Cross Ballade 2nd mov.(けいおん!×School Daysシリーズ)   作:SPIRIT

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再就職やらダイエットやらTOEIC勉強やらにかまけているうちに、4か月かかってしまいました。


第4話『接近 ~Sawako×Taisuke~』

「耐えきれなくなった?」

 梓は刹那に対して、仰天の声を上げた。

「そう」刹那は冷静に続ける。「とりあえず、世界と伊藤は腹違いの兄妹。そう頭の中に暗示することで、あの子は伊藤をあきらめようとした」

「でも……なんで……」

「耐えられないからだよ」刹那は繰り返した。「桂さんや、平沢さんが、あまりにも親しくなっているのが、あまりにも見てられなくって。世界と伊藤は隣同士の席だし。

『何もかも壊したい』っていうのは、桂さん達が伊藤のそばにいて、幸せそうにしているのが我慢できないからだと思うんだ。自分には、もうできないから」

 一度も異性との恋愛をしたことのない梓は、大きなため息をついた。

「何で恋愛にそこまで一喜一憂するのかねえ。ましてあんな優柔不断のロクデナシに、何であそこまで入れあげるんだか」

 とたんに、刹那があからさまに不快な顔になった。

「やっぱり、中野は一度も恋をしたことがないから、そういうことが言えるんだと思う」

「清浦……」梓は少々あわて気味に両手を振って、「確かに『恋は盲目』なんてよく聞くけど、ここまでだとは思ってもみなくって」

「桜ケ丘高校は女子高で、榊野学園は共学だからね。こっちのほうが恋愛は盛んだから。まして世界は人一倍繊細だし。

ま、人によってばかばかしく感じるのと、そうでないのとはそれぞれかな。

『「ハート様」と聞くと誰を思い出す?』と問われて、

『002』か、『いてえよ』か、『キュンキュン』か、

で迷うような」

「例え方がおかしい。それに最後のは違くない?」

「そう? ちなみに私は真ん中派。迷わず」

 夜になってから時間はたち、人一人いない。世界も唯も、マンションから出る気配がない。マンションの窓の明かりだけが、ぽつぽつと白くさびしく光っている。

「そんな不安定な状態で、清浦が転校とは……」梓は多少皮肉げに言う。「死ななきゃいいけど……」

「口が悪いね、貴方は。私も出発までの間、できる限りのことはする」

 刹那は繰り返し、言い聞かせるように言った。

「なんとしてもする。そうしなければいけない……!」

 

 

 男女の色事の噂は、伝わるのが早い。

 唯と誠が関係を持ったという疑惑は、桜ヶ丘でも榊野でもあっという間に広まってしまった。恋人関係になりかけながら、榊野学祭時に突然破局した、『ヘテロカップル第0号』と知れ渡っている2人である。

 再び恋仲に戻るとワクワクする者、不倫の浮気のと非難する者、様々であった。

「桂ねえ!」

 榊野の昼休みの時、さっそく乙女が言葉をなじってきた。言葉が机から逃げられないように、3人の同級生の女子が取り囲んで、逃げ道をふさぐ。前の取り巻き3人がいなくなっても、彼女の人望は変わってないようだ。

「加藤さん……」

 言葉は怖じ気づきながらも、乙女の血走った目をまっすぐ見る。

「あんたが恋人としてはあまりにも不満だったんだから、伊藤は他の女になついたんじゃないの?」

 自分の嫌いな人間に対して、攻撃的な姿勢は相変わらずだ。

「それは……」

「否定しないの!? 何とか言ってみなさいよ!!」

「ほんとあんた、むかつくのは相変わらずよね」

「ま、あんたみたいなフェロモン女は、異性を引き付けるのも早いんでしょうけど、飽きられるのも早いんでしょうね」

 矢継ぎ早ぎに取り巻き3人が、言いたいことを言う。

 言葉は無言で俯いた。体が小刻みに震えていた。

「否定しないのね。ま、伊藤も伊藤なんだろうけど――」

 乙女が見下した口調で言いかけたところ、

「誠君は、そんな人じゃありませんっ!!!」

 顔を上げた言葉は、声を張り上げて怒鳴った。

 荒い声が、教室中に響く。普段気弱な彼女が見せない太い大声で、乙女と3人の女子生徒はピクリと後ずさる。

 教室の者たちは、その甲高いが芯の通った声に皆、そちらを向いた。

「たとえ、ほかの人としてしまったとしても……私は、誠君を許します!!

人を愛するときは、それだけ相手を受け入れなければ、だめじゃないんですか!?」

「く……」

 乙女は奥歯を食いしばった。

「ちょっと誠君に会って、話を聞いてきます」

 言葉は自分の逃げ道に立ちはだかっている女子生徒を腕でどかし、潜り抜けようとする。先ほどの彼女の大声ゆえか、我を忘れているようだ。

「ちょっと、待ちなさいよ!」

 その女子生徒は我に返り、言葉の腕をつかんだ。

「会わせて!! 誠君に会わせて!!」

 同級生に絡まれながらも、言葉はじたばたとあがく。思わず彼女の両手が、乙女の取り巻きに突き出る。

 その時だ。

どおん!

「ああああああああああああああああああっ!!」

 女の子が突き飛ばしたものとは思えなかった。取り巻きの体が三間ほど宙を舞い、教室の白い壁に勢いよく激突した。

 その様子を見た者は、乙女も含め、呆然。

「ひっ!」言葉は思わず、仰天の声を上げた。「この力は……!」

 自分の力に、思わず息をのんだ。

「なんだなんだ?」

 4組の教室の入口からひょっこりと顔を出したのは、3組の澤永泰介であった。彼と言葉は教室が違うので、榊野学園にいるときは、なかなか顔を合わせる機会がないのであるが。

「澤永さん?」言葉はあっけにとられる皆をやり過ごして、急いで泰介のもとに駆け寄り、「ごめんなさい。誠君の所に行きたかったんですけど、加藤さんたちが邪魔をして……」

「まあ、また変な噂がたっちまったし、こうなるとは思ってたけどよ……。とにかく、3組の教室まで、俺が守ってやるから、ついてきな」

 泰介に守られて逃げるような形で、彼女は4組の教室を出て行った。

 乙女は呆然となる。ふらふらとよろめき立ち上がろうとする取り巻きを手助けしながら、言葉が発揮した力の特徴を思い出していた。

(あの力は亀仙流の……さては、真鍋の奴……!!)

