Cross Ballade 2nd mov.(けいおん!×School Daysシリーズ)   作:SPIRIT

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 はやく平沢唯と伊藤誠の関係を描きたいけど、今回は2人とも目立たないかも。
 ちなみに秋山澪と田井中律の姉御口調は、微妙に差をつけています。
(澪は桂言葉を『貴方』とも呼びますが、律は西園寺世界を『あんた』とも呼ぶといったように)


第1話『相棒 ~Ritsu×Sekai~』

 その日から、1か月ほどの時が移ろい――

 

 

「「わーーーーーーーっ!!」」

 桜ケ丘高校の教員室近く。

 日が照り続ける廊下で、秋山澪と澤永泰介は大声を出し、互いに飛び退く。

「いつまで同じこと繰り返してるのよ……」

 軽音部顧問の山中さわ子が、呆れた声をかけてきた。腰までかかる茶色の髪が、光を反射する。

「しょうがねえじゃん……。苦手なものは苦手なんだしさ」

「私もどうも、これだけ相手に驚かれるとな……」

 泰介は馬にも似た面長の頭を振り、尻もちをついて、後ずさりをしながら答える。

 軽音部員の澪は、黒い吊り目の間の額を押さえていた。腰までかかる長い黒髪は、親友の桂言葉(かつらことのは)を思わせる。

「せっかくのティータイムなんだし、もうちょっと親しく、ざっくばらんになること出来ないのかしら」

「さわ子先生、それはちょっと無茶な注文ですよ。それに言葉は人見知りが激しいのに」

「そうかしら、だいぶ私には慣れた感じよ。澪ちゃんはすっかり、桂さんのお世話係ね」

「そうですか? そう言えば、さわ子先生」澪がさわ子に、そっと耳打ちをする。「澤永とは、どんな調子なんですか?」

「泰ちゃんは私のコスプレ衣装も喜んで着てくれるし、申し分はないかな。ただ……」

「ただ?」

「えっちがちょっと下手くそなのよ……。最近ようやくましになったけど」

「……噂には聞いてたけど本当だったんですね。夜な夜なベッドを一緒に過ごしてるというのは……」

 頬を染めながら、低い声で澪は答えた。

 泰介は聞いていたらしく、

「少しはましになったでしょうが!」

 と毒づく。

 放課後ティータイムとそのファンクラブに入った榊野学園生徒は、榊野学祭と桜ケ丘学祭が終わった後も仲睦まじく、定期的にお茶会を開き、ティータイムを共にしていた。

 3人は部室である音楽室の鍵を取るため、教員室に入る。

 休日で人もまばらである。

 軽音部の部室である音楽室の鍵は、誰かが取っていた。

「おや、先客がいるのかい」

「あ、そうか……」澪は瞬きしながら、「今日はムギがいないから、伊藤がケーキの用意をすることになってるんだっけ」

「へえ、伊藤君がねえ」

 さわ子は感心する。

「ホント、誠もずいぶん積極的になったよなあ」泰介は少し遠い目をして、「今まではあまり興味を示さないタイプだったんだけど、榊野学祭が終わってから少し活発になったんだ。パパうれしい、と言うところなんだよな」

「オイオイ勝手に父親名乗るなよ……。それに伊藤にはパパの話はタブーだろ」

 すると、泰介の表情が急に曇り、空気が白けてしまう。

「そう言えば、唯ちゃんは?」

 場を和ませようと、さわ子が話を割ってくる。

「また寝坊してると思うけど……何故か連絡ないんです」

 澪はいぶかしげに、携帯の画面を見た。

 

 

 音楽室。

「ほら、黒田のところのケーキ、なかなか形もいいんだよ」

「でもでも、石井屋のケーキだってすごくおいしいよぉ?」

 音楽の器具はすべて奥にしまわれ、勉強机が中央に固まり、それを取り囲むようにいすが置かれている。

 スッポンモドキが泳ぐ水槽の傍らで、伊藤誠と平沢唯は勉強机の上にケーキを取り出していた。傍からすると本当に美男美女のカップルという感じだ。

 その横で、桂言葉がまな板の上で、少し不機嫌にショートケーキを切っている。腰までかかる長い黒髪が邪魔なのか、うなじのあたりで1本に結んでいる。

 昼の光が程良く差し込み、窓のあたりにおかれたドラゴンボールのベジータのフィギュアが輝いていた。

「ホント」言葉はため息をつきつつ、「今日は誠君と一緒に、2人きりでお菓子を用意しようって思ってたのに、何で平沢さんがいるんですか?」

「だってだって、2人とも榊野の生徒なんだから、桜ケ丘の音楽室の鍵借りれないじゃない。誰か桜ケ丘生徒がいないとさ」

 駄々をこねるように唯は言った。

 言葉はため息をついて、

「澪さんに鍵を開けてもらうよう、頼めばよかったかな……」

「まあまあ」誠が2人の間に入り、「俺にとっては、loveなのは言葉だって、もう決めたんだから。唯ちゃ……平沢さんはあくまでlike」

「……ま、それもそうですね」

 言葉は小さく息をついて、再びケーキを切り始めた。

「そう言えば、誠君って自分でケーキ作れましたよね。何で今回持ってこなかったんですか?」

「そんなあ、まだみんなに見せられるほどのものじゃないよ。それにムギさんのケーキはどれも高級品だし」

 続いて彼女が問いかけると、誠は頬を染め、両手を振って答える。

「やだなあマコちゃん。私達はケーキがおいしくて、皆が楽しめればそれでいいんだから、持ってくればよかったのに」

 屈託のない唯の笑顔を見て、誠の顔が赤くなった。それを言葉は見逃さなかった。

「そう? じゃ、今度持ってこようかな」誠は少し考えてから唯に、「それにしても、いつもこんな調子なのかい?」

「こんな調子?」

「ほら、お茶を入れて、お菓子を持ってきて、漫画を読んでだべって、そんな調子……ベジータフィギュアは泰介が持って来たもんだろうけど……練習はたまにやる程度って秋山さんは言ってたしな」

「……澪ちゃんもオーバーに言うなあ……練習だってするよ。学祭前にだけだけど」

 唯はこめかみをかきながら答える。

「それじゃあ、要は帰宅部と変わりないじゃないですか」言葉が痛いところを突いてきた。「私はクラスメイトに無理やりとはいえ、クラス委員に選ばれてるんですけど、仕事は最低限やっているつもりですよ」

「おいおい、自慢になっちまうよ」

 誠が再び止める。どうも言葉は学祭が終わって以降も、唯に対して言い方に棘がある。

 ケーキは白いケーキに茶色いチョコレート、緑色の抹茶味までよりどりみどりである。

 真ん中には白いクリームが、外にはみ出ることなく詰まっていた。

 誠はふいに、口ずさんだ。

「一生懸命のんびりしよう……」

 誠の言葉に、唯は思わず目を見開いた。

「のび太はこう言ったけど、平沢さんも、一生懸命のんびりしているから、そういう笑顔と無邪気な性格になれたのかな、って思うんだ」

「「一生懸命、のんびり……」」

 言葉と唯は反芻する。

 唯は目を輝かせ、

「すごい……とーってもいい言葉!

