俺たちが妖怪の山に到着した日の夜。勇儀の宣言通り、今ここではド派手な宴会が行われていた。
山の統治者の一人である勇儀が自ら声をかけて回り、萃香と天魔が乗り気になっていたのだから当然と言えば当然だ。
集まった妖怪たちは見覚えがあるやつもいたが、知らないやつも大勢いたので、宴会が始まる前に俺も妹紅たちと一緒に自己紹介しておいた。
その際、自分はこの山の上下関係に組み込まれていないという話もしたが、近くに天魔や萃香たちがいるためか、ほとんどの妖怪は遠くから観察しているだけのようだ。
「いや、誠に申し訳なかった、ハク殿。私の部下が迷惑をかけましたな」
「文にも散々謝られたし、俺もみんなも怒ってない。そもそも侵入者を警戒するのは当然だ。そう気にせずに酒を楽しめ、大天狗」
「いやいや、かたじけない」
「あはは……本当にすみません」
周りの妖怪たちの視線に苦笑していると、隣で飲んでいる大天狗から本日何度目かわからない謝罪をされた。
こいつは俺が以前この山にいたときからの友人だ。当時は大天狗とは呼ばれていなかったが、出世したもんだな。そんな彼はどうやら今は文の上司らしく、部下の不手際は上司の責任だと言ってさっきから謝っているというわけだ。
「はー……ホントに君はあの白孔雀の付喪神なのか」
「はい。お話しするのは初めてですね、萃香さん。白孔雀は長いのでシロって呼んでください」
「うん、わかった。しかし何ともおかしな感覚だよ、まさか刀とお話しする機会がくるとはねぇ」
「白孔雀の付喪神ってことは、あの刀に溜められてる力も使えるのかい?」
「まぁ一応は。でもこれはハク様の力なので私は使わないようにしてます。なので全力で勝負したいとは言わないでくださいね、勇儀さん」
「たはー、そりゃ残念」
横ではシロと萃香と勇儀が酒を飲みながら談笑している。といってもシロはほとんど酒は飲まず、二人の盃に酒を注ぐのに忙しそうだ。
萃香と勇儀は白孔雀のことは知っているが、シロのことは知らない。萃香の言うおかしな感覚とはこのことも原因の一つだろう。
「なるほど……。三人の出会いはそういう経緯だったんですね」
「うん。おかげで妖怪に対する印象がガラッと変わったよ」
「それは私もだな。自分の中の半身がそう悪いものではないと思うことができた。ハクには感謝している」
「それにしても、ハクさんらしい話ですね。以前ここにいたときとなんら変わりありません」
「昔からあんなお人好しだったんですか?」
「そうですよ。昔ここに住んでいたときなんかは―――」
こっちでは天魔と妹紅、慧音、影狼が昔話に花を咲かせている。共通の知人である俺の話題が出るのはおかしなことではないが、あまり過去のことを話されると本人としてはどうも気恥ずかしい。
そんな感じでがやがやと騒いでいると、大きな盃の酒を飲みほした萃香がぷはーと一息つきながらこちらに歩いてきた。
「やー、ハク。そこそこ飲んでるみたいだけど相変わらず酔ってなさそうだね」
「まーな。でも楽しんでるから問題ないぞ」
「うん、ならいいや。そういえば、この子たちを連れてきたのはやっぱり幻想郷に住まわせるためかい?」
「ゲンソウキョウ? なんだそれは?」
ちょこんと俺の膝の上に座ってきた萃香と話していると聞きなれない単語が耳に入った。当然何のことかわからない俺が尋ねると、萃香も同じように得心が行かないと言った表情になった。
「あれ、紫から聞いてない? ここを紫が作る国の一部にするっていう話」
「いや、聞いてないぞ、そんな話」
「あれー? 紫のことだから真っ先にハクに報告してると思ったんだけど……」
首を左右に傾げながら小さく唸っている萃香の話に、俺も同じように首を傾げる。