 

 

「ありがとうございます、澤永さん」

 泰介と肩を並べて廊下を歩きながら、言葉は深々と彼に頭を下げた。

「いやあ、気になったんだよ。あれからみんな誠と平沢さんの疑惑で持ちきりで、あいつ肩身が狭そうだったから」そのあと、泰介はやや目が下になり、「俺も榊野学祭の時、桂さんに迷惑をかけちゃったしな……」

「いえ……あのことはもういいんです……」

 そのあと彼女が聞いたのは、意外な言だった。

「実を言うとよ、清浦からこっそり言われてるんだ。……って、桂さんはよく知らないかな、うちの学級委員の清浦刹那のことは」

「いえ、私もクラス委員なので、委員会の時に顔を合わせることが多いです。それに、放課後ティータイムのお茶会の時にも、私達と一緒に顔を出してるじゃないですか」

「なら話は早えな。……実は俺、清浦から『密命』を受けてるんだよ。

『西園寺の暴走を止めてくれ』

って」

「え?」

 言葉は目を見開いた。

「放課後ティータイムのお茶会に、俺達はよく行くじゃん。その時に俺達と一緒に、清浦はさりげなく顔を出してる。

あいつはどうやら西園寺の幼馴染でもあるようで、西園寺が放課後ティータイムのお茶会に来た時にも顔を出している。

つまり桂さんが来た時も、西園寺が来た時も、清浦と俺だけは両グループに顔を出すことができるからなんだろうな」

「そうでしたか……」

 確かに、自分と世界はあれから互いに言葉も交わさないほど最悪の仲になっている。その中で両サイドに紛れ込めるという人間は貴重かもしれない。

「いやあね」泰介は笑いながら、「モテ男の悪友を世話するのも大変だけど、クラスの女子生徒からいじめの集中砲火を受けている桂さんを助ければ、さわちゃんの俺に対する好感もぐっとアップするって、俺自身も思ったわけよ。あっはっは」

 この打算の思いを流しつつ、言葉はふと、榊野学祭直前に、刹那が彼女にかけた言を思い出した。

(頼れる人間には、頼ったほうがいいと思う)

「そうだ……」

「?」

「本当に迷惑をかけてしまいますが、よろしくお願いします、澤永さん!」

「いや……そんなかしこまらなくても……」

 先ほどの力を、泰介は見ていたのかいなかったのかが、彼女には気になるところだった。

(亀仙流の力……。でも、澤永さんドラゴンボール好きだしね……)

「それと、桂さんはまだ聞いてないかな」泰介は付け加えた。「清浦、母ちゃんの仕事の都合でパリに行くことになったんだ」

「え……!?」

 

 

“なんで……なんであんなことをしたんですか……?”

 つややかな檜の床、白いが年季の入り、ところどころ黒ずむ壁を持つ廊下の上に立ちながら、七海は泰介と言葉を見つめる。この幻聴をいなそうとして。

 かつての彼女ならば、その場ですぐ言葉に干渉・妨害したのであるが、今はもうそれができなくなっていた。

 痴態を見られて求心力を失ったからではない。原因不明の呵責にさいなまれていたからであった。急に頭を両手で抱える。

“なんで……なんであんなことをしたんですか……?”

 ムギの声が、再び耳元で聞こえた。

「くそ……なんでムギさんの声が……」

「七海!」

 七海ははっと胸を突かれる。いつの間にやら目の前に乙女がいて、両肩をギュッとつかまれていた。

「……乙女……」

「なんで私達を助けてくれないの!? 私達は同じ女バスで、困った時には助け合おうってお互い誓ったじゃない!!」

 その茶髪のポニーテールと、ややつりあがった目は、どんなごまかしも通用しないように七海には思えた。

「それは……」

「何で今、桂と澤永を止めなかったわけ!?」

「くうっ!!」

 七海は歯を食いしばる。できれば乙女を助けたかったが、もうできない自分がいることに気付く。それでも、乙女の血走った目は彼女の伏した目を見逃さない。

「ねえ、七海!!」

「もう嫌なのよ、こんなこと!!」七海は耐えきれなくなり、1オクターブ高い声で吐き捨てるように言う。「こんなことばかりやったがために、私はみんなから嫌われて、あんなビデオを見せられるにいたった!!

もう私のことなんか顧みる人間もいないんだろうけれど……。しばらく大人しくしてたい……」

「な……何言ってんのよ……。たとえ貴方に秘密があっても、女バスのトップから失脚することになっても、私はあなたを信頼してるんだよ! その期待に応えてよ!」

 七海は何も答えず、乙女を力任せに突き飛ばすと、多少ふらついた足で逃げ出す。

“なんで……なんであんなことをしたんですか……?”

 再び七海の耳元に、ムギの囁き声。

 七海には、ムギがすぐ近くにいて、氷のように冷たい目で、自分の耳元で言っているように思えた。

振り向くと、彼女の姿はない。

「なんで声が聞こえるの……?」

 七海は、榊野学祭で自分が行った愚行が、自分自身で後ろめたく感じていることに気付き始めた。

「ムギさんっ……」

 七海はまた、つぶやく。

 その様子を、振り向いた言葉が見ていることには気づかなかった。

「甘露寺さん……?」

 

 

 周囲の好奇心と冷たさの入り混じった視線をやり過ごしながら、誠は教室の自分の机で大人しくしていた。高校というより大学の講義室のような部屋で、きれいな机同士が繋がっている。

 彼の隣の席は世界だが、彼女の姿はなかった。急に学校を休み始めたのだった。

 理由はわかる。

「伊藤」

「清浦……」

 1人ぽつんとたむろす誠に、刹那がやってきた。再び彼のほうを向いてぼそぼそと噂話をする同級生達をさりげなく見まわしてから、

「お前……パリに行っちゃうんだってな……」

「……こればっかりはどうにもならないよ。私も母子家庭で、高校生で1人暮らしするには不安が残るし、私、孝行娘だしね」

「でも……幼馴染のお前がいなくなったら、あいつはどうなるんだ……」

「……」

「誠君!!」

 聞きなれた声が彼にかかる。今は彼の恋人になっている桂言葉。背後には泰介の面長の顔がある。

「言葉」

「ごめんなさい……」言葉は誠の席に、速足で接近した。黒いニーソックスで包んだ長い脚がもつれそうだった。「でもどうしても、誠君と平沢さんの詳細について聞きたいんです」