そう、一生懸命のんびりしたから、今の軽音部が、今の私があるんだよ!!

いやー、マコちゃんの言葉、しびれちゃった!」

「いや、俺じゃなくてのび太の言葉だってば……」

「……私には意味がよく分かりませんけど……」

 大喜びの唯に対し、言葉は意味が分からず冷めきっている。

 そうこうしているうちに、泰介、さわ子、澪がやってきた。

 ドアを開けてこの状況を目撃した時の3人は、一瞬瞠目した表情の後……。

「お前ら……ここで乳繰り合ってたな」

 ニヤニヤしながら泰介は言った。

「いやあ」誠は頭に手を当てて照れながら、「言葉も一緒にやってきたから当然だろう。計算外だったのは平沢さんが、校門で待っていたということだけど」

「本当に、いらないお客でしたよ」

 言葉がため息をついて言う。

「それはひどいよー、桂さーん。マコちゃんと桂さんじゃ部室の鍵は貸してくれないでしょ」

 言葉の首に、唯は半泣きの表情で抱きつく。

「ああもう、くっつかないでくださいよ!」

 言葉は頬を染めながら、両手で彼女を押しのけた。

「おーおーモテ男はつらいねえ。両手に花でさ」

「うるさいな、大体お前だって本命の山中先生を彼女にしてるんだから、十分モテ男だろ。……というか、そもそもお前に山中先生はあわなすぎだろ……。正直付き合い始めたと知った時には耳を疑いたくなったわ」

 冷やかす泰介に、うっとうしがって誠は文句を言った。

「まあとりあえず」澪は額を押さえながら、「ケーキは用意できてるみたいだな。早速食べるとするか」

 率先して皆の席にケーキを配っていく。

「その前に」さわ子が急にはしゃぎだして、「私、新しいコスプレ衣装持ってきたのー!!」

 両手に出したのは、腰までかかるぐらいのロングで金髪のかつらと、黒地で白いエプロンのついたメイド服。

「い!!」

 澪はぎょっとした表情になる。

「せっかくだからあ……」さわ子のメガネがギラリと光る。誠を指さして、「伊藤君、着てくれないかなー!! 泰ちゃんばかりじゃ面白くないし、貴方と桂さんだけ私のコスプレ衣装を着ていないし!!」

 誠はげっと後ずさりをしながら、

「ちょっと待って、女装しろって言うんですか!? というか俺はコスプレの趣味ないし!」

 踵を返して走り出そうとする彼の両腕を、唯と泰介はにこやかな顔でぐっと掴む。

「着ちゃえばー」

「いつもいつも俺ばかりというのも疲れるからな」

 そう言って2人は、誠の両肩を掴んでさわ子の前へ引っ張り出した。

「え、ちょっと待て泰介、平沢さん!?」

 わたわたしながらわめく誠だが、2人がかりの力ではどうにもならない。

「ほら、言葉、行くぞ!! イジリの対象が貴方に向かないうちに!!」

 澪は戸惑う言葉の手を引っ張って、すたこらさっさと音楽室の出口へと向かう。

「ちょっと待て、言葉!! 秋山さんも何で逃げるんですかー!?」

 誠の悲鳴が、背後で響いた。

 残った3人でとびかかられ、無理やり彼は服を脱がされていく。

 

 

 階段を駆け下りて1年の教室の前まで行き、澪と言葉は肩で息をした。

「澪さん、山中先生って、いつもこんな感じなんですか?」

「まあね。私もさんざいじられた」

「はあ……」言葉は、音楽室のある方向を向きながら、半分心配げ、半分好奇心に満ちた表情で言う。「誠君、どうなるかな……」

「伊藤の奴……」ふと澪は天井を見上げ、つぶやくように言った。「沢越止が榊野学祭に来たのは、今となってはよかったんじゃないかな。伊藤にも、唯にも、そして貴方にも……」

「澪さん?」

「『人間が人並みでない部分を持つことはいいことで、そのことがものを考えるばねになる』。

とある本に書いてあったけど、伊藤もあんな親父が近くに来たから、自分の気持ちに決着をつけられたんだろう、と思ってさ」

 言葉は少し思案顔になってから、話題を変えて、

「そう言えば澪さんは、男の子と付き合いたいとか、思ったことないんですか? 結構モテそうなのに」

「わ、私は無理だよ!」澪は顔を真っ赤にして、両手を頬につけて、「私は男の人と付き合うとか考えたことがないし、それよりも自分の好きなことをしようという主義だし」

「そうですか……」

 その時、ピリリリと、澪の携帯から着信音が鳴る。

「お、律からだ」

 メールにはカラフルな色遣いで、

 

『いえーい! 澪!!

そっちは何をしてるんだい?

こちらは世界やムギ達と一緒に榊野ヒルズに向かってまーす!

ボーリング! 温泉! うらやましいだろー!!』

 

「やれやれ」

 それを読んだ澪は、ふうと息をつく。

「澪さん、田井中さんはなんと?」

「西園寺達と榊野ヒルズに行ってるって。……そういえば最近は律の奴、私より西園寺と付き合うことが多くなったな。あの子の世話で彼氏もできたし」

 澪はため息交じりに、うつむき加減で言った。

「そういえば桜ケ丘でも榊野でも、あの2人は『相棒』と呼ばれてますものね。澪さん……ちょっと悲しげですね」

「幼馴染だからね。やっぱり遠くに行っちゃうとさびしいものさ」

「……」

 さびしげな顔で、澪は絵文字やスタンプのない返信メールを入力し始めた。

 

『こちらは言葉と一緒に、桜ケ丘音楽室でティータイムやってます。唯と伊藤、さわ子先生と澤永も一緒だ。

もしよかったら、帰りに参加してみないか?』

 

「おかしくないですか?」

 言葉は考えてから、澪に声をかける。

「おかしい?」

「榊野学祭、というより、私達と親しくなるまでは、田井中さんは澪さんも平沢さんも誘っていたんですよね?」

「あっ……」澪も、はっと息をのんだ。「そういえば……!」

「西園寺さん、榊野学祭以来、いまだに私にも誠君にも一言も声をかけてませんし」

「……私達を襲った甘露寺は学祭以降も、いまだに私達に敵意をほぐしてない気がする……。もしかして律の奴、私を見限って西園寺についた……!?」

 青ざめる澪に対し、言葉は両手を振って諫める。

「ま、まあまあ、私も言い方がちょっとまずかったです。西園寺さんや甘露寺さんが私達にちょっかい出さないように、田井中さんが気遣ってくれたのかもしれません」

 

 

