幻想白徒録   作:カンゲン

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あーシリアスです。


第三十一話 西行寺幽々子は思い描く

 

 幽々子の事情を知った日から、俺は彼女の屋敷にいることが多くなった。

 いつも暇な俺とは違い、紫は幻想郷のことや西行妖の封印のことで忙しいのか屋敷に顔を出せない日があったため、俺も幽々子の近くにいるようにと紫に頼まれたのだ。

 久々の紫の頼みを快諾した俺は、基本的には幽々子のところにいて、たまに妖怪の山に帰るという日々を過ごすことにした。

 

 幽々子の屋敷にはその大きさに反して使用人がほとんどいなかった。これは特殊な事情から西行妖の影響を受けない人だけを雇っているからだそうだ。妖忌もそうして雇われた一人である。

 一応俺も影響を受けない人間として、主に調理を中心に手伝いをしているが、それ以外のときは幽々子と一緒にいるようにしていた。

 

 くだらない雑談をしたり、今まで経験した出来事を語ってみたり、思いついた遊戯を試してみたり、何もせず縁側に腰掛けお茶を飲んでいたり。

 そんな日常を紫や、妖忌を含めた使用人たちと一緒に過ごし、それなりに楽しい日々を送っていた。

 

 

 

 そして今日も俺はいつも通り幽々子の屋敷を訪れていた。

 

「よう、幽々子。お邪魔します」

「……あら、ハクさん。いらっしゃい」

 

 仙郷で彼女の真横に現れた俺に特に驚いた様子もなく、ゆっくりとした調子で挨拶を返す。

 少し見回してみるが紫も妖忌もいない。どうやら幽々子一人でお茶を楽しんでいたようだ。

 

「……ハクさんはやっぱりに紫にそっくりね、現れ方とかおんなじだわ。……いえ、この場合は紫がハクさんに似たのかしら?」

「んー、どうだろうな。確かに紫とは四百年くらい一緒にいたが、性格が似てるとは言われたことないな」

「四百年も……すごいわね」

 

 仙郷を出て幽々子とちゃぶ台を挟んで反対側に座り、少し思い出しながら話した内容に、幽々子はぽかんと開いた口に手を当てながら驚いているようだった。

 幽々子はまだ十代の少女。四百年という年月は彼女では想像もできないほど途方もないものなのだろう。

 

「私はそんなに長い間、紫みたいに明るく生きていく自信はないわねぇ」

「別に難しいことじゃない。お茶を一杯飲みたいと感じれば、生きていくには十分だ。あ、これお土産。中はせんべいな」

「あら、ありがとう」

 

 一緒に仙郷から出したせんべいをちゃぶ台に乗せる。

 

 何百年も楽しく生きていく自信がないと幽々子は言うが、これはさほど難しいことじゃない。何かしらの目的さえ作ってしまえばいいのだ。そしてそれは「明日はこのせんべいを食べるんだ」ぐらいのもので十分なのだ。

 

 ただ生きるために生きてる分には余暇ってもんがないからな。だからこうやって目的を作る。肝心なのは望んだり生きたりすることに飽きないことだ。いつか誰かがこういうことを言いそうだ。

 

「まぁ一番いいのはやりたいことをやることだ。俺も紫もそういう風に生きてきたよ」

「……二人とも、本当に強いわ。ハクさんが西行妖の影響を受けないのは、その強さ故なのかしら」

 

 そう言いながら開かれている障子の外へ目を向ける幽々子。つられて俺も屋敷の外を見ると、相変わらず美しく咲き誇る西行妖が目に入った。

 

「さあな。俺も影響を受けていないわけじゃないが、特に対策しなくても問題ない程度にしか感じないよ」

「……きっとそれだけハクさんの心が強いということよ。一体何者なのかしら?」

 

 西行妖を見ていた幽々子の目がこちらを捉える。怪しんだり訝しんだりしているわけではなく、純粋な興味として聞いているということはその目を見て理解した。

 

「ふふふ、俺の正体が知りたいか? 幽々子は何だと思う?」

「え、えぇ? うーん……やっぱり妖怪さんなのかしら。それとも妖忌さんみたいに半分幽霊、とか……?」

「残念、ハズレだ。俺はなぁ~……宇宙人なのだ!」

 

 芝居がかったようにそう言いながら、両手を軽く上げてぎゃおーと叫ぶ。いや、宇宙人がぎゃおーと叫ぶイメージがないのは俺も同じだが、何というか、流れでな?