紫とは幽香のいる花畑で別れて以降、一度も会っていない。当時の俺はまだ仙郷を使えなかったし、紫もスキマを使っての接触はしてこなかったので、わざわざ会いに行かなくてもいいかなと思っていたのだ。しばらく生きていればどこかで会えるだろうという考えもあったのも大きい。
だが、そんな大事を一言も話さなかったというのは少し気になる。ま、まさか忘れてるとか……。
「そのことですが、どうやら紫さんにもハクさんが今どこにいるかがわからなかったようですね」
「え、そうなのか? でもあいつの能力を使えば俺の位置くらい……」
「ええ、別れてからしばらくはどこにいるかはわかっていたようです。ですがいつの間にかハクさんの反応がなくなったと言っていました。もともと幻想郷の基盤がある程度出来てから話そうとしていたようですが、裏目に出てしまいましたね」
「あー、そういえばそんなこと言ってたっけ? 忘れちゃってたよ」
天魔が俺たちの疑問を解消するように説明してくれたことで、ある程度の事情は理解した。でも反応がなくなったとはどういうことだろう。
「……ときに、ハクさんは今は私と同じように力を完全に抑えてるんですね」
「……あー、なるほど」
俺が力を完全に抑えるようにしたから見失ってしまったのか。ということは神子と住んでるときぐらいから俺の位置がわからなくなっていたのかな。
「そりゃ悪いことをしたな。ところで、その幻想郷っていうのは?」
「紫さんが作ろうとしている国の名前です。人間と妖怪が争うことなく共存できる理想の……いえ、幻想の国だそうです」
「へぇ……幻想の国、ね」
紫のやつ、ずいぶんと面白いことをしているな。自分の顔がにやけているのが鏡を見なくてもよくわかる。
大妖怪が作る新しい国……いや、その内容からすると国というより世界というほうがしっくりくるかな。どちらにしても、今までに見たことのないものを作り出そうとしている紫に感心する。
「恐らくハクさんなら気付いたと思いますが、ここに来る途中妙な結界があったでしょう? あれは幻想郷の土地を決めるための目印です。今はまだ仮ですが」
「ああ、あの結界はそういう意味か。これは本人に直接いろいろ聞きたいな。紫って次はいつここに来るんだ?」
「さあ……紫さんも気まぐれな人ですからね。それでもハクさんよりは顔を出しますが」
「……悪かったよ」
「ふふ」
天魔にジトっとした目で見られた俺は後ろ頭をかきながら謝る。それを見た天魔は何が面白いのか、口を手で隠しながら小さく笑っている。
「紫さんなんですか、少し前までは幻想郷を作るために頻繁にここに来ていたんですが、最近はあまり来ていません」
「どこにいるかは聞いてないのか?」
「あー、それなら何か話してたな。確か西行がどうとか言ってたような気がするよ」
「ふむ、西行か……。聞いたことがあるな」
「慧音、知ってるのか?」
萃香の言った西行という単語を聞いて反応した慧音に問いかける。俺の問いに慧音は一つ頷いて簡単な説明をしてくれた。
「有名な歌人の名がそれだ。確か桜に関する歌を多く詠んでいたと思うが」
「桜の話も何かしていたから多分合ってるよ」
「場所は言っていなかったか?」
「うーん……場所は聞いてないかなぁ、覚えてないや、ごめんね」
「いや、十分だ。じゃあ慧音、その話ってどこで聞いたか覚えてるか?」
「ああ、それなら―――」
西行の話を聞いた場所を慧音に教えてもらう。有名な人の話なら、その場所の近くまで行って聞き込みでもすればすぐ見つかるだろう。
「行くんですか?」
「ああ。シロはここに残ってな。妹紅たちを頼むよ」