「それは……」

 なんて言ったらいいのか分からなかった。

「本当はすぐにでも話をしたかったんですけど、加藤さんに妨害されてしまって」

「……加藤って、あの加藤乙女か?」

「ええ……私を、いじめてるんです。女バスでも人望あるから、同級生を集めて……」

「そう……なのか……真鍋さんの言う通りだったんだ……」

「そしたら、澤永さんがやってきて助けてくれたんです」

「え……。泰介……!」

 誠は泰介のほうを向く。泰介は腕組みをして、教室の戸口にもたれかかっていた。すました顔で何も言わず、腕組みのままわずかに指を立てて2人にVサインを送る。

「未来トランクスと別れる時のベジータのデレか……ホント好きだな……」多少呆れたが、それでも誠にとっては嬉しかったといえる。「とにかく、感謝するよ、泰介」

 言葉はくすくすと笑った。

 それを見て、刹那もさりげなく微笑を浮かべる。

「清浦さん」言葉が刹那に向き合った。「貴方も、転校しちゃうって本当ですか?」

 すると、刹那の表情が陰って俯いた。

「ええ……なんとかしたかったんだけど……今回の噂を広めたのも、世界だったし……」

「本当のところ、誠君はどうなんですか? 本当に、平沢さんと……」

「それは……まあ。

ベラ・ノッテで一緒に勉強した時の帰り、トイレに行ったところ、ゆ……平沢さんが待ち構えていて、それで……」

 続きを言おうとして、誠は困った。

 言が見つからなかったのである。

 

 

「はあ……」

 放課後ティータイムのお茶会。

 桜ヶ丘高校でも、唯と誠の疑惑でもちきりになっていた。

「まったく、お前は……」

 澪が早速、唯に怨嗟の声をかけた。

「あ、あのね、澪ちゃん……」

「出来心だというのか?」澪の切れ長の吊り目は冷え、声はいつもより1オクターブ低く、厳か。「それで周りに、また迷惑をかけてるんだぞ」

「あの、その……」

「ま、『恋は盲目』というからね」さわ子は苦笑いを浮かべつつ、「私も泰ちゃんと恋人になるまで、かなり遊んできた身だけど、愛する人のあまり、周りが見えなくなるのは人情じゃないかしら」

「さわちゃん……先生っぽいねえ……」

「でしょでしょ」

「ほめてませんよ、さわ子先生」

 唯の感謝の言葉に有頂天になるさわ子。澪の冷静なツッコミが入る。

「とりあえず、お茶でも飲んで、みんなで気分を落ち着けましょう」ムギがカモミールティーの入ったカップを乗せた檜の盆を抱えてやってきた。こんな切羽詰まった時も笑顔を崩さないのは、榊野学祭で修羅場を乗り切ったゆえか、それともお嬢様だからか。「カモミールティーには鎮静作用があるわ。気分を落ち着ければ、話す言葉も見つかるんじゃないかしら」

「たのもー!」

 静かな音楽室の入り口から、ノックの音とともに、榊野生徒達が入ってくる。

 最初に入ったのは泰介だが、いつもの能天気な表情はなく、浮かない顔である。

「泰ちゃん」さわ子はあえて明るい声をかけた。「やっぱり、そちらでも大きく取り上げられてしまってる?」

「そうみたいだな」

「こちらもそう」

 続いて入ってきたのは、言葉。

 唯がそちらを向くと、彼女の黒い大きな瞳に、暗い炎がたぎっているのが見て取れた。初めて会った時もそうだったが、その炎がさらに激しく、どす黒くなった気がした。

「ま、まあ、桂さん」苦笑いを浮かべながら、さわ子は彼女の耳元にそっと耳打ち。「私達のことばかり話題になるけど、桂さんも伊藤君と結構してるんでしょ? 夜のこと」

 すると、言葉の顔がポッと真っ赤になった。両手で頬を抑えつつ、

「い、いや……その……いいことはいいんだけど、ちょっと疲れるかな、って……!」

彼女の声が大きく、後から入ってきた誠も頬を染めて、こめかみをポリポリかき、

「いやあ……一応これでも節制を持ってやりたいところなんですけどねえ、山中先生。

『私はコレで学校を辞めました』となるのもやだし」

「『私はコレで会社を辞めました』みたいに言わない。だから伊藤君、何でそんな古いのを知ってんのよ……」

 話しているとき、唯は言葉が自分に、勝ち誇ったような表情をあからさまに向けていることを察した。

(わかってる、わかってるけど……)

 いけないとわかっていても、あきらめられない自分がいることに改めて気づく。この不安定さは、西園寺さんに似ているのかもしれない。いや、元々彼女に焚きつけられてこうなったか。

 言葉は、学校でのいきさつをすべて、放課後ティータイムの皆に話した。

「そう……」さわ子はため息をつきつつ、教師としての穏やかな表情で(本来はこちらが演技で、コスプレ好きのハイテンションな性格が素)、「私は唯ちゃんの教師でもあるんで、あんまり深入りはできないんだけど」

「そのセリフ、澪さんからも言われています」

「本当にすまないな」

 澪は申し訳なさげな表情だ。

「それにしても」さわ子は明るい表情で、泰介に向き直り「泰ちゃんと桂さんの間にも、いろいろごたごたがあったみたいだけど、今こうして、一緒にティータイムできてるんだから、結果オーライじゃない」

「ごたごたはただのごたごたじゃないんだけど、でもこうしてやり直せるのはうれしくも感じるのよ!」

「ほんと、一線を越えなくてよかったな」

 澪があてこするように言う。

「そういえば」誠がふと気づいたように、「田井中さんと、中野は?」

「早めに帰ったわ。西園寺さんの見舞いに行くって」

「相棒だからと言って、あそこまでしなくてもいいと思うけどなあ。何やってんだ、律の奴」

(澪ちゃん?)

(秋山さん?)

(澪さん?)

 唯も誠も言葉も、妙に気になった。幼馴染に対する態度にしては妙に攻撃的だ。

「まあよ、桂さん。俺もさわちゃんも、できる限り桂さんの力になりたいって言ってるんだぜ」

「でも……」

「だーいじょうぶだって! 大船に乗ったつもりでいろよ!! それにこれは、俺の罪滅ぼしでもあるんだから!!」

(罪滅ぼし……)

 泰介の声を聞いて、誠の胸がちくりと痛んだ。

「ほんとはな」泰介はまた俯き加減になり、「俺とさわちゃんが恋人になったことを桂さんに打ち明けた時、俺はちょっと後ろめたかったんだ……。

でも、桂さんは素直に祝福してくれた。『よかったですね』って、にっこりと」

「別にいいじゃないですか……。後ろめたく感じなくても」

 言葉は気にしすぎだと思った。

「よーし!! 桂さんを守ってやるぞー!!」

 いつものハイテンションな態度に戻り、泰介は大きく飛び跳ねる。

ビシュッ!!