 

 俺の奇行……もとい、行動を見た幽々子はしばらく目をまん丸にして固まっていたが、突然ぷつりと糸が切れたように笑い始めた。

 

「あ、あははは……! そ、そう、宇宙人さんなのね……! ふふふ……不思議な人だと思っていたけど、それなら納得だわ……!」

 

 そう言いながら、まだこらえきれないように口元を袖で隠しながら笑い続ける幽々子。そんな姿を見ていると元凶である自分が恥ずかしくなってくるが、それよりも幽々子が笑顔を見せたことが俺にとっては嬉しかった。

 どうでもいいけど、『妖怪さん』とか『宇宙人さん』って言い方かわいいな。

 

「……まさか宇宙人さんとお話しできる日が来るなんてね。他にお仲間さんはいるのかしら?」

「言わずもがな、宇宙にはたくさんいるんだろうけど、地上には俺が知る限りではあと二人だけだ」

「そ、そうなの?」

「好んで地上に来る宇宙人は珍しいからな」

「へえぇ~……」

 

 先程までの笑っていた表情から一転、きょとんとした顔を隠しもせずに目をぱちくりとさせている。

 まぁ俺が宇宙人だという話は完全に冗談だと思っていただろうからな。やけに具体的な話を聞かされて混乱するのも無理はない。

 

「……じゃあ、ハクさんはどういう理由でここに―――」

「幽々子ー来たわよー、お邪魔しまーす。あ、ハクもいたのね」

「あら、紫、いらっしゃい。今日は忙しいんじゃなかったの?」

 

 突然先程俺が出てきた場所にスキマが開いたと思ったら、何やら気分の良さそうな紫が登場した。

 言葉を遮られてしまった幽々子だが、まったく気にしていないようで穏やかな笑顔で紫に挨拶を返した。

 

「思いのほか早く仕事が片付いてね、時間があるから来ちゃったわ。それで、二人で何の話してたの?」

「さあな。昔のことだから忘れちゃった」

「いや、たった今話していたことを聞いたのよ。全然昔のことじゃないでしょ」

「俺が覚えてるのは、ずっと昔に紫が『壁に耳あり障子に目あり、スキマに紫』とか言っていたことぐらいだな」

「ぶっ!? そ、それは忘れてって何回も言ったのに!」

 

 幽々子に入れてもらったお茶を盛大に吹き出しながら、手を右往左往させて慌てる紫。そんな彼女の珍しい姿を見た幽々子はまた心底面白そうに笑ったのだった。

 いつも壊れそうな笑顔を浮かべている彼女を知っている俺としては、そのことが本当に嬉しく、同時に少し心が痛んだ。恐らくそう感じるのは紫や妖忌も同じだろう。

 

 俺はそう思いながら、幽々子に「あれは一時の気の迷いなのよ!」などと弁明している紫の首根っこを掴んで、調理場まで連れて行った。

 その途中で振り返り、幽々子を見ながら人差し指を自分の口に当てて『しーっ』という合図を送る。意図に気付いた幽々子はゆっくりと頷いてくれた。

 

 月人の話は絶対秘密というわけではないが、話す理由もないからな。

 

 でも何故だろうか。この隠し事はそんなに長く続かないような気もした。

 

 

 

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 妖怪というのは基本的に長生きしている者ほど強い。

 もちろん、もともとの種族、才能、育った環境などで差は大きくなるものの、長い時を生きてきた妖怪が知識や妖力を蓄えて強くなるのは例外なしと言ってもいい。

 

 そしてそれはどうやら西行妖にも適用されているようで、あの桜の妖力は強くなる一方だ。

 妖力が強くなると周りに影響を及ぼす。あの桜の場合は死に誘うという影響を。

 

 ここ最近、あの桜に惹かれて敷地内に入ろうとした人は一人や二人ではない。すべて妖忌によって追い払われているからまだ犠牲者はいないが、いつまでもこのままではいけない。

 だが俺の知っている唯一の封印方法を行うわけにもいかない。

 