「まさか今から行くの、ハクさん?」
「いや、さすがに今日は行かないよ。まだみんなとも話したりないしな」
影狼の問いに手を横に振って答える。自分たちのための宴会を途中で抜けることはしたくない。行くとしたら明日だな。
そう考えていると、未だに膝に乗っている萃香が盛大なため息を吐いた。萃香がため息とは珍しい、と思っていると心底呆れたような目で俺を見てきた。
「何百年も顔を見せなかった友人がやっと帰ってきたと思ったら、もう明日には出て行こうとしてるとはね」
「いや、明日行くとは言ってないだろ」
「でも考えてたでしょ?」
「…………まぁ」
「はぁー……放浪癖があるというか、何というか。白髪二刀の不老者(浮浪者)とはよく言ったもんだよ」
「あはは、ハクにぴったりの名前だね」
再度ため息を吐きながらやれやれと首を振る萃香の言葉に妹紅が笑いだす。
その名前は確か前に神子に聞かされたたくさんの二つ名の中の一つだ。そういう意味があったのかよ。
「またすぐ帰ってくるから、そのときは今日みたいに一緒に酒を飲もう。それで勘弁してくれ」
「まったく……約束だからね? 勇儀も天魔も、私だって待ってるんだから」
「はいはい、よしよし」
目の前にある萃香の頭をポンポンとなでながら約束する。
この場所は覚えているから仙郷を使えばあっという間に戻ってこれるだろう。普段の旅ではあまり仙郷は使わないが、友人が待っているというなら使わない理由はない。
「おらぁー! お前らの上司が帰って来たんだ! もっと酒を追加しろー!」
勇儀……俺は上司じゃないって説明したのに……。
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次の日、全員が酔いつぶれて雑魚寝しているところを書き置きだけ残してゆっくりと出て行った。あんなに気持ちよさそうに寝ているのを起こそうとは思えなかったためだ。
ちなみにだが、刀の白孔雀も置いて行った。まぁシロと白孔雀は一心同体だからな。
さて、妹紅たちのことはシロや天魔に任せて紫に会いに行ってみようか。俺はそう思って昨日慧音が言っていた場所の付近まで仙郷で移動した。
「聞き込みでもしないとと思っていたが、意外と早く見つけられたな」
仙郷で出た先はどこかの都の上空。突然町中に人が現れたら混乱させると思いこの場所に出たのだが、見晴らしがよかったのもあって目的地をすぐに確認できたのは僥倖だった。
この都から少し離れた場所から紫の妖力を感じる。位置さえわかれば仙郷で直接移動できるため、このまま真っすぐ紫の目の前まで移動することも可能だ。
だが紫の妖力の近くにもう一つ、妙な力を感じた。かなり大きなその妖力は普通の妖怪の持つものとはどこか違うようだ。
「……一応確認しておくか、なんとなく嫌な感じもするしな」
そう考えた俺は、紫の目の前に出るのはやめて、もう一つの妙な力の近くに仙郷を繋げた。
「…………これは何とも、立派な桜だ」
仙郷を出てその先の光景を見た俺は自然とそんな感想を漏らした。
俺の目の前にあるのは一本の桜。そのたった一本の桜に俺は心奪われてしまっていた。
これはすごい。視界一面に花びらが舞い、ただでさえ芸術的な美しさを持つこの桜を幻想の領域にまで引き上げている。不思議と引き付けられる感覚に抗わず、一歩、また一歩と桜に近づく。踏み出すたびにふわりと浮く花びらや風でざわざわと揺れる枝が、まるで俺をこっちに来いと呼んでいるかのようだ。
『ああ。こんなに美しい桜ならば、その下で死にたいという気持ちが湧き上がるのも不思議ではない。』
『そうだ。何ら不思議なことではない。むしろ当然のことなのだ、この感情は。』