((ビシュッ?))

 泰介の体から出たと思しき、奇妙な音に気づいた言葉と誠。ひきつった表情のまま、ゆっくりと頭を傾けて音の出所を見てみた。

「ひっ!!」すぐに言葉は顔を背けて両手でふさぐ。「澤永さん、ズボン裂けてパンツ見えちゃってますよ!! ベジータのM字型の髪の生え際が丸見えです!!」

「ええっ!!」泰介は思わず、股間に両手を当てた。「うわあ!! どうしよう!!」

「おお、ベジータ一族のプリントのパンツ―。可愛いじゃん、澤永君」

 唯は両手に頬を当てて、顔を赤くしながらも、ニコニコ言う。

 誠はため息をついて、

「はあ……締まらねえなあ……。山中先生、針と糸ってありますか?」

「まあ、家庭科室に行けばあるけど。鍵は貸すから」

「は……? お前、何するつもりだ?」

 泰介が詰ってくる。

「とりあえず、準備室行こうぜ。俺がズボン縫ってあげるから」

「な!? 何でお前なんかに!?」

「他人さんの善意にへそを曲げない。それにお前、このまま外出したら確実に御用だしな」

「そういうことじゃねえよ、誠。何で男のお前に縫ってもらわなきゃいけねえの? 俺にはさわちゃんという、かわいー彼女がいるんだから!」

「そっちか……。ま、山中先生はコスプレ衣装作るの得意だし、いいのかもな」

 くだらない会話を続ける泰介と誠を耳にし、

「手縫いって、久しぶりなのよね……」

 さわ子は1人、つぶやいた。

 ムギだけが、日が傾いて赤くなってきた空を見ながら言う。

「甘露寺さん……?」

 

 

 誠が言葉と廊下を歩いて、家路につく。

「伊藤!」

「……秋山さん」

 誠が振り向くと、すぐそこに澪がいた。心配げな表情。

「……どうも、どうにもならないことになってしまったみたいだな」

「すみません……」

「またうちの唯が、迷惑をかけてしまったみたいで、すまなかった」

「いえ……相変わらず流されやすい、俺がいけないんです」

「何とか時間を稼いでしのぐしかないだろうな、人の噂も七十五日というし……」片手を頭に当てて、澪は冷静な声で言う。「どこに行っても、無責任な野次馬というのは多い。まして男女の色事だ。関心を示さない人間なんていないだろう」

「ええ、分かってます。桜ヶ丘と榊野のヘテロカップル、次はどんな組み合わせか期待している人も多いようですし」

「? ……伊藤……?」

 学校の噂話には興味を示さない誠だと、澪は泰介から聞いていた。少し視線を上にあげて、

「聞くところによれば、律と西園寺の世話で、何人もの桜ヶ丘女子生徒と榊野男子生徒が付き合い始めたらしいな」

「みたいですね。お幸せに、というところですけど。

……そのつてで言うなら、ヘテロカップル第1号になりかけた俺と平沢さんに、皆々大きな期待をかけてたんだろうな」

「かつ破局したときには、私の周りにも落胆した人は多かった。今再びということで、話題の種ができたんだろう」

「そうですか……」黙っていた言葉が口を開く。「一番悪いのは、西園寺さんや加藤さんではなく、責任を持たない傍観者なのかもしれませんね……」

「芥川龍之介の『鼻』のような、『傍観者の利己主義』ってわけか……」

 そんな連中にこそ「カラスの勝手でしょ」と言ってやりたい気もしたが、自分が蒔いた種ゆえ、そうもできまい。

 ふと、音楽室から声が聞こえた。

「痛い! 痛い!」

「な……。さわちゃん、コスプレ衣装作るのが趣味なのに、手縫いができないの!?」

「うるさいわね!! いっつもミシン使ってるから、全然やったことがないのよ!! 大体私は箸以上に重いものを持ったことがないのよ!!」

「お嬢ちゃまみたいに言うなよ……。しかもコスプレの服とかミシンとか、明らかに箸より重いし。

なんでこんな時に学校のミシンも故障してるのかなあ……?」

 さわ子の悲鳴と、泰介のごねる声を背後から聞き、澪と言葉は唖然。誠は呆れ顔。

 が、言葉は再び目を伏せた。

またしても、自分の恋人とライバルの間で、浮気疑惑が持ち上がってしまった。

 目を伏せながら、うずたかく積もったどす黒い気持ちを整理していく。

 いじめっ子は言うに及ばず、自分に近づいてきた榊野生徒達も、みな自分に好意をみせてると見せかけ、裏切っていった。

(誠君と澤永さんは戻ってきてはきたけど……。許せるだろうか……。西園寺さんと、平沢さん)

「桂さん!」

 後ろから声を掛けられ、飛び上がらんばかりに、ぎょっとした。すぐそちらを向く。

 言葉は、相手を知っていた。

「……真鍋さん……」

「真鍋さん?」

「和……」

 誠と澪も声を上げた。

「ごめんなさい、驚かしちゃったかしら」

「いえ。……あ、メガネ直ったんですね、良かったです」

 言葉は和に向き合う。和は初めて会った時と同じ、短髪のクールそうな雰囲気に、穏やかな物腰と理知的な声。乙女の取り巻き3人とケンカしたときに壊されたメガネは完全に直され、その赤い縁が輝きを取り戻している。

「こちらでも、唯と伊藤君のことは結構話題になっていて……」

「ええ。山中先生から聞いています」

「ごめんなさい、私の幼馴染が、また貴女に迷惑をかけたみたいで……。学級委員の仕事が終わってから、ずっと貴女を探していたの。

お願い。私にできることがあるなら、これから何でも言って!」

 胸の前に手を合わして、和は言った。

「そんな……。そこまで私を気遣わなくても」

「大丈夫! ほんと、後悔してるのよね。自分の恋愛に夢中で、榊野学祭で、桂さんや唯達になにもできなかったことを」

「真鍋さん……」

「それに私『も』、榊野の加藤さんとはいろいろある身だし、私が貴女のそばにいれば、いい牽制になるんじゃないかと思うのよね」

「平沢さんへの?」

(いや、そっちかい)