 封印にはいくつか種類がある。

 対象の持つ一部のみを使用不能にするもの。対象そのものも含めて使用・行動不能にするもの。対象をこことは別の空間に転移させるもの……等々。

 いろいろあるが共通するのはそのどれもが膨大な力を必要とするうえ、対象の力量や能力によって術式の複雑さも増すということだ。

 そういう事情から、あの膨大な妖力と面倒な能力を持つ西行妖は封印するのには最悪の相手と言っていいだろう。

 

 だがあれほど強力な妖怪となった西行妖でも封印する方法はある。

 封印する際に核となるものがあれば、封印に必要な力や術式の複雑さをかなり軽減することができるのだ。

 核となるものは何でもいいわけではなく、封印の対象となるものと相性のいいものでなくてはならない。いくら箱に閉じ込めたとしても、錠を正しく使えていなければ意味がないということだ。

 

 そして運のいいことに。もしくは悪いことに。あの桜の封印の核となるのに相性のいい、理想的なものは存在していた。

 

 同じく死に誘うという能力を持った、西行寺幽々子だ。

 

 それは紫も知っていたのだろう。だから俺の知っている封印方法は紫の考えているものと同じだと言ったとき、彼女はどん底に突き落とされたような表情をしたのだ。

 

 だが今考えてみると、幽々子も最初からそのことを知っていたのかもしれないな。

 

 

 

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 その日、俺は西行妖の見える縁側で一人、酒を飲んでいた。すでに日が落ちてから大分経っており、周りは静寂に包まれている。ただ今夜は月がきれいなため、思ったほど暗くはない。

 特に何かあったわけではないが、たまに一人静かにこうしているのも悪くはない。妖怪の山から持ってきたきつめの酒でも相変わらず酔いはしないが、こういうのは雰囲気が大事なのだ。

 

 落ち着いた気分のまま空いた盃に酒を注いでいると、ふと後ろから物音がした。こんな遅い時間に誰かと思い、音のした方向を見るといつもの着物を着た幽々子が立っていた。

 

「わ、ハクさんだったの。こんばんわ」

「幽々子? まだ起きていたのか」

「ええ、今から寝るところなの」

 

 俺の姿を見た幽々子は少し驚いたようだった。俺や紫がいきなり隣に現れても驚かないのに、暗がりに誰かいるのを見ると驚くんだな。

 そんなことを考えていると、俺の持っていた盃を見た幽々子が少し首を傾げながら質問した。

 

「ハクさんは月見酒かしら?」

「ああ、月もこうして見るだけならきれいだからな。こう落ち着いた空気もいいもんだ。紫が近くにいるといつも騒がしい」

「ふふ、それはそれで楽しいですけどね」

「まあな」

 

 くすくすと笑った幽々子につられて俺も少し笑う。

 まぁあいつが騒がしい理由は俺がからかっているからというのもあるから不満などはまったくない。むしろいつも面白くてありがとうと礼を言いたいくらいだ。そんなことを言えばまた怒られるだろうが。

 

 ひとしきり笑った幽々子はふうと一息吐くと、ゆっくりと俺の近くまで来て隣に座った。

 

「寝ないのか?」

「せっかくだから、もう少しハクさんとお話したいわ。お邪魔してもいいかしら?」

「そりゃもちろん。冷えるからこれを羽織っておけ」

 

 仙郷から大きめの着物を取り出して幽々子にかける。小さく礼を言った幽々子はその視線を西行妖のほうへ向けた。

 

「……きれいね」

「そうだな」

 

 幽々子の呟きに同感だと答える。

 あの桜は本当にきれいだ。何人もの命を奪い、今なお広範囲に影響を及ぼしている災害の種だとしても、やっぱり美しいのだ。

 

 そうしてしばらく月と桜を肴にちびちびと酒を飲んでいると幽々子が興味を持ったようで、少し飲んでみたいと言い出した。

 子供に酒はどうかとも思ったがほんの少しならと考え、手持ちの中でそれほど度数の高くない酒を少し盃に注いで手渡す。さすがに妖怪の山から持ってきた鬼用の酒を渡すわけにもいかない。

 

 それでも幽々子にはきつかったらしく、一口飲んだあとで咳き込んでしまった。少し心配したが、二口目以降は咳き込むことなく味わって飲んでいた。

 ふむ、なかなか酒飲みの素質がある。

 

