられていて、そこから外れた丹波の内藤家を注視してはいなかったのです。だから、内藤家に謀反の疑いありと聞いても、疑わなかった。いえ、疑えなかった」

 晴元には、内藤家の情報がほとんどなかった。あったとしても、調べようともしなかったのだろう。細かい政治は、家臣に丸投げしている状況では、謀反が事実かどうかの判断をつけられるはずがない。

 そのような中で、討伐を許可してしまったのは、完全に失策だった。

「この間将軍殿下をお迎えしたばかり。今は、幕府との関係をこじれさせるわけにはいきませんからね」

「それに、管領様御自身も、政長の増長には眉を顰めておられた。やはり、一勢力が突出するのは、快く思えないのだろうな」

 政長は、現在細川家の家臣団の中でも最も勢いがある。その上さらに丹波にまで進出されるのは、主家としても危うい。これが、あくまでも細川家の中だけで納まるならばまだいいが、事が幕府に及べば、非常にまずいことになる。

 細川家がここまで繁栄してこれたのは、管領という地位を独占できたことが大きい。幕府を蔑ろにしていると思われがちの晴元だが、細川家の権力基盤が幕府に依存していることは否定できないのだ。

 長慶は、しきりに今政長を止めなければ、歯止めをかける者がいなくなる、ということを説いた。事実、八木城攻めに加担した勢力は多く、総兵力は万を超える。

 明確な数字として示されたことで、晴元の鈍った頭でも、危機感を覚えることができた。

 万を超える兵力は、晴元でも簡単には用意できないからだ。もしも、それが叛旗を翻すことになったら、政権は崩壊する。

 そして、政長の増長を放置すれば、晴元を見限り政長に着く勢力も現れるかもしれず、おまけに晴元の重臣たちは不満の声を上げることになろう。

 今、政長を止めなければ、晴元は行き詰まる。

 晴元の不利益を、理路整然と説いた結果、晴元も折れてくれた。

「これで、一先ずは畿内の戦乱も片付きますね」

「ああ。争いがなくなるのは、善いことだ」

 おそらくは、長慶たちの思い描いたとおりに事が運ぶだろう。

 政長は、勢力拡大に失敗し、長慶はそれを阻止した側の勢力になる。実は、この一件、長慶にとっても非常に益のあるものなのだった。

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 八木城を囲んで一月半が過ぎた。

 短期決戦を目論んでいた政長であったが、堅固な城と、士気の高い敵兵のために、予想外の苦戦を強いられ、対陣は長期化していた。

 この時代の戦は、年をまたぐことも珍しくは無いので、一月と少しというのは、長いほうではない。しかし、高々城一つと高を括っていたこともあって、長期戦の備えはしていなかったことと、秋の気配が強くなってきたことで、焦りの色を浮かべずにはいられなかった。

 兵の間に、厭戦気分が広がっている。

 もともと、政長の威勢を背景に集った烏合の衆。初めから士気は高くなかった。おまけに、兵の大半は徴発した農民たちだ。収穫期を迎えれば、農地に帰りたがるのも当然であり、それを拒否して従軍させれば、来期の収入が激減することになる。

 引くならば、今。

 理性がそう告げている。

 しかし、城一つ落とせないままに、撤退などできない。

 意地が、理性を上回っている。

 なによりも、ここで引いてしまっては、失うものが大きすぎる。

 日が暮れてからも下がる気配を見せない気温に、辟易しながら天幕に集う将たち。

「総攻めをかけるより他にないか」

 政長の呟きに、波多野秀忠が異を唱えた。

「今の状態で総攻めをしたら、多くの離反を招くことになりかねませんわ。それに、無駄に兵を失うことにもなりかねませんし」

 その意見に、軍議の場にいたほかの将も追随する。

「兵を失っては、今年の収穫にも影響しますしなあ」

 兵は貴重な労働力であり、収入源でもある。傭兵ならばいざ知らず、自らの領民をむざむざと死地へ追いやることはできない。

 政長のような大きな領地を持っていればまだいい。しかし、この場に集まる多くの将が、丹波国内の小領主たちだ。それぞれ単体では、内藤家に及ばない小さな勢力だけに、兵の損失が与える経済への影響は大きいものになる。