「いえーい!! ボーリング! 温泉! たっのしみだなあー!!」

 休日で混雑する電車の席に、田井中律の元気な声が響き渡る。服は着崩し、ショートヘアにはめられた黄色いカチューシャが輝いていた。

「律さん、ちょっと声大きいですよ」左隣の西園寺世界はそれをたしなめながら、整えたセミロングヘアーの髪を気にする。「本当は宮沢先輩や細川を呼び寄せる予定だったんだけど、日程調整がきかなかったんですよね」

「はは、まあね……」

 律は急にがっくりとうなだれた。桜ケ丘学祭の後、律は世界の周旋で、榊野男子生徒と付き合っていた。

「でも、いいじゃないですか。律さんも私も、新しい彼氏ができたし。仲も進んでいるんでしょ」

「全然進んでねえよ。大体さわちゃんと澤永なんか、付き合って半月でベッドを共にする生活になってるしよ!」

「あ……。それ言っちゃうと光が……」

 成程、世界の向かい側にいる黒田光は悲しげな表情になっている。茶色いツインテールをイカリングのように止めた独特の髪型が、あからさまに前のめりになった。

「まーまー、澤永って奴ばかりが男なわけないでしょ。どこかにきっと、黒田を待ってる男の子はいるっているって!」

 何故かその場に居合わせた鈴木純は能天気だ。隣にいる光の右肩をバンバン叩きながら、がつがつとビッグサイズのピザポテトを食べている。

「……そう簡単に言うけどね、私はずーっと前から澤永が好きだったんだからね! と言うか何で貴方までここにいるのよ」

「いいじゃない、あんたのところでバイトしてるんだから。ちょっと小耳にはさんだところ、黒田が梓と仲良くなったって聞いてさー。梓の友達は私の友達でもあるわけで。あーこのピザポテトサイコー」

「ホントなれなれしいわね、鈴木さん……」

「純、もうちょっと慎みなさいよ。それと、普通電車内で食事は禁止よ」

 律の右隣の席から、中野梓も顔を出して注意をする。黒髪のツインテールが腰までかかっている。わずかに吊り上がってる目はさらにきつくなっていた。

「おいおい、榊野生徒と付き合うの、あんたが一番嫌がってたでしょ? ま、すっかり慣れた感じみたいだけどね」

 ニヤニヤしながら純は返す。

「そう。幻覚剤をのむ必要もなくなったわけ」

 梓の隣の清浦刹那も、無表情で冷やかした。わずかに口元に笑みがあり、梓にピースサインを送る。赤いリボンを乗せた緑色の髪がふわふわと揺れる。

「……いや、今でもさわ子先生と澤永がいちゃついてるのを見てると飲みたくなるって……」

 全身の力が脱力したようなポーズで、梓は呟くように言った。

「と言うかさわちゃんも、よくあんな奴を選んだな……」律は腕組みをして、「話を聞いて唯と伊藤がのけぞったって言うのも、分かる気がするぜ……」

「あんまりあいつの悪口、言ってほしくないけどね」

 光が、明らかに不機嫌な声で答える。

 光と純を挟んだ両側の席には、ムギこと琴吹紬と甘露寺七海がずっとだんまりを決め込み、お互いにちらちら見ながら目をそむけている。金髪を腰まで垂らすフェミニンなムギと、長身で青い短髪のボーイッシュな七海は一見すると正反対だが、この中で頭一つグラマラスなのは共通。おかげで人目を引く。

「……あれからずっと、この調子か」

「そうですね。榊野学祭のこともありますし。七海はまだ上映会のショックから立ち直れないみたいですし」

 律と世界がぼそぼそと会話する。榊野学祭の時、七海は自分に憧れていた(というより恋愛感情を抱いていた)ムギを、半ば脅迫に近い形で引き入れ、彼女から得た情報で澪と言葉を襲ったことがあった。

 しかし榊野学祭後の上映会で、七海は自分の痴態を皆に見られ、人望と求心力を失った。かつての力はもうないだろう。

「だがよ、とりあえず榊野学祭のことは水に流して、皆で楽しむというのが今回の目的じゃねえか」

「そうですね。わだかまりを解くにはとりあえず楽しむ、それでいいんじゃないでしょうか。ほら、みんな、榊野ヒルズが見えてきたよ」

 世界にあおられて、皆は窓に映ってきた榊野ヒルズのビルを眺めた。30階建ての銀色で鉄製の高層ビルである。

「ん?」

 ふと、律の携帯が、音のない振動を伝えてくる。メールだ。

 律は取り出して読んでみる。世界も横から律の携帯を覗き込んだ。

 内容を理解するほどに、律の目が鋭くなる。

「澪からだ。桜ケ丘音楽室で例によってティータイムか……一緒にいるメンツが……カマバッカ」

「カマバッカ? ワンピ?」

「冗談だ。本当は『カモばっか』。唯と伊藤、さわちゃんと澤永、それに桂も。

 澤さわカップルを除いて、残る4人は榊野での騒ぎの台風の目だったな」

 この6人の名前を聞いて、思わず全員がピクリとなる。

 世界の表情も陰った。

(誠……。桂さん……!!)

 律は空気を読み取ったらしく、

「……ま、まあよ、とりあえず今はあいつらのことは考えねえようにしようぜ。ほら純、みんなの分も菓子を配れ」

「えー!? 全部私のお金で買ったのに―」

 純はむしゃむしゃポテトチップスを食べながら、律の言葉に従い、皆にお菓子を配り始めた。

 お菓子の入っている白いスーパーの袋は、純の膝の上に置かれているが、どれだけ買ったんだと思えるぐらいでっかい。

「とりあえず、電車の中では食べられないから、ボーリング場で食べるのがいいかも」

 刹那が相変わらず飄々とした物腰で付け加えた。

 

 

 桜ケ丘音楽室。

 一刻程経って、澪と言葉が部屋に戻った時の第一声は、

「い……伊藤!?」

「誠君……」

 だった。思わず2人の口があんぐりとあく。

 目の前には誠がいたのだが、髪はいつものアホ毛を1本垂らした黒い短髪ではなく、ウェービングのかかった腰までかかる金髪、服装は白いエプロンをかけたロングスカートの黒いメイド服、ホワイトブリム、手には白いおしゃれなティーカップ(ムギのものである)が乗った檜のお盆という仰々しさ。2個の風船を入れられ、胸は『爆乳』というぐらい膨らんでいる。