『この桜の下で死にたい。』
自然とそう思った俺は腰の短刀を抜き、その切っ先を自身の左胸に向けた。そして少しの抵抗もなく、その真っ黒い刃を心臓目掛けて突き刺した。
鋭い痛み。流れ出る血によって体がじんわりと温かい。それが俺にはまるで幸福に包まれているように感じた。吐き出した鮮血に映る自分の表情は実に穏やかなものだ。
『もうすぐ、もうすぐ死ねる。ああ、幸せだ。』
もうじき訪れるそのときを楽しみにしながら脱力感に身を任せてゆっくりと短刀から手をはなす。
そして少しでもこの美しい桜の近くで死のうと手を伸ばして、そのまま前のめりになりながら瞼を閉じた―――
「……なわけねーだろ」
―――直後に目を開けて、右足を前に出し体を支えることで倒れる未来を回避する。そして胸に突き刺さっている短刀を引き抜き、付着した血液を拭った。
「心臓に穴が開く程度で死ぬんだったら、今まで百回以上死んでるわ。それにしても、妙な力の持ち主はお前か。死ななくても痛いんだからな」
目の前の桜と傷一つない自分の左胸を見ながらそうぼやく。急に感じた衝動に任せて行動したら、まさか自殺まがいのことをさせられるとは。わざと抵抗しなかった俺も悪いが、やっぱり元凶が一番悪いだろう。
「まったく……大体、俺の思い描いているのはそんなのじゃ……っ!」
急に感じた敵意に、納刀しようとしていた短刀を真横に構える。次の瞬間、腕に強い衝撃を感じた。見ると短刀に別の刀が合わされていた。
「……死に誘う桜の次は突然斬りかかる剣士か。ずいぶんと物騒なところだな」
「……貴様、何者だ」
合わされた刀を弾いて後ろにいるやつから距離を取る。見ると油断なく剣を構えた初老の男性がいた。
俺と同じ白髪を少し長めにして後ろでまとめており、周りには幽霊のようなものが纏わりついている。その鋭い瞳からは明確な敵意が感じ取れた。
「……もう一度問うぞ。貴様は何者だ。何の用があってここに来た」
何も答えない俺に先程と同じような調子で再度問いかける男性。その瞳からは相変わらず敵意を感じるが、怒りや緊張などの感情には一切揺れていない。精神が完全に統一されている。こういう人間は心身ともに非常に強い。
「いや、悪かった。悪気があって来たわけじゃないが、敷地内に無断で侵入したことは俺に非がある。悪かった」
俺はそう言いながら短刀を鞘におさめ、男性に向かって頭を下げた。もともと争うつもりなどないのだ。
少し周りを見ると大きめの屋敷があるのが見えるため、ここが誰かの所有地であることは明白だ。先程までこの桜のせいでそこまで考えが及ばなかったとは言え、この位置に来たのは自分の意思だ。悪いのは俺のほうだろう。
だからといっていきなり斬りかかるのはどうかと思うが。峰打ちではあったが。
謝罪した俺を見た男性は少し面食らったようで、「む、むぅ……?」と唸っている。まぁ侵入者だと思った男が素直に謝ってきたら困惑もするか。
「ここに来た理由だが、友人が近くにいると思ってな、会いに来たんだ」
「ゆ、友人だと……? この
「西行妖って……もしかしてこの桜か?」
男性の言った名前を聞いて後ろにある桜を見上げる。相変わらず感じる死への渇望のようなものは理性でねじ伏せておく。
「そうだ。貴様も感じたように、その桜は人を死に誘う。そんな桜の近くで平常心でいられる者などいないだろう」
「あんた全然平気そうじゃないの」
「私は例外だ。貴様こそ、何故そんなに西行妖に近づいて平静でいられる?」
「さぁ……方向性の違い?」
「何を訳の分からんことを……」
俺と話していた男性は気が抜けたように刀を下ろして頭を抱え始めた。そんなにおかしなこと言ったか?
