あれから半年。三人が仙人となる準備はほとんど完了した。
三人がなるのは尸解仙だ。尸解仙というのは死んだフリ、もしくは実際に体を滅ぼして別のものに魂を移し、のちに人間体に変化させ蘇る術を使い仙人になった人間のことだ。
もちろん、三人が急に死んだというと他の人間に怪しまれるので、神子は大病にかかったことにし、布都と屠自古は治すための薬を探して旅に出たということにしている。
だが時間がなかったため、完璧に偽装できたというわけではないのが少し不安だ。
残った準備は魂を移す入れ物の用意なのだが、これは復活するまで破損したり腐食したりしないものでなくてはならない。
だが次の自分の身体になるものなのでそれぞれ好みがあるだろうと思い、各々に任せることにした。
「で、今日が尸解仙になるための術を行う日なんだけど……」
俺は今、屠自古に連れられて屋敷の中を歩いている。どうやら神子に俺を呼んでくるように頼まれたらしい。
「こんな日にどうしたんだ?」
「さぁ、私は何も? 太子様からは呼んで来いと言われただけだし」
「ふーん。ま、時間には余裕があるから大丈夫だけどな」
何も今日必ず行わなければならないというわけではない。別の用事があるならそちらを優先しても問題はないだろう。
「こんな日にってハクは言うけど、こんな日だからこそだと思うよ」
「こんな日だから?」
「そりゃそうだよ。私たちはこれからしばらく眠るから、その間ハクとは会えないんだ」
「それでも、そんなに長くはないだろ?」
「ハクにとってはそうでも、私たちからすればとてつもなく長いんだ。だから今のうちに話をしておきたいんじゃないかな」
「……言われてみれば、そうか」
どうせまた会えるからと思っていたが、彼女たちにとって『また会える日』というのは果てしない未来の話なのだ。
千年も生きていると時間の感覚が鈍くなるな、と思いながら頭をかく。
「そういえば、次の自分の体になる入れ物は決まったのか?」
「ああ。私は壺、布都は皿だ。用意は布都に任せてある。今ごろ霊廟に持ち込んでるんじゃないか?」
「……布都に任せて大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない。まさかこんなところでミスをしたりはしないだろ、さすがに」
「それもそうだな」
布都も決してバカではない。だから問題ないだろう…………と思う。
フラグが立ったような気もするが問題ないだろう…………と思う。
一応、あとで確認しておくか。
ちなみに神子は宝剣だ。それはもう持ち込まれているので彼女に関しては問題ない。
「はい、着いたよ」
「ここか」
「じゃ、私は他の準備をしてるから」
「はいよ、サンキューな」
とある部屋の前に到着し、屠自古と別れる。この部屋は不老不死の研究に使っていた部屋だ。
ノックをするとすぐに返事が返ってきて、中に入るように言われた。一応周りに人がいないことを確認してから中に入る。
いつも通りの薄暗い部屋だ。ちなみにだが、ここにあった書物のほとんどは処分されている。こういう研究をしていたことがバレるのはマズいからな。
ずいぶんとすっきりした部屋のおかげか、中心に立っている神子をすぐに見つけられた。
「よう」
「ハク、急に呼び出してすみません。今の私は自由に動けないもので」
「別にいいさ。こんな日だからこそ、な」
「ふふ、どうせ屠自古にそう言われたんでしょう?」
「むー、そうだけどー」
当たり前のように言い当てられたことに口を尖らせながら半ばやけくそ気味に返事をする。それを見て神子が口に手を当てて笑った。
「それで、どうしたんだ?」
「っと、そうでした。大分遅くなりましたが……はい、どうぞ」
そう言って手渡されたのは一本の刀。刃渡りは二十センチ程度で鍔はなく、柄も鞘も黒い。試しに抜いてみると刀身も黒い。なんだこれ。
「これは?」
「ずっと前にハクから預かった短刀です。やっと直りましたのでお返しします」
「……ああ! あの短刀か。にしては俺の記憶とはずいぶん違うんだが」
あの刀は良くも悪くも普通の刀だ。こんな全体が真っ黒な禍々しい刀ではなかったはずだが……。
「少し改造しました」
ですよね。
「とはいえ、私がやったことはもともとあった性質を強化しただけです」