「……何だかあったかくなってきたわ。気分も少し落ち着いたし、お酒っていいものね」

「はは、これは将来一緒に飲むのが楽しみだ。でも本格的に飲むのはもう少し大人になってからな」

「ええ、楽しみに待つことにするわ」

 

 ふぅ……と息を吐いた幽々子はその瞳を揺らしながら穏やかに笑む。少し酔ったかな。

 

「……紫には感謝しているわ。いつも一緒にいてくれて、いつも私のことを気にかけてくれている」

「大切な友人だって言っていたからな。もちろん俺もそう思っている」

「ふふ。ありがとう、ハクさん」

 

 視線を西行妖からこちらに向け、体を左右に揺らしている幽々子は実に気分が良さそうだ。

 そんな姿を見て同様に気分の良くなった俺は、盃の中の残りの酒を飲み干して仙郷にしまい、おもむろに立ち上がった。

 

「少し散歩しようか、幽々子」

「え? で、でももう暗いし、それに遠くに言ったら、その……」

「大丈夫だ、ここの敷地内からは出ないよ」

 

 移動先で自分の能力が周りに悪影響を及ぼすことを心配しているのだろうが、そんなに遠くに行くつもりはない。むしろ、距離的に人里からは離れるだろう。

 

「よし、行くぞー……それ」

「わわっ!? は、ハクさん?」

「さっき渡した着物と盃、しっかりつかんでおけ、寒いからな。飛ぶぞ」

「え、わ、わっ……!」

 

 隣でぽけーという顔をしていた幽々子をお姫様抱っこして上空に飛ぶ。いきなりのことに驚いた幽々子は反射的に俺の着物につかまった。

 よく考えたら幽々子は飛べないはずだから、急に高い場所に連れていかれたら怖いわな。飛ぶことが常識となってしまっていたため、思い至らなかった。

 

「悪いな幽々子、怖かったろ?」

「い、いえ、大丈夫よ。少しびっくりしただけ」

「悪い悪い。よし、この辺でいいだろ」

 

 意外にもあまり怖がっていなかったようだが、驚かせてしまったことには違いないのでもう一度謝る。

 そんなやり取りをしているうちに、いい感じの場所まで上昇していた。場所は西行妖のある庭の上空なので敷地内のはずだ。上方向にそれが適用されるのかは知らないけど。

 

 上昇を止めて足元に板状の結界を大きめに張り、仙郷から取り出した座布団を置いて幽々子を座らせる。即席の空中物見やぐら、とでも言うのかな。結界は透明なので全方位見えるのが普通のやぐらとの違いだ。

 幽々子は何が何だか、といった表情で俺を見ている。その様子を見た俺は少し笑って、下を指さした。

 

「ほら、見てみろよ幽々子。きれいなもんだな、まったく」

「え?」

 

 いつも見上げているはずの西行妖が下に見える。いつもと違う視点から見たいつもと同じ西行妖は、いつもとは違いつつ、それでいていつもと同じできれいなものだ。

 俺に促されて下を見た幽々子もその新鮮な光景を見て、目を輝かせた。

 

「…………わぁ……!」

 

 思わず感嘆の息を漏らす幽々子。その姿に満足した俺は先程しまった盃と酒を取り出す。自分の分と幽々子の分をそれぞれついで、ゆったりとした時間を過ごした。

 

 しばらく二人で眼下の景色を楽しんでいると、少量の酒でも少し酔ったらしい幽々子がこう切り出した。

 

「やっぱり私、あの桜が好きだわ。人を死に誘う妖怪となってしまった今でも、変わらず美しい」

 

 西行妖から視線は外さずに、呟くようにそう言った。その言葉はこれまでにあの桜の犠牲になった人たちの関係者が聞けば一悶着ありそうな内容だったが、だからこそそう言った幽々子が本当にあの桜を気に入っているんだと実感した。

 

「ね、ハクさん。お願いがあるの」

「ん?」

 

 西行妖を見ていた幽々子がこちらに顔を向けた。酒のせいか頬が少し赤いが、その瞳は真っすぐだ。

 

「私はただの人間だからいつか必ず死ぬわ。あの桜を最後まで見ていられない。だから私の代わりにあの桜を見ていて。もうあの桜に人を殺させないで」

 