 と和は、心の内で突っ込みつつ、

「ま、唯と加藤さん、両方にはなるでしょうね」

「でも、真鍋さんには真鍋さんの都合が……」

「言葉、人は誰かに頼られたり、必要とされるとうれしいものさ」澪が例によって助け舟を出す。「まして和は、私の友達でもあるんだ。遠慮することはない」

「澪さん……」

 再び、刹那の声が聞こえた。

(頼れる人間には、頼ったほうがいいと思う)

 言葉の表情がほころび、

「じゃ、よろしくお願いします、真鍋さん!!」

「ふふっ、よろしく、桂さん」

 まるで面倒見のいい姉が2人出来たようであった(言葉自身、妹がいるが)。榊野の女社会では孤立していた彼女ゆえ、頼れる相手ができるかどうか不安だったのを覚えている。

 でも、場所を変えるだけで、こんなにも違うとは。

(私、許せるかも、みんなを……。西園寺さんも、平沢さんも……)

 その様子を微笑を浮かべて見守りながら、誠はふと思った。

(俺もできれば、加藤を小突いて言葉の前で謝らせたいんだけど……)

 

 

 刹那の転校が決まり、心身ともにダメ押しを食らった世界は自分の部屋にこもり、学校に来なくなった。

 律が彼女を気遣い、刹那とともに自宅を訪問することにした。同じく元気のない七海も、友人の光も同行することに。

 秋の日はつるべ落とし。もうすでに太陽は見えなくなり、空が紺になりかけていた。

「……」

「清浦……」

「ああもう!」世界が元気ないときは、光が皆の盛り上げ役になることが多い。「刹那、せっかくだから歌うたって元気づければ?

刹那はいつも、世界が元気ないとき、無理して盛り上げていたじゃん。

『サラダブーダ・メチカブーダ・ひでぶ・あべし・ぶー』って!」

「『無理して』は余計」

「ちょっと待て……」律が唖然となり、「『ひでぶ・あべし・ぶー』ってなあ……」

「刹那は好きだもんねえ」

 七海が肩をなでおろしながら、多少呆れ気味に言う。

「大丈夫! たとえ刹那がいなくなっても、私が世界の励まし役になるって!

今回だってちゃんと私の創作スイーツ、奮発して作ったんだってば!

『ペガサス流星ケーキ』『ダイヤモンドダストルテ』『ネビュラストームース』!」

 どこかで聞いたようなお菓子の名前を、律は適当に流しつつ、

「まあよ、甘いもんを食えば元気になるだろうな」

 光は例のしょっぱい顔になって振り向き、

「中野さんはともかく、なんで鈴木さんも同行するかなあ……」

 光の視線には、両手にある2つの肉まんをほおばる純と、そんな彼女についていく白けた表情の梓の姿がある。

「だーから言ったじゃん、黒田。梓の友達は私の友達でもあるって。西園寺が傷ついているときは、私も同行して励ますもんなのよ」

 純はあっけらかんと笑う。

「なんで気づかないかなあ……あんた、黒田に相当うざがられてるよ」

 梓は呆れ気味に言うしかなかった。本当は『呆れて物も言えない』といったところだが。

「憂も来ればよかったのに。『お姉ちゃんの世話をするために、家にいないといけない』って」

「憂には憂の都合があるのよ、純」

 残念がる純に対し、梓は多少理解を示すように思った。

(榊野生徒ってロクなのがいない気がする。清浦はまだましなほうだと思うけど)

 そんな会話をしながら歩いていくと、世界の年季の入ったマンションの前に、招かれざる客がいることに皆気づいた。

 中学生ぐらいの、黒い短髪をオールバックにした少年である。服は赤と白のストライプのTシャツに水色のジーンズ(『ウォーリーを探せ』のウォーリーにちょっと似ている)、手には高級デパートで買ったと思しき、ゼリーが16個ぐらい入りそうな薄いピンク色の折詰が入っている。

「誰、この子……」

 光が言い切る前に、

「聡ィィ!??」

 律の素っ頓狂な声が響いた。

「い! 姉ちゃん……」

「何でここにいるんだ!?」

「い、いやあ……」

「田井中さん」光が律に聞く。「その人、知り合いですか?」

「あたしの弟だよ。田井中聡」

「え……。田井中さんって、今まで一人っ子だと思ってました」

 七海が意外そうに言う。

「どーいう意味だ。にしてもよ、聡はどうして世界の家を知ってんだ? 世界はうちに1回だけ来たきりなのに」

「い、いやあ……」聡は頬を染めて、「世界さん、自分の家について話してたじゃない、俺に。まさかと思ってたどり着いたんだよね……」

(嗅覚の鋭い人だなあ)

 律以外の人間は皆びっくり。

「ええと、友達がパリに転校することに決まって、世界さん落ち込んで、ひきこもっちゃったと聞いて……こんな俺でよければ、何とか慰めれないかな、と思って」

「おめえよお、逆にストーカーと誤解されるところだったぞ。あいつはおめえに家を教えたわけでもあるめえに」

 律は口を半開きにしたまま言う。他メンバーも呆気にとられたが、純だけがにこにこしている。

「いやあ、だってだって……なんかほっとけなくって……」

「まあよ、とりあえず聡のことは、あたしが世界にナシ(話)つけるわ」

「じゃあ、一緒にお見舞いさせてくれるの、お姉ちゃん!?」

「あったぼーよ。但し、くれぐれも脱線しないでくれよな」

「う……」

 いやったあああああああ!!! とその場で叫びそうになったが、必死に聡は抑え込んだ。

「しかしよう」律は聡に聞こえないように、皆にそっと話す。「世界があたしンちにきてから、どうも聡の様子がおかしいんだ」

「おかしい?」

「あいつの部屋を片付けに入ったところ、ごみ箱に、丸めたティッシュが妙に多かったんだよ……。風邪を引いたわけでもねえのに……」

 刹那はつぶやく。

「もしかして、聡君って……」

 もちろん、聡の携帯のメモにこんな書き込みがあることは、みんな気づかず。

『ああ、世界さん、貴方はどこから来たの? そしてどこへ向かっていくの?

ああ、世界さん、貴方はどうして世界さんなの?