「もともとあった性質?」
「はい。あの刀はもとは普通の刀だったんでしょうが、長年ハクの力を纏っていたせいで力を通しやすい性質になっていました」
「へぇ……」
俺が知らない間にそんな性質を持っていたのか。考えてみれば千年も力を纏わせていたんだ、そういうことがあっても不思議じゃないか。
「なのでその性質はそのままに、力を纏わせるほど硬度や切れ味が上がるようにしました。ただ、こういうことはやったことがなかったので時間がかかりましたが」
「いや、三年程度でここまでとはさすがだな。ありがとう」
「どういたしまして。そうだ、その刀は名前がないようですが、私が名付けてもいいですか?」
「ああ。ほとんどお前が作ったようなものだからな」
「では『
「もちろん」
神子の言葉に頷いて刀を腰に差す。久しぶりに二刀に戻ったな。
内心で嬉しく思っていると、神子が一つ息を吐いて俺を見据えた。だがその眼からはなんとなく弱々しさを感じた。
「……ハク。眠りにつく前にお話ししたいことがあります」
「なんだ?」
神子は目線を俺から外し、顔を少し俯かせた。
いつもの神子ではない。これは滅多に見せないこいつの弱い部分だ。
「……正直、私は仙人になるのが怖かった。万が一でも億が一でも、死ぬかもしれないということに私は心底怯えました」
「そうだろうな」
「ですが、布都と屠自古はそれが全くなかった。それを見て、なんだか自分が情けなく感じました。同時に、彼女たちを導くことに少し自信がなくなりました」
ゆっくりと吐露する神子の思いを聞き、俺はため息を吐く。同情や失望ではなく、軽い呆れからだ。
「怖くて当たり前だ。怯えるのなんか当然だろ」
「ですが二人は……」
「そりゃお前がいるからだ。お前が先陣切って誰も通っていない道でも走ってくれているからだ。お前自身が道を作っているからだ。だから二人とも安心してお前のあとをついて来れるんだ」
「…………」
「二人も言っていただろう? 信頼していると。道を切り開いてくれているお前を信頼しているから恐怖なんて少しもないと」
「…………はい」
「お前は怖くて当たり前だ。何せお前が走っている道はまだ誰も通っていない。目の前は真っ暗闇、目印の一つもありはしない。怯えるのなんか当然だ、そうだろ?」
俯いている神子の頭に手をのせ、ゆっくりとなでる。
「だが、そうだな……。どうしても心細くなったら周りを見ることだ」
「周りを……?」
「おう。布都も屠自古も近くにいるんだ。お前が先頭じゃなくて、三人並んで歩くのも悪くないだろ」
「……そう、ですね」
神子が俯いた顔を上げてにっこりと微笑んだ。
一人で何でもできるからこそ、今まで誰かに頼る必要がなかったんだろう。それでも一人では辛いこともある。
こいつは今まで一人でやってきたが、ひとりぼっちではない。ちゃんと周りに友人がいるんだ。
今までも。これからも。
「ありがとうございます、ハク」
「俺は何もしていないがな」
俺はただ事実を言っただけで、特別なことは何もしていない。
そう思いながらいつもの調子に戻った神子を見て安心した。
「ふふ……。そういえば、ハクは私が不老不死になろうとした理由を知ってましたっけ?」
「人間を超えたかったから、だろ?」
「はい。その思いは今も変わってません。ですが実は最近、もう一つ理由ができまして」
「へえ、その理由は?」
「貴方ともっと一緒にいたかったからです」
「…………なんだその殺し文句は」
突然の告白のようなセリフに一周回って冷静になる。何を恥ずかしいことを言っているんだこの子は。
「私の周りには友人がいると言いましたが、貴方はどうですか?」
「お前たちがいるだろ」
「では、私たちが眠りについたら?」
「む……? 友人くらいいるよ。今は近くにはいないけど」
「そうでしょうね」
何故か神子が俺の心を抉ってくる。さっきまでの明るい雰囲気はどうしたんだ。
仕方がないだろう。友人はそれなりにいるが、今も生きているという条件が付くとそれほど多くない。それこそ妖怪や神だけだ。
結構長く生きてきたのに友人が少ないということを再認識して思わずため息が出た。いや、長く生きてきたからこそ、なのだろうか。
「だから私が一緒にいたいと思ったのです」