 そう言った幽々子は普段のおっとりとした様子からは想像がつかないほど凛とした雰囲気を纏っていた。だがそれでも彼女特有の優しさを確かに感じさせる、穏やかで儚げな言葉だと感じた。

 そう、まるで桜の花びらのような。

 

「……ああ、任せろ。約束だ」

「ありがとう。それと、これはただのわがままなんだけど……」

「なんだ?」

「もしも、いつかどこかでまた会えたら、そのときはよろしくね」

 

 幽々子にしては珍しいわがままとやらがどんなものかと聞いた俺は、その内容と彼女の笑顔を見て少し呆けてしまった。

 

 幽々子が死んでしまったあとの話をしているのだから、生まれ変わりがもしもあったならまたよろしく、というような話に繋がるのはわかる。

 だが今の話し方ではまるで―――。

 

「………………それも任せろ。またこうやって酒でも飲もう」

「ええ。次はハクさんと同じのがいいわ」

「これは結構きついんだが……まぁわかったよ」

 

 降参だ、という意味を含めて右手をふりふりと振る。俺が折れたことに満足したのか、幽々子は一つ息を吐いた。

 

「さて、あんまりここにいると冷えるし、そろそろ戻るか」

「そうね、私も眠くなってしまったわ」

「酒飲んだからな」

 

 目元を軽く指でこすっている幽々子を来たときと同じように抱き上げて屋敷まで戻る。

 

「ハクさんはこのあと、妖怪の山に帰るのかしら?」

「そうだな、そろそろ帰らないと心配するかもしれん。ないと思うけど」

「信頼されてるってことですよ」

「どうだかねぇ……」

 

 そんなことを話しながら幽々子を下ろしてお互い見つめ合う。そして二人で笑い合った。

 会話の内容が面白かったのではない。そんな取り留めのない話ができたことが嬉しかったのだ。

 

 一通り笑い合ったあと、妖怪の山に繋がる仙郷を開いた俺は、幽々子のほうを振り返る。見ると彼女もこちらを向いていた。

 俺は軽く手を挙げて幽々子に別れの挨拶をした。

 

「じゃあな、幽々子。また明日」

「ええ、おやすみなさい、ハクさん。また明日」

 

 同じように挨拶を返した幽々子を見て頷きながら俺は仙郷に入る。

 

 明日は何の話をしようか。こんな目的でも、俺にとっては生きていくための大事な理由だ。

 

 

 

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「やっぱり、こうなるのか……」

 

 次の日、太陽がまだ上って間もない早朝に西行妖の前に仙郷で移動した俺は、目の前の光景を見てそう言葉を漏らした。

 

 相も変わらず美しい桜。そしてその幹に寄りかかって目を閉じている一人の少女。

 手にはナイフを、着物は血に濡れ、周りの地面を赤く染め上げている。

 左右に飛び散ったその血は、まるで蝶の羽のようにも見えた。

 

「また明日、って言ったんだけどな」

「ハク殿……」

 

 すでにこの場にいた妖忌が顔を俯ける。どうやら彼もたった今見つけたばかりのようではあるが。

 

「幽々子……?」

 

 ふと隣から聞きなれた声が聞こえた。そちらを向くと大きく開いたスキマから紫が顔を出していた。その表情は悲嘆に暮れているというよりも何が起こったのかわからないというような呆然としたものだった。

 だがそれも一瞬ことで、紫はその端麗な顔を歪ませて大きく息を吐いた。

 

「…………わかってはいたけど、やっぱりキツイわ」

 

 小さく頭を振りながらそう零す紫。大切な友人がいなくなるというのは、やはり何年生きていても辛いものだ。それは俺もよくわかる。

 築き上げてきた関係は人それぞれ。故にそれがなくなることに慣れることはない。

 

 だがいつまでも悲しんでいるわけにはいかない。そう思うと同時に紫が顔を上げた。

 

「……西行妖の封印を行うわ。手伝ってくれる?」

「ああ、もちろん」

「出来ることがあれば何なりと」

 

 俺と紫、妖忌がそれぞれ頷いて西行妖から距離を取る。

 

 幽々子はもう十分頑張った。今度は俺たちの番だ。

 