世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん世界さん』

 彼らの様子を、例の生き物は遠くからじっと見ていた。

 

 

 夜の静寂の中、唯はずっと、待っていた。

 誠を。

 彼のマンションの入口で。

 例によって言葉がくっついていないといいが。

 銀色の煉瓦は、時の静かさを象徴するかのように重々しい。白い蛍光灯がマンションの床を照らし、静粛さによる寂しさを払っている。

 夕日が消え、空は赤から青みがかった色へと変化していた。星は全くない。今やどこの都市でも皆そうだが。

「あれ、マコちゃん?」誠が目の前に現れたが、隣に言葉がいない。「桂さんは?」

「言葉の両親が仕事で遅くなって、心ちゃん……あ、言葉の妹ね……の面倒を見なくちゃということで、今日は帰った」

 少し複雑な思いを含めた笑みを見せる彼に対し、唯は満面の笑顔で、ダメ元で言う。

「ねえ、またマコちゃんの家にお邪魔してもいいかな?」

「それではまたみんなに誤解されちゃうよ」誠は苦笑いしながら、やんわりと断り、「それより、海に行かない? ここは海の近くなんだけど、本当に波が静かで、頭と心を整理するにはいいと思うんだ。30分くらいなら、いたるも待てるし」

「あ……」

 考えてみれば、自分と誠は男女で、しかも関係を持った疑惑がわいている最中なのだ。

「うん、いいよ」

 例の屈託ない笑みを浮かべた彼女に、誠も満面の笑顔で返す。

 

 

 日が暮れて、ネイビーブルーになった空。

 濃色の空の下の海は、とても静かで、内陸側のコンクリートの道路に沿って、黄色い電灯がぽつぽつと道を照らすのみ。

 それよりも海の方、紺色の静かな波が寄せては引いていく、黒く柔らかい砂浜の上。

唯と誠は、波打ち際に沿って2人で肩を並べて歩いていた。また人に誤解されることを恐れて、唯のスキンシップはないが。唯は後ろ手で、誠は腕を振ってゆっくりと歩く。

 ざざあっ……ざざあっ……

 かすかに響く波の音と、穏やかな潮風が心地よい。唯の茶色いショートボブと、誠の黒い短髪がそよそよとなびく。

「唯ちゃん、暗くて怖くない?」

「へーき。道の電灯が明るいし、マコちゃんがそばにいるし」

「そのセリフはちょっと恥ずかしいな」

 誠はちょっと時計を見てみる。

 18時半。

 いたるはいつもこの時間、例のアニメを見ているはずだ。一緒に見られないのが、やや後ろめたいが。

「今更だけど、マコちゃんの家って、ほんと海に近いね」

「ああ、ずっと海の近くで育ってきたから、海で遊べることも一通り学んできた。寝るときはいっつもさざ波の音を聞いてね」

「私も合宿で、海辺のムギちゃんの別荘に泊まったことがあったなあ」

「これも今更だけど」誠はにやりと笑って、「ホント、ムギさんってお金持ちだね」

「みんなで一緒に寝た時、さざ波の音が綺麗だった。波の音は心地よい眠りを誘うと聞いたけど、本当だなあって思った」

「俺も。いつもいつもさざ波のおかげでぐっすり眠れたし、学校の喧騒で疲れた時には――ほら、うちの学校って、唯ちゃんとこと違ってぎすぎすしてるじゃない――こうやって1人、いろいろと考えながらゆっくりと浜辺を歩いてたんだ。それだけで悩みを忘れ、すっきりできた。自分で複雑な気分だけど、やっぱり海は好きなんだ」

「何で複雑に思うの?」

「いや……だって、例の震災で大津波があったからさ。のろかったくせにどす黒い色の波で、車も家も人も根こそぎ拭い去って。いまだに印象に残ってる。

旧約聖書の、ノアの箱舟の話は聞いたことある?」

「うーん、うろ覚え……」

「人の悪行に耐えかねた神が、正しい人ノアとその家族、そして動物のつがいを1組ずつ、彼らに作らせた巨大な箱舟に乗らせ、大洪水を起こして、それ以外の生きとし生けるすべての生き物を拭い去らせた。ノアの一族が生き残ったおかげで、人間は生存・繁栄するに至ったんだけど。

東日本の大津波でさえこれだから、世界全体を水と津波で覆いつくすって、どれだけの規模なんだろうと思ってさ」

「そうだね」

 唯はふと、妙に違和感を感じた。

 空間――というより、次元がわずかにゆがみ、自分と誠、それともう1人以外はこの世界に入れなくなったような気がしたのだ。それをカモフラージュするかのように、空はすっかり真っ黒になっている。

 彼女は陰のある笑みを浮かべてうつむき、

「マコちゃんに1度だけじゃなく2度も拒まれちゃうなんて……やっぱり私、魅力、ないのかな……」

「……」

 誠は言を選んでから、自分の本音を打ち明けた。

「本当なら、榊野学祭の時にすべて決着をつけたいと思ってたんだ。

『本当に好きなのは言葉で、唯ちゃんは友達として付き合っていきたい』って。

でも、まだ迷ってる。

本当は唯ちゃんのことも好きなんだけど、言葉のことも捨てきれない。あの子は榊野で孤立してた身だし。最近は秋山さんたちのおかげで、ようやく少しましになってきたんだけど、まだまだな……」

「それじゃ、同情で付き合ってる、ってこと?」

「いや、そうじゃなくてな……もともと憧れていた子だし、秋山さんも美人だけど、言葉もすごい人目引いて……」誠は少しまた間をおいてから、「でも、ここに初めて連れて行ったとき、言葉、楽しそうじゃなかったな……退屈そうだった……俺の一番のお気に入りの場所だったんで、その時はショックだったけど。

考えてみればその時は付き合いが浅いし、今と少し違って、あの子はあまり話さなかったからね」

「そうなんだ……西園寺さんは?」

「世界はここに来た時、すっごいはしゃいでたな。すぐに靴と靴下を脱いで浅瀬の中に入って、俺に何度も海水をかけてきたよ。おかげで制服が台無しになるところだった」

「くすくす……じゃあ、今ここで私もしてみようかな」

「やめてくれって、俺今制服だよ。……それにしても、最初は仲良かったんだよなあ、俺達3人は……いつからこうなったんだろうか……」

「マコちゃん……」

 誠の表情が重くなったことを察した唯は、慌てて笑顔を見せて、砂が跳ねそうなほど小走りで彼の前に行き、

「私はマコちゃんのお気に入りの場所だというなら、なんでもいいよ! 気に入ったよ、ここ!」

 お互いの所業に自分で悩んでいながらも、唯が見せた笑顔は愛らしかった。誠も表情をほころばせる。

 その時、第3者の声がした。

「双方自分の気持ちに正直になったほうがいいんじゃないか? 西園寺世界の言う通り」

「「!!」」

 唯と誠は海のほうを向き、はっと目を見開いた。

 浅瀬のあたりに、足をわずかに波にぬらす形で、奇妙な生き物がいたのである。身長は20センチほど、任天堂の星のカービィに似た姿に銀縁のメガネ、ジャッカー電撃隊のビッグワンのマスクをあしらった模様の白いシルクハット、手には青と赤のUSBメモリと、黄金色で聖職者の僧帽をあしらったかのような駒(チェスのビショップの駒)がある。