 彼の王子を思わせる甘いマスクと相まって、まさしく本物のメイドと言っていい姿だった。

「伊藤君!」さわ子がいたずらっぽく笑いながら、「『お帰りなさいませー、ご主人様―』は?」

「オカエリナサイマセー、ゴシュジンサマー」誠は低い声で棒読みに言ってから、「女装なんて生まれて初めてしたわ……」

 半泣きしながら震える声で呟いた。

「いやいや、なかなか似合うじゃないか!!」

 泰介は笑顔で手をたたいてヨイショ。

「マコちゃーん、可愛いよー!! 可愛いもの好きの私が言うんだからホントだよー!!」

「ちょっ、唯ちゃ……平沢さん」

 唯が誠の首に抱きついてきた。

「あ!」

 言葉が思わず声を上げ、続いて暗い炎のたぎった視線を唯に向けた。

「ひっ……ごめんね、桂さん……」

 唯は恐る恐る、誠から離れていった。

 その後も言葉は唯に、しばらく嫌悪と軽蔑の視線を向けていたが、誠に向き直って頬を染め、

「誠君……私もその恰好、結構似合うと思います」

「あ、言葉……ありがとう、ことばだけでもうれしい」

「それ、シャレですか?」

「いや、そういうつもりじゃないんだけど」

 言葉に引きつった笑みを誠は向ける。

 一方の澪は、目を背けて腹を抱えながら背中を丸めて、こみ上げるおかしさを必死に抑えて、くっぷっぷと笑っていた。

 もう少し肩幅が狭くて、半袖から出る腕が逞しくなければ十分女の子っぽいが。胸が妙に大きく感じるだけになおさらおかしい。

「澪ちゃん?」

「ま、まあまあ、とりあえず皆でケーキを食べよう」

 澪のこの一声で、皆々ケーキの置かれているテーブルに座る。

 女装した誠の左隣に、にこやかな表情で座ってきた唯に対し、右隣に座った言葉は、温度の消えた目で彼女を見つめた。

(言葉……?)

 澪はそんな彼女が、どうも気になる。

 誠はちらりと、さわ子に声をかけてみた。

「山中先生、この服脱いでいいですか? この格好じゃケーキ食べにくいんですが……?」

「……ぬぁーに言ってんの? まだ写真も撮ってぬぁいのにー!?」

 さわ子のドスの利いた声。目も鋭く血走っている。

 この分だと許されないようだ。

 しかして彼は、女装したままケーキを食べなくてはならなくなった。

 頬や耳までかかる長い金髪が邪魔で、いちいち耳元にかけながらケーキを食べなければならない。胸は肌に直に風船をくっつけられて違和感ありあり。

「誠君、大変そうですね……」

「なれない長髪だからね……そう言えば、言葉も秋山さんも髪長いのに、食事とか大変じゃないんですか?」

 誠が問いかけると、言葉は微笑んで、澪は思案顔で、

「私は、小さなころからずっとこんなスタイルでしたから」

「そう言えば、私もこの長髪と左利きがトレードマークみたいなものだったなあ」

 それを耳にして、茶髪ショートボブの唯は、

「やっぱり澪ちゃんや桂さんのように、髪の長い人が美人に見られるのかな……」

 少し俯き加減に、寂しげにつぶやく。

「そんなことねえって、平沢さん! 平沢さんは十分可愛いって!! な! な!」

 誠の代わりに、泰介がねぎらってきた。

「あ、ありがとう、澤永君……」

 低い声で戸惑い気味に、唯は答えた。

(伊藤に言われたら、きっと唯は大喜びではしゃいでたんだろうな)

 澪はそれを見ながら、ふと思う。

「じゃ、みんなで写真撮るわよー!」

 1眼レフの黒いカメラを三脚につけて、さわ子が声を上げる。

「え?」誠は唖然となり、「もしかしてこの格好のままで?」

「もっちろん! だってそうでなきゃ記念にならないでしょー!?」

 誠は金髪ロン毛の女装状態で写真を撮られなければならず、顔から火が出る思いだったが、必死に笑顔を作ってピースをした。

 

 

 榊野ヒルズのボーリング場は、ワックスが効いていてとてもきらびやかなクリーム色の床で、アベックや男子生徒・女子生徒の群れが集まって賑わっている。

 その傍らには卓球場もあり、皆がポンポンと音を立ててピンポン球を打っていた。

 ボールのピンを倒す音が、ガラガラと断続的に響いている。

 さすがに8人で1レーンにすることはできないので、2レーン借りて4人ずつ競い合うことになった。

 ガシャアン!

 世界は結構遊んでいるのか、慣れた感じでストライクを連発していく。

「うわあ、ターキー(3連続ストライク)か……」律はあっけに取られて世界の投球を見守る。「3回目でもうこの差かよ……」

「結構刹那とよく行ってたもんで」

 世界は振り返って、得意げに答えた。

「え、ええっと……こうかしら……」

 隣のレーンでムギが慣れない手つきで、ボールを投げる……というより、ガタンと赤いボールを落とす。

 妙に横回転のかかったボールはゆっくりと転がって、ガーターに飛び込んだ。

「……これで5回目……」

 がっくりと落ち込んで、すごすごと椅子に戻っていくムギ。

「ムギ先輩、もしかしてボーリングって苦手なんですか?」

 レーン越しに梓が聞いてくる。

「というか、今回が初めてなのよ……。だからボールの持ち方とかよくわからないし……」

 苦笑しながらムギは答えた。

 腰までかかる金髪、丁寧な物腰から察せられるように、ムギはお嬢様育ち。だからかえって庶民のスポーツになじみがないのだ。

「ムギさん、ボールの穴には親指と中指、薬指を入れます。初心者はボールのスピードが出なくてもいいから、振り子のように腕を縦に振って投げればいいです」

 梓の隣にいる刹那の、抑揚のない声のアドバイス。けれども、初心者中の初心者であるムギには理解ができないようだ。

 うつむいていた七海は、多少むずむずした感じでそんな彼女を見た。

「まあそのうち慣れるさ。……ともあれ、私も世界に追い付かねえとよ!!」

 レーンから出てきたピンク色のボールを取って、律は力みながらかまえる。

 腰を低くして、振り子のようにボールを振り、手を放す瞬間、

「あら、律じゃない。ムギや梓まで」

 部外者の声。

 思わず手を放すタイミングが狂ってしまい、離れたボールはガーターに飛び込む。

「こんなときに話しかけんじゃねえ!! ……ってあれ、和(のどか)ぁ?」

 律が振り向くと、そこには黒髪ショートヘアーで、赤ぶちの眼鏡をかけた少女が隣で立っていた。

 桜ケ丘高校2年1組で、生徒会役員の真鍋和(まなべのどか)。唯の幼馴染でもある。

「くすくす、ごめんなさいね……」和はクスクス笑いをしながら、「トイレから戻ってきたら、貴方達がいたもので。

唯や澪の言う通り、律も榊野生徒達と仲良くなってるみたいね」

「あたしら私服なのに、何で榊野生徒がいるってわかるんだ?」

「律さん?」世界はパチクリして、「その人、知り合いですか?」

「ああ、唯の幼馴染で、真鍋和と言うんだがな」

「あ」和は世界のほうを向き、「学祭以来、律には榊野生徒の『相棒』ができて、お互い彼氏も作って、一緒にダブルデートを頻繁にして楽しんでいるという話だったわね。

おまけに桜ケ丘生徒が好きな榊野生徒、榊野生徒が好きな桜ケ丘生徒の相談にまで乗って、ラブレターの渡しあいまでしているという。

貴方がその『相棒』よね。

名前は確か、西園寺世界さん」

「はい。それにしても真鍋さん、よく私と律さんのことを知っていますね」

「真鍋?」うつむいていた七海は思わず立ち上がり、「もしかして、乙女と足利勇気を取り合っていたという?」

「あ、そ、そうね……」和は言われたくないことを言われて顔を赤らめ、「でもまあ、やりすぎて足利君にはドン引きされちゃって、私も加藤乙女さんも振られちゃったのよ……」