「封印は私がやるわ。二人は私が術式の構成に集中できるようにガードしてちょうだい」

「わかった。妖忌は紫の近くにいて、西行妖が攻撃してきた場合は守ってやってくれ。物理的な防御は任せた」

「わかりました。ハク殿は?」

「俺はあいつの死に誘う能力が紫に行かないように食い止める。精神的な防御は任せろ」

 

 紫を中心とした作戦を立て、それぞれに指示を出す。紫が封印を行い、俺と妖忌は紫の防御だ。

 だが俺の担当を聞いた紫と妖忌は同じように顔をしかめた。

 

「そ、それでは死に誘う能力がハク殿に集中します」

「ええ。ハクは影響を受けにくいけど、完全に受けないわけじゃない。いくら貴方でも心は耐えられないわ」

「それは二人も同じだろ。誰かがやらなきゃならないんだ」

 

 俺はそれだけ言うと西行妖に一歩近づいた。

 

 あの桜の能力を一身に受ければ、俺も何らかの影響を受けるかもしれない。もしかしたら、初めてここに来たときのように短刀を片手に自殺を図るかもしれない。

 だが俺にはそうならないという自信があった。

 

「大丈夫だ、任せろ」

 

 振り返って肩をすくめながら二人にそう言った。

 

「さぁ、始めよう」

 

 それが合図となった。

 

 紫は術の構築を始め、妖忌は刀を構える。俺は黒竜は抜かずに一歩、また一歩と西行妖に近づいた。

 こいつも俺たちが何をしようとしているのか気付いたのだろう。急に辺りに突風が吹き荒れ、西行妖の周りにはいくつもの妖力の塊が作られていく。弾と呼べるほどきれいな形をしていない、ただただ力を凝縮しただけの弾丸。その弾丸はすべて封印を行おうとしている紫のもとへ猛スピードで向かって行った。

 

「させんっ!」

 

 いくら数が少ないと言えども、一発一発が妖怪でも致命傷となるほどの威力を持つ弾丸を、妖忌がその刀でもって正確に切り伏せる。余波さえも紫に届かないように精密に刀を操る技術は、まさに剣聖。

 

 あれならば心配はいらないだろう。

 そう思った瞬間、俺の中に強烈な使命感が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『死にたい。』

 

 

 来たな、西行妖。

 

 気が付けば先程までの光景は何処へやら。俺は真っ黒い空間に一人、ぽつんと立ち尽くしていた。

 

 

『死にたい。』

 

 

 周りを見回していると俺の少し先のところが淡く輝き、桜吹雪に包まれた西行妖が現れた。その枝は俺を誘うようにゆらゆらと揺らめいている。

 

 

『ああ、この桜の下で死にたい。』

 

 

 無駄だ。俺はお前の下で死ぬつもりはない。

 

 

『こんなに美しい桜なのだ、死にたいと思うのは不思議ではない。』

 

 

 確かに美しい。思わずその下で死にたいと思うのも不思議ではない。だが俺にその気はない。

 

 

『ああ、ここで死ねたらどんなに幸せか。』

 

 

 そうだな。今までお前の下で死んだ者はみな、幸せそうに死んだのだろう。

 お前が妖怪となる前でも後でも、幸福感に包まれて死んでいったのだろう。

 

 だが残念ながら、俺はお前の下で死んでも決して幸せにはなれない。

 俺の思い描いている死はそういうのではない。

 俺とお前では方向性が違う。

 だから、お前に俺は殺せない。

 

 

『願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃』

 

 

 西行妖。きっとお前は悪くない。

 

 誰もがお前の下で幸せそうに死んでいった。

 そんな光景を何度も見ていれば、それが自然なことだと思ってしまっても無理はない。

 お前の下で死んだ人間も、そのせいでお前が妖怪化するとは夢にも思わなかっただろう。

 誰も悪くない。誰も悪くないんだ。

 

 でも正しくもなかったんだろう。

 

 勝手にお前を死に誘う妖怪にして、今度は勝手に封印してしまう俺たち人間も。

 偶然手に入れた力を何も考えずに振るい、多くの人間を望まぬ死に誘い続けたお前も。

 正しくはないんだろうな。

 

 

 だが悪いな、西行妖。

 俺は約束したんだ。

 もうお前に人は殺させない。

 正しくなかったとしても、少なくとも、俺が死ぬまではその約束は守らせてもらう。

 