「可愛い!」

「いや、待て!!」

 思わずその姿に抱き着こうとする唯を、誠は腕を突き出して静止した。

 確かにぱっと見は、白い体に青い足のカービィといった感じで、まん丸の体と短い手足を持っていて愛くるしい(体も柔らかそう)のだが、伊達メガネの奥にある黒いつぶらな瞳に、どす黒い思念が渦巻いている。誠だけがそれを感じ取れた。

「初めて会うな、今回の僕のターゲット。平沢唯、伊藤誠」

 声は妖精みたいで愛らしく、態度も飄々としているが、その中に秘められた他人を見下すような雰囲気に、誠は違和感を感じた。

「お前……何者だ……」

 唯の前に左腕を上げてかばいながら、誠は顔をしかめて言った。

 すると、その生き物は微笑を浮かべて言った。

「『分かってないなあ』……と言いたいところだけど、そう言われて当然か」

 そして、周りにこの3人(2人と1体)以外、誰もいないことを確認してから、言った。

 潮がわずかに満ちて、2人の靴に近づく。

 

「僕に名前はないよ。

『名無しの生物』ってところさ……」

 

「名無しの……」

「生物……?」

 唯も誠も呆然として、奇妙な生物を凝視する。その生物は続けた。

「そうだな……名前がないというのも不便だな。

あえて仮の名を持つなら、『使徒の統率者・ノルン』ということにしておこうか」

「使徒の統率者……」

「ノルン……?」

 唯と誠は、さらに唖然とするしかなった。

「なんか、いちいち言動が中二臭いんだが」誠はため息をついて、「お前、なんなんだ。どういうことになってるんだ? こっちは今それどころじゃないんだ。用があるなら今ここですっぱり行ってくれ。その雰囲気から察するに、いい話を持ち出してくれるとも思えないし」

「いい話だと思うぜ。少なくとも僕はそう思っているし、平沢唯、お前にとってもそうだろう」

「え……?」

「とにかく今は、小出しにしておく。

先の楽しみがなくなるだろうし」

「俺には因果な話のように聞こえるが。そういう話に気を持たされるのは苦手だというに」

「伊藤誠、僕はお前達2人を祝福している。ぜひとも幸せなカップルになってほしいと願ってるし、いずれは結ばれてほしいさ」

「ええっ、本当!?」

「……そうなんだ……でも、俺たちの周り、特に言葉はどう思うやら……」

 ぱっと顔を輝かせる唯と違い、誠は苦笑しながら往なした。

 名無しは、そんな2人の顔をかわるがわる見つつ、

「桂言葉はこの筋書きに、理解を示してくれるだろう。すべてを話せばね。

いずれ来る。

『過去の使徒・ウルド』。

『現在の使徒・ヴェルダンディ』。

そして『未来の使徒・スクルド』。

彼らがやって着次第、使徒の統率者である僕も行動を起こす。

それまでに頭を整理しておくんだな」

「あ、あの……モブ1号」

「は?」

「いや、だって名前がないんだから、モブ1号じゃない」

「どこにこんなカービィ似のモブがいるかなあ。せめて『名無し』と言ってくれ、平沢唯」

 唯の例の天然ボケに、名無しは多少呆れ声を混ぜて答える。

 誠は何も言わず、後の2人(1人と1体)に気づかれないようにゆっくりと後ずさると、後ろ手で青い携帯を動かし、メールを送ろうとするが……

(携帯が機能しない?)

 充電が切れているわけでもないのに、携帯が全く作動しないことが分かった。デジタル時計のように、日付と6時半の時刻が表示されるのみ。

「連絡しようとしても無駄だよ、伊藤誠」名無しはすでに気づいていた。「ま、僕がこの場を去れば、お前たちの僕の記憶もすべて消えるから、あまり意味はないしな」

「ほんとお前……何者なんだ……」

「あの、その……」唯は人差し指をつつきあいながら、「私とマコちゃんを結ばせるのに力を尽くしてくれるのは嬉しいんだけど……今もそのことで、噂になっちゃってるし」

「確かにな。男女の色ごとに皆々興味を持つから。世間話にもうってつけだし。

だが決着がつけばいずれは皆忘れる。所詮は他人事だからな」

 そう言いかけて、名無しははっとなった。

「名無しちゃん……?」

 気になったので、唯は彼に声をかける。

 と、名無しの目が、かっと見開いた。

 ピカッ!

 白い目もくらむような光。

 そして、すべてがしいんと静まり返った。

 2人がはっと気が付くと、名無しの姿は消えていた。

 ただ目の前で、静かなオニキス色の波が寄せては引いていき、心地よい音を断続的に放っていた。

 ざざあっ……ざざあっ……ざざあっ……。

 

 

「何だったんだろう……今の……?」

 唯は小声でつぶやく。

 相変わらず浜辺は静かで、電灯が内陸のコンクリートをささやかに照らすのみ。

 だが――

 先ほど閉ざされていたと思っていた空間は開かれ、自分と誠が、外部の世界とその者達と自由に接触できているような気がした。

(さっきの感覚……なんだったんだろう……?)

「唯ちゃん!」

「あ!」

 誠の声に、彼女は我に返った。

「大丈夫!?」

「あ、うん……」

 彼の表情は、浮かない。

 海に来た時から、時間が経過していないことにも気づいていない。時計の表示がたった今、6時31分に切り替わった。

「あのカービィみたいな生き物……何をたくらんでいるんだ?」

(カービィみたいな生き物!? ……会ったっけ……?)