「ていうか、亀仙流の手ほどきを受けたってのは本当なんか?」

 疑わしげな感じで律は聞く。

「本当。亀仙流もゴムゴムの実も本当にあるのよね……」和はすっかりリンゴのように紅潮していた。「私は亀仙流の手ほどきを受けて、加藤さんは海での修行中にゴムゴムの実を食べて、実力行使で足利君の争奪戦に挑んだんだけど。かめはめ波とゴムゴムバズーカの打ち合いで半径3キロを荒れ地にしちゃってね……。今となっては足利君がドン引きしたのも無理ない気がするのよね……」

「おいおい、何やってたんだよあんたら……」

 律に限らず、皆が呆れた表情。

「真鍋!」ふいに後ろから声がした。「もうあんたの出番だよ!!」

 声の主は、茶髪でポニーテール、ややつり目の少女である。表情は不機嫌。

 榊野学園1年4組の、加藤乙女。誠の中学時代からの親友。

「加藤さん」

「乙女!」

 と、和と七海の声が重なる。

 乙女は律と和のところに駆け寄りながら、

「あんたがいないと何も進まないのよ!

……ってあれ、七海。もう大丈夫なの? 上映会以来、ずっと女バスに出られなかったって話だったから」

「ああ、何とか最近は持ち直してきてる……」七海は力のない声で、「ありがとう、乙女」

「ん? あんたが加藤乙女か」

 まばたきしながら律は言う。

 梓は、

(この人と甘露寺が友達ってことは、和先輩のほうがこの人より年上なんじゃ……でも何で呼び捨て?)

 と思ったが、突っ込むのは控えた。代わりに、

「……っていうか、何で恋敵同士で一緒にボーリングしてるの?」

 呆れ気味に尋ねる。

 すると、乙女は半ば八つ当たり気味に、

「私も真鍋も足利に振られちゃったからね! 半分はお互いの傷のなめあいよ」

「そうですか?」ムギは合掌のようなポーズで、「それだけ仲良くなったってことですよね。雨降って地固まるでよかったじゃないですか」

「よくない!」

「つーかね、和」律は恨めしげな目で和に向き、「そっちにかまけて連絡を絶つってのはひでえぜ。唯が榊野学祭で大変な目にあって、あたしらはそっちの対処にてんてこ舞いだったんだからさあ!! 澪は助けてほしいって連絡も取ったんだぜ!!」

「あははは……。一応伊藤には学祭の後、足のけがの見舞いをしたんだけどね。桂が隣にいるのは気に食わなかったけど」

 苦笑いする乙女。

「伊藤さんと知り合いなんですか?」

 と、ムギ。

「中学校時代からの親友なんだ」

「そうなんですか……和ちゃんが唯ちゃんの幼馴染で、加藤さんが伊藤さんの親友……これも奇妙な縁ですね」

 ムギは思案顔になる。

「そのことはごめんなさい」和は頭を下げて、「榊野学祭での一連のことについては、後で澪から全部聞いたわ。沢越止が唯を狙ってたということも、伊藤君が唯を守ってくれたということも。加藤さんが伊藤君の親友だということは、初めて聞いたけど」

「ま、ムギがSPをたくさん出して、ようやく逮捕って感じだったけどな。結果オーライだったわ」

 律がぼやくと、梓がきついことを言ってきた。

「幼馴染よりも自分の恋のほうが大事だったということですか!?」

 和はいよいよ恥じ入って、

「あの時は燃えに燃えちゃって、優先順位を顧みる余裕がなかったのよね。唯にはごめんと伝えておいてね」

 そう言うと和は、自分のレーンのところに戻ろうとする。

「そういえば」世界は疑念の目を2人に向け、「真鍋さんも加藤さんも、亀仙流の技とゴムゴムの能力をそれぞれ手に入れたというのは本当なんですか? いったい誰がそんなことを」

「私は亀仙流の極意を示した巻物をもらって……」

「私はゴムゴムの実を直接もらって……」

 言いかけてから、和も乙女も、はっと息をのんだ。

 2人にそれぞれ亀仙流の巻物とゴムゴムの実を渡した張本人――人間ではなかったような――に関する記憶が一切思い出せないのだ。

「和? 加藤?」

 律の声で我に返った乙女は、

「誰に渡されたのか、全く思い出せないのよ……。最初は一生海で泳げなくなるのも嫌だったから、ゴムゴムの実はしばらくほっといたんだけど、妹がドリアンと思って切っちゃって、それを知らずに食べちゃったのよ……」

「確かゴムゴムの実って、体をゴム状に変化させる能力を身に着けられる代わり、一生カナヅチになって泳げなくなるって話ですよね」

「私が言うのもなんだけど、ちょっと気の毒ね……じゃ、私行くね」

 和は自分のレーンのところに戻っていく。

 和の後を追って去ってゆく乙女に、七海は聞く。

「しかし乙女、あんたは伊藤が好きだったんじゃなかったのか?」

 すると、乙女の表情は陰って、

「……桂の奴はともかく、西園寺さんや平沢さんまでもが伊藤を狙ってるとあっては、もう私の出番はないと思ってさ。

それにしても、真鍋が平沢さんの幼馴染だったとは……」

「ははは、ごめんなさい……」

 世界が乙女に頭を下げる。

「『桂の奴』か……」律は苦笑いしながら、「相当嫌われてんな、桂……」

「まあ、あんなカイショウナシであれだけモテモテなんだから、伊藤の奴も幸せものよ」

 光はため息をつきながらぼやいた。

 興味深げにそれを見ながら、純はコンソメ味のポテトチップスを食べ続け、刹那は無表情でボールを投げ、ストライクを取る。

 そんな彼女達を見る、『何者か』が1人。

「これで全員そろったか……まんまと罠にはまったな、空気読めよ……」

 

 