確かにこの桜を見ていると死にたいという気持ちが出てくる。だが十分抵抗できるレベルだ。そんなに気を張らずとも影響は受けないだろう。
「とにかく、この西行妖とかいう桜の影響を受けないやつもいるんだな? あんたみたいに」
「む? それは確かに少数ながらいるにはいるが……」
「それって例えば境界を操る金髪の妖怪だったりするか?」
「な、何故紫様のことを知って……! まさか貴様の言う友人というのは―――」
「
「妖忌さん……? どうしたんですか……?」
俺の言葉に男性が驚いたところで、屋敷のほうから誰かを呼ぶ声が聞こえた。自然と声のするほうを見ると屋敷から二人の女性が出てきた。
二人はまず剣士の彼のほうを確認してから、俺のほうへ目を向けた。二人のうち一人は首を傾げるだけだったが、もう一人のほうは俺を見た瞬間、目を見開いたまま固まってしまった。その様子を見た俺は思わず頬が緩むのを自覚した。
「よう、紫。久しぶりだな、元気してたか?」
「う……そ…………は、ハク……?」
片手をひょいと挙げて固まってしまった少女―――紫に軽い挨拶をする。こいつもこいつで変わっていないな。
俺が声を出したことで再起動した紫は、信じられないものを見るような目で俺を見ながら震える手で口を覆った。
「そうだ、白いって書いてハク。というかこの名前はお前が付けたものだろう。まさか忘れてはいないだろうな?」
「忘れるわけないでしょう……! あ、あはは……本当にハクなのね……! ハクー!」
「おっと」
急にこちらに突撃してきた紫を見て反射的に目の前に結界を張る。妖怪の山で萃香と勇儀に突撃された記憶が色濃く残っているのが原因だと思う。
進路上に突然物理的な壁ができたことなど知らない紫は、そのまま顔面から結界にぶつかり「ぐえぇ!?」と悲鳴を上げた。
「……なっ、何するのよ、ハク!」
「悪い悪い、いきなり来るからびっくりしてな」
「感動の再会が台無しよ!」
「悪かったって。ゆっくり来るならハグでもなでなででもしてやるから許してくれ」
「……じゃあその二つを要求するわ」
「お安い御用だ」
ゆっくりと歩いてきた紫を腕を広げて迎え入れ、優しく抱きしめる。紫も同じように俺の背中に腕を回すのを感じながら、彼女の頭をぽんぽんとなでた。
「……心配したんだから。いつの間にかハクの力が消えてるし、最後にいた場所を探しても見つからないし、妖怪の山にも幽香の花畑にも帰ってこないし……」
「悪かったよ。それと待っていてくれてありがとな」
「……おかえり」
「ああ、ただいま」
「妖忌さん……これは一体?」
「いえ……私にも何が何やら……」
「そう……。でも……うふふ、あんなに幸せそうな紫は初めて見るかも」
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その後、たっぷり五分は抱き合っていた俺と紫だが、そろそろ事情を説明してほしかったらしい剣士の男性の咳払いで一先ずはなれた。
紫と一緒に屋敷から出てきた淡い桜色の髪をした少女に招かれて屋敷に入ったあと、とりあえず俺は自分のことと紫との関係について簡単に説明し、紫からこの二人のことについての説明を受けた。
「へえぇ……ハクさんは紫の親みたいなものなのね」
「私などよりも遥かに年上であったか……」
「
「ハク、天魔みたいに力を完全に抑えてたのね。そりゃ見つからないわけだわ……」
各々が説明を聞いて納得したようにうんうんと頷いている。桜色の髪をした少女が幽々子で、先程俺に斬りかかってきた剣士が妖忌か。よし、覚えたぞ。
それにしても思ったよりも話に時間がかかってしまった。今はちょうど正午といったところだ。起きてからあまり時間は経っていないが、ずいぶんと濃い時間を過ごしたというのもあって少しお腹が空いた。