 だから、じゃあな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハク!」

「ああ! やれ、紫!」

 

 この場を覆いつくすほど巨大な魔法陣が西行妖を中心に展開され、大きな衝撃が地面を揺らす。

 

 暴れるように激しく揺らいでいた西行妖はやがて動かなくなり、見事に咲き誇っていた花びらはわずかな風に吹かれ、散っていった。

 

「終わった……のか?」

「ええ……。助かったわ、二人とも。ありがとう」

「いえ、お役に立てて何よりです」

 

 大きく息を吐いて西行妖を見る。先程まで満開だったことが嘘のように、その枝には一つの花びらも残っていない。

 幽々子がいた場所にはもう何もない。彼女の体も地面を染めていた血もなくなっていた。

 そこまで確認した俺はもう一度息を吐き、天を仰いだ。

 

 幽々子とした約束は守れた。もう西行妖が人を死に誘うことはないだろう。

 だが彼女はもういない。封印の核として縛られ続けている限り、生まれ変わりがあるのかもわからない。

 

 本当にこれでよかったのか?

 

 そんなやりきれない気持ちが俺の心を埋め尽くそうとしたとき、空を見上げていた俺の目に鮮やかな桜色が映った。

 

「花びら……」

 

 その花びらにつられるように視線を西行妖に戻す。すると大した風もないのに、西行妖から落ちた花びらが宙を舞っていた。

 渦のように舞っていた花びらは徐々に一か所に集まり、やがて人の姿を成していく。

 

 失ったはずの、友人の姿へと。

 

「幽々子……!?」

「これは一体……」

 

 目の前の光景に思わず声を漏らす俺と妖忌だったが、紫だけは安心したように胸をなでおろしていた。

 

「これは私が作った新しい術式よ。封印の強度は変えずに、核となった者の魂は縛られないようにする術式。成功してよかったわ」

「新しい術式……」

 

 紫の説明を聞き、俺は驚愕する。

 あの西行妖を封印するためだけの特殊な封印を、紫は編み出していたのか。

 

「ただ、やっぱり何の代償もなしってことには出来なくて……。たとえ成功したとしても、記憶はなくなってしまうの。これを幽々子に話すのは辛かったわ……」

「な……、幽々子に詳細を話したのか!?」

「え、ええ……。すごく悩んだけれど、記憶をなくして存在するっていうのは、やっぱり本人に話さないといけないことだと思ったから……」

「……幽々子は何て?」

「『記憶がなくなったあとでも一緒にいられるのなら、そのときの私もきっと幸せね』って……」

「…………」

 

『もしも、いつかどこかでまた会えたら、そのときはよろしくね』

『また明日』

 

 彼女のその言葉を思い出す。

 幽々子のやつ、知ってたんだな。嘘なんてついていなかったんだ。

 また会えることを知っていたんだ。また明日一緒に話せると知っていたんだな。

 

 ざぁ……と一つ風が吹き、目の前を覆っていた花びらが四散する。そしてそこには真っ白な西行寺幽々子だけが残された。

 その場で立っていた彼女は閉じていた目をゆっくりと開け、辺りを見回した。

 

「……あら? ここは一体……それに貴方たちは?」

 

 キョロキョロとさせていた視線をこちらに向け、小首を傾げながらそう尋ねる幽々子に、紫が一歩前に出て微笑みかけた。

 

「初めまして、西行寺幽々子。私は八雲紫、よろしくね」

「八雲紫……。西行寺幽々子っていうのは私の名前かしら? どうにも思い出せなくて……」

「そうよ。記憶がなくて混乱してしまうのはわかるけど、でも安心して。私たちはみんな、貴方の友達だから」

「私は使用人ですが……」

「友達でいーの。妖忌も自己紹介しなさい」

「むぅ……、魂魄妖忌です、以後お見知りおきを」

「あ、どうも。よろしくね、妖忌さん」

 

 紫に続いて妖忌も一歩前に出て恭しく頭を下げる。その様子に少し驚いたらしい幽々子は同じように頭を下げながら言葉を返した。

 妖忌と同時に頭を上げた幽々子はその純粋に光る瞳をこちらに向け、少し遠慮がちに口を開いた。

 