 再びムギの出番になった。

 刹那がアドバイスしようと少し手を上げると、大兵の七海が率先してムギの手首をつかみ、

「ムギさん、いいですか、こうやってボールを後ろにあげて……」

 振り子のように彼女の手を後ろにあげ、その反動でボールを投げさせた。

「どうしたんだ、甘露寺?」

「ほっとけなくなったんでしょう」

 不思議に思った律が世界に聞くと、あっけらかんとした答え。どうも七海はこういうことになるとほっとけないらしい。

 ムギが投げたボールはまっすぐ行き、一番前のピン以外を倒した。

「おお、ストライクまであと一歩か」

「律さん、ここは9本倒せたことをほめるべきですよ」

 そうは言っても、ストライクばかりの世界が拍手をしても嫌味にしか取られない。代わりに歩み寄って、笑顔でムギ・七海とハイタッチをした。

「甘露寺さん……本当は親切なんですね」

 ムギは少し戸惑った表情で、七海に声をかけた。

「あ、ありがとう……」

 七海はとりあえず返す。

「でも……」

「?」

「……何でもないです」

 ムギは冷めて下を向きながらも、七海にどうしても伝えたいことがあるらしい。

 何しろ言葉への襲撃のために、七海はムギを無理やり自分たちのグループへ引き入れたのだ。文句を言っても無理ないだろう。

 しかし、2人とも口をつぐんだまま、再びムギはボールを持って構え、七海が背後から二人羽織のようにサポートをする。

 お互いの温もりと、肌の柔らかさが伝わる。まるで社交ダンスを踊っているよう。2人はちらりとそう思った。

 振り子のように転がしたボールは、残り1本のピンを倒した。

「おお、スペア―じゃねえか!!」

「ムギさん、やりましたね!! もちろん七海も!!」

 律と世界は立ち上がって、ムギと七海にハイタッチ。こういう時に盛り上げるのが2人の役目だ。

「おお、ムギ先輩やるじゃない、もぐもぐ……」

 純はエンゼルパイを頬張りながら、にこにことそれを見守った。

 

 

 ついにボーリング終了。

 成績は世界がダントツにトップ、続いて刹那。3番目に七海、次いで律。

 だが、最初はガーターばかりだったムギも、七海のサポートで追い上げ、6位にまでこぎつけた。

 最後にはサポートがなくとも、1回でピンを半分以上倒せるようになっていた。

 律が親指を立てて言う。

「やるなあ、ムギ」

「甘露寺さんのサポートがうまかったんですよ。さすがは榊野の女バスをベスト4にまで進出させただけはあります」

「いえ、大したことはしてないです」七海は頬を染めながらも、ぎこちない笑みを浮かべる。「ムギさんはやればできるんですよ」

「甘露寺、貴方はそれ以上の3位でしょ」ビリになった梓が突っ込んだ。「なんで私は最下位なのよ……」

「ま、しょーがないんじゃない? 今度取り返せばいいじゃない。もぐもぐ……」

 純は梓の肩をドカドカ叩き、もう片方の手でチョココロネにかじりつく。

「純、あんたさっきから食ってばかりいない?」

 

 

 ボーリングを終えた後、1階にある温泉に一行は向かう。

 内浴場では、青白いタイルに囲まれた中で、ジャグジーや電気風呂、水風呂や薬草を入れて紫に着色した浴槽がある。

 タオルも巻かないまま、律は浴室に飛び出す。後で黄色いタオルを体に巻いた世界が入り、他の皆がそれに続く。

「律さん、タオル巻かなくていいんですか?」

 世界が、小さな子供を除いて皆タオルを巻いている大人たちを見ながら訪ねる。

「いいよ、めんどっちいし。あたしは温泉でタオルを巻かない主義なんだよ……ん?」

 世界が、前髪を下した律の顔を見て、目を丸くし、頬を染めている。

「何だよ?」

「律さんが前髪を下した姿、初めて見ました……可愛い……」

 髪を下した律の姿は、明らかに美少女に見える。

「あたしはいつでも可愛いんだよ! その証拠に学祭の後、あっという間に彼氏を作っただろ!!」

(いえ、それは私の世話もあるのですが)

 世界は心の内でそう突っ込んだが、口にするのは控え、

「そういえば、刹那も七海も光も、髪を下した律さんって見たことないよね?」

「……そういえば」

「なかなか可愛いじゃないですか」

「そうそう!!」

 3人とも同調する。

 あぶくがたくさんわいて白くなっているジャグジーに、律は温度も確かめずに飛び込む。後から世界がジャグジーの温度を確認してからゆっくりと入る。

「はー、いいお湯だぁ!」

「ほーんと、癒されますねえ」

 律と世界が周りを盛り上げようと、声を上げる。

 ジャグジーの隣の四角い薬草風呂に、残りの6人は入る。

 小柄な刹那は目だけ外に出しながら、くぷくぷと浴槽を泳いでいた。

「清浦、いくらなんでも泳ぐのは……」

 梓がたしなめると、

「子供のころから温泉で泳いでたんだよ、私は」

 無表情に答えた。

 広い広い女湯では、たくさんの女性が黄色いタオルを巻いて、あるものは風呂と風呂の間をうろつき、他のものはゆっくりと温泉に入っている。

「世界ぃ……」律は世界の胸のあたりを凝視しながら、「あんたいい体してるよなあ……」

 世界ははっとしてタオルの巻きつけをきつくしながら、

「って、どこ見てるんですか!?」

「だってよぉ……。あたしは体が貧相だからさあ……。澪によく八つあたりをしてたよぉ……」

 タオルを巻かない自分の体を、律はじろじろと見た。

 刹那ほどの幼児体型ではないが、起伏も少ない。(律の身長は154㎝)

 それに比べると、世界は律より年下にもかかわらず、身長(世界の身長は155㎝)もプロポーションも格上だ。

「あはは、成長は人それぞれですからね……って、あっ、律さん……」

 流そうとした世界だが、律は彼女の巻くタオルをどけて、世界の胸に両手を突っ込む。

「うわあ、大きいだけでなく柔らけえ」

「ちょ……あ……律さん……!」

「うっわ、エロイなあ……世界、そんな声出すのかあ……」

 刹那がくぷくぷと薬草風呂の外側を泳いでいる間、残る5人は目を天井に向けつつ、温泉の感触を楽しんでいた。

 そんな折、純のそばからコポコポと泡がわく。

 するとそこから、鼻が曲がるくらいの臭いがしてきた……。

「く、くさい……。貴方どれだけ食べてたのよ……」

「ごめん……。我慢できなくて……。お菓子食べすぎた……」

 隣にいた光が、鼻をつまみつつ純に尋ねると、バツの悪そうな答え。

 思わず皆皆風呂から出て、露天の入り口へ行ってしまった。

 律と世界以外は。

「つーか純、あんたのおかげで空気が台無しになってるじゃない……」

「ごめんねー、梓」純は茶色い頭をポリポリ掻きながら、「まあ、露天に行ったら外の空気も吸えて、持ち直すんじゃないかなあ」

 ふいと梓が気付いた。

(律先輩と西園寺は?)

 ジャグジーの方向から聞こえるのは、水が跳ねるパシャパシャという音と、何やら柔らかいものをいじくるぐにぐにという音。同時に、

「あ……っ……律さ……ん……や……やめてください……は……っ」

「いいじゃんか世界、女同士なんだし」

 世界の鼻にかかった甘えるような声と、それを歯牙にもかけない律の声。

「って、律先輩も西園寺も何やってるんですか!?」

 梓の声で皆が振り返ると、2人の声が途切れ、円形のジャグジーの端っこでは、

「いやあ、やりすぎちまった」

 片手を頭に当て、いたずらっぽく律が笑っており、

「はぁ……はぁ……」

 紅潮して涙目になっている世界が、声が出ないように親指と人差し指をかんで息をしており、もう片方の手で黒い大理石の浴槽をつかんでいる。

「なんだか、相当やらしいことやってましたね、まったく公衆の面前で……」

 梓は頬を染めてあんぐり口をあけてしまった。

「いやあ、それよりも世界の体が気になっちまって……あ?」

 律は自分の肩を世界に掴まれ、向かい合わせに顔を合わせられる。

 世界にいたずらっぽさとむかむかが半々の視線を向けられて――

 ガンッ!!