「そろそろ飯時だな」
「む、本当ですな。気付きませんでした」
「ここではだれが食事を作ってるんだ?」
「私も含め、この屋敷にいる使用人が作っております、ハク様」
「そうか、じゃあ俺も手伝おう。それとそんなに畏まらなくていいぞ、妖忌。様は付けなくていいし、敬語も必要ない。まぁそのほうが話しやすいなら別にいいけど」
「む……わかりました、ハク殿。確かに少し肩に力が入り過ぎていたかもしれません」
「気楽にな。さて、調理場はどこだ?」
「こちらに……というか、わざわざ手伝って頂かなくても……」
「まぁまぁ気楽に気楽に」
「む、むぅ……」
まだ少し態度がかたい妖忌の肩をぽんぽんと叩く。
腹が減ったから飯を作ってくれとは頼みづらいし作ってもらったとしても若干罪悪感があるが、自分も作るのを手伝うのなら問題ないだろう。まぁこれは俺の心の問題だ。紫とかは普通にご飯作って、とか言うからな。
よいしょと言いながら立ち上がり、調理場へ案内してもらおうとしたとき、紫が心底嬉しそうな様子で手をぽんと叩いた。
「わぁ! 久しぶりにハクのご飯が食べられるのね。楽しみだわ~」
「……妖忌。こいつはここに来てから何回調理を手伝った?」
「いえ、一度も。紫様は調理はできないと聞いていましたので」
……ほう。
ぐりんと首を回して紫のほうを見ると何やら目を泳がせながら頬をかいている。
「……あ、あはは~」
「……あははははー、不思議だなぁ紫よ。お前には一通り調理技術を教えたはずだがなぁ?」
「あー、いやー、そのー……」
「……今日の食事は俺と紫で作る。妖忌、みんなの嗜好と使っていい食材だけ教えてくれ」
「えー!?」
うるさい。人の家に長期間上がっておきながら何の手伝いもせずにダラダラしているだけのやつがあるか。
紫が実は調理もできるということを聞いた幽々子は、楽しみだわと言って送り出してくれた。ナイスアシストだ。
うだうだと文句を言っている紫の首根っこを掴んでずるずると引きずりながら、妖忌に教えてもらいながら調理場まで歩く。先程のことを妖忌に説明されているころにはやっと大人しくなってきた。
やはり自分も手伝うと言っていた妖忌には、それでは幽々子が一人だぞと言って彼女のもとへ戻ってもらった。
「紫、これを切っておいてくれ。煮物に使うから少し厚めでいいぞ」
「は~い……」
「えーと、塩は……ああ、そこか。紫、取ってくれるか?」
「は~い……」
「……紫。あの子から西行妖と似た力を感じるんだが、どういうことだ?」
「……幽々子はあの桜の木に魅入られてしまっているの。最初にあの桜の木の下で死んだ西行の娘だからなのか、それとも単にあの桜の近くにいたからなのかはわからないけれど……。とにかく確定しているのは、幽々子もあの桜と同様に人を死を誘う能力を持ってしまったということよ」
紫は大根を慣れた手つきで切りながら、少しトーンを落として説明する。わざわざ横を見なくとも紫が落ち込んでいるのがわかる。
ぽつりぽつりと話し始めた紫の話はこうだ。
あの子、西行寺幽々子の父親は慧音が言っていた通り、有名な歌人だったそうだ。
桜をこよなく愛する彼はとある桜を見て、その美しさから死ぬときはこんな桜の木の下で死にたいという歌を詠んだ。
結果的に彼はその望み通り、満開になった桜の下で永遠の眠りについた。
ここまでならまだよかったのだが、問題は彼を慕っていた人が多く、そして彼の詠んだ歌があまりにも有名だったことだ。
彼の最期を知った人たちは、自分も彼と同じように死にたいと考え、次々と同じ桜の下で自らの命を絶つようになった。
そうしてたくさんの人の生気を吸ったその桜はいつしか妖力を持ち、自ら人を死に誘う妖怪桜となった。