 厭戦気分は、兵たちだけでなく、その上の領主たちにも広がっているのだ。

「なれば、如何とする? このままではいつまで経っても、あの城は落ちんぞ」

 政長が尋ねる。

「このまま囲んでいれば、何れ敵城内の糧食も尽きるでしょうな」

「干攻めには、途方も無い時間がかかるものじゃ。我々の装備では、難しいじゃろう」

「かといって、攻めかかれば押し返される。千日手ですな」

 軍議は、一刻二刻と時間を浪費するだけで、満足に結論を出すこともできない。

 答えはすでに見えているのだ。誰もが、それを理解していて、口にしない。政長は、それを口にすることを意地でもせず、その他の将は誰かが言ってくれるものと期待して、自分からは口にしない。これほど無駄な時間もないだろう。

 軍議が行き詰っていたところに、早馬に乗った晴元の使者がやってきた。

「管領様から?」

「はッ。左様でございます」

 使者はうやうやしい手つきで書状を政長に渡した。

 なぜ、この時期に晴元から書状が届くのだろうか、と不審に思いながらも政長は書状に目を通した。とたん、政長の顔色が変わった。

「これは、ここに書いてあることは真か?」

 聞いても分からないであろうことを、ついつい口走った。

 政長にとって、それは予期できなかったものであり、救いの手でもあった。

「晴元様よりお預かりしたものゆえ、間違いありませぬ」

 律儀な返答に、政長はそうか、と呟いた。

 それから、頭を抱えて深いため息をつき、諸将を見回した。

「これより兵を退く」

 どよめきと驚きが、漣のように広がった。

「これは、上意じゃ」

 上意。それが意味するところは、政長の主君であり、管領の細川晴元が、直々に指示を下したということである。主人からの命令には逆らえない。城攻めに拘っていた政長が、撤退を決めた理由はそれである。

 さらにそこに、もう一人、別の兵が駆け込んできた。

 慌てた様子で片膝をつく。

「ご報告申し上げます! 氷上郡の赤井家清が軍を発したとの由!」

 その報告に、飛び上がったのは波多野秀忠だ。

「なんですって!? よりにもよって赤井家清が!?」

 赤井家の領地は波多野家と隣接している。互いに勢力争いをしている関係上、赤井が動くとなれば秀忠は見過ごせない。

 もちろん、家清が攻めてきたところで、そうそうに落城しないように最低限の兵は残してある。しかし、それは篭城していればという話であり、領国内を荒らしまわる敵を討伐できるほどではない。

「すでに、御本城近くにまで軍を進めている模様。秀忠様、何卒!」

「分かっていますわ。あの男に、好き勝手させて堪るものですか! 皆様、申し訳ありませんが、波多野家は一足先にこの地を離れさせていただきますわ。では、ごきげんよう」

 それだけ言って、秀忠は天幕から出て行ってしまった。

 後に残された者たちは、凍りついたように動きを止め、それから事の重要性に思い至った。

「赤井が動いたとなれば、触発される者も現れましょうな」

「私の領地は、波多野家よりも小さい。もしも攻められればひとたまりもない」

 自らの留守を狙う敵が現実に動き始めたと知り、不安がいよいよ高まった。 

 一人、また一人と陣を離れていく。

 それを、止める術は政長にはない。

 彼もまた、いまや後背を脅かされる立場にあるのだ。

「夜陰に乗じて、兵を退く。篝火をうんと焚き、内藤に悟られぬようにせよ」

 この戦の発起人である政長は、国貞に最も恨みを買っている人物だ。もしも、撤退が悟られたとなれば、真っ先に背中を狙われてしまうかもしれない。

「殿、よろしいので?」

「言うな。これも上意じゃ」

 上意だから、仕方なく兵を退く。辛うじて、政長の誇りは守られる形となった。この撤退を政長は苦々しく思いながらも、心の内では安堵している自分がいるということに気づいていた。

「内藤め。命拾いしたの」

 吐き捨てるように呟いた政長は、最後に恨めしげな視線を八木城に送ってから、一路淀城へ向かって馬首をめぐらせた。

 

 

 

 


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