「いったあっ!! 鼻先に頭突きはねえだろ世界!!」

「セクハラ行為の報いですよ。危うくいきかけましたし」

鼻を抑えてもだえる律に対し、世界は前髪をかき上げて額を痛々しげにさすっている。

「はあ……」梓は呆れのため息をついて、「本当に何やってんだか……」

「まあ、このくらいのじゃれ合いができるってことだから、仲がいいってことじゃないかな」

 刹那が諫めてくる。中学生ぐらいの身長で体形もスレンダーな彼女だが、体に黄色いタオルを巻いている。

 

 

「さわちゃん、ケーキのおかわり、あるよー!」

 唯がケーキのおかわりを持ってくると、さわ子は急に表情を重くしてため息をついた。

「実は最近、体重が増えてきちゃって……」

「太っちゃったんだー。私はいくら食べても太らないんだけど」

「んなこと言うのはこの口かあー!!」

 空気読めない唯の発言に、さわ子は思いっきり彼女の頬をひっぱたいた。

「まあまあさわちゃん、だーいじょうぶだって! 俺とヤリまくれば――」

 この後の泰介の言は、バキッと言う音に遮られた。泰介の鼻を潰した誠が横から出てきて、

「じゃあ山中先生、こんなのどうですか? 棚の奥の奥から見つけ出したものだけど」

 皆皆、彼の出したものを覗き込む。

 それは茶色いDVDで、黒いマジックで簡単に、

『ジミーズブートキャンプ』

 と書かれてある。

 泰介が白けた表情で、

「待て、何故『ジミーズブートキャンプ』なんだ? 普通『ビリーズブートキャンプ』だろ? まあそれも古いけど」

「『ジミーズブートキャンプ』で正解だ。母さんが友達からもらったコピーなんだけど、いい運動になるぜ。俺も結構付き合わされてたんだ」

「じゃあ、やっちゃいましょうか。私も持ってるんです、それ」

 言葉がにっこりした表情で言ってくる。ちょうど小さな子供が、懐かしい駄菓子を買い込んだ時のような顔である。誠と趣味があっていたということもあるのだろう。

「明らかにパチモン臭プンプンなんだが……」澪はあきれつつも、「とりあえずやってみるか。とはいえ、私達は私服とはいえ、運動に向いた格好じゃないだろう。ノート式のDVDプレーヤーはこの部屋の奥にあるけど……運動着ってあるかな?」

「じゃじゃーん!」さわ子は男性用と女性用の体操服を両手で持ってきて、「実はコスプレ用に用意してあったのよ! 私達はここで着替えるから、泰ちゃんと伊藤君は準備室で着替えてね」

 あまりにタイミングが良すぎる。

「よく準備できましたね。と言うか、やっとこのメイド服が脱げるわけか……」

 無理やり着せられた、髪が耳のあたりまでかかる女性用のカツラとメイド服を気にしつつ、誠は呟いた。

「まあまあ、なかなか似合ってたぜ」

 泰介がぽんと彼の肩に手を置いた。

 

 

 それぞれ運動着に着替える。運動に邪魔になるのか、澪と言葉は、腰までかかる長い黒髪を、後頭部で一本に縛った。

『ジミーズブートキャンプへようこそ! 隊長のジミー・ヤマザキだ!! では、ブートキャンプを始めよう!!』

 机と椅子を端っこにどけてDVDをつけ、起動させると、ジミー隊長の元気な声が響く。警官風の黒い服に身を包んだ、中肉中背の明らかに地味そうな男だが。

 後ろには運動着に着替えた老若男女が元気に手をたたきながら左右に動いているが、 その中にただ1人、銀髪天パで着流し姿、死魚のような目をした生気・覇気共に一切感じられなさそうな男が、腕枕をして鼻をほじっている。

「……誰だこいつ……?」

「うーん、どこかで見たような……」

 澪の突っ込みに、言葉は引きつり笑いをしながら首をひねる。

『じゃあ旦那ぁ、運動の前に旦那流健康法を教えてやってくれぃ!』

『……んあ? しょうがねえなぁ……。あー、だりぃー……』

 ジミーは直接教えず、その銀髪天パの男を指名してきた。

「って、そっちが講師か!?」

 澪の突っ込みが入る。

 銀髪天然パーマで死魚のような目をした男は、明らかにやる気のない低い声で、

『えー、坂田銀時流健康法を教えます。まず食事は1日3回、この宇治銀時丼を毎日食べることぉ』

 といって、どんぶり飯に粒あんがどっぷりとかかったものを見せる。

「まるで猫の餌だな……」

 今度は誠が突っ込んだ。

『次に間食は1日4回、レストランでチョコレートパフェを食べることぉ。もしパフェがないならアイスクリームでもいい。ケーキ1個でもいい』

「思い出しました……」言葉は唖然として、「このDVD、運動前に小話があるんでした……」

「やめよやめよ」誠は半分脱力状態で、「ギャグとしてもナンセンスだし。見る意味ないや」

「えーっ!! せっかく健康になる食事方法を教えてるんだよ!! 見なくていいの!?」

 唯のすっとぼけた声。

「「逆に病気になる」」

 澪と誠の冷めた声が重なり、運動を始めるあたりまで、誠はDVDを早送りした。

 

 

「はーあ、楽しかったな!!」

「楽しかったね!!」

 律と世界の声が、一行が榊野ヒルズを出てから広がる。

 秋の日は釣瓶落とし、という言は真実であろう。日は西に傾き、空をオレンジ色に染めていた。ヒルズに来ていた若者達も、男女カップルを中心に皆入り口から出ていく。

 律は澪のメールが、前から気になっていた。

 とは言え、特に七海は言葉に敵意を抱いているから、彼女とはなるべく一緒にいたくないだろう。

 そこで律はゆっくりと、時候の話をするように言った。

「せっかくだからよ、うちらの音楽室に行かねえか? きっとまだ澪達、お茶してると思うしよ」

 ………

 それまでのゆるい空気が、急に淀んだ。

 世界の笑顔が、急に消える。後ろを向く。

「お、おい世界……」律は慌てふためいて、「ムギのお菓子うまいぜ。それに伊藤だっているんだし」

「……お願いですから、私に誠や桂さんの話をするのはやめてくれませんか……?」

 世界の目は前髪に隠れて見えなかったが、口元が引き結び、拳と奥歯に力が入っていることが分かる。

「世界……?」

「誠も桂さんも、私なんか最初からいなかったかのように無関心……私が桂さんと誠を引き合わせたのに……!!」

 そのまま世界は、無言でつかつか行ってしまった。後を七海がついていく。

「世界! 甘露寺!!」

 律の声を無視して、

「わ、私もややこしいことは嫌いなんで……」

「私も店の手伝いが」

 純がおどおどし気味に、光が冷めた声をあげて去っていく。

 後の4人は、呆然と立ち尽くすしかなかった。

「だめか……」律はため息をついて、「甘露寺は分かるが、世界まで桂に対する敵意を消してねえとは……。

つーか世界が桂を一番敵視している気が……」

「そう言えば」ムギが下を向いて嘆く。「桂さん、言ってました。桂さんにも伊藤さんにも、あれから西園寺さんは一言も話しかけないし、無視しているって」

「そんな……!」

「ってムギ、おめえいつの間に桂と接点を持ってたんだ?」

「榊野学祭以降、伊藤さんが肩身の狭い思いをしないようにということで、桂さんと協力してサポートしていたんです。桂さん引っ込み思案だけど、伊藤さんには一途だし、そんなに悪い人じゃないと思うんですが」