それがあの西行妖というわけだ。
「あの桜が妖怪になる前でも後でも、幽々子はたくさんに人があの桜の下で自害する様子を見てきたわ。そして自分もまたあの桜と同じ、人を死に誘う能力を持ってしまった……」
「死に誘う能力、ね……」
幽々子は普通の人間だ。有名な歌人が父親というだけのただの人間だ。そんな人間が自分の持つ能力によって他人が進んで死にゆく光景を見て、なんとも思わないわけがない。
俺が幽々子に抱いた第一印象は『儚すぎる』というものだ。その思った理由は髪の色だとか華奢な体躯だとか、そういうものではないのだろう。
触れれば壊れてしまいそうとは彼女のためにある言葉のようにすら感じた。
「ハク、私はあの桜を封印したいと考えている。ここへ来たのは偶然だけれども、幽々子は大切な友人なの。これ以上あの子の壊れそうな笑顔を見るのは嫌なのよ」
キッと顔を上げた紫は真っすぐな瞳で俺を見てそう口にした。それはある種の宣言のように聞こえた。
俺はそれを横目に見ながら鍋にみそを入れて味をみる。うん、美味い。
「でも思った以上に強力で、私一人ではとても封印はできそうにないの。あの死の誘いも自分の境界を操って抵抗していなければ影響が出てしまうほどなのよ」
「…………」
「だけどハクなら……ハクなら何かあの桜を封印する方法を知っているんじゃないの?」
「……まぁな」
紫の懇願にも似た想いを聞いた俺は味見用に使った皿を置いて紫に向き合う。その瞳は悲壮に揺れている気がした。
「あれほど強力な妖怪となった西行妖でも封印する方法はある。やろうと思えば今からでも実行できるだろう」
「じゃあ……!」
「でもそれはお前が思いついているものと同じ方法なはずだ」
最後に付け加えた一言で紫の顔は絶望に変わる。そんな紫から目を逸らしたい衝動をぐっとこらえて彼女の頭に手を乗せた。
「そんな顔するな。もう何もできないってわけじゃないだろ」
「でも……ハクでも無理なら私には……」
「俺にできないことは自分にもできないってか? おいおい、いつからそんなに自信がなくなったんだ、紫?」
頭に乗せていた手を紫の頬に当て、俯きかけていた顔を上げさせる。
「聞いたぞ、紫。国を一つ作ろうとしているそうだな。人間と妖怪が争うことなく共存できる幻想の国。俺が思いつきすらしなかったまったく新しい法則を持つ世界。そして何より、お前の持つ優しさと願いだからこそ生まれたその理想」
「…………」
「自分で気付いていないだけで、もう俺ができなかったことをいくつもしているんだよ、お前は」
「…………」
「ずっと前にも言っただろう。お前はもう十分強くなった、もう俺についてくる必要はないって」
こいつは今まで俺の後ろを歩いているつもりだったのかもしれないが、そんなことはない。いや、そもそも最初から同じ道など歩いていないのだ。
すでに紫は紫の、自分だけの道を歩いている。それは決して俺にはできないことだ。
「俺にできないことでも、お前ならできるかもしれない。お前ならこの問題も俺とは違う結論を出すことができるかもしれない。そう思わないか、八雲紫?」
「…………ふふ、そうね」
それまで黙っていた紫だったが、俺の言葉に一つ頷き頬に当てていた手に自分の手を添えた。そんな紫の瞳は先程までの不安に揺れていたものとは違い、希望の光が宿っているように感じた。
ああ、そうだ。お前はそうでなくてはな。
「でもやっぱりハクには敵わない気がするわ」
「はは、そりゃ気のせいだ。さて、できた料理を持っていくぞ、手伝ってくれ」
「えー……」
「もう俺は両手が塞がってるんだよ、俺にできないことでもお前ならできるだろ」
「感動的なセリフが台無しよ!?」
よーしよしよし、お前はそうでなくてはな。