「え? カービィみたいな生き物? そんなのに会った?」

 唯のぽかんとした答えに、誠は何言ってんだと思いつつ――

 はっとなった。

 さっき会ったとおぼしき者(人というより生き物)の記憶がすべて消えていたのだ。

「い、いや……変な生き物に、会った……ような……」

 その時だ。

 頭の中を引き裂くほどの強烈な頭痛とともに、鮮明なイメージが強制的に、2人の頭の中に入り込んだ。

 思わず2人、頭を抱えてその場にかがみ、イメージを観察する。

 

 どこかで見たような、輝く黄金色をしたチェスのビショップの駒。それがプリズムのように散る七色の光が混ざった暗闇の中で浮いていき、空中を浮遊する同じく黄金色をした、3つの駒に接近する。

 2つ目の駒は、西洋の城壁をあしらったと思しきデザインで、力強い線の駒。

 3つ目の駒は、とげとげだが煌びやかで、ティアラを思わせる王冠型の駒。

 そして最後の駒は、同じ王冠だが、線が柔らかく、中央に神々しい十字架がある。まさに『クラウン』と呼ぶにふさわしい。

 チェスに使われそうな4つの駒は互いにぶつかったかと思った瞬間――

 願いをかなえた直後のドラゴンボールのように、一瞬で四散した。

 

 潮がさらに満ちて、唯の茶色い革靴と、誠の黒い靴を濡らす。

 イメージが消えた瞬間、2人は思わず、頭の中にはないはずのフレーズを口に出した。

 いや、先ほど会ったと思しき人物が、2人の口を介して言ったのかもしれない。

「「運命の……四使徒(アポストル・フォー)……!?」」

 

 

 1人……というより1体になってから、ノルンとも名乗る名無しの生物は独り言ちた。

「……とは言っても、西園寺世界が今かなり不安定だからな。スクルドもまだ来ていない。

よほどでない限り、しばらく僕らは待機したほうがいいかもしれない」

 虚空を見ながら、またつぶやいた。

「気の毒なのは桂言葉だが……。どっちにしても僕の意向に逆らうのは必至。でもそれは見てみる価値はあるかもしれない。

どうしても定められた運命を理解してくれない場合は、迎撃やむなしか。

運命の収束は必要であるにせよ、平沢唯と伊藤誠が無事結ばれるかどうか、か……」

 

 

続く 

 




あとがき


何気にこの話で、誠・言葉・泰介の3人が多少成長した証を見せたつもりなのですが、どうでしょう?
もともと誠達が唯達より1つ下だという設定にしたのは、
①原作に準拠させたい
②梓達も登場させたい
③かつ唯と誠に恋人らしい雰囲気を持たせたい
ということで、1年から3年まであるけいおんストーリーの中で、唯達を2年生にしたというわけです。年の差を大きくすると恋人になれそうな雰囲気が半減すると思ったので。(実際はさわ子と泰介という『年の差カップル』がでましたが)
 あ、ちなみに乙女の取り巻き達(小渕・森・小泉)を退学させたのは失敗だったかも。いつもいつも言葉に絡んで返り討ちにあうという展開も気の毒だけど。
 

 ちなみに『鼻』で描かれた『傍観者の利己主義』を地の文で再現すると、
『人間の心には互いに矛盾した2つの感情がある。
もちろん、他人の不幸に同情しない者はいない。ところがその人がその不幸をどうにかして切り抜けてみると、今度はこっちでなんとなく物足りないような心地がする。
少し誇張して言えば、もう一度その人を、その不幸に陥れてみたいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して向けるようなことになる。』
この、互いに矛盾する人間の善意と悪意に関しては、『シバトラ』でも描かれたりしています。


 TV版School Daysの展開と結末が
『悲しいというよりばかばかしい』
 というコメントを見てふと思いました。
そういえば『女のことで悩むのは、ペプシを買うかコークを買うかで悩むぐらいバカげている』とウシジマのG10も言ってたか。
 時代が変化すれば、恋愛や性に関する社会通念も変化しますからね。恋愛や結婚だけが女性の幸せではないと。
(しかもTV版の誠はあまりいいとこなかったからなあ)
 Overflowのファンたちは、どちらかというと保守的な人間が多いようですし。沢越止の1人称が『ワシ』であることや(正直現実味がないことと、執筆当時情報がなかったということで、この小説では『俺』または『私』にしてる)、ファンに自民党員が多いことからも推測できます。
 附属池田小事件の犯人であった宅間守やその父も、家が薩摩藩の下級武士であったということで、一人称『ワシ』だったみたいだけど。
(ちなみに僕はむしろリベラル系ブロガーや旧SEALDsの面々と付き合うことが多かった。美術教師だった母方の祖父の一人称も『俺』。)
 Overflowないし有限会社スタックが消滅した背景には、こうした恋愛や性の一般的通念がリベラル化し、時代に合わなくなってきたことが大きいのではないかと。
 冒頭の刹那のたとえ方は
『僕にとって「ばかばかしい」ことの最たるもの』
だったりします。
 ちなみに『キュンキュン』の誕生日である5月7日は『002』の中の人の誕生日と同じなんだとか。


 唯と誠が2人きりで浜辺を歩きながら会話するシーンは、何気に書いていて楽しかったです。
 今回の2人の『恋人になれそうでなれない雰囲気』が、大学時代の自分の境遇と重なるからでしょうね。
 僕自身大学時代、銀魂好き・歴史好き・ジブリ好きで話の合う女の同級生がいて、盛岡とか一緒に出掛けたり、映画を見たり、一緒に盛岡冷麺を食べたものですが、手を握るとかそういうところまでいかなかった。
 誠が海好きというのも、デイズシリーズの舞台が浜辺付近にあることから考察してみました。
(やばい、海が好きなところといい、ますます自分と誠が重なってきた)


 唯達と誠達を見守る、謎の人物もベールを脱ぐ(というより脱がせる)形になりました。
 ノルンこと名無しの生物。
 その正体と目的は不明。
 地の文で『かわいい声』と書きましたが、イメージ声優は大本眞基子。
 ある意味ではまどマギのキュゥべぇのようなキャラなので、加藤英美里も考えましたが、見た目がカービィ似なので同じ人にしました。
 つまるところこの人物も、唯と誠のカップルを祝福しているわけであるのですが……。当然ながら彼(+三使徒)もまた、言葉には壁になる形に。
TV版もひどいが、この小説の言葉も不運がひどすぎる。
 ただ、原作やTV版と大きく異なるのは、言葉が孤立していない、友達兼相談役がいるということ。(何気にこの話でちゃっかりと増えてたりする)
 それがけいおんキャラだけというのも悲しいものがありますが、正直これから先、言葉は精神崩壊しない可能性が高いです。(それを決めるのも僕だけど)。
 名無しがもたらすのは、福音か、それとも破滅か。


唯も誠も、主人公というよりヒロインポジションになってきたかも。
つまり、『物語で起きる最大の事件に、真っ先に巻き込まれるタイプ』。
 双方主人公失格か?
『障害にぶつかりながらも、それを乗り越える人間』
がヒーローポジションになると僕は踏んでいるのですが、そうなるとこの物語で一番ヒーローポジションにいるのは誰なんだろう?




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