「澪は桂の世話を熱心にしているしな。でもあたしは世界のことをほっとけねえし」

「じゃあ……」梓は不安を通り越して恐怖におびえる。「私達まで割れるんじゃあ……」

「でも」

 その声で皆、そちらを向く。

 榊野生徒の中で、刹那が1人残っていた。目は無表情だが、口元が歪んでいる。

「貴方たちと会えたのは、世界にも伊藤にもよかったと思っている。伊藤も世界も、勿論私だって、これからも貴方たちと付き合っていきたい。そう思っている」

「……ならお願いだから、そちらの争いを持ち込まないでよ」梓がつっけんどんに言う。「うちらの仲まで壊れたら、貴方達の責任なんだからね」

 すると刹那は、その場で思いっきり3人に向かってした。

 土下座を。

 額をごつんと、灰色のコンクリートにぶつけて。

 周りが彼女をじろじろ見る。

「私からもたってのお願いをします! あの子を……世界を見捨てないでください!!」

「清浦さん……」

 両手を口に押えて、ムギは声を上げる。

「いや、たってのお願いというなら土下座しなくていいから」律は冗談半分に言ってから、「とりあえず行こうぜ、清浦。あんたは世界一派だけど、桂はあんたにはそれほど敵意を抱いてなさそうだからな」

 刹那に手を差し伸べた。

 

 

 ゆっくりとした足取りで、律、ムギ、梓、刹那は桜ケ丘高校音楽室の前に来た。

 後のメンバーは家に帰ってしまった。

 とりあえずドアにノックをする。

「おいーす、律だー! ムギ、梓、清浦も一緒だぜー」

 律が声をかけると、

「はあ、はあ、入って大丈夫よ……」

 さわ子の喘ぎ声が響く。

 梓はぎょっとして、

「ちょっと待ってくださいさわ子先生、桜高音楽室はホテルじゃないです!!」

 他の皆を押しのけて音楽室に入る。

「……って、ありゃあ、ブートキャンプ? ふっるいもんやってんなあ……」

 ドアが開いた瞬間、律の間の抜けた声が響いた。

「まあまあ、スポーツクラブに行くとお金もかかるし、ダイエットにいいんじゃない?」

 あきれる律に対し、ムギがフォローをかける。

『今日のブートキャンプ、よく頑張った。

ブートキャンプに参加することで、自分を変えられる。

神の祝福がありますように。ビクトリー!!』

 DVDプレーヤーから、ジミーの元気な声が響く。

「熱い……」

 全身に汗を流して泰介は、背後からさわ子に抱きつく。

「エアロビなんて生まれて初めて……」

 唯は前のめりになりながら、ひいひいと言っている。

「久々にやったけど、やっぱりいい運動だな。1日目こそ筋肉痛になるけど、数日続けるとなんということもなくなるぜ」

 誠はポケットのハンカチで頬をぬぐう。運動着が汗でびっしょり濡れていた。

 言葉だけが、額の汗を拭きながらも、背筋を伸ばしてピシッと立っている。

「! 律ぅー!!」

 澪が半泣きの表情で律に抱きついてくる。

「み、澪……どうしたんだよ……」

「言葉からお前が、西園寺になびいて私と唯を捨てたと言われたんだよー! 不安だったんだよー!!」

「な、なに言ってんだよ……。あたしが幼馴染のおめえを捨てるわけねえだろ。桂も考えすぎなんだよ……」

 律は澪の肩越しに、言葉の薄暗い光の宿った瞳を見た。

「な、なんだよ、桂……!」

 律はそこから、榊野生徒たちのねじれた感情を感じ取り、息をのんだ。

 

 

続く 

 

 




あとがき

お久しぶりです、SPIRITです。
Cross Ballade本編終了後から結構経っていますね。
長年経って、ようやくまたこの題材を描いてみたい気になってきました。
今回から、Cross Balladeの本編が終わった後の話になってきます。
ちょうど榊野学祭から1か月たち、放課後ティータイム(けいおん組)と榊野学園生徒(School Days組)がすっかり仲良くなったという設定です。
つまりSchool Days組がけいおんのゆるい雰囲気に取り込まれていると。
ちなみにビリーズブートキャンプは僕も鬱解消とダイエットにしばしばやっていました。1日目は筋肉痛になるけど、数日間続けているとなんということもなくなります。


が、西園寺世界と桂言葉、桂言葉と平沢唯のわだかまりは完全には消えておらず、これが後々の禍のもとになってきます。今回はちょっとそれをちらちら出していた感じ。
加えて、前作では別の恋人を取り合って不在であった真鍋和と加藤乙女が帰還し、原作やTV版でもあった乙女の言葉に対する嫌がらせは続いていきます。
(前作で七海は痴態を見られて失脚しましたが、乙女はしておらず、クラスでの人望は厚いです)


それでも彼らがどのようにぶつかり合い、ドラマを作っていくかが今回の見どころ。
下手をすれば犠牲者が出て、最悪『全員死亡』という結末になるかもしれない。
でもうまくいけば……。
『Dead or aliveの付き合い』になりそうですが、どちらに転ぶか(それは全部僕にかかってるんでしょうか)、見てくれるとありがたいです。


P.S.『人間が人並みでない部分を持つことはいいこと』の解説。
これは司馬遼太郎が子供向けの小説『洪庵のたいまつ』の中で言っていたことで、
『人間が、人並みでない部分を持つことは、素晴らしいことなのである。そのことが、物を考えるばねになる。』
というのが原文。
確かにその通りで、エジソンが質問魔で先生に「君の頭は腐っている」とまで言われながらも、生涯その好奇心と探求心を忘れず研究をつづけ、『発明王』と呼ばれたこともそう(彼はADHDだったという説がある)。
僕自身も発達障害持ち(とはいっても知能と身体は健常者と大差なく、コミュ力と適応力に欠けるといった症状)だったからこそ、他人とは違う生きざまを模索し、
『横並びに安住せず、自分一人で自分を向上させていく』
という信念に至ったわけです。

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