「そりゃどうして?」
「それは貴方がさっき言ったでしょう? 誰かが近くにいるというだけで安心できるものです」
そう言って神子は俺の右手を両手で包み込むようにとった。大切なものを守るように、もしくはそう願うように右手を握る神子が神々しく見えた。
「ただでさえ貴方は隠し事が上手い。理解してくれる人は少ないでしょう。なので私が貴方を理解する人の一人になりたかった、ということです」
「……それで今まで無茶をしていた、ということか?」
「放っておくと、いつの間にかいなくなってしまいそうだったので。ですが結局、私たちが貴方を独りにしてしまうことになりました」
「気にするな。な…………俺なら大丈夫だ」
慣れている。そう言おうとしてとっさに言い直した。俺のことで気に病んでいるであろう神子の前で言うのはためらわれたからだ。
だがそれでも、彼女には俺が何を言おうとしたかがわかってしまったようで、右手を握る力が少し強くなった。
「……少しの間、待っていてください。次に会うときは、同じ時を歩めるでしょう」
「そうだな。楽しみに待つことにしよう」
「ええ、私も楽しみです。それでは……」
神子が目を閉じて一度深呼吸をする。しばらくして目を開けた神子の顔はいつも通りの凛々しい、それでいて柔らかい雰囲気の表情になっていた。
「行きますか」
「ああ、行こう」
後ろを振り向き、扉を開け部屋の外に出た。薄暗い部屋に長時間いたので外の明かりが少々眩しい。
しかし不思議と不快ではなく、むしろ心地よく感じながら布都と屠自古が待っているであろう霊廟に向かって二人同時に足を踏み出すのであった。
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俺と神子が霊廟の前に到着したころには、布都と屠自古が準備をすべて整えてくれていた。あとは三人が霊廟に入り、俺が外側から術をかければ終了だ。
「よし、今のうちに何かやってほしいことがあったら言ってくれ」
「「「はい!」」」
これからしばらくは会えないだろうからと思っての提案だったのだが、言った瞬間に三人そろって手を挙げた。
そこまで目をキラキラとさせていると、いろんな意味で不安になる。
「あー……、俺ができる範囲で頼むな」
「それは大丈夫だ。私は頭をなでてほしいな」
「それはもちろんお安い御用だが、お前がこういう要求をするのは珍しいな」
三人が少しばかり話し合い、左から順番にということになった。最初は屠自古からのようだ。
屠自古がした要求は実に簡単なもので、逆に俺がこんなものでいいのかと疑問に思うほどだった。
まぁ無茶な要求じゃないから全然問題ないなと思いながら、屠自古の頭に手をのせゆっくりとなでる。神子の髪質と少し似ている気がするな。
「うん、こういうことをやってもらったことはなかったけど、結構いいもんだね」
「お気に召したようで何よりだ」
「また今度よろしく」
「おう」
一通りなでたあと、軽い約束をする。また今度こういう機会があることを確信している言葉が何気に嬉しい。
えーと、次は神子か。
「ハク、私はハグがいいです。ハクだけに」
「うるせぇ」
「おお、大胆ですね太子様」
神子がとてつもなくつまらないことを言いながらこちらに向かって腕を広げている。いつも以上のにっこり笑顔付きなのに、妙な脱力感を感じた。
だが屠自古と同じで要求自体は簡単なものだ。俺は一度ため息を吐き、神子と同じように腕を広げて彼女を抱き寄せた。
「おっと……。あったかいですね、何だか安心します」
「そりゃよかった。できればあんまり動くな、髪が当たってくすぐったい」
「これは失礼、ふふ」
神子を抱きしめると彼女の特徴的な尖った髪の毛が顎の下あたりをくすぐってもどかしい。何とかならんのかと思い、抱きしめながら髪の毛を抑えてみるがすぐに元に戻ってしまう。形状記憶髪の毛か。
「抱きしめながらなでなでとは羨ましいですね」
「私もやってもらえるとは思っていませんでした」
「いや、これはなでているわけでは……まぁいいか」
屠自古と神子が何やら勘違いしてるようだが、別に訂正する必要はないと思い肩をすくめる。
しばらくそのままだったが、まだ布都の頼み事を聞いていないのでとりあえず神子をはなす。