「えっと、貴方は? 真っ白い髪に真っ黒い瞳のお兄さん?」

「…………はは、お兄さんときたか」

「?」

「ああ、いや、何でもない。俺はハク、白いって書いてハクだ。よろしく、西行寺幽々子」

 

 あまり呼ばれたことのない二人称に少し面食らったが、頭を左右に振っていつも通りの自己紹介をしつつ、右手を差し出す。

 俺の挙動に疑問符を浮かべていた幽々子だったが、差し出した右手を見ると、まるで憑き物でも落ちたかのようなさっぱりとした笑顔で手を取ってくれた。

 

「ええ。よろしくね、ハクさん」

 

 ああ。またよろしく頼むよ。

 

「……さて! 大きな問題も片付いたわけだし、宴会でもしましょうか! 妖忌、幽々子を屋敷まで連れて行って宴会の準備をしてちょうだい」

「ふむ、そうですな。では幽々子様、こちらへどうぞ」

「あ、ありがとう。……あの、私って偉い人か何かだったのかしら?」

「む、むぅ……?」

 

 記憶のない幽々子の質問に妖忌がどう答えたらと考えているのを後ろから見ながら二人に続いて屋敷に向かう。いつもなら紫にお前も手伝えと言うところだが、今隣を歩いている彼女のその表情には影が見える。

 しばらく黙ったまま歩いていると、紫がぽつりと言葉を零した。

 

「……ハク。本当にこれでよかったのかしら?」

 

 それは先程俺が感じていたものと同じものだった。

 そうだ。今回の件は結局、すべて紫に背負わせてしまった。俺なんかよりも彼女のほうが大きな重圧を感じているだろう。

 俺は拳を強く握りながら、紫の問いに正直に答えることにした。

 

「……正直に言うと、これが最善なのかはわからない。そもそもそんなこと、誰にもわからないんだ」

「……そう、そうよね。やっぱりこれじゃ―――」

「だが」

 

 紫が何か言う前に少々強めの口調で割り込む。紫にその先を言わせるわけにはいかない。

 

「だがこの展開は、少なくとも俺の考えていた最善よりも一つ先をいっていることは間違いない。それに何より……」

「……?」

「昨日あいつと話したときは、悲しさだとか寂しさだとか苦しさだとか、そういうのは一切感じなかった。それはきっと、あれこそがあいつの思い描いた理想の死ってやつだったからだろう」

 

 俺はこの問題を幽々子に知らせるべきではないと考えていた。それはどう考えても西行妖の封印には幽々子の死が絶対だったからだ。

 こんなに幼い少女に辛いことを知らせる必要はない。もしかしたら何か方法があるかもしれない。彼女に教えることなく、全部自分たちで解決しなければいけない。

 俺はそんなことを考えていたのだ。この問題の他ならぬ当事者は幽々子だったというのに。

 

 だが紫は違った。西行妖の封印を一番望んでいるのは誰か、そして当人に事情を説明するべきかをちゃんと考えていた。もちろん苦渋の決断だったのだろうが、それでも紫は幽々子の想いを優先したのだ。

 最善ではなかったかもしれない。だが幽々子は紫の話を聞き、納得し、満足していた。ならばこれはきっと、最善と同等の方法だったのだろう。

 

 なんだよ紫。

 何が、ハクには敵わない気がする、だ。

 こっちのセリフだ、まったく。

 

「お前は幽々子を救ったんだ。よくやったな。よく頑張った。ありがとう」

 

 紫の頭に自分の手を乗せてぽんぽんとなでる。

 不安そうな顔をしていた紫はしばらくぽかんとしながら俺を見ていたが、その瞳が水中の宝石のように揺らいでくると同時にそっぽを向いた。

 

「ゆ、幽々子が幸せそうだったって言うんなら、頑張った甲斐があったわね! まったく大変だったんだから! さ、さぁ、宴会楽しむわよ!」

「ああ」

 

 何かを誤魔化すように変なテンションで屋敷に向かう紫。そんな彼女に少し笑みを零しながら、振り返ってもう何の力も感じない一本の木を見やる。

 

「……少し残念だが、もうお前を美しいと思う日が来ないことを祈るよ」

 

 そんな言葉だけを呟いて、俺もみんなのいる屋敷に向かうのだった。

 

 

 




子は親を超えるもの。

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