「はい、終わりだ」
「む、あと三時間くらいこのままでもよかったんですが」
「そんなに抱き合うってどういう状況だ。雪山遭難かよ」
神子の謎の要求を一蹴して布都のほうを見る。
「よし、最後は布都だ。何をすればいい?」
「うむ! 我は高い高いをしてほしいぞ!」
「…………すまん、よく聞こえなかった。なんだって?」
「高い高いがいい!」
……こいつ、何歳だっけ。ま、いいや。できないわけじゃないし。
「そーれ、高い高ーい」
「わはは! 予想通りスリル満点だ!」
「さ、さすが布都ですね」
「私たちにできない事を平然とやってのける」
「「そこにシビれる! あこがれるゥ!」」
「憧れるな!」
妙に息ピッタリな神子と屠自古にツッコミを入れつつ、布都を上に投げては受け止めるのを繰り返す。
布都は背が低いが、それでも高い高いをするような年齢ではないため、傍から見ればずいぶん奇妙な光景だったことだろう。今ここには俺を含めて四人しかいないからよかったな。
「ハク殿! 次は肩車を頼む!」
「ちょっと待ってください。二つ目とはズルくないですか?」
「そうだぞ。みんな一つずつだろ」
「? ハク殿、頼みは一つだけと言っておったか?」
「あれ? そういえば言っていませんね」
「……てことは何回でも―――」
「待て待て待て! わかった、回数を決めなかったのは俺のミスだからな。だけど一人二つまでだ!」
「じゃあ私の頼み事は回数を十回に増やすことで……」
「ちょっと待てぇ!」
願いを叶えるにあたってタブーの一つである、願い事の回数を増やそうとする神子の頭にチョップを叩き込む。
チョップを受けた神子はわざとらしく頭を両手で押さえ、布都はいつの間にか肩に乗ってきており、それを見た屠自古が苦笑している。
いつも通り、賑やかなやつらだ。きっと次に目覚めて仙人となったあとでもこんな日常になるんだろうな。
彼女たちにとって遠い先のことだが、そうなることを確信できる。たかが百年や二百年程度で変わる関係ではないだろう。
俺にとっては遠いか近いか。それはわからないが、そこに俺も入っているのなら御の字だ。せいぜい楽しみに待つとしようか。
そう思い、肩の上ではしゃいでいる布都を落とさないようバランスをとりながら、屠自古の二つ目の要求を聞き、お姫様抱っこをするのであった。
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俺は今、三人が眠りについた霊廟の前にいる。
術は成功した。これでしかるべき時が来れば彼女たちは復活するだろう。あと俺にできることは待つことだけだ。
ようやく大きな仕事が片付いた安心感により、それに比例するような大きなため息を一つ吐く。
「お疲れさまでした」
「青娥か。ああ、ありがとう」
「ふふ、いーえ」
いつの間にか後ろにいた青娥の労りの言葉に感謝する。今のため息は安心感と喪失感によるものだが、確かに少し疲れてもいる。
「これからどうするんです?」
「……この都は出ようと思う。正直、あの三人がいなくなったここに居続けようとは思わない」
「そうですか」
「今まで通り、適当に旅をしようと思う。お前はどうするんだ?」
「私も同じですかね。貴方とあの三人以外に興味があるものはこの都にはないので」
「そうか。じゃ、ここでお別れだな」
「それはどうでしょう。気付いたら貴方の後ろにいるかもしれませんよ?」
「勘弁してくれ」
「冗談です」
そう言って小さく笑う青娥を見て、俺もつられてしまった。
しばしの談笑のあと、軽い別れの言葉を言って青娥は一足先に違う場所に向かい飛んで行った。
ずいぶんあっさりしたやつだと思いながら、俺は霊廟の壁面に右手を当て、目を閉じた。
「『いつかまた、この四人で』……か」
先程神子が言った二つ目の頼み事を呟くように繰り返す。
「ああ、待ってるよ」
百年でも二百年でも、生きている限り待ってやる。
だからきっと、また会おう。
「じゃあな」
そう呟いて霊廟から手をはなし、青娥とは違う方向に飛ぶ。
今までは研究や妖怪退治に時間を取られていたからな。次に会うときはそんなことは気にせずに暮らしたいと思った。
「あ。布都の皿と屠自古の壺、確認するの忘れてたな」
確認って大事だよね……